18.後始末からの決着
俺の凍りついた足をどうにかする為に、ルースがすぐ後ろまで来た、その時。広場に大きな声が響いた。
「――――これは一体、何の騒ぎですかッ!?」
宮殿の玄関口から続く階段に、数人が立っていた。
先頭にいるのは、ルークセント国の王女――リィフ・エイダ・サイ・ルークセントだった。その表情には、控えめな怒りと呆れが見て取れた。
彼女は、ドレスの裾を持ち上げて、ゆっくりと階段を下りて来る。
周囲の野次馬のうち、まず兵士達が一斉に片膝を突いた。その中には、サラやスロウルム将軍も含まれている。軍人で立っているのはコーヴィン将軍だけだ。トリート・コーヴィンに至っては、よほどショックだったのか、未だに地面に突っ伏したままである。
「私は礼節よりも説明を求めています。誰か教えて下さいませんか?」
王女が近付くにつれて、女官や商人等は後ろに退いていく。そそくさとその場を離れる者も出始めた。
結果として、残るのは軍人と俺達のみになる。
さっきまでの喧騒が嘘の様に、広場は静かになった。
頭を垂れたままのスロウルムが、静かに語り始める。
「トリート・コーヴィン大佐が、ソーベルズ卿に決闘を申し込みました。私はその後になってから、決闘責任者を任されました。ソーベルズ卿はルークセントの仕来りを確認し、条件を提示した上で挑戦を受け、そしてたった今、勝利したのです」
説明の間に、王女が軍人達の前に到着した。眉が震えている。
「私が招待した方に、決闘を挑むに至った、その理由は何ですか?」
「私は存じ上げません。当人にお尋ねになるのがよろしいかと思われます」
ゆっくりと幼児に言い聞かせるような王女の口調にも、スロウルムは怯まずに軽く肩を竦めただけだ。
対して、地面にうつ伏せになったままのコーヴィン大佐がピクリと反応した。
「トリート・コーヴィン大佐、説明して下さいますか?」
説明もいいけど、俺としては足が冷たいことの方が問題だ。
凍傷までいかないにしても、春先に霜焼けにでもなったら、山が多いラチハーク出身者としてはイイ笑い者である。
コーヴィン大佐がゆっくりと体を動かし、地面に座り込んだ。
俯いた顔は、口を尖らせ王女から視線を外しており、これ以上ないほどのふて腐れっぷりを表している。子供か。
「……クルミアの店で、その外国人に侮辱を受けましたもので……」
ボソボソと言うコーヴィンに、王女が見下したまま言葉をかけた。
「ソーベルズ卿は私の客人です。無礼は許しませんよ」
斬り付ける様な王女の台詞に、コーヴィン大佐は座ったまま背筋を伸ばした。
「――っ! し、失礼しました……。ソーベルズ卿と一悶着がありまして。屈辱を晴らす為、決闘を挑んだ次第であります……」
「……ソーベルズ卿とは夕食を共にさせて頂きましたけれど、礼節を弁えている方だという印象を持っています。コーヴィン大佐、貴方が受けたという、決闘をせねばならない程の屈辱とは一体何なのですか?」
「そ、それは……」
コーヴィンの口が凍りついた。目上の者に対して、スラスラと嘘や誇張を交えた話が出来るほどの胆力はないらしい。勝った後なら、勢いに任せてあることないこと言うことも出来たかもしれないが、ふて腐れた頭ではそれも無理だろう。
「コーヴィン大佐が説明出来ないのなら、ご兄弟であるリンゼス・コーヴィン将軍が説明して頂けますか?」
王女が、立ったままのコーヴィン将軍へ視線を移した。その目は冷たく、鋭い。
一方、リンゼス・コーヴィン将軍は不機嫌な顔を隠そうともしていない。お前も子供か。
「弟が言うには、侮辱を受けたということでしたので……」
「身内の発言を鵜呑みにして、私の客人を決闘に引き摺り込むのを許した、と言っているのですよ、貴方は。将軍職にありながら、自分の弟、しかも部下の暴走を止めることも出来ないなんて……」
王女の口調は、冷静でありながら理屈っぽく、一つ一つじっくりと追い込んでいるとしか思えない。
俺の中の印象では、普通に上品な女性だったのに、少し印象が変わってきた。
叱責されているコーヴィン将軍は拳を握り締め、体を震わせていた。見る見る頭に血が上っている。怒りを覚えると、弟と同じように顔色に出てしまうようだ。
「兵士の方々もよく見れば、親衛隊所属の方が多い様ですね。昼休みにしては少し長すぎませんか? 王宮警護の役割とは、平時の中でこそ最も――」
これは長い説教が始まる雰囲気だ。
気まずい思いをしているであろう軍人達よりも、俺の方が勘弁して欲しい。だって足が凍っているから。
しかし、王女の説教は遮られた。
「――うるさいっ!!」
リンゼス・コーヴィン将軍の叫び声によって。
王女が驚いた表情で固まった。軍人達も一様に驚愕した様子でコーヴィン将軍に注目した。
当然俺だって驚いた。
王族に対して軍人が怒鳴りつけるなんてありえない。
「私は王家の宝を取り戻そうとしたのだ! アレイド・アークのもたらした『龍の卵』だぞっ! ドワーフ混じりに持たせるには過ぎた代物ではないかっ!!」
ドワーフ混じりというのは、ラチハーク国民に対する蔑称だ。
元々ドワーフが多い土地柄だし、種族間の衝突を防ぐ目的で、何世代かごとに、王族には有力なドワーフの一族から娘が嫁いでくる。国民にも、他国と比べればドワーフと人間の混血は多い。
そんな国民を揶揄する言葉がドワーフ混じりである。当たり前だが、ラチハーク国民はこの言葉を徹底的に嫌っている。
実際のところはラチハーク内でも、ウチの一族の様な人間純血主義もいるにはいるが、そんなのは貴族でも極々少数だ。
俺は、自分ではドライな方だと自負していたのに、コーヴィン将軍の台詞にカチンと来た。いつの間に母国愛などに目覚めたんだ……。
王女は、今度こそ眉を吊り上げ、あからさまに怒りを見せた。
「……穏便にことを済まそうとする私を、軍人として意見するのなら、それは許しましょう。しかし、ラチハークに対する侮辱も、ソーベルズ卿に対する侮辱も許しません! 今すぐソーベルズ卿に頭を下げることを命じます!」
広場に響く様な、大きな声だった。
一度下がった女官や商人達までチラチラとこちらを窺っているのが見えた。
「…………命じるだとぉっ!?」
コーヴィン将軍が腰の細剣に手をかけた。
「――ッ!?」
それを見たスロウルムとサラが瞬時に駆け出し、王女とコーヴィン将軍の間に入る。グリフォンライダー二人も剣の柄をしっかりと握っていた。
「この……っ! それもこれも貴様が!!」
弟と同じ様に顔全体を真っ赤にしたコーヴィン将軍が、こちらを振り返り、俺を見据えた。その視線には、逆恨み以上の激憤が込められている。
足が冷たいのも忘れて、俺はおずおずと聞き返した。
「……は、はい?」
コーヴィン将軍がブツブツと呟き始めた。
「貴様なぞが『龍の卵』を孵したのが悪いのだ……。強い力は手放してはならない……。他所に渡るぐらいなら、滅ぼさなければ。それは……――、それは、我々の物だぁあああ!!」
呟きをいきなり叫びに変えたリンゼス・コーヴィンが、俺に向かって突進してくる。
そのスピードは、弟とは比べ物にならなかった。
気付いたらすぐそこに細剣の先端があったのだから。
――あ、死んだ。
俺は、避けることを思い付く前に、自分の死をぼんやりと認識していた。
*****
コーヴィン将軍の抜き打ちは速い。確実に高速移動術雷進を使っている。大剣も短刀も抜く暇はない。自分の技量では魔法も間に合わない。
一瞬で判断したルースは、石畳を蹴って、コーヴィンに向かった。
こちらも雷進を使うが、走行距離、角度共に微妙に不利だ。ルースは元々コーヴィン将軍とはカインドを挟むような位置に立っていた。その為、敵が動き出したことに気付くのが一瞬遅れたのだ。カインドの勝利に浮かれていたのも、王女の剣幕に驚いたのもある。
「――ッ!!」
言い訳を探しても仕方ない。
足が悲鳴を上げるのを無視し、ルースは一歩一歩雷進を使って距離を詰める。
コーヴィンがやや下から細剣を突き出した。狙いはカインドの眉間だ。
細剣の先端がカインドを抉る直前、何とか、二人の間に左手を差し出すことに成功した。
掌から指の先まで闘気を集中。錬度の高い闘気使いならば、細剣の刺突すら生身で止めることも出来るが、ルースにそんなことは無理だ。指先なら骨で、掌ならば肉で、細剣の軌道をずらすしかない。
カインドの顔面を狙った切っ先が、ルースの左手に接触する、その瞬間。
細剣がくねった。
「!?」
先端がルースの手から逃げる様に動き、なおかつカインドに向けて進む。
細剣ならではの、しなりを利用した技術だった。柄を握る手の些細な動きを、刃全体で増幅し、先端を縦横無尽に操ることが出来る。
やや突き上げる形だった突きは、カインドの喉への攻撃に変わっていた。
ルースがしまったと思った時には、コーヴィン将軍は腕を伸ばしきっている。
「カイ――ッ!!」
ルースは叫びつつ、足を踏ん張り、体重と力で強引に勢いを殺した。彼の無残な姿を見たくないという気持ちを押し殺し、後ろを振り返る。
「――っ!?」
再度、驚く。
カインドがいない。技量的にも避ける事など叶わない、それでなくても足を凍らされた彼の姿が消えていた。
――い、一体どこへっ!?
一瞬そう思ったが、戦闘に浸った体は、疑問で満ちた頭を勝手に切り替える。出来事を処理し、脅威を量り、優先順位を決定する。
カインドを捜すより、目の前の敵を倒す。それがルースの出した結論だった。
「――無極流無手術――」
コーヴィンもまた驚いていた。その表情は驚愕と不可解で歪められ、次への動きに移っていない。
ルースは、突き込まれた細剣の鍔元近くを、左の掌と親指を除く四本の指で挟んだ。手指の力に加えて闘気でがっちりと固定し、渾身の力で引き寄せる。同時に右肘を後ろに、右手を腰に準備する。
驚きから回復していないコーヴィンは、細剣から手を離すこともルースの力に抗うこともなく、体勢を崩した。
足元から渦巻く流れを右手に乗せ、ルースは叫んだ。
「掌挟撃ッ!!」
左で引きつつ、右の掌底を刃の根元に打ち込む。
良く響く高い音と共に、リンゼス・コーヴィン将軍の細剣は、鍔元で折れた。
「――!!」
ようやく事態に気付いたコーヴィンが、今度は恐怖の表情を浮かべた。
武器を破壊しても、ルースの体に染み付いた動きは止まらない。右手を打ち抜き、左を引いた体勢から、そのまま体を捻る。
あとは半歩踏み出して肘を叩き込めば、敵を殺すのに十分な衝撃を与えられる。
ルース自身、動きを止めるつもりは欠片もなかった。
*****
最初に感じたのは、後ろに引っ張られる様な衝撃だった。
迫り来る死を直前にして、俺は目を閉じてしまったので、何故そんな感覚を覚えたのかはわからない。
「……っ」
しかし、覚悟していた眉間への衝撃は一向に訪れない。
コーヴィン将軍のあまりにも速い突きを喰らって、自分でも気付かない間に死んでいるのだろうか。それにしては、足が重いという、死後の状況にしては、聞いたこともない事態に陥っている。
怖さと好奇心が混じった微妙な心境で、俺はそっと目を開けた。
「――!?」
――飛んでいる!
いや、これは……浮いている!?
高さも距離も5mぐらい。
俺はルースとコーヴィンを斜めに見下ろしていた。同時に視界に入る氷塊に埋まったままの両足と、それにくっついた平らな石。
そして、鳥が羽ばたく様な音が聞こえた。
俺は魔法は一切使えない人間だ。故に空を飛ぶことなど出来ない筈。まさか、自分でも知らなかった、俺の隠された力が解放されたのか……?
「――きッ!!」
ルースが何かを叫び、武器も使わずコーヴィン将軍の細剣をへし折った。
このままだとルースは止まらない。
上から見るとよくわかる。
次の攻撃の準備を体全体でしているのだ。そして、ルースの実力とあの勢いなら、例え無手だろうと敵を殺すのは朝飯前だろう。
それはマズイ。
「殺すなルース!!」
「殺してはなりません!!」
焦って叫んだ俺の声に、可憐な声が重なる。王女だ。
「むぅっ!?」
どちらの声が聞こえたのか、ルースは不機嫌な吐息を出し、ビタリと止まった。敵に触れるか触れないかの肘。
それでも攻撃を止めるつもりはない様で、体勢はそのままに、右手の裏拳が走ったのだが。しかも唸りを上げて。
「ぐほっべっ!」
ルースの手の甲が、リンゼス・コーヴィンの顎に、真横から叩き込まれた。
曰く言い難い悲鳴を上げたコーヴィン将軍は、数mほど吹き飛ばされ、さらに数m地面を転がった。そのままピクピクと痙攣する。
「そ、即死してないだけじゃないかアレ……?」
「グァ……ッ」
「ん? どうした、イクシ――」
今まで聞いたことがない様なイクシスの声に振り返る。
「――おぉッ!?」
目に入ったのは、蝙蝠のものによく似た大きな翼だった。片方だけで俺の身長を越えているだろう。
さらに、俺の腹を、一筋の赤が入った黒いロープ状のものが一周していた。これは尻尾だ。
体そのものはサイズを変えていない。翼と尻尾だけが大きくなっている。
イクシスは、小さな前足を俺の両肩に引っ掛け、尻尾で俺の腹を固定し、羽ばたいていたのだ。
隠された力を発揮したのは俺などではない、イクシスだ。
口を開き、舌を出し、息が荒い。そうとうキツそうである。
「グ……ッ、アッ」
がくんと体が傾いた。一気に高度が下がる。
「うぁっ!?」
「グー……ァー……」
踏ん張っていたのが限界を迎えたのか。イクシスはため息の様な鳴き声を上げ、羽ばたくのを止めた。
「おぁあああああッ!?」
俺とイクシスは3m程の距離を落下した。
ルースの声が聞こえる。
「――カインド!? イクシスッ!!」
派手な音と土煙を上げて、俺は石畳に落ちた。
「い、痛ってぇー……」
幸いだったのは、膝下が氷で覆われていた為に重かったことだ。綺麗に真っ直ぐ、足を下にして地面と激突したことで、氷が割れ、クッションになったらしい。
「……あ! イクシス!! 大丈夫か!?」
俺は地面から跳ね起きて、土煙の中、イクシスを捜した。
「……グー……」
足元に横たわるイクシスが小さく鳴いた。
慌てて抱き上げ、怪我がないか確認する。
呼吸は落ち着いてきているし、目に見える外傷は一切ない。そこは安心したが、大きくなった筈の翼と尻尾が元の大きさに戻っていた。辺りを見回しても、千切れた翼や肉片等はない。
あんな大きなモノがどこへ消えたのだろうか?
「カインド、無事かっ!?」
ルースの姿が見えた。まるで体当たりするかの様な勢いで詰め寄ってくる。
「あ、ああ。俺もイクシスも怪我はない。ついでに氷も割れた」
「良かった……。いや、よく見せてみろ」
ルースは自分でも俺とイクシスの体をあちこち触り、怪我がないのを確かめた。そして、大きく息を吐く。戦闘での容赦のなさと、俺たちへ見せる表情の差。
つくづく変わった奴だ。
視線を移すと、意識のないリンゼス・コーヴィンを数人の兵士で運び出すところだった。あれだけ偉そうだったコーヴィン将軍が、両脇から肩で支えられ、引き摺られていくのは不思議な光景だった。
王女とグリフォンライダー二人が、わざわざこちらへ歩み寄って来る。
「ご無事で何よりです。貴方方の安全を保障する等と言いながら、本来護る側である軍属の者がこのような事態を引き起こし、謝罪の言葉もありません……」
王女は眉をひそめ、丁寧に頭を下げた。
サラとスロウルム将軍もそれに倣う。
ここはあまり遠慮するのも失礼にあたるかもしれない。俺は謝罪を受け入れた。
「――はい。頭をお上げ下さい。一応怪我を負うことはありませんでしたし、こちらがコーヴィン将軍を怪我させてしまいましたし……」
「非は全てありますから、当然のことです。むしろアーガード様にはお礼を申し上げなければなりません。無法者を止めていただき、ありがとうございます」
ルースは王女の言葉に軽く頷くのみだった。
「あー、コーヴィン将軍はどういった……?」
俺の言葉に、スロウルム将軍が答える。
「無論、牢屋行きだ。調査の上で適切な処置が下されるだろう。弟のトリートの方はどうする? 君達の証言次第で、今すぐ拘束することも可能だが」
少し離れた所で、兵士に囲まれたトリート・コーヴィン大佐が立ち尽くしていた。その表情は虚ろだった。
自分の敗北、暴走した兄の敗北、逮捕とショックなことが多すぎたのだ。
――特に可哀想だとは思わないが。
俺はサラに問い掛けた。
「サラはどうしたい?」
「わ、私か!?」
神妙な雰囲気はどこへやら、サラが少々間の抜けた顔で聞き返してくる。
「いや、俺は決闘に勝ったから、これ以上はもうどうでもいい。でも、お前がまだムカついてるなら、牢屋に送ってやるのもやぶさかではない」
「な、何もそこまでしなくても。私もカインドが勝った時点で溜飲は下がっている」
「それならこういうのはどうだ? とりあえず執行猶予で、この先未来永劫、サラ・ゴーシュが執行する権利を持つ。これをコーヴィン大佐に伝えれば、サラに対する嫌がらせも止むだろ。それでも嫌がらせが続くようだったら、その時はサラが怒りに任せてヤっちまえばいい」
俺がそう言うと、その場の全員が固まった。
名案だと思ったけど、外したか?
「……クフッ」
数秒の後、突然、王女が噴き出した。
「――ふ、フフフ、それはいいですね。い、一番効きそうです。ふ、フフフフフ……ッ!」
どこがツボに入ったのか、王女はずっと笑い続けていた。
11月22日初稿
11月23日誤字修正
王女が驚いた様子で固まった。軍事達も一様に→軍人達