3.街と憲兵
目覚めは最悪だった。
「……――いい加減、起きないかっ!」
「ぐほぅ!?」
「グァン!?」
腹に激痛を感じ、跳ね起きる。
一緒に寝ていた子ドラゴンも俺の勢いに巻き込まれ、ベッドから落ちて声を上げた。
「な、何てことをぅ……!」
夜更かし大好き貴族の次男坊である俺は、基本甘ちゃんお坊ちゃんだ。睡眠不足には弱い。そして、ぐっすり眠っている人間の腹を殴るような奴に出会ったこともない。
しかし、俺の涙目の抗議は、ルースの真っ直ぐな瞳に届かなかったらしい。やけに背筋を伸ばし、腰に手を当てて言い放つ。
「僕は五歳ぐらいの頃からこうして起こされた。すぐに体が慣れて自然と目が覚めるようになる」
「なんつースパルタだよ……」
「とにかくおはよう、カインド。君もな、ドラゴン君」
「クァー」
「……はぁ。ああ、おはよう」
溜息混じりに朝の挨拶を済ませ、窓を見ると、まだ朝の日差しだった。実質三時間も寝てないんじゃないだろうか。
昨夜、あれから。
俺たちはまず後始末の問題でちょっと議論をするはめになった。ルースが遺体の埋葬をしたがったのだ。俺としては早く温かいベッドに行きたかったので、その辺りは憲兵隊の仕事だと説き伏せるしかない。何とか納得して貰えたと思えば、今度はドラゴンの処遇だ。魔物を飼うのは、それが例え子供であっても危険なことだ。俺は森の中なら何とか生きていけるだろうと、もう一度説得したが、今度は梃子でも動かない様子で断固連れて行くべきだ、と言う。ああだこうだ言っている内に、やがて俺が根負けした。眠かったのだ。
という訳でドラゴンを、ここサートレイトへ連れてきてしまった。
常にかまいたがるルースの方が馴れそうなものなのに、ドラゴンは俺のそばから離そうとすると暴れた。盗賊団の厩からちょろまかした馬に乗る頃には、俺のベストについたフードを自分の巣と決めたらしい。ルースは黒魔術でもっと早く帰ることができるだろうに、自分も馬に乗って、俺の後ろからドラゴンに声をかけていた。
暗い森の中を、月明かりと松明を頼りに進むのは、道があって馬に乗っていようと大変だった。街に着いたはいいが、当然門がしまっている。襲撃後ということでしっかり起きていた門番とちょっとした口論になった。最終的には俺の貴族としての身分をちらつかせることで無理に入り込んだようなものだ。
最後には宿の確保という問題が。ようやく遅くまでやっている酒屋を見つけ出して、そこの片隅に二人と一匹が押し込められたのは、そろそろ空が白んでくる頃だったのだ。
「さぁ、憲兵隊の詰め所に行かなければ。街の人々を安心させるのは一刻も早いほうがいい」
やけに元気なルースは報告の為に、こんがり焼き上がったオルトロスの牙を一つ、わざわざ持ってきていた。昨日の夜、彼が素手で大きな牙を引き抜いた時には度肝を抜かれたものだ。
酒屋の親父に二人分の宿代を払い、心からの感謝を伝えてから、憲兵隊の詰め所を目指す。
サートレイトはかなり大きな街だ。通りは馬車がすれ違ってもなお露店を広げるスペースがあり、石畳は近くの人間が掃除でもしているのだろう、清潔だった。そろそろ店を開こうとする人々や巡回に出ようとする下っ端兵士たちの姿が見える。
見渡せば、火事の跡らしき焼け焦げや、割られた窓ガラス、ブチ破られたドアなどが散在している。ただ、昨日の襲撃で少し興奮は残っているものの、すでに日常が戻りつつあるのも見て取れた。
「あー朝日が眩しィ……」
「ふふ、まったく、だらしがないな。そういえばカインド、このドラゴンに名前は付けないのか?」
「まだ飼うって決めた訳じゃねぇよ……」
とは言え、俺のフードにはドラゴンが納まっている。とりあえず連れて来てしまったものの、コイツの扱いも難しい。ルースがお気楽にペット気分で可愛がっていても、ドラゴンはドラゴンだ。しかも盗賊団の倉庫にあった卵から孵ったもので、いくら懐いていたって所有権を主張することは出来ない。例えば、卵がこの街の誰かから奪った物だった場合、返せと言われればドラゴンは返すしかない。
名前など付けてしまえば情が移るに決まってるんだ。候補がないこともないが……、呼びかけたら最後、死ぬまで世話する覚悟を決めなければならなくなる。
まだグチグチ言っているルースをのらりくらりとかわしているうちに、詰め所に着いた。
その途端に。
「――失礼する! 責任者は誰だ?」
「あっ、オイ!」
止める間もなくルースが乗り込みやがった。
この街の規模だ、憲兵隊の詰め所も普通の家より大きい。鎧兜姿の十数人が一斉にこっちを振り返った。
「昨日、この街を襲撃した盗賊団について話がある。責任者を呼んできて欲しい」
「何だお前は?」
手近にいた若者がルースに詰め寄って言った。俺とルースより頭半分背が高い。突然の訪問者に気後れしない態度といい、上から目線といい、憲兵としては素質十分だ。
しかし、ルースの胆力はその辺の憲兵などはるかに超えた本物である。
「昨日の襲撃に居合わせた流れ者だ。あの盗賊団は、我々によって、すでに全滅している」
まぁ、簡潔な説明。
俺はだいぶ慣れていても、ルースの容姿は戦士というより役者の方がしっくりくる。そんな美形が言っているのが、盗賊団をツブしてきた、だ。悪ふざけか頭がおかしいか舞台の度胸をつけようとしているか、向こうの取り方としてはそんなところだろう。
案の定、憲兵たちは苦笑交じりで吹き出した。
「おいおい、奴らはオルトロスまで連れていたんだぞ?」
「ハッ。お前さんが全滅させられるなら、俺達でヴァレンセンを攻め落とせるぜ」
口々にああだこうだと話し出す。ヴァレンセンは軍事国家で苛烈な攻撃をすることで有名な国だ。要するにルースは馬鹿にされている。ちらりと彼を盗み見れば、ああ、こぶしがギリギリいってます。
「落ち着け。問題を起こしに来たんじゃない」
「……わかっている。とにかく責任者を読んで欲しい。証拠もあるんだ」
ルースは背中に背負ったズタ袋から、まるで棍棒のようなオルトロスの牙を取り出した。
さすがにこれで話が通じるだろうと思っていたが。
「フン、こんなモンをそれ見たことかと出されてもな」
「ブハハッ、小道具まで用意してるたぁ、悪ふざけにしても凝り過ぎだろうよ!」
全員で腹をかかえて笑い出す。
しかしあれだけの規模を持った盗賊団に関することなのだ。些細な情報でも欲しいと思わないのだろうか。ルースほどではないが、俺ですらもう少し真面目に仕事をこなしてもらいたいと思ってしまう。
恐る恐るルースを見ると、今度はやけにあっさりした顔で、呟いた。
「良くわかった……」
「ほおー、俺たちに迷惑かけてるのがわかったのかい。だったらすぐにお家へ帰って――」
初めに応対した兵士は最後までしゃべることが出来なかった。
「――貴様らの、愚かさがだっ!!」
ルースが、詰め所も壊れるかと思うほどの大声を出したのだ。昨夜の戦闘ですら、ここまでの声は出していない。ビリビリと空気が振動する。
俺はといえば、ルースの沸点の低さに驚いて制止することも出来ない。
静まり返った憲兵たちを見渡し、ルースの大声は続く。
「先入観から疑いを持つのは構わない。だが、それでも態度というものがある。一人ぐらいは真面目な対応が出来なければ、有益な情報でも取りこぼしてしまうだろう! 貴様らの職務怠慢はそのままこの街の損失に繋がる! 襲撃を知らせる報があったとしても、貴様らはそこで笑っていられるのかっ!!」
実に堂々とした演説は、街の人々を呼び寄せた。ちらほらと通りからこちらを覗き込む視線を感じる。俺としてはあんまり大事にならないようにして欲しかったんですけど……。
憲兵隊が殺気立つ中、詰め所の階段からやけに太った男が姿を現した。
「何なんだ、この馬鹿騒ぎは!?」
今までの連中に輪をかけて偉そうだった。高そうなマントやキッチリ刈られた髭など身なりは良くても、その体つきは運動が得意ではないと如実に語っていた。というかお前の右手のジョッキこそ何なんだ。
「――あ、隊長」
「こいつらが昨日の盗賊団をツブしたとか言うもので……」
のしのしと部下をかきわけ、ルースの正面に立った隊長は、長々とジョッキを呷ってから口を開いた。
「――ふー。こちらも暇ではないのだ。ウソや冗談でからかうなら他所へ行け」
うわ、超酒臭ぇ。朝から仕事場で酒呑んでるのか。
俺とルースは顔を見合わせた。
「責任者までコレじゃあなァ……」
「怒りを通り越して、呆れるしかないな」
いい加減挑発しすぎたか隊長が出て来たことで勢い付いたか、憲兵たちが一歩踏み出して来る。
隊長は詰め所の奥へ向かいつつ、投げやりに腕を振った。
「腕の骨を一、二本折ってやれ。そうすれば少しは頭が良くなるだろう。ただし面倒はごめんだ、殺すなよ」
じわりじわりと迫ってくる憲兵たち。顔には薄笑いを浮かべ、こぶしをポキポキ鳴らす様子は、チンピラと大差ない。昨夜の、頭目に率いられていた盗賊たちの方が、よっぽど連携がとれていた。
ルースはため息を吐いて、言った。
「……身をもって学んでもらうしかないようだ」
その言葉が終わる前に、手近にいた憲兵二人が飛んだ。後ろの男を押しのけるようにして、床に転がっていく。
「ぐぅ、はぁっ……」
「うっ……ぐぅうう~」
腹を押さえて呻くしかない憲兵たち。恐れ慄くその他大勢。隊長に至っては、木製のジョッキを落としていた。
ついに手を出してしまったのね。相手は一応お国に任命された憲兵たち。流れ者の君は今後近付かなければいいのかもしれないけれど、俺は年一ぐらいでこの国通らなきゃいけないんだ。お尋ね者とか本当に勘弁してほしい。あと、朝のアレは思いっきり手加減してくれてたんだなぁ。
俺が現実逃避している間にも、ルースの大立ち回りはしっかり続いていた。
「その痛み、しかと思い知れ」
ほとんど適当にしか見えない動きで、一人一人的確に攻撃を加えていく。大体が腹を殴られるか、脇腹を蹴られた。恐ろしいことに、彼はその場からほとんど動いていない。良く見れば、誰一人気絶すらしていなかった。その上、血の一滴も流れていないのだ。床に這いつくばった憲兵たちは一様に腹を押さえて呻き続けている。
事が終わるまでに要した時間は、一、二分。唯一攻撃を受けていない隊長は、それでもさっきまでのほろ酔いがいっぺんに冷めてしまったらしく、顔を真っ青にして震えていた。
「さて、隊長というからには当然他の者よりは強いんだろう?」
ルースが怖い顔で隊長に詰め寄ろうとしたので、ようやく我に返った俺は、前に出た。ありったけの自制心を動員して、極々冷静に見えるように取り繕う。
「はい、ストップ。落ち着けって言っただろ」
「しかしっ」
「もう相手は十分に面子潰されてるよ。これ以上はやりすぎだ」
この時点で、何の後ろ立てもなければお尋ね者になってもおかしくない状況だ。とりあえず交渉の余地は残しておいた方がいい。
震えが治まらない隊長に向き直る。
「盗賊団の壊滅は本当なんです。運悪く居合わせました」
「……」
未だにショックから抜け切れていない隊長は、馬鹿みたいな顔で黙ったまま。今のうちに情報を詰め込んでおこう。
「まずは彼の無礼をお詫びさせてください。何せ、この通り武骨者でして。ですが、彼の言葉は、この街の平和と繁栄、そして皆様の輝かしい名誉を望んでのこと。どうか、そのことはわかっていただきたいのです」
ルースを盗み見ると、顔を真っ赤に、目を三角にしている。俺は隊長と彼の間をさりげなく遮って『まぁ待て』の意思表示をする。
「…………ぅ……うむ」
「寛大なお心遣い、感謝いたします」
「ああ、まぁな」
先に頭を下げて、ただの相槌を言質に変えることに成功。
「さて、その時の状況を説明させていただきます。私自身は捕らわれていましたし、私の護衛は奴らと、いざ剣を交えようとしたところでした。よって正確なことはわからないのです。しかしながら、とんでもない爆発が起こったことだけは確かです」
「――爆発?」
「はい。学のない私には、何が起こったのかわからないほどの爆発でした。それにより、大半の盗賊共は焼死しましたし、運よく残った者も、この、私の護衛が斬り捨てました」
そう言ってルースを指し示す。
「………そうか、爆発か………」
「奪われていたと思しき品物は、おそらくですが、ほぼ無事です」
そこで少し間を開け、隊長にギリギリ届く程度に声を押さえる。
「我々は通りすがりの身の上ですので、これ以上の干渉は致しません。よって、盗賊団の壊滅も財宝の奪還も未だ手付かずと言っていいでしょう。私としては――事は急を要する、かと」
隊長の目に、理解の光が見え始める。俺は、手柄はいりませんよ、と言っているのだ。
「…………うむ。わかった。急いで確認させよう」
「迅速なご判断、感服いたします」
これで問題はないだろう。やや回り道はしたものの、こっちの要望は通った。
「ただし、確認が済むまでこの街から離れてもらっては困る」
「……はい?」
「私個人の判断では嘘は言っていないと思うが、念の為だ。それとも何かマズいことでもあるのかね?」
ルースを見れば、諦めなのか呆れなのか、軽く目をつぶったままの無表情だった。何も意見がないということでいいのだろう。俺としても、まぁ、余裕のない旅でもないし。
「わかりました。我々の出発は明朝にいたします」
「うむ。今日の夕方には確認も終わっていよう。もう一度ここに来てくれ」
「では、お時間を割いていただきありがとうございました。失礼いたします」
少し強引にルースの背中を押し、二人で頭を下げた。
俺たちはさっさと詰め所を後にしたが、まだ呻いている憲兵を怒鳴る隊長の声が、しっかり聞こえてきた。
すでに集まっていた人々もそれぞれの仕事に戻っている。
「あそこまでこちらを侮辱しておきながら、詫びの一つもなく、その上、また来い、だと……!」
わりと良くやったつもりだった俺の横で、ルースは不満をぶちまけている。
「君も君だ! 何だ、あのへりくだった態度はっ!?」
「グアー!」
さっきまで大人しくしていた子ドラゴンと一緒になって、矛先をこっちに変えてきやがった。このドラゴンはわりと空気を読むというか、まるで言葉がわかっているように見えることがあるな。
「結果で見れば、明日まで出発出来ないこと以外、上手くいっただろうが……」
「君は子爵令息だろう! 普通、貴族はもっとプライドを大事にするんじゃないのか!?」
「そんなプライドは旅をする上では邪魔だね。大体、俺は権威をチラつかせるつもりだったのに、さっさと乗り込んでケンカ腰になったのはお前じゃねぇか」
「ぐっ……」
それでも、隣国で我が家の権威が通じたかどうかは微妙なところだ。ここ――ルークセント王国は、俺の母国ラチハークから見ると北に国境を接する。あの隊長がウチの家紋を見て、貴族だと気付く保証はなかったんだが、それはルースには伏せておこう。
「ま、あの演説には、俺もスカっとしたけどな」
俺がそう言っても、ルースはまだ機嫌が晴れないのか、顔をしかめていた。
充分に憲兵の詰め所から離れたことを確認して、俺はルースに尋ねた。
「で、一日縛られちまったけど、どうするよ?」
「ああ、あの人にも報告しないと」
「あの人って?」
答えるよりも前に、ルースはさっさと道を曲がった。
「盗賊団が襲ってきた時に、僕に助けを求めた女性だ。奴らのアジトを教えてくれた。彼女と会ったのは、門の近くにある料理屋だったから、そこに行ってみよう」
初稿9月11日