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30.寂れた村の豪華な晩餐

 穴の底からロープで昇っていくのは、思った以上に重労働だった。

 ほとんど拷問と言ってもいい。


 いざという時の為に、俺が先でルースが後。

 その上、男装の魔剣士は火の点いた松明まで持ってくれた。

 ロープはいくつかを結んだ物だったので、結び目に足を置いて休むことは出来た。だが、逆に言えば、結び目以外では両手両足全てで、必死にロープにしがみ付かなければならない。

 最初は感じていた高所であることの恐怖も、疲労で塗り潰されてしまったぐらいだった。


 しかも、ただただ昇るという単純でキツイ作業は面白おかしく脚色するのは無理、という現実。


 何とか石が敷き詰められた床まで這い出した時には、俺の全身は悲鳴を上げる力もなかった。リリィが走り降りた階段に、体を投げ出して、荒い呼吸をするのが精一杯である。

「ぐぁ~」

「おい、大丈夫かッ!?」

 仰向けになった俺に、サラが声をかけた。

「――だッ……、大、丈夫じゃ、ない……ッ」

 上がった息では、そう言うのが精一杯だ。

「だから途中でおぶろうか、と言ったんだ」

 穴の淵からひょっこり出てきたルースは涼しい顔だった。

 とてつもなく重そうな馬鹿みたいにデカイ大剣を背負い、さらに片手が常に松明で塞がっていたのにコレだ。基礎体力は勿論のこと、ロープを昇る技術も違うのだろう。

「落ちたらッ、死ぬような場所で……、一瞬でもロープから手を放せるか!」

 これまでの様な闇雲な恐怖とは違ったが、落ちたら死ぬという事実は、十二分に俺の頑張りを後押しした。ただ、最初に鎧を脱いでルースに任せておけば良かった、とは思う。

「まぁそれだけ叫べるなら大丈夫だな……」

 サラは呆れた、といった様子で息をつくと、穴に近付きロープの回収を始めた。


 まだ息が整わない俺は、階段の背中を預ける形で仰向けになった。

 薄暗くひんやりとした隠し階段が今はありがたい。

 数分喘いでようやく呼吸が落ち着いた頃。俺は小さな違和感を覚え、体を起こした。


 いつも何だかんだと煩いリリィの声が聞こえない。


「……」

 リリィは、階段の上の方でこちらを窺っていた。目は腫れていて、さっきまでよりもさらに顔色が悪い。

「どうしたリリィ、怪我でもしたか?」

 俺と目が合った途端、彼女の顔がくしゃっと歪んだ。


「ご……っ、ごめんなさいッ!」


 突然頭を下げたリリィの言葉に、俺もルースも答えられない。サラが困った表情で三角形の耳を伏せた。

 そのまま地味な服に身を包んだ王女は続ける。

「あ、あたしの所為で皆を危ない目に――」

 このまま放っておいたら泣き出しそうだ。

 俺は慌てて口を挿んだ。

「いや、全員無事だったんだし」

「僕は自分でカインドを助けに行ったんだ。例え死んだとしたって、君の所為にするつもりはないぞ」

「ぐぁぐぁ」

 口々に慰めの言葉をかける俺達に、リリィはようやく顔を上げた。

 案の定、その大きな瞳には涙が溜まっていた。

「――で、でも……、もしかしたら怪我じゃ済まなかったかもしれないのに……」

「……」

 どうしたものかと思っていると、しゃがみ込んでロープを手繰り寄せているサラと目が合った。


 女騎士の表情は、どうにか慰めてくれ、と雄弁に語っていた。

 おそらく、今よりもっと酷い状態のリリィを宥めすかしてロープを調達してくれたのだろう。それは、サラでは落ち込んだリリィを回復させられなかった、ということでもある。


 俺は自分の体が疲労困憊だと訴えるのを無視して、立ち上がった。服を払いながら、言う。

「取り返しのつかないことは何もないんだ。一度謝ってもらったら、それで十分だよ」

「でも、それじゃぁ、あたしの気が……――」

 気持ちや時間に余裕があれば、気の済むまで謝ってもらうのも一つの手ではある。思う存分頭を下げ、泣き叫べばリリィの気持ちも幾分スッキリするかもしれない。

 しかし、探索を続けるなら、むしろその罪の意識は持ち続けてくれた方がいいぐらいなのだ。俺達の注意より、経験から来る自制の方がよっぽど彼女を慎重にするだろう。

 そんな打算が入った考えを言葉にする。


「お前の気が済む済まないは、俺達には何の意味も持たない。それどころか、謝って終わりにされたら困るんだ。要は、反省して次に活かしてくれた方が俺達には都合がいい、ってことだな」


 ともすれば冷たくとられかねない言い方だったが、リリィはハっと目を見開いた。

 その瞳に、少しずつ思考の色が加わっていく。

 俺が安心しかけたその時、唐突に良く響く声が聞こえた。

「リリィに反省する必要があるなら、君だってそうだぞ、カインド」

「ぐぁ」

 思いがけないルースの台詞に、額の痛みがぶり返す。

 確かに、リリィが俺達を危険に曝したというなら、俺の行動はルースとイクシスを危険に曝したことになる。

「い、今ここで、俺が注意を受けちゃうと、話がまとまらないじゃないですか……」

「君が自分のことを棚に上げてあんまり偉そうなんで、釘を刺したくなった」

「ぐぁー」

 こんな時ぐらい格好つけさせてくれても良さそうなものなのに。


 だが、俺がダメダメな分だけ、場の空気は和んだ。

 怖い顔でこちらを注視していたサラは肩の力を抜き、リリィも大きく深呼吸するだけの余裕が出来たらしい。


「……わかったわ。こんな所で泣いてちゃ、それこそ時間の無駄だものね。でも、最後にもう一回だけ。ごめんなさい。それに……カインド、助けてくれてありがとう。ルースもカインドを助けてくれてありがとう」

 そう言って笑った顔は、いつものリリィだった。

 今度こそ心底ほっとした俺は、笑って頷いた。

「んん。大体な、焦って先陣切るなんて王族失格だぞ。王様ってのは、自分は一番安全な所で踏ん反り返って命令するモンなんだから」

 ロープをでかい輪にし終えたサラが呟いた。

「何だその偏見は……」

「どっかで聞いた。厄介事は家臣に任せて、実際の作業はさらにその下に押し付ける。成功すれば軽く褒め、失敗すればとことん責める。これが王の仕事だ、ってな」

 ルースが頷く。

「ふむ。そういうものかもな」

「ぐぁー?」

 サラが慌てた様子で叫んだ。

「いや、そんなことはないぞっ。カインドが言ってるのは相当な極論だからな!?」

 一頻り騒いだ所で、遂にリリィが噴き出した。

「プッ。フフ、アハハハハッ! そうね、王様なんてそんなものね。ルークセント最後の王族として、それぐらいの気持ちでいないと。プ、クフフフ……」


 いつまでも狭苦しい隠し階段でしゃべっている訳にはいかない。

 大量のロープを抱えたサラを先頭にして、俺達は所長室まで戻った。

 そのまま廊下に出て、玄関ホールへと向かう。


「相当な量だけど、ロープはどこで調達したんだ?」

 俺の問いかけに、獣人の女騎士は前を向いたまま答える。

「研究所の倉庫らしき部屋にあったロープは、どれも腐っていて、一目見て使えないと判断出来るぐらいボロボロだった。仕方なしに、私と姫様はサンシュリック村まで向かってみた。廃村とは言え、まだマシなロープがあるかもと思って」

「おいおい、ずいぶん思い切ったな。魔物は出なかったのかよ?」

 サラは苦笑した。

「気配を避け、なるべく安全なルートで遠回りをした。姫様を一人にする訳にもいかないので、背負っていたからな……。その分時間がかかってしまったが、戦闘はしていない」

 流石は獣人。

 森の中を疾走する姿は非常に絵になっただろう。一目見ておきたかった。

 もうそろそろホールという所で、イクシスが俺の肩に前足を乗せた。

「グァッ」


 外の光が途中まで差し込み、やや明るい玄関ホール。

 その奥、馬を繋いでいた階段近くに人影が見える。


「!?」

 俺は思わず魔銃に手を伸ばしていた。

 松明の光が見えたのか、人影がこちらを向いた。

 頑丈な農夫の服を着込んでいて、背はそれほど高くない。ぱっと見は中年太りといった感じなのに、肩周りだけは異様にがっしりしていた。禿げ上がった頭と顔からすると四十代――若くても三十代中盤は下るまい。

 そして、ヒトを斬るというよりは木を切る為の武骨な斧を背負い、革の鞘に覆われた草刈り鎌を腰に下げている。

 彼の金色をした口髭が、頬に引っ張られて上がった。


「――おぉ~、お仲間ってのはその二人か? ボンボンとハンサムって感じだなァ」


 訛り混じりの、男にしては甲高い声が、俺の緊張感を台無しにしてくれた。

「ど……、どなたさん?」

 一気に脱力した俺の疑問に答えたのは、リリィだった。

「あちらはペィ・ノンプさんよ。あたし達にロープを貸してくれたの」

「――あ、それはどうもお世話になりまして」

「ぐぁっ」

 俺とルース、それにイクシスも揃って頭を下げた。

 良く見れば、素朴で優しげな顔立ちをしていたノンプ氏は、ガハハと笑った。

「こんな美人さん達にお願いされちゃ、断れないってモンよ。なァに、ロープなら大量にあったからな。貸し出すぐらいわきゃねェ」

「でも、あんなに長いロープをただ持ち歩いていた訳ではないんでしょう?」

 俺の質問に、サラが言った。

「さっきも言っただろう。私達はサンシュリック村まで向かったんだ。その途中で森に出ようとしていたノンプさんと会い、村まで行ってロープを借りた。村には彼の家があるんだよ」

「え、あそこは廃村なんじゃ……?」

 俺は思わず呟いた。

 ノンプはバツが悪そうな顔で、頬を掻いた。

「ま、廃村ってことになってるんだがなァ。説明したっていいんだが、俺ァここが怖くてしょうがねぇんだよ」

「あ、それはすみませんでした。お仕事の途中だったんですものね」

 忙しいのに構っていられない、ということを遠回しに言っているのかと思ったが、ノンプは手をパタパタと振った。

「いんや、そういうことじゃなくってな。仕事っつっても村の周りの木切るだけだし、どうせロープも戻すんだし。良ければどうだい? ウチに来るかい?」


 意外な提案に、俺達は顔を見合わせた。

 俺としてはいまいち事態が飲み込めない。

 しかし、いつ魔物が出てもおかしくないような森の中、嫌な雰囲気を醸し出す遺棄された建物の、冷たい石の上で雑魚寝するのは出来れば避けたい。

 厳しい場所で最低限の休養をとるよりは、少々離れていてもしっかり休める場所の方がいいに決まっている。

 全員の目が、同じ様な思いを表していた。


 決断した俺は、他の誰かが何かを言う前にノンプに頭を下げた。

「心からありがたいお言葉です。甘えさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「よっしゃ! なら決まりだな」

 俺達は、ノンプを先頭に研究所から出た。


 馬をどうするか一瞬悩んだものの、怯える様な場所に繋いでおくのも可愛そうなので、連れていくことになった。

 馬達は建物を出た瞬間、あからさまに体の力を抜いた。

 来る時と一緒で、馬を引きながら森の中を歩くのは相当キツい。

 ただ、もう少し頑張れば休めると思うと、体は前に進んでいく。それに、ノンプが森の歩き方を熟知していて、彼の後を辿れば比較的楽になった。

 どうやら話好きらしいノンプは、しゃべり通しだ。

「もう十年前に、サンシュリック村は消えた訳なんだが……。結局の所、あそこが一番稼げるのよ。木は村のすぐそばまで生えてるし、切っても切っても生えてくるから選ぶ必要もねぇし。だから、色んな村に引っ越して行った奴らの中でも男衆が、収穫が終わってから雪が降るまでの短い間に集まる訳だ」

 サンシュリック村は木々を切り倒し、運びやすい木材に加工することを生業としていたそうだ。

 森の拡大に伴い魔物の被害が増え、少しずつ人口が減っていき、結果廃村になってしまったという。

 だが、話を聞く限り、サンシュリックに愛着がある者は多い気がする。

「でも、年一回か二回使うようじゃ、家や柵なんかが腐るだろ? そういうのを管理するのが俺達の仕事って訳だ。あと、村の中まで影響がないように、最低限周りの木を切ったりな」

「な、なるほど……」

 俺は息が上がっていて、相槌一つ打つのも大変だ。


 それでも整備された道までの三十分はあっという間だった。真剣に歩いていたのと、ノンプの話が興味深かったからだ。

 また森に入るのは、心の底からげんなりしたが、獣道が残っているのか、それまでよりもずっと楽である。歩くのに邪魔になる太い根や自然の段差、石等がないだけでこうも違うのかと驚く程だ。


「しかし、こんな魔物が多い所で生活するのは大変なんじゃないですか? 我々など一晩で何度も遭遇してしまいましたよ」

 俺が息切れの合間に尋ねると、ノンプは平然と答えた。

「確かに、村から人が減ったのはそれが原因だァ。二十年ぐらい前から少しずつ被害が増えちまって……。んだが、その分対処を考えるようになるモンなんだよ。夜は出歩かないとか、村をぐるりと柵で囲むとか、そとに出る時は出来るだけ大人数でとか。――それに、こういうのを持ち歩くとか」

 そう言ったノンプが服の合わせから取り出したのは、掌サイズの泥団子だった。赤っぽい表面はデコボコしていて手作り感満載である。

 一瞬、魔法爆雷のようなアイテムかと思ったが、例えエルフでもあんな物に魔法を込めて安定させることは不可能な筈だ。

「俺達でも食えねぇ種を擂り潰して練り合わせたモンだ。コレが匂い嗅いだだけで辛くてなァ。作ってる間はくしゃみが止まらねぇんだ。外側は固めてあるけど中は粉のまんまだから、上手く相手の顔なんかにぶつけると、泡食って逃げ出すって寸法よ」

「ほう、それは凄い……」

 ルースが呟いた。

「ま、コイツが効かねぇのもいるんで、調子に乗ると死ぬんだがなァ」

「ぐぁ……」

 俺は、肩口から鼻先を伸ばそうとするイクシスの顔を抑えた。

「イクシス、それは食べ物じゃない。鼻を近づけるのも危険な代物だ」


 そうこうしているうちに、サンシュリック村跡が見えてきた。

 道からここまで十五分ぐらいか。思っていた以上に近い。

 やはり『帰らずの森』の生命力は凄まじく、鬱蒼とした森の中に突然現れるちょっとした空間が村跡だ。

 ノンプが言っていた柵が、十軒ほどの家々を囲んでいる。高さは人間の身長くらい。正面には比較的大きな門がでんと構えている。これなら馬車でも通れそうだ。

 良く見れば、柵に合わせて黒い石材が、等間隔で突き立てられていた。研究所の外壁や石畳として使われていた、あの石だった。


 ようやく辿り着いた安堵感よりも、持ち前の好奇心が顔を出してしまう。

「あの石は、研究所のモノですよね?」

「ああ。まだ村に人がいた時代に、皆で引っぺがしては持ってきたんだァ。どうやら魔物を近づけないらしいってことで、ああやって壁にしてるんだよ。アレの内側なら、安全だ。ただ、ルークセントのお偉いさんにはナイショにしといてくれよ。無断だからなァ」

 自嘲気味に笑うノンプが、村の入口である門を開けた。やけに重そうな扉にも、黒い石材が打ちつけてある。

 ルースが反対側も開こうとしたが、ノンプはそれを止めた。

「そっちはいい。ギリギリ通れるぐらいで十分だ。何があるかわからねぇからな。さっさと入ってくれ」

 生活に根付いた対処に驚く。

 彼は門を開けるという行為一つに、そこまで考えなければならないのだ。

 俺達は出来るだけ急いで門を潜り、村に入った。


 サンシュリック村跡は、不思議な場所だった。

 覚悟していたほどボロボロでもなく、かといって普通の村ならある、ヒトが生活する気配が圧倒的に少ない。

 ある日村人がごっそりいなくなり、家だけがそのままの形で残っていたら、こんな光景が出来上がるかもしれない。

「ま、何にもない所だけど、ゆっくりしていってくれや」


 まず、簡単にノンプの家族を紹介された。

 微笑みを絶やさない奥さんに、勝気で元気のイイ女の子、人見知りがちの大人しい男の子だ。子供達は、仕事に行った筈の父親が思いの外早く戻ってきたことに大騒ぎだった。


 その後、俺達は装備を解き、それぞれ井戸端で汗を流し、食事をとった。

 台所と調味料を借りたリリィとサラが作った料理は、材料が宮殿を出てからお馴染になってしまった保存食だったのに、かなり美味かった。

 疲れもピークで、腹が膨れれば眠くなる。


 それでも俺は眠気を振り払って、心ばかりのお礼をする為に仕込みをしておくことにした。


 ノンプの奥さんに使っていない樽の在りかを聞き、井戸の近くまで運んで、念の為一度洗う。その後は、ただただ水を入れていった。

 まだ元気なルースも手伝ってくれたので、そこまで時間もかからなかった。

「――で、これが何になるんだ? ただ水瓶を用意した訳じゃないんだろう?」

 九割方水を満たした頃に、ルースが言った。

「まさか。オトナの感謝の示し方といえば……、イイ酒だ」

 俺は腰のバッグの底から小瓶を取り出した。

 掌よりはいくらか大きい平べったい陶器の瓶に、白魔法の術式を組み込んだ緩衝材が巻かれている。大きさに比べても小さな口にはコルクの栓が詰め込まれ、さらにその上から鉛で封印がなされている。

 鉛の封印を一部を残して剥がし、栓を抜く。途端に、強い酒の匂いが辺りに広がった。

 ルースが僅かに眉根を寄せて覗き込んで来る。

「んで、これを……」

 俺は慎重に慎重を重ね、小瓶の中身を一滴だけ、水を満たした大きな樽に落とした。

 すぐに栓を戻し、一度封印を切ってしまえばただの気休めではあるが、口とコルクを鉛で覆った。

 万が一にも無くさないようにさっさとバッグにしまう。これは貴重品――俺が持っている品物の中でも断トツで高価な物なのだ。

 樽の蓋を取り上げた俺に、ルースが顎に人差し指をあて、首を傾げて訊ねた。

「……いや、僕にはわからないんだが」

「じゃあ、樽に鼻を近づけてみ?」

 ルースと俺の肩から首を伸ばしたイクシスが、一分前まではただの水であった樽の中身の匂いを、音をさせつつ嗅いだ。一気に驚いた顔になる。

「おお……!? お酒の匂いだ! まさか……この中身全部が?」

「ぐあー!?」

「な、これならお礼になるだろ」

 蓋をした樽をルースに台所まで運んでもらい、ノンプの奥さんに説明をした。

 奥さんも驚いた顔をしてえらい恐縮していたが、同時に喜んでくれた。


 満足して、今度こそ寝ることにする。


 俺達は比較的大きな家を借りて、若干埃っぽいながらも、キチンとしたベッドを使うことが出来た。ノンプの奥さんがシーツと毛布を出してくれたのもあって、地面に寝るよりは遥かに寝心地がイイ。

 ベッドに倒れこんだ途端、俺は速攻で眠りに落ちた。


 ルースに起こされた時には、日が沈んでいた。


「何だって起こすんだよ……。ふぁ~~。明日の朝まで……寝てたっていいだろ……?」

「ぐむぁ~~」

 俺は、枕元のイクシスと一緒に唸った。

 とは言え、ベッドに入ったのが昼少し前ぐらいだったから、五、六時間は寝ていたことになる。

 俺のほとんど寝言と変わらない愚痴を、腰に手を当てたルースは切って捨てた。

「ノンプさんの家で夕飯を用意してくれたんだ。わざわざ子供達が招待しに来てくれたんだぞ。まだ眠いっていうなら、僕が眠気を吹き飛ばしてやるが――」

「お、起きます! すぐに招待に応じますっ!」

「ぐ、ぐあぐあっ!」


 ノンプ家は家族四人にしてはかなり大きく、俺達全員が加わってもテーブルに余裕があった。

 元村人達が集まる時には、唯一ここに残っているノンプと奥さんが指揮を執ることが多く、この家が本部になるから、だそうだ。

 テーブルに着くと、大量の料理が目に入った。肉も野菜も山もりだ。俺が渡した酒も――匂いでわかる――大きな陶器の瓶に入れて出してあった。

 ノンプの奥さんは、俺達がいきなり訪ねてきた時から準備をしていたらしい。


「本当に申し訳ありません。寝床を貸していただいた上に、こんな豪勢なお食事まで用意していただいて……」

 恐縮する俺に、三十代中盤に見える奥さんは微笑んだ。

「どうぞ、ご遠慮なさらず。あれだけのお酒もいただいてしまったことですし」

 すでに酒を注いでいるノンプもガハハと笑った。

「全くだ。こんな良さそうな酒貰っちゃあ招待の一つでもしなきゃ男が廃るってモンよ。それにウチのは、ヒトが集まった時に毎回こうやってメシを用意してるんだ。このぐらい慣れっこだから大したこっちゃねェ。まぁ、色んな所で美味いモン食ってる冒険者にウチの味が合えばいいんだがなァ」

 サラはノンプに、自分達を国の依頼を受けて研究所の調査に来た冒険者だ、と説明していた。普通の旅人ではないのは一目瞭然なので、詮索されない為には嘘は仕方がない。

「お酒って……そんな物どこに持ってたの?」

 リリィが耳打ちして来る。

 俺は軽く肩を竦めて、言った。

「『陸酔』の原酒を持ってたから、樽一つ分用意したんだ」


 ドワーフのみが作り出せる最強の酒――それが陸酔だ。

 一滴でドワーフが呑める一晩分ギリギリ、という度数の強さを誇る。

 当然のことながら、楽しく呑む為には、ドワーフなら大ジョッキに一滴で、人間なら大樽に一滴で、割ることが必須だ。

 俺はその陸酔を、割ったのではない、そのままの状態で、小瓶一つ分持っていたのである。


「り、りくすいの原酒ってソレ……」

「王族だってそんな物――」

 リリィと耳聡く聞いていたサラが驚いた表情で呟く。

 陸酔の原酒は非常に高価だ。人間が呑める程度にただ水で割った物でも、ラチハーク外では高級品に属する。それを一滴で樽一つ作り出せるのだから、高くて当たり前である。

 しかも、ただ金を用意出来れば手に入れられる物でもない。目玉が飛び出る程の金に加えて、コネとツテがないと話にならないのだ。

 当然ただの冒険者が持っていていい物ではないし、ノンプ家に妙な疑念を与えるのはマズイ。

 俺は二人の疑問には答えずに、ノンプと奥さんに頭を下げた。

「では、ありがたくいただきます。――イクシス、まだだ」

 最後の一言に、テーブルの上で肉を狙っていたイクシスが止まった。

「そのコもウチの子も我慢できねぇようだから、さっさと食うか。んじゃ、乾杯!」

 ノンプの簡単な合図を皮切りに、俺達はジョッキとコップを打ち合わせた。


「う……うめェエエエエエエエッ!!」

 ジョッキを煽ったノンプがいきなり叫んだ。


 だが、子供達を除いて誰もそのことに驚かない。先に陸酔の美味さに驚いてしまったからだ。

「これは……凄いな」

 傍目にはただの水のようなコップの中身を見つめて、ルースが呟く。

 俺も頷くしかない。

「ああ。実は俺も初めて呑んだんだが……。うん、ちょっと驚いた」

「あたしも匂いだけは嗅いだ事あったけど、こんな味だったのね」

「ひ――リリィさん、貴女はほんの少しにしておいた方が……」

 姫様と言いかけたサラが変な口調でリリィに忠告したのを見て、俺も言っておかなければならないことがあるのを思い出す。

「あっと、そうだ。美味しいからと言って呑み過ぎるのは厳禁です。この酒が振る舞われるような場では、稀に死者が出るそうなので。幾ら割ってあるとはいってもお酒はお酒ですから、自分の体と相談して、楽しめる範囲で呑んで下さい」

「……そ、そうなのか。ううん。いやァ、それもわかるなァ。これはいい物を頂いてしまった。とてもじゃないが敵わないが、メシの方もどんどん食ってくれ!」

 ノンプが一時離すのも勿体ないという顔で、ジョッキからナイフとフォークに切り替える。

 俺達もそれに倣い、各々スプーンやフォークを握った。

「あ……美味しい」

 リリィがぽつりと呟いた。思わず出てしまったらしい。

 俺も全く同意見だった。

 昼前にリリィとサラが作った食事にも感心したが、ノンプの奥さんの料理には敵わない。それどころか宮殿で出されたコースよりも、俺の舌には合っている。

 肉は鶏をメインに、牛と豚が少し。

 鶏の方は複雑な味付けで、保存食特有の塩味が感じられない。この晩餐の為に絞めてくれたのだろう。

 野菜も新鮮で、しかも種類が豊富だ。

「こんなたくさんの野菜、どこから買ってるんですか?」

 俺が訪ねると、ノンプは胸を張る。

「俺達しかいねぇだろ? 村の敷地内に大きな畑があるのよ。こっちはウチのの仕事だけどなァ」

 リリィがスープを一口飲んで、ため息と共に言った。

「これも素晴らしいですね。ルークセントっぽくない――と言ったら失礼かもしれないですけど」

「たまーに旅の商人を泊めることがあってな。夜になっちまったり、誰かが怪我したり……そういう『帰らずの森』で足止め食った奴らを見かけた時なんか。その時にお礼として貰った調味料とか作り方とかがあるんだわ」

 程良く酔っぱらったノンプは舌も滑らかに説明してくれる。

「ただ、サンシュリックはもうない村だし、俺達も書類の上では隣村に住んでることになってるからなァ。俺達が住んでることはお偉いさんにはナイショってわけで、余所に言いふらさないでくれって頼んでるんだよ」

「そんな状況で我々を助けてくれて、その上こんなご馳走まで――」

 また頭を下げかけた俺にジョッキを突き付け、ノンプは叫んだ。

「だからそれはもういいってことよ! ささ、アンタがくれた酒だ。酌をさせてくれ、にーちゃん!」


 楽しい夕食の時間はあっという間に過ぎた。


 ノンプは酔いが進んでテーブルに突っ伏してしまっていた。俺が渡した陸酔の所為かと思って肝が冷えたが、いつものことだと奥さんが笑っていたので大丈夫だろう。

 その奥さんは夫をそのままにして片づけを始めている。

 女性陣とイクシスが子供達の相手をしていた。

 最初は警戒していた子供達も、今は慣れ、サラの三角形の耳を引っ張るぐらいだ。ルースが子供達を放り投げては受け止めたり、リリィが精霊魔法で空中に絵を描いたりと、それぞれ楽しませているご様子。

 俺はと言えば、そんな光景を眺めながら、残った酒をチビチビ呑んでいた。

 不意に、奥さんが声をかけてきた。

「すみません、夫一人先に寝てしまうなんて……」

「いいえ。ご主人にお話を全て任せてしまいましたから。その分色んな話が聞けて、とても楽しかったんですが。……それに料理も美味しかった。皆さんには足を向けて寝られません」

 酔った俺の下手な冗談にも、奥さんは微笑みを返してくれた。

「お客さんが来るといつもはしゃいでしまうんです。お話や賑やかなことが大好きな人だから」

「では、何故ここに残ったんですか?」


 言ってから、しまったと思った。

 流石に、ただの客が聞くには踏み込み過ぎている質問だ。


 しかし、奥さんは嫌な顔一つせず答えた。

「この人は、賑やかなこと以上にサンシュリック村が好きなんですよ。一度引っ越したのに、ここに誰かを置こうって話になった時に、わざわざ自分から名乗り出たぐらいです。生まれ育った村を諦めきれないだけかもしれませんけど」

 俺が何と返事をしていいか悩んでいるうちに、話は終わってしまった。

 気まずさを誤魔化すように酒を呷れば、視界の隅で、リリィとサラが子供達と一緒に寝入っているのが見える。

 俺が見ているのに気付いて、頭にイクシスを乗せたルースが苦笑した。

「遊び疲れた、の見本みたいだろう?」

「ぐぁーっ」

「まったくだ」

 ルースが言った通りの光景に、俺は頷くしかない。

「あらあら。毛布を持ってきましょうか?」

 そう言って、奥さんが姉弟を同時に抱き抱えた。相当重いだろうに動きに淀みがない。

「そこまで甘える訳にはいきません。私達で、昼に使わせてもらったベッドまで運びます。――今日は本当にありがとうございました。また明日ご挨拶に伺わせてもらいます」

「ぐあ」


 ノンプ家で唯一起きている奥さんに心からのお礼を言ってから、俺がリリィを、ルースがサラを背負って家を出た。

 酔って少し熱い体に、夜の空気が気持ちいい。ついでにリリィの体温と感触も、正直な所、悪くない。

 夜空に星が散っていた。


 ――宮殿を出てから、夜は走り通しで星を見る余裕などなかったなぁ。


 空を見上げつつぼんやりとそんなことを思っている俺に、ルースが小さな声で話しかけてきた。

「いいヒト達だったな」

「ああ。こんな穏やかな時間を過ごせるとは思わなかった」

 昼間使った家までは数分だ。

 ドアに手をかけた所で、またルースが口を開いた。

「二人をベッドまで運んだら、少し時間を貰ってもいいか?」

「何だよ、突然」

 ルースらしくない言い方に、俺は少し戸惑った。今まで俺に気を使うようなことはなかった気がするのだが……。


「いや、身の上話でもしようと思って、な」

6月16日初稿。


2013年11月11日、感想での勇者ああああ様のご意見を受けて場面を追加。

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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