13.バタバタのち朝食
「では、お部屋をご用意させて頂きますね。……改めて、私個人からお礼を申し上げます。『龍の卵』を、父の形見を取り返して頂き、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げた王女――いや、この時だけはリィフという少女――の言葉で、場はお開きになった。
エンバリィとコーヴィンはさっさと部屋を辞し、俺達は将軍が呼び出したサラに部屋まで案内される形になった。
サラは鎧姿に剣を下げた、王宮に入った時の格好のままだ。蝋燭を持った彼女の後ろを、何も考えず付いて行く。
「ぐぁ……」
半分以上寝ているイクシスが小さく呻ったのを見て、ルースは微笑んだ。
「イクシスがそれほど重要だったとは、な。不思議な雰囲気ではあると思っていたが」
俺は前を歩く女騎士の背中に語りかけた。
「サラは知ってたのか? コイツが『龍の卵』から孵ったドラゴンの可能性があるって」
「当たり前だ。私達三人は直接王女殿下からご命令を賜ったんだぞ」
胸を張るサラ。最初から押し上げられている胸当てが軋むようだ。
「ルークセント王家に『龍の卵』が伝わってるってのは――?」
「貴族から平民まで、子供の頃に聞く話だ。一年前に盗まれた時は国中が大騒ぎだった」
サラの口ぶりからすると、『龍の卵』という国宝の存在も、それがどこかへ行ってしまったことも、ルークセント全体が知っていたということか。
それなら、盗賊団の情報網で、『龍の卵』があの森の中のアジトにあることを、知っている者がいた可能性が増える。
少なくとも道での襲撃は、イクシスが目的だった。
それが意味するところとは――。
駄目だ、酒と疲れで頭が回らない。
サラが足を止め、こちらを振り返った。
「ここだ。客室と従者用の小部屋が続いている。風呂とトイレも簡単な物があるから、好きに使ってもらって構わない。何か入用があれば、手近にいる兵士か女官に頼むんだな」
「風呂もあるのか! ありがたい!」
ルースが抱きつかんばかりの勢いでサラに詰め寄った。
驚いた様子のサラが、あくまで説明口調を崩さず、返した。
「湯を用意してもらうのは時間がかかるぞ」
「問題ない。<火炎の球>で沸かす」
ルースはさっさと部屋に入っていった。すでに上着のボタンを外しているところを見ると、よほど入浴したかったのだろう。
「あー、色々とご迷惑をかけたようで……」
「お前達は国賓扱いなんだから、これぐらい当たり前だ。言っておくけど、夜の間はウロウロするなよ」
「りょーかい。おやすみ、サラ」
サラは返事の代わりに、おざなりな敬礼をして去っていった。仕事でやっているだけだってことか。その背中を見送ってから部屋に入る。
用意された部屋は広く、調度品も豪華な物が多かった。天蓋付きの大きなベッドなんて久しぶりだ。暖炉には小さな火がおこされ暖かく、揺り椅子や寝椅子等くつろぐ為の家具まである。寝る為だけのベッドしかない国営の宿とは大違いだ。
廊下側にあるドアとは別に、奥にもドアが二つあった。
片方が従者用の部屋へと続き、もう片方が風呂とトイレがある小部屋のものだ。
上着とブーツを脱ぎ捨てたルースが、風呂場から顔を覗かせた。
「沸いたぞッ。僕が先に入ってもいいか!?」
「ああ。その代わりと言っちゃあ何だけど、俺にこっちの部屋使わせてくれ。寝心地のいいベッドが恋しい」
「わかった!」
部屋の片隅に置かれた荷物に向かうルースを見て、俺は驚いた。
シャツの肩部分にベルトが回っていて、脇の下に、鞘に収められた例の短刀が下がっていたからだ。上着とシャツの間に隠していたと見られても仕方がない諸行である。
「おま……、ソレ持って王族と食事してたのか……」
思わず呟いた俺の台詞に、ルースは上の空で答えた。
「戦士として当然の嗜みだ。僕には宮殿がどの程度安全かわからない。ここに来てすぐのこともあったしな。最低限の武器は持っているべきだと判断したんだ。現に、王女との会話で不穏な空気になりかけただろう?」
俺は脱力してしまい、ベッドに腰を落とした。
「よくバレなかったなぁ。それ見つかっただけで、牢屋行きってこともありえるぞ」
「バレなかったし、まぁいいじゃないか。それより風呂だ」
着替えを取り出したルースは、完全に風呂に意識がいっているらしい。
元気だったらもう少し小言を言いたいところだが、それすら面倒だった。
「俺は、風呂はいいや。もう寝る。おやすみ」
「そうか。おやすみ、カインド、イクシス」
風呂場に消えたルースを見送った俺は、首に巻きついたイクシスをどかし、ルークセント側に用意された上等な服を脱いだ。
普段の服装に着替えただけで、開放感が訪れる。
「まぁ、執行猶予とはいえ、いきなり取り上げられるようなことがなくて、良かったか」
仰向けになって口を開けたり閉めたりしているイクシスを見ながら、俺は呟いた。
問題解決は先送りになっているだけだとしても、その分何とかなるよう努力することは出来る筈だ。
「ぐー……」
イクシスは完全に眠っているので、ベストを枕元に広げ、フードに突っ込んだ。小さなドラゴンは、丸まって心地良さそうな鳴き声を上げたので、満足しているんだろう。
「おやすみ、イクシス」
「……ぐむぁ……」
俺もベッドに入って、目を閉じた。
疲れていたからか、久しぶりに飲んだ酒のせいか、上等なベッドのおかげか、考え事をする暇もなく、意識が沈んでいった。
気が付けば、夢を見ていた。
日が昇る前ルースに起こされたところから始まる、一日をもう一度追体験するような夢だ。
ガリガリと一緒に宿屋の主人の部屋に向かう。ヘルハウンドを何とか凌いで、部屋の中へ。部屋に潜んでいた敵に襲われるも、イクシスのおかげで攻撃は防がれる。そして、彼はガリガリの白魔術で拘束される。
その時にはあまり気にも留めていなかった顔の造作まで、ありありと再現された。
赤毛の髪は綺麗に整えられ、無精髭もない。三十代ぐらいの太っても痩せてもいない平凡な顔。その中で目だけがギラギラと殺意に染まっている。
俺は、襲撃者の額へ、魔銃で<貫く枯れ葉>を撃ち込む。
驚いたような顔で首筋を伸ばす、襲撃者。額には、真っ黒で小さな穴。時間が止まったかのようにそのまま凍りつく表情。彼の目は、光を失ってもなお、俺を見据えている。
何故か、何度もこの場面が繰り返された。
俺は数え切れないほど<貫く枯れ葉>を彼の額へ撃ち込んだ。
その時には、大した葛藤はなかった筈だ。
そもそも自分は薄情な人間だ。命を狙ってくるような相手に、手心を加える慈悲なんて持ち合わせていない。進んで手を汚そうとも思わないが、必要ならば踏み出すことなんて簡単だ。しかも、その時襲撃者を倒すことが出来たのは俺だけだったのだから、迷うことなんてない。
そう、思っていた筈なのに。
他にも様々なことがあった一日の中で、ヒトの命を奪ったことが、最も焼きついてしまっている。
ヒトの人生を奪ったことはあっても、ヒトの命を奪ったことはなかったからか、自分で考えている以上に、俺の心には大きな負担だったのだ。
ようやく場面が進んだと思ったら、いつの間にか子供の頃の思い出の中にいた。
実家の広すぎる庭を抜け、街に通じる裏路地を走っていた。
常に前を走る少年。
こちらを振り返るその顔が、逆光ではっきりとは見えない。
俺は、彼に置いて行かれない様、必死に足を動かしながら、声を上げようとした。
「――――――っ!!」
声を上げようにも、喉が塞がったように出せない、その感覚で目が覚めた。
嫌な夢を見た所為で荒い呼吸のまま、顔を動かすと、枕元のイクシスが俺の顔を覗き込んでいる。
「ぐあー?」
その顔を見て、ようやく全身の力が抜けた。
天蓋から下がったレース、そして部屋の窓にかかったカーテンの向こうから、日の光が差し込んでいた。もう朝らしい。このところルースに起こされる日々が続いた為か、疲れた上で早めに寝たからか、俺にしてはかなりの早起きだ。
イクシスの頭を撫でながら、上半身を起こす。
気分は良くなくても、体の方は十分な休息を取れたらしい。伸びをすると、色々なところからポキポキ音がした。左腕の動きにも問題はないことに気付いた。腕を回して違和感がないことも確認。
さて、いつまでも罪悪感に浸っている訳にはいかない。
早く目が覚めたのなら、することは一つだ。
俺は、イクシスがフードに入ったままのベストを羽織り、静かにベッドから降りる。
「……しぃー……」
何事かと顔を寄せてくるイクシスに、人差し指を唇に当て、音を立てるなのジェスチャーをしつつ、ドアの一つへ近付いた。
このドアの向こうは、従者用の小部屋である。
昨日の朝はともかく、その前は二日続けて腹を殴られ、跳ね起きた。思い出すだけで、鳩尾がじんわり痛くなってくる。それぐらい体に残っているのだ。
これは復讐せねばなるまい。
あれほどの戦士に同じことは出来ないにしても、驚かすぐらいは俺にもやれる――かも知れない。
音を立てないように深呼吸を一度して、ドアノブをそっと握る。
頭の中で数字を数えると。
「朝だぞ――ッ! 起きろルース!!」
蹴破らんばかりの勢いで、バターンと大きな音をさせつつ、ドアを開けた。
「…………」
そのままの体勢で、俺は固まった。
イクシスも固まった。
ルースはすでに起きていた。だが、問題はそこではない。
驚いた顔でこちらを見ていることから、少なくとも俺の目論見は成功したといえる。
ルースは着替えの途中だったのか、全裸だった。一気に全部脱ぐのはどうかとは思うが、それも些末なことだ。
俺より細いのに、むしろ野生的なしなやかさを感じさせる、すらりと長い手足。
やけにくびれた細い腰。
所々薄い傷跡がありながらそれがアクセントにしかなっていない、産毛一つ見当たらない肌。
差し込む朝日を浴びて輝くシルバーブロンドの髪。
そして、ささやかな膨らみを持った胸と、ふんわりと丸い尻、三角形の隙間が存在する足の付け根。
もっと筋肉質なら、その膨らみも盛り上がった筋肉だと思い込むことが出来たかもしれないが、男の目を捕らえて離さない、その美しいラインが意味するところと言えば、一つしかない。
ルースは女だ。
「――――ッキャアアアアアアアアアアァァァァァァアアアアッ!?」
叫んだのは俺だった。
俺は叫びながら、開けた時と同じぐらいの勢いでドアを閉め、部屋の端まで後ずさった。
壁を背にして、ズルズルと座り込んだ。今になって腰が抜けたようだ。
起きた時よりも荒い呼吸を必死になって抑え付ける。
「ぐぁ?」
肩に前足を乗せて覗き込んで来るイクシスには、何故俺が混乱しているのか理解出来ないらしい。
別種族の性差なんて、大した関心事じゃないってことか。
しかし、俺には青天の霹靂だった。
女――オンナ――女性……。
頭を抱えて逃避に入ろうとした、その時、廊下側のドアが開いた。
「――何かありましたか!?」
衛兵が二人、室内に踏み込んで来る。その表情は真剣だ。ピカピカの鎧に装飾過多な槍。
昨日取り囲まれた苦い思い出が蘇る。
部屋の片隅に座った俺に、槍を突き付けようとした衛兵達は、すんでのところでそれを思い留まったようだ。おずおずと尋ねて来る。
「あ、あの……どうか致しましたか?」
俺は我に返った。
「――ああ、すみません。とても怖い夢を見たようです。思わず大声で叫んでしまった……」
陳腐な言い訳だが、嫌な夢は見ていたことだし、厳密には嘘は言っていない。立ち上がって、気まずさを誤魔化す様に、ズボンの埃を払う仕草をした。
「はぁ~、や、お騒がせを致しました。本当に申し訳ありません」
「あ、はぁ……」
衛兵二人は納得いかないといった顔をして、部屋から出て行った。
やり過ごせたと思って、視線を動かすと、小部屋へと続くドアからルースがこちらを窺っていた。
「……」
「……」
二人揃って、無言で見詰め合ってしまう。
「ぐあー」
イクシスがルースに向かって朝の挨拶をした。
彼――いや、彼女は俺のすぐ前まで歩み寄って来て、真剣な表情で口を開いた。
「い、色々と言いたい事はあるだろうけれど…………、カインド、察してくれっ!」
「察せるわけがねぇだろ、ボケェ――――――ッ!!」
思わず大声で突っ込んでしまう俺。ルースは珍しく眉を寄せ、困った表情だった。
「そ、そこを何とかっ」
「察せって何だよッ!? そこは説明するか、シラを切るか、普通二つに一つじゃね?」
「じゃ、じゃ、じゃあシラを切るっ!」
「じゃあって何だよ、じゃあってッ!? そこまで言っておいて、なかったことにはならねぇだろうが――――ッ!!」
「そ、そこまで言うなら、こっちにだってあるんだぞッ! いきなり部屋に入ってくるなんて、貴族として、いや、男としてどうなんだ!? あまりにも無礼じゃないか!!」
「お、驚かそうと思っただけだよ! こっちの方がもっと驚かされちまったけどな!!」
「グァーッ!!」
イクシスまで加えて、ギャーギャー言っていると、控えめなノックの音がした。
「「何だッ!?」」
勢い余って、二人揃って叫んでしまう。
衛兵が出て行った時のまま、少し開いていたドアから顔を覗かせた女官が、ビクっと顔を引きつらせて固まった。
「あ、あの……ッ。お、お食事をお持ち致しましたので……」
女官の中でも年齢の低い、まだ十代前半らしい少女だ。王宮での仕事に慣れようと必死に頑張っている時期だろう。
健気に働く少女を怒鳴りつけてしまった。
俺は、落ち着いた声色を用意して、穏やかに謝った。
「……ごめんなさい、気が立っていて。従者の分も含めて、ここに運んでくれますか?」
「は、はいっ」
半泣きの少女は、食事を載せたサービスワゴンを運び入れ、テーブルの上に食事を用意する。若干手つきが危なっかしいが、真剣な態度は好ましかった。
「僕からもお詫びを言わないとな。怒鳴ったりして、本当にすまなかった」
「いっ、いいえッ!! わ、わ、わたくし等に頭を下げられては――ッ!!」
しっかりと頭を下げるルースに、少女の顔は一気に真っ赤になった。俺の時と反応が全然違う。
しかし、ルースの性別を知ってしまうと、この美しい顔立ちも紳士的な立ち振る舞いも、何だか罪作りなものに見えてしまうから不思議だ。
「そ、そ、それでは、ごゆっくりとお食事をお召し上がり下さい!」
若い女官は深々とお辞儀をして、赤い顔のまま部屋から出て行った。
何となく勢いが削がれた俺は、ルースを見やって、息をついた。
「とりあえずメシにするか。腹も減ってるし」
「……むぅ。それもそうだな」
向かい合って席に着き、食事を始める。
用意された朝食は、昨日の夕食に比べるとそこまで豪勢な物ではなかったが、それでも品目は多く、やけに上品な味付けだった。何より食器がピカピカと眩しい。
イクシス用らしく、何かの生肉と牛乳が別の皿に分けられ、中央に置かれていた。当然テーブルの真ん中でイクシスが食事することになる。
料理は俺の舌に合ったし、昨夜は酒を優先させていたのでやや空腹だった。
それでも心から食事を楽しむ気になれなかったのは、ついさっきの出来事の所為だ。
パンを千切る仕草に紛れさせて、ルースの顔を覗き見ていたら、当の本人が静かに言った。
「……何だ」
「あ、その、美人だなーって」
不意打ちに、考えていたことが無意識に口から出てしまった。
「はぁっ!?」
まるで空から槍が降ってきた、とでも聞いた様な顔で、ルースが声を上げた。
「あ、いや、会った時から綺麗な顔だとは思ってたんだけど、女性だと知ってから見ると、普通に美人さんなんだな……、と」
焦った俺は、普段なら例え女性相手でも言わない様なことを捲くし立てていた。
そんな自分に気が付いて、途端に恥ずかしくなる。
訝しげな顔をしていても、ルースの顔立ちは整い過ぎていた。
「そこはなかったことにして触れない様にするんじゃないのか、普通は」
「尤もだ」
皮肉交じりに返されて、俺はそう言うしかなかった。
食事が終わり、自分達で淹れた紅茶を飲み始めた頃、ルースがポツリと呟いた。
「説明はしたくない。事情もあるし、個人的な感情に基づくものでもある。出来れば今まで通り、男として扱って欲しいんだ」
ルースの口調には、説明を拒否する拒絶と、ほんの少し匂わせる程度の妥協と、友人への懇願が微妙に入り混じっている様に感じられた。
これだけの容姿なら、使い方を少し考えるだけで、幾らでも成功出来るだろう。どこか抜けている気がするものの、頭だって悪いとは思えない。豊満な女性が好きなヤツだと物足りないかもしれないスタイルだって、男の好みを変えてしまうぐらいの魅力を持っていた。
髪を伸ばしドレスを着て微笑めば、王族に嫁ぐ事だって出来るかもしれない。何も大剣を振るって旅をする必要などない。
初めて、ルースの生い立ちに興味を持った。
しかし俺は、何度か命を助けてくれた恩人の頼みを断るほど、恩知らずではないのだ。
「わかった。今まで通りな」
「グァー!」
「恩に着る。ありがとう」
俺とイクシスの返事を聞いて、ルースは頭を下げた。
「――ところでイクシス、こっちに来い。口が汚れているじゃないか」
垣間見せた神妙な様子はどこへやら、謎の女戦士は素早くテーブルからイクシスを抱き上げ、その口を布で拭き始めた。
「ぐむぁ~っ!!」
暴れるイクシスを宥めながら、何とか抱き止めようとするルースを見て、気付いた。
一般にご婦人は愛らしい小動物が好きだし、例え相手が嫌がっても構おうとする。
ルースもその辺の嗜好は女性なんだ。
「こら、暴れるな! 拭くだけなんだから!」
「ぐむむッ! ぐ、むが~っ!!」
小さな納得でどこか満足した俺は、じゃれ合う一人と一匹を眺めながら紅茶を啜った。
10月20日初稿