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25.サンシュリック次世代技術研究所

「俺には雰囲気とかわからないんだが、ここは他の場所とどう違うんだ?」

 魔弾を装填しつつ言った俺の問いに、ようやく硬直から脱したサラが口を開いた。

「簡潔に言えば……、魔物が多く、木々の成長が早い。どちらもヒトが踏み込むのを躊躇するには充分な理由だな」

 ルースが鞘に大剣を納めて、言った。

「森そのもの生命力が強い上に、淀んでいる。ここまで嫌な空気はなかなかないぞ」

 そこまで言われると、俺も緊張してしまう。

 夜とはいえ――いや、夜だからこそか、様々な生き物や魔物が蠢いているかもしれないのだ。耳に届いてくる虫が鳴く音や草が擦れる音までも、どこか不吉な印象に思えてくる。

「……向かってる研究所っていうのは、安全なんだよな?」

 俺は微かな希望を口にして、サラの様子を窺った。

「実際のところ、ここ数年きちんとした調査は行われていない。兵士ならともかく、文官を送り込むには危険すぎるからな。建物そのものが崩れたり、壁や扉が壊れたりはしていない……らしい」


「あやふやすぎる!!」


 もちろん、出発前にその辺のことを聞いていなかった俺自身が悪い。それはわかっていても、俺は文句を言わずにはいられなかった。

「サラとルースがいれば大丈夫よ。ここにいたって危険なんだし、早く行きましょう」

 リリィはそう言って、ようやく息が整ってきた馬の腹を蹴った。そのまま行こうとするのを、サラが慌てて追いかける。

「漠然とした不安にはあんまり怯えないんだな、リリィは」

 先を行くリリィの背中を見ながら、ルースが呟いた。

「そりゃあ、この中じゃ俺が一番勇気ねぇよ……」

「そんなことは言ってない。ほら、あまり離れると危険だ。行こう」

「グァッ!」


 常歩の馬に揺られて数十分。

 森はさらに深くなっていくようだった。一応道そのものは定期的に整備されているらしいが、隙あらば全てを飲み込もうという植物を止めているとは言い難い。枝が高く伸び、空を覆っている所すらある。

 一時間にも満たない間に、何度も魔物に遭遇した。


 まず何頭ものヘルハウンド。

 ハウンドスパイダー以上に素早い動きを見せる犬型魔獣に、ルースが馬から降りることで対抗した。勝手に走る馬の周りを、それ以上の速度でルースが行き来し、馬に襲い掛かってくるヘルハウンドを斬り捨てていった。俺の魔銃はほとんど牽制にしかならなかった。

 やがて群の三分の二をルースが屠った頃、ヘルハウンドは文字通り尻尾を巻いて逃げていった。


 次に風呂三杯分はあろうかというスライム。

 道の脇に生えている木の陰から、ぬるりと道に現れた。<梟の瞳>がかかっている俺には、残念ながら色はわからない。

 どれほど体積があろうとスライムは比較的動きが遅いので、俺が撃った<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>は呆気なく当たった。ゲル状の体は魔力によって構成されていて物理攻撃だとなかなかダメージを与えられないが、魔法には極端に弱い。<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>が穿った後には、黒魔法の直径を超える穴が空いていたぐらいだ。

 二発ばかり撃ち込んでやると、スライムは体積が半分ほどになり、来た時と同じ様にぬるりと森に帰っていった。


 その後には、コボルトが七体現れた。

 コボルトは、犬の頭部にヒトに似た体を持ち、身長は1m少しと子供並みだ。

 左右からの挟み撃ちのつもりだったのだろう、道の両側から二手に別れて這い出してきた。物音一つ立てない、素早く静かな攻撃だった。しかし、こちらには気配を読むのに長けたルースと、それ以上に敏感なイクシスがいる。充分に準備が出来ていた俺達は慌てなかった。

 腰の剣を抜いたサラと例によって魔銃を撃った俺が一匹ずつ、ルースが二匹を倒した。

 残ったコボルト達は、このまま攻めるか逃げるか迷っていたようだが、サラが威嚇するとキャインキャイン吼えながら走り去った。


 あまりの魔物の多さに緊張を解くことが出来ない。

 それでも、ルースもサラも頼りになったし、イクシスの鳴き声が魔物の接近を知らせてくれるので、奇襲やそれに伴う驚きはなかったのが幸いだ。

「コボルトは初めて見たけど、こう一方的に追い散らすと、何か悪いことした気分になるなぁ」

 装填を終えた魔銃をホルスターに収めつつ、俺は感想を漏らした。

 コボルトはヒトに似ていて、体が小さく、ついでに犬型の頭部もどこか愛嬌があった。必死に逃げて行く後姿に、どこか罪悪感を覚えてしまったのだ。

「あんな姿形でも舐めてかかったら痛い目を見るぞ。お前一人で十体近いコボルトに囲まれてみろ、カインド・アスベル・ソーベルズ。一匹倒した時には、もう手足に齧り付かれていてもおかしくない」

 先頭の馬に乗ったサラが、ため息交じりに言った。

「そりゃそうだけどさぁ。――そういや、コボルトと狼獣人って似てるよな。サラの方こそ何とも思ったりしないのか?」

「…………確か、ラチハークにはドワーフが多かったな?」

 サラは、こっちの質問には答えず、逆に質問を返してきた。彼女の三角の耳がピンと立っている。

「え? ああ、うん。多いぞ」

「ドワーフに対して『ドワーフとゴブリンって似てるよな』なんて言ったら、どうなる? それがさっきのお前の質問に対する答えだ」


 そんなことを言ったら、確実にぶっ飛ばされる。

 ドワーフは種族意識が高いし、プライドも高いのだ。

 魔物に属するゴブリンと、気難しくても明確な意思の疎通が出来るドワーフを一緒くたにした発言等、彼らにとってとんでもない侮辱である。例え、ちょっとした共通点があろうとも、だ。


 俺は頭を下げた。

「すまん。無神経なことを言った。前言撤回させてくれ」

「フン」

 サラが鼻息を漏らし、若干乱暴に馬の向きを変えた。どうやら機嫌を損ねたらしい。

 ようやく仲間意識らしきものが芽生えてきたところだったのになぁ……。

 俺は気まずい空気を振り払う為、話題を変えた。

「――こんなに魔物が出てくるんじゃ、普通の旅人なんかひとたまりもない気がするんだが。ルークセント的にイイのか?」

 俺の懸念にリリィが反応した。

「今は夜だから、遭遇率が高いのは当然よ。ここを通る時は、昼間大人数で、が鉄則だし」

 ……こんな道を夜少人数で通るハメになってるのは、お前が原因だろがぃ……。

 俺はもう少しで王女サマに突っ込むところだった。

「ハークロウ北部とルークセントを行き来する商人達は、隊商を組むの。人数が多いし傭兵達も雇うから、そうそう危険はないっていう話よ。……それでも年に何人かは被害報告があるんだけど……」

 ヲイ。

 流石に声を荒げようとした時、イクシスが大声を出した。


「グァーッ!!」


 直後、ドラゴンの鳴き声に対抗するように、重く響く声が夜の道に轟いた。

「ゴォァアア……」

 巨大な影が、雷のような唸り声と共に飛び出してくる。

 道の先、50mぐらい。俺達の行く手を阻まれた形だ。

「――!!」

 馬達が声と、おそらくは臭いに当てられ、足を止める。

 影は道の真ん中でぬうっと上に伸びた。

 熊――いや、オーガウルススだ。大きさは5m弱ほど。サイズはともかく、見た目は普通の熊とそう変わらない。しかし、ただデカいだけの熊にオーガなどという冠が付く訳がない。オーガウルススは戦闘能力が高く、積極的にヒトを襲い、何より非常に硬い外骨格を持っているのだ。

 外骨格は鼻先から頭部にかけて、さらに背中全体と、太い前足にあるらしい。暗視魔法の効果で色の判別は出来ないが、光沢があることはわかる。

 まるで鎧兜を着込んだ熊だ。

「ゴォォアアアッ!!」

 オーガウルススがもう一度吼えた。

 馬達が怯え、馬首を返そうと足踏みを始める。俺は必死に馬を制御しなければならなかった。

 冷静なのは、ルースとイクシス、そしてサラだけだ。


「私がやる」


 女騎士は荷馬に括られた突撃槍を抜きつつ、言った。

 サラが乗る馬もオーガウルススが怖いのか落ち着きはない。しかし、どっしりと跨る主人に逆らうこともまた出来ないようだった。しきりに体を動かしても、言うことは聞いている。

 サラが取り出した突撃槍全体の長さは、3m近くあるだろうか。

 円錐部分は金属で2m強、皮が巻いてあり素材がわからない柄が50cmに、柄よりも二回りは太い円筒形の石突が30cmぐらい。よく見ると、石突部分まで金属製だ。

 普通の突撃槍には、こんな無骨な石突はない。円錐部分を持って振り回せば、石突部分で相手を撲殺できそうである。

 ルースが普段と変わらない口調で声をかけた。

「加勢や援護はいるか?」

「大丈夫。それより、姫様の身を守ることに専念しろ。――スゥゥ……」

 サラは、右手で握った突撃槍を脇に挟み、言い放った。左手の手綱で馬の向きを微調整しつつ、ゆっくりと息を吸う。

 茶色の毛が逆立っていく。やがて、獣人は一瞬息を止め――、盛大に吐き出した。


「――カアッ!!」


 オーガウルススの上げた鳴き声よりも、大きく爆発するような気合声。

 怯えていた馬達はおろか、俺も全身を硬直させてしまう。本能に直接訴えかけてくる強烈な衝撃とでも言えばいいのか。心と体が硬直してしまう咆哮だった。

 オーガウルススは獣人の挑戦を受け取ったらしい。視線をサラに向け、外骨格で覆われた両腕を振り上げた。

 一拍置いて、サラは馬の腹を蹴った。

 ほとんど恐慌状態に陥った馬が、弾けるように飛び出した。

「ゴォォオオオッ!」

 オーガウルススも前足を地面に下ろし、サラに向かった。口の端から泡を吹いている。

 傍から見れば、あっという間に両者の距離が縮まっていく。

 あと一秒というところで、サラは鞍から腰を上げた。槍を持った右手をやや後方に引き、体重を前方に。

 一方の熊は、やや地面に伏せてから、体を浮かせた。巨体には似合わない俊敏さで、馬もろともサラを押し潰そうと飛び掛かる。


「ィィヤァァアアアアアアアア―――――ッ!!」

「ゴルァアアアアアアアアアア―――――ッ!!」


 気合声と咆哮が重なった。

 思わず目を閉じかけた俺の耳に、ギャゴン、としか言いようのない金属質で重く鋭い音が届いた。

 下から斜め上へ、オーガウルススの喉元を狙った突撃槍の先端が、その額で受け止められている。

 鋼鉄に近い硬度を持つと言われているオーガウルススの外骨格は、サラの突撃でも貫くことは出来なかった。

 一瞬、サラとオーガウルススが止まる。

 サラにはもう攻撃手段がない。対して、オーガウルススは突進の勢いは止められても、まだ両腕が残っている。このまま槍をへし折るか滑らせるかして、もう一歩踏み込めば熊の爪は容易にサラと馬を引き裂くだろう。


 ――やられる!

 思わず叫びかけた俺を押し止めたのは、サラの叫び声。


「ッラァアアアアアア――――ッ!」


 それは恐怖や驚愕ではなく、闘争心が喉から溢れ出した声だった。

 そして、さらに大きな、爆発音が重なる。


「ッ!?」

「グァンッ!?」

 突撃槍の石突が爆発したのだ。よく見れば筒状の先から、黒魔法特有の黒い魔力が噴き出している。

 爆発の勢いは、騎兵の突撃よりも力があったらしい。

 突撃槍はオーガウルススを貫くだけにとどまらず、鼻から上の頭部を吹き飛ばした。巨体が仰向けに引っくり返り、地響きを立てて倒れ込む。

 槍を突き出したままのサラは、接触した場所から10mほど先に進んで、馬の手綱を引いた。ひとしきり槍を振り回し、血糊を掃う。

 こちらを振り向いた顔には満足げな表情が浮かんでおり、槍の先を地面スレスレまで下ろした構えは、これ以上ないほど堂に入っている。


「すげー……」

「ぐぁー……」

 俺とイクシスの呟きも、どこか空しく響いた。

 ルースもかなり感心した声色で言う。

「確かに凄いな。あの槍は、当たり前にあるものなのか?」

「いや。俺も知らない。ラチハークでもあんなモノ見たことないぞ……」

 茫然としている俺達がおかしいのか、リリィが笑い出した。

「ふっふっふ……。砲槍――キャノンランスよ。ウチの技術部苦心の作にして、使いこなせる者がほとんどいないぐらい凄いんだから!」

 王女の言葉に、ルースと俺は顔を見合わせた。

「それは自慢げに言うようなことか?」

「扱いづらすぎて、国外まで広がってないんだな。噂でも聞いたことがないぐらいだ。俺の知り合いの鍛冶屋に見せたら興味持ちそうだけど」

「ぐあ~」


 サラの元まで馬を進めると、彼女はしきりに右手をブラブラさせていた。どこかに手をぶつけた時のような仕草である。

「痛めたの!?」

 驚いた様子で身を乗り出すリリィに、サラは笑顔を見せる。

「いえ……。若干痺れただけです」

「その槍、見せてもらってもいいか?」

 俺は、左腕で砲槍を抱え込むように持っているサラに聞いた。

 技術国であるラチハーク出身者としては、こういう武器に興味を持たない方がおかしい。実際に武器として扱えるかどうかではなく、その機構や使われた技術が知りたいのだ。

「一応ルークセント軍の兵器だ。そう簡単に触らせるわけにはいかない。それに……、さっきの爆発で魔物を刺激したかもしれない。先を急ごう。目的地まであと少しだ」

 女騎士は、馬に乗ったまま腕を伸ばし、荷馬に砲槍をくくりつける。そのまま返事も聞かずに、馬の腹を蹴った。


 そこからの三十分は魔物が出なかったこともあって、俺の意識の大部分は砲槍に持っていかれた。

 しぶるサラに何度も質問をし、自慢したいのか口が軽くなったリリィの証言も合わせ、大体の仕組みは理解出来た。

 要は、槍の尻に大口径の魔銃を取り付けたモノ、ということらしい。

 石突部分は丸々魔法発動機構だ。そこに、ほとんど砲槍専用の<舞い散る毬栗(バモベクナッド)>弾を装填する。柄にある引き金を引けば、魔弾が爆発し、そのエネルギーが槍を押し出す。

 その威力は先程見た通り。

 当然、槍全体が技術の粋をつくして頑丈に作られていて、爆発や衝撃に耐えられる構造をしている。

 やはり扱いの難しさは格別で、身体能力に恵まれた獣人でも相当な訓練が必要だそうだ。サラも狙い通りに敵に中てられるようになるまで、年単位の修行をしたとのこと。

 恐ろしいことに、ルークセント軍では、砲槍に触れるには資格が必要だという。その辺の兵士では、触っただけでどんな怪我をするかわからないからだ。リリィが得意げに語ったところによれば、脱臼や火傷はまだいい方で、槍と一緒に飛んで行った者までいたそうな。……本当かよ。


 話を聞いていると、突然サラが馬を止めた。

「な、何だ?」

 反射的に手綱を引いてしまってから、俺は問いかけた。

 また魔物が出たのか、それとも緊張感なく話している俺を怒鳴ろうというのか、どっちにしても身構えてしまう。

 しかし、サラは馬を降り、道の右側をじっくりと観察し始めた。

「――ああ、説明し忘れてたか。そう身構えることはない。十年ほど前まで、この辺りに村があった筈なんだ。研究所の最寄の村だな」

「目印として、まずは確認しておこうってことね……」

 俺とルース、リリィも馬から降りた。

 サラに倣って何か痕跡はないか探していく。

 とは言っても、俺にはただの森にしか見えなかった。木は太く大きくしっかりと育っており、とてもではないが十数年前までこの木々がなかったとは信じ難いほどだ。

「ぐあ、ぐあ」

 イクシスが尻尾で俺の頭を叩いた。

 顔を上げれば、一筋の赤い毛が生えた尻尾で何かを指し示している。

 俺は言われたとおり、5m程先にある背の低い草が生い茂る茂みを覗き込んだ。


 そこにあったのは、苔に埋もれた石だ。


「コレのこと言ってるのか?」

「ぐぁーっ」

 石は一抱えぐらいある。

 持ち上げるのは無理そうなので、少々行儀は悪いが、ブーツの底で苔を削り落した。

「……お? どうやら当たりだな。お手柄だぞ、イクシス」

 途中で気が付いた。石の一面が平面なのだ。おそらくヒトの手で加工されている。

「ぐぁ!」

 イクシスの頭を撫でつつ、女騎士を呼ぶ。

「サラ、コレじゃないのかー」

 ある程度苔を落としても、出てきたのは文字の欠けた単語とそれを囲う直線の一部だった。歳月で汚れた文字は読みにくく、暗視魔法の効果もあって判別は難しい。

 それでも、俺は読み上げてみた。

「ん~……、リック……か?」

 駆け寄ってきたサラが、石を覗き込んでから言う。

「本来は『サンシュリック』と書いてあったんだろう。なくなった村の名前だ」

 つまり、案内板か何かの一部だった、ということか。

 道すら超えて広がっていくような森の生命力は、ヒトがいた証なんて簡単に飲み込むものらしい。道端に打ち捨てられ苔むした石を見ていると、何故か酷く寂しい気分になった。

「私たちが向かう研究所は、道を挟んで、このサンシュリック村の反対側に位置している。だから、ここから大体北西側に進めば辿り着ける……筈だ」

 何とも頼りない言葉を付け足すと、サラは道の左側を見渡した。

「馬に乗ったまま、というのは無理だな。引いて行くしかない」

 俺は大きくため息をついた。目的地が近いことがわかった途端、弱音が出てくる。

「サンシュリック村へは寄っていかないのか? 廃村とは言っても、人目を気にせず休める場所ぐらいはあるだろ?」

「せっかくここまで来たのに何言ってるのよ。どう行動するにしても、研究所は確認しておくべきでしょ」

「僕もリリィに賛成だ。日が昇ってからだと行動が制限されたり、邪魔が入る可能性もある。確認出来る状況は確認しておいた方がいい」

 リリィの発言とルースの同意は正論で、疲れた頭では論破出来そうにない。俺は曖昧に頷いて、彼女らに従うしかなかった。


 森の中を歩くのは、馬に揺られて進むのに比べて、何倍も疲れた。

 成長した木々の根が波を打っており平らな地面が少ない。下生えや蔓が多く搔き分けないと進めない所も多い。見通しの悪さから、どちらに向かって進んでいるのかわからなくなってくる不安感もある。

 周囲をよく観察しなければ思わぬ怪我をしそうだ。万が一、馬が足でも挫いたら今後に支障が出てしまう。どうにも気乗りしない様子の馬を引いて、自分だけでなく馬の足下にも注意を払うのは、かなりの苦行だった。

 当然、魔物にも備えなければならない。二つの緊張感が体に堪えた。


「こんな所でオーガウルススでも出た日にゃ、逃げるに逃げられないな……」

 俺は額の汗を手で払いながら呟いた。

 気温は涼しいぐらいだったが、森の中の散歩という運動は俺を汗だくにするのに十分である。

「オーガウルススはあの体で足も速い。馬に乗ってても逃げ切るのは難しいんだぞ」

 ルースは、乗っていた馬に加えて荷馬の手綱も握っているのに、ケロっとしている。むしろ森の中の方が元気なほどだ。

「マジか……」

「なぁに、重突撃が使えず逃げるのも難しいのなら、別の戦法を使えばいいだけだ。人数がいれば撹乱って手もある」

「……ひょっとして、オーガウルススぐらい余裕なのか?」

 恐る恐る言った俺の台詞に、ルースは真顔で首を軽く傾けた。

「ふむ。余裕とまではいかないが。余程のことがなければ怪我はしないと思う」


 ルースの能力は把握しているつもりだったのに、知れば知る程底が見えないというか……。

 俺は、運動とは別の意味で、汗をかいてしまった。


 そんな無駄話をしつつ三十分強。その間、魔物に遭遇することはなかったのは幸いだ。


 いきなり森が開けた。

 直径400mはある歪んだ円形の空間だ。そこだけ削り取られたように植物がない。道の上にすら覆いかぶさっていた枝葉もここでは見られず、白んできた空が覗ける。

 地面には、やけにツルツルで平らの石が隙間なく敷かれている。どうやらこれが森の侵食を抑えているようだ。

 端の方は流石に所々雑草が見えるが、中心に近づくにつれてそんな植物の優勢を物語る証拠は一切なくなっていく。


 そして、その中央にどっしりと構える、見たこともない建物。


 鎧戸が下ろされた窓を見るに、おそらくは二階建て。150mはありそうな横幅。石を積み上げたのではなく、まるで一つの巨大な石を磨き上げたかの様な外壁。

 そして、一番落ち着かない気分にさせるのは、塔でもないのに円柱の――それも酷く背の低い――形をしていることだった。


 石畳の端に足を踏み入れた俺達は、全員示し合わせた様に足を止めていた。

 突然現れた奇妙な空間を、ただぼんやりと見ることしか出来ない。


「あのタルトみたいなのが……」

 たっぷり数分は茫然としてから、俺は呟いた。

 一歩前にいたサラが、ようやく絞り出したような声色で答える。

「ああ……。あれが……サンシュリック次世代技術研究所だ」

4月8日初稿

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 2021年8月2日、講談社様より書籍化しました。よろしくお願いします。
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