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41.摂政の目

 サンシュリック次世代技術研究所の扉は、俺達が踏み入ったその日に、思いっきり壊れている。元々は両開きだった物が、片方は蝶番の部分で壁から離れ、傾いている有様だ。


 俺は屈んだ姿勢で、その傾いた扉と壁の間から外を覗き見ていた。

 肩に乗るイクシスも空気を読んだのか、じっとしていた。隣ではルースが俺よりも高い位置で片目を押し付け、反対側の開け放たれたままの扉の陰にはサラがいる。

 全員、外の状況とエンバリィの台詞は理解できている筈なのに、動けない。


 俺の頭の中は真っ白だった。


「……」

 建物の正面に、エンバリィがこちらを向いて堂々と立っていた。

 彼の一歩後ろには大きな包みを持った大男が佇んでいる。剣を帯び胸当てはつけていても、それ以外は簡単な装備で、魔法戦士といったところか。高さ2m、直径1mはある白い布に覆われた何かを、抱き寄せるようにしていた。

 この二人の周囲を固める形で、五人の男達。彼らは全身を鎧で固め、抜き身の剣や大きな魔銃を持っている。

 鎧も武器もしっかり手入れがされていて正規の軍人で間違いない。

 さらに、彼らの向こう側にばらけて五人ほど。

 こちらはならず者といった容貌で、あまり身なりはよろしくない。武器に手をかけることもせず、ニヤニヤ笑っている。

 ここまでなら、王女殿下を迎えにきた摂政とその護衛達、と思い込むことも出来たかもしれない。

 怪しさ満点でも、とりあえず声をかけて出方を窺う、ぐらいはしても良かった。


 ところが、倒れたスロウルム将軍が全てを決定づけてしまっている。

 エンバリィのすぐ前でうつ伏せになっているスロウルムは、ピクリとも動かない。周囲には血溜まりが広がっている。ここからでは、怪我の程度どころか生死も判別出来ない。

 少し離れた場所に、ソリソカルも倒れていた。茜色の翼に二本の剣が突き立てられ、見るからに痛々しい。

「――ッ!!」

 真上から、ゴリゴリというくぐもった音が聞こえた。

 ルースが奥歯を噛み締めたのだ。今にも飛び出しかねない表情をしている。

 状況に少しでも余裕があれば一声かけておきたいが、今はそれもままならない。

 エンバリィはこれ見よがしに長い溜息をつくと、大声で言った。

「――殿下!! 早くお出でになった方が良いと存じますよッ!!」


 ……殿下?


 浚われたのが王女ではなくフルールだということを知っているのは、グリフォン部隊の三人しかいないとリリィは言っていた。周囲に信用出来るヒトが少なかったことと、フルールの身を案じての情報封鎖だ。

 ルークセント上層部だろうが犯人だろうが、知っている訳がない。


 それなのに、エンバリィは今ここにいるのが、ルークセント国王女だと知っている?


「え……、今の声は…………エンバリィ? 何で彼が……?」

 リリィの呟きが聞こえた。俺が慌てて視線を向けると、サラの少し後ろに彼女が立っていた。

「姫様っ、ここは危険です! もっと奥にいて――」

 リリィが外の景色を見る前に宥めて避難してもらおうというサラの言葉を、エンバリィの大声が遮った。

「私にも予定がありますのでね! ……これでも引き篭もっていられますかッ!?」

 そう言って、摂政は隣の男が抱えていた物を包む布を掴み――芝居がかった仕草で引いた。


 布の中にあったのは、細長い結晶だった。

 透明で、高さ2m横幅は1m弱といったところか。先の尖った二等辺三角形を八枚組み合わせたような、上下に伸びた形。これ以上ない程真っ平らの一面一面が日の光を受けて輝き、美しく加工された宝石にも見える。

 そして、その結晶の中には――小柄な少女がいた。

 小ぶりな王冠を乗せた金髪は風を受けたように軽く広がり、白いドレスはここからでも一目で最高級品とわかる。年のころは十四、五歳。まだ可愛らしいという表現が相応しい整った顔は、そっと目を閉じ、微かに上を向いている。


 少女は、鏡に映った姿かと思うほど、リリィに生き写しだった。


「――フルールッ!!」

 リリィが悲鳴にも似た金切り声を上げた。

「その通りでございます! さぁ、お出で下さい、殿下!」

 エンバリィが魔銃を抜き、フルールが封印された結晶に突き付けた。

「フルール! ……フルール!!」

「駄目です、姫様ァッ!!」

 リリィが強引に前に進もうと、空を掻く。必死に抑えつけようとするサラも目に入らないらしい。

 一瞬二人を見たルースは、すぐに視線を外に戻した。

「白魔法の単独封印術、<封印停止(ストップ・シール)>だ。外部からの刺激には弱いが、内部はほとんど時間が止まっているような状態になる。封印された対象は術が解けるまで目を覚まさない……」

「ここから黒魔法や魔銃で撃ったら、どうなる?」

「術からは解放されるだろうが、それでどうにかなるとは思えないな。少し距離もあるし、砕け方によってはフルールも傷付く可能性がある」


 エンバリィの言葉に従えば、もう不意打ちする機会はない。

 とはいえ、ルースですら躊躇する博打を打つことも出来ない。


「……なら、出て行くしかないな」

 俺は頭上のルースと目を合わせ、屈んでいた身体を伸ばした。

「あいつの言う通りにするのか……?」

「今の所そうする以外にない。人質二人に、一匹。その内一人は封印されていて敵の手の中。一人と一匹は怪我をしたまま放置されてる」

「く……っ」

 俺の言葉に、ルースは悔しそうに唸る。

「ぐぁ……」

 心配そうな鳴き声を上げるイクシスの頭を撫でると、俺は自分を隠していた扉から一歩踏み出した。

「良い心掛けです。さぁ、こちらにいらして下さい! 言われずともおわかりでしょうが、七人全員ですよ!」

 エンバリィは満足げな顔で頷く。それでも、フルールに突き付けた魔銃を下ろさない。

「わかりました。今行きますから、せめて結晶に向けている魔銃を収めていただけませんか? 王女殿下がパニックを起こしてしまうので」

「……そうですね、私も穏便な会話を望んでいます。いいでしょう。ただし、こちらはいつでも貴方方を攻撃出来ることを忘れてはいけませんよ」

 俺達の方が圧倒的に不利な分、摂政は太っ腹だった。エンバリィが魔銃を空に向け、空いた左手で味方に合図をする。

 結晶を抱えた魔法戦士以外の全員が、剣や魔銃を見せつけるように構えた。当然、狙いは俺だ。

 俺は正面にいる摂政を見据えながら、小声で言った。

「……リリィ。今は変に抗うと必ず何か一つは失うような状況だ。事態が動けば、一番重要なお前か、すでに封印されているフルールが狙われる可能性が高い。任せろなんて口が裂けても言えないけど、頼むから落ち着いて――いや、行動を起こす前に一度でも考えてくれればいい。お前が人質になったら、それだけで俺達全員がお終いになるってことを、な」

「――そッ! そんなことわかってる!」

 まだまだ興奮はしているのだろう、リリィが掠れた声で答える。

 これで、とりあえず一人で飛び出す心配はしなくても良くなった。


 俺は口の端を上げてルースとサラにそれぞれ目線で合図を送ってから、歩き出した。

 後ろから、彼女達が続く足音が聞こえる。

「わ、我々もなのか……?」

「ここまで来たら、流れに身を任せるしかありませんって……っ!」

「流れも何も状況が一切わからん」

 憲兵達も戸惑っているようだが、これまでの荒事で多少なりとも慣れたのか、会話をする余裕があるらしい。

 一方俺は、状況を打開する策を考える余裕もなかった。摂政という立場で国の政治を司る男が、俺を真正面から見つめていたからだ。

「お久しぶりですね、ソーベルズ卿。まさかこういった形でもう一度お会いすることになろうとは、思ってもいませんでした。そちらのドラゴンに関してもまた、同様です」

 摂政エンバリィが、政治家特有の目だけをギラギラさせた笑顔で言った。

「グルル……ッ!」

 視線を受けたイクシスが肩の上で全身を緊張させる。


 普通の声で会話が出来る位置で、俺は立ち止まった。エンバリィとはスロウルムを挟んで5mぐらい。

 せめて狼狽や困惑を顔に出さないようにして、肩を竦める。

「私も同感です、閣下」

「最後に会ったのは三日ほど前でしたか。あの時も驚きましたよ。何せ国賓扱いの外国の方が兵士の恰好をして、王女殿下と一緒に廊下を歩いているんですから」

 王都から脱出した夜、俺とリリィは宮殿の廊下で摂政に遭遇している。あの時、エンバリィはネチネチとした小言を、メイドの恰好だったリリィに語って、悦に入っていた。

 兵士に変装していた俺のことはともかく、あの時からすでに、リリィが本物のリィフ王女だと気が付いていたのか……?

「……こ、これは一体どういうことですか、エンバリィ?」

 後ろから、精一杯平静さを装ったリリィの声がした。

 チラリと後ろを見れば、全員が俺の後ろに固まっている。

 必然的にリリィを中心として周りを固めるような布陣だ。

 ルースはいつでも飛び出せるようにやや前傾姿勢。サラは王女の傍で茶色の髪を逆立てつつも無表情。憲兵達は最後尾でどうしたらいいのかわからない様子。

 リリィは王女モードで威厳を示したいのだろうが、体も声も微妙に震えてしまっていて、虚勢を張っているのが丸わかりである。

「これはこれは、殿下。貴方様とも三日ぶりというところでしょうか。私の注文の品が確保出来たようなので、こうして罷り出て参りました」

「それは――……『巨獣の卵』のこと?」

「はい、勿論でございます」

「……スロウルム将軍を害したのは、貴方ですか?」

「はい。この者達に命じました。瀬戸際ですが、死んではいませんよ。先に死んでしまうとグリフォンが抵抗しかねませんからね」


 そこで、リリィの感情が爆発した。


「…………フルールを浚ったのは! 本当に貴方なのねッ!?」

「はい。全てを計画し、命令を下したのは、不肖私でございます」

 平坦ながら、どこか相手を見下した口調で、エンバリィが答える。


「~~ッ!!」

 言葉にならない呻き声を上げながらも、リリィは足を動かさなかった。両手でスカートを握り締め、涙の溜まった赤い目で摂政を睨みつけている。

「姫様……」

 サラが周囲を警戒しながら声をかける。

 一度下を向いたリリィは、噛み締めた歯の隙から絞り出すような声で問い掛けた。

「……どうして……ッ!? おじい様の代からずっと仕えてきた貴方が……、どうしてこんなこと……!!」

「ですから、『巨獣の卵』を我が物とする為でございますよ、殿下。権力だけでなく『大いなる力』をこの手に掴む。私の二十年は……その為だけにありました」

 エンバリィが遠くを見るような視線で、空を見上げる。

 すでに優位な立場を作り上げているからか、俺達の問いに答えるつもりはあるようだ。彼の言葉通りならスロウルム将軍は生きているようだが、そっちまで欲張ると全てを失う可能性が増す。

 今は最悪な――フルールを人質としてリリィを確保した後、俺達全員を殺すような――展開を先延ばしにする為、動くしかない。

 俺は視線を前に戻し、悪びれもせずに立つ摂政に、疑問をぶつけた。


「私も聞きたいことがあります。何故、摂政閣下ご自身がわざわざこんな所まで? 閣下ならご自由に動かせる人材がいくらでもいたでしょうに。そもそもどうやってここを突き止めたのです? 私達を追いかけて来たにしては時間が開き過ぎていますし、このタイミングで姿をお見せになったのも出来過ぎというか……。何より、閣下のお話しぶりだと、浚ったのがフルールだったことすら織り込み済みだったように聞こえます。王女誘拐を企んだのではなかったのですか?」


 一度口を開くと、止まらなかった。

 混乱した頭に詰め込まれた疑問が、整理もされずに口をついて出てくる。


 そんな俺を、エンバリィは片手を上げて制した。

「質問はわかりやすくを心掛けなさい。支離滅裂な順番で思いつくままに言われても、私も貴方も準備が出来ていなければ、話をする意味がなくなってしまうのですよ。時間の無駄を避ける為には、頭を回す必要があります」

 摂政は眉を顰め、声にも不機嫌さが表れている。

 父上にも同じようなことを言われたことがあった。どうも、俺の頭はまだ、彼の登場に混乱しているようだ。興奮していきなり攻撃してくることはないだろうが、あまりエンバリィをイラつかせるのは良くない。

 俺は目をつぶって一呼吸置いた。

 頭の中で質問を並べ、重要性と緊急性から順位付けをし、結局第一に気になっていることを選んだ。

「どうして、閣下ご自身がこんな場所まで訪れなければならなかったのですか?」

 エンバリィは片方の眉を上げた。俺の質問に考える価値があると判断したようだ。それから、やや自嘲するように乾いた笑みを浮かべて、口を開く。


「……私は服でも家具でも本でも、注文するような品物は店まで出向いて、自分で受け取らなければ気が済まないのですよ」


「……!」

 俺は絶句した。

 王族に対して弓引くような行為を、こうもあっさりと日常に例えるのか……。

 大したことではないと思っているのか、王族というかリリィを舐めているのか。おそらくはその両方だろう。


 エンバリィは口の端を片方だけ上げ、続けた。

「それは置いておいても、私はここに来る必要があったのですがね。つまり、切り札――この封印されたフルール嬢を預けるに足る手駒がなかった、ということです。今朝になってスロウルムが研究所に向かって飛び立ちました。せっかく順調に『巨獣の卵』探しが進んでいる様子だったのに、邪魔をさせる訳にはいかなかった。しかし、相当グリフォンに無理をさせたのか、私達は結局追い付けなかったのです。スロウルムは強硬手段に出ましたし、その従者と戦い始めた時には本当に肝が冷えましたよ。まさか勝つとは思いませんでした。これは嬉しい誤算ですね」

「エンバリィ、貴方……! フルールを盾にしたのね!? む、娘を盾にして父親を……!」

 涙目で叫ぶリリィの怒りを、摂政はさらりと流す。

「ええ。この娘が貴女様とスロウルムに対する切り札、『巨獣の卵』を手に入れる為の手段です。貴女様方が苦労して苦労してようやく打ち破ったスロウルムですら、コレ一つで労力を大幅に削って倒すことが出来るのですから。合理的に考えれば、使わない手はないでしょう?」

 この物言いは何だ……?

 エンバリィは、まるで俺達をずっと見て来たかのように語っている。

 ルースとスロウルム将軍の空中戦だけなら、どこか遠くから監視していた可能性もあるだろうが、将軍のリリィに対する強硬手段を把握することが出来たとは考えづらい。森の中での出来事だったし、こちらには気配を読むことに長けた者が多いのだから。

 俺の表情を読んだのか、摂政は我慢が出来ないといった笑顔を浮かべ、上半身を乗り出してきた。

「私の言葉が引っ掛かりますか? 腑に落ちませんか? ウフ、フフ……! なるほど馬鹿ではないようですね。いいでしょう、教えて差し上げます。答えは単純、私は定期的に見ていたのですよ、貴方方の行動を!」


 愉快そうに体を伸ばし、両手を上げるエンバリィ。

 俺とリリィを捉えていた彼の視線が、意味ありげに動いた。示す先は俺より後ろ、玄関の近く。

 俺は視線を追って振り向いた。


 エンバリィが見ているのは、憲兵団サートレイト隊の――ガリガリだった。


「――!?」

 俺達全員――隊長やムキムキも含め――の視線がガリガリに集中する。サラの髪が逆立ち、ルースが彼に対して身構えるのが見えた。

「フィリップ、お前……」

「…………」

 ムキムキが唖然とした顔で呟き、隊長の顎は落ちている。

 ガリガリ――フィリップ・ゴゥラが内通者だということか? そんなことが……。

 俺達の反応に対し、ガリガリは驚きを全力で表現した。

「――え!? いやいや!! 違いますって!」

 普段は細い目を限界まで見開き、両手を顔の前で振った。

 顎を閉めることに成功した隊長が彼に詰め寄る。

「この期に及んで、否定するな! 摂政閣下に協力しているのなら、今はそれをアピールするべきではないか!」

「いや、だから! 私は、摂政様と会ったことも、隊長以外から命令されてるようなこともありませんから!! 大体、今殿下に同行してるのだって成り行きと隊長の判断があったからでしょうが!!」

 必死に否定するガリガリは、俺の目には嘘をついているようには見えなかった。言い分にも説得力がある。

 何より、サートレイトで出会った彼が内通者だとしたら、俺とルースが王都でリリィと接点を持つ前から仕込まれたことになる。幾らなんでもそんなに前から仕込みがあったとは、思いたくない。

 摂政は口を覆って笑い声を上げた。それでもやはり、目はしっかりとこちらを見ている。

「ウフフ、ウフフフフフ! 違います、違います。勝手に勘違いして仲違をなさらないで下さい。面識どころか、私は彼の名前も知りません。よって、彼は内通者でも協力者でもありませんよ。フフ、フフフ。私の『目』はね、もっと別の所にあるのです!」


 興奮したエンバリィの声以外は静かだった森に、別の音がし始める。

 甲高い、一定調子の――草笛のような音。


 ガリガリを見つめる俺の目が、彼の背中から飛び出したものを辛うじて捉えた。

 動いていなければ認識することも出来ないほど小さな黒い点が、高い羽音をさせながら、ガリガリの周囲を飛び回った。

 虫だ。

 それも、いちいち名前を調べるまでもない、コバエだとかハムシだとか呼ばれるような小さな虫。

「……そうか、しまった。貴様、虫遣いだったのか……ッ」

 ルースが呆然と呟く。


 コバエは一頻りガリガリの近くで己の存在をアピールした後、エンバリィの元へゆっくりと移動した。ただ見送るしかない俺達の間を通り過ぎ、摂政が持ち上げた青白い手の甲に停まった。

「良く御存じですね。昨今、魔獣乗りばかりが持て囃され、ほとんど忘れられた技能だというのに。ですが、使い方によってはドラゴンを操るよりもよほど有益な技能と言えるでしょう。あの日、宮殿から出ようとする殿下と会話をさせていただいた時に、この虫は殿下のスカートに張り付いたのです」

 宮殿の廊下で摂政と会った時、不自然な動きは出来なかったので、ルースは立ち止まらず先に行った。俺とリリィの傍にはいなかったのだ。イクシスもサービスワゴンの中で荷物に囲まれていて、状況を把握していたとは言い難い。

 その間に、『目』は仕掛けられていたのか……。

 俺も、思わず奥歯を噛み締めていた。

 愛おしそうにコバエを眺め、エンバリィは言う。

「そう、この虫と私は繋がることが出来る! この小さな眼で見たものを、私も見ることが出来るのです!! 宮殿からここに来るまで――いいえ、『巨獣の卵』を探し出すまで、張り付く相手を変えつつ、拝見させていただきました。操るにも見るにも、酷く精神を集中させなければならないので四六時中とはいきませんがね。使い所を見極めれば隠された情報という大きな利益を得、貴方方が気付かなかったようにリスクはほとんどありません。私はこの力で、摂政まで伸し上がったんですよ! 国中がグリフォンだのドラゴンだのに執着している間に! この小さな虫で!!」


 俺は言葉を返せなかった。


 確かに有益な能力だ。

 体面を大事にする貴族や政治家にとって、隠したい秘密を一つでも握られることは、その先の人生を握られることと何ら変わらない。ルースやサラ、イクシスが把握出来なかったのだから、露見する心配はないと言っていい。

 他人に見えないナイフを操れるようなものだ。

 だが、所詮やっていることは覗き見である。

 本人がどれだけ誇りに思おうと、俺達があっさりしてやられようとも、姑息以下の最低最悪の手段であることは間違いのない事実だ。


 手段を選ばない性質の俺がここまで引くなんて、物凄いことだぞ摂政閣下。


「つまり、あたしとフルールの遊びはバレていたのね……」

 さっきまでの怒号はどこへ行ったのか、リリィがかすれた声で漏らした。怒りよりも衝撃――寒気の方が勝ったのだろう。王族とはいえ、私生活まで観察されていたのだから当たり前である。

「はい、その通りです。最初はただ単にフルール嬢を餌に、殿下に動いて貰うという計画でした。しかし、前王陛下が亡くなってから、貴女方が幼稚な遊びを繰り返していることに気付いたのです。そこで計画を練り直しました。本来お供はスロウルムとサラ・ゴーシュ、あと二、三人ほどか、と思っていたのですが、なかなか策通りにはまいりません」

「それでも、大筋は変わらなかった……」

 俺が呟いた言葉にエンバリィは笑った。イイ大人が愉快で堪らないという表情だ。

「そうそう、ある意味では貴方にも感謝をしなければなりませんね、ソーベルズ卿! 貴方方が登場したおかげで殿下は動き出しました。それも『龍の卵』を孵した外国人というところが実に素晴らしかった! 結果としてコーヴィンの感情をより刺激し、この後の面倒が減ることになったのですよ! これは全くの偶然ですがね!」

「グァア!!」

 エンバリィの慈しむような視線を受けて、イクシスが鬣を逆立てて鳴く。

「コーヴィン……? 大佐の方か?」

 ルースの呟きに対して、摂政は大袈裟に首を振った。

「将軍の方に決まっているではありませんか! 彼は長年の不満をソーベルズ卿に煽られ、大勢の前で武器もなしに殴り倒されることになりました。最後には、殿下の裁断で牢屋送りという恥を負わされた。さらに、殿下のことをフルール嬢だと思い込んでいますから、その怒りは頂点を超えています――、『王女殿下のフリをしたフルール・スロウルム』を殺したい程にね!!」

「……まさか、貴様……! リンゼス・コーヴィンを解放したのか!?」

 サラが弾かれたように叫ぶ。

「ウフフフ、私は何もしていませんよ。元々コーヴィン将軍は、王都にいる兵士の頭目と言っていい存在だったんですから。拘束を命じた殿下はどこにもおらず、スロウルム将軍はいつでも飛び立てるようにグリフォンの傍から離れない。コーヴィン派を留められる者はいなかった訳です。大騒ぎの宮殿で彼を解放しようという動きがあるのは至極当然のことでしょう。当然コーヴィン伯爵家は一族を上げて彼を支援しています。今頃は宮殿を占拠し、私からの連絡を待っていることでしょう」

 エンバリィは肩を竦め、言い切った。

 そんな状況は――。


「は、反乱じゃないかぁあああああッ!?」


 俺と全く同じ結論を、隊長が叫んでいた。

 つまり、エンバリィの目的は王のすげ替えということなのか。いや、それでも疑問は残る。

 例えお飾りの王族だと言っても、元々いる王を殺して新たな王になることは、そう簡単なことではない。歴史と血筋が持つ力は、時として武力を超えるからだ。

 摂政として政治のど真ん中にいたエンバリィが、そんな当たり前のことを知らない筈がない。

 しかも、結局仕える相手が変わるだけで、ここまでのことをする意味があるとも思えなかった。


「果たして、本人はそこまで考えているかどうか……。彼にあるのは、自分を獄につないだフルール嬢への恨みと、トマス・スロウルム――いえ、魔獣乗りへの対抗意識だけです。ああ、それにそのドラゴンもあわよくば手に入れようとしているでしょうね。全くこの国の人々は自分の魔獣を手に入れる為ならば何でもするのだから、困ったものです。……しかし、心配には及びません」

 エンバリィはそこで言葉を切ると、ゆっくりと顔を上げた。

 俺達全員を見下したその瞳には、抑えきれない欲望の光が灯っていた。


「『巨獣の卵』が孵った暁には、私が鎮圧いたします――、その『大いなる力』を持ってしてっ! 最後の王族を殺した反逆者を強大な力で誅し、私自身が王になるのです!! その後は、巨獣の力を背景に国を纏め上げ……ルークセントは、史上最高の栄華を誇ることになるでしょうっ!!」

11月14日初稿


2015年8月18日 指摘を受けて誤字修正

片方は蝶番部分の部分で → 蝶番の部分で

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