29.友の、言葉
俺は、親友の人生を奪っている。
ソイツの名前はモント・トレズゥロという。
人間の父親とドワーフの母親の間に生まれたハーフドワーフだ。腕っ節も走る速さも同世代の中で一番で、どんな相手にも物怖じせず、器もでかい奴だった。
次男坊で後継ぎではない俺は、あまり父上に関心を持たれなかった。自然と屋敷では自分の居場所を見つけられず、八歳ぐらいからメイプラの街を出歩くようになった。俺には無関心でも有能な父上のおかげでメイプラはとても治安が良かったのだ。
そのおかげで、子供が一人でブラブラ出来たんだから、今思い出すと複雑な気持ちになる。
モントとは街の路地裏で出会った。
腕っ節を頼りに猪突猛進しがちなモントと、口だけは回る頭でっかちの俺は、何故かウマが合い、すぐに親友になれた。
その後の四、五年は街中で育ったようなものだ。俺達は二人で街中を走り回り、他の悪ガキ達と喧嘩をし、彼らを従え別の悪事を働き、時として大人達に思いっきり怒られた。
ああ、それに俺が飼っていた犬も一緒だったな。
やがて身長がグッと伸び出す頃、モントが突然言い出した。
――俺は冒険者になりたい――と。
モントの母方の祖父は、街のすぐ近くにある山で鍛冶師を営むドワーフだった。俺はモントの祖父を親方と呼んでいた。
俺達は山歩きが出来るようになった頃から親方の鍛冶場に入り浸り、彼の話を聞いていた。特に、若かりし頃の話が好きだった。親方は若い時分に冒険者として世界中を訪ね歩いていたのだ。
俺達は、親方の物語――様々な出会いと別れ、凶悪な魔物との戦い、不可思議で強力な魔法の数々、そして、そこでしか見られない景色――に、憧れた。
俺などはただ羨ましいと思っただけだが、モントは違った。
彼は本気で冒険者を目指し始めた。
単純な鍛錬から剣術の修行を経て、元から強かったハーフドワーフは、街でも十本の指に入る剣士になった。と言っても、メイプラは武術がそれほど盛んではなかったから、駈け出し冒険者としてなら合格点、ぐらいのものだったのだろう。
それでも俺には眩しかった。
俺だって剣を握ろうとしたことはあったが、すぐに投げ出してばかりいたのだから。
その上、貴族としての勉強にも身が入らず、英雄譚や冒険記ばかりを読み漁っていた。憧れながらも手に入らないであろう理想を、本に求めたのだ。
モントも俺とは違う方向ながら興味を示し、良く屋敷から持ち出した本を彼に貸した。
俺達の共通の話題が、英雄や冒険者のことばかりになってしまったぐらいだ。
それに、俺は相変わらず親方の話も好きだった。修行で忙しかったモントより頻繁に顔を見せる俺の方が孫みたいだと、親方はよく言っていたもんだ。
そんな中、今から一年と少し前の事。
俺は、渋るモントを山歩きへと強引に誘った。
「まだ雪が残ってるって。危ねえぞ」
「そんなこと言って、ただ剣振りたいだけだろ? そろそろ試合も近付いてきて、これからますます付き合い悪くなるんだし、たまの休みぐらいこっちに合わせてくれ」
実の所、俺はモントを気遣ったつもりだった。
剣術道場での門下生同士での試合が一月後に迫っていた。モントの両親が出した冒険者になる為の条件が、この試合で全員に勝つことだったので、モントの入れ込みようは半端じゃなかった。
俺からしてみれば、モントの実力は頭一つ抜け出ていたし、鍛錬のし過ぎで怪我をするよりは息抜きの一つでもしておいた方が勝率が上がると思ったのだ。
「わぁったよ。でも、準備だけはちゃんとしとこうぜ」
俺の準備は厚着をしただけだが、モントは古びた剣をベルトに差し込んだ。
小さな頃から丸腰で通っている山に武器を持って行くモントが、何だかおかしかったのを良く覚えている。
親友とののんびりとした山歩きは楽しかった。
普段なら寄って行く鍛冶場を尻目に、一気に山頂まで足を伸ばすほどに。
「いやいや、俺はクレア・トワとクウォン王女は同一人物派だから」
肩を竦めながら言った俺の台詞を、モントはばっさり切り捨てる。
「ありえねぇー。ハークロウの王女が何でユミル学院に入れるんだよ」
「だから偽名使ってるんだろ。どっちも女だし、年代が一緒だし。何よりロマンがあるじゃないか」
「ロマンで一国の王女をアレイド・アークの弟子にされた日にゃあ、歴史家は全員ペンをなげなきゃならなくなる――、ッ!?」
いつも通りの無駄話は唐突に終わりを告げた。
二匹のハーピーが空から舞い下りてきたからだ。
女性の顔と胸元を持った大きな鳥、ハーピー。ただ、その顔は酷く醜く、いつも凶悪に歪んでいる。
本で読んで想像していたよりも、威嚇する様に翼を広げた姿は大きかった。猫背なのに軽く見上げる位置に頭がある。
二、三年に一度ほどの頻度で出現が報告されることはあっても、俺が実際に目にするのは、その時が初めてだった。
山頂近くで、誰かが通りがかる可能性はほとんどなかった。間違いなく、俺達を食料にするつもりだっただろう。異常に大きな口には牙が生え、だらだらと涎が垂れるに任せていた。
「……ッ」
俺が声もなく一歩下がる間に、モントは音高く腰の剣を抜いて正眼に構えた。
「……カインド、少しずつ下がれ……!」
「いや、でもッ、相手は二匹だぞっ!?」
俺はモントの背中に叫んだ。
だが仮に一匹であろうと、空を飛べるハーピー相手に逃げ切ることは難しい。冷静なフリをして意見を言っただけだった。
「ハーピーは臆病だってジィさんが言ってたし、誰かの英雄譚にも載ってたろ。逃げたら向こうが調子づく。だから、お前も逃げるな」
モントは本当に落ち着いていた。
それこそ――本物の冒険者のように。
俺達は二人揃って、少しずつ少しずつ距離を取った。
「ハーピーとの間に、必ず俺を挟んで盾にしろ。でも近付き過ぎるなよ。俺がお前を斬っちまったら、メイプラにいられなくなるからな」
「わ、わかった」
モントが構える剣は刃渡り70cmほどで、装飾一つない実用的な一振りだった。
俺は1mを目安に距離を取り、ハーピーとモントの背中を同時に視界に収めた。
「ヒュァア――――――ッ!!」
「ハァッ!!」
二匹のハーピーが上げる悲鳴のような鳴き声と、モントの気合い声が重なった。
実際のところ、戦闘はそれほど長くはかからなかった。
まずハーピー達が空に舞い上がり、一匹が急降下してきた。怯える俺を狙った鉤爪の一撃が繰り出される。モントはそれを剣で弾き、軌道を変えた。地面のすぐ近くで大きく羽ばたいたハーピーは、その巨体が災いして、一瞬動きが止まった。モントがその隙を逃さず、剣を真横に振るう。武骨な剣がハーピーの翼を斬り付け、薄汚れた羽が十枚以上散った。
「ヒィアアアァァァアアッ!!」
耳が馬鹿になるかと思うほどの甲高い鳴き声が、雪の残る山々に響いた。翼を傷付けられたハーピーが地面を転げまわる。
「もう一匹も俺が相手をする! お前はそっちを見ててくれ!」
モントは叫びながら俺の前に出た。残る一匹も同じ様に急降下してくる。
今度の標的はモントだった。
思った以上に重い音がして、ハーピーの鉤爪とモントの剣がぶつかった。
「ぐ……ぅっ!!」
「キィヤァアアアッ!!」
唸りながらも踏ん張るモントと、足踏みをする様に何度も鉤爪を振り下ろすハーピー。金属質な音は十回近くしただろうか。両足の爪が交互に襲いかかるのを、モントは倍の速度で剣を突き上げた。それでなくても、ほぼ真上からの攻撃に対して下から応戦している。
俺は、やがて凌ぎきれなくなる、とそう思った。
しかし、モントは俺より先を見据えていた。
突然、防ぐのではなく倒れこむようにして避けたのだ。おそらく攻撃が通用しないことに苛立っていたハーピーは、避けられることなど想像もしていなかったに違いない。体重を乗せ過ぎた一撃は、空振りすることによって、ハーピーの体を地表近くまで下げていた。当然のことながら、そこはモントの間合いである。
「だぁッ!」
気合い声と共に、モントは左手一本で薙いだ。
やや斜め上に走る軌道を描いた一閃は、あっけないほど簡単にハーピーの胴を切り裂いた。
大げさなほど体を倒したのは、反動を得る為だったのだ。
今度は悲鳴を上げることもなく、ハーピーは地面に落下した。地面に血が広がっていく。痙攣はしているが、そう長くはないだろう。
「――ッ!?」
戦慄と安心を同時に感じていた俺は、それまで地面でもがいていた一匹目のハーピーが羽ばたき始めたのに気が付いた。
「モント、逃げるぞッ!」
翼を傷付けられたハーピーは、宙に浮かぶ事は出来たが、どうやらそれ以上高く上がるのは無理な様だった。
フラフラと山頂へと向かう道を逃げていく。
俺は反射的に後を追った。
「おい、無理して追いかけることはねぇって!」
抜き身の剣を握ったままのモントが、追いかけてきた。
普段なら走るぐらいでは呼吸を乱したりしない奴なのに、やけに息が上がっている。ハーピーとの戦いは、傍で見ている以上に体力を消耗したらしい。
俺はハーピーを見据えたまま怒鳴り返した。
「せっかく手負いにッしたんだ! 仕留めれば、後々、それだけ被害が減るだろ!」
武器も持たず、戦う術も知らない自分に何が出来ると思っていたのか。
今思い出そうとしても、わからない。
とにかく、衝動的に走り出した俺は後々などと口にしながら、その場の状況を真剣に考えていなかったのだ。
幸いだったのは、ハーピーが俺の事も脅威に含めていた事だった。手負いの怪鳥は俺に何かしようとはしてこなかった。
飛ぶというよりは、跳び上がっては落ちる事を繰り返しながら、ハーピーは道に沿って山を登って行った。
俺も息が上がってきて、そろそろ諦めようかという頃。
ハーピーがフラフラと雪に覆われた地面に下りた。
木々が途切れ、周囲の山々と抜けるような空が見渡せる場所だ。思ったよりも登ってきたので、辺り一面が雪だった。
「やれるぞ、モント!」
「待てっつーの!」
勇んで飛び出そうとした俺を、ようやくモントが捕まえた。服の裾を掴まれ、強引に足を止めさせられた。
「お前ナイフ一つ持ってねぇじゃねぇか! 素手でハーピー殺せるのかよ!」
「あ――、そういやそうだな……」
当たり前過ぎるモントの注意に、俺は我に返った。
静かな山の頂上近くに、俺達の少し早い息遣いとハーピーが羽ばたこうとする羽音だけが響いた。
バツの悪さから俺が苦笑いを浮かべていると、モントはため息をついた。
「――ったく何を興奮してんだ。それは俺の役目だろうが」
「あー、いや……。すまん」
モントの言う通りだった。
興奮して周りが見えなくなるなんて俺らしくない。そもそも、俺が先行して走ることすら稀だったぐらいだ。
「ま、いいけどよ」
大抵の事をその一言で済ませるのが親友の器が大きい所だった。モントはチラリと魔物を見やって続けた。
「まだバタバタしてるし、お前じゃ心配だし。俺がヤルぞ。いいな?」
「ああ、そうだな」
俺が頷き一歩下がると、モントは静かに呼吸を整え始める。まだ雪の上でもがいているハーピーを見据え、剣を正眼にゆっくりと構えた。腰を落とし、ジリジリと足を広げていく街の道場が教える基本の構えだった。
「ダァアアッ!」
山々にこだまする程の声を上げ、モントがハーピーに突っ込んだ。
一匹目を倒した技の冴えを見れば、この一撃で終わりなのは俺にもわかった。
最初の――そして俺にとっては最後でもある――冒険も終わりか。
結局戦ったのはモントだけだが、街で話すのは唯一の目撃者である俺になる。少々の脚色を加えて武勇伝に仕立て上げれば、旅立つ冒険者への最高のはなむけになる筈だ。
話を聞けば、モントの両親もいくらか安心して彼を送り出せるだろう。
……これから先、幼馴染がどれほど高くまで昇りつめようと、物語の最初に俺がいる。
本気で街を出る勇気もない俺が、英雄モント・トレズゥロと同じ道を一歩でも歩いたことになるかもしれない。
俺はぼんやりとそんなことを思った。
だが、ハーピーまであと二歩という所で、モントの足が沈んだ。
「――ぁ」
その声はモントのものだったか、俺のものだったか。
辺り一面の雪に、モントの足下から放射状に亀裂が走った。しかし、土は――地面は見えない。崩れた雪を遮る物は何もなかった。
ハーピーが下り立ったのは、崖から雪だけが張り出した場所だったのだ。
ガクンとモントとハーピーの体が下がった。
ゆっくりと体を捻ってこちらを見るモントの顔は、恐怖よりも純粋な驚きに満ちていた。
「――モ、モントォッ!」
俺は慌てて駆け寄ろうと雪を蹴った。
水の中で走っているような感覚だった。
一歩一歩がもどかしいほどに遅い。
その上、雪に足がとられた。
遠いのは分かっていたのに、俺は必死に腕を伸ばした。
モントも左手を伸ばしてきた。
届かなかった。
俺はモントの指先に触ることも出来なかった。
お互いに相手の顔から眼をそらさないこと。俺達に出来たのはそれぐらいだった。
見開かれたモントの瞳には、恐怖に歪む俺の顔が映っていた。
「じゃあ、その、君の親友は……」
ルースが今にも泣きだしそうな顔で言った。
「雪が張り出してたのは、崖は崖だったが、途中から少しずつ斜めになっていくような斜面とも言える場所だったんだ。不幸中の幸いと言えるな。モントは一命を取り留めた。だけど――」
暗く静かな穴の底。小さな焚火を挟んで、俺とルースは座り込んでいた。
まだサラ達が戻ってきた兆候はない。
「――だけど、最初の落下は結構な高さからだった。その衝撃を受けたのは彼の腰だったらしい。……モントは、道場の試合に参加出来なかった。そして、街で最高の再生魔術師ですら、体の奥底までのダメージは治せなかった――」
その事実を口にするのが怖くて、思わず言葉を切ってしまう。
ルースが息を呑むのが見えたが、気にしていられなかった。思い出が感情を掻き乱そうとするのを必死に抑えていたからだ。
「アイツの……モントの足は……動かなくなってしまった」
絞り出すように、そう言うのが精いっぱいだった。
「…………」
ルースも言葉が見つからないようだ。
二人で長い時間、焚火を見つめていた。
「……グァ……」
イクシスが俺を見上げて鳴き声を上げた。無意識に頭を撫でていたことに、気が付いた。
小さなドラゴンの赤い鬣は手触りが良く、撫でていると自分の気持ちが落ち着いていくのがわかった。最後に黒い鱗に覆われた鼻先を掻いてやり、俺はゆっくりと口を開いた。
「……俺は、モントになかなか会いに行けなかった。合わせる顔がなかったし、責められるのも罵られるのも怖かった。結局、屋敷に引き籠って、使用人に経過を聞きに行かせるぐらいしか出来なかったな。でも、一月か二月経った頃、屋敷に一通の手紙が届いたんだ。モントの字で、会いに来いと書かれていた――」
モントに会ったのは、手紙を受け取ってから数日経った、ある日の午後だった。
ドアを叩く事も出来ずに顔を伏せて引き返す、そんなことを何度も繰り返したからだ。
ようやく意を決して対面した時、モントは大きなクッションを背もたれ代わりにしてベッドの上に座り、本を読んでいた。俺が貸したガンダルシアの双子に関する研究書だった。
「おせーぞ、カインド」
本を閉じながら、モントが言った。
いつも通りの笑顔だった。
責められるのは覚悟していたけれど、笑顔を向けられるのは予想していなかった。その分、俺にとっては衝撃だったんだと思う。
全身から血の気が引き、代わりに涙が溢れそうになった。しかし、俺が泣いていい訳がない。
俺は床に崩れ落ち、ただただ頭を下げた。
宥めるモントの言葉も聞かずに、何度も何度も謝った。
「いいから顔を上げろって」
モントのため息混じりの言葉に、俺はようやく顔を上げた。
多分数十分経っていただろう。
「お前に謝ってもらう必要はねぇよ。足場の確認もしてなかった俺が悪いんだから」
「……でも! でも!! 山に誘ったのも、武器も持たずにハーピー追いかけたのも、お前に止めを任せたのも、全部俺だッ!! たまたま出てきた魔物に興奮して、冒険者気取りで! 何の力もない癖に!!」
俺は床に這いつくばったまま、叫んだ。
その時は謝っているつもりだったが、溜まっていたモノを吐き出していただけだ。
モントに責められるのが怖くて、先回りで自分を責めていただけだ。
「そういう状況全部ひっくるめて自分の責任だ、ってのが、俺が憧れた冒険者だろ? お前が責任感じるこたぁ――」
「その冒険者になる夢だって、俺が! 俺が……」
「だから! お前の所為なんかじゃないって言ってるだろうが!!」
モントが苛立ちを隠さずに怒鳴った。
自己否定に酔っていた俺は、固まった。
ようやく少し落ち着いた俺を確認して、モントはゆっくりと息をついた。
久しぶりに俺の頭が回転し出した。
これでは相手の感情を損ねるだけじゃないか。
こんなことを、モントは望んで等いない。
じゃあ、どうすればいい?
俺にとっては気まずい数分の沈黙があった。
「……そんなに気にしてるなら、一つ頼み事を聞いてくれよ」
ポツリと、モントが呟いた。
言うか言わないか迷ったのか、いつもの彼らしくない言い方だった。
「な、何だ?」
ほんの少しでも償うことが出来るのなら。
俺は膝をついたままベッドに近付いた。
「お前が、冒険してこい」
モントが俺に人差指を突き付けて、言った。
「――……え?」
「俺の目や耳になって、色んな物を、出来事を体験してくるんだ。んで、それを俺に伝える。ジィさんが俺達にしてくれたようにな」
「でも……それは……」
俺自身が、出来ることならばやってみたいと望んでいたことだ。
自分のしたい事をしたって贖罪になんて、ならない。
そう言いかけた俺を、モントは真面目な表情で止めた。まっすぐ向けてくる視線は、俺の内心を見通している様だった。
「もちろんコレは無理難題だ。後継ぎじゃなかろうがお前は一生貴族で、この街にいれば食うに困ることはない。それを放り出して、わざわざ旅に出ろって言ってるんだから。どんなに金をかけたって危険は付き物だし、最悪死ぬ事だってある。それに、お前は剣も魔法もてんで使えないヘタレだ。も一つオマケに言えば、オヤジさんがスゲー怖い」
「……っ」
なかなか踏み出せなかった理由を正確に言い当てられて、俺は言葉を呑んだ。
自由に生きようとするモントを羨ましいと思う一方で、安定した生活を捨てることも危険に身を晒すことも、そして父上に反発することも、恐れていた。
「でも、他の誰かじゃ駄目なんだ。それじゃあ、ただの本を読むのと変わらない。どこかの誰かの話じゃなくて、良く知るお前が体験した話なら――」
モントはそこで言葉を切って、笑った。
何の他意もない、子供の様な笑顔だった。
「――お前が語る物語なら、きっと、自分が体験するのと同じ様に楽しめると思うんだ」
モントの台詞は、まるで魂の奥底に投げ込まれたかの様に、俺の中心にストンと落ちた。
俺は顔を伏せた。
きっとモントは知っている。俺が彼を羨ましがっていたことを。それでも一歩を踏み出せなかったことを。
その上で、俺に夢を託してくれたのだ。
モントに報いる為には、立ち止まっていちゃいけない。
自分の感情を確認した俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「…………俺じゃなきゃ、出来ないことなんだな」
「そうだ。出来れば楽しい話を頼むぜ。俺は完璧なハッピーエンドが好きなんだから」
「ああ、そうだな。めでたしめでたしで終わる様なやつを、仕入れてくるよ」
ルースが呆れたような表情でため息をついた。
「……それでさっきあんなことを言ったんだな……」
「そうだ。俺はモントの代わりに、ここにいる。アイツならか弱い女性を見殺しにする事は、絶対にあり得ない。そんな親友に、必死に頑張る王女を見殺しにしました、なんて言える訳ないだろ。それでなくてもアイツは仲間の死とかやむを得ない犠牲とか、いきなり本に怒鳴るぐらい大っ嫌いだったんだから」
「まぁ、納得は出来ないが、理解は出来た。これで、君の今までの行動も色々と説明がつく。弱い癖にチョロチョロと動くところや、厄介事を面倒臭がるわりにいざとなると逃げ出さないところなんかが」
やれやれ、これで殴られることは回避出来たか。
自分でも整理出来ていない出来事だが、拙いなりに語った甲斐があったというものだ。
「でも、だ」
焚火の向こうからルースがぬうっと腕を伸ばしてきた。
俺の顔の前で、中指だけを折り曲げ、親指で抑える。
「君が死んだら、誰がモントに話をするんだ!」
ルースが怒鳴るのと同時に、彼女の中指が弾かれた。
額にとんでもない衝撃。
「ってえッ!?」
黒い大剣を振り回す右手が繰り出したデコピンは、魔法を撃ち込まれた様な痛みをもたらした。
俺は額を抑えてひっくり返った。
「ぐぁ!?」
膝にいたイクシスが驚いて暴れるのも、土埃が舞うのも気にしていられない。
「助けたいという気持ちは素晴らしいし、その為に自分の安全すら投げ出せるというのは一種の才能だと思う。だが、頭の回転が速いからか、君は諦めるのが早過ぎる。そんな大事な目的があるんなら余計に、最後の最後まで諦めちゃダメだ」
涙目で顔を向ければ、ルースはうんうんと一人で頷いている。
「……今後は諦めて目を瞑りそうになる度に、額の痛みを思い出すだろうな……」
「そうなるように、ちょっと強めにやったんだ」
ルースは立ち上がると、天を仰いだ。
ずっと話していた俺には時間経過はよくわからない。
落ちてから一時間は寝ていたというし、そろそろサラ達がロープを持ってきてもいい頃だと思うが……。
仰向けに寝転がったまま、眠気に身を任せてしまおうかと思っていると、ルースが口を開いた。
「――ユミル学院へ行くって言ってただろう。でも、さっきの話からすると、父親に対するただの方便なのか? 近付くことも出来てないのに、あんまり気にしてないように見えるぞ」
俺は頭の中で、説明の仕方を考えてから、答えた。
「まぁ、方便って言えば方便だ。街を出るのに父上がしぶしぶ出した条件が、ラチハーク王都かユミル学院かのどっちに行くことだったんだよ。ユミルの方が色々面白そうだから選んだってだけ。行けないとなれば多分勘当されるから、おいそれとメイプラの街に入れなくなる。そうすると、直接モントに会えなくなるから困るんだが……。やっぱり面白い話――リリィ達が抱える問題の解決の方が優先かな。アイツはそっちを望んでるだろうし」
ルースは長い溜息をついた。
「なるほどな。てっきり、もう少し志しがあるのかと思っていたが……」
俺は体を起こして、座り直した。イクシスの首根っこを掴み、フードに入れてやる。
「悪いな。俺にとっての志しは、面白い話を仕入れることだ」
「ぐむー……」
イクシスが眠そうな声を上げた。
腕を組んだルースが苦笑する。イクシスに対してなのか俺に対してなのかは、わからなかった。
「面白い話なぁ……。ああ、そうそう。クレア・トワとクウォン・エシャ・ラ・ハークロウは同一人物だ」
「マジで!?」
思わず腰を浮かせて、俺は叫んだ。
そういえば一つ気になることがある。
この縦穴を落下している時、ルースが叫んだ言葉――『無極流』。由緒正しく、今はもう見ることが出来ないとされている流派だ。
「何でそう断言――」
俺の疑問は、最後まで言えなかった。
突然、ルースが真上を見上げて固まったのだ。
数秒経って、俺の目にもロープが下りてくるのが、見えた。
どうやらサラ達が来てくれたらしい。
「さぁ、昇ろう。君には相当キツイことになりそうだ。まぁ、それも親友に語れるネタにはなるだろうな」
珍しく嫌味を言うルースに、俺は何も答えられなかった。
魔法も使わず自分の体で、どこまであるのかわからない程の高さを、よじ登って行かなければならない。そのことにようやく気が付いたからだ。
5月31日初稿