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40.探索終了、決戦開始

 俺とリリィは長いこと、突っ立っていた。ちょっと奇抜な棚に収められている磨かれた石、に見えなくもないそれを、ただただ見つめ続ける。

 触れたら壊れてしまいそう、だとか、まさか幻なんじゃないか、なんて心配とは全く違う。目の前の黒いガラス球はそんなあやふやな存在ではない。

 リリィはどうだか知らないが、俺は怖くて踏ん切りがつかなかっただけだ。


 本当にこんな物を持ち出していいのだろうか……?

 こんな物を誘拐犯に渡す可能性を、ほんの少しでも作り出していいのだろうか……?

 こんな物が、もし万が一解き放たれてしまったら……。


 俺は後ろ向きな思考を振り払って、浮かび上がる文章へと視線を移した。『巨獣の卵』をどうするのかよりも、この文章の意味を考える方がずっと楽だったのだ。

「そういや、馬もノンプさんも怖がってたな……」

 気が付けば、考えが勝手に口から出ていた。

「ん、それが?」

「ぐぁー?」

 リリィとイクシスがほとんど同時に首を傾げる。

「ほら、これ。『勇なき者は近付くことは出来ぬ』って部分。この研究所を最初に見た時から、凄ぇ嫌な感じだったんだよ。多分、そう簡単にヒトを寄せ付けないように、恐怖心を煽るような仕掛けがしてあったんじゃないか」

「……確かに、あたしも出来れば入りたくなかった……」

「俺達にはどうしても入らなきゃならない目的があったから、踏み込んだけどな。うーん……、てことは、勇気がある訳じゃなくて、欲が先行してたってことになるのか」

 俺が複雑な心境を抱いている隣で、リリィが細い指を浮かび上がる文章に向けた。

「じゃあ、『思慮なき者は辿り着くことは出来ぬ』っていうのは、隠し階段とか罠のことね?」

「ああ。落とし穴も大球も嫌らしかったもんなぁ。初日にお前が暴走してなきゃどうなってたかわからないし、さっきもギリギリどうにか出来る程度の速度で追いかけて来たし。でもこの文面からすると、もう少しスマートな対処法とかヒントとかが、どっかにあったのかもしれないな……」


 そして、『力強き者は見ることは出来ぬ』は、どう考えても、さっきの馬鹿みたいな量のスライムのことだ。

 魔法が効かなかったことからしても、この為に設計され、作り出されたのだろう。さらに、対象の強さを量る特性を与えられていた可能性が高い。

 俺とリリィ、隊長が残ったのは偶然ではなかったことになる。隊長の台詞ではないが、頼りない者しか残れない仕掛けだったのだ。

 普通、こういった探索に役立たずを連れてくることはあり得ない。誰か一人のミスが全員を危険にさらしてしまうことも、充分考えられるからだ。盗賊や冒険者みたいなプロは、そんなリスクは容認しない。

 だが、そういったプロ連中はここまで来れたとしても、あのスライムに全員流されてしまう、という訳だ。

 ガリガリやムキムキまで流されたのだから、一般兵に毛が生えた程度でも残る事は出来ない。それに恐怖心を煽る仕掛けを組み合わせれば、『巨獣の卵』を拝める者は極々限られる。


 良く出来ているとは思う。しかし、どこか偏執的な印象も拭えない。

 ……ここを作った誰かさんは、強いヤツの手に『巨獣の卵』が渡るのが、どうしても嫌だったのか……?


 俺が答えの出ない命題に捕らわれていると、隊長のか細い声が聞こえた。

「わ、罠ではないのかぁ~……」

 俺は小さくため息をついて、振り返った。

「ええ。危険はないようですよ。……少なくとも、今の所は」

 隊長はヨロヨロとした足取りでこちらに歩いて来た。俺とリリィの間から首を伸ばし、祭壇中央の窪みに浮かぶ文章と、その下に封印されていた『巨獣の卵』を観察する。

「……大いなる力を求めるなら……? その少し大きめの魔法爆雷みたいなガラス球が、か?」

「そう言えば、ちゃんと説明してませんでしたね。私達――というか王女殿下の目的は『巨獣の卵』を手に入れることです。んで、これが多分それなのではないかと」

「きょ、『巨獣の卵』!? そんなもの、戦乱の時代によくある、根拠のない悪い噂じゃないのか……?」

 隊長は目を剥いて驚きを表した。

 これが一般的なルークセント国民の反応なのだろうか。だとしたら、不確かな情報を元に、こんな所まで強引な手段で俺達を引っ張ってきたリリィの胆力は相当なものだ。

「これが本物だと言い切る証拠はありませんけどね。でも、こんな施設の奥深くに、これだけ厳重に封じ込められていたアイテムですから――少なくともそれだけの価値があるってことでしょう」

 もう一度まじまじと『巨獣の卵』を見てから、隊長は生唾を呑み込んだ。何度も頷きつつ、唸る。

「なるほど。確かにこう、オーラがある……気がする。しかし、何だっていつまでも眺めているんだ?」

「こんな伝説級の代物には、そうそうお目にかかれないものですから。恐れ多いって感じですかね」

 俺は肩を竦めて答えた。後半はともかく、前半は嘘だった。

 実際には、ここ数日で伝説上の存在を幾つも見ている。

 ルースの持つ短刀『赤尾刀』から始まり、イクシスが入っていた『龍の卵』、スロウルムから託された『龍騎士の鎧』は今装備しているぐらいだ。さらに、希少価値で言えば、英雄の末裔で『ホワイト=レイ』で育てられたというルースもそう変わらない。

 最近の俺は、ただ珍しいだけでは気遅れしないだけの体験をしているのだ。

 隊長が『巨獣の卵』にたじろぐ様子すら見せないので、自分が怯えているのをそのまま言うのが癪だっただけである。


「そうか。ふむ、怖気づいているというなら、私が――」

 相変わらず空気の読めない隊長は、特に他意のない表情で言う。

 俺とリリィの間から差し出された太めの手が、祭壇の窪みに入り――そうになったところで、リリィの左手がそれを下から撥ね上げた。

「それには及ばないわ」

 リリィの声は珍しく鋭かった。

「はっ、はい! 出過ぎた真似をいたしました!」

 ズババっと三歩ほど後ずさった隊長は、ほとんど同時に腰を直角にして頭を下げた。

 このヒト、こんなに速く動けたんだなぁ……などと俺が思っていると、今度はリリィが『巨獣の卵』を取り出そうとしている。

 俺は急いで声を上げた。

「ちょっと待て! 危ないかもしれないだろうが」

「だからって見てるだけって訳にはいかないでしょ。サラ達も心配だし、急いで王宮に戻らなきゃならないんだから」

 真面目に俺を睨むリリィは、腕を引っ込めようとしない。

 俺はあまり刺激しないように、そっと彼女の手を制した。

「それでもお前が触れるのは止めた方がいい。最後に『貴き血を差し出さねば、卵を孵すことは出来ぬ』ってある。この中で断トツに貴いのは、お前の血だ」

「…………わかったわ」

 リリィは不満げに口を尖らせてから、言った。一応は俺の説明に納得してくれたらしい。

 どうしても自分が取り上げたいらしいリリィと、思いっきり拒否された隊長には悪いが、ここは俺に譲ってもらう。

 俺は震える手を無理矢理抑えつけ、窪みに中にある『巨獣の卵』に手を伸ばした。

 一瞬だけ指先で触れ、すぐに離す。それを何度か繰り返してから、つつくように球を叩く。

 どちらもこれといった反応はない。


 俺は意を決して、黒い球を掴んだ。


 やはり、感触は硬く滑らかで、ガラスに似ている。ただ、ガラスよりは重い印象だ。そして何より、手袋をしているのにわかる冷たさ。あるいはそれは、怯えている俺の体が勝手に作り出した感覚なのかもしれない。

「……な、何ともないの?」

 リリィがおずおずと尋ねてくる。我先にと手を出していた彼女も、漠然とした恐怖は感じていたらしい。自分の代わりに手に取ってもらった安堵と、学術的な好奇心がその表情に出ている。

 俺は自分に言い聞かせるように、頷いた。

「あ、ああ、大丈夫だ……」


「グァ!」

 突然イクシスが鳴き、同時に、石柱から出ていた唸るような音が明らかな振動に変わった。

 浮かんでいた緑色の文字が、元から無かったかのように消えてしまう

「ッ!!」

 俺は、慌てて両手で『巨獣の卵』を挟むと、少しずつ後ずさった。

 リリィも俺と同じように祭壇を見つめたまま、後ろに下がっていく。隊長だけが、背中を見せて一心不乱に扉まで走っていた。


 『巨獣の卵』を収めていた黒い石柱がゆっくりと回転し始め、床に埋まっていく。

「…………」

 ジリジリと見守る俺達の前で、黒い石柱は、そのほとんどが土中へと隠れた。ガコンと重い音がして、振動も止まる。

 先細った先端と飛び出していた棒状のパーツだけが、大きな穴の中央から顔を出していた。

 俺の後ろで、何が起きてもすぐに動けるように体勢を低くしていたリリィが、呟く。

「……こ、これで終わりかしら?」

「た、多分……」

 囁くように答えても、俺達など簡単に呑みこみそうな穴と、そこから飛び出た石柱の一部から目を離すことが出来ない。


 無言で構えること一分弱。


 ようやく、俺達は体から力を抜いた。思わず笑いが漏れ出てしまう。

「ハ、ハハハ。何度も驚かされて、ちょっとビビり過ぎだったな。よく考えれば、まだ罠が発動するとしたら『巨獣の卵』諸共危険に晒すことになる。これだけ厳重に保管しておいて、さっきみたいな大球とか、魔物とかに襲わせるってのはちょっと考えづらかったよ」

 リリィも大きく息を吐いて口の端を上げる。

「……それもそうね。フ、フフフ。あー、ドキドキしたぁ」

「ぐーあ~」

 俺は、緊張を解いたイクシスの頭を撫でようとして、両手が塞がっていることに気が付いた。

 無意識のうちに、両手と胸でしっかりと『巨獣の卵』を押さえていたのだ。落としたら、それこそ何が起こるかわからない。

「リリィ、何か大きめの布とかないか? ツルツルしてるから落っことしそうで怖い」

「ちょっと待って。確か、変装用のスカーフがあった筈……」

 リリィが取り出したのは、何の変哲もない白い布だった。

 俺は丁寧に折り畳まれたスカーフを受け取って、『巨獣の卵』を包み、余った部分をロープ状にして縛った。そのまま腰のバッグに入れ、万が一にも落とさないように、普段なら開けっぱなしのカバーと金具をがっちり締める。

 不思議なもので、『巨獣の卵』を手に掴んでいた時の嫌な感じは、しまって見えなくなると忘れることが出来た。

「これで良し、と。後はルース達だな」

「グァッ!」

「あっちも何事もなければいいんだけど」

「全員が一緒なら大抵のことには対処出来るさ。……隊長ー、何事もありませんでしたよー。隅っこにいないでこっちに――」


 その時、ドンという音が部屋全体に響いた。


「ッ!?」

「きゃあぁぁっ!!」

 しがみ付いて来るリリィを必死に支えながら、俺は辺りを見回した。

 今の所、部屋には何の異常もない。天井から、埃や小石がパラパラと降ってくるくらいだ。

「り、リリィ、とにかく下がるぞ!!」

「――わ、わかっ――」

 萎えそうになる足を必死に動かして、俺とリリィは扉へと向かった。


 また、耳を揺さぶるような大きな音。


「ッ!」

 今度は微かな振動が俺にも感じ取れる。

 イクシスが大きな翼を俺とリリィの上に広げ、傘の役割をしてくれていた。

「何が何事もありませんでした、だあッ!! お前達と関わってからこんなことばかりじゃないかッ!!」

 隊長が真っ赤な顔をして、扉の近くから怒鳴った。どうやら恐怖が一周して怒りに変わったらしい。

「そんなこと俺に言われても困りますって!」

「グァグァッ!」

 何とか、隊長が座り込んでいた扉近くまで辿り着き、俺とリリィは壁に体を預けた。イクシスの翼の下で、身を寄せ合う。


 次の瞬間には、地震かと思う程の振動と、今まで以上に大きな音がした。


「うわぁ!?」

「グァッ!?」

「きゃぁああああっ!!」

「もう嫌だ! 夢なら覚めてくれぇぇええええええ!!」

 壁を支えにして転ぶのを防ぐことしか出来ない。


 音は大きく――いや、近付いてきている。


「――カインド、あれッ!」

 リリィが叫んだ。

 彼女が指差す先は、俺達がいる扉とは反対側。

 なだらかな曲線を描く壁に、いつの間にか二本の線が入っている。線と線の間には俺達が入って来た扉と同じぐらいの幅があり、よくよく見ると、線で挟まれた部分は、下部がほんの僅か凹んでいた。

 そのまま向こうに開いていきそうだ。

 ――まさか、何かが来るのか!?


 遂に、決定的な衝撃。


 凹んでいた壁が真ん中から断ち斬られ、その一部が部屋の中に向かって吹き飛ばされた。相当な大きさの石の塊があちらこちらに飛び、俺達が背中を預けている壁にも幾つかぶち当たっている。

「――っ!!」

 対処を考えることも出来ず、ただただ息を呑むしかなかない。辛うじて目をつぶらずに済んだのは、先日ルースに喰らったデコピンのおかげだ。

 薄く開けた視界に入るのは、力尽くで斬り開かれた壁と、その向こうから溢れ出してくる煙かと見紛うほどの埃、そして奥に立つ影。


 俺は、その影の輪郭を凝視しながら、口を開いた。

「…………ルース?」

「――カインドっ! 無事だったか!」

「グアーッ!」

 室内の明かりにようやく入ったのか、スラリとした容貌がはっきりと見えてくる。シルバーブロンドの髪に、今は嬉しげな表情を浮かべた美しい顔。そして右手には体に不釣り合いな程に巨大な剣。

 さらに見つめていると埃が薄れてきて、彼女の後ろに複数の人影が見え始めた。


 俺は壁際にへたり込みそうになるのを、必死に我慢した。

「な、何だよ……。脅かすなってぇの……」

「姫様ーッ!! ご無事ですかッ!!」

 余裕のない声に、まだ俺にしがみ付いていたリリィが叫び返す。

「あたしは大丈夫! サラの方こそ怪我はないッ!?」

「はい! 良かった……!」

 満面の笑みで飛び出してきたサラの向こうには、ムキムキとガリガリがいた。緊張感のない足取りで部屋の中に入ってくる。

「隊長ー、生きてるかー?」

「もうちょっと心配してあげましょうよ。……って、アレ? 答えがありませんね……。もしかしてウチの隊長だけ死んでたりします?」

 確かに、ついさっきまで煩かった隊長の反応がない。

 俺は扉側に視線を移した。

 隊長は座り込み、体から力を抜いていた。気絶しているのだ。ルースが吹っ飛ばした壁の破片でも喰らったのかと思いつつ近くを見ても、大きな石が転がっている訳ではない。

 ……あまりの恐怖に意識が飛んだっぽい。

 俺は部屋の反対側まで届くように、大声で答えた。

「隊長さんも生きてますよー。そちらの登場が衝撃的過ぎたんでしょう。気絶してるだけです」

「そこまでビビるようなことかぁ?」

「そういえば、カインドさん達と泊まった宿屋でも気を失ってましたね、隊長」


 憲兵達が顔を見合わせている間にも、ルースとサラが駆け寄ってきて、魔剣士は俺とイクシスを、女騎士はリリィを上から下まで確認する。

 俺達がかすり傷一つ負っていないことがわかった所で、二人は詰めていた息を吐いた。ルースに至ってはそこでやっと大剣を収めたぐらいだ。

 安堵の表情を見せるルースと、リリィに抱きつかんばかりのサラに、俺は肩を竦めてみせた。

「俺達には、これといった危険はなかった。お前達が運ばれて行っただけ、と言ってもいいぐらいだったんだぞ」

「……そうか。こっちも運ばれて隔離されただけだった。だけどその分、こっちのことが気になって気になって……」

 イクシスの頭を撫でながら、ルースは言った。

「ぐーむぁー」

「マジで? 魔物とか……、あのスライムとかも出てこなかったのか?」

「ああ。ここと同じような円形の――でも石柱がない部屋に閉じ込められただけで、後は何もなかった。ただ待ってなどいられないから、壁を斬ってみたんだ。叩いた時の音の違いで大体の見当をつけて、な。そうしたら通路が出てきて、その奥にまた壁があった。これを斬り開いたらまた壁……っていうのを何度か繰り返して、ようやく戻って来れたという訳だ」

「なるほど。てことは、排除の為の罠というよりも、選別と待機を強いる仕掛けだったのかもしれないな……」

「ん、どういうことだ?」


 俺とリリィは、彼女達が流されて行ってからのことを説明した。


 石柱にあった凹みとそこに浮かび上がった文章、それを元にした俺達の推測。

 そして何より、『巨獣の卵』を手に入れることが出来たこと。


 最後まで語り終えた頃には、隊長の意識も戻っていた。

 ルースが、顎に人差し指を当て軽く首を傾げながら、問い掛けてくる。

「ふむ。そういうことなら、『巨獣の卵』を見せてもらうのは遠慮しておいた方がいいかな?」

「んー。もうちょっと余裕が出来てからのがいいかもな」

 俺が頷くと、サラも真面目な顔で同意した。

「私もそっちに賛成だ。『貴き血を差し出さねば』なんて文章で警告しなければならないような代物を、姫様の近くで出すのは避けたい」

 俺がリリィに視線を向けると、王女サマは目で訴えかけてくる。

 隊長を遮ってまでリリィが『巨獣の卵』に手を伸ばそうとしたことは、黙っておくことにする。

「……まぁ、焦って今見なくたって、王宮に戻る間に幾らでも時間作れるさ」

 俺は腰のバッグに手を添えながら呟いた。

 何よりも、あの手のひらサイズの黒い石をあまり取り出したくない。もう一度見ると、ここに埋めて帰りたくなってしまいそうだ。それでは何の為にここまで頑張ってきたのかわからなくなる。


 その時、俺が話をまとめることを待っていたのか、イクシスが長い尾で俺の肩を叩いた。

「ぐーあ~」

 訴えかけるような鳴き声まで上げている。

「何だ――……あ、ひょっとしてメシか?」

「グァ!」

 俺の言葉に大きく頷くイクシス。確かに、俺も空腹だった。緊張感や嫌な雰囲気で、そこまで気が回らなかったようだ。

 何やら真剣な表情でルースが主張する。

「それなら、とりあえずここを出よう。嫌な感じは薄れているが、やっぱりここで食事は勘弁したい。でも、僕も物凄くお腹がすいている」

 俺は彼女の言いたいことがわかって、苦笑した。

「了解。皆も扉の向こうでいいな?」

「グアー!」


 俺達は松明に火を灯してから円形の部屋を出た。やはり扉は勝手に閉まってしまう。

 当然のことながら、廊下に光源はない。例え頼りない明るさでも、松明のオレンジ色の光は室内の白い光とは違い、どこか安心感を与えてくれた。

 流石に落ちる床の上で食事は出来なかったので、扉の近くに座り込んで、ノンプさんが持たせてくれた包みを開けた。

 憲兵達は憲兵達で、装備品として定められているらしい携帯食料を取り出す。

 弁当は、田舎風の大きな黒パンにバターをたっぷりと付け、野菜と燻製肉を挟んだ物だった。どこにでもあるようなサンドウィッチだが、珍しい味のソースが良いアクセントになっていて幾らでも入る。


 変わった場所での昼食は悪くなかった。


 腹は減っていたし、メシも美味い。疲れていたし言葉少なではあっても、間に流れる雰囲気は温かい。『巨獣の卵』を手に入れた達成感が、最高の調味料だ。

 ノンプの奥さんは昨夜の晩餐でイクシスの食べる量も知っていたので、大人五人でも食べ切れるかというほどサンドウィッチを持たせてくれた。それでもイクシスは食べ足りない様子で、リリィが残した分とあまり美味しくなさそうな憲兵達の携帯食料まで、その小さな腹に収めてしまった。


 もう少し休みたいという体の訴えを振り切り、俺達は地上に出る為にダラダラ歩き始めた。

 帰りの足取りも軽かった。


 勿論、罠には警戒していたが、拍子抜けする程何も起こらない。わざわざリリィに精霊魔法の明かりを点けて貰ったのに、反魔術結界が増えているというようなこともなかった。

 来た時よりもはるかに長く感じる坂を上り、昨日俺とルースとイクシスが落ちた落とし穴のある部屋に辿り着く。

 数時間前と同じように、最初にイクシスとルースが渡り、次にロープを持った俺が続いた。

「宝探しの帰り道は緊張感がなくなって困るな。さっきは慎重に足を運んでいた君さえ、散歩みたいにさっさと渡ってしまうんだから」

 階段で待っていたルースが苦笑いを浮かべながら、ぼやいた。

 肩に上ってくるイクシスを撫でていた俺は、ロープを離して応えた。

「もう少し早く渡れないのか、とか言ってたのはお前だろ?」

「ぐぁ~」

「そう言えばそうだった」


 残りの面々も危なげなく階段まで到着し、俺達は一人も欠けることなく、所長室の床を踏むことが出来た。

 ここまで来れば、もう罠の心配をしなくて済む。

 肩の荷が下りたとでも言えばいいのか、ようやく心の底から安心した。


「はー……。このまま何事もなく王宮まで戻れればいいなぁ……」

「そう簡単に事が運ぶとも思えないが。大体、君としては、友人に話すネタが増えた方がいいんじゃないのか?」

 ルースが真面目な顔で言うので、俺は肩を竦めた。

「だってこの先に、ルークセント上層部に色々説明して納得させたり、一番大事な誘拐犯との交渉があるんだぞ。どっちも本格的に関われないにしても、充分なネタだろ。ちょっとした小競り合いぐらいなら、ない方がいいわい」

 俺達の軽口に、リリィが口を挟んでくる。

「……二人とも、王宮まで戻ってくれるのね?」

 その表情は嬉しさと申し訳なさがちょうど半々だった。

 俺は一つ息を吐いてから、口の端を上げる。

「今更何を言ってるんだか。ここまで来たら結末まで見届けさせてくれよ。それに、将軍と約束もしちゃったし」

「イクシスの為でもあるんだ。僕だって、出来ることがあれば尽力は惜しまないぞ」

「グア!」

「…………ありがとう。よろしく!」

 涙目でリリィは頭を下げた。

 その隣ではサラが嬉しそうな顔で頷いており、さらに向こうでは憲兵達が所在なさげに顔を見合わせている。

「……俺達ってどうなるんだろうな?」

「ここまで協力しているんだ、少なくとも悪いようにはなるまい」

「協力って言える程、役に立っているとも思えませんけどね。とりあえず、いらないって言われるまではついて行きましょう、うん」

 彼らの間でのみ、結論が出たようだ。


 気が緩むといつまでも会話が終わらない。

 このままサンシュリック村跡に着いたら宴にでもなりそうな雰囲気だ。


 しかし、所長室から出た途端、俺の肩に引っ掛かっていたイクシスが背筋を伸ばした。


「――グァ!?」

 真っ直ぐ先、玄関ホールの方に金色の瞳を向け、体を緊張させている。

 ドラゴンの視線を追って俺も目を向けると、ルースが壊した扉から外の光が差し込んでいるのが小さく見えた。だが、それだけだ。

 弛緩した雰囲気が一気に引き締まる。コイツの察知能力がハズレ無しなのは、全員が知っている。

「ルース、サラ。お前達は何か感じるか?」

 俺は体を固くして言った。気付けば小声になっていた。

「いや、まだだ。前にも言ったが、ここは魔力が濃すぎてな……」

「私も何も感じない。それに、外には隊長が――スロウルム将軍がいる筈だろう?」

 男装の美形は首を横に振り、女獣人は不安げに、三角形の耳を伏せる。

「まずは火を消して……とにかくホールまで向かおう。状況が分かるようなら臨機応変に」

 リリィが精霊魔法で水球を作り出し、松明の火を消した。


 俺は魔銃を抜き、腰の剣に手を添えた。ルースが動いたので、俺も極力音をたてないように続く。

 他の者も一歩一歩慎重に足を進めている気配。

 外の光が少しずつ強くなっていく。チラリと後ろに目をやれば、緊張したサラやリリィの顔が辛うじて見える。

「……」

 やがて、玄関ホールまで踏み込んだ俺達は、互いの顔を見合わせ、無言で方針を決めた。

 どうやらルースは何か気付いたらしい。端正な顔が顰められている。何かがあるのなら、リリィを危険に晒しかねない行動は控えた方がいい。

 仕草でリリィを憲兵達に任せて、扉に近付く。

 眩しいのを我慢して外を覗き込んだ俺の目に入って来たのは――。


 石畳が反射する光の中にいる、何人もの人影。恐らくは十人ほど。

 そして、石畳にうつ伏せになったスロウルム将軍だ。


「――ッ!!」

 状況と驚愕で声も出ない俺達の耳に、やけに力のある声が届けられる。

「皆様、そんな所で隠れていないで、出て来られたら如何ですか? 私はもう待ちくたびれてしまいましたよ。このように準備も万端終わっています」


 声の主は、倒れたスロウルムの一歩向こう、俺達から見て正面にいる背の高い男だ。薄くなった茶髪を品良く整え、これ以上ないぐらいに豪華なマントを羽織っていた。

 彼のマントに比べたら、隊長が付けていたマントなどその辺のテーブルクロスでしかない。


「――早くお持ち下さい、私の『巨獣の卵』を」


 両手を広げて堂々と宣言したのは、レイゼスト公にしてルークセント国摂政だった。

 彼の名前は――レストファー・エンバリィ。リリィに初めて会った時、王女として立ち振る舞う彼女の一歩後ろに控えていた男である。

11月3日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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