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31.だから彼女は旅に出た

 リリィとサラを主寝室と思しき部屋に運び、寝かせた後。

 俺達は昼間使った部屋で、お互いに向かい合う様にベッドに腰を下ろした。


「――で、身の上話ってのは……、どういうことだ?」


 ルースが灯した精霊魔法の小さな光では、相手の顔色を窺うことは出来ない。

 その上、男装の魔剣士は体を屈め、顔を伏せていた。今までの自信満々でビシっとした態度とは、正反対である。

「…………」

 黙りこくったままルースはなかなか口を開こうとしなかった。


 沈黙が数分続く。

 手持無沙汰になった俺は、膝の上に乗ったイクシスの頭を撫でながら、目の前の相手が話し出すのを待った。イクシスも普段と違うルースの態度が気になるのか、ずっと彼女を見つめている。

 やがて、少し顔を上げ、ルースが口を開いた。


「…………君は、アレイド・アークをどのくらい知っている?」

「――はい?」

 思わず聞き返してしまった。

 ルースの質問があまりにも予想外だったのだ。

「だから、アレイド・アークだ。王宮でのリリィの話にも出ていただろう」


 やや憮然とした表情を見せるルースに、俺は慌てて言った。

「あ、ああ。えーと、アレイド・アークは今から二百年ぐらい前の大英雄だ。出身はハークロウ。その大業はユミル学院から始まっている。学院を卒業しても母国の軍隊には所属せず、気の合う友人達と冒険者兼傭兵のような立場で様々なコミュニティや戦場を渡り歩き、名を馳せた。この間に築いた各国の若者との友情が、後に超実力者集団『ホワイト=レイ』を立ち上げる際、重要な役割を果たす。戦果で特に有名なのは――、大きな街をたった三人で一ヶ月守り抜いた『コトレイカ篭城戦』、暴走するスレイプニールを力で押し止めた『グラナ平野の変』での顛末、大炎上時代最後の大戦とも呼ばれる『エオイオア砦の攻防戦』の獅子奮迅の活躍――なんかだな」


 話しているうちに頭と舌が回り出した。

 読む本といえば英雄譚ばかりだった俺にとって、大炎上時代の英雄代表みたいなアレイド・アークは、それだけ熱心に語ることの出来る題材なのだ。

「ぐむー?」

 俺の膝の上で、イクシスが首を捻る。ヒトの、それも歴史上の人物の話など、ドラゴンにとってはチンプンカンプンに違いない。

 俺だって、こんな時間にこんな所で歴史の講義みたいなことをしているのか、不思議なぐらいだ。

「ふむ、戦時中の歴史的事実のまとめだな。僕でもそこまで上手く説明出来なかっただろう」

 ルースは、まるで教師が見せるような満足げな顔で頷いた。


 ……何だその上からな態度は。

 俺はやや挑戦的な視線を相手に向けた。

「この程度で感心されちゃ困る。まだまだ続けられるぞ?」


「そうか……。なら、アレイド・アークの伝説的な部分はどうかな? 今では確認出来ないようなことでもいい、幾つか挙げてみてくれ」

 ルースらしくない物言いに、少し戸惑う。

 目の前にいる男装の剣士は、言いたいことがあればズバっと言う性格の筈だ。こんな風に質問を繰り返すような、回りくどいやり方は、全く彼女らしくない。表情はいつも以上に真剣なので、誤魔化そうとしているとも思えない。

 それでも、これはルースから言い出したことだ。相手のペースに合わせるしかない。

 俺は、一時期詰め込んだ知識を引っ張り出すことに集中した。


「正式な記録に残っていないっていうと……。まず、王女モードのリリィが言ってたように、時の権力者と直接面識があったとしか思えない伝承が、幾つもある。自由を愛し、正規軍に所属した経験もない英雄としては、物凄く珍しいことだ。それに、幾つかの限界突破魔法の開発。これは未だに再現出来ていないので、特にアレイド否定派には格好の的になってる」

 あまりにも範囲が広く、当時の研究をしていればどこにでも顔を出すので、歴史家にはアレイド嫌いが一定の割合で存在するのだ。

 俺は顔の前で指を一本ずつ畳みながら、続ける。

「そうそう、再現出来ないことから真偽不明といえば、無極流もあったな。当時主流だった八つの流派を独自に一つに纏め上げ、さらに自身と仲間の技をも加えた万能剣術だったそうだ。四人の弟子には伝えたことになっているが、当人も弟子も広めるつもりがなかったのか、これも今では失われている」


「――ぐぁ?」

 イクシスが何かに気付いたように、ピクリと顎を持ち上げる。


 しかし、話に夢中になっている俺は、膝の上のドラゴンには構っていられなかった。

「あと有名所といえば、三つの切り札の伝説かな。アレイドと友情を結んだ白き真龍が、彼の呼びかけに応えて姿を現す『真龍召喚』。魔法瞬発力が真龍クラスという『咆哮する右腕』、白き真龍から友情の証として渡された、赤い、刀……『赤尾刀』を――」


 そこまで言った所で、俺の体は停止した。

 ただし、頭の中身は高速で動き続けている。

 自分の口から出た言葉が、耳を通して頭の中に入り、勝手に組み上がったような感覚。


 ――無極流。

 落とし穴を落下中に、ルースが叫んだ台詞だ。

 箔を付ける為に今はもうない流派の名前を拝借しているだけ、という可能性だってもちろんある。

 だが、ルースが持つ常識外の――それこそ大炎上時代の英雄のような――強さからすれば、そう簡単に切り捨てることは出来ない。


 ――赤尾刀。

 それによく似た物を、俺は知っている。目の前の魔剣士が何度も振るうのを間近で見ているのだから。

 刃渡り20cmほど、やや透明感のある赤い刀身。どちらかというと肉厚の片刃で、短いくせにしっかりと反りがある。先の方が少し横幅が大きく、根元には鍔代わりに2cmほどの出っ張り。年期を感じさせるくたびれた皮が、乱暴に巻かれた柄。

 刃部分が赤い武器は、伝説上ではそう珍しくないが、実際に見る機会はそうそうない。その上、ルースが持っているのは短刀である。品質を犠牲にでもしない限り、ドワーフだってそう簡単に刀身に色を付けることは出来ないので、伝説を元に作ったとも考えづらい。あの短刀は、一目見ただけで業物だとわかるほどの存在感を持っているのだ。


 どちらか片方だけだったら、何かの偶然だと苦笑して頭を振り、強引に忘れられたかもしれない。

 けれど考えられずにはいられなかった。

 もしも、無極流も赤尾刀も、本物で。

 この二つをどちらも身に着けているとしたら、ソイツは――。


「……ルース……、お前、アレイド・アークの関係者なのか……?」

 俺の口が、勝手に曖昧な予測を吐き出していた。


 ルースが自嘲気味に口の端を上げる。

「まぁ、関係者と言えば関係者か……」


「――っ!」

 自分から問いかけておきながら、否定されないことに驚いてしまう。

 それぐらいの衝撃だった。

 アレイド・アークの晩年はあまりわかっていない。彼が残した記録や遺品で、現在でも確認出来るのは、ほんの一握りだ。新たに見つかれば、それは歴史的な発見として研究調査の対象に引っ張りだこになることは請け合いである。


 俺が衝撃から回復しきれないうちに、ルースが静かに話し始めた。いつの間にかまた俯いていて、その表情を見ることは出来なかった。

「実は……、君には言っておかなければならないことがある。僕は、君達に……一つ、嘘をついているんだ」

「……へ?」

「……ぐぁ?」

 我知らず、馬鹿みたいに聞き返す俺とイクシス。

 イクシスはともかく、俺の頭はそろそろ処理能力の限界だ。


 ――ルースが、嘘?


 彼女がこれまで見せた誠実な人柄からすれば、夏に雪ぐらいの違和感がある。

 思い当たる節としては、実は女だった件ぐらいだが、それだってルースは事実を口にしなかっただけだ。厳密にいえば嘘はついていない。

 それに、ルースは『嘘をついている』と言った。それはつまり、未だ継続中の嘘がある、ということ。


 ルースは、一つ大きな深呼吸をして、ゆっくりと顔を上げた。

 今にも泣き出しそうな、それでいて覚悟を決めた表情。


「――僕の本当の名前は、ルーシィ・アーク・ガンダルシア。アレイド・アークの、直系の子孫……末裔だ」


「――」

 固まって返事が出来ない俺に、ルースが捲し立てる。

「偽名を名乗ったのには、いくつか理由がある。でも、偶然と成り行きで君たちと一緒に旅をするようになって、だんだんそのことを負い目に感じるようになってしまった。君はイイ奴だし、お互いに信頼関係が築けたとも思ってる。なのに、僕は最初の一歩目から君を欺いていたんだ。それがずっと……、ずっと気になって――」


 突然、イクシスが小さな羽根を動かし、俺の膝から飛び上がった。ゆっくりした速度で移動すると、ルースの顔近くで空中停止した。

「グーアーッ」

 優しい鳴き声を上げながら、鼻先をルースの頬に押し付ける。

 今回こそ、慰めているつもりなのだろう。

「……ありがとう、イクシス」

 ルースは眼前の小さなドラゴンをそっと包み込むように抱きとめた。いつものように強引に引き寄せたり掴んだりはしていない。


 だが、そんな心温まる光景も、俺の意識には響かなかった。

 一つのことに囚われていたからだ。

「ルーシィ……、ルーシィかぁ。ルースって名前が似合いすぎてるから、違和感が出ちゃうんだな」


「そっちか!? 疑ったり問い詰めたりするのだが普通だろうッ!?」

 イクシスを抱えながら浮かべていた儚げな微笑みが一変し、ルースは声を荒げた。

 ――いや、本当はルーシィなのか……。うん、悪いけどやっぱりしっくりこない。俺の中ではそのままルースだな。


「いやだってさ。お前の生真面目な性格はわかってるし。今になって英雄の末裔だなんて嘘つく理由もないし。先に関係者かなって予想しちゃったから、不意打ちは避けられたし」

「大体、怒らないのか? 僕は君に偽名を名乗っていたんだぞ!?」

 俺は肩を竦めた。

「事情があるようだからなぁ。それに、衝撃としては、お前が女だった時のほうが大きいっての。あの時はびっくりしてガーっと突っかかっちまったけど、今回はそっちから打ち明けられてるから、怒るってのも違う気がするし」


「そうか、気にしていた僕が間抜けだったのか。責められることも覚悟してたっていうのに……」

「ぐあー……」

 ルースは肩を落とし、彼女に抱えられたままのイクシスが俺のほうを向いて非難がましく鳴く。

 冷静に受け入れたことをとやかく言われる謂われはないと思うのだが。


 このまま放っておいたらいつまでも恨み事が続きそうなので、俺は話題を変えた。

「それより、何だって今になってそんなことを話し出したのか、そっちの方が気になるね」

 一つ溜息をついてから、ルースは口を開いた。

「――研究所の落とし穴の中で、君の話を無理に聞いただろう? 怒った勢いで問いただしてしまったが、僕は君の根幹に係わる話を引き出すとは思っていなかったんだ。それでなくても、君に偽名を名乗っている負い目があったのに……。僕も自分を曝け出さなきゃ、せっかく出来た仲間に、借りを作ることになる。対等な関係でいる為に、どうしても話しておきたかったんだ」

「……俺からしたら、お前に頼りっぱなしで申し訳ない気持ちが、ずっとあるんだけどなぁ……」

 俺の呟きに、ルースは即答した。

「そんなことはない。交渉を引き受けてくれたり、常識を教えてくれたり、策を練ってくれたり。僕だって君に助けられている。その辺りは、行って来い、じゃないか」

 こちらを見る彼女の表情はどこまでも真っ直ぐで、発言に嘘偽りがないことをはっきりと示している。


「――」

 少し、驚いた。

 あれだけの実力を持ったルースが、俺のことをそんな風に評価しているとは想像もしていなかったのだ。

 役に立っているなどと自惚れる訳にはいかない。とはいえ、あまりに自分を卑下して甘える訳にもいかなくなった。

 ルースが言う通り、仲間だと思うのなら。

 自分に出来ないことは助けてもらったとしても、自分に出来ることがあるのなら、最大限頑張らなければ。


 密かな決意が顔に出てしまいそうになって、慌てて口を開いた。

「でも、何だって英雄の末裔が、性別を隠して一人旅なんか――」

 最後まで言い終わる前に、初めて宮殿で迎えた朝――ルースが女だと知った後――ばっさりと説明を拒絶されたことを思い出す。

「――っと、悪い。今のは忘れてくれ」

 しかし、ルースは事も無げに言った。

「ここまで話したんだ。もう隠し事はしたくないし、するつもりもない。とはいえ、長くなるぞ?」

「あ、ああ。話してくれるんなら、いくらでも起きてられる。むしろ聞かせてもらわないことには眠れないっての」

 イクシスを膝の上にそっと置いて、正面の剣士は少し顎を上げた。話すべき内容を頭の中でまとめているのだろう。

 イクシスも同じように上を向いているのが微笑ましい。


 短い沈黙の後、ルースがこちらを向いた。

「カインド、君はさっき、『ホワイト=レイ』のことを口にしたな?」

「ああ。アレイドが作った、所属メンバー全員英雄っていうバケモノ集団だろ」


 ――『白き光(ホワイト=レイ)』。

 その成り立ちは、大炎上時代を終わらせる為に種族や国家を超えて集まった英雄達だった、といわれている。戦乱を終わらせてからも、新しい平和にはつきものの揉め事や小競り合いを、大陸中を股にかけ、数十年に渡って解決した。人数は多い時でも三十人に満たなかったらしい。 

 主な構成員は『英雄長』アレイド・アーク、『永遠の乙女』サーネグ・ホーバイト、『金剛エルフ』ダルリエット、『夜想曲』エヴィアソニア、それに忘れちゃいけない『馬王』セスタ・ウ・ル等々。

 さらに、アレイドの四人の弟子たちが中心となった、次の世代も有名だ。

 ただ、もう百五十年以上歴史の表舞台には姿を現していない。

 いつの間にか消えてしまった謎の組織、というのが世間一般の常識である。


「そのホワイト=レイはまだ――いや、設立されてから今までずっと――存在している。もっとも、今では、アレイド・アークの血筋と自分達の強さを維持することしか頭にない、引き篭もり集団になってしまったが、な……」

 自分の常識がガラガラと崩れていくのが、わかった。

 ホワイト=レイが未だに存在するのも勿論だが、異常な程のフットワークであらゆる国に出没したといわれる英雄集団が、今では引き篭もりというのは、受け入れ難いどころの話ではない。


「僕は、ホワイト=レイの本拠地である空飛ぶ城――白城で生まれ育った」

 遠くを見つめるような表情でルースは続ける。


「物心がついた頃には、僕はもう修行を始めていた。父が亡くなったのもそれぐらいの時だったな。ホワイト=レイの連中は何度も母に再婚を勧めたそうだ。アレイドの血筋は母が受け継いでいたこと、他にアレイドの子孫がいないこと、僕が一人っ子で――女だったことが、その理由だった。鍛えるにしても、男が良かったんだろう」


「……っ」

 俺は言葉を失った。

 貴族の間でも、血筋や跡取りの問題が絡んだゴタゴタはある。ましてや、大英雄の血筋と強さを求めるような組織なら、より重要なこととされてもおかしくはない。

 だが俺としては、ホワイト=レイには、そうあって欲しくなかった。


「結局、母は再婚を拒み続けて……やがて病床についた。僕の母の記憶は、ベッドに横になっている場面ばかりだ。もっと強く抱き締めたいと、よく言っていたよ」

 どこか寂しげな、美しい笑顔を見せるルース。

「その母も、僕が六歳の時に亡くなってしまった。その後は、ホワイト=レイの連中が、僕の親代わりになった。といっても修行ばかりの日々で、育てられたとは言えないかもしれないな。毎日毎日、剣を振るい、魔法を覚えた。小さな頃の思い出といえば、それだけだ」


「……ぐぁ……」

 イクシスが、膝の上からルースの顔を見上げた。

「……」

 俺の脳裏に思い浮かぶのは、両親すらいない中で修行漬けの日々を送る少女の姿だ。

 ここまで強くなるには、きっと、俺には想像もつかない鍛錬を行わなければならなかった筈である。俺が親に甘えている間にも、モントと一緒に街を駆け回っている間にも、泥にまみれ怪我をしながら剣を握っていたのだろう。


 俺の瞳に同情でも見えたのか、ルースは小さく笑った。

「まぁ、それが当たり前だったから、辛いとも思わなかったんだけどな。強くなることは嬉しかったし、それに、いつしか僕には目標ができた」

「目標?」

 いつの間にか話に引き込まれ、俺は自然に相槌を打っていた。

 ルースは軽く笑みを浮かべながら頷く。

「ああ。何度も何度も話で聞き、城の図書室に溢れていた伝記や資料で読んだ、アレイドのような強さを手に入れること。自分の信じる道を突き進める、そんな強さが欲しいと思ったんだ」


 アレイド・アークが他の英雄と違うのは、既存の国家や権力などを後ろ盾にはしなかったところだ。たまたま知り合った子供の為に平気で王族にケンカを売り、お尋ね者になったことすらある。

 それでいて、王族に個人的に何かを預けたりすることもあったのだから、自由というか拘らないというか。


「――てことは、目標は叶えたから旅に出たってことか?」

 修行を終え、お墨付きを得て飛び出すルースを想像しながら、俺は言った。

 しかし、ルースは首を横に振る。

「まさか。僕なんかまだまだだよ。ホワイト=レイに所属している十一人の中では一番弱かったからな」

「――いぃ!?」

 実力もあるとサラに評されたコーヴィン将軍を、素手一発で吹っ飛ばすような力がありながら、一番弱い!?

 まさに想像の遙か上。

 ホワイト=レイは大炎上時代の強さを維持しているというのも、あながちルースの思い込みだけではなさそうだ。

 俺が愕然としていると、ルースは苦い表情を浮かべて、吐き捨てるように言った。


「僕が旅に出た、直接のきっかけは――、結婚させられそうになったからだ」


「ええーッ!?」

 まったく予想もしていなかった答えに、俺は驚きの声を上げた。

 結婚が嫌で家を飛び出すとか、それこそ物語の女性主人公みたいじゃないか。そういうのは大抵、許婚よりも社会的地位があり、腕っ節の強い爽やかな美男子に出会うものなんだが。

 今一緒にいるのが俺じゃあなぁ……。


「……英雄の末裔ってことよりも、こっちのほうが反応がいいんだな……」

 形のいい唇を尖らせて、ルースが呟いた。

「あ、相手に不満があったとか? すげー年上とか、ハゲてるとか」

「違う。僕は、相手の顔も名前も知らなかったんだ」

 憮然とした表情のまま、魔剣士は続ける。

「ある日、ホワイト=レイの取りまとめ役に言われたのさ。数日中に種が来る、と。僕には意味がわからなかったので詳細を聞いた。出てきた台詞は、お前の夫が決まった故、これからはその男の子供を産むことに集中しろ、だ。僕は全く知らなかったんだが、他の連中はたまに城を降りて、それぞれ候補者を育てていたらしい。そして、やはり僕の知らない所で競わせ合い、選定した訳だ。反抗しようにも、誰も取り合ってもくれない」

 ルースはそこで一度ため息をつき、ガチンと奥歯を噛み締めた。

「挙句の果てには、剣を握ることを禁止されたよ。僕の修行は、そこそこ頑丈な体を作り、血筋に宿る力を眠らせない為のものだったんだ。婿が決まった以上、これ以上鍛えるのは無駄だとさえ言われた。結局、ホワイト=レイにとって、僕はアレイド・アークの血を次に繋げる道具でしかなかった……」


「……」

 何と言っていいのか、わからない。

 だが、俺は腹が立っていた。

 自由と友情と切磋琢磨の象徴といわれるホワイト=レイが変わっていたことも、取りまとめ役とやらのやり方も、ルースが道具扱いされたことも、全てが気に入らない。


「そんな訳で、その日の夜、隙を見て城から飛び出した。もうちょっと反抗を試しても良かったんだが、あまり悠長に構えていると結婚相手が来てしまうからな。もともと僕の物として与えられていたあの大剣――グランマオと皮鎧、そしてこの赤尾刀だけが荷物だった」

 脇の下に収めた短刀の柄に触れ、ルースは続ける。

「それが二ヶ月ちょっと前のことだ。後は、大した話はない。追手がかかるかもしれないから、まず髪を切って偽名を名乗ることにして……。親切なヒトの家にお世話になることもあれば、傭兵まがいのこともやった。金の概念がわからなくて最初は苦労したよ」


「……なるほどなぁ」

 俺は前のめりになっていた体を反らせて、ベッドに手をついた。

 集中して話を聞いていたので、体が凝り固まっていた。

「どんな壮絶な過去があるのかと思ったら、下世話というか世知辛いというか……」

「僕に文句を言われても困る。ただ、直接のきっかけは結婚話だったが、それだけじゃないんだ。自由に生きたアレイドには憧れていたし、自分の力を試してみたかったし、世界も見てみたかった……。そういう意味では、君と似ているかもしれないな」

 ルースはそう言って、微笑んだ。


 確かに、俺にはルースの気持ちはよくわかった。

 俺だって、モントに託されたからという理由だけで、旅に出た訳じゃない。

 元々いた場所から広い世界へと。

 自分の足で。

 本の中の英雄のように――。


 そんなことを考えながら何気なく視線を動かして、気付いた。

「あれ、イクシスは?」

 いつの間にか、イクシスが魔剣士の膝の上からいなくなっている。

 慌てて辺りを見渡せば、小さなドラゴンは壁際にちょこんと座っていた。イクシスは壁を見詰めているようで、黒い鱗に覆われ一筋の赤い毛が生えた尻尾がゆっくり揺れている。

 ――何してんだ?

 そう思った矢先、突然ルースが張りのある大きな声を出した。


「そういう訳だから! これで身の上話は終わりだっ。君達も早く寝たほうがいいぞっ!」


 ルースの台詞が終わらない内に、イクシスが見つめていた壁の向こうから、ガタガタっと物音が響いてきた。

 どう聞いても、一人で出せるような感じではない。

 リリィとサラが聞き耳を立てていたのか。

 よく考えれば、二人を寝かせた部屋は隣だったし、話の最中には俺もルースも大きな声を出している。ついでに、サラは狼獣人で耳がいい。

 サラが俺達の話声で起き出してしまい、その気配か物音でリリィが目を覚ました、ってな所だろう。

 少々性格に難がある王女サマなら、夜中にしゃべっている同行者の会話に興味を持ってもおかしくはない。

「ぐあっ」

 壁に向かって一声鳴いて、イクシスが俺の座るベッドへ飛び乗った。赤い鬣を撫でてやると、すぐに丸くなる。


 コイツもルースも、隣の盗み聞きに気付いてたんだな……。


「でも、いいのか? 出身はともかく、性別だってバレてるかも知れないぞ?」

 俺の言葉に、ルースは耳のあたりを掻きながら苦笑した。

「聞かれたんならしょうがないさ。気配には気付いていたが、途中で話をやめるつもりはなかったし。ここまで来たら、隠し事をしているのもどうかと思っていたところだ。明日にでも釘を刺しておけば、内緒にしてくれるだろう」

 サラはともかく、リリィはどうだろう? 誰彼関係なくしゃべりはしなくとも、信用出来る相手にはその場の勢いでポロっと漏らしそうな気がするんだが。

 まぁ、俺が気にすることでもないか。


 脱いだベストを枕元に置いて、イクシスの寝床を作ってから、俺はベッドに横になった。実はイクシスも眠いのを我慢していたのか、すぐさまフードの中に入った。

「明日には、きちんとした成果を出さないとふぁ~……」

「ああ。リリィが焦る気持ちもわかるし、残された時間もそうないだろうからな。だが、僕の勘では、あの奥に『巨獣の卵』はあると思う」


「…………そうであって欲しいね」

 もし見つからないのであれば、別に可能性のある場所を探すか、存在しない証拠を用意するか。

 どちらにしても、今より状況は悪くなる。だが、先のことを考え過ぎて不安になっている暇はないのだ。

 今は、研究所に『巨獣の卵』があると信じて、突き進むしかない。

「おやすみ。カインド、イクシス」

 ルースの挨拶が合図かのように、精霊魔法の光が少しずつ弱くなっていく。

「ああ、おやすみ」

「ぐぁ~」

 昼間相当寝た筈なのに、俺はあっさりと眠りに落ちていった。意外と酒が効いていたらしい。


 俺の深い眠りを妨げたのは、やっぱりルースの拳だった。

「さぁ、探索に出発だ!」

「ぐほっ!?」

「グァンッ!?」

 俺達の騒ぎを聞いてリリィ達も起きたようなので、少なくとも効率的な一撃であったことは間違いない。


「――本当にいいんですか?」

 村の門まで来てくれたノンプ一家に、俺は尋ねた。

 ノンプ家で温かい朝食を食べさせてもらった上に、奥さんが弁当まで用意してくれていた。

 さらに、馬も預けていくよう勧められたのである。

「だから、気にしなくていいってぇの。預けて向かったほうがずっと楽だろ。んで、調査が終わったらまたここに帰ってくりゃイイんだァ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。例え調査が上手くいかなくても、日が沈むまでには戻りますので」


 少し離れた場所では、ルース達が二人の子供に引っ付かれていた。

 たった数時間相手にしただけで随分懐かれたもんだ。


「あとは、これな。気ぃ付けろよ」

 そう言ってモントが差し出してきたのは、昨日見せられた魔物避けのクシャミ玉だった。赤黒い泥団子にしか見えない物が二つ。だが、俺とリリィには手軽に使えて効果が期待出来る、普通にありがたいアイテムだ。

「何から何まですみません。このお礼は、戻ってきた時に必ずさせてもらいます」

 俺はしっかりと頭を下げて、クシャミ玉を受け取った。


 家族全員に見送られて、サンシュリック村を出る。

 穏やかな空間から、あの薄ら寒い研究所に向かっていると思うと、憂鬱だった。それでも馬を引いていない分、俺達の歩みは速い。


「イイ人達だったなぁ……」

 門が見えなくなると、すぐにリリィが呟いた。

「もし色んな事が上手くいったら、王女として何か考えてやったらどうだ?」

 昼食の分荷物が増えているルースの台詞に、村娘に変装したリリィは頷く。鎖帷子を着込み、剣と突撃槍で武装したサラは、チラチラとルースを窺っている。

 清々しい表情でゆっくりと伸びをしたリリィが口を開いた。


「――ところでルース。アンタ女だったのね」


 今日はイイ天気ね、とそう変わらない声色だったので、一瞬誰も反応出来ない。

 ルースもまさかこのタイミングで言われると思っていなかったらしく、珍しく焦りを見せた。

「あ、ああ。その……、黙っていて悪かった、な」

「まぁ、驚いたことは驚いたけど。どこかでおかしいなと思ってたのよね……。それほどビックリはしなかったわ。ね、サラ?」

 歩きながら器用に、男装の魔剣士を眺め回すリリィ。


 ……女の勘というヤツだろうか?

 俺は叫ぶほどビックリしたのだが。


「はい。と言うより、私の場合は鼻が利きますので。宮殿内で、二人を部屋に案内した時には、薄々気付いていました」

 あっさり爆弾発言をするサラに、俺はおそるおそる質問する。

「そういうのって、放置していいのか? 他ならともかく、王宮に入ってたってのに……」

「正直それどころじゃなかったからな。姫様に懸念を伝えるのすら忘れてしまっていた。逆なら公衆の面前で質問するのも一興だっただろうが、女官達の淡い想いを叩き折る訳にもいかなかったし」

「?」

 ルースにはサラの冗談はわからなかったようだ。


 無駄話をしながらも、国道までの獣道をさくさく進んでいく。昨日、村へ向かう時よりもだいぶペースが早い。


 あと半分といった所で、ルースとサラ、それにフードの中から顔を出していたイクシスが、弾けるように顔を上げた。

「グァッ」

「どうした?」

 ルースが辺りに注意を払いながら、答える。

「……いや、多分魔物が、進行方向に――」


「ぃゃぁあぁぁ~~!」


 突然、微かな悲鳴。響きから推察するに、距離がある為小さく聞こえたのだろう。

 顔を見合わせる暇もなく、ルースが走り出していた。残りの面々で慌てて、彼女の背中を追う。足もとの悪い獣道でなければ、追いかけることも叶わなかったに違いない。

 俺は必死に脚を動かしながら、叫んだ。

「俺達の姿を見られる訳にはいかないぞ! その辺わかってるか!?」

「見捨てるっていうのかッ!?」

「そこまでは言ってない! ただ、ちゃんと状況を確認して――」

 急に空と光が増えるような気配。

 すぐに道だ。


 くそっ、打ち合わせする時間もないっ!


 甲高くも、太い悲鳴が耳に届く。

「ひゃああああぁあぁぁぁんっ!!」

 どう聞いても男の声だ。

 それに、どこかで聞いたような……。


 なんとかルースから離されることなく、道に飛び出した。

 俺はほとんど転がりながら、辺りを見回す。

 すぐに目に入ったのは。

「ゴォォアアアッ!!」

 5mもの巨体を持ちながら、堂々と立ち上がったオーガウルスス。頭部の外骨格が朝日の光を反射している。

 ひっくり返された黒い馬車と、倒れた馬が二頭。一頭はピクリとも動かないし、もう一頭に関しては胴体で真っ二つである。

 そして、道の真ん中で身を寄せ合う三人のヒト。

 全員が鎧姿だ。大柄な男が棒立ちながら剣を構え、痩せた男が傍らで両手を突き出している。最後のデブは、大柄な男の足に噛り付いて叫んでいた。


「だ、誰かぁああ~~!」


 情けない声と姿には覚えがある。

 ルークセント国軍憲兵団サートレイト隊々長――名前は確か、ノリプトン・ティング。


 オーガウルススに襲われていたのは、王都前で別れたサートレイトの三人組だった。

7月28日初稿。

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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