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24.境界線まで

 馬は全力で走っている。


「まずは一度引き離すッ! 速度を落とすな、巻き込まれるぞ!」

 隣を併走するルースが怒鳴る。男装の魔剣士はすでに黒い大剣を抜いていた。

「お――おいっ! いっ、いいか、何をおいても姫様の安全を優先しろ!!」

 サラのどこか焦った大声が耳に届く。彼女は先頭で馬達を率いていた。

「何でもいいから、早くやっちゃってぇっ!!」

 荷馬を挟んで俺達の前にいるリリィが叫ぶ。村娘のような地味な服装に地味なマントで身を包んだ王女は、ほとんど馬にしがみ付いていた。

 俺もリリィとほとんど変わらない。振り落とされない様背中を丸めて、渾身の力で膝を締めている。

 道の両側に立つ木々が、物凄い勢いで後ろに流れていく。


 全速力で走る馬は、乗り手のことなど考えていなかった。

 大型犬どころか、体積で言えば子牛を超える大きさを持つ馬鹿デカい蜘蛛――ハウンドスパイダー十数匹に追いかけられているからだ。




 王宮から基地を経て脱出した俺達は、馬に跨り、目的地である帰らずの森へと向かった。

 当然のことながら、深夜の道に人影はない。

 俺達は人目を気にせず、急ぐ事が出来た。


 馬は五頭。

 一人一頭に加えて、荷馬兼いざというときの保険が一頭だ。サラでなければ一日にも満たない時間で用意することは出来なかっただろう。

 ちなみに、ルークセント軍からちょろまかした訳ではなく、顔見知りの業者に無理を言って借りたらしい。その際、結構な額の金も渡しているそうで、皮肉と釘を刺された。

 荷馬は毛布を幾つかと食料、水などを背負っているのに加えて、腰に大きな突撃槍が括り付けられていた。初めてサラに出会った時、俺達を追いかけてきた盗賊を貫いた、あの槍だ。


 馬の体力が続く限り急がせ、息が上がれば歩かせる。

 ルークセントは起伏が少ない台地なので、道は基本的に真っ直ぐだった。

 走らせやすいのはいいが、その分歩かせている時などは注意力が散漫になり、眠気が襲ってくる。

 二度目の<梟の瞳>をリリィにかけてもらった頃、そんな眠気を振り払う意味もあって、俺は口を開いた。

「真っ暗なのに、馬達が怯えてる様子がないな。特殊な訓練でもしてるのか?」

 常歩で進む馬は息が上がっていても、落ち着いていて、昼間乗るのと全く変わらない。むしろ操ろうとしなくても、勝手に先頭の馬に付いて行くので、普段より楽だったりする。

 その先頭の馬に乗ったサラが、こちらを振り向きながら答える。

「いや、普通の馬だ。私が率いているから安心して任せきってるだけだな」

 リリィがいささか得意げに付け足す。

「獣人は、他の動物を威圧することが出来るの。サラぐらいになれば、一吼えで牛でも豚でも自由自在よ」

「ほー。牛追いにでもなったら、いろんな所から引っ張りダコじゃないか」

「ぐあっ」

 感心して出た俺の言葉に、サラが三角の耳をピンと立てた。

「……軍から離れるハメになったら考えよう。その時には、牛にお前の名前を付けて可愛がってやるからな」


 そんな楽しい会話も、馬達の疲れが取れれば終わってしまう。流石に走っている馬の上で喋ることは出来ない。

 曇り空が明るくなってくる頃には、俺もリリィもヘトヘトだった。

 ルースもサラも疲れを見せないのは、それはそれで頭が下がる。

 しかし、憔悴しきっているはずのリリィも相当頑張っていた。弱音一つ吐かないのだ。訓練も受けていない、体力的には普通の女性が、日中から夜遅くまで王女と女官の仕事をしていたのに、である。

 俺などは、当日昼寝をしているのに眠くて仕方がないというダメっぷりだ。


「この先はどうする? そろそろヒトが現れてもおかしくない時間だぞ」

 ルースが空を見上げながら言った。

 つられて顔を上げると、東の空が白くなってきていた。眠い頭でぼんやりと眺めてしまう。

「もう少し行くと、カルックという小さな町があるんだが……。そこは越えておきたい。あそこの憲兵隊には、確か共感水晶(クリスタル)が配備されていた気がするんだ」

 サラが眉間に皺を寄せて説明した。

 俺達が脱出した事が発覚するのは、日が昇ってからだろう。

 まずはリリィ――ルークセント上層部からすればフルールがいないことに気付く。そこからサラや俺達が消えている事が発覚し、捜索を開始するまでにどれぐらい時間がかかるだろうか……。

 まずは体面を考えて、宮殿の捜索に終始してくれれば、こちらとしてはありがたいのだが。

 俺はぼんやりした頭を振ってから、言った。

「なら、急ごう。後ろにビクビクしながら進むのはゴメンだ」

「ぐーあーっ」


 そんな会話をしてから、カルックまで一時間。

 と言っても町の前景を見たわけではなく、遠くに門らしき物が見えただけだ。周囲を警戒しつつも、音で気付かれないよう馬を歩かせて通り過ぎた。

 そこから、往来の人影を気にしながら粘って一時間弱。


 ようやくサラが馬を止めた時には、<梟の瞳>は完全に解けていたし、何より魔法をかけてもらわなくても充分見渡せるほど日が昇っていた。

 道から外れ、丘の陰まで行ったところで、全員馬から降りた。

 体力は勿論だが、何より足に力が入らない。ほとんど鞍に寄り掛かるようにして立つのが精一杯なほど、足腰は限界になっていた。

 辺りを見回せば、人影はもちろん、ヒトの手が入った痕跡もない。さっきまでは畑や小屋などもちらほら見えていたのに、だ。道からは、丘が陰になっている。光が入らず肌寒いことを除けば、理想的な休憩場所だ。


 まずはサラの号令で馬を繋ぎ、鞍を外した。

 次いで、冷たいパンに、チーズや干し肉、ちょっとした果物で朝食を済ませる。


「日が落ちるまで、ここで休むのか?」

 ようやく人心地ついて、俺は言った。

 一応口では真面目な事を言っているが、膝の上で丸まるイクシスを撫でているし、頭の中は何か温かいもの――出来ればお茶が飲みたい、でいっぱいだった。

「せっかく王都から出られたのに、チンタラしてられないわ。行ける所まで行くべきよ」

 やや荒い口調でリリィが反論した。しかし、陽の光で見た彼女の顔色は、酷いものだ。確実に疲労は溜まっている。今はむしろ疲れで高揚している状態かもしれない。

 俺は内心ため息をついた。

「無理矢理進んだところで倒れるだけだ。大体、限界近くで魔物と遭遇でもしてみろ。サラやルースに迷惑をかけるかもしれない」

 俺とリリィが今以上に足かせになる事をほのめかすと、リリィは唇を噛んで顔を伏せた。

 何か呻り声のようなものが聞こえてくる気がするけれど、気のせいだろう、うん。

 サラも意見を出す。

「私も日が出ているうちは休んだ方がいいと思います。私達だけでなく、馬の体力もありますし……。何より、人目を避けられるのなら、避けるに越した事はありません」

 ルースはリンゴを齧りながら、頷いた。

「僕も同感だな。それに、昼間に馬を急がせれば目立ってしまう。目立たない程度の速度でしか進めないのなら、今しっかり休んで夜急いだ方が、速い」


「……」


 三者三様の理屈と説得に、リリィは一応理解を示したのか、刃向かってはこない。安心したのもつかの間、王女はすっくと立ち上がり、怒鳴った。

「……そこまで言うなら、先に休まさせていただきます! 見張り、よろしく!!」

 丘の暗がりへと足音高く向かい、勢い良く毛布を被るリリィ。彼女は、呆気にとられる俺達など見ることもなく、横になった。

 サラが慌てて立ち上がった。

「ひ、姫様……っ!」

「心配なら傍に行けばいい。ていうか、お前も休んだほうがいいぞ」

「……しかし……っ」

 サラが行動を決めあぐねるように視線を動かす。ここまで慌てる女獣人を見るのは初めてだ。

 まだリンゴを齧っていたルースが真っ直ぐサラを見上げて言った。

「カインドだけじゃない、僕もいる。見張りの心配はいらない」

「昼ぐらいになったら起こすから。出来るだけリリィの機嫌を宥めておいてくれよ」

 俺達の言葉に、サラは、頷いたのか礼を表したのか微妙な角度で頭を下げ、暗がりに歩いていった。


 リリィにしてみたら、これまで我慢に我慢を重ねてきたのに、という思いがあることだろう。偶然の中に好機を見つけ、行動した事によって動き出せた自負もある筈だ。強引に突っ走りたくなる気持ちもわかる。少し拗ねるぐらいは、まだ自分を律している方だと言えるかもしれない。

 サラはサラで、王女であるリリィの安全は守らなければならない。生真面目な女騎士がそれを自分の使命と考えているのは明らかだ。出来ればリリィの意向を尊重したいのだろうが、安全を考えれば、それも難しい。

 ……アイツ気苦労で倒れたりしないだろうな。


 何となくサラの背中を追っていると、ルースがからかいを含んだ口調で声をかけてきた。

「随分優しいじゃないか。君が真っ先に休むと思っていたぞ」

「サラはともかく、リリィが頑張ってるのに文句は言えねぇよ。……んじゃ俺達は、もう少し辺りを見渡せる所に行くとしますか」

 俺はそう言って、小さなドラゴンの首根っこを掴み、背中のフードに押し込んだ。

 ルースは立ち上がったが、頷きはしなかった。

「その前に、ゴミの片付けだ。痕跡を残すのは上策とは言えない。その次は、馬に水とエサを与えないと。見張りはそれからでいいと思う」

 前言撤回したい。

 俺は疲れた体を強引に起こして、男装の魔剣士の言葉に従った。

 フードの中で丸まっているイクシスがとても羨ましかった。


 その後、交代で俺達が寝たのが昼前といったところだった。

 地面で寝るのはおろか、野宿すら初めての経験で、心底疲れているのに俺はなかなか寝付けなかった。変な夢を見た気もする。

 俺がルースに文字通り叩き起こされ、モソモソと毛布から出たのは夕方。全く疲れは取れていなかったし、体の節々が痛い。

 不平不満を口にする暇もなく、食事と雑事を済ませ、日が沈みきってから出発した。


 前夜と同じ様に、駈歩と常歩を交互に使って進んでいく。

 強行軍も二日目なのに、体は未だ慣れていなかった。

「今夜は晴れかな……」

 最初の駈歩を終えた頃、ルースが空を見上げて呟いた。

「ぐぁっ」

「昨日よりも見つかりやすいってことか?」

 肩口から顔を出すイクシスの鼻を撫でつつ、俺は言った。

 今夜一回目の<梟の瞳>がかけられた俺の視界だと、空は深緑の中に白い点が散らばっているように見える。雲の判別は難しいが、星が出ているのは確かだ。

「まぁ、そうだが。王都周辺に比べれば、ここいらは明らかに田舎だ。ヒトそのものが少ないだろうし、都会ほど遅くまで起きている者も少ない。むしろ気を付けるべきは魔物の方かもしれない」

 真夜中より少し前に、村を素通りした。たまたま高い位置から見下ろした村は小さく、ルースの言う通り灯りは見えなかった。


 さらに数時間。木々が増えてきたな、と思っていると次の村が遠くに見えた。ここもあまり大きいとは言えないが、一つ前の村よりは若干軒数が多い。

「『帰らずの森』よりもこちら側にある村は、ここが最後だ」

「ハークロウまで村がないのか? 一つも?」

 俺の問いに、先を行くサラは前を向いたまま、顔を横に振った。

「いや。この道は、一度『帰らずの森』に入って、また出る形になる。というより、元々森の外にあった道の一部が『帰らずの森』に飲み込まれた、と言った方が正確かもしれないな」

「森が広がってるのか……」

 俺は少しずつ大きくなっていく円の端が、直線を覆っていく様を想像した。

「そして、私達が目指す研究所は、約十五年前――最初に『帰らずの森』に飲み込まれた。つまり、森の深い位置にある」

「な、何だってそんな狙ったように――」

 呆れ果てて言った俺の言葉を予想していたのか、サラはすぐに理由を口にした。

「元から森に近い所に建っていたから、だな。危険な研究を隔離する必要があったらしい。とにかく私が言いたいのは、安全圏はこの村までで、この先は魔物が頻繁に出てくる危険な場所になるということだ」

 俺は一度下がった肩を上げることは出来なかった。


 村を横目に通り過ぎ十分ほど、そろそろ駈歩に切り替わるかと覚悟を決めたその時。

 フードの中で大人しくしていたイクシスが鳴いた。

「グア――ッ!!」

「な、何だ!?」

 俺は驚いて、鞍の上で体を硬くした。真っ白になった頭に、微かな記憶が蘇る。


 ……そういえば、こんな事が前にも……。


「――……」

 隣のルースと顔を見合わせてしまう。

「――あっ」

 数秒もしないうちに、男装の魔剣士は体を伸ばし、周囲に視線を巡らせる。彼女の右手はすでに、背中の大剣の柄を握っていた。

 突然馬が一斉に走り出す。

「うぉっ!?」

 俺は慌てて鞍にしがみ付いた。

 駈歩よりも速い。これでは襲歩だ。俺達に敬意すら示していた馬達が、形振り構わず全力疾走をしていた。

「後ろだ!」

 隣を走るルースの叫び声が聞こえた。慌てて後ろを振り返る。

 左右の木陰から道に集まってくる巨大な蜘蛛が見えた。その数、十匹以上。足だけを動かして、こちらへと迫って来る。どう考えたって、狙いは俺達だ。


「――いぃやぁああああぁぁぁ~~ッ!!」


 女性の黄色い声が、夜の道に響いた。




 ルースが、手綱を持った左手の人差し指で紋章を描きつつ、言った。

「カインド、魔銃を抜いておけッ!!」

 手綱から片手を離すのも怖いのだが、俺だってハウンドスパイダーに食べられるのは嫌だ。他の魔獣にパクリといかれるよりも、何倍も嫌だ。

 俺は右手で魔銃を抜いて、肩越しに後ろを見た。

 カサカサという嫌な足音を立てながら、ハウンドスパイダーが追いかけて来る。一番高さのある腹部で1m近くあった。俺の目には<梟の瞳>がかかっている状態で、色の判別は難しい。どうやら暗色を基調に、明るい色の縞模様が一部にあるようだ。

 総じて、とても気持ち悪い。

「行くぞ! <弾ける傘(ベモベッツル)>!!」

 ルースがわざわざ術名を宣言するのと共に、<弾ける傘(ベモベッツル)>が放たれた。

 片手に納まるぐらいの黒い球が、俺達に迫り来るハウンドスパイダーの先頭へと突き進む。一固まりだった蜘蛛の集団が、ぱっと左右に分かれた。相当に素早い。<弾ける傘(ベモベッツル)>は、道を空けたハウンドスパイダーの間――地面に落ちた。

 しかし、<弾ける傘(ベモベッツル)>は爆裂系魔法だ。

 爆発と爆音。土と一緒に、ハウンドスパイダーの一部が宙を舞った。足や頭部などはまだいい方で、中身や粘液が四方八方へと飛び散っていく。


 ……陽の光の下だったら、俺、吐いてたかもしれない……。


 俺は、すっぱい唾液を無理矢理飲み込みながら後ろを確認する。

「!?」

 五匹ほどのハウンドスパイダーが無傷だった。仲間が吹き飛ばされたというのに、俺達を諦めるつもりはないらしい。さっきまでより少し距離が離れたが、一心不乱に追いかけて来る。

「半分近く残ってるぞ!」

 俺は思わず魔銃を撃っていた。

 立て続けに二発の<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>弾が発射される。

 しかし、ハウンドスパイダーは思った以上に素早かった。

 真っ直ぐこちらに向かって来る勢いはそのままに、一斉に射線から外れ、<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>を避ける。<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>が地面に着弾すると、また馬の真後ろに戻った。

 あと三馬身といったところか。

「まだ撃つな、カインド!」

 隣を走るルースが大声を出した。

「でも奴らは、まだやる気満々だ! 大体、さっきの黒魔法じゃ威力弱すぎたんじゃねぇか!?」

「これ以上の威力となると、音が大きくなりすぎる! さっきの村がすぐ近くにあるんだぞ。この程度の襲撃に、いちいち強い術なんて使ってられないだろう!?」

 ルースにとってはハウンドスパイダーを手っ取り早く倒すことより、誰かに気付かれる事の方が問題だ、ということ。

「じゃあ、このまま逃げ続けるっていうの!?」

 リリィがほとんど半狂乱で叫んだ。一瞬こちらを振り向いたその顔は、恐怖と嫌悪で歪んでいた。

「ハウンドスパイダーぐらいなら逃げる必要もないさ! カインド、魔銃をしっかり構えておけ。僕が浮かす!」

 そう言って、ルースは紋章を描き始めた。


 ――浮かす?


 ルースの台詞に疑問を持ちつつも、俺の体は後ろを向いた。隣の魔剣士は、言葉と行動の間にあまり間を置かない待ったナシのヒトである。悩んでいる時間はない。

 とはいえ、構えるといっても高が知れている。左手は手綱を持ったまま、上半身を捻り魔銃を持った右腕を後ろへ伸ばすだけ。

 さっきみたいな動きをするハウンドスパイダー相手では、こんな中途半端な構えをとったところで当てられないと思うのだが……。

「<刈る鎌(ナフ・ウォム)>ッ!!」

 ルースの声が響くのと同時に、三日月型の魔力の塊が、馬の後足近く、地面スレスレに現れた。大きさは幅10mぐらい。道をほとんど塞いでいる。大半の黒魔法と同様、おそらくは漆黒であろう弧を描いた刃は、今は深緑一色に見えた。

 <刈る鎌(ナフ・ウォム)>は、そのまま地面のすぐ上を、ハウンドスパイダーに向かって疾走する。

 速い――が、その速度は俺が撃った<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>とそう変わらない。例え道を塞いでいようと、素早い蜘蛛には通用しない、としか思えなかった。

 案の定、ハウンドスパイダーは三日月型の刃を避けた。八本の足を同時に伸ばし、地面を蹴ったのだ。


 ――あ、浮いた。


 俺が気付いたのと、ルースが叫んだのが一緒だった。

「カインド、撃てェッ!」


 魔剣士の声に後押しされて、引き金を引く。

 ハウンドスパイダーが上昇している間に一発、空中で止まる一瞬に二発、地面に降りる前に三発。

 俺が撃った<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>は、全て巨大な蜘蛛に命中した。八本の足を持とうとも、空中を蹴る事は出来ない。その上、的が大きく距離が近いのだから、俺程度の腕でもどこかには当たる。

 三筋の黒い光線は、二匹の頭部を穿ち、一匹の片側の足を全て吹き飛ばした。脱落した蜘蛛が転がりながら離れていく。


 残りは二匹。

「――よっしゃ!」

 三匹を片付けた高揚感と、残りはルースが何とか出来るだろうという安心。

 思わず俺が声を上げた瞬間、イクシスが鳴いた。

「グァアッ!!」


 残ったハウンドスパイダーの一匹が、体を反らすように腹部を高く上げていた。その先端が震え、何かがこちらに向かって吐き出される。

 全身から血の気が引き、自分の頭に集まっていくような感覚がして、空中のモノに焦点が合う。

 ――糸!?

 ほとんどロープじみた糸が、ご丁寧にも俺の顔面を目指して飛んで来る。

 気が抜けていた俺には、避ける余裕も体術もない。

「――!?」

 目を閉じかけたその時、俺の視界が塞がれた。

 ルースの黒い大剣だ。隣を走るルースが、馬上にも拘らず体を捻り、俺の顔の前に大剣の切っ先を差し出したのだ。

 ハウンドスパイダーが飛ばした糸は、ルースの大剣によって防がれた。

「――ッハァ! すまん、本気で助かった!」

 俺は大きく息を吐いた。

「油断し過ぎ……っだ!」

 生徒を注意する教師のような口調で言いつつ、渾身の力で、糸がついたままの大剣を、引いた。

 捻っていた上半身を戻す力と腕の力に引っ張られ、未だに糸と繋がっていたハウンドスパイダーが引き寄せられる。一瞬抵抗らしき素振りを見せるも、その巨体は簡単に地面を離れ、ルースが乗る馬の右側に飛び込んで来た。


「最後は君が片付けろッ!!」

 傍目には優雅な速度と軌道で飛ぶハウンドスパイダーを、ルースの大剣は横一文字に両断した。

 あれほどの大剣を勢いをつけて振りながら、すぐさま真逆の方向へ振る事が出来る、その膂力には圧倒するしかない。

 真っ二つになったクモの死体が、地面に落ち、転がっていく。


 最後の一匹になっても、ハウンドスパイダーは愚直に俺達を追いかけて来る。

 その佇まいには、恐怖や焦りは一切感じられず、獲物を喰らうことだけを考えているようだった。

「だから悪かったって! イクシス、止められるか!?」

 弾倉に残った<貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>は一発。手段を選んではいられない。

 俺の右肩に前足を乗せ、追いかけて来るクモを睨みつけていたイクシスは、頷くと同時に普段とは違う鳴き声を上げ始めた。精霊魔法に似た現象を引き起こす時の、あの呼吸を整えるような鳴き声だ。

「グァアアア――」

 声が響いている間に、俺達の周りに氷の塊が三つ現れる。コーヴィン弟との決闘で散々見た物よりは大きい、10cmほどの氷の結晶だった。つまり、あの<冷氷の錐>に似た効果だという事だろう。

「――ァアアッ!!」

 これまでよりはるかに短い咆哮。鳴き声が終わるのに合わせて、氷塊が撃ち出される。

 ハウンドスパイダーは一つ目の氷をあっさり避けた。氷塊は地面に激突、その場に50cmほどの氷の小山を形成する。

 タイミングと角度が少しずらされた二つ目の氷塊もハウンドスパイダーには当たらず、地面で砕けた。しかし、急速に出来上がっていく氷の山の端に、クモの足が一本、搦め取られている。一瞬、巨体の動きが止まる。

 そして、三つ目の氷は、今度こそハウンドスパイダーの複眼を捉えた。その体の全てを凍りつかせるまではいかないが、頭部から腹部の中ほど、足の付け根は氷の中だ。

 足先だけで走る事は出来ないのか、ハウンドスパイダーは出来たばかりの氷を地面に擦りながら、派手に転んだ。

 ここまでお膳立てをしてもらったら、外せない。

 今日一番の緊張を感じながら、俺は魔銃を撃つ。

 <貫く枯れ葉(ハサー・テルーブ)>はハウンドスパイダーを覆う氷に真っ直ぐ吸い込まれていき、氷諸共その頭部を粉々に砕いた。

「……」

 つい先程の反省から、気を抜かず、後ろの観察を続ける。

 一秒一秒が長い。


 少しずつ馬の速度が落ち、完全に止まったのは、最後のハウンドスパイダーを片付けた地点から、かなり離れた場所だった。

 馬達の息も、俺達の息も上がっている。涼しい顔をしているのは、ルースくらいだ。

「よ、よくやった」

 サラが掠れた声で言う。女騎士は憔悴しきった顔をしていた。

 ……昨日のリリィよりもやつれているような。

「イクシスがいなかったら、まだ逃げてる最中だろうし。ルースがいなかったら、少なくとも俺は、奴らにムシャムシャいかれてただろうけどな」

「ぐぁっ」

 肩に前足を乗せて、些か誇らしげな声を上げるイクシスを撫でてやる。

「……ッ!!」

 息を呑む音がしてそちらを見れば、何故かサラが固まっている。

 ……コイツ、もしかして虫系ダメなのか?

 ということは、ハウンドスパイダーが出て来た時の悲鳴は、リリィじゃなくてコイツの可能性も――。


 俺がよからぬ事を考えていると、ルースがぼろ布で大剣を拭いながら言った。

「入ってしまったみたいだな」

「入った? どこに?」

 俺の馬鹿みたいな問いに、魔剣士は辺りを見回しながら答えた。


「『帰らずの森』に、だ。なるほど、確かに嫌な雰囲気しか感じられない」


 気が付けば、周りの木々の量がさっきまでとは違っていた。

 木の他に見えるものといえば、足元の均された地面ぐらい。一本一本の背丈も高く、その所為か道幅も狭く感じる。


 俺達は、いつの間にか『帰らずの森』に足を踏み入れていた。

3月21日初稿


2015年8月18日 指摘を受けて誤字修正

地面で寝るのおろか → 寝るのはおろか

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