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十二英雄伝 作者:ぷるっと企画

零章 『世界が分かれた日』

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五十六話 「RD事変 其の五十五 『刻まれた怒り』」

   †††

 この時、アレクシートの中で何かが弾けた。

 具体的にそれが何かはわからない。ユニサンの怒りに反応して彼の中の怒りが目覚めたのかもしれないし、もともとあった枷のようなものが外れたのかもしれない。

 いや、もはや理由など、どうでもよい。
 彼の脳裏にあるのは、目の前の敵を倒すことのみ。

 ただそれだけに意識を集中させたのだ。サンタナキアはオロクカカとの対話で真実を聞かされて動揺したが、今のアレクシートの耳にはいっさい入らないだろう。

 なぜならば、この時の彼は…

「うおおおおおおおお!!」
 アレクシートの叫びとともに、シルバーグランが突進。

 激情に支配されたアレクシートは、ますます直線的な動きに拍車がかかり、一直線に突っ込んでくる。

(さすがだな。まだ動けるか)
 さきほどの一撃はユニサンの全力のもの。直撃して動けるなど信じられないが、それでこそ大国ロイゼンの騎士団長である。やはり五大国家の騎士は一味も二味も違う。

「ならば受けて立つのみ!!! まだ俺は死んでいない! 生きている限りあがくぞおおおおお!」
 ユニサンは向かってくるシルバーグランを確認すると、潰れた肺と心臓の制御を諦め、全身の筋肉だけで強引に血流を動かしていく。

 所詮応急処置であるが、これで今しばらくは戦える。肉体が動く限り、魂が存続を許される限り、ユニサンが止まることはないのだ。

 ドラグニア・バーンは突進を正面から受け止めない。体勢を入れ替えるように回避。半死半生の身とて、幾多の死線を乗り越えてきたユニサンには経験という武器があった。

「ううううう、おおおおおお!!」
 が、シルバーグランは急旋回。大地を強く踏みしめ、力任せに方向を変えた。

 その急激な転回に足の筋肉が悲鳴を上げる。それに耐えきれずいくつかの筋繊維が千切れたが、それすらもお構いなしに強引に体勢を持ち上げる。

 そこからグレイブ一閃。
 横薙ぎの一撃が襲う。

(死に体で放たれた一撃など)
 ドラグニア・バーンは冷静に対応。シルバーグランの体勢は後ろに重心がかかっている状態。あれでは強い一撃は打てない。

 ドラグニア・バーンは、グレイブの刃先にしっかりと狙いをつけてナックルを叩き込む。ドラグニア・バーンの拳は強撃でも耐えうる強度。今回も上手く弾くつもりであった。

 ミシミシ。

 そんな嫌な音が聴こえたのは、ナックルが刃先に当たった瞬間であった。右拳に激しい圧迫感が襲いかかり、脳髄に雷が走る。

(まずい)
 このままでは拳が破壊されると直感したユニサンは、咄嗟に拳を引っ込める。

 直後、グレイブがドラグニア・バーンの頭部の近くを通り過ぎる。ドラグニア・バーンも無理な体勢であったが、シルバーグランも無理やり放った一撃。それが幸いしてか回避には成功する。

 しかし、すでに身体の機能が半分停止しているユニサンでさえ、思わず冷や汗を掻いた一撃である。

(この一撃は違う。もはや別人だ!)
 ユニサンは、アレクシートが今までとは違うことに即座に気がついた。

 ユニサンの顔を押し潰さんとばかりに押し寄せる力の奔流は、さきほどとは桁違いの勢いである。互角であった拳を打ち崩すほどに、今のシルバーグランは気迫に満ち溢れている。

「消えろ、消えろ、消えろ!!!」
 シルバーグランは力任せにグレイブを振り回す。

 この光景もさきほどと同じだが、やはり威力が違う。グレイブに当たったものすべてが一瞬で存在を消失させる威力。地面が砕け、破壊され、溶解するほどの威力に思わずドラグニア・バーンも下がるしかない。

 なぜ突然、力が強くなったのか。
 その理由をユニサンはよく知っていた。

 なぜならば自分も一度体験しているから。

(オーバーロード〈血の沸騰〉。だが、ただの沸騰ではない。これがカーリスの狂信者というものか)
 カーリスという存在が、なぜ恐れられるのか。恐れられていながらも、どうして放置されているのか。

 オロクカカの話を聞いた時、サンタナキアは恐怖した。それは自分の価値観が崩壊することだけにではない。カーリスの暴走を恐れたのだ。誤まった宗教が秘める【暴力性】を怖がったのだ。

 狂信化バーサーカー現象。

 信仰心の強い人間にだけ起こる一種の凶暴化現象である。ドグマ、つまりは強い思い込みによる精神汚染が進むと、魂すら精神の牢獄に閉じ込められ、何かのきっかけで過激化あるいは凶暴化する。

 たとえば、戦争が起こると平時では考えられないほど残酷な行為が発生することがある。周囲を覆うマイナスの影響力である【悪気】に感化され、気がおかしくなってしまうのである。

 これは精神的なものであるが、火事場の馬鹿力のように肉体にも異常を及ぼすことがある。なぜならば人間の身体は精神の支配下にあるからだ。実際、バーサーカーになった人間は恐ろしいほどの力を発揮することが確認されている。

 結論から言ってしまえば、単なるオーバーロード現象なのであるが、これの恐ろしい点は【一般人にも及ぶ点】である。

 そう、この狂信化現象は武人の素養がなかったはずの人間にまで及び、異常なまでの力を引き出すことにある。

 一般人の強制オーバーロード化。

 これが意味するところがいかに恐ろしいかは、少し知識がある者ならばすぐにわかるだろう。ある程度資質を覚醒させている武人でさえ、一度使えば寿命を大幅に縮めるものである。

 それを何の準備もしていない一般人が使えばどうなるか。

 確実に死ぬのである。

 武人が使えば回復の可能性はある。症状が初期の段階であれば、偉大なる王の力があれば復帰も可能なのだ。がしかし、一般人の場合は不可能。間違いなく肉体が破壊されるだけにとどまらず、今のユニサンのように魂にまで悪影響を及ぼすだろう。

 今のアレクシートはオーバーロードを引き起こしている。強いのは当然である。

「熱い!! 燃えるようだ!! これが信仰の力か!! ラナー卿と同じ力なのか!?」
 アレクシートの心に信仰心が湧き上がるたびに血が燃えていく。

「私の邪魔をする者は消えてしまえ!!」
 シルバーグランがダッシュ。その速度もさらに上がっている。一気にドラグニア・バーンに接近してグレイブを振り回す。

「ちいい!! この速度はよけきれん!」
 消耗しているユニサンでは回避ができない。最初と同じく拳で迎撃するが、激突のたびに激しい衝撃が拳に走っていく。

 ガキン ガコン

 ドラグニア・バーンの拳が凹んでいく音が聴こえる。ダメージ還元によってユニサンの拳にもヒビが入っていく。

(まずい。闘気が不安定だ。これでは防げぬ!)
 肺が潰れて練気が不完全な状態では、戦気の上位版である闘気は安定しない。そもそも戦気は、武人に必須の攻防一体の武器。それが薄れてしまえば戦闘力全体が落ちてしまう。

 その結果。

「うおおおおおお!!」
 シルバーグランの一撃がドラグニア・バーンを捉える。なんとか両腕でガードするが、容赦なくガードごと吹っ飛ばす。

 その威力でドラグニア・バーンの両腕の装甲も割れていく。

(防御用のアームまで破壊するのか!? なんて威力だ!)
 アームガードで受けたにもかかわらず、お構いなしに破壊していく。この力は単なるオーバーロードだけとは思えない。

 アレクシートが強いのだ。

 武人として持っている素養が相当に高い。単純な才能値だけならば上位バーンにすら匹敵する潜在能力を持っている。それが狂信化によって一時的に解放されたのである。

 生まれ持っている天賦の膂力も数倍。

 どんな不利な体勢からでも上半身の力だけで強引に敵を倒せてしまう、生まれ持っての破壊力である。この戦い方をされてしまうと、いかにドラグニア・バーンであっても、もう手が付けられない。

「すごいぞ! 信仰心がそのまま力になるようだ!! 今、私は守護を得たのだ!! もはや何者にも負けぬ!!」
 アレクシートから無尽蔵に戦気が溢れていく。

 しかも強度が尋常ではない。強靭でしなやかで、燃えるように熱くて巨大。これが彼の持つ真の力だとすれば、それこそ末恐ろしい大器である。間違いなく英雄として名を残す器だろう。

 しかし、このままでは彼は死ぬ。

 アレクシートは、自分がオーバーロードをしていることに気がついていない。ただの信仰の高まりによる相乗作用だと思っている。

 これが怖いのである。

 自分が死に近づいていることを知らない。信仰がなせる業であると思ってしまう。信仰心が強い人間ほど、こうした傾向がある。これは女神の祝福なのだと。聖女の導きなのだと。

 だが、それは偽りである。

 ユニサンたちに言わせれば、それは…

(これが【呪縛】の効果か)
 ユニサンは、メラキからカーリスの暗部についてのレクチャーを受けていた。

 彼らがなぜ狂信化するのか。武人ならばわかるが、なぜ一般人までオーバーロードが可能なのか。そこに大きな秘密があり、それについてはオロクカカがすでに断罪している。

 六つ目の断罪。
 偽りの祝福による洗脳、である。

 カーリス教徒になるために受ける洗礼と祝福。これに秘密があるといわれている。また、そうでなければ説明ができないのである。

 カーリス教を追い詰めると、信者が狂信化して襲ってくる。これは今までの歴史を振り返っても事実であり、それゆえに多くの国家はカーリスを恐れることになる。

 今やカーリスの信者は世界中に数多く散らばっている。それだけ多くの根が広がっているのだ。木を引っこ抜こうとすると、その根まで一緒に抵抗するのは当然でもある。

 しかもここは中枢に近い場所であった。法王エルファトファネスを前にした守護騎士のアレクシートが狂信化しても、何ら不思議なことではない。

(かなり厳しい相手だ。やれるか?)
 今のユニサンは、立っているだけでも全身に激痛が走っている状態である。肉体の痛みは鈍いが、魂が欠けていく強い痛みに襲われていた。自分が神法に違反しているという罪の代償である。

(怒りに囚われ、肉体を改造し、それでもなお破壊を続ける悪鬼。俺にはお似合いの姿であろう。だが…!!)

 まだ戦える!!
 戦わねばならない!!

 彼の中に消えない痛みがある限り!!
 母親と妻、子供を殺された恨みが消えない限り!!

 不平等を押しつける【悪】を撃ち滅ぼすために!!

 目の前にいる、既得権益のために人の道すら逸脱する外道どもを殺すには、ただにこやかな善人では駄目なのだ。鬼の力。悪鬼の力。悪魔の力が必要なのだ!!

 怒り、怒り、怒り、怒り、怒り!!!

 殴っても収まらず、謝られても許せず、奉仕されても足らず、相手が苦しんでも当然だと思うほどの、恐ろしい怒り!!

 今、ユニサンを動かすのは怒りのみである!!

「貴様らを打ち倒してこそ未来がある!!」
 ドラグニア・バーンは両手にありったけの戦気を溜めると、シルバーグランに接近戦を仕掛ける。

(ギリギリまで懐に入らねば倒せぬ)
 現在の中近距離戦ではグレイブを操るシルバーグランに太刀打ちできない。このままずるずると後退させられて、最後に力尽きて死ぬだろう。

 勝機があるとすれば【超接近戦】。
 しかし、ここに至るまでが地獄であった。

「おおおおおおおおお!」
 能力を解放したアレクシートは、腕力だけが伸びたのではない。感覚も戦気の質も、動体視力もすべてが上がっている。

 ドラグニア・バーンが近づけば、グレイブで薙ぎ倒そうと振り回してくるが、そのすべての精度が上がっている。的確にドラグニア・バーンを捉えてくる。

 その精密な攻撃を回避することは不可能である。そのうえ一発でももらってしまえば致命傷なのだ。ならば最初と同じく丁寧に潰していくしかない。

 だが、威力が違う。

 拳で迎撃するごとに、せっかく溜めた戦気が一瞬で吹き飛んでしまう。常時最大の力で臨まねば拳がもたない。消えた戦気を再びまとうたびにユニサンの命が削られていく。

 無呼吸で戦気を練ることが、いかにつらいか。

 武人は呼吸によって多くのエネルギーを周囲から得ている。いわゆる神の粒子、生命素である。それがない状態は、燃料なしに火を維持するようなものである。わずかな種火を消さないように、必死で自らの肉と脂を削り取って燃やす行為に似ている。

 もはやユニサンの身体は、血を燃やしても何も出ないほどに枯渇しているのだ。

(はぁはぁはぁ!! このような苦しさなど、何度も味わった!! これが最後ならば、むしろ喜びよ!!)
 それでもユニサンは止まらない!!

 歯を食いしばり、拳がひしゃげながらもグレイブを迎撃し、少しずつ近づいていく。いかに身体が強化されても心は人間のままである。彼を支えるのは、今まで流した悔し涙と、血と汗。

 そして、悪魔が思い描く未来図。

「ああ、この先にある未来のために。いつか来るであろう、人の未来のために!!!」

「こんな俺でも礎になれるのだ!!!」

 ドラグニア・バーンがグレイブを弾いた直後、決死の覚悟で飛び込む。だが、シルバーグランの返しが速い。あの重いグレイブを軽々と操る膂力はさすがである。

「いくらでもくれてやる!!」
 ドラグニア・バーンはよけない。しかも腕を上げてノーガードで受ける。グレイブは左脇腹に当たって装甲を破壊し、そのままコックピットにまで抉り込む。

 しかし、それでもユニサンは止まらない。

「食い込んでくれたのならば、なおよし!!」
 黒い般若の身体が半分ほど千切れかかるが、耐えた。

 耐えたのだ。
 耐えたのならば、それでよし!!

 ドラグニア・バーンは両腕を使って、抱き込むようにシルバーグランを締めつける。ベアハッグである。

「ぐっ!! 何を…!!」
 シルバーグランの両腕ごと締めつけられているので、さすがのアレクシートであっても身動きが取れない。がっしりと締められている。

「悪あがきを!! 腕ごと引きちぎってやる!!」
「切れぬ!! この腕は切れぬ!!!」
 アレクシートは全身の力を注ぎ込むが、ユニサンの腕はぴくりとも動かない。オーバーロードで真の才能を引き出しているのに、この男の腕は動かない!!!

 何度もがこうと、何度あがこうと、目の前の男は歯を食いしばって耐え続ける。皮がヒビ割れ、肉が裂け、骨が折れても動かない。それどころか、万力のように少しずつ締まっていく。ミシミシとシルバーグランが圧迫されていき、アレクシートの腕も軋んでいく。

 そのままシルバーグランの腕をへし折る!!!
 力を失った手からグレイブが落ちた。

「なんだ、お前は!! 何なのだ!?」
 アレクシートは痛みを感じないほど、より強い感情に支配されていた。

 恐怖。

 どうやっても抜け出せないとわかってしまったのだ。それはまるで、海の中でサメに噛まれ、海中に引きずり込まれるような感覚。初めて見たもの、初めて感じた強烈な意思に【ビビッた】のである。

 アレクシートは強靭な精神をしている。どんなに信仰を否定されようが気にせず、堂々と淡々と敵を排除できる強さがある。

 だが、目の前の男の強さは、また別種のものであった。それはただの石ころだったのだろう。誰も価値を見つけないような、道端のつまらないコンクリートの破片かもしれない。

 それを抱き続け、磨き続けた男の力を見よ!!
 それが怒りであっても、その強さを見よ!!!

 男はけっして放さない。
 死んでも放さないと決めたのだ。

 だから離れない!!!!

「うわあああああ!! 放せ!! 放せええええええ!!」
 アレクシートは、ドラグニア・バーンの目が宿す光に恐怖する。

 それは狂信というレベルを超えていた。誤まった信仰など、粉々にしてしまうほど強い意思に満ちていたのだ。目に宿すは炎。カーリスの狂信すら燃やし尽くす、圧倒的な怒りの炎!!

「放さん!!! 一緒に死ね!!」
 ドラグニア・バーンの頭部である龍の首が独立して動き、強靭な牙がシルバーグランの背中に喰らいつく。

 ドラグニアの拘束用の特殊武装である。このような状態でも、最後まで奥の手を取っておくしたたかさ。ユニサンの力、知恵、経験のすべてがここに宿っていた。

「貴様らは、何だ!!!」
「世界を焼く悪魔だと言っている!!!」
 ドラグニア・バーンが炎で燃えていく。最後の叫びが闘気を再び燃え上がらせ、膨大な炎となって世界を焼いていく。

 このまま炎は極限にまで高まり、シルバーグランを巻き込んで爆発するのだ。

 それは文字通りの爆発。
 ドラグニア・バーンの【自爆】である。

 ドラグニア・バーンに搭載されている爆弾は普通のものではない。ザックル・ガーネット同様に膨大な負の力を蓄積した石、【ジン・ジ・ジャスパー〈連鎖する怒り〉】を核に使った特製である。

 これはザックル・ガーネットと反応しないと発動しないので、普通に撃墜されただけでは爆弾にはならない。ユニサンが自らの意思で命を捨てる時、その瞬間に起動するように仕組まれている。

 それは名が示す通り、ただの爆弾以上に恐るべきものである。怒りは連鎖し、世界に拡散していくものとなるだろう。

「さあ、死ね!!」

「ぐおおおおお!! サキアぁあああああ!」


   †††


「ユニサン、終わりですね。…いえ、始まりですか」
 ユニサンの決死の波動は、遠く離れたオロクカカにも伝わっていた。戦糸など使わずとも、これだけ大きな波動ならば嫌でも感じてしまう。

 一人の戦士が燃え尽きるのだ。

 ユニサンの死は、この作戦が始まる時から決まっていた事実であるが、いざその時を迎えると不思議な気持ちである。その姿は未来の自分の姿であるからだ。

 喜びと焦燥。

 その複雑な感情の渦に埋もれていく。人の未来のために命を捨てることは喜ばしいことであるが、その先にある痛みを思うと心苦しくもある。

 バーンも人間である。
 苦しみと痛みがある。

 誰もが痛みに苦しんでいる。本来それを救うのが女神や聖女という、女性的な愛をもった存在であったのに、人類は自らの欲望ゆえに最善の処方箋を捨ててしまった。

 愛があれば、愛を抱くことができれば。
 優しくあれば、優しさを与えることができれば。
 素直さがあれば、傲慢でなくなることができれば。

 それができれば、人はもっと簡単で柔らかい方法で進化することができたのに。オロクカカは、それが何より哀しいのである。

「さて、こちらも終わりにしましょう」
 オロクカカは、はりつけにしたシルバーフォーシルを見つめる。両手両足、首を絞められた姿は、まさにかつてのカーリスそのものである。

聖痕せいこんを刻み、ここからカーリスの破壊が始まるのです」
 カーリス教の信者には、時々聖痕と呼ばれる傷が生まれることがある。

 カーリスが受けた磔と同じ傷、両手両足に絞められた痕が生まれ、時には出血を伴うほど激しい場合もある。それは無知な者からは奇跡と呼ばれているが、実際は精神の作用である。

 人間の精神は非常に強く、武人ではない人間でもそれくらいの芸当ができるのだ。いわば思い込み。たった一つの思い込みが自分の人生を変えてしまうほどに、人間の可能性は無限なのである。

 オロクカカはカーリス教に聖痕を刻もうとしている。罪人たちに殺された聖女と同じ痛みを、それ以上の痛みを与えて断罪するために。

 ただし、それもまた愚かなことである。

 聖女カーリスは言った。
「自分が受けた痛みを相手に返してはいけない。また連鎖してしまうから」

 彼女は因果の神法を知っていたのだ。痛みを受けて、またそれを返してしまえば、人類は永遠に抜けられない負の螺旋に取り込まれると。復讐は自分自身すら焼いてしまうのだと。

 それを知りながらも、オロクカカはバーンなのである。

「罪深き者。それは私も同じ。しかし、どうしてもこの怒りが抑えられないのです」
 オロクカカがいかに弁明しても、この罪が許されることはない。

 怒り。
 それは恐ろしい感情である。

 人間の怒りは、すべて過去に発している。怒る人の大半は、その時起こったことではなく【過去】に怒っているのである。過去、自分が受けた痛み、不快感を思い出し、それが連鎖して必要以上に怒る要因となる。

 しかも、義憤の大半は自己が受けた痛みではないことが多い。

 たとえば戦争がそうだ。自分が経験していないにも関わらず、祖父の代で受けた屈辱を刷り込まれる間に、まるで自分が受けたように錯覚する。そして、それに関連したことがあれば怒り狂う。

 怒りの原因。
 それはすべて過去にある。
 過去と、人間の忘れられぬ痛みにある。

 人間は過去に縛られて生きているのだ。カーリス教とて、過去に縛られて生きている。オロクカカとて、もう六千年も昔のことに対して怒っている。

 とっくに終わったことを蒸し返して、今を焼いている。

 ああ、哀れなり。そんな人類が哀れでなくて、なんであるというのか。だが、怒りは燃やすまでけっして浄化はされない。燃料があり続ける限り、一度点火された炎は消えないのだ。

 相手を燃やし、自分自身を燃やし尽くすまで、永遠に。

「何か言い残すことはありますか?」
 オロクカカは、最期の言葉をサンタナキアに問う。

 信者の中には、聖女カーリスが最期に遺した「母よ、無知な子供らをお赦しください」という言葉を吐く者もいるという。それを知るオロクカカのちょっとした余興であり、皮肉である。

 がしかし、サンタナキアはまったく違う言葉を遺した。

「アレ…ク…」
 サンタナキアが最期に音にしたのは、友の名前。家族の名前であった。

 オロクカカとの対話によって、彼の中のカーリスという存在がどう変わったのかはわからない。変わらないのは、自分が過ごした幸せな時間を守りたいというもの。

 愛された記憶。
 愛した記憶。

 それも過去。すべてが過去によって生まれている。人間の優しさも怒りも過去に囚われ、一緒に燃えていく。

「なんとも美しい友情ですね。私がバーンでなければ見逃したのですが…、せめて彼と一緒に燃やしてあげましょう」
 ヘビ・ラテが作った十字架には、たっぷりとアフラライト燃料が染み込ませてある。非常に発火性が高く、ライターの火程度で爆発的に燃え上がるうえに、燃え尽きるまで消えない。

 ガスッガスッ

 ヘビ・ラテの足が身動きのできないシルバーフォーシルの装甲を穿っていく。耐性の強いシルバーナイトを、より燃えやすくしているのだ。こうした状況でも細かいことにこだわるのは、いかんともしがたい彼の性分なのであろう。

 身体のあちこちに穴があき、出血していくが抵抗はできない。完全に束縛されてしまっていた。ただ幸いなことにシルバーフォーシルの損傷も激しく、少しずつフィードバックが弱まっていくこと。すでにサンタナキアに痛みはなかった。鈍い感覚と、頭に残る気だるい重さだけ。

 そして、オロクカカは火気を生み出すと、十字架に着火。
 十字架は燃え上がり、終焉の時を示す。

(ああ…終わりか)
 サンタナキアは、薄れゆく意識の中で炎を見つめていた。

 人生とは呆気ないものである。人間など、下手をすれば転んだだけで死んでしまう弱い生き物だ。その一方で、宿す叡智によって大地すら変形させてしまえる恐ろしい生き物である。

 不可思議で魅了的で、面妖で訝しく、それでいて美しい。サンタナキアは人間が嫌いではなかった。そんな人間が、むしろ好きだったのだろう。今こうして死ぬ間際においても気持ちは変わらない。

(私は死んだほうがよいのだ…)
 ずっと自分という存在がわからないでいた。なぜ生まれ、なぜ死んでいくのかわからないまま、必死に何かにすがって生きていた。

 ロイゼンの多くの人々が信じるカーリス教。オロクカカの言葉が真実だとすれば、ずっとすがってきたものが偽りだったことになる。今となっては真偽は定かではないが、サンタナキアにとっては、もうどちらでもよかった。

 その段階で彼の中の信仰心に変化が生じているのだが、死を強く感じる今、サンタナキアが想うことはただ一つ。

 アレクシートのこと。
 アレクシートの家族のこと。

 自分を本当の子供のように愛してくれた人たちがいる。世界が温かいのだと教えてくれた人たちがいる。アレクシートの父親は厳しかったが、分け隔てなく育ててくれた。アレクシートの母親は、大好きなパイをよく焼いてくれた。

 嬉しかった。
 嬉しかった。
 ただただ嬉しかった。

 それでいて、どこか寂しかった。

 こんなにも愛しいのに、なぜかいつも【外側】にいるような気がしていた。アレクシートとの絆は本物なのに、やはり自分は【違う】ような気がしていた。

 家族とは、けっして血の繋がりだけがすべてではない。いや、血の繋がらない家族のほうが、遥かに遥かに多いくらいだ。血が繋がっていても表面だけの家族が多い中で、サンタナキアはアレクシートと出会った。

 これこそが女神の導き。
 少なくともサンタナキアにとっては、それだけでよかったのだ。

 自分とは違って無鉄砲でやんちゃで、強気で勝気で、いつも前に出ないと気が済まない迷惑な兄弟。負けても認めず、勝つまで何度でも挑み続ける兄弟。

 アレクシートだって簡単に騎士になれたわけではなかった。つらい訓練に耐えて、ようやく騎士団長になれた。払った代償の大きさは、アレクシートを家柄だけのお坊ちゃんだと陰口を叩く者よりも、絶対に絶対に上である。

 そんなアレクシートを守りたかった。
 自分を愛すべき家族だと呼んでくれた、愛すべき者を。

〈サキア、サンタナキア〉

(呼んで…いる。アレクが呼んでいる…)
 自分を呼ぶ【声】がする。

 それがアレクシートの声なのかどうか、もうわからない。だが、自分を呼ぶ声がする。サンタナキアは揺らぐ炎の中で、ただただその声を聴こうとしていた。

 そして、呼びかけようとしていた。
 触れ合おうとしていた。

「アレク…アレク……!!」
 サンタナキアが何度呼んでもアレクシートは応えない。応えられない。彼は今、命を捨てたユニサンに殺されようとしているから。世界を燃やす【種火】にされようとしているから。

〈アレクシートは死ぬ〉

 その【神託】が聴こえた瞬間、サンタナキアの視界が変わった。
 それはまるで世界を俯瞰したような構図。空から大地を見下ろす鳥の視線。そこにはドラグニア・バーンに捕まっているシルバーグランの姿があった。

 必死にもがいているが相手のほうが強い。黒い機体から溢れているのは、怒り。怒りは周りのものすべてを呑み込み、破壊の衝動を撒き散らしている。

 ユニサンは怒る。
 世の不平等を認めている社会を。

 アレクシートは怒る。
 堕落しきったカーリスと、自分の不甲斐なさに。

 死ぬ。死んでしまう。人はいつか死ぬ。その死にざまなど、武人ならば選べなくて当然。そんなことは騎士になる前から覚悟していた。アレクシートとて、いつ死んでもおかしくはないと知っていたはずだ。

 でも、何かがおかしい。
 何かが変だ。
 今のアレクは何かが変だ。

(なんだ、この不純物は?)
 サンタナキアの【】は、アレクシートの中に混じっている妙な気配を放つものに釘付けになる。

 それは非常に薄く、小さなもの。プールに一滴だけ落とされ、何万倍にも薄められた塩素のように、普通ならばまったく気がつかないもの。しかし、目には見えないが確実に存在するもの。

〈投与された【血】が目覚めたのです。彼の霊は苦しんでいます。でもあらがえないのです〉

「なんだ!? 誰なんだ!?」
 サンタナキアは、自分に語りかける者がアレクシートではないことに気がつく。

 女性の声だったから。

 この声は女性のもの。明らかにアレクシートのものではない。だが、頭が痺れたように霞み、その正体をはっきりとは理解できない。しかし、彼女が言わんとしていることはすぐに理解できた。

(まさか、これが祝福の正体!?)
 カーリス教には、祝福の際に水を飲む儀式があり、飲む前には必ず一滴だけ赤い液体を垂らす。それは【聖女の血】と呼ばれているもので、洗礼には欠かせないものとされている。

 聖女の血を受けることで、原罪が赦されるという。

 それが本当に血だと思っている者など、相当無知な人間か真正のカーリス教徒くらいなものである。もちろんサンタナキアも形式的なものだと理解している。

 しかし、その中身を知らない。

 そんなことを考えたこともなかったし、疑う理由もない。ただのトマトジュースだってかまわないわけだ。所詮一滴。何が混じっていようと、さして問題ではない。

 だがこの瞬間、サンタナキアはこれが【毒】であることを知る。普通の意味での毒ではない。劇薬などの類ではない。されど、人が飲んではいけないもの。

「ううう、うおおおおおおおお!!!」
 突如、サンタナキアは燃えるような熱情を感じた。自分の中にある何かが、その毒のようなものが訴えている。

「戦え。カーリスを否定する者を殺せ」

 と。

(馬鹿な。こんなことがあるわけがない。たかが一滴で、なぜこんな…!)
 自分とは違う意思がもう一つ自分の中にある。これは最低の気分である。サンタナキアは必死に抵抗し、追い出そうとする。

 しかし、まとわりつく気配は異様に強く、彼の精神に強く訴えかけてくる。それは甘美で、あまりに優しい誘惑。素直に従えば、すべてが自分の思い通りになるような気にさせる、背徳の誘惑。

 スポーツ選手がドーピングの誘惑に駆られるように、ダイエット中にいつも以上に甘いものが欲しくなるように、砂漠でようやく見つけた水のように。

 なんて、なんて甘い誘惑。アレクシートが無意識のうちに、無警戒のうちに手にしてしまうのも仕方がないと思えるほど、甘い果実。

 だが、これは毒である。
 どんなに美味しそうに見えても毒である。

 それを知るサンタナキアは、幸せだったのか不幸だったのか。けっして口にしようとはしなかった。唇に押し付けられても口を閉じて、歯を食いしばって抵抗する。

 それが駄目と見ると、誘惑は強制的な手段に出た。

「う、うう…うわあああああああ!!」
 身体が燃えるように熱くなる。毒は強制的にオーバーロードを引き起こそうとしたのだ。そのショックに困惑している間に、精神を乗っ取ろうとする。

 これは意思でどうにかなる問題ではない。抵抗しようにも相手は強制力を持っているのだ。なんと理不尽なことであろう。最初から仕組まれた裁判の被告人席にいる気分である。

 抵抗は無意味、無駄。
 あらがうことなどできない。

(駄目だ…。このままでは…もう)
 自分もまた、アレクシートと同じく狂信化してしまう。これがカーリスの呪縛なのか。誤まった宗教の罪なのか。誰が、なぜ、こんなことをしたのか。

 さまざまな想いが駆け巡る。交錯する。衝突する。燃え上がる。すべてが炎になろうとした瞬間である。

〈この時を待っていました〉

 女性の声が割り込んできた。毒が全身に回り、血を燃やしていったその瞬間、サンタナキアに語りかけていた声が毒の回線に割り込む。

 そして、蹂躙。

「うわあああああああああああああ!!!」
 その激痛にサンタナキアは絶叫。暴れ、のた打ち回り、頭を叩きつけ、唇を噛み締める。打撲が生まれ、血が流れ、嗚咽がこぼれる。

「ううう、うおおおおお! 熱い、熱い、熱い!!!!」

「眼が!!! 眼が熱いいいいいいいいいいいい!!!」

「やめろ!! やめてくれ!! おおおおおおおお! 痛い、痛い、痛いんだ!!!」

「本当に痛いんだ!!! 痛い、痛い!! ゆ、許して!! 許してくれ!!」

 痛みに鈍感になっていた矢先の突然の過敏。その落差には忍耐強いサンタナキアであっても絶叫してしまう。泣き叫び、許しを請うてしまうほどに。

「眼が、眼が痛い!!!! 無理だ! 我慢なんてできない!! 痛い、痛い、痛いんだあああああああ!」

 サンタナキアは全身に回った毒以上に、眼が燃えるように熱いことを知る。まるで両目に焼きごてを押し付けられたような痛み。熱くて鮮烈で、すべてを失い、すべてが燃えるような痛み。

 洗い流され、
 ほだされ、
 しわくちゃにされ、
 粉々になる感覚。

「イタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!! ユルセナイ、ユルセナイ、ユルセナイ、ユルセナイぃいいいいいいいい!!!」

「な、何事ですか…!!」
 これに驚いたのは、燃え上がった十字架を見つめていたオロクカカである。その中央にいるシルバーフォーシルに異変が起こったのは明白である。

 サンタナキアの叫び声はもちろん、機体であるはずのシルバーフォーシルにも異常があった。

「これは…【血】!?」
 シルバーフォーシルの両目の部分から血が流れていた。

 まるで血の涙を流す人間の姿のように、叫び、咆え、許しを請い、泣く。おのれが犯した罪を悔いるかのように、ただただ泣いていた。

 同時に、怒り狂っていた!!!!

 そうなのだ。この存在は、ただ泣いていたのではない。あまりの痛みに叫び、嘆き狂い、激しい怒りを叩きつけていたのだ。

 壁を何度も殴り拳が砕けて出血するように、棒切れで何度も何度も殴りつけ、自らの手のひらに血が滲むように!!

 何度も何度も何度もいかって、いかって、いかり続けていた!!

「ユルセナイ!!!! コロシテヤル!!!!!」
 シルバーフォーシルから激情そのままに、あまりに強大な戦気が放出される。それは炎すら呑み込み、十字架すら一瞬で蒸発させた。

「まさか、狂信化したのですか!?」
 オロクカカが最初に思ったのが、アレクシートと同じ狂信化現象である。

 条件がそろえばカーリス教徒はいつでも狂信化する可能性を秘めている。特に上級騎士に至っては特別な洗礼も受けているはずなので、その傾向がさらに強まる。

 他の騎士たち、カミューたちは狂信化する前に死んでしまったが、まとめて狂信化されると厄介なのは間違いない。ただし、ユニサンがそうであるように、仮に狂信化したとてバーンの敵ではないだろう。オロクカカもそう思っていた。だからこそ目の前の事態が呑み込めない。

 あまりにも違いすぎる。

 今まで見てきた狂信化とは、あまりにも一線を画している。何よりも機体が血の涙を流すなどありえないことである。いくらオーバーギアとて、よほど機体とシンクロしていなければ不可能なことである。

 もしそれが現実で起こっているのならば、これこそ奇跡だろう。

「ううう、うううう…!!」
 サンタナキアは、あまりに熱い両目を押さえていた。それにシンクロするように、機体も同じ格好をしていた。それにもかかわらず、血はとめどなく流れ続けている。

 その異様な光景に圧倒されていたオロクカカであるが、彼はバーン。自分の役目を忘れたりはしない。

「どちらにせよ、そのまま死んでもらいますよ!」
 ヘビ・ラテは糸を吐き出して再び捕えようとする。

 が、シルバーフォーシルは、両目を押さえた状態のまま紙一重でそれを避ける。あまりにも自然にかわしたので、本当は見えているのかと思ったくらいであるが、しっかりと目は閉じられていた。

 それにはオロクカカも驚愕。それが偶然でないことがわかったからだ。偶然でよけられるほど彼の攻撃は甘くない。

(なんですか…この感覚は)
 オロクカカは異様な感覚に包まれていた。変に狂信化した相手とはいえ、実力では圧倒できるはずである。このまま突っ込めば倒せるはずだ。

 しかし、足が前に出ない。サンタナキアから発せられる不可思議な圧力に、武人の本能が危険を告げているのだ。

 危ない。逃げろ。

 と。

「馬鹿な!! 私はバーンなのですよ!! 主に選ばれた戦士!! 臆するなどありえない!! あってはなりません!! こんなものは気の迷いにすぎない!!」
 当然ながらオロクカカは認めない。認められない。認めるわけにはいかないのだ。

「今度こそ確実に処刑します!」
 ヘビ・ラテは力を振り絞って攻撃態勢に移行。獲物に飛びかかる蜘蛛のように、一気に足撃の間合いに入る。そのまま二本の足で高速の突き。

「うう…!!」
 シルバーフォーシルは、右手の剣を使ってギリギリで攻撃を回避。その対応を見てオロクカカは確信。やはり瀕死の状態である。

「最後のあがきとは見苦しいですよ! 死になさい!」
 ヘビ・ラテは猛攻とも呼べる攻撃を続ける。

 ただ、そこは慎重なオロクカカである。攻撃をする際にいっさいの油断はしない。細心の注意をしながら糸を絡めて緻密な攻撃をしていく。

 それだけ用意周到ならばヘビ・ラテの攻撃は当たる。当たるのだが、またもやギリギリのところでかわされる。けっして致命傷には至らない。いたずらに外装を傷つけるにとどまる。

「何が…起きているのですか…」
 それが何度も続けば、オロクカカにも異様さが伝わってくるのが必然である。

 そして、ついにサンタナキアに激震が走る!!

「はぁはぁはぁ、はぁはぁはぁ!! 熱い、眼が熱い!!! どうしてこんなに痛いんだ!! どうして、どうして!! どうして!!!」

「私は、僕は、望んでこうなったわけじゃない!! だって、しょうがないだろう!! 僕は、僕は、僕は、生きるために!!」

「罪なのか! それが罪なのか!! これが罰なのか!!! どうしていまさら!! そんなことを言うんだ!!」

「ユルセナイ、赦せない、許せない、ゆるせない!!! この世界が許せない!! ユルセナイ!!!」

「自分で自分が許せないんだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 真昼のような夜。

 そう形容するしかないだろう。少なくとも一瞬、世界が昼になったのだ。その光は偽りの光に酔いしれる富の塔よりも大きく、強く、儚げで弱々しい光。

 【双眸そうぼう】から零れ出る光の奔流が世界を席巻する。

 ただし、それは赤い光。

 優しい色ではなく、激情の色。排他的で攻撃的で不寛容で、この世界にある一切合切を蹂躙する光!!

「はぁはぁはぁ! はぁはぁ…」
 少しずつ呼吸が落ち着いてきた。慣れてきたのだ。人とは、いかなる痛みでも慣れてしまう生き物なのだとサンタナキアは痛感する。

「その瞳は…」
 オロクカカは、サンタナキアの瞳が見えた気がした。機体で遮られているのだから幻かもしれない。だが、鮮明にそれは見えたのだ。

 眼に焼き付けられた【聖痕】を。

 それはカーリスの紋章とは少しばかり違う形をしていた。まるで炎のような、揺らめく陽炎のような、痛々しく燃えるような聖痕が刻まれている。眼は血で真っ赤に染まり、赤い双眸がオロクカカを見つめている。いや、彼の眼は周囲の何物も見てはいなかった。

「アレクを助けなければ…こんな世界から助けなきゃ…」
 サンタナキアはそう呟き、ゆっくりとオロクカカに背を向ける。その方角はアレクシートがいる方向だ。

「何を言っているのか理解できませんね」
 もう彼はおかしくなってしまった。自分が追い詰めすぎたのが悪かったと反省するオロクカカ。

 憎きカーリス教徒であっても、最低限の人間の尊厳は守るべきであった。オロクカカは残忍な人間ではない。できれば苦しむことなく殺そうと思う慈悲深い存在なのだ。

 しかし、サンタナキアの行動は許せなかった。

「敵に背を向けられるなど、武人としての恥辱!! 相応の報いは受けてもらいます!!」
 ヘビ・ラテは容赦なく背後から襲いかかる。

 武人にとって侮られることは最大の侮辱。圧倒的な力の差がある強者ならば許されるが、それが逆の立場ならば我慢できない恥辱である。誇り高い戦士である彼が、背後から攻撃するのも当然のこと。それだけ怒ったのだ。

 しかし、そんな叫びもサンタナキアは無視。

 彼の眼にはアレクシートしか映っていないのだろう。シルバーフォーシルはヘビ・ラテの高速の足撃を難なく回避。背後に目があるかのように簡単にかわす。この時のオロクカカの衝撃は言葉にはできない。問題はその攻撃の避け方である。

 すべてを紙一重でかわしたのだ。

 それはギリギリかわした、というレベルではなく、完全に見切った避け方なのだ。まるでホウサンオーが【雑魚】と遊ぶ時のような、慣らし運転を試すかのような、そんな余裕すら見える。

 それは何度やっても同じ。二回も五回も十回も、何度やってもシルバーフォーシルは完全に攻撃を見切っている。しかもこちらを一度も見ずに。

(馬鹿な! 馬鹿な!! 馬鹿な!!!!! ありえない!! ありえないぃいい!!)
 オロクカカはパニックに陥る。今まで圧倒していた相手なのだから、それも仕方のないことである。

 ただ、それ以上にありえないことは…

「どうして! こんなにも遠いのだ!! 認めない! 認められない、こんなことは!! 絶対に!」
 オロクカカが一番認めたくなかったこと。それは彼が一流の武人だからこそ気がついてしまったこと。

 オロクカカは、サンタナキアを【畏怖】している。

 感じるのだ。その身から発せられる圧力を。けっして届かないであろう力を。それは下位バーンが上位バーンに感じる、圧倒的な敗北感に似ている。

 たとえば、オロクカカがホウサンオーに感じる敗北感は絶対的である。そこにはいかんともしがたい差があるのだ。その立ち位置を痛感するがゆえに、オロクカカは頭を垂れる。

 これは他のバーンも同じことである。

 ホウサンオーをジジイ呼ばわりする不良バーンたちも、その絶対的な力の差を知っているからこそ作戦においては絶対に逆らわない。強者には強者たちの掟、ルールがあるのである。

 そのルールに照らし合わせた時、今この瞬間、両者の立ち位置は鮮明に分かれていた。

「認めない! 認めない!!! 私は認めない!!!」
 ヘビ・ラテは大量の糸を放出。視界を埋め尽くしてしまうほどの糸。これならば、よけることはできない。

 だが、それはやってはいけなかったのだ。
 認めないのは自由であるが、これ以上、彼を刺激するべきではなかった。
 女神への忠誠? 武人の誇り? バーンの役目?
 まったくもってお笑いぐさである。

 なぜならば、そんなものは…

「邪魔をするなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 シルバーフォーシルは大剣を一閃。オロクカカの目でも、いつ振ったのかわからないほどの速度である。

 ヘビ・ラテは咄嗟に半身になって足でガード。

 するべきではなかった。半端に直感が働いてしまったゆえの対応なので非難はできない。だが、その結果があまりに酷い。

 ヘビ・ラテの左側の四本の足が、ずるりと落ちた。

 まるで粗末な接着剤でくっつけた後のように、まだ乾いていないのにうっかり触ってしまった時のように、わずかな糸を垂らしながら足がずり落ちていく。

「っ!!?」
 オロクカカは、そのことを理解できない。できるはずもない。しかし、次の瞬間にはシルバーフォーシルの第二撃が迫っていた。

 オロクカカはそれも反射的に右足で対応。

 これも良い対応ではなかった。うっかり受けた足が、まったく同じくずるりと落ちたのだ。落ちた足は、その重さによって地面のコンクリートを破壊するので、けっして柔らかいものでないことは確かである。

 がしかし、そんなことは関係ないのだ。重かろうが軽かろうが、硬かろうが柔らかかろうが、この圧倒的な暴力の前では、まったく無意味なのだ。

 だが、犯した過ちの結果は受け入れねばならない。それだけは唯一平等に訪れる。

「うう、うぐああああああ! 私の足がぁああ!」
 カノンシステムでリンクしているため、直接的なダメージ還元が起こる。

 オロクカカの両手足が切断され、かろうじて右腕一本が残っている状態となってしまう。コックピット内部で大量出血と同時にアラームが鳴り響く。これはもう撤退勧告などという問題ではない。いますぐに放棄して逃げろ、という指示である。

 何を犠牲にしても逃げろ。

 それがMGが判断した冷静な行動規範である。

「わたくしは、わたくしはぁああああ! バーァアアアアンなのですよ!!」
 だが、そんなことを聞くような男がバーンになれるわけがない。オロクカカに撤退するつもりなどなかった。

 足を失ったヘビ・ラテは動けない。というのは誤まった認識である。ヘビ・ラテの上部の女性の部分が、下半身と離脱して空を飛ぶ。下半身は自爆し、大地に爆炎が広がった。

 残ったマゴラテ、ミドラテもすべて吐き出され、それが次々と爆発していくさまは、まるで絨毯爆撃である。周囲一帯を破壊し尽くしていく。

 シルバーフォーシルは剣気を張って防御しつつ、迫ってくるミドラテたちを正確に迎撃している。あらかじめ来る場所がわかっているかのように、淡々と淀みなく切り裂く姿は芸術のように美しい。

 それでも相手の動きを制限する力はあった。オロクカカは、残った上半身だけで勝負を仕掛ける。その執念、その意気込み、彼は紛れもなく真のバーンである。

「貴様などにぃいいい! カーリス教徒などにいい!!! 主の邪魔はさせぬううう!!!」
 まるで祈りを捧げているように閉じられていた、上半身だけの女性の手が開くと、そこには最後の牙が隠されていた。

 【毒芽】である。

 禍津蜘蛛が持つ最強の攻撃手段かつ、最後の奥の手である毒牙。この牙には機体のすべてを破壊するルイセ・コノが作ったウィルスが仕込まれており、叩き込まれた機体は間違いなく再起不能になる。

 しかし、これは同時にヘビ・ラテすら破壊することになる諸刃の剣。まさに相討ち覚悟の捨て身の一撃である。バーンであるオロクカカが、ここまで追い込まれる。ついさっきまでは、こんな事態は考えられなかったことである。

(せめて相討ち!! 私の信仰を示す!!)
 オロクカカに敗北は許されない。負ける時は死ぬ時。それがバーンの宿命なのである。

 オロクカカの気迫を感じ取ったガヴァル二機もサポートに入る。彼らも自爆覚悟で向かってきていることはすぐにわかった。本気であることは、彼らの今までの戦いが証明している。

 彼らは死ぬつもりである。
 自分たちが死んでも敵を殺すつもりである。

 ヘビ・ラテの毒牙の一撃は今までで最速であったのは間違いない。全身全霊をかけた一撃であった。ロキたちの動きも決死のもの。半端なものではない。

 ただし、力に善悪はない。より大きな力ある者が現れれば、その者こそが正義となるのが世界のルールであった。

「くだらない」
 サンタナキアの眼が映し出すのは、スローモーションの動き。

 何の恐れも怯えもなく、すっと身を一メートル程度動かすだけ。ただそうするだけで、オロクカカの渾身の一撃は彼の眼前を通り過ぎていく。

「まだ!!」
 ヘビ・ラテは戦糸を使って強引に軌道を変更。無理な動きに傷ついた身体から噴水のように血が噴き出るが、そんなことはお構いなし。ただただ一撃を入れるためだけに動く。

 しかし、哀れなるかな。
 たかだか蜘蛛でしかない存在は、永遠に空に届くことはない。

 シルバーフォーシルは軌道変化にも対応。直角に曲がった不意をつく一撃も、難なくかわしてみせる。そしてシルバーフォーシルは、最初からヘビ・ラテがそのラインに来ると知っていたような動きで大剣を振るっていた。

 刃先が女性像の腹に触れる。それは軽く、ちょっと触れただけ。されど、【真芯】に入った一撃は、ただそれだけで…

 真っ二つ

 ヘビ・ラテの本体が上下に真っ二つ。

 戦気の防御も何の意味も成さない。戦気はすべてが均一な状態で成り立っているわけではない。すべてを意識的に強化しない限りは、必ずどこかに隙間が存在する。サンタナキアはそこを斬ったのだ。

 そして、そのまま回転して剣を振るい、二機のガヴァルを斬り裂く。ガヴァルはサーベルで防御するが

 バシュン

 不思議な軽い音がしたと同時に、シルバーフォーシルの横を通り過ぎ、ビルに衝突。直後に真っ二つ。

「死ね!!」

 爆発。自爆である。
 巨大な炎に焼かれながら、ガヴァルとヘビ・ラテはついに息絶えた。

 圧倒的。あまりに圧倒的。

 それは道端で見かけた矮小な蜘蛛を、人間が軽い気持ちで踏み潰したような光景。ただ気持ち悪いという理由で殺した、見る者に嫌悪感を与えるほどに圧倒的な力の差であった。

 さらに「死ね」という言葉。このような残酷な言葉を彼が発したことは人生で一度もなかった。心優しいサキアならば、絶対に発しない悪魔の言葉である。

 ああ、サキアは死んだのだ。
 あの十字架とともに死んだのだ。

 では、これは誰なのか。
 この存在は何なのか。

 序列八十二位といえど、バーンである彼を圧倒するほどの力を持つこの男は、いったい誰なのか。

 その答えを知る者が一人いる。

 その男、序列六位の上位バーンであるケマラミアは上空からその惨事を見つめていた。彼は目の前の存在が何者であるかを知っていた。

 なぜならば、彼もまた同じ存在だから。

「十人目、見っけ」

 ケマラミアは笑った。

 十人目。
 最後の一人。

 その瞬間、ヨハンがランバーロの司令室に貼ったリストが輝きを放ち、名前が自動的に綴られていく。


 バーン序列十位 サンタナキア


 宿命の螺旋は廻っていく。

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