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35.その男に勝つには

 俺たちの前に立ちはだかるトマス・スロウルム将軍は、リリィの伯父であり、さらには王女として攫われたフルールの実の父親だった。

「……な……、何だって今になってそんな大事なこと言い出すんだお前はッ!! こんな土壇場で言い出すぐらいならそのまま一生黙ってろってのッ!!」

「グーアーッ!! グァッグアッ!!」


 俺とイクシスは早口で叫んだ。状況のこともリリィを助け出すことも、頭から飛んでしまっていた。


「だって……、まさかトマスが邪魔するなんて思ってなかったから!!」

「タイミングが悪すぎるんだよ! むしろ聞きたくなかったわ!!」

「――カインドさん、今は口論してる場合じゃないですよ! ていうか、相手は王族ですから!」

 ガリガリの言葉で我に返る。

 後ろを見れば、サラですら顔を真っ赤にして石材を支えていた。普段ならリリィのフォローをしてきそうなのに、今は歯を食いしばっていて、口を開くことも出来ないようだ。

「ああ、もう! 話は後回しだちくしょう!」

「グアーッ!」

 俺は、貴族にあるまじき品のなさで捨て台詞を吐き、柄頭をグリップで叩く作業に戻った。


 苛立ちで作業が雑になってしまう。力を入れ過ぎて、思ったよりずっと大きな石が落下してきた時には肝を冷やした。

 だが、結果としては時間がほんの少し短縮されたとも言える。

 頭より小さな穴を、小柄とはいえヒト一人通り抜けられるようにするのに、どのくらいの時間が必要だったのか。気が急いていたし単純作業に集中していたので、正確な時間はわからない。


 ともかく俺とガリガリは、円形をした石板の中央からやや左上に、何とかリリィの抜け道を作り上げた。


「隊長、マントを失敬します!」

「おぉい、またかぁっ!?」

 ガリガリがすぐ後ろで背中を見せていた隊長から、マントを剥ぎ取った。

 素材や裁縫にそこそこ金がかかっていそうなマントを、出来たばかりの穴に突っ込み、急ぎの仕事でゴツゴツした縁を覆い隠す。

 ただリリィが怪我をしない為なら俺のマントでも良かったのだろうが、元々実用第一の安物だし、長旅に荒事にと少々汚れている。その点隊長の物は豪華で比較的綺麗だ。これが王族への配慮というヤツか。

 俺は穴から伸ばされたリリィの腕を掴み、一気に引きずり出した。斜めの石畳にうつ伏せの姿勢だったリリィは、滑るように穴を抜け、俺の胸に収まった。

 彼女を抱き締めたまま土を蹴り、石畳の下から飛び出す。

 ガリガリも同様に避難したのが見えた。

「――もういいぞ!」

 俺の声を合図に、<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>を乗せた円形の石畳は地面に落ちた。重い音が森全体に響き、土埃が上がった。

 石畳が割れる音も聞こえたが、半透明で半球状の結界はそのまま残っている。

 サラも、憲兵二人も上手く避けたらしく、少し離れた場所で倒れ込んでいた。三人ともこれ以上ない程息が荒い。

 石畳に片膝をついた俺も全員の安全を確認して、大きく息を吐く――間もなく、腕の中にいたリリィがすっくと立ち上がった。

「……おい、リリィ――」

 声をかける俺を見向きもせず、彼女は真っ直ぐに立って空を見上げ、大きく口を開く。


「スロウルムッ!! 降りて来なさいッ!!」



*****

 ガキン、と一際大きな音と火花を散らして、ルースとグリフォンライダーが離れた。


 互いに息が上がっている。

 ルースには数か所の痣や腫れが見られ、スロウルムはこめかみから一筋の血を流し、他にも顔に何本か切り傷がある。

 相当な時間、近距離での打ち合いをしていれば当然だった。

 ルースは黒の飛行魔法では難しい空中停止をしつつ、顎の汗を左手で拭った。大剣を握る右手は、疲れからか握力が心もとないことになっている。

 兜が飛ばされ素顔を晒すスロウルム将軍も、体全体で息をしている。


 睨み合っていると、下から声が聞こえた。

「――ロウルムッ!! ――さいッ!!」

 辺り一面緑色なのに、抉り取られたかのように研究所周辺だけが黒い。そんな中にリリィが仁王立ちしているのが、小さいながらも、はっきりと見えた。

 どうやらカインド達が<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>から解放したらしい。隣にはカインドもいて、何やらリリィに語りかけている。

 常時接続で展開されたあの術を砕くのは彼らにはかなり厳しい筈だが、やってくれたのだ。


 ――どうせまた、ヘンな手を使ったに違いない。

 ルースは思わず口の端を上げていた。


「……驚いたな……。まさか、あの状態から王女殿下を助け出せるとは思わなかった……」

 驚きと困惑、そして僅かな感心が混じった声色でスロウルムが呟いた。

 同時に、彼から放出されていた魔力が遮断され、もはや用無しとなった<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>が消えるのが感じ取れる。

「カインドを自由にしていれば、こうなって当たり前だ」

「……そうか。注意すべきは君よりも彼だったのだな」

「僕としては悔しくもあるが……、その通りだと思う。で、どうするスロウルム将軍?」


 無駄だとはわかっていても、ルースは言わずにはいられなかった。

 飛び立つ前に見せたサラの思い詰めた顔が、頭の片隅によぎる。知人だから、恩義のある上司だから、というだけではあんな表情は浮かべない気がするのだ。

 戦わずに済むのなら、その方がいい。

 生まれてからつい最近まで、常に鍛え、戦い続けてきたルースにとって、初めて思うことだった。


「リリィの拘束は解けた。僕を倒したとしても、その間に研究所に入り込まれては意味が薄れるだろう。リリィも怒っているようだし。まだ続けるつもりか?」

 トマス・スロウルムは小さく笑う。

「勿論だ。君を倒せば、ソリソカルから降りても後はどうとでもなる。何の問題もあるまい? 王女殿下がお怒りの件も、私はもう、これ以上ない形で殿下の意思を無視しているしな」

 ぎしり、と。鞍に座り直したスロウルム将軍が長く息を吐いた。

 溜息でもついたのかと思ったルースだったが、すぐにそれが間違いであることに気付く。

 スロウルムから――グリフォンライダーから発せられる雰囲気が変わったからだ。これまでは本気ではあっても命を取ろうという気迫はなかった。それが、体の空気を吐き出すのに合わせて、確かな殺気へと移行していく。

「私は、臣下として王女殿下を守る。邪魔をする者は、全て排除するだけだ」

「例えリリィに嫌われても、か?」

「ああ。私自身の私情はこの際関係ない。面倒な仕事でも、意に沿わない状況でも、殿下を守る為なら受け入れる。それが大人になるということだ。いつまでも我儘小僧だったコーヴィンと一緒にされては困るぞ」

 同僚への皮肉を最後に、スロウルムから茶目っ気が消えた。

 ルースに向ける視線は射抜くようで、突撃槍を握る強さは、柄が軋む程だ。


 息が整い、汗も引いた筈のルースのこめかみに、一筋の汗が伝わった。

 相手は単純な戦力だけでなく、心も強い。目的の為には、私情はおろか王女の意思を犠牲にしてでも、行動を貫く覚悟がある。

 迷っていたら、こちらが負ける。


「僕にはよくわからない。けれど、貴方の本気には応えなければならないと思う」

「充分だ。それに、いつか必ずわかる日が来る。さあ、お喋りはお終いだ。――……始めよう」

 まるで、その言葉が試合開始の合図だと決められていたかのように、二人は同時に鋭い息を吐いた。

*****



 リリィの怒号も空しく、ルースとスロウルムが再度接近していった。どう見ても握手をしに行ったようには見えない。

 現に、金属同士がぶつかる鋭い音が聞こえてくる。


「――っ!? トマースッ!!」

 俺の前にいるリリィが泣きそうな声を上げた。

「無理だっての。それより、早く研究所に入れ。そう簡単にルースが負けるとは思わないが、隙をついてこっちに来られたら、俺達じゃどうしようもない」

 俺はリリィの腕を引っ張った。しかし、空を見上げる彼女は一向に動こうとしない。

 <天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>から解放する為に、無理矢理忘れていた怒りがぶり返してきた。

「いい加減にしろッ! 言って聞くようなら、もうとっくに止められてる! 迷いがあったら王女を拘束なんて真似は出来ないんだ、スロウルム将軍だって必死なんだよ!! 今更外から呼び掛けてどうこうなる段階じゃない!」

 リリィが振り返った。

 くしゃくしゃになった顔には、抑えきれなかったらしい涙が零れていた。昨日あった感情の爆発やその後の謝罪の時だって、リリィは涙ぐんではいても泣いてはいない。


 まだまだ怒鳴りつけるつもりだったのに、俺は喉に物が詰まったみたいに固まってしまった。

 不意に女の涙を見せられれば、男は誰だって思考が止まるように出来ているのだ。


 これが狙って泣いているのならまだ救いがあるが、リリィにそういった計算をしている気配はなかった。ほとんど半狂乱と言ってもいい。

「……でもッ、それでも!! 自分だけ逃げる訳にはいかないじゃない! どっちもあたしの為に戦ってるのよ!?」

「そ、それがわかってるなら……」

 涙と勢いに呑まれていては、説得の言葉も弱々しい。俺は内心舌を打った。

「ルースが負けたらフルールは戻ってこないし、王宮に連れ戻される! ルースだって死ぬかもしれない!! でも、もしルースが勝ったって――フルールが帰って来た時に何て言えばいいのッ!? 貴女を助ける為にお父さんは死んだ――いいえ、あたしがこ、殺した……なんて……」

 自分の言葉がショックだったのか、リリィは最後まで言うことが出来なかった。ボロボロと涙を流しながら、俺を睨む。


「……ぐぁ……」

 肩口から成り行きを見守っていたイクシスが、憐れむように鳴いた。


 俺は一度息を吐いて、精神を立て直した。

 このままでは、どう転んでも事態が悪化する。まずは俺が冷静にならなければ。

「落ち着け。まだどっちかが死ぬと決まった訳じゃない。それに、二人の戦いとは別に、勝敗を決するのがお前なんだ。お前が将軍にとっ捕まったら、どう足掻いても俺たち全員の負けになるんだよ。お前の目的はフルールを助け出すことだろう? まずはその目的を優先しろ」

「――だって……、だってもしトマスが死んだら、フルールを傷付けることになっちゃう! そしたら助けたことになんてならないッ!!」

 リリィの慟哭が、森の中に響き渡った。

 俺としては頭を抱えるしかない。

 ただの我儘なら、張り手の一発でも喰らわせて引き摺っていけばいい。悩んでいるだけなら、強引に研究所まで連れて行ってから考えさせればいい。今はそういう状況である。

 しかし、リリィの言い分もわかってしまった。

 フルールを助けるのにスロウルム将軍を犠牲にすれば、それはフルールが遠因となって父親が死んだことになってしまう。その上、手をかけたのはリリィが援助を頼んだルースだ。フルールが酷く傷付くのは目に見えている。


 そんなことは看過できないという気持ちは――親友の心を含めて救いたいという思いは、当たり前だ。

 俺だってハッピーエンドを求めて行動している。簡単に切り捨てればいいとは思っていない。


「それでもだ、リリィ。もうお前が手出し出来る状況は過ぎてるんだよ」


 リリィの言い分が理解出来るからといって、ここに彼女がいていい訳でもない。スロウルムが説得に応じない以上、リリィは彼に対する手段になり得ないのだ。それどころか、王女を奪われることで状況がひっくり返される可能性がある。

 やはり、最低でも避難して貰わなければならない。

「それに――、お前が捕まるってことは、スロウルム将軍に娘を諦めさせることに繋がるんだぞ」

「……でも! あたしの為に戦ってるのに……自分一人安全な場所にいるなんて……」

「見守りたいって言うなら、研究所の傍――グリフォンが近付いてきたらすぐに避難できる所でやってくれ。――サラ!」

 まだ肩で息をしている女騎士に声をかける。それでもサラは機敏な動きで駆け寄ってきた。

 ルースが頑張っているうちは、護衛を付けるにしても彼女一人で充分だ。

「待って! あたしは――!!」


「いいから黙って言うことを聞け!! お前がここにいる方が邪魔なんだよ!」

 俺の怒鳴り声に、リリィは全身を硬直させた。


「おい、カインド――」

 余計なことを言い出しそうなサラを押し退け、俺はリリィに顔を寄せた。

「これでも譲歩してるんだ。余裕があったら、尻を叩いてる所だぞ。とにかくお前の避難は絶対だ。だから――後は、俺とルースに任せろ」

 泣き腫らした王女の瞳に、微かな光が戻った。俺の服を掴んで縋り付いてくる。

「……な、何か手があるの?」

 少し視線が低いリリィの目を真っ直ぐに見つめ返し、俺は言った。

「ああ。スロウルムは殺さずに止める。説教はその後にしてやるから、首を洗って待ってなさい」

 口の端を上げて見せると、ようやくリリィは小さく頷いた。


 それでも踏ん切りがつかないのか、チラチラと空と俺を見ようとするリリィを、サラと一緒に送り出す。

 王女と女騎士は研究所の入口近くまで小走りで駆けて行った。


 彼女達が充分離れたことを確認してから、俺は呟いた。

「さて、どうするかなぁ……」

「ぐ、ぐぁっ!?」

 俺の肩に前足を乗せたイクシスが驚いたような声を上げる。

「リリィに向こうまで行ってもらうには、ああ言うしかなかったんだよ。嘘も方便ってヤツだ」

「ぐーぁー……」

 今の所、俺には何の考えもなかった。とにかく避難してもらう為のハッタリだ。

 勿論、こんな発言をしていれば、上手くいかなった場合には思いっきり責められることだろう。一度保証した分、全てが俺の所為だと言わんばかりになじられる可能性も多分にある。そのぐらいは甘んじて受けるしかない。

 ルース辺りが聞いたら、あんなに必死なリリィを騙すなんて、と怒るかもしれないな……。


 何のアイディアも浮かばないまま考えていると、いつの間にか、憲兵達の元まで歩いていた。

 そういえば、と気付く。

「隊長、短剣ありがとうございました」

 俺は、石畳の上にひっくり返っている隊長に、借りたままだった短剣を見せた。鍔に指を引っ掛けて柄を差し出す。

 寝転がったまま見上げてくる隊長は、未だ息も絶え絶えで、言葉一つ発せないようだ。震える手で短剣の柄を掴み、ベコベコになった柄頭を凝視している。


 汗は掻いていてもしっかり立っていたガリガリが口を開いた。

「王女殿下は御避難されたご様子ですね」

「ええ。その代わりと言っては何ですが、アレをどうにかする約束をしてしまいました。まぁ、もしかしたら、ウチの従者があっさりやってくれるかもしれませんけど」

 俺は苦笑しつつ、飛び回るルースとグリフォンライダーを指差した。

「それは……、ちょっと難しいだろ……」

 少し離れた場所で座り込んでいたムキムキが、ぼんやりと呟く。


「そこまで……ですか?」

「俺だってちょっとは剣を齧ってるからよ、アイツ等がどの程度強いかぐらいわかる。お前ェの従者と、将軍つーかグリフォンライダーは、実力伯仲って言っていいと思うぜ。差がありゃ手加減だって出来るだろうが、あんだけのレベルだとなぁ。殺したくないとか重症を負わせたくないとか、そういう甘えは持てねぇよ」

 口調は荒っぽいがムキムキは丁寧に説明してくれる。

「こっちから魔法なり魔弾なりで牽制したりは――?」

「ハッ、無駄だ無駄。距離があり過ぎるし、小回り利くのはグリフォンの方だ。俺なら、お前ェの従者の邪魔になる方に賭けるね」

 俺の提案とも言えない思い付きは、一笑に伏された。

 下手に手を出せば、ルースが不利になるってことか……。

 この場にいる戦力で将軍をどうこう出来るのは、ルースだけ。ということは、あの美形魔剣士を勝たせるという大筋は変更出来ない。その上で、実力伯仲の戦闘に、手心を加えるだけの余裕を与えなければならないのだ。

 今回は得意の時間稼ぎは使えない状況だ。空中戦は目立つし、別の誰かが将軍の様子を見に来る可能性もある。


 俺がコーヴィン大佐に勝った時のように、一発で場をひっくり返す案を捻り出さないと……!


 知恵熱が出そうな程頭を回転させていると、隊長が自嘲気味に言った。

「全く……。何だってグリフォンライダーと敵対なんぞしているのか。我がルークセントの誇りにして憧れだぞ。事情を知らない全国民に石を投げられても文句も言えん」

「しかも、相手は『穿空将軍』トマス・スロウルムですしねぇ……」

「こんな状況でもなけりゃ、間近で見る機会なんてなかったよなぁ……」

 ガリガリとムキムキまで力なく笑い出す。


 そっちはそっちで大変だろうけど、俺には笑ってるヒマなんて――。

「――あ」


 俺の脳裏に、昨日、落とし穴の中で見た光景が蘇った。


 慌てて周囲を見渡せば、ついさっきまで<天蓋鋼鉄(ドーム・スティール)>が乗っていた石畳がある。黒い石材は大小様々な大きさに砕けていた。

 そして、その中に半ば埋もれている隊長の豪華なマント。

 ――何とかなるか……? いや、まだ問題が――。


「お、何か閃いたのか?」

 俺の表情を読んだのか、どことなく嬉しそうな声でムキムキが言った。

「えー、まぁ。ちょっとした思い付き程度ですけど。ただ、この案だと、あの二人が戦ってる所まで近づかなきゃならないんですよ。つまり、飛ばないと無理ってことになります」

 隊長が勢いよく上半身を起こして、両手を顔の横で振った。

「わ、私は無理だぞっ!? 魔法も闘気も使えないしな!」

 ……誰もアンタに頼みませんて。

 俺と同様、冷たい視線を隊長に向けるガリガリに尋ねる。

「タイミングとかもあるんで、出来れば自分でやってみたいんですが……。白魔法に対象を吹っ飛ばすような術ってありませんでしたっけ? それで私をこう、ドヒューンと」

 纏まり切っていない案をそのまま口に出しつつ、一度腰に溜めた腕を斜めに伸ばす。

 しかし、ガリガリは首を横に振った。

「僕の魔力だと、カインドさんぐらい体重があったら浮かすのが精いっぱいです。そもそもアレは重いものを動かす術ですから、飛行魔術みたいに速度なんて出ませんよ」

「……てことは、もし使えたとしても、かえって邪魔になるのか……」

 俺達は緊迫した状況なのも忘れて、揃って頭を捻った。


 作戦を思い付いても、実行する条件が整わなければ何の意味もない。

 少し修正してガリガリにやってもらうか。それともここから打ち出す様に――。

 望み薄なら、早々に破棄しなければ。いつまでも使えない作戦に拘っていれば、ただの時間の無駄に終わってしまう。


「~~ッ!」

 判断がつきかねて俺が焦れていると、イクシスが頬に冷たい鼻先を押し付けてきた。

「グァッ!」

「悪い、イクシス。今はちょっと構ってられない」

 いつもなら引き下がりそうなものなのに、今度は尻尾で頭を叩いてくる。その上、耳元で鳴き始めた。

「グアー! グァッ、グーアッ!」

「わかった、わかった。何だよ、一体――」

 俺は根負けして、肩に乗るイクシスに顔を向けた。


 もはや傍にいるのが当たり前になっている黒い鱗に赤い鬣を持った小さなドラゴンが、やけに背筋を伸ばし翼を広げて、こっちを見ていた。

 黄金の瞳と見つめ合う形になる。

「ヒュウゥ~…………、グムッ!」

 俺が見ているのを確認したイクシスは、胸が膨らむほど息を吸って、口も目もギュッと閉じた。


 深呼吸?

 いや、これは力んでるのか?


 何がしたいのかわからず俺も眉根を寄せてしまう。わりと空気を読むイクシスが、この状況で意味のないことをするとも思えないのだが。

 微かな風を感じる。

 それに合わせるようにイクシスが顎を引き、小さな体をプルプル震わせた。

「ムゥ~~……!」


 変化は唐突だった。

 まず、肩にかかる重さが僅かに増していった。

 そのことに驚く暇もなく、イクシスの蝙蝠の物に似た翼が、ジリジリと広がっていく。ピザの生地を連想したが、あれは薄く伸ばしているだけだ。明らかに大きくなっていく翼は薄くなってなどいない。


「!?」

 俺は絶句した。


 イクシスの体に比べても小さかった翼が、どんどん体積を増していく。

 弧を描くような外側が皮膜を引っ張るように伸び、すぐに皮膜もそれに合わせて広がる。ビシビシと音が聞こえた。おそらく骨ごと成長しているのではないだろうか。

 翼全体を支える内側もしっかりと伸び、翼だけでイクシスの体を超す大きさになっている。

 しかし、イクシスの体そのものの大きさは変わっていない。翼だけが膨らんでいた。幹の太さが変わらないのに枝だけが生長していくような、あり得ない光景だった。


「グゥ~ムゥ~~~~ッ!」

 唸り続けるイクシス。

 翼はもう、俺の身長に近い。

 さらに、赤い線が入った尾までニョキニョキ伸び出した。

 真っ直ぐに伸ばされた翼が作る影が、どんどん広がる。


「ムグ~~~~……、アァッ!!」

 最後に一際大きく鳴いて、イクシスは体の力を抜いた。


 翼は、片方だけでも俺の身長を超えている。付け根の部分が急激に小さくなっているので、形としては歪だ。

 元々30cmほどだった尾は2m近くまで伸びていた。こちらも長くなっただけでそれほど太くはなっていない。

 全体で見ると相当な違和感がある。

「おま……、それ……」

 俺が混乱しているのにも構わず、イクシスは大きく翼を羽ばたかせた。

 強い風が舞い起こり、小石や砂状になった石材が辺りに広がった。座り込んでいた隊長は風に煽られ仰向けに引っ繰り返る。

「……龍種ってこんなこと出来るモンなのか?」

「上位種が黒の再生魔術に近い形で怪我を治した、って話なら聞いたことはあります。でも、こんな一部だけ成長させるようなことは、お伽話にだって――」

 ムキムキの疑問にガリガリが答えた。

「クァ」

 ひとしきり翼を動かして満足したのか、イクシスは俺の首の後ろに移動した。

 俺の両肩に左右の前足をそれぞれ乗せ、後ろ足は背中の中央付近に引っ掛ける。流石に翼や尾が邪魔をしてフードには入れない。長くなった尾を俺の腰に巻き付けて、しっかりと密着した。二周してもまだ余裕のある黒い尾が、まるで俺から生えているようだ。


 そこでようやく気が付いた。

 王都に着いた翌日、決闘の後だ。リンゼス・コーヴィン将軍が俺に襲いかかった際に、イクシスが俺ごと飛んで助けてくれた。あの時も、翼と尾だけが大きくなっていた。

 ということは――。


「ひょっとして、俺を飛ばそうとしてるのか?」

「グアッ!!」



*****

「ハァアアアアッ!」

「シィィッ!!」

 凄まじい相対速度の中、ルースとスロウルムは激突した。

 グリフォンライダーの突撃槍はルースの体の中心を狙い、ルースの大剣は速度に任せてそれを弾く。ルースはそのまま上空へと飛翔し、ソリソカルは急激に方向転換する。


 殺気を纏ったスロウルム将軍は圧倒的だった。


 攻撃の全てが急所を狙った全力の一撃で、グリフォンの体重も込められた突きは断ち斬るつもりで合わせても、ずらすことが精一杯である。

 当然、ルースは防戦一方となっていた。

 スロウルム将軍には勝負を長引かせるつもりはないようだったが、互いに一撃の威力を重視していること、双方の総合的な力量が近いこと等が原因で、なかなか決着がつかなかった。

 いや、ルースには切り札がまだある。しかしそれを使えば、スロウルムとソリソカルは死ぬ。手加減が出来るような技ではないのだ。殺してしまっては、結局負けと代わりない。

 ルースは迷うことなく切り札を選択から除外していた。舐めている訳ではない。それが、ルースの覚悟だったからだ。


「ラァアアアアアアアアアアッ!!」

 スロウルム将軍の声がすぐ後ろで聞こえた。

 方向と角度を読まれたのか、思った以上に追い付かれるのが早い。迎撃態勢は完璧とは言えなかった。

「くぅ!」

 ルースが避け切るのを諦め、せめて急所から外す為に大剣を振るおうとした、その時――。


 びたりとソリソカルが停まった。

 一瞬の後、ルースとグリフォンライダーの間に黒い魔力が一条流れる。


 <貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>だ。魔力の発生源が近く、下から斜め上に撃たれてはいてもこの角度だと地面から放たれたものとは考えにくい。

「――!?」

 ルースは驚愕と疑問を同時に感じて、<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>の射線を辿る。そこにいたのは、魔銃を構えるカインドだった。背中から大きな翼をはためかせ、長い尾がバランスを取るように動いている。

「カインド、君は魔人の血でも流れて――……」

 呆気にとられたルースは魔力操作すら忘れて、<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>が途切れてしまう。当惑しつつも紋章を描き直し、何とか空中で停止した。

 もう一度カインドを確認して、その背中にイクシスがいるのに気付いた。

 巨大な翼もカインドの腰に回された尾も、小さなドラゴンのものだ。コーヴィン将軍の突きから、カインドが救われたあの時と同じである。


 ルースと同様呆然としていたスロウルムは、大人の余裕なのか将軍としての人生経験の賜物か、数秒で疑問を棚上げにしたらしい。珍しく不快感を表情に乗せ、叫ぶ。

「ここは戦士による真剣勝負の場だ、ソーベルズ! 君が口を出す資格はないぞッ!」

「資格なんてなくても、口も手も出します。――リリィと約束してしまったんで」

 イクシスの翼の羽ばたきに負けない声で、カインドは言った。

 右手に持った魔銃を真っ直ぐに将軍に向け、左手に何か大きな物を包んでいると思われる布を持っていた。

 包みを侮蔑的に見下ろし、スロウルムが舌を打つ。

「口だけではなく、手も出すつもりか……。だが、その土産の中身が全て魔法爆雷でも、私達の戦いの邪魔は出来ないと思うが?」


「いやいや、何事もやり方一つです」

 そう言いつつカインドが、チラリとルースを見た。


 真剣な視線に込められた意味を、ルースは瞬時に察した。

 理屈ではない。目を見たらわかったのだ。


 ――手段はわからないが、カインドが隙を作る手助けをしてくれる。自分はそれを逃さず、応じればいい。


 ルースの決意をよそに、スロウルムはカインドに槍の先端を突き付ける。

「そうか。覚悟はあるのだな。言っても聞かないようならば……部外者には退場してもらう!!」

 将軍が体を傾けるだけでソリソカルは弾けるように突進を始めた。


「ッ!」

 ルースも慌てて<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>に魔力を叩き込み、カインドの元へと向かう。

 位置はルースの方が高いものの、距離はグリフォンの方が近い。その上、加速力ではグリフォンの方がはるかに勝る。

 カインドのいる、やや下方20m程の場所にどちらが早く着くかと言えば、グリフォンライダーの方だ。

 しかし、カインドの目はしっかりとスロウルムを見据え、タイミングを窺っているようだった。それならばルースのすることは一つだ。ただただ急ぎ、いつでもカインドの策に乗れるよう心の準備をしておくこと。


「ラァアッ!!」

 一気に接近したグリフォンライダーが突撃槍を放った。ルースに向ける時と比べれば若干狙いが荒い。

「イクシスッ!」

「グアーッ!!」

 カインドの叫びに応じて、イクシスが黒い翼を羽ばたかせる。カインドとイクシスは、斜め上から突っ込んで来た突撃槍を上空へ移動することによって避けた。グリフォンをも超える機敏さだ。

「――何ぃ!?」

 流石に驚きの声を上げるスロウルム。だが、まだ終わりではない。

 グリフォンライダーにも負けない人獣一体の身のこなしで、体の向きを変えたカインドは、上から<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を撃った。

 すでに、つい一秒前とは逆の位置関係になっている。

「クァアッ!?」

 ソリソカルが戸惑ったように鳴き、羽をばたつかせて急停止した。そのまま進んでいれば確実に翼に当たった筈の<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>が、森へと向かっていく。


 カインドとグリフォンライダーとの距離は、3m弱。


「頼むぞ、ルースッ!」

 あと二息でルースがスロウルムを間合いに捉えるという絶妙の間で、カインドが叫んだ。


 同時に、左手に握っていた大きな何かが入った布を、思い切り放り投げる。

 ゆるめに縛っていたのだろう、すぐに結び目が解け、中から大小様々な石が飛び出した。光沢のある黒い石――石畳の欠片が放り出された勢いでばらけ、グリフォンの周囲に降り注いでいく。

 グリフォンごとこちらに向き直ろうとしているスロウルムは、驚きと疑問を隠そうともしていなかった。ただの石では足止めにもならないと、その表情が語っている。


 だが、ルースはカインドの狙いを正確に理解した。


 カインドの真下を過ぎ、剣を引き絞る。

 集中によって時間が引き延ばされたような感覚の中、全ての石を大きさや向き、自分との距離、スロウルムとの距離に至るまで把握する。<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>の飛行速度と進入角度を計算、最善手を弾き出す。

「無極流大剣術――」


「ぬぅうううッ!!」

 飛び込んでくるルースに対し、スロウルムは振り向く動作そのままに突撃槍を振るった。やや体勢に無理がある上に鋭くもない突撃槍が、唸りを上げる程の勢いだ。

 ルースは両手で握った大剣を真っ直ぐに立て、その横薙ぎを迎え撃った。

 金属同士を打ち合わせたにも関わらず、酷く重い音が森全体に響いた。


「――刃残踏ッ!」


 真正面から受けた突撃槍を大剣諸共支えとして、逆立ちの要領で、ルースは体を縦に回転させる。

 スロウルムの攻撃による衝撃も勢いに加え、大剣を残し、腕だけで真上に飛んだ。

「――ッ!?」

 驚愕の表情を浮かべるスロウルムがあっという間に遠ざかる。

 頭を下にしたまま、足を畳み、目指すはスロウルムの頭上2mほどの所にあるカインドが撒いた石の一つだ。子供の頭より幾らか小さい石でも、ルースにとっては充分な足場になる。

「無極流無手術!」

 黒い石と靴底が接触した瞬間、ルースは気合い声の代わりに技の名を叫び、闘気を爆発させた。

 石を吹き飛ばされるように砕き、一瞬前とは逆の方向――スロウルムへと突っ込む。さらに体を丸め、今度は足が下を向くように回転させる。


「くッ!」

 スロウルムは迎撃しようとするも、突撃槍は斜め下を向いていた。ルースが体重を支える足場にしたことで押し下げられたのだ。強引に振り回そうにもソリソカルの体が邪魔をする。しかも、残された黒い大剣が障害になっていた。

 それらが接近戦では致命的な遅れを生んだ。


「落渦――」

 雷進による瞬発力、<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>の速力、闘気を集中した攻撃力。全ての力を足先に束ね上げ、爆発じみた速度で繰り出されたルースの右足が、上を向く為に反らされていたスロウルムの胸に叩き込まれる。

「ぐぶうッ!」

 スロウルムが苦悶の叫びを上げたが、ルースはまだ止まらなかった。

 力を緩めることなく、倒れ込んだ将軍ごとソリソカルの背を蹴り抜く。

「――傘ッ!!」


「クガァアアアア!?」

「がっ――はッ!!」


 茜色のグリフォンの体が反り返り、その背に仰向けになったスロウルム将軍が血を吐いた。

 常に羽ばたいていたソリソカルの翼が一度びんと張ったかと思うと、力なく垂れ下がったままになる。

 騎獣も騎手も完全に意識を失っていた。

*****



 グリフォンライダーは崩れ落ちるように、高度を下げていく。

 俺はどこか上の空で、落ちる将軍と茜色のグリフォンを眺めていた。

 ほとんど思い描いた通りに事が進んだのに、最後の最後で予想外のことが起きてしまったのだ。


 俺の斜め下に<浮かぶ紙切れ(トギルフ・ウォルス)>で浮かぶルースが、息をつく間もなく、顔を上げた。

「……あ、しまった。気絶させた後のことを考えてなかった!」

 ルースは一瞬で呪紋を<空駆ける矢(トギルフ・タサフ)>に描き直し、落下中のグリフォンへと向かった。おそらく救出に行ったのだろう。


「いや、それ以前にどっちもほぼ死んでるんじゃないですかアレ……?」

「ぐ、ぐぁ……」

 俺とイクシスの力ないツッコミが、抜けるような青空に拡散していった。

9月21日初稿

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