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28.高い場所に運がない

「……よく気が付いたな……」

 俺のすぐ後ろでルースが感心した様に囁いた。

「リリィ達がドアを開けた時に埃が浮かび上がったんだ。空気の流れがあるなら下に空間があるかも、と思っただけだよ。松明貸してくれ」

 俺は借り受けた松明で、隠されていた空間を照らした。


 これまで見てきた研究所内の規模からすると、幅1mもない階段は狭い印象だ。壁も階段も室内と同じ石材らしい。

 松明の光が届くギリギリの所で階段が終わっているのが見えた。


「偉いわ、カインドッ! さぁ、行きましょう!!」

 突然の大声に驚いて振り向けば、リリィが今にも飛び出しかねない勢いで一歩踏み出した。

「お、お待ち下さい姫様! 一度休憩した方が――」

 サラが慌てた様子で遮る。

 期待と興奮に満ちたリリィの表情が、一気に顰められた。

「今更休憩なんてしてられないわッ! せっかく怪しげな場所を見つけたのよ!!」

 捲し立てるその顔色はかなり悪い。

 元から白い肌だが、今では唇まで紫がかっている。目の下には隈が出来ているのに、眼の光だけがギラギラと強い。

 今にも倒れそうである。

 俺はゆっくりと口を開いた。

「……俺もこのまま進むのは反対だ」

「何言ってるのよ!?」

 リリィがヒステリックに叫んだ。

「隠されてるような場所だぞ。今まで以上に注意していかなきゃらならないんだ。こんな疲れてる状況で挑むのは危険だよ」

「……ッ」

 俺の言葉に、リリィが唇を噛みしめた。まともに反論も出来ないような頭じゃ、どんな罠にでも引っ掛かってしまうだろう。

 魔物ならルースとサラで対処出来る。イクシスの危機察知のおかげで奇襲される心配も少ない。

 しかし、もし罠があるとすれば、全員が細心の注意を払わなければならない。誰か一人のうっかりミスで全滅することだってありえるのだ。

「確かに、どこまで続くかもわからない探索に挑むのは無謀だな。幸いここなら、ある程度安心して休める。一度しっかり英気を養うべきだ」

「ぐぁ~」

 口々に諌める俺達に業を煮やしたのか、リリィが叫んだ。


「――もうこれ以上時間を無駄にしたくないのッ!」

 突然の爆発に驚いた俺の手から松明をひったくると、彼女はそのまま階段を下りていく。


「お、おい!?」

「姫様ッ!!」

 リリィを追って、俺達も慌てて隠し扉の奥へと踏み出した。

 走るまではいっていないが、完全な早足でリリィは進んでいる。最初の数歩というハンデがなかなか詰められない。狭く急な階段は、やけに擦り減っていた。その上一段一段に薄く水が張っていて急ぐ事が難しい。

 現に、三番手のサラは、リリィとの間に入ってしまった俺を追い越すことが出来ないでいた。


 先頭で松明を揺らしながら下りていくリリィは、堰を切ったように捲し立てる。

「……最初は何も出来なかったッ!! あたしは動き出す切っ掛けも掴めずに五日も無駄にしたの! 五日もかけて、部外者を巻き込んで――ようやく一歩目は踏み出せたッ!!」

 狭い階段に王女の声が反響した。

「なのに……なのに、まだ全然進んでないじゃない! この先に『巨獣の卵』があるとは限らない! あったとしても見つけるのにどれだけかかるかわからない! 『巨獣の卵』を手に入れても、フルールを無事に取り返さなきゃならない!! ……もっと――もっともっと急がなくちゃ!!」

 リリィの叫びは、誰かに訴えかけるものではなく、自分への呪いのようだった。


 自分の愚行で友人が危機的状況にあること。一か月という時間制限がある中、自分では何も出来なかったこと。その精神的な負担は重かったことだろう。

 今ようやくそれらしい所まで辿り着けても、何の確証もないこと。捜索の行く末も不透明なこと。そして、目的の物を手にしたとしても、それがゴールではないこと。あやふやな噂を元に、ほとんど賭けで行動しなければならず、先が見えない状況が続いている。


 確かに、俺はどこか『巨獣の卵』さえ手に入れればそれで終わりのような気がしていた。


 そうすれば、ルークセントの者に捕まっても言い訳が出来るし、犯人との交渉は王国の上層部が行える。フルールの解放についてはまた別の話だ、とすら思っていた。この研究所のアレコレを見れば、『巨獣の卵』がある確率は高い。確実ではないが、全力を尽くすだけの価値はある。

 しかし、リリィにとって全ては一つの事件だ。

 フルール解放を目的とするならばまだ第一条件すら満たしていないことになる。当然、まだまだ先は長い。

 俺はそこを見落としていた。

 我慢に我慢を重ね、ようやく動き出せた高揚感が彼女を突っ走らせている、と思い込んでいた。


 違う。

 リリィは、宮殿でただただフルールを心配していた時と同じかそれ以上に、今でも焦っているのだ。


「先が見えないなら、余計に焦るのは禁物だ! 何があるかわからないんだぞ!」

 俺は脇目も振らず進む王女の背中へ呼びかけた。飛び掛かれば止めることも出来るだろうが、相手は女性だし狭苦しい階段でそんなことはしたくない。

「姫様、お待ちくださいっ!!」

「止まるんだ、リリィ!」

 サラとルースの声がすぐ後ろから聞こえてくる。


 リリィが階段を下り終えた所で、俺はようやく彼女の左手を掴むことが出来た。

「――っと!」

「放して!!」

 まるで駄々をこねる子供の様に、リリィは俺が掴む左手を滅茶苦茶に振り回す。このまま放っておいたら松明さえ振り回しそうだ。その上彼女は前に進むことも忘れていない。

「とりあえず落ち着け! お前の言いたいことはわかった――」

「わかってもらおうなんて思ってないっ!!」

 リリィの向こうには大きめの部屋ぐらいの空間が広がっていた。

 相も変わらず白っぽい石材が床と言わず壁と言わず敷かれ、松明の揺れる光で照らされている。正面にある鉄製の扉だけが黒い。

 意外と力が強い王女に引っ張られ、俺も階段を下りきり、床に足をつけた。

 ――これで強引な手段も使える。

 そう思った矢先、三歩ほど先を行っているリリィがこちらを振り返り、叫んだ。

「コレは全部あたし個人の戦いで! あんた達にとっては他人事な――!!」


 彼女は最後まで言うことが出来なかった。

 踏み出した足下から、床板が崩れ出したのだ。

 崩壊は放射状に広がり、部屋全体の床が我先に落ちていく。

「――ぁ――!?」

 リリィが体勢を崩しながらも、視線を足下に向けるのが見えた。


 途端に頭によぎる一つの光景。

 背の高い木々の外れ。

 崩れ落ちる足下。

 伸ばす腕は短い。

 届かない。

 そして、見開かれる瞳に映る、俺の顔。


「グァーッ!」

 イクシスの鳴き声で我に返った。

 気が付けば、考える前に俺の体が反応している。

「――ぐぅッ!」

 俺は握ったままだったリリィの手を引き寄せていた。


 ――彼女の体が落下の勢いをつける前に、何としてもこちらへ!


 左足は床についているが、右足はまだ階段に残っていて、力が入りづらい。

 左足に力を込め、体を反らせるその途中――左足を乗せていた床が抜けた。

 リリィの足下から始まった崩落が、部屋の端まで到達したのだ。

 絶望感が足の裏から頭の天辺まで駆け上がる。

「ぅ、あ――」

 勝手に口から声が出る。重心は左足に預けていたので、体は前に倒れていく。今から体勢を立て直すのは、俺では無理そうだ。

 それならば。

「――ぁぁぁああああッ!!」


 俺はリリィを腕の力だけで突き飛ばした。

 後ろに向かって。


 すぐ後ろにはサラがいる。驚いた表情を浮かべた女騎士はそれでも腕を伸ばし、そのままリリィを掴んだ。

 一方、俺の体は崩落で出来た穴に一直線だった。もう右足は階段に触れていない。強引にリリィを突き飛ばしたことでむしろ勢いが付いている。


 ……これは、無理かな……。


 サラがしっかりとリリィを抱き止めたのを眺めながら、ぼんやりと諦める。

 その時俺の頭にあったのは、二つの感情だ。

 高い所ではやっぱり運がないな、という嘆き。

 そしてもう一つは、あの時とは違って助けることが出来た、という安堵だった。



*****

 ルースはリリィの足下が崩れた瞬間から、駈け出そうとした。

 しかし、足場である階段が濡れていて踏みしめられず、その上狭い空間だった為にサラが邪魔になってしまった。一瞬が生死を分ける状況では致命的な遅れだ。

 それでも間に合わせなければならない。

「――!?」

 さらに信じられない光景が目に飛び込んでくる。

 カインドがリリィを突き飛ばしたのだ。

 それも、安全圏である階段に向かって。


 ――この……バカっ!!


 リリィと彼女を抱き止めたサラの脇をすり抜け、ルースは階段の端から腕を差し出した。

 ゆっくりと穴に吸い込まれていくカインドの顔が見えた。呆けた表情を浮かべるその顔には、満足感すら浮かんでいる。

 ルースに気付いたカインドも、ゆっくり手を伸ばしてくる。


 決定的に間に合わない。

 かすることすらなく、カインドが落ちていく。


「カインドッ!」

 ルースは一瞬も迷うこともなく飛び出した。

 思い切り階段を蹴り、やけに大きく深い穴の中へ。

 勢い良く飛び込んだことで、自由落下しているカインドへはあっけなく近付けた。

「――ルース!」

「グァーッ!!」

 カインドと彼のフードに入ったままのイクシスが声を上げる。

 ルースはぶつかる様にして左腕でカインドを抱き締めた。

「ぐっ――はがっ!?」

 力が入り過ぎ、カインドが呻いた。

 ルースはそれを無視して、体を捻り足を下に向ける。同時に右手で<浮かぶ紙切れ(トギルフ・ウォルス)>を描いた。

 <浮かぶ紙切れ(トギルフ・ウォルス)>は、黒魔法にしては、という但し書きは付くが、速度が出ない代わりに馬力のある飛行術だ。

 穴の深さがどれぐらいあるのかわからない状況では<浮かぶ紙切れ(トギルフ・ウォルス)>では間に合わないかもしれない。


 それでも姿勢制御と少々の移動が出来れば何とかなる。


「!?」

 しかし、<浮かぶ紙切れ(トギルフ・ウォルス)>は発動しなかった。魔力を体の外へ出せない。


 ――反魔術結界!


 それも相当高度なものだ。この感覚からすると、どれだけ魔力を振り絞った所で魔法を使うことは不可能だろう。

 ルースは奥歯を噛みしめた。

 飛行魔術を諦め、背中の大剣を抜き放つ。

「無茶をする! しっかりしがみ付いていろッ!!」

 とは言ったものの、穴の直径は部屋一つ分はあり、ルース達はその中央付近を落下中だった。いかに大剣でも壁に届かない。

 闘気術を極めていれば、何もない空中を蹴ることも出来る。だが、ルースはそこまで至っていない。


 どんな物でもいい、一瞬の足場になる物が必要だ。


 限界まで引き延ばされた感覚の中、ルースは一瞬で周囲を見渡した。

 自分達のほぼ真下2mほどに松明。崩れ落ちた床石のうち大きなものは松明よりも下。距離が遠過ぎる。

 左側にやや大きな石。カインドが邪魔で蹴れない。

 後ろ側に小さな石がいくつか。体勢的に無理だ。

 右斜め前に、拳大の石がまるで浮いているかのように見えた。高さは胸元ぐらい。角度は悪いが、足は――届く!


「――無極流大剣術――」


 思い切り高く上げた右足を急ぎつつも慎重に石に触れさせる。

 焦って力が入れば、貴重な足場が体から離れてしまう。

 同時に大剣を逆手に持ちかえ、柄頭に左手を添える。

 刃を右脇の下で水平に。

 全身の闘気を右足の先に集め、ルースは叫んだ。


「弾駒貫ッ!!」


「ッ!?」

「グァッ!?」

 闘気の爆発に耐え切れず石は半球状に砕け、ルース達は反対側に飛んだ。

 壁――地層が刻まれた土に向かって背中側から突っ込む。

 雷進を使っているのに悲しくなるような速度しか出ない。

 それでも衝突の瞬間に体を捻ったことで、脇の下から差し出された黒い大剣は、半分ほど土に突き刺さった。


 だが、落下は止まらない。


「ぐぅぅぅうッ!!」

 ルースは鍔を脇に挟んで大剣にしがみ付いた。さらに大剣が壁から離れないように角度に気を使う。

 この体勢だとヒト二人分の体重が思ったよりもきつい。

「うぁあああああああああッ!?」

「グァア――――――――ッ!?」

 カインドはルースの細い腰に抱きつき、イクシスはフードから振り落とされないように爪を立てていた。それぞれ必死さは同じぐらいだ。

 ゴリゴリと嫌な音をさせながら、大剣は土を切り裂き続ける。あまり抵抗になっている様には見えない。

 それでも若干速度は遅くなったようで、徐々に松明との距離が離れていった。


 ――これなら、何とか――。


 安心しかけたルースの耳に、重い物がぶつかり割れる音が届いた。

「!」

 最初に落ちた床石が底に着いたのだ。

 この勢いではルースでも危険がないとは言えない。カインドやイクシスでは無傷は難しいだろう。

「――くぅッ!」

 ルースは気休めだとわかっていながらも、さらに体を捻り足を振り回し、大剣を土壁に押し込もうとした。

 次々に石材が砕ける音がする。

 魔剣士の腰に齧り付いたカインドが叫んだ。

「ルース! 床が!!」

「わかっているっ!!」

 ルースが答える間にも、松明が地面に当たって火の粉が散った。

 舞い上がった土埃で地面そのものは見えない。

「グゥゥアアアッ!!」

 フードを前足で掴んだイクシスが、必死に翼を動かしていた。自分一匹ならどうとでもなりそうな状況なのに、ヒト二人の落下の勢いに完全に巻き込まれたまま逃げようとは思っていない様だ。


 切れ味鋭い大剣では土を斬るのに力は使わず、落下は一向に止まる気配すら見せない。

 二人と一匹は、まず、土埃に包み込まれた。

*****



 目を開けて最初に目に入ったのは、覗き込んでくるイクシスの鼻先だった。

「ぐぁっ!!」

「……おお、生きてた……」

 自分で出した声に驚いた。

 ガラガラだったのだ。しかも喉がいがらっぽい。


 何度か咳払いをして、俺は体を起こした。

 どうやら地面に横になっていたようだ。

 膝に移ったイクシスがこちらを見上げている。

 無意識にドラゴンの頭を撫でながら、辺りを見回した。

 何が燃えているのかわからないが、小さな焚火がすぐそばにある。大きな部屋ぐらいの広さだ。壁も地面も土で、砕けた白い石がそこかしこに転がっていた。

 見上げても、天井を確認することが出来ない。


 ここは、落とし穴の底だ。

 ぼんやりと視線を動かしてようやく気が付いた。


「……気が付いたのか。痛みはないか?」

 火の届かない暗がりから、ルースが姿を現した。

 どうやら無傷らしい。普段と違う所と言えば、やけに顰められた眉根ぐらいだ。

「あ、ああ。大丈夫だと思う」

 一応立ち上がってから、体を動かして確認してみる。どこにも支障はない。それよりルースの声が持つ迫力に気圧されてしまった。

「脱出は出来そうか?」

「僕一人でも無理だな。ここは反魔術結界が張られている」

 ルースは砕けた石で覆われた地面を足で払って、よく見えるようにした。

 細かい文様と、絵画的にデフォルメされた言葉がびっしり描かれた魔方陣が出てくる。

「しかも偉く出来がいいんだ。壊そうにも、この空間自体に永続性を持たせる仕掛けが施されているらしい」

「なるほど。それで飛ばなかったのか……」

 良く考えれば、研究所内に仕掛けられた罠だ。

 出入りするヒトの中には魔術師も多い。そして、飛行魔術は速度さえ気にしなければ、基本で覚える術である。せっかく落とし穴を掘ったのに、魔法が使用可能では大半が罠を突破してしまう。

 魔法が使えないぐらいの可能性は考えておいて然るべきだった。

「速度を殺しきる前に床に近付いてしまった。僕もイクシスも大丈夫だったけど、君は受け身を取り損ねたようで気絶してしまった。もう一時間ぐらい眠っていたんだぞ」

「え、マジか!?」

 ため息混じりのルースの台詞に、俺は驚いた。

 意識が途切れた自覚はあっても、眠り込んだ感覚はなかった。疲れは残っているし、今でも眠いぐらいだ。

「外傷はなかったから寝かせていたんだが。落下した床石が巻き上げた土埃の方が厄介だったな。とりあえず、君とイクシスの顔に、マントの端を押し当てて凌いだ。余裕が出来たら徹底的に鼻の奥と喉を洗った方がいい」

「グ~ァ~……」

 そう聞くと、余計に喉の奥に何かが詰まっているような気がする。

 俺は一度咳払いをして自分を誤魔化すと、気にかかっていた事を尋ねた。

「リリィやサラは落ちて来なかったんだな?」

「……ああ。君が気絶している間にサラと連絡を取った」

 ルースはそう言って、小さな石を取り出した。

 平たい面があるので石材の一部だろう。何やら人為的に傷がつけられていた。

「声のやり取りは出来なかった。僕の耳じゃ正確に聞き取れなかったんだ。でも、サラの耳には僕の言うことが届いたようで、こうして石を手紙代わりにしてくれた、という訳だ」

 渡された石を焚火にかざして、よく見る。

 確かに字が書かれていた。


『状況は理解した。姫様も無事だ。ロープを探す』


 針か刃物で付けられたと思われる文字はサラが書いたっぽい。文面からも真面目さが窺える。

 文面を見て安心した俺は、長く息をついて、大きめの石材に腰を下ろした。

「なら、あいつ等が助けてくれるのを待つしかないのか。思っていたのとは違うが、一旦休憩だな」


「――まだだ」


 ルースが静かに呟いた。眉根を顰めたまま、見下ろしてくる。美形なだけに、表情の差が大き過ぎる。

 そこでようやく、自分がまだ謝っていないことに気が付いた。

「あ……ああ、そうか。悪かった。お前まで危険に晒しちまったな……って、えッ!?」

 つかつかと歩み寄ってきたルースは、いきなり俺の襟首を掴み上げた。

 そのまま引き寄せられる。

 怒りに染まった美しい顔が、俺の眼前に突き付けられた。

「僕が怒ってるのはそこじゃないッ!! 君は自分の能力をちゃんと理解しているのか!? あの場面でどうしてリリィを助けることを優先した!?」

 サートレイトの憲兵隊詰所で見せた、どこか芝居がかった声の上げ方とは違う。

 おそらく、ルースはあの時よりももっと怒っているのだ。

「や、だって、すでにリリィの手を掴んでたんだぞ……。俺しか助けられなかっただろ?」

「……ッ、違う! 穴に落ちる直前、リリィを階段へ突き飛ばした事を言ってるんだ! あんなことをしたら、君は絶対に落ちるじゃないかッ!! たまたま僕が間に合ったから良かったようなものの、そうじゃなければ君は確実に何も出来ず死んでいた!」

 及び腰になった俺に、ルースは一気にまくし立てた。自分自身の台詞に熱くなっていくように、声が大きくなっていった。

 体感的には、短時間で女性の爆発を二回見たことになる。こんなことは人生初だ。

 俺は混乱した頭で、何とか男装の女剣士を落ち着かせようと口を開いた。

「い、いやお前だって俺を助ける為に――」

「僕は自分の実力を考慮した上で行動している! 反魔術結界は計算外だったが、その程度の誤算はそれこそ、より大きな計算の内に入ってるんだ。さっきの君の行動は、そういう見積もりが一切なかった……」


 ル、ルースさん、顔が触れそうなんですけど……。


「大体、リリィをサラに預けた途端、君は諦めただろう!! 何であんなに簡単に自分を諦められるッ!? 助けたからには、助けた相手の為にも最後まで足掻けッ!!」

 そこでようやくルースは息を付いた。

 珍しく乱した呼吸が俺にかかる。


「リリィが死んだら、どう足掻いたってハッピーエンドにはならないだろう?」


 良く考えもせずに言った俺の言葉に、ルースの髪がざわりと逆立った気がした。

「……よぉく、わかった」

 彼女は握り締めた左の拳を、引き絞る様に体の後ろへ持っていく。すぐそこにある形のいい唇から、最後通告とも取れる言葉が漏れてくる。

「君は、危険も僕も舐めてるんだな。だったら逃れられない危険がどういうものか、僕が教えてやろうじゃないか――」

「――ちょ、ちょっと待てって! 舐めてない、舐めてないッ!」

 俺は慌てて、両手を挙げた。

 しかし、ルースはこちらの話を聞いている様子はない。

「……グァ」

 膝に座り俺を見上げるイクシスの視線も、どことなく冷たい。

「ハッピーエンドだと? 自分のことを主人公だとでも――」

「わかった! ちゃんと説明するからッ! 今のはからかった訳でも、状況を軽く見ている訳でもない! とりあえず、その拳を下ろせ!」

「……ッ!!」


 たっぷり数分間は見つめ合った後。


 ルースは襟元を握った手を離し、ようやく俺を解放してくれた。苛立ちも露わに一頻り歩き回ってから、手近な石材にどすんと腰を下ろした。彼女は腕を組み、真っ直ぐにこっちを見据えてくる。

「…………ひとまず君の話を聞こう。殴るかどうかはその後だ」

「……説明しても殴られるかもしれないのね……」

 俺は覚悟を決めて、座り直した。イクシスの鼻先を掻いてやりつつ軽く息をつく。

「ま、サラ達が来るまで何も出来ないしな。楽しくない話でも暇潰しにはなるか」


 説明するとなると最初からだ。

 目を閉じ、記憶を選ぶ。

 俺にとっては、あまりいい思い出とは言えないが、ルースを納得させる為には話さなければならないだろう。


 ――そう、俺とお前の物語を、だ。

5月13日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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