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37.罠また罠

 研究所内はやはり真っ暗だった。


 昨日と同様リリィが火を付けた松明を、サラとムキムキが持つ。

 狭い所に行くのがわかりきっているので、サラは突撃槍をエントランスの片隅に立てかけていた。傍から見える得物は腰の剣だけだ。

「ッはぁ~~!」

「ほぉー……」

「これはなかなか凄いですねぇ」

 憲兵隊の連中は、初めて入る研究所の様子に感心している。

 しかし、一度見ている俺達は玄関ホールに驚きも用もない。

 さっさと中央――所長室と思われる部屋へと続く廊下を歩き出した。慌てて憲兵達もついてくる。


 昨日は全く不便だと感じなかった廊下だが、今日は少し狭苦しかった。成人男性三人――しかもそのうちの二人は平均よりも横幅がある――に加えて、イクシスの翼も嵩張ってしまう。きっちり畳んだ上で、邪魔にならないよう垂直に立てていても、だ。

 所長室に入る。

 昨日這い出してきた時と変わらず、真っ二つに切られた絨毯が捲り上げられ、その下に開いたままの隠し階段が見えた。

「まさか堂々と開いてた訳じゃないですよね? カインドさん達で見つけたんですか?」

 ガリガリが驚いた顔で呟く。

 自分の手柄を自慢出来ず黙っていると、代わりにリリィが口を開いた。

「あたし達じゃなくて、カインドが見つけたのよ。で、絨毯を切ったのはルース」

 王女に話しかけられてガリガリはどう返していいかわからないようだ。一瞬止まった後に、何度も首を縦に振っている。

「こ、これを切ったのか……」

 床に視線を向けたまま微動だにしていなかった隊長が、少しずつ震え出した。

 俺は若干気持ち悪いと思いつつ、問い掛けた。

「どうしました、隊長?」

「この絨毯、もしそのままだったら、一財産築ける程の価値があった筈だぞ。当時最高の品が理想的な環境で保存されてたと思われる、掘り出し物だ。パっと見大きな染みや汚れもないし、埃を取り除いて丁寧に洗えば、そのまま貴賓室の床に敷くことが出来ただろう」

「へ~。お詳しいんですね」

「うむ、親戚に収集家がいてな――って他人事かっ!? お前達がその財産を傷付けたんだろうが!!」

 いきなり興奮し出した隊長に、ガリガリが後ろからそっと耳打ちした。

「隊長。その『お前達』の中には王女殿下も含まれていらっしゃいます」


「――ヒグッ!?」


 奇妙な声を出して停止した隊長は放っておいて、俺はガリガリとムキムキに告げた。

「この階段の下にはどうやら通路があるらしいんですが、階段から下りてすぐの所に、まず落とし穴があります。そこを超えたとしても、その先に何があるのかわかりません。一応私とルースが先行しますので。王女とサラを間に挟んで、殿を憲兵隊の方々にお願いしたいのです。後ろからの脅威に備えてください」

「はい。わかりました」

「ま、不意打ちだけはされないように気を付けとくぜ」

「お願いします。……てな訳だ。サラ、松明くれ」


 サラから松明を受け取り、隠し階段に足を踏み入れる。

 先頭はルース。次に俺とイクシスが続いた。

 階段の幅は1m弱。この狭さでは、滑りやすこともあって二列縦隊で下りるのは難しい。

「そう言えば、あの落とし穴の先までどうやって行くの?」

 サラの後ろからリリィが言った。俺のすぐ後ろがサラなので、リリィは四番目だ。さらに、ガリガリ、隊長、松明を持ったムキムキの順になる。

「可能性は色々考えられるけど、近付いて試してみないことにはな。とにかく、行こう」

 昨日通っていて危険がないことがわかっていても、俺達は慎重に階段を下りて行った。やや体を屈めるようにして重心を下げ、一段一段濡れた階段に足をかけていく。

 前回はリリィが駆け下りた為に大した距離はない印象だったが、俺の実家で言えば、三階から地上ぐらいの段数があった。


「……床に足を付けたら、即落とし穴って訳じゃなかったよな?」

 あと一段で床、と言う所でルースはこちらを向いた。

 床を崩落させるきっかけを作ったリリィが答えた。

「えっと。多分……、二、三歩は歩いた気がする」

「でも一旦崩れ出したら、こっち側の床は全部落ちたな。左足が覚えてる」

 あの時、俺は階段を下りきる前にリリィの手を掴み、それでも進もうとした彼女に引っ張られて、床に左足をつけた。その瞬間に、リリィの足下から床が抜け、放射状に崩壊が広がったのだ。俺が彼女を引き寄せようと左足に力を込めた時には、俺の足下まで崩壊が届き――俺が落っこちた。

 その時のことを思い出すと、左足の下が抜け落ちる感覚が蘇ってくる。背中がゾワっとするぐらい、体に刻みこまれてしまっている。

 俺は足指をワキワキさせて悪寒を振り払ってから、続けた。

「てか、わざわざ範囲を聞く必要ないだろ。昨日、すでにこれ以上ないってくらい床は崩れ落ちてるんだから」

「自分で照らして、見てみればいい。元通りになっている」

「――……え!?」

 俺は慌てて、松明を持った腕をルースの向こうまで伸ばした。


 少々心許ない光に照らされて、真っ白な部屋が浮かび上がる。

 反対側にある扉だけが鉄の色だ。

 天井も壁も――昨日崩れ落ちた筈の床も、白い石材で出来ている。


「昨日は綺麗さっぱり落っこちた床が、一日で元に戻った……」

 俺が呟いている間に、ルースは一歩足を出して、床に降り立った。

「光系の精霊魔法でもないな。ちゃんとある。何かしらの術式が配備されているんだろう」

 流石、ルースさん。怖がることもなく、あっさり踏み出した。ま、彼女なら崩れ出してからでも、階段まで跳び退ることが出来るか。

「で、何か案はあるのか?」

 すぐ後ろで俺達を見守っていたサラが聞いてきた。残りの面々も興味深そうにこちらを覗いている。

 俺は頭の中をざっと確認して、簡単なものから試してみることにした。

「そこで魔法は使えるか、ルース?」

「ふむ。ここで飛べれば、向こうの扉まで床は踏まずに済むな」

 ルースはそう言って、人差し指を立てた。軽く眉間に皺を寄せて指先を見詰めるも、結局すぐに力を抜く。小さく息を吐くと、肩を竦めた。

「ダメだ。ここも反魔術結界の範囲内らしい」

「そうか……。てことは、飛ぶのは無理、と……」

 俺は階段側に体重を残したまま、左足を伸ばし、そっと床に下ろした。少しずつ左足に体重を乗せていって、最後には左足一本で床に立った。

 そのまま少し待っても崩落は始まらない。

 落とし穴のスイッチは、重さでもないようだ。


 床から扉までを観察しつつ、考える。


 所長室に隠し扉を作り、こんな大規模な道や侵入者を拒む罠を用意しているのだ。この先に何か大事な物があるのは、ほぼ確実だと思う。

 それなら、向こうに行く手段は必ず存在しなければならない。二度と開かない金庫など、何の役にも立たないお荷物でしかないのだから。

 しかし、魔法で飛ぶことはルース程の実力者でも不可能だという。


「普通に考えたら、正解のルートがあるんだろうがなぁ……」

「正解?」

 リリィがサラの後ろから言った。彼女達はまだ階段にいる。

「落とし穴のスイッチがない道順、つまり普通に歩いても床が落ちないルートだ。それなら、鍵や合言葉の代わりになるだろ」

「それって今から調べられるものなの?」

「うーん。無理とは言わないが、偉く時間がかかるか……」

 例えば、ロープの類で落ちても大丈夫なように準備をして、少しずつ足を踏み出し、ルートを探る。罠が発動して床が抜けたら、また元通りになるのを待って、同じことを繰り返す。

 すぐにでも床が再生するならこの方法を試す気にもなるかもしれないが、床が元通りになるには、少なくとも二時間以上はかかる。昨日、俺達が落ちてから気絶や長い話を経て、ここに戻ってきた時にも、床は塞がっていなかったからだ。

 どうも、この案はあきらめた方が良さそうである。


「あとは、そうだな。ルースにロープを持たせて、何とか向こうまで渡ってもらう。で、扉のあっち側とこっち側でロープを張って、綱渡りを――」

 俺としては無理難題を突き付けているつもりなのに、チラリとルースを見れば、なるほど、と手を打っている。崩れ落ちる瞬間床を蹴ったり、壁を蹴ったりすれば不可能ではないっぽい。

 まさに力尽くの攻略と言える。

 だが、喜ぶ間もなく、サラが口を挟んだ。

「その提案は最終手段に取っておいて欲しい。姫様がいる以上、出来れば却下したいぐらいだ」

「わ、私もこんな所で綱渡りはゴメンだぞ!」

 隊長の言い分は無視するとして。

 ロープを張るまでは失敗しても死ぬことはないだろうが、その先は安全が保証出来ないし、綱を渡っている間は助けることも出来ない。

 この中で不安なのは俺とリリィ、あと隊長か。

 誰か一人でも落ちたら士気に関わるしなぁ。


 というか、俺だって、こんな所で綱渡りなんて出来ればゴメンだ。


 そんなことを考えつつ頭を掻いていると。

「グァッ」

 イクシスが俺の肩から離れ、床に下りた。

「おい、ちょ! イクシス、ここは危ないんだって!」

 俺が焦って声をかけても、イクシスは戻ってこない。それどころかどんどん進んでしまい、ルースを追い抜いた。鼻を床に押し付け、スンスン言わせながら頭を左右に動かしている。

「肩に乗るのがイヤなら、頭に乗ってもいいからこっちへ――」

 駆け寄ろうとした俺を、ルースが片手で制した。

「待て、カインド。この距離なら床が落ちても僕が助けられる。あの大きな翼なら飛べるかもしれないし。それよりも、イクシスが何か調べているように見えないか?」

 確かに、イクシスは床の匂いを嗅ぎつつ、一歩一歩慎重に足を進めていて、ただ遊んでいるのではなさそうだ。

 俺が足を止めたのを確認して、ルースは続けた。

「任せてみよう。ただ、もし床が落ちた場合は、君の方が心配だ。少し下がった方がいい」

 言われた通り、俺は階段に片足を乗せ、いつでも下がれる体勢になる。

 狭い階段の空間に残りの全員でぎゅうぎゅう詰めになりながら、翼と尾だけが大きい、小さなドラゴンを見守った。


 イクシスは右に左に何度も顔を振ってようやく一歩進む。

 そして、イクシスが二、三歩進む度に、ルースが一歩進む。

 その上、真っ直ぐに進んでいるのではなく、直角に曲がることを繰り返している。

 当然時間がかかった。だが、リスクと安全を考えれば、待つしかない。


 固唾をのんで見詰めること二十分強。

 イクシスとルースは反対側の扉まで辿り着いた。ルースがこちらに手を振る。

「ちょ、ちょっとアッサリしすぎなような……」

 緊張を解いたリリィが呟いた。

「まぁ、わからないでもないけれども。時間の短縮になるなら俺は歓迎したいね。じゃ、ウェイバーさん一応このロープの端っこ持ってて下さい」

 サラが持ち込んでいたロープを取り出し、ムキムキに渡す。

「おう。万が一の為の用心か」

「はい。もう片方の端は俺が持って、渡ります。んで、渡り終わったら回収してもらって、次のヒトにってな感じで」


 重さで安全経路の範囲が変わるとは思えないものの、気を付けるに越したことはない。一気に全員で行くのは、何かがあった時に取り返しがつかないし。


 俺はロープを左手に巻き付け、右手で松明を掲げながら、白い床を歩き始めた。イクシスが通った道筋は覚えている。

 最初は四つ先のあの石材まで真っ直ぐ。

 見た所、どうやら特定の石材を通って行けばいいらしく、わかりやすい。とは言え、例え大丈夫だとわかってはいても、怖いものは怖い。そっと踏み出し、少しずつ体重を乗せ、安全を確認してから次の足を引き寄せる。

 ここまでは良し。次は右側に、石材二つ分。

 などとビクビクしながら繰り返していき――。


 実質的に綱渡りをしているのと変わらない心情で足を進め、ようやく俺は扉の前に立つことが出来た。

 腕に巻いていたロープを解き、回収してもらって初めて、息をつく。

「は~ぁ~っ!」

 イクシスが肩に飛び乗ってきて、ルースが逆の肩を叩いた。

「ぐぁ~」

「お疲れ様だ。しかし、もう少し急いで来れなかったのか?」

 100mもない所を渡るのに、五分以上かかっている。

 イクシスのことをどうこう言えない。

「俺としてはこれが限界だよ。ペースを速めたいなら、イクシスに毎回ついてもらった方がいいかもな……」


 しかし、俺の提案は杞憂だった。

 サラは普通に歩く速度で渡り切り、リリィも所々で戸惑いはしても足を止めることはなかった。正直言って、俺より早いぐらいである。

 こちら側も、どこからどこまでが安全地帯なのか不明瞭だ。俺達は、扉の前で身を寄せ合うようにして、立つことになる。先程以上に狭く、その上心理的にも圧迫されている。

 何より、今の俺の状況は女性に包まれているようなものだ。


 視界を塞ぐイクシスの翼を手の甲でずらし、俺は鉄製の扉を見る。

「次に来るのは隊長だ。この扉開けとこう」

 五番手の隊長がおっかなびっくりこちらへ歩いてくる。途中で部下に道順を指示されている辺り、先に行った俺達のことを、ちゃんと見ていなかったらしい。

「こういうのは全員揃ってからの方が盛り上がるんじゃない?」

 隣にいたリリィが上目遣い呑気なことを言った。顔が近い。

「ここに隊長が加わるんだぞ。押し出されて一歩踏み出したら床が落ちるかもしれないのに」

「……確かにあの男と接触するのはちょっとな……」

 サラがしかめっ面になって呟く。身長差の問題で、リリィよりも顔が近い。

「何だ、苦手なのか?」

 俺のすぐ前にいるルースが振り返った。彼女の身長は俺とほとんど変わらないので、危うく顔が触れそうになる。

「視線が胸にばかり来るんだ……。しかもバレてないと思ってる」

 そう言えば。

 王都に向かう馬車の中で、凹凸がある方が、とか言ってたな隊長。もしかして好みド真ん中だったりするのかしら。

「ああ、良く見ていたな。横目でチラチラと」

「うん、見てた見てた。あたしを守ってくれるつもりみたいだから言い辛かったんだけど……、皆気付いてたのね」

 女性三人が顔を寄せ合って、男の行動を非難する。


 このままでは女性陣の中で、隊長の糾弾が始まってしまいそうだ。それは阻止しておかなければ。

 個人的な好き嫌いはさておき、性別は裏切れないのが、男という生き物なのだ。


 俺は急いで扉に手を伸ばした。

 ドアノブは少し硬かったが最後まで下りた。ガリっという音がする。

 一度引いて全く動かないことに驚くが、実際には、こちらからは押して開くタイプの扉だった、というお約束を経て。

 重い扉をゆっくりと開いた。錆なのか埃なのかわからない小さなゴミが、俺の腕に降り注ぐ。頭上で松明を持ちかえ、開いた扉の向こうへ伸ばす。


 松明の光で照らし出されたのは、またしても廊下だった。


 床も壁も天井もやはり白い石材に覆われているのが、最初に目に入った。

 高さは5m近くあり、横幅も同じくらい。

 ただし、中央3mぐらいだけが平らで、左右は階段状に1m弱盛り上がっている。

 右側に緩く曲がっていて奥の方は光が届かない。

 良く見ると、僅かな勾配があり、坂になっているようだ。


「流石に、次の部屋が隠し場所だとは思ってなかったけど……」

 俺の呟きに、リリィが頷く。

「もっと下に行く訳か……。まだまだ先は長そうね」

「昨日、落とし穴にハマって良かったよ。疲れ切った体でコレ見たら、多分心が折れてた」

「グァー」

 俺達四人と一匹は扉の向こうに移動し、憲兵連中が来るのを待った。

 危なっかしい隊長に続き、割とサクサク進むガリガリ、やや緊張してる様子のムキムキがロープを巻き取りながら渡り切った。

 彼らの顔にも疲れが見えてきている。


 しかし、休憩する訳にもいかない。


 またルースを先頭にして、俺達は歩き始めた。

「あ、そうだ、ここでは魔法使えるのか?」

 緩やかな坂を数歩行った所で俺は口を開いた。

 ルースが右手を持ち上げると、あっさりと人差し指の先に黒い光が灯る。

「外よりも楽に魔力が流せるぐらいだ。反魔術結界が張られていたのは、さっきの部屋だけみたいだな」

「そうか……。んじゃ、リリィ。松明とは別に光系か火系で灯り付けてくれ」

 振り返った俺の目に、純粋な疑問を浮かべたリリィの顔が映った。

「え、何で? 松明二本あれば明るさ充分でしょ」

「また反魔術結界があった場合すぐわかるように、だ。反魔術結界に入ったら、その瞬間、灯りが消えるだろ。わざわざ結界を張るような場所には、また罠があるかもしれない」

「目印代わりってことか……。色々考えてるわねぇ」

 感心した様子で一頻り頷いたリリィは、手短に呪文を唱え、小さな光球を作り出した。自分の頭上1m程に光球を掲げ、全員に光が届くようにする。

 炎ではないので、白く、揺らぐこともない。

 弱い光だが、消えたら皆が気付くだろう。


 目印の効果で少し安心した俺達は、普段よりも少々速いペースで廊下を歩いた。


 やはりこの廊下は下へ下へと向かっている。カーブもずっと続いているので、螺旋階段を下りていくような形だ。ただし、螺旋の直径は相当大きいと思われる。

 ヘタをすると研究所よりも大きい円を描いているのではないだろうか。

 ここは、上の研究所と違って、汚れや虫の死骸すら見ることが出来なかった。よく観察すれば、石材と石材の間にある隙間にちょっとした違いがある程度だ。ヒトだけでなく、あらゆる生き物を長い間拒んできた意思のような物を感じる。


 頭の中では、何となくどの辺りを歩いているのかイメージしているのだが、ずっと同じ景色が続くので正解かどうかわからない。それどころか、本当に前に進んでいるのか、同じ場所で足踏みを続けているのではないかと不安になる有様だ。


 進んでいる実感というのは意外に重要な原動力らしく、全員、体はともかく精神的に疲れてしまった。


 耳に入るのは、七人分の足音とそれぞれの鎧が立てる金属音ぐらい。しかも、緊張で黙っている訳ではないので、雰囲気に締まりがない。

 ここは、無理矢理にでも喋って気持ちを盛り上げるべきか。

 俺は腰の辺りを軽く叩きながら、口を開いた。

「この鎧、やけに軽いよなぁ。こっちの方が大きいのに、元々つけてたヤツより軽いぐらいだぞ。――何で出来てるのか、知ってるか?」

 途中で振り向いて、後ろの二人に質問する。この際、少しわざとらしいのは勘弁してもらおう。

 どことなくぼんやりしていたサラが、一気に三角形の耳と背筋を伸ばして、答えた。

「伝説だと、その前垂れに張られているのはワイバーンの皮だと言われている。ルークセントでは誰もが聞くお伽話に『見習いと年寄り飛竜(ワイバーン)』という話があってだな――」

 どうやらサラの中にあるスイッチを押してしまったらしい。獣人の女騎士は一気に捲し立て始めた。


 時は大炎上時代。

 騎士見習いの少年と、彼と絆を結んだ、すでに引退していたワイバーンが活躍する物語だ。

 戦力的に勝る敵国に攻め込まれ危機的な状況の王都を救い、その姿は国民は勿論、本来ならば共闘する必要のなかったアレイド・アークと、その仲間達をも、動かした。結果として、ルークセントは敵国との決戦に打ち勝つのである。


 そこまでは、俺もアレイド・アークの英雄譚で知っていた。

 最後の戦闘は、英雄達と飛竜部隊が混成飛行で敵を軒並み倒していく胸躍る場面である。


 しかし、サラが語る『見習いと年寄り飛竜(ワイバーン)』には、まだ続きがあった。

「最後の戦いでも活躍をした年寄りのワイバーンだが、騎士見習いを守って大きな怪我を負い、戦闘終結後に死んでしまった。王都では子供から王様まで、全てのヒトがその死を悼んだという。そして、その中には、アレイド・アークと共に戦闘に参加していた『先端職人』デコルタ・クリイントもいたんだ」


 デコルタ・クリイントはラチハーク出身のドワーフにして、恐らく最も有名な鍛冶師である。

 アレイド・アークとはかなり若い頃からの友人で、初期ホワイト=レイに所属した英雄の武具は大抵彼が打った物だ。

 『黒太刀黒鳥(コクト)』、『双子獅子(インタデジタデッド)』、『世界の支柱』、『ピアスシルド』と歴史に名前が残るような武器を大量に作り出したデコルタは、今でも鍛冶職人から非常な尊敬を集めている。

 特に、ラチハークでは大人気だ。


 ホワイト=レイ出身のルースも、当然その名は聞いたことがあるのだろう。興味深そうに片耳をこちらに向けている。

「デコルタ・クリイントは騎士見習いを説得し、死んだワイバーンの骨や爪の一部、翼の皮膜などを素材として回収する。一人と一匹が常に一緒にいられるように、鞍と鎧を兼ねた防具を作り上げると、騎士見習いに贈った。年寄りワイバーンの死を乗り越えた騎士見習いは、やがて本物の騎士となり、飛竜騎士となり、最後には将軍となったのだ。その身に、常に『龍騎士の鎧』をつけて――」

「グァ~」

 イクシスが機嫌良く鳴いた。まるでイイ話を聞いた後に出るため息のようだった。


 俺はと言えば、改めて説明された由来に戦々恐々としていて、それどころではない。

 まさか自分も良く知るお話の登場生物が形を変えた物だとは思わなかった。でも、今更返せないだろうしなぁ……。


 思い悩む俺をよそに、ルースが言った。

「珍しく熱っぽく語るじゃないか」

「サラは昔っからこの話が好きなのよ。憧れの男性ってヤツね」

 からかいを含んだリリィの言葉に、サラは声を大きくした。

「そ、そんなものでは――ッ!」

「グリフォンライダーになってから今の飛竜部隊を見て、ガッカリしてたくせに」

「だって皆おじいさんに近い年齢じゃないですか! 全然鍛えてる様子もないですし! ワイバーンへの思いやりも感じられませんし!」

 さっき以上に熱が入るサラが叫ぶ。それを見て、リリィはニヤニヤしていた。

 村娘同士のじゃれ合いを間近で聞いたらこんな気分だろうか。

 俺と同様、憲兵達もどう反応していいかわからないらしい。


 まぁ、雰囲気は良くなったし、女性の黄色い会話ならまだ我慢出来るというものだ。


 苦笑いを押し殺して、そう思った瞬間――。

 ゴゴン、と重い音が大きく響き、足下に衝撃が伝わってきた。


「ッ!?」

 緩んでいても、危険な場所にいるということは誰も忘れていない。

 全員が同時に立ち止まり、腰を落とす。リリィ以外は全員が武器に手をかけていた。

 目配せをする余裕もなく、ただただ構え、感覚を研ぎ澄ます。

 一秒一秒が長い。

「……」

 重い音は進行方向とは逆、後ろから聞こえてきた。


 いや、今もまだ音がしている――?


「グアーッ!!」

「走れ!!」

 イクシスとルースが同時に怒鳴った。


 驚くよりも先に体が反応する。

 俺達は全速力で坂を下り始めた。いつの間にか、勾配がキツくなっていることに気付く。普段走る時よりも速度は出ていると思うが、走りづらい事この上ない。

「な、何が! 何が起こるんだあっ!?」

 重そうな体を全力で動かしながら、隊長が絶叫する。

「聞こえないのかっ! この音と振動だ!」

 こちらを見るルースの視線と台詞から、俺も振り返った。


「――ッ!!」


 広い廊下なのに、カーブが続く所為でそれほど遠くまでは見通すことが出来ない。だが、しかし。松明の光が届くギリギリの所に見え隠れするそれを、俺は見てしまった。

 高さ、横幅共に廊下とほとんど同じ、巨大な黒い球。

 それは、俺達を轢き殺そうと圧倒的な重量とそこそこの速度をもって迫ってくる、古めかしくも理に適った罠だった。

10月8日初稿


2015年8月18日 指摘を受けて誤字修正

イクイスは右に左に → イクシスは

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