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42.巨獣ゾフェンド

 俺達は摂政を見つめ続けた。

 反応することも共感することも非難することも出来なかった。

 何を馬鹿なことをと一蹴することは簡単な筈なのに、彼がこの策に注ぎこんだ意思と情熱、そして俺とルース、イクシスという不確定要素がいたのにも関わらず上手くいっているという現状が、それを許さない。


 一分ほどの沈黙の後、俺達の反応に満足したのか、エンバリィが体から力を抜いた。

「…………さて、時間があれば私の理想についてもう少しおしゃべりを楽しみたい所でしたが。あまりコーヴィンを待たせると何をしでかすかわからないものでね。さぁ、『巨獣の卵』をお出し下さい」

 まるで菓子をねだる子供のように掌を上に向け、俺達へと差し出してくる。

「……っ!!」

 俺は腰のバッグを押さえ、体を捻ってしまった。

 これを渡すことでフルールが解放されたとしても、エンバリィはリリィを殺すつもりなのだ。その上、ルークセント国内は荒れ、彼が権力と戦力を手にすることになる。

 とてもじゃないが、目の前の男が言うような栄華が訪れるとは思えない。

「私にとって最も欲しいのは『巨獣の卵』です。お渡しいただけるのなら、穏便に事を進めてもいいのですよ。例えば、殿下の死を偽装し、全てをコーヴィンの反乱による騒ぎに紛れさせ、貴方方は国外に行っていただく。少々無理があることは否めませんが、圧倒的な力があれば押し通すことも可能でしょう」

 流石に喋り過ぎたとでも思ったのか、摂政は妥協案を口にした。

 当然信じることなど出来ない。

 だが、話を聞きながら必死に考えても、事態を打開する策など思い付かなかった。

 エンバリィが一歩踏み出してくる。どこかで見たことのある、飢えに飢えた視線を俺に向ける。


「今、風は私に吹いています。全ての事柄が私にとって良い方向に動いている。この状況なら、小さな不安要素は無視してもいい。さぁ……早く……、早く私の『大いなる力』を出すのです!」


「……カインド……」

 リリィの不安そうな声が耳に届く。


「…………わかりました」

 俺は頷いて、バッグの留め金を外した。

「ぐ、ぐぁッ!?」

「いいのか、カインド……?」

 肩に乗るイクシスと、一歩後ろにいるルースが声を上げる。

「俺達の目的は、フルールを救い出すことだ。……それに俺達全員の身の安全。どちらも両立させる為には、『巨獣の卵』を渡すしか、ない」

 相手を焦らせば、それだけで俺達に不利になる。

 エンバリィは俺達が『巨獣の卵』を持っていることを知っており、最重要人物であるリリィの大切なヒトを二人も人質に出来る。

 動けない俺達を一方的に攻撃しても大して困らない立場だ。それをしないのは、圧倒的な余裕と機嫌の良さ、ルースとイクシスが破れかぶれになることを避ける為といった所だろうか。

 勿論、俺だってこんな男に国を揺るがすような力を渡したくはない。しかし、仲間達を何の見通しもなく危険に晒すことも出来やしなった。

 俺が腰のバッグから取り出した丸い包みを、エンバリィは喉を鳴らさんばかりに覗き込んだ。

「よろしい。では、その包みをそっと開けなさい。中身が魔法爆雷だったりしたら、事ですからね」

「そこまで大胆な小細工は、私の好みじゃありませんよ……」

 俺はそう言ってスカーフを開き、『巨獣の卵』を良く見えるように目の高さまで持ち上げる。日の光の中でも、闇が渦巻くような色も背筋が凍るような雰囲気も変わっていなかった。

「おお……! それが『巨獣の卵』!!」

「はい、少なくともこの研究所の奥で手に入れたのはコレです。投げればいいですか? それともそちらに――」


「いいえ、王女殿下に直接渡していただきたい」


 足を進めようとした俺を、エンバリィが遮った。

 タイミングと声の張りが絶妙で、勝手に体が固まってしまう。

「ッ!?」

 エンバリィは歯を見せて続ける。

「私自身は戦力を持ちませんので。傍に来ていただくのは最もか弱い者でないと、心配で心配で仕方がありません」


 ……コイツ、まさか……っ!?

 『巨獣の卵』を握る指先から血の気が引く。

 その条件だけは呑む訳にはいかない。


「それなら、私でも――!」

 何とか一歩踏み出すと、周りを囲む軍人達が大型の魔銃を音高く構え直した。もう一歩どころか、動こうとしただけで発砲するという気概が伝わってくる。

 手を差し出したままのエンバリィが大袈裟に肩を竦めて見せる。

「貴方はどうにも行動が読めない。よってその提案は了承出来ません。殿下に『巨獣の卵』をお渡しし、その場から動くことを禁止させていただきます」

「ぐっ……!」


「――いいわ、カインド。あたしが行く」


 唸るしかない俺の横に、リリィが立った。その顔は緊張していても、捨て鉢になっている気配はない。摂政を睨み付け、静かに口を開いた。

「向こうの指名はあたしなんだし。フルールを助けられる可能性があるなら、縮こまってる訳にはいかないもの。貴方達は自分の身を守ることに集中して……今更だけどね」

「姫様……っ!」

 サラが堪え切れないといった声で呼び掛けるのにも構わず、リリィは俺の手から『巨獣の卵』を取った。

 俺の手には彼女のスカーフだけが残る。

「待て、リリィ! エンバリィは多分……ッ!」

 リリィを止めようとするが、魔銃の銃口が動くのが目に入り、動きが鈍った。村娘が着るような丈夫さ優先の生地も掴めず、追いかけることも許されない。

 彼女はそのまま歩いて行ってしまった。

 倒れているスロウルム将軍の手前で、立ち止まると冷静な声色で言った。

「――これを渡す代わりと言っては何ですけれど、他の者は見逃していただきますよ、エンバリィ」

「殿下。そちらが条件を付ける権利があるとお思いですか?」

「貴方に踊らされた結果とはいえ、これを発見したのは私達です。……それに、貴方が譲歩するのなら、私も協力することを約束しましょう」

「ほう?」

 どこか面白がるような表情で、エンバリィが先を促した。

「例えば、自分に何かあった場合、摂政に全てを譲る旨を書いた遺言を残すことも、正式に私から貴方への禅譲を宣言することも、私には可能です。自分で言うのもどうかと思いますけれど、利用価値はまだあります」

 小柄なリリィが威圧的な態度を取る摂政と対等にやり合っていた。主張にもそれほど無理がない。

 エンバリィは腕を組み、数秒俺達から視線を外した。王女の提案を吟味した様子だ。

「ふぅむ……。確かに、貴女がいれば使える戦略が増えますか……。ええ、彼らの身の安全と貴女を交換することといたしましょう」


「その中には、当然フルールも含まれますね?」


「――……」

 さり気無く言ったリリィの言葉に、エンバリィは即答出来なかった。

 一瞬だけ、やられたという驚きが表情に表れる。すぐに無表情に戻ってから、小さなため息と共に苦笑した。

「…………いいでしょう。元々、フルール嬢を返還する条件が『巨獣の卵』ということでしたからね。――フルール嬢を前に」

 エンバリィの命令を受けて、魔法戦士然とした男が進み出る。彼は重さを感じさせない動作で歩き、スロウルムの傍で立ち止まった。

 魔法戦士とリリィがお互いに手を伸ばせば、触れられる距離だ。

 抱えた当人よりも大きな結晶は、よく見ると地面に接していない。どうやら数cm浮いているらしい。

 巨大な宝石にも似た結晶――というより、その中で目を瞑るフルールを見たリリィの瞳に、一瞬複雑な想いが見てとれた。

 怒りや悲しみといった負の感情と、必ず助け出すと誓う決意。

「双方とも、一歩ずつ進んで貰います。フルール嬢はサラ・ゴーシュの元へ。殿下と『巨獣の卵』は私の――」

 エンバリィが喜びを隠さずに命令しかけたその瞬間。


 倒れていたスロウルム将軍が突如体を起こし、血まみれの右手でリリィの腕を引いた。

 左手ではすでに<菱形鉄壁(ダイヤ・アイロン)>を展開している。


「おじさ――!?」

 リリィの手から『巨獣の卵』が滑り落ちる。

「――あ!?」

 その声は誰が上げたものだったのか。

 俺達も敵側の兵士達も、弾けるように動き出した。

「王女を奪われてはなりませんッ!!」

 エンバリィが『巨獣の卵』から視線を外さずに叫ぶ。


 石畳にぶつかって硬質な音を立てた『巨獣の卵』は、エンバリィに向かってゆっくりと転がり始めた。


 周囲のならず者達が剣を抜いて駆け出し、魔銃を構えていた二人の軍人が躊躇わずに引き金を引く。

 <打ち抜く煉瓦(ウォールド・テルーブ)>が二発、<菱形鉄壁(ダイヤ・アイロン)>にぶつかって弾けた。

「隊長ォッ!!」

「り、リリィ、を……ッ!」

 サラの呼び掛けに応えるように、スロウルムはリリィを後方へと引っ張ろうとした。

「……ぐっ!?」

 途中で将軍の足ががくんと折れた。出血の為か力が入らないらしい。

 中途半端に引かれたリリィが躓いた。

 将軍の表情は血で汚れていてもわかる程焦っていた。

「――こ、この!」

 魔法戦士が初めて声を出し、剣を抜いた。その視線はあくまでもリリィに向かっている。


 抜き打ちで放たれた細剣が、体勢を立て直そうとするリリィの右手を浅く斬り裂く。


「いッ!」

「――リリィ!」

 顔を顰めるリリィと、立つことも出来ず片膝をつくスロウルム。

 先端に付いた赤い血を撒き散らしながら、魔法戦士の細剣がしなった。輝く先端が向かうのは、リリィの左肩だ。

「――姫様ァッ!!」

 サラが怒号と共に魔法戦士に体当たりを喰らわせた。

「ぐほぉ!?」

 軽装とはいえ金属を着込んでいる大柄な男が、獣人の突撃で吹き飛ばされる。細剣の先端はリリィの服を引っ掛けるのみに終わり、宙へと舞った。

「王女が無理なら、<封印停止(ストップ・シール)>の結晶を――!!」

 エンバリィの命令で軍人達が動くが、あまりにも遅すぎる。

「ハァッ!」

 すでにルースが結晶を守るように立っていた。

 彼女は右手に持った大剣で近付いてきた男を斬り伏せ、左手には黒魔法が準備されている。ルースは軍人達に左手を突き付け、大音声で怒鳴った。

「来るなら来いッ!! 人質を取らなければ姿を現すことも出来ない臆病者達などに、負けるものか!!」

 我慢に我慢を重ねていたようで、彼女の顔には、相手方への怒りと自分の思う通りに動けることへの喜びが表れている。

 ルースの早技に、結晶を確保しようとしていた軍人達の足が止まった。互いに目配せをし合っても、勢いも気合いも足りない。


 これでもう、フルールを人質にすることは不可能だ。

 リリィは怪我をしたものの、剣を抜いたサラがすぐ前にいて安全は保障されている。

 自分の血で真っ赤になっているスロウルムも、立つことが出来る程度には無事だ。

 摂政側はソリソカルが死んでいると思っているのか、グリフォンを盾にどうこうしようという動きは見られない。


 数十秒前とは形勢が逆転した。


 残るは『巨獣の卵』だけだ。

 闇を内包した球は石畳を転がり続け、エンバリィが一歩前に出れば拾い上げられる距離にある。


「――いいえ、まだです! これさえあれば何とでも――!!」

 エンバリィが地面に向かって、手を伸ばす。

「んなことやらせる訳には――、いかないんですよ!!」

 俺は叫びつつ、銃口をエンバリィに向けた。

 俺だってボーっと突っ立っていた訳じゃない。敵の司令官の動向を注視していたのだ。他の面々にはそれぞれ役割があり、手が塞がっている。今ここで彼を抑えるのは、俺の仕事だ。

 躊躇うことなく引き金を引いた。

 発射された<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>が、真っ直ぐにエンバリィの腹に向かう。

「閣下ァ!」

 軍人の誰かが叫んだ。


 しかし、撃った瞬間に命中を確信する程の会心の一撃は、彼の手前で防がれた。


「――!?」

 俺は驚きのあまり、もう一度引き金を引くことも忘れていた。


 『巨獣の卵』から生えた黒いモノが、<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を霧散させたのである。


 その場にいる全員が、数秒、敵味方を忘れてその光景を見つめることしか出来ない。

 『巨獣の卵』には二、三滴の血が付いていた。

「……リリィの……血か……?」

 俺は思わず呟いた。

 『巨獣の卵』はスロウルムの血溜まりには触れていない。スロウルム以外でこの場で出血したのは、ルースに斬られた軍人と、手を斬られたリリィだけだ。

 リリィを傷付けたのは細剣だったので、切っ先に付いた血はしなりによって撒き散らされていた。付け加えれば、軍人がサラに吹っ飛ばされた時に細剣は宙を舞っている。

 その飛沫が『巨獣の卵』まで飛んだとしても何の不思議もない。


 数分前までは確かにツルツルだった『巨獣の卵』の全面に、びっしりと罅が入っている。元々ガラス球に似ていただけに、一度砕けたガラスを無理矢理くっつけたようだ。

 そして、球体の天辺から、歪に捩じれた枝のような物が生えていた。

 色は黒と言うしかないが、一切の光沢も斑もない。途中で二度程枝分かれしているが、根元は一本だ。腰程の高さまで伸びた先端は、よく見ればサワサワと動いている。


 『巨獣の卵』が持っていた嫌な雰囲気が、今では森の中全体に広がっている。

 まるで闇や影が視界に満ち満ちてゆくような、恐怖と不安。

 いつの間にか吹いていた風を背中に感じているのに、悪寒が消えない。


「…………ウフ……ウフフフ! ウハハハハハッ!!」

 突然エンバリィが笑い出した。我慢に我慢を重ねた後に爆発したような、体の奥底から溢れ出る笑いだった。

「ウハハハハハハハアッ!! 言ったでしょう!? 風は私に吹いていると! 何せ不利になったかと思いきや、状況が勝手に『巨獣の卵』の最後の封印を解いたのですからね! これは――……、全てを手に入れよという運命から私への思し召しでしょう! そうとしか、考えられません!!」

 俺は魔銃を握り直しながら、笑い続けるエンバリィに問い掛けた。

「やはり閣下は、最後の鍵のことを御存じだったのですね?」

「ウフフ……、当然です。ルークセントの王の間では、長いこと語り継がれてきたのですよ。『巨獣の卵』がサンシュリック次世代技術研究所のどこかに存在すること。そして、王族の血が――正確には、遥か昔の一人の王……彼の血を受け継ぐ子孫の血が――、『巨獣ゾフェンド』を目覚めさせる最後の鍵であることを、ね。私は前々王陛下の今わの際に、直接それを教わりました。あの方にしてみれば、負の遺産を息子に託すことに気遅れがあったのでしょう……。そのおかげで、こうしてお孫さんが苦労する羽目になったのだから、笑い話では――かふっ」


 悦に入ったエンバリィの説明が、不自然に途切れた。

 『巨獣の卵』から伸びた黒い枝が、彼の腹を貫いたのだ。


「――えぷ?」

 摂政エンバリィが吐血しながらも首を傾げる。

 彼が話している間に、黒い枝は長く生長していた。枝ぶりも三倍程になっている。縦よりも横に広がり、何かを求めるかのように蠢く様が不気味だった。

 エンバリィの肩にあった黒い点が膨らみ、弾けた。彼が『目』だと自慢していたコバエが破裂したらしい。

「――ひっ」

 ようやく事態を把握したのか、エンバリィの顔が恐怖に歪んだその時、罅の入っていた『巨獣の卵』が遂に砕け散った。


「――ッ!?」

 俺からすると後ろから前に突風が吹いたと思う間もなく、黒い枝が一気に太さを増し、空に向かって伸びていく。

 あっという間に直径が1mを超え、高さも10mを突破した。

 爆発的に増えた枝の内、半分程が地面に向かって湾曲し、突き刺さる。幹に当たる部分は未だに太くなっているので、石畳に刺さった枝もすぐに呑み込んでしまう。

 もう枝とは言えない。今では木――、それも黒い石畳から生えている黒い木だ。もはや『魔の森』に生える木々にも見劣りしないのに、まだまだ大きくなっていこうとする。


 生長し続ける黒い木が邪魔になって、エンバリィがどうなったのか見えない。


「カインド、下がれ!!」

 ルースの声で、俺は我に返った。

 男装の剣士の美しい顔が戦慄に塗り潰されている。

「リリィ達もだ! 風が吹く程大気の魔力が薄くなっている、これはまずいッ!!」

「グアーッ!」

 イクシスが同意するように鳴いた。

「おじ様ッ、言われた通りにしないと!! 早く!!」

 リリィに支えられたスロウルムは逆に彼女を押し出そうとした。

「お前は先に行け!! 私はソリソカルを……! ソリソカル、立てるかッ!?」

「……ク……アァ……!」

 将軍の呼び掛けに、少し離れた場所に倒れていた茜色のグリフォンが応える。主人同様、意識を失っていたフリをしていたらしい。ソリソカルは鳥に似た前足を震わせながら大きな体を起こした。

 しかし、あの調子では立つことは出来ても動くのは無理かもしれない。

 見かねたのか、サラが強い口調で怒鳴る。

「ソリソカルは私が助けます! 隊長と姫様は急いで逃げて下さいッ!!」

「僕も手伝おう! 憲兵達、こいつを頼む!」

 ルースは後ろに向かって、フルールが封印された結晶を蹴り飛ばした。

 巨大な結晶は重さを感じさせない軌道で、研究所近くに固まっていた憲兵達に向かって飛んでいく。

「ぐっへー!?」

 結晶がぶつかった隊長が呻き声を上げ、ムキムキとガリガリが慌てて結晶を支えた。元々浮かせる魔法がかかっていたので、嵩張っても動かすことに支障はないだろう。

「頼むって言われても、どうするよ!?」

「と、とにかく研究所の裏手に!」

「お、置いて行かないでくれ~ッ!!」


 憲兵連中が結晶を抱えてバタバタと走り去って行くのを確認してから、俺はリリィとスロウルムの元へ駆け寄った。リリィ一人ではがっしりした男を支えながら避難するのは難しいだろうという判断だ。

 将軍に肩を貸し、早歩き程度の速度で憲兵達の後を追う。

 進行方向から風が向かってくる。

 気が付けば、嵐のように突風が吹き続けていた。


「グアーッ!!」

 イクシスの鳴き声とほとんど同時に背中に衝撃が伝わる。

「――ぐほッ!?」

 驚いて後ろを見れば、すぐそこに黒い木から伸びる枝があった。そして、さっきまで俺の腰に巻き付いていたイクシスの長い尾が、猫の尻尾のように揺らめいている。

 俺達に迫って来た枝を、イクシスの尾が振り払ったのだ。

 さらにその向こうには、まるでこちらを窺うかのようにジリジリと迫る何本もの枝が見える。『巨獣の卵』から芽吹いた木はすでに巨木と言っていい大きさになっていた。研究所前の森が切り開かれた空間が、黒い幹で占領されているかのようだ。

 四方八方に尖った枝を蠢かせ、まだまだ広がろうとする性質――いや、欲望が感じられる。

「リリィ、将軍を連れて行け!」

 俺がスロウルムの腕を首から外すと、リリィは俺と後ろの巨木を見て一瞬だけ考え、叫んだ。

「――わ、わかった! 気を付け――」


 しかし、彼女の台詞は最後まで続かなかった。

 イクシスが振り払ったものよりも何倍も太い枝が、唸りを上げて俺達三人を薙ぎ倒したのだ。


「うぁあ!?」

「ぐむあッ!?」

 俺とイクシスは悲鳴を上げながら、石畳を転がった。肩に乗っていたイクシスが離れてしまう。

「きゃあッ!」

「ぐ……はぐ……ッ……」

 リリィとスロウルムも少し先に倒れている。スロウルムに至っては反応する気力もないらしい。横たわったまま呻くだけだ。

 狼狽しつつ体を起こし、辺りを見渡す。

 太い枝二本、左右から俺達を取り囲んでいた。さらに細い枝が何本も上下左右から圧力をかけて来る。

「くっそ!!」

 俺は右手に握ったままだった魔銃を枝に向け、<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を撃ち込んだ。

 しかし、黒い光線が当たったのに、枝は僅かに弾かれただけだった。皮一つ捲れておらず、傷付いた様子もない。

「ちぃッ! やっぱ効かねぇか……」

 つい先程エンバリィを狙った銃撃が遮られたのは、たまたまではないらしい。枝一つでこれだけの魔力耐性を持っているとすると、大本である巨木はビクともしないだろう。

 しかし、こんなただ暴れ回るだけの木が『大いなる力』なのか?


「グァアアア!」

 イクシスの鳴き声に反応する前に、体の正面にとんでもなく重い一撃を喰らった。

「ぐっ――はぁああッ!?」

 俺の意思とは無関係に胸の空気が吐き出される。意識が完全に他所に行っていた上に、先程とは威力も打ち所も違った。

 俺は、倒れたままだったスロウルムの傍まで、一気に吹き飛ばされた。息も出来ず、のたうち回る。

「カインドッ!? だ、大丈――」

 将軍を起こそうとしていたリリィが驚いた表情で、倒れた俺を見る。

 その先に、細い枝がリリィに狙いを定めているのが見えた。


 ――リリィッ!!


 必死に伝えようとするが、息をすることすらままならない俺に、叫ぶことは出来なかった。

 鋭い先端が、リリィの後頭部を目指して奔るのを、目を瞑らずに見据えることしか出来なかった。


「――グルゥゥゥァァァァアアアアアアアアッ!!」


 イクシスの鳴き声が聞こえた。最初は可愛いとさえ言えるような声だったのに、途中から轟くような大きさになっていく。

 針のような枝の先端がリリィの後頭部に届く一瞬前、風向きが僅かに変わったと思ったら、影が、枝とリリィの間に割り込んできた。

「――ッ!?」

 それは、イクシスの翼だった。

 エンバリィをあっさり貫いた鋭さを持つ枝でも、ドラゴンの皮膜を突き破ることは出来ないらしい。俺から見ると、翼の一点が僅かに押し込まれているだけである。

「え?」

 今になって事態に気が付いたのか、リリィが後ろを向いて呆けた声を出した。

「イク……シス……?」

 ようやく息を吸うことが叶った俺も、ただ呟くしかなかった。

 イクシスがリリィを守ったことに驚いている訳ではない。


 イクシスは地面に四肢を付け、寝かせたままの翼で、リリィの頭を守っていた。

 石畳にやや伏せた状態で、肩の高さが1m以上あった。だからこそ、そのままの姿勢でしゃがみ込んだリリィの頭を守ることが出来たのだ。

 さらに、頭から尻尾の付け根までで3mは優に超えている。

 小動物的な丸っこい輪郭はドラゴンらしい流線型へと変わり、ついさっき大きくしたばかりの翼と尻尾も二周り程大きく逞しくなっている。


 元々子犬よりほんの少し大きい程度だったイクシスの体が、立派なドラゴンへと成長していた。

 数時間前にスロウルム達と戦った時はあれだけ唸った末に翼と尾だけを大きくしていたのに、たった数秒目を離した隙に。


 イクシスは、その馬よりは大きくグリフォンよりは小さい体で、俺達を外から守るように包み込んでいた。

 体を起こした俺は、危機的状況も忘れて、ぼんやりとドラゴンを見上げた。

「お前、それ……体に良くないんじゃないのか……?」

「もっと言うことあるでしょうよ! でっかくなってるのよ!? でっかく!!」

 へたり込んだリリィが叫ぶ。

 イクシスがゆっくりと俺達を見下ろした。

 大きくなっただけではない。頭部も長く、鋭角な雰囲気だ。

 ふわふわだった赤い鬣が一本一本に意思が通っているように硬く広がって、乳歯にも似ていた可愛らしい角は槍先じみた50cm弱の物に変わり、後頭部から鬣をかき分けて二本伸びている。

 柔らかさすら感じられた黒い鱗も、一枚一枚が鋼のようだ。

「……グルル……」

 鳴き声まで低く響くものになっている。

 ほんの少し開いた口から見える歯は、魔物のそれだった。

「というか、その……今までみたいにちゃんとイイ子なの? この大きさで噛み付かれたりしたら簡単にペロっといかれちゃいそうだけど……」

 若干恐れを含んだリリィの台詞を、俺は一笑に付した。

「や、ちゃんと俺達のこと守ってるじゃん。ありがとうな、イクシス」

「グルァア」

 イクシスは大きな体を盾にして、俺達を枝の襲撃から守り続けていた。

 だが、そんな献身がなくても、俺には一目でイクシスが変わっていないのがわかった。

 円らだった金色の瞳は切れ長で思慮深さを感じさせるものになっていたが、こちらを見るイクシスの目には今までと変わらない人懐っこさがあったからだ。


「――グルゥルッ」

 唐突にイクシスが顔を動かした。その視線が向かうのは、『巨獣の卵』が割れた場所――葉の一つもない巨木が屹立していた筈の場所だった。



*****

「――カインド達はまだなのか……!?」

 サラと共に重傷を負ったソリソカルを研究所の裏へと連れて来たルースは、そこにカインド達の姿がないことに愕然とした。

 黒い巨木から繰り出される枝を凌ぐことに集中していたので、別の道筋を通ったカインド達を気にする余裕がなかったのだ。

 もっと遠くへ行きたいらしい憲兵達と、リリィの元へと駆け寄りたいらしいサラが、問い掛けるような視線でルースを見る。

 ルースは吹き荒ぶ突風の中でも聞こえるように、きっぱり言い切った。

「……僕が行くから君達はここにいるんだ。サラ、出来る限りソリソカルの治療を」

「わ、わかった。頼む」


 サラの返事が終わる前に、ルースは飛び出していた。

 雷進を使い、研究所の外壁に沿うようにして走り抜ける。ほとんど一瞬で、視界が開ける。

「――なっ!?」

 目に入った光景に、ルースは思わず足を止めた。


 つい先程まで研究所前の空間に禍々しく屹立していた黒い巨木が、姿を変えていた。

 そこにあったのは、大きな――圧倒的に大きな黒い塊だ。

 元々幹が異常なほど太かったことに加え、そこから出る枝と枝が絡み合い、密集しながらなおも太くなり続けた結果、一つになってしまったのだろう。現に、今も所々飛び出た枝が少しずつ塊に呑み込まれて行く。

 やや歪ではあるものの半球状で、研究所よりも高く、建物正面にあった空間を埋め尽くすほど横幅もあった。

 さらに、石畳がほとんどなくなっている。研究所の外壁も巨木があった方角は壁が剥がされ、白い漆喰が剥き出しだった。

 びゅうと一際強い風が吹く。ルースのシルバーブロンドの髪が前に流れ、汗ばんだ首筋に冷たさを感じた。

 本来なら大気に等しく満ちている魔力が、割れた『巨獣の卵』を起点として極端に薄くなっているのだ。その所為で嵐といっていい程の風が吹いている。

 極大精霊魔法が行使された際には、逆に術者から周囲に風が吹くということはある。だが、こんな現象は――いや、ルースが知る限り一つだけあった。アレイドが残した資料に、とある禁呪を使った術者に向かって突風が吹いた、という記述があった筈だ。あの場面では確か――。


 ルースの意識を現実に引き戻したのは、小さな音だった。

 まるでひっくり返したボウルのような塊の天辺から、ミシミシという軋むような音が聞こえてくる。

「風が……止んだ……」

 ぴたりと風が止むと、森の中は元通りの静けさを取り戻した。

 まるで森そのものが、何かに怯えているかのようだ。

 辛うじてルースの視界に収まるほどに大きな塊が、上から崩れ出した。枯れきった木の皮に似た欠片が、ザラザラと地面に落ちて来る。

「あ……あれは……」

 状況について行くことが出来ず、ルースは呆然と呟いた。


 塊の内側に何か、いる。塊は崩れているのではない、内側から破られようとしているのだ。

 それは徐々に姿を現した。


 最初に見えたのは、滑らかながら青白い皮膚だ。塊――ではなく繭を押し破り、背中が、肩が外に出て来る。

 大きな――余りにも大きなヒトの上半身だった。

 背骨や肋骨が浮き出る痩せた胴体に、対照的に盛り上がった肩、異様なほど細長い腕。全てが青白い肌に覆われている。

 そして、その上半身には頭部に当たる部分がなかった。

 両肩の間には何もない。


 頭のない体が、少しずつ持ち上がった。


 遂に、役割を終えた繭が崩壊する。

 辺り一面に欠片が崩れ落ち、隠されていた下半身が露わになった。

 辛うじてヒトに近かった上半身とは全くの別物だ。一番近いのは犬――黒い犬だ。黒い表皮を持った四つの足を持ち、二股に分かれた尻尾があり、頭部がある。

 潰れた鼻に、垂れ下がった耳、大きな牙。

 黒い顔の中でもより黒い、濁った溝のような垂れ下がった目。


 そんな形状を持った下半身の肩にあたる部分に、ヒトに似た上半身が生えている。どちらも巨大で、ケンタウロス的なバランスは取れていた。ただ、ケンタウロスの美しさ等欠片もない。

 見ているだけで、生理的な嫌悪感を抱かずにはいられない風貌だった。


「……ッ!!」

 ルースは巨獣を見上げ、息を呑んだ。

 高さは50mに近く、犬に似た頭部から尾までも同じぐらいある。

 『ホワイト=レイ』での修行において様々な魔物と戦ったルースでも、これほどまでに巨大な相手は見たこともなかった。

*****



 突然大きくなったイクシスが霞むような巨体が、すぐそこにあった。


「――グルルル!!」

 イクシスが頭を下げて唸る。

「ひ……ッ!」

 隣でリリィがか細く息を吸った。

「こ、ここまでのものだったのか……」

 うつ伏せに倒れたまま首だけを捻ったスロウルムが、呟く。

「あれが……巨獣……?」

 俺の疑問に答える者は誰もいない。

 視界を占める恐ろしいモノから目が離せず、逃げようという気持ちすら沸いてこないぐらいだ。


 どれぐらいの時間が経ったのか。


 『巨獣の卵』が開封されたことによって生まれ出たモノは背筋を伸ばし、細い腕を上げた。次いで、犬に似た口を大きく開く。

「ウフ……! フハハハハハハハハハ! アハーッハハハハハハハハハハハハ!! これです、この力ですよ! 他者を見下す圧倒的な力!! 魔獣乗りの方々はこんな気分を味わっていたのですねぇ!!」

 ビリビリと耳に響く程の大音声だった。

 声量や声質は多少変わっていたが、この喋り方と内容は紛れもなく摂政エンバリィのものだ。


 俺は漠然とした情報から、一つの勘違いをしていた。

 『巨獣の卵』は使役する魔物を生み出すものじゃない。


 『巨獣の卵』とは――、ヒトに巨大な魔物の体を与える道具だったのだ。

11月28日初稿。

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