表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/61

44.リィフ・エイダ・サイ・ルークセントの決断

 横倒しになった巨獣は、絨毯よりも大きな青白い舌を地面に付け、やや早い呼吸を繰り返していた。寝ていても見上げなければならない巨大な胸もまた、忙しなく動いている。

「まだ……生きてるのね……」

 伏せたままのリリィが戦慄と悔しさの混じった声色で呟いた。

 俺は無理矢理体を起して答えた。

「ああ。殺すには量が足りなかったみたいだ。呑み過ぎて倒れたってところだろう。毒って訳じゃないから、今より悪化するってのも望み薄だし。さっきので殺せればそれが一番良かったんだが、そこまで上手くはいかないらしいな」


 ほんの一時間前とは景色が変わってしまっている。


 石畳が敷き詰められていた場所は大半が土を剥き出しにされ、巨獣の足跡である10m近いクレーターがいくつか出来ていた。

 あまり古びた様子がなかった研究所は、正面側が外壁を剥がされ、巨獣の移動や転倒によって起こった振動が建物そのものを一部崩しており、実に無残な有様だ。

 何より、研究所よりも大きな巨獣ゾフェンドがすぐ近くで寝ているのである。肉食獣に似た前足側は開けた空間に辛うじて収まっているが、背中の中程から後ろ足、ヒトに似た上半身は森の中に倒れている。


 呆然と目の前の光景を見ていた俺は、唐突に気が付いた。

「――ぁッ。ルース! イクシスッ!」

「そっ、それにサラも!!」

 状況も忘れ、二人で叫んでしまう。


 俺は少し離れた場所にいるイクシスへと駆け寄った。

 馬よりも大きいドラゴンは倒れたままで、瞼を閉じ、俺が近付いても一切動かない。蝙蝠のものに似た羽を畳むことなく地面へと垂らしていた。ざっと確認した限りでは出血はないが、羽や尾が変に曲がっているようにも見える。

 片膝をついた俺は、小さな時より長く精悍になった鼻先に手をかけ、思い切り揺すった。黒い鱗は硬くひんやりとしていた。

「おい! イクシス……イクシス!! 大丈夫かッ!?」

「…………グ…………。……グ、ア……ァッ!?」

 何度か揺すり、ペシペシ叩いた所でイクシスが瞼を開いた。

 切れ長になっていても変わらない金色の瞳が二、三度揺れ動く。


「――グ、グルアッ!」


 半分ほど地面に埋まっていたイクシスが大きく翼を羽ばたかせ、がばりと体を起こした。前傾姿勢になって、ナイフのように大きな牙を剥く。

 俺がしゃがんでいるので、ヒトの頭など丸齧り出来そうな口がすぐ目の前だ。

 流石に怖い。

「うお! おおお落ち着け、俺だ俺」

「グ?」

 俺に気が付くと、イクシスの顔から一瞬で攻撃性が消え、人懐っこい表情になった。広がった赤い鬣から力が抜け、三角形になっていた目が柔らかくなっている。

「ちゃ、ちゃんと生きてるんだな? どこか痛い所とか動かない所とかないか?」

「グルァーッ!」

 俺を見下ろすイクシスに無理をしている様子はなかった。ぴんと伸ばした尻尾や広げた翼は力強く、少なくとも動きに支障はなさそうだ。

 どうやら杞憂だったらしい。

「よし、なら後はルース達だな」

「グルア!」

 安心する間もなく、俺は立ち上がった。

 倒れた巨獣の向こう――ルースが叩き飛ばされた森へと体を向ける。


 その時、俺より早く森へと走っていたリリィが大声を上げた。

「――サラ!? ルースも! 大丈夫なのっ!?」

 木の陰からがさりと姿を現したのは、互いに支え合うようにしてこちらへと歩いてくるルースとサラだった。二人とも土や小枝で汚れ、整った顔に小さな切り傷を作っていた。


 俺は再度駆け出し、彼女達の所へ向かう。

 イクシスもすぐ後ろをしっかりついてきた。

「やっぱり大きくなってたんだな。小さい時は可愛かったけど、今は格好いいぞ、イクシス」

「グルアー」

「まずそこかよ……」

 俺達を視界に入れたルースは割とボロボロの癖に、最初にイクシスに笑いかけた。状況を忘れたかのような笑顔で、首を伸ばして顔を近付けるドラゴンの鼻から鬣を撫でている。


 一方、飛び付いたリリィを受け止めているサラの表情は固かった。悔いているような、苦さが混じった声で言う。

「打撲程度です、問題ありません。巨獣が倒れて来た時に潰されそうになりましたが、ルースに助けられました」

「す……、すまん。ヤツが倒れる方向まで気を回す余裕がなかった」

 俺の言い訳を、女騎士は一蹴した。

「いや、ああしなければならなかったのはわかっている。何よりお前は姫様を守ってくれたんだ。感謝こそすれ謝ってもらおう等とは思わない。本当にありがとう、カインド」

「やめてくれ、たまたま運が良かっただけなんだから。ルースの方は?」

 気まずさからルースに話を振れば、彼女は疲れが色濃く見える顔ながらしっかりと答える。

「僕も生き死にに関わるような傷はない。何とか攻撃が当たる瞬間に、大剣を盾にすることが出来たし、足でヤツの掌を蹴ることが叶ったんだ。しかし、まさか君がアレを倒すとはな……」

 丘のような巨体を真剣な表情で見つめながら、ルースが呟いた。


 詳細を説明する前に聞いておかなければならないことがある。


 俺は、仲間内で最も攻撃力がある魔剣士に言った。

「倒してはいない、酒放り込んで寝かせただけだ。ルース、お前なら……今の無防備な巨獣を、一撃で殺せるか?」

 ルースは軽く曲げた人差し指を顎に当て、十秒ほど巨獣を見つめた。

「……恐らく無理だ。あの巨体だし、どこに急所があるのかわからないから、大きく傷つけなければ決定打は与えられないだろう。だが、今の僕にはその余力がない。……すまない」

 その申し訳なさそうな台詞に、俺はすぐに返した。

「それこそ謝るなっての。そうか……となると、まずは出来るだけ安全な場所に行った方がいいな」

 今が絶好の機会なのは俺にだってわかっている。しかし、決定的な一撃で即死させることが出来なければ、巨獣が起きてしまう可能性が高い。

 対策もなく起こしてしまっては、結局寝かせる前の状況に戻るだけだ。

「グルア!?」

「に、逃げるのかッ!?」

 イクシスが大きく口を開き、サラが弾けるように声を上げた。イクシスはともかく、女騎士にしてみれば、反逆者に背を向けるのはそうそう許容出来ることではないようだ。

 俺は、顔を赤くし髪が広がっているサラの顔を真正面から覗き込んだ。

「まずは体勢を立て直す必要がある。お前、アレの前で治療とか休憩とか出来るのか?」

「……っぐ!」

「それに、問題は巨獣だけじゃない。王宮でも騒ぎが起こってるかもしれないんだぞ」

「――ッ!!」

 俺の一言に、リリィとサラが体を硬直させる。

 ルースが相槌代わりに答えを出した。

「……コーヴィンか……」

「ああ。どこまでの規模かわからないけどな。どう動くにしても、治療と休憩はしないといけない。それにはまず、国道まで出ないと。反対意見は?」


 誰も積極的な同意を示す者はいなかったが、反対意見もなかった。


「いやー、凄かったですねぇ。まさかカインドさんがあのバケモノをどうにかするとは思いませんでしたよ」

「説明して欲しいけどな。こっからだと何をしたのか全然わからなかったからよ。……ほら、隊長、いつまで寝てんすか」

「……う~ん……。……怖いのは……もう嫌だぁ……」

 俺達が呼ぶと、研究所の裏手で震えていたガリガリが結晶体を抱えながら、ムキムキが隊長を引き摺りながら歩いて来た。彼はまた気絶していたのだ。

 一応の方針を告げ、フルールの封印された結晶を彼らに持ってもらうことにする。


 森を抜け国道に向かうのに問題になったのは、重症のスロウルムとソリソカルだ。

 スロウルムは、自分である程度治癒魔術をかけ血は止まっていたが、自力で歩くまで回復はしていなかったので、イクシスの背中で運ぶことにした。その隣りにサラが控え、治癒魔術をかけながらの移動となる。

 茜色のグリフォン、ソリソカルは翼こそ酷い怪我だったものの、歩くことは何とか可能だった。ドタバタの間にサラから治癒魔術を受けたそうで、血も止まっている。だが、森の中を進むには体が大き過ぎるのだ。かといって巨獣のように全てを薙ぎ倒して移動する訳にもいかない。

 仕方がないので、ルースが大剣でどうしても邪魔になる木を切り倒し、その後ろを俺とリリィで誘導したり押したりしながら進んだ。


 ついでに、憲兵達に巨獣が倒れるまでを説明しておいた。

「なるほど……。確かにそれならカインドさんにも可能ですね」

「傍から見てたら、魔法以上のとんでもないチカラでひっくり返したようにしか見えなかったもんな」

 上下に尖った結晶体を横に寝かせ、先端をそれぞれ肩に担ぐガリガリとムキムキが呑気に言った。

 一人、役割も荷物もない癖に汗だくの隊長が呟く。

「陸酔を一瓶全て……放り投げた……だと? そんな使い方をするぐらいだったら、サートレイトから同行した時にでも、私に一滴ぐらいくれたっていいではないか。不幸だ……」

 俺は疲れていたので、隊長の泣き言には反応しなかった。


 そんな方法で移動すれば、どうしたって時間がかかる。

 全員の疲労や負傷もあって、森を抜けたのは一時間近く経ってからのことだった。


 道に出てすぐ、倒れたまま放置された馬車が目に入る。

 本来馬が入っている筈の長柄の間には何もなく、ベルトがただ下がっているだけ。その下の地面は、血溜まりが乾いて赤黒くなっていた。馬の死体は魔物か獣が綺麗に食べてしまったのだろう。屋根に空いた丸い穴を見るまでもない、憲兵団サートレイト隊の馬車だ。

 物凄く久しぶりに見た気がした。

 巨獣から離れた安心感と休息しても良い状況が、全員の張りつめた気持ちを折ってしまった。

 隊長が汚れるのも構わず仰向けにひっくり返り、部下二人は結晶を地面に刺して座り込んだ。ソリソカルもイクシスも崩れるように伏せてしまう。


 正午を数時間は過ぎていても、空は晴れ渡り日差しも強い。木陰に座り込もうした俺の腕を、リリィが掴んだ。

「――ここまで来たらフルールを解放しても、いいわよね?」

 顔に疲れは見えても、その眼だけは力強い光を発している。

 将軍を介抱しながらこちらも窺っていたサラが慌てた様子で言った。

「姫様っ、その前に手の治療を――」

「いいえ、大丈夫。他のひとの治療に人手が足りないっていうなら待つけど、あたしの為ならフルールを優先して」

 このまま言い争いになることが一番時間の無駄だ。

 俺はリリィの右手を取って、怪我の状態を確認した。

「確かに血は止まってる。痛い筈の本人が後でもいいって言ってるんだ。解放するなら今のうちだと、俺も思う」

 俺の言葉に、サラはイクシスから降りようとするスロウルム将軍の顔を窺った。

 彼は静かに頷き、口を開いた。

「今更言えたことではないが……私からも頼む」

「スロウルムの怪我は僕が診よう。どっちにしろ、先のことを考えれば再生魔術が必要だろうしな」

 ルースが女騎士に目配せをする。

 白魔法の治癒術では怪我が治っても機能を回復するにはリハビリをしなければならない。体を動かすような事態になる可能性があるのならば、黒の再生術にしておくのは基本だ。


 何より、リリィが心の底から求めたものを、俺達は全員知っている。


「わかりました。ルース、スロウルム隊長を頼む。では姫様、参ります」

「あたしも行くわッ」

 サラとリリィは、地面に突き立った結晶体の元へ走っていった。思い思いの姿勢で休息を取っていた憲兵達が慌てて立ち上がる。

 俺もあっちの様子を見守ろうとか思ったところで、ルースの凛とした声が聞こえた。

「カインド、将軍を押さえておいてくれ。これだけの怪我だ、痛みも相当なものだぞ」

 気力を振り絞って巨獣から逃げ出し、ここまで来てもまだ休むこともままならない。俺はため息を押し殺して、憲兵達を呼んだ。


 見るからに相当な重症だったスロウルム将軍の治療には結構な時間がかかった。


 顔を真っ赤にして再生魔術の激痛に耐えきった将軍は、汗を拭くこともなくすぐさまソリソカルの治癒を開始した。名付けられたグリフォンといえども、再生魔術に耐えることは出来ず、『痛みを与える』術者を攻撃してしまうらしい。

「――てことは、ソリソカルの飛行能力は今の所諦めるしかない訳ですね」

 俺の言葉に、スロウルム将軍は悔しげな表情で頷いた。負傷そのものから激痛に魔術行使と、数々の激務に、顔色が悪い。

「ああ。命に別条はないのが不幸中の幸いだ。ソリソカルの飛行能力をアテにしていたということは――、君も先のことを真剣に考えていてくれたんだな」

 俺はそう言われて気が付いた。

 相手はルークセントの重要人物だ。しかも、国に対してもリリィに対しても思い入れがある。

「あ――っと申し訳ありません。将軍職の方に対して差し出がましい台詞でした」

「いや。その鎧を譲った時にも言ったが、リリィも含めて君達のことは君達に任せたんだ。そして、君達は娘を救ってくれた上に、王女殿下もしっかり守った……。どう動こうと君達の自由だし、私は君達の決断を尊重する」

 王族の親戚にして壮年の騎士は、あっさりと主導権を放棄した。

 俺は生唾を呑み込むしかない。

「……ま、丸投げですか?」

「勿論、頼ってくれるなら尽力は惜しまないさ。さしあたって、本職として出来る限りのことはしておこう。ソリソカル、『何をおいても集まれ』だ。出来るか?」


 俺が訊ねる前に、茜色のグリフォンは震える体を起こし、首を真上に向けた。

「クワッ! クワッ! クワァア~~~~~~アッ!」


 大きく開かれた嘴からラッパのような鳴き声が響き渡った。音が移動していくのがわかるような、硬質の声だった。馬を連れていたら大変なことになっていたに違いない。

「さて、届けばいいんだが……」

 将軍が遠くを見ながら呟いた。

「今のは?」

「グリフォン部隊の緊急信号だ。実はこの先の村にソリスを繋いである。何かあった時の為にな。普段なら大人しく待っているが、ソリソカルの声が届けば手綱を引き千切ってでも来てくれるだろう」

 流石本職。俺は感心した。あるいは犯罪者として連行しなければならないサラを国外に逃がす時の足として用意しておいたのかもしれない。


「――フルールッ!!」


 唐突に、リリィの甲高い声が俺の耳に届いた。

 慌てて視線を王女達に向ければ、フルールを拘束していた結晶が粉々に砕ける、まさにその瞬間だった。立った姿勢から倒れそうになるフルールをリリィが抱きとめる。


 俺達は全員、同じ顔をした少女二人の元へと集まった。ルースすら超える速度で先頭を走ったのは、いつもどこか飄々とした態度を崩さないスロウルムだった。

「フルール? フルール! フルールゥッ!!」

 同じ体格の体重を支えきれずリリィは座り込んだが、その両手はフルールの上半身を離していない。腕の中のフルールに向かって、何度も何度も呼び掛ける。

 俺達はそんな彼女の周りを円状に囲んで、見守るしかなかった。


 長く感じる――実際には一分にも満たないだろう――時間が経って、フルールが眩しそうに目を開けた。

「…………リ……リリィ……? わ、私は……?」


 真っ白いドレスを纏い、小ぶりな王冠を被った金髪の少女がぼんやりと呟いた。

 どうやら解呪は成功したらしい。俺は詰めていた息を吐き出した。

「フ、フ、フルール~~~~~~~~ッ!!」

 これ以上ない大音声で叫んだリリィが、フルールに抱き付く。


 冒険と疲労に顔を汚しくたびれた服を着た少女が、仕立ても素材も最上級のドレスを着た埃一つ付いていないような少女に、道端で引っ付いている。

 二人は鏡に映っているかのように同じ顔で、違っているのは服装と髪の色――それに表情だ。

 片や迷子の末にようやく母親を見つけた幼子みたいに泣き叫び、片や驚きと困惑と少々の慈愛を見せている。

 何とも奇妙な光景だった。


 だが、それでも。俺は深い感動を覚えていた。

 身内であった筈の摂政による策略により奪われた友達の為、リリィは好機を逃さず行動を起こした。勢いに任せた部分もあり暴走だってあったが、自らが危険な目にあいながらも諦めることなく進んだからこそ、取り返すことが出来たのだ。

 そして、そこに俺も一枚かんでいる。この先どうなるかはわからなくても、これだけリリィが喜んでくれたのなら俺達が苦労した甲斐はあった、ってもんだ。


 見れば、ルースはうんうんと何度も頷き、イクシスは高い位置から首を伸ばしてリリィ達を覗き込んでいた。サラは人目も憚らずにボロボロ泣いている。スロウルムは顔を反らしているのでわからない。ソリソカルはそんな主とリリィ達を交互に見守っていた。


 抱き締められたまま、周囲を見渡したフルールがぽつりと言った。

「……こ、ここは一体……?」

「フルール! あたしがわかる!? どこか体に異常は!? 痛い所があるとか力が入らないとか動かないとか……!」

 抱きしめていたフルールを解放しつつ、それでも両肩にしっかりと手を置いたリリィが大声で言った。

 対するフルールは、王女の剣幕についていけないようだった。

「い……いいえ、大丈夫です。それより説明してくれませんか、リリィ? この際、サラお姉様でも構いませんから……。あら、お父様……ってその血は!? わっ、ノクティスじゃなくて真っ黒なドラゴンですか!? ええッ、超絶美形ッ!?」

 どこでフルールが<封印停止(ストップ・シール)>をかけられたのかはわからないが、王宮内にいたことは確かだろう。<封印停止(ストップ・シール)>の中では時間が止まっているようなものだと、ルースが言っていた。

 城の中にいた状況から突然外に、それも森の中に放り出され、しかも泣き喚くリリィやら血だらけの父親やら黒いドラゴンやら超美形やらが傍にいれば驚くのも当然だ。

 俺は頭を掻きながら言った。

「ゆっくり自己紹介と経緯の説明をしておきたい所だが、そう悠長にしている時間はない。とりあえずサラ、彼女にこれまでの流れをざっと教えてやってくれ」

「せ、説明するぐらいならあたしでも……」

 フルールから手を離さずに、リリィが呟く。

「お前にはこれから先どうするかを決断してもらわなくちゃならないんだよ。一つの問題が解決したっていっても、まだまだ厄介事はあるんだぞ?」

 俺の言葉に数秒考えた後、リリィは女獣人へと顔を向けた。

「……そうね、わかったわ。じゃあ、サラ……お願い」

「はい! ではフルールお嬢様、こちらへ」

「は、はい……」

 フルールは立ち上がり、サラに促されて木陰へと歩いて行った。足取りはスロウルムなどより余程しっかりしている。体力面での不安はなさそうだ。

 歩いて行く際に、俺のことをチラチラ窺っていたのは、見ず知らずの俺が王女や護衛の騎士に偉そうにしているからに違いない。


 俺達はそのまま地面に腰を下ろした。

 時間はないが、方針の決断は出来うる限り慎重に行わなければならない。


 まずは情報の整理だと、俺から口火を開く。


「最大の懸念である巨獣は酒の呑み過ぎで活動停止中。いつ目覚めるかわからない。寝てる間に殺すのはルースでも無理っぽい。馬で二日かかる距離にある宮殿では、コーヴィン将軍による反乱が起こっている可能性が大」

「スロウルム、その反乱の規模や範囲はわからないのか?」

 ルースの問い掛けに、リリィの掌を治療しながらスロウルム将軍が答えた。

「私が今朝基地を離れた段階では、そんな大事にはなっていなかった。だが、優位に立っていたエンバリィがああ言った以上、何もないということはあり得ないだろう。あの男の政治手腕は確かだった。あくまでも予想だが、王都を掌握しようとしている最中ではないか」

「リリィが向かっただけで事を治めるのは難しそうだな……。戦闘も必要だと思った方がいい」

 ルースが真面目な表情で言った。


 俺は頷いた上で、呟いた。

「……でも、こっちは怪我は治したとはいえ万全とは言い難い、か」

「僕は休めば回復する。全快まで三時間といったところか。サラもそう変わらないだろう」

「グルーア!」

 元気に鳴くイクシスに続いて、スロウルムが報告を始める。

「ソリソカルは戦力には数えられない。無理をすれば走らせることぐらいは可能だが、せいぜい何人かヒトを運ぶことが出来るぐらいだ。私の方は……隠さずにありのままを言おう、正直二割といった所だ。病み上がりと思ってくれていい」

「ちなみに我々は若干疲れているだけだ!」

 隊長が叫ぶと、部下二人は苦い顔をして上司を見た。

 うん、まぁ、気概は買おう。


 俺は人差し指を立てて、口を開いた。

「大体の方針として考えてみよう。まず、巨獣と戦う場合。また研究所まで戻って、巨獣を監視しつつ体力の回復を待つ。上手く回復出来れば初手で殺すつもりで再戦開始。先に巨獣が起きれば、不完全な状態でも戦わなけりゃならない。逃げることも視野に入れるんなら、リリィとフルールは安全な場所に避難してもらわないとな」

 全員が黙って俺の話を聞いている。

 人差し指はそのままに中指を足して、俺は続けた。

「次、コーヴィンの反乱を鎮圧する場合。さっきスロウルム将軍がソリスを呼んだから、あのグリフォンとイクシスで運べるだけ運んでもらって強襲するのが一番イイ手だと思う。鎮圧の大義名分の為に、リリィも一緒に宮殿まで行かないとならないことだろう。当然危険だし、途中で巨獣が割り込んでくる可能性すらある」

 ルース以外の面々の表情は冴えない。無理を言っているのは俺だってわかっている。

 それでも、俺は薬指も伸ばして言った。

「あとは、あんまりお薦め出来ないけど戦略的撤退をする場合。どこかの街に入って、経過を見極め随時対応する。具体的には、各地の貴族や有力者の協力を取り付ける為に動く交渉事がメインだ」

「巨獣はどうする? 放っておくのか?」

 ルースが当然の質問をした。

「だよなぁ。反抗勢力は地固めと拡大に走るだろうが、巨獣はどう動くかわからない。ていうか動いたらそれだけで災害になりそうだから、結局戦うことになりそうだな。しかも、ないとは思うが、コーヴィンとエンバリィが協力しだす……なんてことになったら目も当てられないことになる」

 俺は一つ息をついて、小指を加える代わりに右手を払った。

「で、最後の手段。ぜーんぶ投げ出して全員で外国にでも逃げる。ユミル学院に入れば保護ぐらいはしてくれるかもな。ルークセントは学院設立からのお得意様だし、王族は個人的なつながりもあるだろう」


 誰からも反応はなかった。

 確認すればするほど、現状の厳しさが浮かび上がってくる。情報の少なさも先行きを見えなくしていた。

 どの手も確かなことは言えない。


 少々の間があって、リリィが顔を伏せたまま、ぽつりと呟いた。

「……あたしは逃げたいわ……」


「ッ! リ――」

 詰め寄ろうとするルースを、俺は片手で制した。リリィの台詞には続きがあるように感じたのだ。


「……元々国のことなんかどうでもよかった……。あたしはフルールを助け出したいだけで……、それだってあたしには思いもよらないことになっちゃって……。あたしの行動が誰かの迷惑や危険になるなんて知らなかった」

 全員がリリィの表情を探ろうと目を凝らす。だが、彼女の表情は髪に隠れて見えなかった。

「王女って地位だって……あたしには煩わしいものでしかなかったし、ちゃんと考えたこともなかったわ。誰かが傷付くことがなければ、他のヒトにあげちゃいたいとすら思ってた……。きっと、そういう所がエンバリィには許せなくて、あんな行動に繋がったのね……」


「いやー、摂政閣下は元から――む、むぐぐッ!?」

 隊長が口を開くもムキムキが無言で口を押さえる。


「……でも、あたしにだって……――、エンバリィにもコーヴィンにも、ルークセントを任せる訳にはいかないってことぐらいわかるんだから! この国をバケモノが治める国には出来ないし、あんな頭の足りないバカがトップになったら腐敗するに決まってる! どっちにしたって混乱が起きて、何も知らない国民がまず被害を受けちゃうじゃない!!」

 リリィの声は少しずつ大きくなってきていた。これは興奮しているのか、単に怒っているのか。


 遂に立ち上がり、王女は堂々と宣言した。

「どうでもいいと思ってたけど、あんな奴らに好きにさせるくらいなら…………あたしがやるわよ、やってやるわよ!!」


 森の中にリリィの声が響き渡る。

 俺達はどこか呆然としたまま、リリィを見上げていた。

 スロウルムが葛藤を抱えた表情で問い掛ける。

「それで、いいんだな……リリィ?」

「本当は逃げ出したいって言ったでしょう、おじ様。でも、もう子供っぽい我儘ばかりは言っていられない。ルークセントに残った唯一の王女として行動しなきゃならないことに気付かされたんだもの! あたしにはまだ出来ることがあるし、何よりそうしなきゃって衝動がここから沸き上がってくるの!」

 質素な服の胸元を握り締め、リリィが叫んだ。


 どうやらただのやけっぱちでもないらしい。


「驚いたな……。随分一気に大人になったものだ」

 どこか呆れたように呟くルースに、俺も肩を竦めて応えた。

「我儘の対象が、身内から国民に移っただけにも見えるけどな」

 元来変な所で行動力のある娘さんだ。一つの切っ掛けで変わることもあるのかもしれない。


 リリィは唐突にいからせていた肩を下ろし、気遣うような表情で俺達を見回した。窺うような、小さな声で言う。

「でも、あたしだけじゃきっと何も出来ない……。だから――」

「ああ、勿論協力するさ」

 ルースが頷き、全員がそれに従った。憲兵達も、イクシスとソリソカルですらも、何か心に火が付いたらしい顔をしている。

 サラとフルールがこちらに歩いて来るのが見えた。

 そろそろ頃合いか。俺は立ち上がり、決意を込めて叫んだ。

「じゃ、反撃開始と行きますか!」

2月15日初稿


2015年8月18日 指摘を受けて誤字修正

腕の中の何度も → 腕の中のフルールに向かって、何度も

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
 拍手ボタンです。何か一言あればよろしくお願いします。押して頂けるだけでも喜びます。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ