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39.もう一つの卵

 全員が部屋に入ったところで扉から手を離すと、重い扉は勝手に動き、大きな金属音を立てて閉まった。広く、ほとんど何もない部屋だけに、大きな音はいつまでも響く。

 俺達は身を寄せ合うようにして、そっと歩き始めた。


 目指すのは、この部屋に唯一ある物――中央に立つ黒い石柱だ。

 乱暴な表現をするなら、円錐が一番近い。底辺の直径は2m強、高さは5m程度。外で見たのと同じ黒い石のような物で出来ているのに、この部屋や研究所自体のような滑らかな表面ではなく、様々なパーツが飛びだしたり凹んだりしていた。

 その辺りが、芸術品や祭壇にも似た印象を与えてくる。

 しかし、神聖な雰囲気とは口が裂けても言うことが出来ない。研究所を見た時に覚えた嫌な感じが、この部屋に入った途端に増したのだ。厳かな場面につきものの鋭い空気ではなく、上からじわじわと圧し掛かってくるような重苦しい雰囲気である。


「……」

 黒い石の塊が全て視界に収まる位置で、俺は立ち止まった。

 緊張とも畏怖ともつかない感情を無理矢理落ち着かせる。そうでもしなければ叫んだり走ったりしてしまいそうだった。

 他の連中も同じ気持ちだったらしい。皆が足を止め、石柱を注視していた。誰かが唾を呑む音さえ聞こえてくる。


「グーァー」

 いつの間にか俺の肩に乗っていたイクシスが鳴いたことで、俺は我に返った。一つ咳払いをして、口を開いた。

「これじゃ、食事休憩って訳にもいかなくなったな」

「確かに腹はすいたが……、ここで物を食べるのは勘弁したいところだ」

 クスリと笑って、ルースが答える。

 嫌な雰囲気を斬り払うように、リリィが大きく手を打ち合わせた。

「でもでも! これだけのお膳立てがあれば、きっとここに『巨獣の卵』があるでしょ。手に入れたらゴハンってことで――……、え!?」

 上機嫌なリリィの言葉は、尻つぼみになって消えた。

「ッ!?」

 ほぼ同時に、俺達も腰を落とし、それぞれの武器に手をかけていた。


 床を構成する石と石の隙間から、粘性のある青い液体――スライムが染み出してきたのだ。

 それも、床一面から。


「な、何コレーッ!?」

 リリィが叫ぶのとほとんど同時に、ルースが<打ち抜く煉瓦(ウォールド・テルーブ)>を、俺が魔銃を抜いて<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を撃った。狙いはそれぞれの足下だ。

「ッ!?」

 しかし、俺達が撃った黒魔法はあっさりと液体に吸い込まれた。

 普通、スライムは魔法に弱い。どれほどの量があろうとも、魔法を撃ち込めばそれだけ体積を減らす筈なのに。

 それどころか、青いスライムはどんどん湧き出し、今では床全体を薄く覆っている。

「サラ、結界魔法だッ!! 防御力よりも大きさ優先で!」

 俺の怒号に対し、サラは両手で忙しなく印を組みつつ怒鳴り返す。

「しかし、足下から湧き出しているんだぞ!? 結界を張ったところで――!」

「まずは区切るってことだよ! その後で結界の内側のモノを何とかする!! ウェイバーさん、松明を投げて下さい!」

「ああッ!? 灯りはこれっきりだぞ!」

 ムキムキが不可解そうに答えた。

 気持ちはわかるが、グズグズしている暇はない。

「狭い空間で火を焚くのは危ないんですよ!! とにかく、松明を結界内に入れちゃマズイんですって!!」

 コレは親方――モントの爺さんが百回ぐらい言っていたことだ。迷宮や洞窟に潜る冒険者や、鉱山に入ることの多いドワーフの間では、常識なのだという。

「チッ! わーったよッ!」

 ムキムキが舌打ちと共に松明を放る。

 まだ火力が充分な松明はくるくる回りながら、5mほど離れた場所に落ちた。半分ほどスライムに埋まっても、今の所火が消える様子はない。また、スライムには避けようという動き一つ見られなかった。

 魔法どころか火も効かないってことか……。

 音高く両手を組み合わせたサラが叫ぶ。

「行くぞッ! 全員出来るだけこっちに寄れ!」

 俺達がスライムを踏みながら集まると、サラの真上から半透明の幕が広がりつつ下がっていく。<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>である。半球状の結界は、踝あたりまで嵩を増してきた青い粘液を跳ね飛ばし、床に達したようだ。


 一時凌ぎにせよ、これで考える時間は確保した。

 まずは足下のスライムを……。


「――何ッ!?」

 俺が考えることに集中しようとしたところで、唐突にサラが叫んだ。慌てて彼女の顔を見れば、驚愕と焦りで眉根が寄っている。

 いつの間にか<天蓋鋼鉄>の下部には、虫食いのような細かい穴がいくつも開いていた。

 床に――いや、スライムに接触した部分から、パキパキという音がする。

 後から後から穴は増え、繋がり、大きくなっていく。

「こいつら、魔法を喰らうぞッ!?」

 術者のレベル差や規模の違いはあるとしても、自分達で壊すにはあれ程苦労した結界が、まるで飴細工だ。

 やがて、為す術もなく見つめるしかない俺達の前で、あっさりと<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>は喰い破られた。

 すでにスライムは膝の高さにまで達している。

 広大な部屋全体に満ちているのだ、どれだけの量なのか見当もつかない。

 その上、遂に松明がスライムに呑み込まれ、消えた。一切の光源がなくなり、視界が闇一色になってしまう。


 周囲の安全を確保する為に松明を諦めたというのに、これではただの捨て損だ。


「ぐぅっ、どうするッ!?」

「もうコレやだあぁぁッ!!」

 狼狽を隠そうともしないサラの声と、泣き叫ぶリリィの声が耳に痛い。

「どうするって言ったって……! お前ならどうにか出来るか、ルース!?」

 水よりずっと抵抗が強い。俺の力では、もう足を動かすことも出来なかった。

 こけそうになりながら問い掛ける俺に、ルースは困った声色で答える。

「僕一人なら、爆裂系の黒魔法で自分ごと吹き飛ばすところだが……。この手は君達には使えないだろう?」

「いやそりゃ当たり前だろッ!?」

「グアーッ!!」

「でも、とりあえず、威力の低い<弾ける傘(ベモベッツル)>あたりを試すしか……。あ、その前に灯りを――」


 その瞬間、ルースの台詞が途中で止まった。

 腰まで来たスライムが動き出したのだ。


「うわっ!?」

「グワンッ!?」

 俺は後ろから衝撃を受けた。前に倒れそうになるのを必死に堪える。感触からすると、青いスライムが一固まり持ち上がり、俺の背中に圧し掛かっているのだろう。現に、背中から胸に、腕に、冷たく変に軟らかいモノが広がって行くのがわかる。

「くぅっ!」

「ちょっとちょっと!! これ以上は勘弁だってばぁああああ!!」

「姫様、落ち着いて! 今倒れてしまうと――!!」

「おいおいおいッ! 冗談だろッ!?」

「う、う、う、うわぁああああああああッ!」

「隊長、叫ぶぐらいなら息を吸っておいた方が――!」

 靴底と床の間にもスライムが入り込んでくる。歩くどころか、重心を少しでもずらすとひっくり返ってしまいそうで、体全体を動かすに動かせない。


 突然、力の向きが変わった。

 後ろからだったものが、左へと押される。


 暗闇の中、体が強引に引っ張られた。

 それも一瞬のことではない。常に力がかかり続ける。

 全身に絡みついたスライムごと流されているのだ。

「ううう――んなぁあああああああああッ!?」

「グムワァアアアアアアアアアッ!?」

 恐らくは全員が悲鳴を上げたことだろう。だが俺の耳は、自分とイクシスの悲鳴を聞くので、精一杯だった。



*****

 逆らおうにも逆らえない、スライムの濁流は不意に治まった。

 流れの中にいきなり取り残されたようで、体に纏わりついていたスライムも一気に離れた。


 流されていた時間は、二分程度。


 解放されたルースは倒れることなく両足で着地し、周囲を見渡した。

 生まれつき夜目が利くルースでも、ほとんど何も見えない。何人か人影らしきものが蠢くのが確認出来る程度だった。

 まずは灯りをとルースは火系最下級の精霊魔法である<火の子>の呪文を唱え始める。

「……――姫様? 姫様ッ!!」

 サラの取り乱した声が聞こえた。普段ならうるさい程の声がすぐに響くだろうに、返答はない。

 代わりに、男の声が届いた。

「いたたた……。皆さん、無事なんですか……?」

「おい、どこだよフィリップ? 隊長は?」


 詠唱を終え、ルースは頭上に<火の子>を灯した。爪の先ほどの火が辺りを微かに照らす。ルースの目には充分な明るさだ。

 円形の部屋が浮かび上がった。

 しかし、ついさっきまでいた部屋ではない。

 広さや構造、白い床や壁は同じでも、中央の黒い石柱がないのだ。まるで広場や劇場のように何もない、ただ広いだけの部屋にルース達はいた。

 そして。

「ルース、姫様が……! 姫様が!!」

 サラがルースの腕にしがみ付いて訴える。


 弱々しい光に照らされたのは、四人――ルース、サラ、憲兵隊の部下二人――だけだった。


「ありゃ? 隊長どころか姫さんとカインド……あと、あのドラゴンもいねぇのか?」

「というか。どうも、僕達が流された、と考える方が自然な状況ですね」

 憲兵二人は幾らか余裕があった。しきりに顔を動かし、事態を把握しようと努めている。

 ルースは興奮するサラの両肩に手を置いて、口を開いた。

「まずは落ち着くんだ、サラ。僕達はともかく、彼らにはもう少し強い光が必要だろう。まだ松明はあるか?」

「……――あ、ああ」

 サラは騒ぐのを止め、どこかぼんやりした表情で腰の荷物を探った。いつもの騎士然とした態度はどこかへ置き忘れてしまったようである。

 女騎士が取り出した松明に、<火の子>で火をつける。

 部屋全体が何とか見渡せる程度の明かりで、再度見渡しても、やはりカインドとイクシス、リリィは部屋の中にはいなかった。

「まさか、こんな方法で離ればなれにされるとは……」

 ルースは呟いた。

「やっぱ罠かね?」

「ただのスライムなら、自然発生した魔物ってこともあるでしょうけどねぇ。魔法が効かない上に、あの量ですよ。しかも無理矢理移動させられて……。これで罠じゃなかったら、どれだけ運ないんですか我々は」

 憲兵二人の意見は、ルースの考えとほぼ同じだった。

 本来ならば脅威とも思わないスライムが、ちょっとした工夫であれほど厄介な罠になるとは、思ってもみなかった。

「あと気になるのは、この部屋に出入り口がないことだな」

 ルースの言葉に、サラと憲兵達が勢い良く顔を上げた。

 どんなに目を凝らしても、扉らしき物はない。

 移動させられた際に、落ちたり上がったりといった感覚はなかったので、運ばれてきた時にだけ開くような扉が壁のどこかに隠してあるのだろう。

「マジか……。隔離されて閉じ込められるって一番マズいんじゃね?」

「最初からマズいって話ですよ。何せ、どっちから流されてこの部屋に来たのか、方角一つわかりません。出入り口を探そうにも、手当たり次第だと時間が……」

 痩せた憲兵の台詞はだんだん小さくなり、最後には途切れてしまった。


 突然サラが叫んだ。

「……姫様ぁああ――――――――ッ!!」

 広い室内に、彼女の声だけが響き渡る。

 力の限り大声を出した様子のサラは、鼻で息を整えつつ、目を閉じた。髪から飛び出ている三角形の耳を盛んに動かして、どんな小さな音も逃さない構えだ。

「……」

 ルースも耳を澄ましてみるが、サラの声が耳に残ってしまっていて、早々に諦めた。

 憲兵達もじっとして黙り、部屋の中に沈黙が下りる。

 松明が燃える音さえうるさく感じるような静けさだった。

 一分近く集中していたサラが大きく息を吐いた。

「ダメだ、反応どころか物音一つない」

「でも、そんなに離れてはいない筈ですって! 流された時間は短かったし!」

「隣にあいつらがいようが、どうすればいいかわからないけどなー……」

 がっしりした憲兵の呟きは、全員を黙らせるには充分だった。

 しかし、ただ悲嘆している時間はない。

 ここに『巨獣の卵』があるのでなければ、すぐにでも抜け出さなければならないし、カインド達がどうなっているのかも気にかかる。


 一刻も早くあちらと合流するのが第一だ。


 ルースは背中の大剣に手を伸ばした。

「考えるのは僕の仕事じゃない。それなら、やれることをやるだけだ」

*****



 スライムに流されたのは、体内時計では相当長く感じたが、恐らく一分ほどだ。

 その間、俺は徹底的に振り回された。

 輪をかけて大きな波に呑まれて、頭の天辺まで埋まってしまい、酷く焦った。

 しかし、俺が窒息する前に、あっさりと放り出される。


 床にひっくり返って空気を貪っていると、いきなり強い光が部屋に満ちた。


「ッ!?」

「グアーッ!?」

 痛みに耐えて薄目を開く。

 イクシスは長い尾を俺の腰に巻き付けていたこともあり、すぐそこにいた。俺と同じように、荒い呼吸を繰り返している。まずは一安心といったところだ。

 俺はイクシスを肩に乗せ、立ち上がった。

「ルース、どこだ!?」

 眩しすぎてなかなか目を開き切ることが出来ない。俺は大声を上げて返事を待ったが、魔剣士の冷静な声は聞こえてこなかった。

「カインド! そこにいるの!? サラ! サラッ!?」

「……うう、おおぅ。こ、こ、こ……、怖かったよぉぉおおお……。グスッグスッ」

 ようやく見えてきたのは、光から目を庇いつつ立とうとするリリィと、床にうつ伏せになって泣きじゃくる隊長だけだった。


 ルースとサラ、憲兵二人がいない。


 光の出所は天井全体らしかった。どこか一か所が光っている訳ではないのに、広い部屋の隅々まで照らし出される強さがある。松明のように揺らぎもしないので、光系の精霊魔法の術式が組み込まれているのかもしれない。

 スライムも残っていなかった。どこに消えたのか、円形の部屋にあるのは石柱だけである。粘性が高いとはいえ液体に頭まで浸かったのに、体も服も濡れてすらいない。

 俺達は祭壇のような石柱の前に放り出されていた。あれだけ振り回され掻き回されたのに、何周もしたようで、結局元々立っていた場所と大して変っていなかった。


 俺は、立ち上がってもフラフラしているリリィを支えて、言った。

「落ち着いて良く聞けよ。ルースとサラがいない。多分、あのスライム共々流されて行ったんだ」

「ええっ!?」

「何ィッ!?」

 リリィは驚きの声を上げると、目を覆っている指の間から部屋を見渡した。

 隊長も泣くのを止め、ガバリと顔を起こす。

「サラ――――ッ!! ルース――――――ッ!!」

「フィリ――――ップ!! ウェイバ――――――ッ!! 私を一人にするなぁあああああッ!!」

 二人は長いこと叫んだ。

 だが、本人達の声が響くだけで、答えは返ってこない。

「うう……。最初はオーガウルススに襲われ、次はグリフォンライダー。研究所に入ったら入ったで、大球転がしに強制的に参加させられ、最後にはスライムの海に流され、頼りになる連中はどこかへ行ってしまった……。何て日なんだぁぁ……」

 四つん這いになって隊長は泣き言を零し続ける。

 最初の二つは、確かに運が悪いとしか言いようがないが。研究所に入る決断は隊長が自分でしたのだから、残りは自己責任だと思う。

 それに、心細いのは彼だけじゃない。俺だって残った面子が頼りにならないと思っているし、リリィにしても似たようなものだろう。


 俺は一つ息をついて歩き始めた。

 彼らを宥めている時間が惜しい。

 待っていてもルース達が合流してくるとは限らないのだ。俺達から動き出すのも難しい。

 だったら、あの祭壇モドキを調べておいた方が幾らか有益だ。


 改めて黒い石柱の前に立ち、観察する。

 材質は基本的に、透明感のある黒い石だ。

 直径2mはある円形の土台から徐々に先細り、5mほど上にあたる頂点は腕が回せるぐらい。先端は丸まっていて、曲がりくねった棒や小さな板が張り付いている。

 俺達が入って来た扉から見て正面部分に、50cm四方の窪みがあった。覗き込めば、棚とも机とも言えるような、水平に近い大きめの板が見える。

 奥行きも50cm弱といったところか。

「グァ……」

 俺と同じように窪みに顔を突っ込んで、イクシスが鳴いた。金色の瞳をジッと黒い板に注いでいる。

 他にも色々と思わせぶりな部品があっても、一番これ見よがしなのは、やはり水平の板だ。


 右手をそっと伸ばす。速い心臓の鼓動に合わせて、指先が震えているのがわかる。

 さて、触った時に何が起きるのか……。


「ちょっとカインド! ルース達が心配じゃないの!?」


「うわあっ!?」

「グァーッ!」

 緊張している所に、突然後ろから怒鳴り付けられて、俺もイクシスも飛び上がる程驚いた。

 振り返れば、いつの間に近付いてきたのかリリィが涙目で俺を睨みつけている。

 俺は左手を胸に当てて息を整えた。

「お、驚かすなよなぁ……! 俺だって心配はしてるっての」

「だって、全然焦ってる素振りも見せないし」

「冷静に見えるように頑張ってるんだよ。ルースやサラに呼び掛けるのは、お前達に任せるさ。その間に、俺は俺で出来ることをやっておこうとだな――」

「そんなこと言って、好奇心が勝っただけの話なんじゃ……?」

 細めた眼で俺の顔を見つめて、リリィは言った。

「し、ししし、失敬な! 先にちょっと見てやろうとなんて思ってないですから!」

 俺がしどろもどろの弁明をしていると、右肩に乗ったイクシスが鼻先を押し付けて来る。

「グァ! グーアッ!」

「何だよ、イクシス。お前まで俺のことが信用出来ないって――」

 視線だけを戻しイクシスを見れば、俺の腰を一周していてもまだ余っている長い尻尾で、窪みの中を指し示していた。俺はイクシスから視線を滑らせた。


 尾の先端が向いた先には、水平の板と――そこに乗せられた俺の右手がある。


「――ああ!?」

 リリィに驚かされた時に、すでに触れていたらしい。


 今度は自分自身に驚いている俺の前で、石柱が唸り始めた。

 慌てて手を引っ込めても、低い音は止まらない。

「ぐ~ぁ~……」

「あーもー締まらないねぇなあ!」

「え、何ナニ!?」

 何が起こるかわからない。

 まだわかっていないリリィの手を引き、俺達は少し離れた。

「もう嫌だ……。ウチへ帰してくれぇぇ……」

 隊長は俺達が騒いだことで何かが起こったのを察したらしく、扉まで後ずさり、震えている。


 しかし、固唾を呑んで見守る俺達の前で起こったことは、静かな現象だった。

「――……文字が、浮いてる?」

 リリィが呟いた。


 他に何も起こらないことを確認して、俺とリリィはそっと近付いた。


 石柱の中程にある窪みの中央に、ぼんやりと輝く緑色の文字――いや、文章が浮かんでいる。

 目の前まで来てようやく読めるほど小さな文字で綴られていたのは、こんな文章だった。


『勇なき者は近付くことは出来ぬ。

 思慮なき者は辿り着くことは出来ぬ。

 力強き者は見ることは出来ぬ。


 勇者よ、思慮深き者よ、力弱き者よ。


 大いなる力を求めるのなら手を伸ばせ。


 ただし、鍵はもう一つ。

 貴き血を差し出さねば、卵を孵すことは出来ぬ』


 そして、浮かび上がる文章の下。

 ついさっきまで一枚の石板だと思っていた水平の板が、真っ二つに割れていた。

 下には深さ20cmほどの空間があり、底もまた淡い緑色に光っている。微かに薬品のような匂い。


 それは、そこにあった。


「これが――!」

 リリィが押し出されたような口調で言う。

 目を何度も擦り、幻ではないことを確かめようとする。中途半端な位置で止まった手が、震えている。

 錯乱するほど求めていた物だ、それも当然だろう。

「グルル……!」

 イクシスが唸る。

 翼と尾が大きくなってからは俺の肩に腹ばいになることが多かったのに、今は前足を強く押し付けて来る。驚いて小さなドラゴンを見ると、前足に体重をかけ首を低く構えていた。

 唸り声と合わせて、動物が狩りの時――あるいは自分の身を守る時――に見せるものだ。

「……」

 イクシスが警戒の仕草を見せたからではないが、俺もいい気持ちはしなかった。

 本来なら、歴史的な価値だけでも、この目で見れたことに感動したっておかしくはない。

 ここまでかけた苦労からすれば、快哉を叫んだって涙ぐんだって恥ずかしくはない――筈なのに。


 見た目だけなら、掌サイズの黒い球だ。色を除けば魔法爆雷に良く似ている。

 ただ、その色が問題だった。

 内側で何か黒い物が蠢いているような、渦巻いているような、とにかく安定した黒一色ではない。しかも、その動きには規則性が一切なかった。

 見ているだけで引き込まれてしまいそうになる。

 小さな球から滲み出てくる雰囲気も異常だ。

 研究所を目にした時に感じたものとは違う。あれは逃げ出したくなるような不安だったのに、今感じているのは腰から崩れ落ちそうになる程の恐怖である。ガラス球にも似た小さな物質を視界に入れているだけで、そんな気持ちが沸き上がるのだ。


 ……これは、良くない物だ。

 こんな物は外に出すべきじゃない。

 未来永劫ここに封印しておくのが最も賢い選択だ。


 無言で睨み続ける俺とイクシスに代わって、リリィがそれの名前を口にした。

「これが――『巨獣の卵』っ!!」

10月25日初稿


2015年8月18日 指摘を受けて修正

カインド達がどう(改行)なっているのかも → どうなっているのかも

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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