12.英雄と名前
ここのところ質素な生活を送っていたので、豪華な服が落ち着かない。
俺とスロウルムは廊下でルースを待っていた。
「食事より事情の説明の方がありがたいのですが……」
「夕食と説明を同時に、という王女殿下の心遣いさ。元々は憲兵本部での事情聴取の筈だったんだ、それに比べれば気が楽じゃないか」
壁に背を預けたスロウルムが苦笑しつつ言った。
鎧を脱ぎ、朱色の長衣を纏った将軍は、戦士としての力強さを残しつつ、壮年の落ち着きと高貴な雰囲気が滲み出ていて、相当なダンディっぷりだった。
「まぁ、こちらの方が面白そうではありますけどね」
俺もまたシンプルながら礼式に則った服装に着替えさせられていた。深緑の正装はルークセント側が用意した物だ。王族との会食に軽鎧姿で参加させる訳にはいかない、ということだろう。
「グアー」
俺の右肩に腹を預け、垂れ下がったドラゴンの子供が鳴いた。フード付きベストは流石に着れなかったので、ほとんどマフラーの様に、首か肩に引っかかるしかない。
テーブルに着くまでは辛抱してもらおう。
結局、俺が知りたいことを話してくれない将軍との意味のないやり取りに少々飽きた頃、ルースが鼻息荒く廊下に出てきた。
「食事一つの為にどうして着替える必要があるんだ! 剣まで取り上げられてしまったぞ!」
不機嫌な表情で捲し立てるルースは、とんでもなく目を引いた。
元々綺麗だったシルバーブロンドは櫛を当てられ輝きを増し、空色の正装に映えている。大剣とみすぼらしいマントがないだけで、武の匂いが一切しなくなる。
俺と同様それほど凝った作りではない服が、まるで王者の風格を備えているかのようだ。
王冠でも載せれば、そのまま玉座に座っても違和感一つないに違いない。
一瞬見蕩れた自分に気が付いて、俺はわざと皮肉を口にした。
「完全にお前の方が目立つなコリャ」
「こんな服は僕だって着たくなかった。女官がぜひこれをと差し出して来て、それで仕方なく……」
「ぐあーっ、ぐあっぐあっ」
ため息交じりのルースにドラゴンが顔を寄せる。
途端に笑顔になったルースは、ドラゴンの赤い鬣を撫でながら言った。
「慰めてくれるのか……。優しいなぁ、イクシスは」
「ぐーあーっ」
ルースの中では、ドラゴンの子供はイクシスという名前で決定らしい。というか状況が状況だったし、昔飼っていた犬の名前を呼んでしまっただけです、とは言い出せない雰囲気だったのだ。
ドラゴン自身もどうやらそれを自分の名前だと認識しているようだし、わざわざ取り消すこともないかな、とそのままになっている。
将軍の案内で、入り口を固める二人の兵士達に敬礼されながら、食堂に入った。
室内は広く、蝋燭の光で淡く照らされている。
すでにテーブルには、王女と、先程彼女の傍らにいた背の高い男、さらにコーヴィン将軍が着いていた。
「ソーベルズ卿をお連れしました。アーガード殿とイクシス殿もご一緒です」
スロウルムの紹介に合わせて、俺達は一礼。
王女達も立ち上がって、返礼をした。
「お越し頂きありがとうございます。今夜は私的な招待ですので、あまり緊張なさらずお食事を楽しんで下さい」
そうは言っても王族との食事なんて初めてですし……。
俺は愚痴を飲み込み、曖昧な笑顔で応じた。
「こちらは、リンゼス・コーヴィン将軍。そして、摂政役を務めるレイゼント公レストファー・エンバリィです」
王女に紹介された二人は、無表情のまま頭を下げた。
コーヴィンは俺達を無視すると決めたようだ。視線を外し、しきりにグラスを傾けている。
長身の男はエンバリィというのか……。
大臣ぐらいは務めているだろうとは思っていたが、まさか摂政とは。ルークセントには現在王がいないので、王女が成人するか夫を娶るまでは、彼が最高権力者だ。どうりで怖い筈である。
王宮での王女に摂政、将軍二人が席に着いた晩餐。国賓でもそうそうない状況だ。俺達一人ひとりに給仕が付いているし、至れり尽くせりだ。
食事は贅を尽くした豪勢な物で、王女の言う通り、それほど格式ばってはいなかった。量も多く、皿を空ければ女官が次から次に運んで来る。ついでに高価なワインまで出され、俺達は遠慮なく料理を堪能した。
「――という訳で、絶体絶命とも思える窮地に陥った私達を、グリフォンライダーの方々が救ってくれたのです。まるで英雄譚の一場面に遭遇した様な、劇的な幕切れでした」
舌も軽くなり、俺は王女の問いに答える形で、サートレイトから王都までの経緯を話し終えていた。
当然ルースに助けられた部分とドラゴン――イクシスが卵から孵った場面は端折った。
ルースは元々俺の従者で、一瞬の油断で俺が盗賊団に攫われたことにし、イクシスは偶々森で会って懐かれたことになっている。
「大変な旅をしていらしたのですね。何の罪もない旅行者を何度も危険に晒してしまうとは……。国を代表して謝らせて頂きます。申し訳ありません、ソーベルズ様」
王女の言葉に、晩餐の場は凍りついた。
調子に乗って気遣いを忘れていた様だ。俺は慌てて言い繕う。
「いえいえっ、憲兵隊の方々やグリフォン部隊の御尽力で事無きを得ましたので!」
気まずさに居住まいを正す俺に、雰囲気を変えようと気を利かせてくれたのか、エンバリィが語りかけて来た。
「ドラゴンは最初から貴方の言うことを聞いたのですか?」
「――あ、はい。基本的には」
反射的に答えて、俺はずっと棚上げにされていたことを思い出した。
「私にはどういうことなのか見当もつかないのですが……、このドラゴンの子供のことを何か御存知なのですか?」
イクシスが格闘していた肉から顔を上げ、俺を見上げた。例え小さいとはいえ、魔獣をテーブルの上で食事をさせるのは特例中の特例だそうだ。
俺の問いに答えたのは王女だった。
「ソーベルズ様のお話に聞き入ってしまって忘れていました。始めから説明させて頂きますね」
ワインではなく、紅茶で口を湿らせ、王女は続ける。
「ルークセント王家には『龍の卵』という物が、約二百年の間、代々伝わっていたのです。小ぶりの宝箱に入った、赤い線が入った黒い卵でした……」
そこまで聞いた時点で、俺の背中には冷や汗が伝った。
忘れもしない、盗賊団の物置にあった卵――イクシスが孵った卵も黒地に赤い線が入っていた。
「歴代の王が思い立つ度に、その時代の技術で調査されましたが、わかることと言えば、生きているらしいということぐらいだったのです。無理なことは出来ず、この城の宝物庫で、二百年以上ひっそりと保管されていました。一年と少し前――私の父ウッドウェイン前王が永眠する、その直前までは」
王女の眉根に、一瞬、苦痛の皺が浮かぶ。しかし、すぐに元の真剣な表情に戻った。
「ウッドウェインは自分の死期を悟り、事後のことをエンバリィと私に託しました。その際、受け継いだ品の中に、『龍の卵』は確かにあったのです。それが、葬儀や事務処理を何とか終わらせた頃には、消えていました。おそらく、ウッドウェインの死に国中が混乱した隙を付かれたのでしょう」
王女がため息をつくと、コーヴィンが口を開いた。
「当然、我が憲兵隊が総力を挙げて捜索をした。その歴史的価値はもちろんのことだが、何よりも魔獣の卵――それも龍の物とすら言われている卵だ。仮に孵ることがあれば、どの様な被害が出るのかわかったものではない。王宮の内部から王都の人間まで調べ尽くし、すぐに範囲をルークセント全体まで広げて行方を追っていた。それが外国人の旅行者ふぜいに――」
「私のお客様です。言葉遣いに気を付けて下さい、コーヴィン将軍」
王女の言葉にコーヴィンは黙った。
ついさっきこんな場面があったなぁと思ってコーヴィンを盗み見ると、その顔には微かに非難――いや、怒りの色が見て取れた。国家の代表格に対して思うところはあっても、地位や立場が高い者ほど普通は顔に出さないようにするものなんだが……。
エンバリィがさりげなくその後を引き継いだ。
「一年以上、国の総力を挙げて探していた『龍の卵』の手がかりが憲兵隊からもたらされたのが、一昨日のことでした。壊滅した盗賊団のアジトに、赤い線が走る黒い卵の殻があった、という報告です」
サートレイト隊からの報告のことか。その時隊長あたりが、国宝の可能性を示唆され、俺達を目撃者として連れてくるよう命令されたんだろう。
一度詰め所から開放されたのに、数時間経っただけで本部まで同行しろと言い出したのは、憲兵隊本部どころか国からの命令だったのだ。
「報告によると、卵の殻には孵ったばかりだと思われる痕跡があったようです。しかし、憲兵隊が付近の捜索を行っても、オルトロスや馬の死体があっただけで、それらしい魔獣は発見されませんでした。例え魔獣であっても、孵ったばかりの幼獣が、そう長距離を移動出来るとは考えられません」
エンバリィの挙げる事実を受けて、王女が結論付けた。
「そこで、貴方方が何かご存知ではないか、とお越し頂いたのです。小さなドラゴンをお連れなのは、今日までわかってはいませんでしたけれど……」
「……なるほど……」
小さな声で相槌を打つしかなかった。
あの卵が城から盗まれた物だということは。そこから孵ったイクシスの本当の持ち主は、ルークセント王国、あるいはルークセントの王族にあることになる。
俺達のような旅行者を、わざわざ晩餐に招いて話をするということは、当然王女達としては所有権を主張する筈だ。
「ぐぁ?」
イクシスが首を傾げる仕草に、胸が痛む。情が完全に移っている証拠だった。
俺の表情を読んだのか、王女が済まなそうな声色で言った。
「もちろん、『龍の卵』と呼ばれていても、そこから何が孵るのかわかってはいませんでした。魔獣の卵であるということは確かですが、割って確かめる訳にはいきませんからね。――その子が『龍の卵』から孵ったという証拠はありません」
シラを切り通すという選択肢もあるかもしれないが、俺はその『龍の卵』からイクシスが孵るのをこの目で見ている。どれだけの価値があるのかもわからない国宝を、それと知りつつ騙し取るような胆力が俺にあるかどうか……。
こちらを見据える王女は、俺の葛藤を知ってか知らずか、淀みなく続ける。
「しかし、『龍の卵』という伝承が、ただの権威付けや誇張でないことは確かなのです。その卵をルークセントにもたらしたのは、かの英雄、アレイド・アークだったのですから」
それまで話を聞いているのかもわからなかったルースが、ぴくりと反応した。
俺も驚いて、口を開いたまま固まってしまう。
「歴史上で果たした役割や様々な逸話で有名な方ですし、お二人ともご存知のようですね。当然、ルークセントでも、真偽は別にしていくつもの物語が語られています。その中でも、特に重要視されるのが――」
「通り名の一つ『龍の友達』」
俺は思わず、王女を遮って呟いてしまった。
アレイド・アークが残した逸話は多く、その行動は範囲も深さも常軌を逸したものだった。
結果として、通り名もたくさんある。『三つの切り札』や『次なる一歩』あたりはまだいい方で、『英雄長』『黒衣の大渦』なんてものまで存在するぐらいである。
そんな中、本人が好んで冠されることを望んだのが『龍の友達』という通り名だ。
「そう。世界が創造された時に最初の命として生み出された四十八体の龍、その一体である赤尾白龍とアレイド・アークは友人関係にあった、という伝説です。このことから、魔獣を使役するルークセントでは、彼は今でも非常な尊敬を集めているのです」
ここで言う龍とは、その辺に存在するドラゴンとは一線を画す、ほとんど伝説上の生き物だ。50mを超える体を持ち、ありとあらゆる種族の言葉を使いこなし、エルフですら足元にも及ばない精霊魔法を軽々と操った等と言われる。
アレイド・アークはそんな存在と友情を結んだ唯一の英雄だった。
現在は真龍と呼ばれている四十八体の龍は、普通魔獣には分類されないが、強力な力を持つ別の生き物と意思の疎通が出来た、というのは、魔獣乗りにとっては尊敬出来ることなのだろう。
「その『龍の友達』が『龍の卵』だと明言して残していった、という伝承がある卵ですから――」
「……だからニセモノの筈がない……」
俺の言葉を最後に、食堂が静かになる。
エンバリィの語った状況証拠ならともかく、最後のアレイド・アーク云々は、他の国の者にとっては根拠になどならないだろう。
しかし、魔獣国家としての誇りを持つルークセントとしては、拘る理由になる。
これは、諦めるしかないかなぁ……。
「ぐ~ぁっ」
大ぶりの肉を腹に収め終えたイクシスが、テーブルから俺の肩に飛び乗った。胴体を俺の首に預け、スカーフやクラバットの様に、頭と尻尾を垂らす。
「――っ」
その安心しきった表情を見て、渡したくない、と思った。
所有権や正当性や倫理観等から目を逸らしてでも、この小さな生き物と一緒にいたい、とそう思った。
例え、一生ルークセントから追われる身になったとしても――。
数瞬前の逃げ腰はどこへやら、意識が加速する感覚。
「その子が『龍の卵』から孵ったドラゴンだとして」
王女が上品にカップを置くと、言った。
逃げ出す算段を組み立てていた俺の頭が、一気に現実に帰る。
「一つ大きな問題があります。ソーベルズ様、貴方方のことです」
「はい?」
「ぐぁ?」
俺の名前に反応するイクシスに、王女が微笑み、すぐに真剣な表情に戻った。
「先程、貴方はその子を『イクシス』と呼びましたね。そして、ドラゴンの子供はそれに応え、魔法を途中で消すという、本能とは異なる行動を取りました」
それまでルースと同様黙っていたスロウルム将軍が、いきなり説明を始めた。
「ルークセントでは魔獣を扱うようになってから数百年、その生態の研究も行ってきた。騎獣に出来る出来ない関係なくな。その中には当然龍種も含まれる。ごく一部の龍種は精霊魔法を扱うが、これを途中で消した固体は、自然界ではこれまで観測されたことがない」
「……」
そういえば、あの時衛兵から将軍まで皆驚いていたっけ。
「そして……グリフォンも含まれるんだが、一部の魔獣にとっては名前とは非常に重要なものらしい。ちょっとした気まぐれで言うことを聞いてくれることはあっても、魔獣が心の底から認めるのは――本当に従うのは、その一生で名付けた者ただ一人だけだ。ソリソカルも私が名付け、私にのみ従っている」
ということは要するに。
「ふん、魔獣に心だと? もっと徹底的に調教してやればいいのだあんなケダ――」
「口を閉じなさい、コーヴィン」
コーヴィンとエンバリィうるさい。
王女は軽く息を吐き、言った。
「憲兵隊とグリフォン部隊の報告を合わせると、その子と接触をしたのはソーベルズ様とルース様だけのようです。――単刀直入に窺わせて頂きます。どちらが初めに名前をお呼びになったのですか?」
俺は王女から視線を外すことが出来なかったが、ルースだけでなくイクシスまで俺を凝視しているのは雰囲気でわかった。
「…………わ、私です」
蚊の鳴くような声で俺が答えるのを見て、今度こそ王女は大きくため息をついた。
「つまり、『龍の卵』から孵ったドラゴン――『イクシス』は未来永劫ソーベルズ様にしか従わない、ということです」
王女の台詞というよりも、状況に対して開いた口が塞がらなかった。
一生追われる身となってもイクシスを連れて逃げよう、なんて決意を固める前から、ネコババしたも同然だったんじゃないか。
知らなかった上に成り行き任せだったとは言え、自分の意思とは無関係に悪いことをしたかと思うと、わかっていて悪いことをしたのよりも、何故か心の負担が大きい。
賠償だとか刑罰だとか、償う為には何をすればいいのか。
問答無用で投獄されないだけマシかもしれないが、不安はどんどん大きくなってくる。
俺は王女の前にいることも忘れて、頭を抱えた。
スロウルムが生真面目な表情でさらに追い討ちをかけて来る。
「魔獣師団の中でも、グリフォンやワイバーン等の繁殖に成功したものは、幼獣の頃に名付けられる。生まれたばかり、孵ったばかりの方が名付けの成功率は上がるのだ。名付けた者は、乗り手として親として、一生の面倒を見る義務が生じ、故に、自らが名付けた魔獣が生きている間、退役することは出来ない」
こ、これは暗に、俺にルークセント軍に入れって言ってるのか!?
ユミル学院に辿り着くことも出来ずに、どのぐらいの戦力になるのかわからないイクシスの世話をしつつ、有事に備えて訓練を続ける。兵士になる覚悟はあったが、魔獣乗りとして外国の軍に入るなんて。年をとった自分が、フードにイクシスを入れて、杖を突き突き戦列に参加する……。
そこまで想像して、慌てて頭を振って打ち消した。
「スロウルム将軍、止めて下さい。ソーベルズ様が怯えになってしまったではないですか」
王女の言葉に顔を上げれば、面白がるように口の端を上げたスロウルムの顔があった。さすがにイラっとしてしまう。
俺の感情を正確に読んだらしい王女が、早口で言った。
「罰や義務を一方的に押し付けることは絶対にありませんので、そういった心配はなさらないで下さい。私達も、突然の事で、決めかねているのです。盗難にあった『龍の卵』を届けて頂いたお礼もしなければなりませんし。ソーベルズ様、国賓として正式にルークセント王国が貴方方のご安全を保障致します。ですから――」
王女はそこで言葉を切り、上目遣いで俺を見た。
これまで実年齢以上に大人びて見えた王女の顔が、途端にあどけなくも可愛くなる。
「少々の間、この宮殿に留まっては頂けませんか?」
「……は、はぁ」
色々ありすぎて疲れていた俺に出来る事と言えば、生返事をすることぐらいだった。
10月13日初稿。
1月11日誤字報告を受けて修正。
皿を開ければ女官が→皿を空ければ
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