20.経緯と依頼、そして報酬
俺が混乱した頭を何とか落ち着けようとしていると、左の袖が二度ほど引っ張られた。
ルースが顔を寄せて呟いてくる。
「……つまり、どういうことなんだ?」
イクシスも右肩から左肩へ移動して、二人と一匹で顔を付き合わせた。
「一言で言えば、女官が王女として攫われたってことだな」
「でも目の前のリリィが本物の王女なんだろう? ややこしい話だ……」
ルースは顎に人差し指を当てて言った。俺も素直な感想を口に出してしまう。
「ややこしい以上に、やっかいな話だと思う」
「ぐぁー」
「あたしもそう思うわ」
当のリリィが言った。
俺としては話を先に進めてもらいたい。一番大きな疑問をぶつけてみる。
「――どうして俺達なんかに頼むんだ? そっちから見たら、俺達はただの通りすがりだろ?」
「王宮に信用出来るヒトがほとんどいないからよ」
リリィは即座に答えた。
「一年前お父様が死んでから、ルークセントを取り仕切るのは役人と有力貴族になった。彼らの勢力争いと妥協と損得の計算結果が今のルークセントの政治で、国民の安全と将来を保障するより、自分の都合と欲望を優先させる様な奴らばかり。あたし――リィフ王女はただの飾りでしかなくて、小娘の意見なんて聞き流されるだけだった。……こんなことになるまでは、それでも良かったんだけど。本当にあたしに忠義を尽くしてくれてるのは、グリフォン部隊の数人ぐらいね」
「スロウルム将軍達か……」
俺は自分の考えを口に出していた。
頷くリリィ。
「そ。手駒が少ないなら、外から持ってくるしかない。戦力不足を嘆いてる時に、ちょうど貴方達が憲兵本部に向かってるって情報が入って来て。オルトロスを倒したらしいこと、どうやらルークセント内の勢力とは関係なさそうなこと、すでに何度か襲撃を受けてること。その辺りから判断して、一番信頼出来る三人を迎えにやった、ってわけ」
将軍達が間一髪助けに来てくれたのは、目の前の少女の判断があったからか。
と言うことは、彼女もまた、俺の命の恩人だ。いつの間にか命の恩人がどんどん増えていくなぁ。
「彼らがアンタの命令を聞くってことは……。つまり、俺達を迎えに来てくれたスロウルム将軍、サラ、あとダインさんは、アンタが本当のリィフ王女だって知ってるってことか?」
俺の台詞に、王女は軽く口の端を持ち上げた。
「ええ。彼ら三人だけは、あたしが王女で攫われたのがフルールだって知ってる。というか彼ら三人しか知らないと言った方がいいかもしれないわね。ルークセント的には、今のあたしは、王女のフリが出来るただの女官よ。王女としての権限や命令権は一切使えない。……はっきり言って、通りすがりにお願いするしかない様な状況なの」
そう言って、リリィは紅茶を傾けた。
部屋に沈黙が下りる。
コーヴィン将軍が何度か、王族に対するものとは思えない態度をとっていたのを思い出した。
彼は王女が本物ではないと思っていたのだ。だからこそ、傍若無人な言動で、強引な手段に出ても、何とかなると高をくくっていたのだろう。
実際にはそう簡単なことではないが、足を踏み出す原因にはなりえる。
王宮の中にいるお偉いさん達の大部分が、コーヴィン将軍の様な考えを持っているとすれば、通りすがりの外国人である俺達に頼りたくなるのも、わからないでもない。
「とりあえず、あの日何があったのか一から説明するわね」
カップを置いた彼女は視線を軽く上に向け、話し始めた。
「五日前の朝に服装を交換したあたし達は、その日の夕方に遊びを終わらせる約束をして、それぞれ過ごしていた。フルールは、少なくともお昼過ぎまで王女として政務を行っていたって後々聞いたわ。夕方約束した部屋で待っていたあたしが聞いたのは、王女がいなくなったという兵士の叫び声だった」
俺は姿勢を正し、リリィの言葉を聞き漏らさない様、耳をそばだてた。
「その時には、すでに大事になっていて……。遊びで服装を取り替えてるなんて言い出せなかったのよ。王宮は端から端まで調べられて、それでも王女の格好をしたフルールは見つからなかった。見つかったのは、一枚の手紙だけ。よくある脅迫状ね。『王女は預かった』から始まって色々と条件が書いてあるヤツ」
リリィが手紙の内容を正確に言わないことが、俺は気にかかった。
それでも口を挟むのは止めておく。
「行方不明から王女の誘拐になって、当然王宮は大騒ぎになった。摂政や大臣達の会議が翌朝まで続いて、当分の間、王女の代役を立てることが決まったわ。つまりルークセント上層部が、フルールを王女として仕立て上げることにしたってわけ。でも、一度騒ぎになっているから――」
「真実はどうあれ、王女がニセモノだと知れ渡っている……」
俺がリリィの台詞を補完すると、彼女は肯定した。
「そういうこと。よくよく考えれば、それで良かったんだけどね」
「むぅ?」
わかりやすく頭を捻るルースに、俺が答えた。
「フルールは王女だと思われてるから、いきなり手荒な真似をされる可能性は少ない。リリィは女官だと思われているから、身の危険はない。わざわざ事実を公表すれば、フルールは最悪殺されるかもしれないし、また王女が標的になるだけだ」
「それに、王女が誘拐されたからこそ国家の一大事になってるけど、女官が攫われただけだと普通の事件になっちゃうし」
「な、なるほど……」
どこまで理解しているのか、ルースは小さく何度も頷いた。
「フルールが誘拐された日の夜には、スロウルム達に本当のことを打ち明けて、どうしたらいいか相談したのよ。さっきも言ったけど、王宮で信用出来るヒトなんてほとんどいないから、対応には細心の注意がいる。彼ら――特にスロウルムは、あたしの身の安全を優先することを主張した。結局、あたしをフルールとすることで安全を確保、時間を稼ぐっていう方針が決まった」
リリィが眉を顰めて言った。
彼女としては、その方針が歯がゆかったのかもしれない。だが、スロウルム将軍の対応は間違っていない。俺が家来でも、同じ主張をするだろう。
俺が意見を言う前に、リリィは話を続けた。
「すぐに、建前上は秘密裏に、王女の捜索と犯人探しが始まった。でも、手がかりは犯行声明の手紙だけ。魔法が使われた痕跡も一切なし。宮殿内のヒト達全員を聞き取り調査したって、怪しい人物一人出てこない。はっきり言って捜査の方は期待出来ないのが、初日にわかってしまった」
犯行に魔法が使われれば、感覚に優れた魔術師がその痕跡を追うことも出来るが、それはないという。これで目撃者がいなければ、ほとんどお手上げと言っていい。
しかし、王女という立場にある者が、昼日中に誰にも見られず、どこかに連れ去られることが可能だろうか……?
「あたし達だけで動こうにも、圧倒的に駒が足りない。グリフォンライダー達はどうしてもあたしの安全を優先するから、思い切った手段にも出られないし……。どうしようもなくて焦っていた所に貴方達の情報が舞い込んできた、ってわけ」
そして、俺達に白羽の矢が立った、か。
リリィの話が一段落した様なので、俺は口を出した。
「で、部屋に残された脅迫状っていうのは、正確にはどう書かれていたんだ?」
それまで質問にはすぐに答えていた王女が口をつぐみ、数秒の間があった。
「――今なら多分、後戻り出来る」
リリィが静かに言った。今までになかった迷いが、その瞳によぎっている。
「この先の話は、聞いただけで事態に巻き込まれるわ。どうする?」
ルースと俺は目を見合わせた。
彼女の瞳を見るに、どうやら俺と思いは同じようだ。
「今更何を言うかと思えば……」
俺も肩を竦め、続く。
「とっくに巻き込まれてるっての。協力するかどうかは別にして、話の先が気になる程度には」
「ぐぁ」
イクシスまで含めて、俺達は呆れた視線をリリィに向ける。
というかここまで話しておいて、続きを聞くかどうか尋ねるなんて、性格が悪すぎる。
リリィは少しの間黙ってから、小さく息を吐いた。表情にも瞳にも、もう迷いはない。
「……それもそうね。今のは忘れて」
スカートのポケットに手を入れ、リリィが言う。
「脅迫状の写しがあるわ。字の大きさや書き方まで、出来るだけ正確に写し取った物よ」
ポケットから出て来たのは、縦横15cmぐらいの小さな紙だった。
テーブルに差し出された写しを俺が受け取る。肩に乗るイクシスと隣に座るルースも一緒になって小さな紙を覗き込んだ。
そこに書かれていたのは、こんな文面だった。
『王女は預かった。彼女の身の安全は一ヶ月のみ保障する。生きたままの返還を望むのなら、巨獣の卵を渡せ。詳細な指示は追って出す』
一頻り眺めたルースが呟いた。
「ワームが絡み合った様な字だな……」
「グァー?」
脅迫状に書かれた文字は、辛うじて読める程度の本当に酷いモノだ。一本の線ですら太くなったり細くなったり、文字の大きさも統一されていない。
「当然わざと汚く書いたんだろう。犯人は、筆跡すら手がかりに残したくなかったんだな」
俺は紙をルースに渡しつつ、新しい単語について、尋ねた。
「この巨獣の卵っていうのは何だ?」
「ルークセントには、二つの卵の伝説があるのよ。一つは、アレイド・アークがもたらした『龍の卵』、もう一つが、動乱の時代に作られたという『巨獣の卵』……」
王女はそこで言葉を切った。紅茶を一度傾け、続ける。
「実は、時期すらはっきりしたことはわらかないんだけど。ルークセント国内にあった魔獣研究機関が作り上げた強大な魔獣がいたらしいの。名前はゾフェンド。戦が当たり前の時代には、極端な行為が許されてしまうことがある。口に出すのも憚られる様な実験を経て、その巨獣ゾフェンドは作り出された。でも、その力があまりにも大きくて、研究者はおろか、誰にも制御することが出来なかった。結局、戦に使われることもなく、封印されたと言われてる。その封印を通称『巨獣の卵』と呼んでいるのよ」
「そんなものを賊に渡せるわけが……」
ルースが呟いた。俺も同感である。
「それ以前に『龍の卵』と違って、負の遺産って感じなのよね。だからなのか、現物が宮殿に眠ってるわけじゃないし、伝承も不確かであやふやなの。王都から見て北東にある森の奥にある……らしいんだけど。上層部はそっちに手をつけようとは思ってないらしいわ」
その可愛らしい顔に怒りを見せるリリィ。年相応のしかめっ面だ。
「誘拐犯との交渉には、どうしたって『巨獣の卵』が必要でしょ。なのに交渉するつもりは一切なくて、王女の捜索と犯人の検挙だけを重視した捜査をしてる。『巨獣の卵』の記録を調べることすら怠ってるくらいよ」
確かに自国の王女を助け出す為だ。考えられる手はどんな方法であれ吟味し準備しておくべきだろう。その中に犯人との交渉を模索する動きがあっても、おかしくはない。本来なら。
「経緯としてはこんなものね……。何か質問は?」
立ち上がり、リリィが言った。新しい紅茶を淹れるのだろう。
俺が頭の中を纏めていると、ルースが口を開いた。
「引っ掛かってることなら、ある」
「どうぞ」
ポットへお湯を入れながら、リリィが答える。
ルースは一瞬言葉を詰まらせながらも、お茶を淹れる彼女を見据えて言った。
「……さっき僕らが言い合った時に、君は笑った。僕の見た限り自然に笑っていた様に思う。信じられないとは言わないが、あまりにお気楽じゃないか? 幼馴染が誘拐されていて、あんな風に笑えるものなのか?」
リリィの手が止まった。俺は思わずルースの方を向いてしまう。
「おい、ルース……」
「だって、そうじゃないか。本当に大切なら――」
「――泣き喚けばフルールが帰って来るなら、そうするわ」
ルースの言葉を遮って、リリィが静かに話し始めた。
その声は、ほんの少し張り詰めている様に感じられる。
「でも、一日中泣いたって事態は進展しない。それなら、せめて暗い気持ちなんか振り切って、立ち向かわないと。フルールは人前で泣いたりしなかったし、あたしだってそう簡単に涙なんか見せたくない」
リリィは、カップに紅茶を注いだ。
真っ直ぐ、背筋を伸ばして。
「確かに一昨日までは、本当に八方塞で泣きたくなる時もあった……。けど、貴方達の情報が入ってから、事態は動き出してると思うの。あたしにとって、貴方達はようやく現れた一歩目なのよ。一昨日までよりは、遥かに前向きな気分になってる。自然に笑ったように見えたのは、それが原因じゃないかしら」
そこまで言って、リリィは俺のカップにも紅茶を注いだ。
ルースは、リリィの言葉を真剣に受け取った様だ。微かに眉根を寄せて、顎に手を添えている。
やがて、ゆっくりと呟いた。
「……わかった。先程の言葉は取り消す。すまなかった」
「いいえ、本音で話してくれてるのが伝わったわ。ぶっちゃけた甲斐があったってものよ」
リリィは笑った。やはり自然な笑顔だった。
ルースのカップにも紅茶を満たし、彼女は自分の席に戻った。
せっかく場の空気が和んだところで申し訳ないのだが、俺にも聞いておきたいことがある。
「フルールを助け出して欲しいって言ってたけど、今までの話だと、その娘がどこにいるのかも誰が犯人なのかも、わからないんだろ? 俺達に何をして欲しいんだ?」
淹れたての紅茶の香りを楽しんでいたリリィが顔を上げた。
「……まずは『巨獣の卵』を手に入れたいの。一緒に探すのを手伝って」
交渉の為に『巨獣の卵』が必要なことも、ルークセントが『巨獣の卵』について何の努力もしていないことも、ついさっき聞いた。だから探して欲しいという依頼自体はわかるのだが。
俺は、思いついてしまった最悪の状況を、恐る恐る口にした。
「一緒にってのは、まさかお前をここから連れ出せっていう意味じゃないよな?」
俺の質問に、リリィは顔を輝かせて答えた。
「その通りよ! あたしはじっとしてるなんて嫌。だけど、スロウルムは絶対に王宮から出ちゃ駄目って言うし。こうなったら貴方達に連れて行ってもらおうかなって!」
「――そぉんなお手軽に行くかぁあっ!!」
俺は思わず立ち上がり、大声を出していた。
「グァ!?」
かなりの勢いで立ったので、俺の肩に乗っていたイクシスが慌てた様子で鳴き声を上げた。
驚いた表情のリリィが、こっちを見ている。
「事情はどうあれ、お前はルークセントでは王女の扱いだろっ! 王宮を離れるのも、外国人の俺達だけで同行するのも許されるわけねぇし、それが当然だ!」
ルースがカップを傾けつつ言った。
「まぁ、落ち着けよカインド。突然怒り出すのが君の悪い癖だ」
「突然兵士に突っ込んでいくお前にだけは言われたかねぇよ!!」
「僕は女性を怒鳴りつけたりはしない」
「今朝怒鳴ってたよ!?」
驚きから回復したらしく、リリィもカップを持ち上げた。
「上層部やスロウルムに許可とろうなんて思ってないわよ。黙って出て行けばいいじゃない」
もう一度叫ぶ気力をなくして、俺は椅子に崩れ落ちた。
「それじゃあ、今度は俺とルースでお前を誘拐したと思われちゃうでしょうが。俺はお尋ね者にだけはなりたくないんですけど……」
「ぐあー……」
テーブルに向かって肘を突き顔を伏せた俺に、イクシスが鼻を寄せる。
「そうは言っても、貴方達だけで『巨獣の卵』を見つけられるとは思えないからね。あたし自身は役に立たないでしょうけど、知識が必要になるかもしれないし。その場その場での判断はあたしがした方がいいと思わない? それに結果さえ出せば牢屋行きは避けられるわよ」
俺は頭を抱えたまま、リリィの言葉を受け止めようとした。
ルースは特に動きがなく、何を考えているのかわからない。
少しの間カップを傾けていたリリィが、呟いた。
「……ま、そうあっさり承諾してくれるとは思ってなかったわ。だから、切り札は用意してある」
「ほう、聞かせてもらおうか」
「その子よ」
指の間から睨む俺を気にも留めず、リリィはゆっくりと、俺の肩に乗るイクシスを指差した。
「グァッ?」
「あたしとしては渡してもいいんだけど、本当の王女がいない現状では、『龍の卵』の所有権を渡すことは出来ない。でも、国の英雄に対してならどう? 攫われた王女を取り返す、その手助けをしてくれた英雄になら――」
「報酬として国宝を渡すことも不可能ではない……」
王女の言葉を受けて、俺は呟いた。
「王女が攫われたってことで上層部は頭がいっぱい。このまま貴方達が何もせず裁定を待っても、何かしらの結果が出るまでは、議論すらされないのは明白ね。当然、かなりの時間がかかる。その上そのドラゴンを連れて行ける可能性は、かなり低いわ。それに比べたら、一時的にお尋ね者になるぐらいのリスクなんて小さいことでしょ。もちろんどちらも、今のゴタゴタが解決したらの話になるけどねー」
リリィはにやりと笑った。
確かに、このまま王宮で足止めを食うのは厳しい。
サートレイトから王都クルミアまでは、ユミルへの道順に沿っていたから、それほど焦ることもなかった。しかし、出発した時にあった数日分の余裕から、もう丸一日を使ってしまっている。
裁定を待つのなら、ユミル学院への入学は諦めなければならない、ということだ。
そして、何よりイクシスのこと。この小さなドラゴンを連れて行ける可能性は、今のところほぼない。
事態の解決を早めつつ、イクシスを合法的に連れて行くには、リリィに協力するしかない。
当の彼女は口の端を上げたまま言った。
「で、協力してくれるの?」
――――このオジョウサン、イイ性格してやがる……。
俺は天井を見上げ、大きく息を吐いた。
「……わかった。どこまで力になれるかわからないが、協力しよう。ルースもそれでいいか?」
カップを置いたルースが、小さな驚きを見せつつ、答えた。
「罪もない女官が攫われてるんだぞ。細かい事情を聞く前から、僕は助けるつもりになっていた。その上イクシスのことまで持ち出されたら、やるしかないじゃないか」
お前ならそう動くよなぁ。わざわざ聞いた俺が馬鹿みたいだ。
俺達の返答を聞いて、リリィが今度はにっこりと笑った。
嬉しさの他に何一つない、純粋な笑顔だった。
「じゃあ、出発は明日の夜ね! 何とかあたしを連れ出してちょうだいっ!!」
「そ、そこから人任せかよッ!?」
俺のツッコミが、空しく部屋に響いた。
12月10日初稿
2月19日指摘を受けて誤字修正
俺がリリィの台詞を保管すると→補完すると