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十二英雄伝 作者:ぷるっと企画

零章 『世界が分かれた日』

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十三話 「RD事変⑫ 『富に招かれた者』」

   †††

 現在、アピュラトリスの半径五キロは厳戒態勢が敷かれており、一般人の車両の交通規制はもちろん、ほとんどすべての店は休業を余儀なくされていた。
 本来ならば国際会議が開催される年はパレードや祭りが行われるのが普通である。ほとんどの場合は内々で議題の処理が行われるので会議は表向きなものであり、外交官やその家族がダマスカスの首都でお土産を吟味するのがいつもの光景だからだ。
 その賑わいに便乗して祭りが開かれるので、首都だけではなく地方からも人が集まる。そんなグライスタル・シティが、今はまるで廃墟のような静けさの中にいた。聴こえる音といえば車両やMGの駆動音、兵士同士の雑談くらいなものである。
 多少の緊迫感はあるものの、どちらかといえば「ここまでやらなくてもいいのに」といった空気が流れているのはたしかだ。

 そんな中に周囲の軍人とはまるで格好の違う黒髪の青年がいた。腕の部分が白い赤地のジャンバーにジーンズというカジュアルな格好でアピュラトリスを見つめている。
「大丈夫かな・・・」
 まだ十代にも見えるあどけなさを残した青年は、富の塔を見上げてつぶやく。彼がこの塔を見たのは今回が生まれて初めてである。見れば見るほど不思議で、今までダマスカスにこのようなものがあったことを知らなかったことが逆に驚きであった。
「大丈夫さ。この塔はすっげー丈夫らしいぜ」
 青年の隣にいた、彼よりも若干年を取った若い男がつぶやきに答える。
 黒い肌にローアンバー色のドレッドヘアー、まだ肌寒いのに黒いランニングシャツ一枚に短パンといった格好の大男である。隣にいる一六七センチの青年が子供に見えるほど大きい。
「やばくなったらバリアーとか出すらしい。そうなったら戦艦の主砲でもビクともしないってよ」
 男は口笛を吹き、陽気な仕草でアピュラトリスを指さす。
 この男もまたアピュラトリスを見るのは初めてであり、ガイドブックに書いてあった知識をそのまま披露しているだけである。サカトマーク・フィールドの知識もガイドブックに載っていたものだ。
 こうして世間一般にも情報が配布されているということは、この塔がそれだけダマスカスの象徴であることを示していた。同時に、それだけ防備に自信があるのだ。
 それを知っている軍部の人間に緊張感がないのはそのためである。ただし、サカトマーク・フィールドを展開するのにも時間はかかるので、その間の時間稼ぎをしなくてはならない。
 要するに、彼らは自分たちがそのための捨て駒にすぎないことを知っているのだ。しかし、それこそが最重要。これこそが自分たちの富を生み出している以上、捨て駒であっても彼らは文句は言わないのだ。

「こんなに警備しても意味ねーよな。どうせここに攻めて来るやつなんていねーって」
 こうして朝からここにいるが、まったくもって変わり映えしない光景である。さすがに飽きてきた。
 強固なフィールドに加え、内外含めてダマスカス陸軍約二万人以上が守っているアピュラトリスをわざわざ狙う人間がいるとは思えない。その人間が正気で本気であればあるほど、ここを狙うことはありえないのだ。
「ディム、僕が心配なのはアズマさんのことだよ」
 青年は隣の大男のディム、本名デムサンダーに自分の懸念を伝える。
 その言葉にデムサンダーは目を丸くして少し裏返った声を出した。
「おいおい、冗談だろう? あいつに何の心配をしろってんだよ」
「でも、何か嫌な予感がするんだよ」
「志郎、あのアズマだぜ? あんな戦闘中毒バトルジャンキーに何かあるわけもねーって」
 それこそ冗談が過ぎる、といった顔でデムサンダーは言う。
 ジン・アズマはエルダー・パワーの中でも特に戦闘に特化した人間だ。仮に敵と出会っても真っ先に飛び出して戦うほど戦闘狂なのだ。
 エルダー・パワーは武を探求する存在ではあるが、その武をわざわざ好んで使うような組織ではない。なにせ存在そのものが【自衛】のために生まれたのだ。武を闘争のために使うという発想がそもそもない。そのため武を極めるために実戦を求め、敵を殺して回るアズマのような存在は異質である。
 その敵という存在すら、一方の立場に立って初めて生まれるものだからだ。剣を愛する。敵を愛するという究極の武の真理とは程遠いものだ。そうしたアズマに嫌悪感を感じているのはデムサンダーだけではない。
「俺は正直ほっとしているぜ。あんなやつと一緒だったら息苦しくて仕方ねえ。今頃は【牢獄】の中でじっとしているさ」
「牢獄・・・か」
 デムサンダーが言った牢獄という言葉を聞いて、志郎はたしかにそうだとも思った。
 このアピュラトリスはこうしてしっかりと首都の中心に鎮座していながら完全に独立している。外と中はまるで別世界であり簡単に出入りすることもできない。その姿はまさに牢獄。富で作られた檻なのだ。

 その牢獄を見て、志郎はふと思った。
「どうしてアズマさんは中の配置になったんだろう」
 ジン・アズマという強力な武人を中に配置する理由はわかる。万一内部に敵が侵入した場合、あれほどの適任者はいないだろう。
 狭い通路内であっても、単独で多数の敵を粉砕できるだけの力がある強力な個なのだ。しかも敵はさまざまな警備システムや数多くの兵士、さらには構造の段階から防御を想定しているアピュラトリスの地形に苦しむだろう。そこにアズマがいればまず突破は不可能である。
 それはわかる。わかるのだ。しかし、それはまるでアピュラトリスに敵が攻め入ることを前提としているような配置に見える。この鉄壁を自負している富の要塞に。それがどうしても解せないのだ。
(マスター・パワーは何もおっしゃらなかった。だが、それにもかかわらずこの配置。やっぱりおかしい)
 志郎は派遣されたメンバーに少し違和感を感じていた。大統領の面子の問題もあったのだろうが、それなりの戦力を出してきている。普通エルダー・パワーが派遣される場合は単独かコンビ、あくまで最低限である。
 しかし、今回は数が多い。これほどの数が出向するなど、少なくとも志郎がエルダー・パワーに入ってから初めてであった。普段会えないような位席の人間もいる。むろん、アズマもその一人である。アミカが彼と同じ配置でないことを残念がったのは滅多に会えないからでもあるのだ。
「どうしてあんなやつが気になるかねぇ」
 デムサンダーから見ればアズマは【異常者】である。すべてを捨てて武に殉ずる気持ちは同じ武人として尊敬にも値するものの、普段からギラギラしている彼はやはり危険に見える。
「とにかく俺たちは貧乏くじだ。アミカやチェイミーたちが羨ましいぜ」
 志郎とデムサンダーはこうして外周の警備。一方のアミカとチェイミーは国際会議場でまったりしていればいい。この男女の差がデムサンダーには納得できないらしい。
「アミカさんたちは大統領の護衛だよ。そんな大役、僕たちには無理だ」
 志郎は逆に会議場から離れてほっとしていた。志郎は田舎育ちというわけではないが、グライスタル・シティに住む人間の大半が富裕層なので普段はまったく馴染みがない。やはりアミカ同様、居心地の悪さを感じていた。
「襲うやつがいないんだ。護衛なんて必要ないだろうに」
 とデムサンダーが思うのは自然だが、実際は会議場内部に紅虎という凶悪な獣がいることを知らない。すでに大統領を二人仕留めているとは夢にも思わないだろう。
(この胸騒ぎは何だろう。アズマさん、無事だといいけど・・・)
 そんなデムサンダーをよそに、志郎は自分自身でもわからない不安に襲われていた。普通に考えれば何の不安も必要ないはずなのに、どうしても消えないのだ。
 何か強い【悪意】のようなものがここに集まりつつある。
 それは巨大な【意図】とも呼べるかもしれない。何かの強い意思が何かの強い目的をもって、いかなる犠牲を払ってでも成し遂げようとする【覚悟】にも思える。
 それが不気味で仕様がない。
 しかし、内部にいるのはアズマだけではない。【もう一人】、とっておきの人物がいる。その人間がいるのならば仮に何かあっても対応できるはずなのだ。どのみち志郎には何もできない。素直にここで待つことしかできないのだ。

「おい、志郎。見ろよ、なんか来るぞ」
「え? 敵かい?」
「んー、違うんじゃね?」
 デムサンダーがガムを取り出し、口に放り込みながら前方を指さす。まだ距離はあるが、一台の黒い車がいくつかの検問を突破してこちらに向かってくるようだ。
 ここは一般車両の通行禁止区域である。当然、このような行為に対しては警備隊が迅速に対応する。すぐに装甲車が集まってきて車線を塞ぎ、包囲網を作る。それでも車は止まらず、いくつかの装甲車にぶつかりながら回転し、最後は消火栓にぶつかって盛大にぶっ飛んだ。その衝撃で栓が壊れ、噴水のように水が噴き上がる。
「あー、止まったな」
 デムサンダーはガムを味わいながらその光景を観察している。ちなみにガムは期間限定の青リンゴ味である。
「ちょっと、何見ているんだよ。止めないと!」
「いや、止まったじゃんか。どうせ変なやつだろう? いるんだよな。こういう時期になるとさ」
 どこの国にもこうした目立ちたがり屋というのがいる。騒ぎを起こして自分に注目を集めたいという理由でわざわざこんなことをするのだ。
 だが、今回はよりにもよってこのような状況である。普段とは比べものにならないほど警戒レベルが高い。もしこれ以上進んでいれば志郎たちの後方に控えているダマスカス軍のMG部隊が射撃を加えていただろう。それを免れただけでも感謝しなければならない。
 周囲から兵士が集まってきて、すぐに車は包囲された。兵士たちも暇を持て余していたので、誰もが少し興奮しているようだった。「ついに事件か! 出番だ!」そんな顔である。
「さて、どんなやつが出てくるかな。俺としてはモヒカンだと思うが、賭けるか?」
「遠慮しておく。僕は賭事は嫌いなんだ」
 なぜかモヒカンを予想するデムサンダー。おそらくモヒカンの確率のほうがはるかに低いので勝てそうだったがやめておく。
「真面目すぎると疲れるぜ。気楽にいこうや。俺たちにとっちゃ他人事だしな」
「ディム、ここだってダマスカスなんだよ」
「そのダークサイドだろう?」
 この街に溢れているのは富。あらゆる物に満ち、金があれば誰でも豪華な生活ができる場所。
 しかし、その富はどこから来たのだろう。仮に富が有限のものであるとすれば、当然誰かが持てば誰かが持たざる者になる。ここはそういう場所なのだ。
 アズマに限らずエルダー・パワーにとっては武が命。武は金では買えない。心を鍛えるのは日々の鍛錬とある種の屈辱の中でこそなのだ。その意味で彼らが好きで近寄る場所ではない。
 それでもマスター・パワーは要請を受けた。志郎やデムサンダーに限らずアズマに至っても、その意図をまだ完全に理解できていないのだ。もしエルダー・パワーが堕落していないのならば、要請を受けるだけの相応の理由があるはずだ。
 このアピュラトリスが崩壊する以上の何か大きな意味が。

 志郎は車を注視していた。もし敵ならば自分の悪い予感は当たったことになる。
(敵か? それとも一般人か?)
 車から運転手が引きずり出される。
「んん?」
 そのあんず色の髪が見えたとき、デムサンダーは素っ頓狂な声を上げる。志郎も目を丸くする。
 その車から出てきたのは、なんとも西側の貴族が好みそうなフリル付きのドレスを着た若い少女だったからだ。軍人とビル群という背景の中で、その姿は完全に浮いている。
「離しなさい! 無礼な!!」
 少女は組伏せようとする軍人の手をはたき、悠然と車の外に出てきた。そのあまりの堂々とした姿と強い言葉に兵士も思わず手を引っ込める。兵士の銃口が向けられる中、次にスーツを着た老紳士も降り立ち、先に降りた少女を気遣う。
「お嬢様、ご無事ですか・・・」
「ふん、ちょっと滑っただけですわ。何の問題もありませんことよ」
 運転していたのは少女であった。最初は老紳士が運転していたのだが、突然彼女も運転したくなって強引にハンドルをぶんどったのだ。しかし、運転の経験などなかったので、アクセルを押したら止まらなくなり(興奮してアクセルを踏みっぱなしになる。素人には稀にある)、検問を吹き飛ばしてあまつさえ装甲車にもぶつかったというわけだ。
 それはそれで問題なのだが、何よりその態度があまりにも「自分は悪くない」というものだったので、周囲の軍人は気分を害するどころか唖然としている。そこにいた誰もが、この少女は誰なのだと思ったに違いない。

 そんな空気を無視して、少女は周囲の軍人を見回し渋い顔をしながら叫ぶ。
「このエリス・フォードラをエスコートするのは誰ですか! 名乗り出なさい!」
 エリスは軍人たちのあまりの無粋な雰囲気に憤慨していた。一方の兵士たちは少女が何に憤慨しているかもわからず呆然としている。取り押さえていいのか迷っているようであった。
 この場合は取り押さえるのが通常の対応である。しかし、エリスが放つ不思議なオーラと迫力がそれをとどめているのだ。
「おいおい、なんだあれ。来る場所間違えたんじゃねーか?」
 モヒカンが出てくると思っていたデムサンダーも困惑している。完全に場違い。舞踏会場と間違えたと思うのも仕方ない。
「敵・・・じゃないよね」
「あれがそう見えるか?」
 こうしている間も志郎とデムサンダーの二人は周囲の気配を探っていた。少女が囮かもしれない。ビルの上、路地裏、上下前後左右の全包囲数百メートルに意識を集中させる。
 結界術【波動円はどうまどか】。周囲の気配と意識とを同調させて異変を探る技である。範囲が広く、より大きな動きを感じ取る際によく使われる。
 結界術には封じる術と守る術に加えて探知が目的のこうした術も存在する。オンギョウジたちが使う高度な結界術は例外として、こうした初歩の結界術はそれなりの訓練を積めば持つ因子にかかわらず誰でも使える便利なものだ。
 といっても、これだけ範囲を広げられる者はそうそういない。武人に認定されるギリギリの資質の人間が十年修行してようやく二十メートルなのだ。生涯修行しても百メートルに届かない人間が多数いる。
 志郎もデムサンダーもエルダー・パワーの一員として最低限の術は教え込まれており、何よりも彼らはすでに武人の中でも達人の域なのだ。もともと資質のある人間を集めて作られたのがエルダー・パワーという組織であるのだから、彼らにしてみればごくごく当たり前のことであった。
「特に問題ないね。あくまで僕たちが探れる範囲だけど」
 周囲には特に不審な動きをする者はおらず、敵意も感じられない。
 エリスという少女、それと老紳士は敵ではないと判断する。兵士の中にも害意を持った人間はいないようだ。まずはひと安心であった。
「これ以上は忍者に任せようぜ。このあたりにもわんさかいるだろうしな」
 敵意はないものの、周囲には各国から派遣されている密偵や忍者が紛れ込んでいる。それは視線でわかるのだ。密偵たちは熟練した者たちばかりで、巧みに姿を隠している。
 志郎もデムサンダーもマークされているようで、すでに各国のデーターベースを照会して身元を探っているに違いない。
「気がついた?」
「ああ」
 志郎の短い言葉にデムサンダーが頷く。
 車がつっこんできたあたりから急に周囲の密偵たちの視線が増えたのだ。しかも強い。異変があったので当然であるが、ここまで過剰反応することには違和感があった。その中にはかなりの猛者も混じっているようで、自然と二人の気もざわついてくる。
「やる気か、やつら?」
 あまり気分のいいものではない。デムサンダーの気が立つのも頷ける。ただ、志郎が感じたのは、もっと繊細な意識である。たとえるならば雛鳥が巣から落ちそうな瞬間を息を呑んで見守るような。

「ちょっとそこのあなた」
「え?」
 二人が周囲の視線に過剰反応している間にエリスが志郎に向かって歩いてきていた。その少女を一般人として認識していたので志郎の反応は遅れ、すでに十メートル近い距離にまで接近されている。
(うわー、修行不足だな)
 志郎は思わず自己嫌悪に陥る。この程度のことで動揺して注意散漫になるなど、師範に知られたら居残り特訓は間違いない。まだまだ修行不足であることを痛感する。
 そんなことはまったくおかまいなしに、エリスは胸を張って堂々と志郎の元に向かう。
「あなた、私をエスコートしなさい」
「ぼ、僕が・・・?」
「そうよ。あなたが一番まともそうだし」
 どう考えても一番まともそうではないエリスが言う。
「おいおい、お嬢さん。もう帰ったほうがいいんじゃねーの? これ以上はさすがに怒られるぜ」
 デムサンダーが自身の半分程度の身長しかないエリスを見下ろす。それだけで相当な威圧感なのだがエリスはまったく気にしないで言う。
「なんですの、この黒くて太くて大きいものは」
 これを聞いて変なことを考えた人は病院に行ったほうがいいだろう。反省してほしい。
「彼はデムサンダー、友達なんだ」
 呆気に取られるデムサンダーとの間に慌てて志郎がフォローに入る。エリスはそんな凸凹コンビの二人を交互に何度か見て感想を述べる。
「ふーん、趣味が悪いのね」
 その視線は主にデムサンダーに向けられており、やや哀れむようなニュアンスが含まれていた。
「お前な! 本人の前で言うな」
 と文句を言う黒くて太くて大きいものだが、ランニングシャツと短パンなので、場違いなのはエリスと同じである。

「じゃあ、行きましょうか」
 エリスは志郎の手を取り、歩き出す。
「ど、どこへ?」
 志郎は素朴な疑問を発する。この少女が誰で何をしに来たのかいまだにわからないからだ。わかっているのは、この少女は「まとも」ではなさそうだ、ということだけだ。
 そのまともではないエリスは言う。

「決まっているわ。アピュラトリスよ」

   †††

「お嬢様が大変申し訳ございませんでした」
 老紳士、執事のディズレー・イチムラが志郎に謝罪する。
「いえ、ご無事で何よりでした」
 かなり激しい事故であったので、正直エリスとディズレーが無事で良かったと心底思う。最低でもむち打ちは覚悟せねばならない衝撃に見えた。
「ありがとうございます。こう見えてもまだ現役ですので大丈夫です。それにお嬢様もそれなりには鍛えておりますので」
 ディズレーは相変わらず堂々と前を歩いているエリスに目を向ける。
 その後、軍による照会が行われ、エリスとディズレーは無罪放免となった。それは彼らが【呼ばれた人間】であったからだ。エリスは正式にアピュラトリスから招待を受けており、普通に来れば検問も通してくれたはずである。彼女が慣れない運転をしなければ。
「お嬢様は昔からああいうところがありまして・・・、このたびはご迷惑をおかけしました。大変申し訳ありません」
 ディズレーはエリスが生まれた時から仕えている執事であるので、まるで自分の娘か孫のように彼女には甘い。そのせいで引き起こした事故に大きな責任を感じていた。
「まったくだぜ。いい迷惑だ」
「ディム、やめなよ。もういいじゃないか。誰も怪我がなくてよかったよ」
「志郎、ああいう女は甘くするとつけあがるもんだ。優しいのはいいが、舐められたら終わりだぜ」
 黒くて太くて大きいものはエリスには厳しいらしい。

 現在、志郎とデムサンダー、それとエリスとディズレーの四人はアピュラトリスに向かっていた。軍のほうから彼女たちの案内と護衛を頼まれたからだ。
 周囲にも異常はなく、暇を持て余していた状態なので引き受けたが、デムサンダーはあまり乗り気ではないようである。エリスのようにやかましいのは好きではないようだ。
「まあ、チェイミーよりはましだけどな」
 話すだけで疲れるチェイミーと一緒のアミカを思えば、これくらいの労働は何ともない。だが、エリスはエルダー・パワーがわざわざ護衛するほどの人間とは思えない。それも伝えたのだが、答えは変わらず「両名にはエリス・フォードラの護衛を最優先事項としてあたってほしい」とのことである。
「よほど嫌われているらしいな、俺たちはよ」
 エルダー・パワー自体に疑念を抱く軍人は多い。個に優れているとはいえ、たかだか十人にも満たない人間に頼るなど馬鹿馬鹿しい、というのが彼らの共通認識である。それもあながち間違っておらず、この中でエルダー・パワーの武人は突出してはいるものの、何千という兵士を同時に相手にすることはできない。結局は数と武器なのだ。
 志郎やデムサンダーがもっとも得意とするのは一騎打ちでの個での戦いや少数対少数の戦い、あるいはもっと限定した場所での戦闘となる。つまり、あまり外にいても役に立たないであろう、という認識である。それに加えて、その力量そのものに疑問を感じている者も多いのだ。
「体よくお払い箱になったってことさ。いいさ、あんなやつら守ってやる義理はないもんな」
「そう怒らないでよ。僕たちには僕たちの存在理由があるんだから」
「そりゃ、お前にとっちゃそうかもしれないけどさ、俺はやりにくいぜ」
 護衛は志郎の得意分野である。その仕事において志郎はエルダー・パワーでも相当な力量を持っている。
 だからこそ自分が大統領の護衛に付くとばかり思っていたのだが、幸か不幸か大統領が少年ハートを持っていたので男である彼らはあっさりと除外された。

「それよりアピュラトリスに呼ばれるとは、すごいことなのではありませんか?」
 志郎がディズレーに話しかける。ずっとそこが気になっていたのだ。自分たちでさえ入るのにはかなり手間取るアピュラトリスに招待されるなど、志郎にとってはすごいことなのだ。
 アズマは一週間以上も前からチェックを受けてようやく入れたのだ。それからずっと志郎たちも外の警備をしていたが、アズマ以降この中に入った人間は数えるほどしかいなかった。さらに外に出たのは今日外出したヘインシーだけである。それもまた驚きではあったが。
 現在は万一のことも考えて業者も立ち入りを禁じているほどなのだ。それを考えるとさらに希少価値が高まる。見たところ良家のお嬢様であるようだが、なにせアピュラトリスは富の塔。どこぞのお嬢様クラス程度が入れる代物ではないのだ。それを考えるともっと上の家柄なのだろうかと勘ぐってしまう。
「どこぞのワガママ姫なんじゃね?」
 そもそもダマスカスは王制ではないので、王族や貴族という存在はいない。もともとはこのアピュラトリスを研究する学者たちが居着いたことによって人口が増えていった国なのだ。
 東の海を越えればすぐシェイク・エターナルがあるので、人種としてはシェイク系が五割、ロイゼン系が二割となっている。フォードラの名前もシェイク系の響きがある。
「それにはいろいろと訳がありまして・・・」
 エリスに聞こえないようにディズレーは小声になる。
 ダマスカスには貴族制度はないものの【家】というものがある。長年ダマスカスに貢献した家柄、政治家の家柄などが影響力を持つのはどの国も同じである。
 フォードラ家もそうした家であり、軍人の家柄である。彼女が軍人に対して物怖じしないのはそのためでもある。ただし、すでに家としては大した力を持っていない。
 父親も亡くなり、母と子と執事一人となった現在、慎ましく生きていけるだけの蓄えはあり、静かに余生を過ごす人生でもよいとディズレーは考えていた。
 しかし、エリスの考えは違う。
 フォードラ家は誇り高き軍人の家柄。不幸にも男子は生まれなかったが、ならば自分が家長となればよいと考えたのだ。とはいっても、彼女一人にどうすることもできない。かつての父のつながりを通じて接触しても、勧められるのは縁談ばかり。当然、エリスはすべてぶち壊して終わるを繰り返す。
 そんな時、アピュラトリスから招待状が届いた。これを逃すつもりはない。なにせこの塔こそがダマスカスなのだ。ここに入れば何かが変わるのは間違いない。
「フォードラ家はすごいのですね」
 志郎は素直に感心する。理由がどうあれアピュラトリスに呼ばれるのは光栄なことなのだろう。特にこうした出世を狙う人間にとっては最大のチャンスなのだ。
「そうだとよいのですが・・・」
 少なくとも外野はそう思う。エリス当人もそう思っている。しかし、ディズレーはアピュラトリス行きには反対だった。
 それはとても簡単な理由である。
 アピュラトリスが、いや、ダマスカスという国家がフォードラ家を必要とする理由がまったく見あたらないからだ。すでに落ちぶれた家にすぎない。エリスは若くそれなりに美しい娘だが、ただそれだけだ。その程度ならばこのグライスタル・シティには山ほど存在している。
 だからこそ、それ以外の意図が怖いのだ。

「どうしてドレスなんだ?」
 デムサンダーはずっとエリスの服が気になっていた。どう考えても普段着ではないだろう。
「あれはお嬢様にとっての挑戦なのです」
 エリスは普段男装のような格好を好む。父親に憧れていたこともあるし、さんざんお見合いを勧められたことでさらに悪化したようだ。だが今回は、アピュラトリスに招待されたことに対する彼女なりの挑発、あるいは自己主張なのかもしれないとディズレーは感じていた。
「それがどうして挑戦になるんだ?」
「アミカさんと同じかもね」
「ああ、なるほど」
 志郎の頭には真っ先にその女性の名が浮かぶ。その名を聞いてデムサンダーもすぐに理解した。
 アミカ・カササギもまた自分が女であることを事あるごとに嫌っている。それは当人だけの秘密なのだが、「くそっ、女でなければ」「男のくせに」などと言っているのがたまに聞こえるので、ああそうなんだなと周りには筒抜けであった。
 エリスもまた自分が女であることを理由に家長として受け入れられず、毎回縁談を勧められることに嫌気が差していたのだ。だからこそ女性らしい格好でここに来たのだろう。
「ディズレー、余計なことは言わなくていいわ。それよりずいぶんと物々しいのね」
 ひそひそ話をしているディズレーに注意をする。どうせ自分のことを言っていることは容易に想像できるからだ。それはいつものことで気にしない。
 それよりもエリスが気になるのは、周囲に武装した兵士だけでなく戦車やMGなども至る所に配置されている点だ。アピュラトリスの大きな外周を完全に埋めてしまうほどの量である。よくこれほどの兵を集めたものだと感心すらしてしまう。
 ただ、これでも陸軍の一割程度である。ダマスカスの領土は比較的小さいので、軍人そのものは三十万程度と少ない。ここに傭兵部隊やその他の勢力を加えるとさらに増えるが、ルシア帝国が純軍人だけで一千万人以上なので、それと比べれば可愛いものである。
 さらにアピュラトリスに関わる人員は生粋のダマスカス人である必要があるので、この中枢にいる人数はこれでも少ないといえるだろう。
「ふん、これが力なのね」
 まるでいつか自分が手に入れるかのような口振りでダマスカス軍を見る。
 エリスにとって軍とは特別なものである。父親が陸軍出身だったこともあり身近な存在であることと、今は失ってしまったかつての栄光に対して感じる嫉妬。両者はどちらもエリスにとって大切なものなのだ。彼女が上に行くためには。
 だからこそ自分を売るような真似すらするのだ。エリスとて分別ある女性だ。自分が呼ばれることに対して疑念を抱かないわけがない。ただ、それが一個人をどうこうしようというものではないこともわかっていた。この富の塔が求めるのは富だけなのだから。
(ここには富があるのよ。何があっても入らなくちゃ)
 富の塔に入ればチャンスが生まれる。それだけは間違いないのだ。

「あなたたちは軍人なの?」
 エリスは二人が【違う】ことに気がついていた。軍人の中に普段着の人間がいれば目立つのは当然なのだが、それ以上の何かを感じる。もっと強いエネルギーのようなもの。特に志郎などは小さいのに雄々しい何かを感じさせる。
 彼女が志郎を選んだのは、けっして外見がどうこうではない。外見だけ見れば垢抜けていない純朴な青年にしか見えない。そんな彼が強いエネルギーを秘めていることに惹かれたから、自然と目に入ったのだ。
(ほぉ、さすが軍人の家柄ってわけか)
 デムサンダーはエリスが自分たちの中にある【大きな意思】に感づいたことを悟った。彼女は【見えている】のだ。
 さすがにまだ通常レベルなので戦気までは見えていないだろうが、オーラが常人とは異なることはわかっているようだ。つまり、彼女にも高い武人の素質があるのだ。
 デムサンダーが見たぶんには、まだその資質は非常に小さい胚芽の状態である。ゆらゆらと小さなかがり火が、ようやく灯った段階にすぎない。だが、だからこそまだまだ伸びる可能性がある。
「ううん、僕たちは外部の人間なんだけど、今回は助っ人に来ているのさ」
「助っ人? あなたが?」
「僕たちは格闘技の道場の出身でね。そういうこともあるかもしれないってことでさ」
「ふーん・・・だからなのかしら」
 エリスは志郎に宿る力がそういったものであることを本能的に察していた。それが格闘術に起因するものであることには納得する。
 ダマスカスでも格闘技の道場は普通に存在し、ボクシングや柔道のようなものもある。戦士の資質を持つ者がいれば一部の道場では覇王技も教えてくれるだろう。ただし、やはり基本までなのだ。仮にそれ以上の力を持つ者がいれば、秘密裏にエルダー・パワーの調査員が向かうことになっている。
 エルダー・パワーの存在は特に隠されているわけではないが、奥義や秘術を扱うとなれば資格が必要となる。悪用されればとんでもないことになるからだ。まずはその【心】を試さねばならない。
 そういう理由から組織については秘密厳守が基本である。それにエリスに言ったところで理解はできないだろう。

「エリスさんは武芸の心得は?」
 エリスの資質には志郎も気がついていた。あの激しい事故でも傷一つないのは彼女の運が良いだけが理由ではないだろう。歩き方を見ても明らかに何か武芸を学んだ者の足運びであることは一目瞭然である。
「エリスでいいわ、志郎。武芸は一応は習ったけど、合気道くらいかな」
 エリスは軍人の家系ということで幼い頃から武を学んでいる。いくつか学んだ中で一番しっくりきたのが合気道、さらに合気道の中でもより攻撃的だといわれているジャーリードと呼ばれる武を学んだ。
 コンバットサンボに似たもので、打撃・投げ・め有りの、はっきり言えば何でもありの武術である。ただどちらかといえば相手を転ばせたり制圧したりすることに向いているので、実戦で使うためにはナイフのような武器の併用が望ましいとされる。
 ドレスで隠れてはいるが、エリスの腰にはやや長めのナイフが二本装備されている。相手を倒し、とどめを刺すのが戦闘スタイルなのだ。
「へぇ、ジャーリードか! いいね!!」
 今までおとなしくあった志郎が突如食いつく。それに戸惑うエリス。
「な、なんですの。顔が近いですわ」
「あっ、ごめん。つい嬉しくてね。僕は柔術を使うんだ」
 志郎はエルダー・パワーの戦士第七席に位置する武人である。ちなみにデムサンダーは戦士五席。
 戦士として腕力に優れているわけではない志郎が選んだのは、より効率的に相手を制する柔術であった。
 戦場ではなかなか組み合う余裕がないので戦士の攻撃は殴る蹴るが主体となりがちだが、覇王技の中には投げる・極めるといった技もある。
 これらは通常一対一での戦いで使われるもので、地味なためか道場に通う戦士志望の人間にはあまり受けがよくない。多くの戦士はだいたい派手な格闘術を学ぼうとするので体得している武人の数は少ない。
 が、熟練すれば相当に強力な技であり、エルダー・パワーにおいては集団戦闘術の領域にまで昇華されている。志郎はそれを体得しているのだ。
 そして、柔術は打撃系のデムサンダーと組むことで強力な力を発揮する。志郎が相手を崩したところにデムサンダーの強力な打撃を与えれば、いかに強靭な武人であろうともただでは済まない。二人のコンビはまさに相性抜群なのだ。
 ただ、やはり地味なので志郎と師範しか扱える人間はおらず寂しい思いをしていたのは事実である。だから非常に嬉しいのだ。

「ねえ、仕合ってみようか! どんな技使うの!?」
「ちょっと、私はドレスですわよ」
 エリスはドレスだ。スカートである。投げても投げられても見えてしまう。いくら軍人の家柄でも若い彼女には恥ずかしい。
「あっ、ごめん。ついうっかり」
 根っからの格闘技好きな志郎は、それ以外のことにはあまり頓着しない。彼がアズマを気にするのは、武に対しての姿勢が似ているせいもあるのだろう。唯一異なる点は、アズマがどんな相手でも敵であれば殺せるのに対して、志郎はそれができない点だけである。
「まったく、抜けている御仁ですわね。そんな様子で警護が務まるのですか?」
「僕だって少しは役立つんだけどな」
 そう言って笑う。その笑顔は素朴で人を安心させる力が宿っていた。そのおかげかエリスの中にあった妙に張りつめていた緊張感が薄れていく。
 そして、彼女は決断する。
「馬鹿馬鹿しいですわ」
 そう言って、ドレスのスカートを破いた。
「ええ!? どうして破ったの! というか、それはちょっと!」
 すでに見えそうになっているほど短くなってしまったドレスの丈に目のやり場に困る。だが、エリスはそんなことは気にもせず、ディズレーに合図を送る。
「ディズレー、着替えます」
「はい、お嬢様」
 そう言ってディズレーは持っていたトランクを開き、簡易更衣室を取り出して設置する。志郎もなんか大きいなと思っていたのだが、こんなものを入れていれば大きいのも当然である。
 エリスは中に入り、着替え始める。周囲の軍人はそれをパンダでも見るような奇異の視線で見ていたが当人は気にしないようだ。
「女ってものはもっと恥じらいがあったほうがいいと思うんだがな」
 そうデムサンダーは思うが、エルダー・パワーの面々は基本的に武に特化しているので、そうした恥じらいにはまずお目にかかれない。アミカにしてもチェイミーにしても、どこか一般の女性とは感性が違うのだ。エリスもまた同じタイプであるのが残念でならない。
 そして、エリスが出てきた。
 ワイシャツにズボン、それに厚手のジャケットを羽織った身軽な姿である。杏色の美しい長髪も三つ編みになっていた。これがいつもの彼女の姿なのだろう。
 それだけならばよいのだが、なぜかそれらは迷彩色で統一され、腰にはナイフだけではなくさりげなく手榴弾や短銃まで装備されていた。明らかに軍人仕様である。周囲に混ざっても違和感がない。
「エリス、戦争でもしに行くのかい?」
 と志郎が言いそうになったのをぐっと我慢する。
「こっちのほうがいいでしょう?」
「そ、そうだね。でも手榴弾はいらない気がするけどね」
「いざというときのためですわ」
 その「いざというとき」がどんなときかわからないが、表情はさきほどよりも生き生きとしており魅力的に映る。これが本来のエリスなのだろう。

「これは中将! はい。・・・ええ、はい。問題ありませんが・・・はい。は? はい。表から見るぶんには・・・」
 志郎たちがアピュラトリスの入り口前に設置してある作戦本部に入ると、一人の男が電話中であった。
 男の電話相手はかなり上の人間のようで、声がやや緊張している。男は入ってきた志郎たちを見ると、目で少し待てと合図を送る。
「電話中みたいだね。少し待とうか」
 作戦本部は軍隊が使っている簡易式のコテージで、すぐに組立解体ができる便利なものである。これは比較的大きいタイプなので五十人くらいの人間なら簡単に収容できるようだ。さらに特殊な合金が使われており、普通の弾丸くらいでは倒れることはない強度を誇る。
 年々軍事費は削られているものの、ところどころには「さすがダマスカス」という装備がふんだんに使われている。
「ディム、すごいよ、これ! 沈むよ」
「うちのボロ椅子とは雲泥の差だな」
 志郎たちが座ったソファーもなかなか高級品であった。エルダー・パワーがいる小さな村にあるのはくたびれた椅子か、すでに何十年も変わらずに鎮座する座布団くらいなもの。それとはまったく違う座り心地に地味に感動する。
 一度新しい布団の購入を師範に訴えたことがあるが「なんなら毎日野宿でもいいんだぞ」と脅され、泣く泣く清貧に甘んじている彼らにとっては感動しかない。
「貧乏臭いですわね。こんなもので感動しないでくださいな」
 そう言うエリスも、自分の家よりも沈むソファーに埋もれているが。
「私は招待客ですよ。待たせるとはマナー違反ではなくて」
「客ってのは謙虚であるべきじゃないのかね」
 エリスの言葉にデムサンダーがつっこむ。なんだかんだいってエリスの存在にもすでに馴染んでいるようだ。エルダー・パワーには孤児が多いので、新しい子供ともすぐに仲良くなれる土壌がある。そういった一体感は志郎にとっても誇れるものであった。

「待たせたな」
 陸軍軍服を身につけた赤銅しゃくどう色の髪をした壮年の男、コウタ・メイクピーク大佐が電話を終えてやってきた。
「電話中すみません」
 志郎が頭を下げようとするとメイクピークは手で制する。
「かまわない。君たちこそ居心地が悪い場所で大変だろう。少し休んでいきなさい」
 メイクピークは軍一筋二四年の実直な軍人なので、本来ならばエルダー・パワーに対して懐疑的であっても不思議ではない。
 が、メイクピークは志郎たちに対して友好的であった。上層部からの信頼もあったし、何よりも彼自身が優れた武人であることも理由の一つである。志郎はもちろん、先に会ったアズマを見た時には背筋が震えたくらいだ。また、彼の祖父が武術道場を開いていたこともあり、かつてダマスカスで栄えた偉大なる武の力を知っていたことも影響したのだろう。
 メイクピークはエリスに目を配らせながら手元にある書類を確認する。
「報告にはドレスだとあったが?」
「あれはもう捨てました。無粋でしょうから」
 エリスは手榴弾を手で転がしながら答えた。どちらが無粋かは微妙なところだが、ここが軍のコテージであることを思えばあながち間違ってもいないのかもしれない。と志郎は思うことにした。
「フォードラ准将のお嬢さんがいらっしゃるとは不思議な縁だ」
 一瞬エリスは首を傾げた。父親の階級は中佐だったはず。特に殉職したわけでもないので准将にまで到達はしなかったはずだ。しかし、ふと祖父が准将であったことを思い出す。本来ならば忘れることはないが、父親が死んだあとのことが大変ですっかりと記憶から抜け落ちていた。
「祖父をご存知なのですか?」
「それはもう、陸軍ならばたいていの人間は知っているよ」
 エリスの祖父、ゴードンは陸軍の中でも武闘派に属する武人肌の人間で、武人の血が強い軍人からの支持は厚かった。若き頃のメイクピークもまたその一人であった。
 だが、当時のダマスカスは軍部縮小を唱える大統領が政権を担っていたため、ゴードンら拡充派は非常に苦しい立場に追いやられていた。そして、最後は利権を重視するダマスカスでの権力闘争に負け、その流れでフォードラ家も半ば潰れかかることになった。
 将校にまで上り詰めれば通常は軍から支援があるものなのだが、それがなかったことから陸軍内では見せしめではないかという見方が有力である。
「何もできず申し訳ないと思っている」
 メイクピークも軍人なのだ。上からの命令には従うしかない。
「過去には何の価値もありません。詫びも礼も結構です。わたくしは今を生きておりますから」
 エリスは家長となると決めた時から、過去にこだわるのをやめた。誇りではあっても、少なくとも過去の栄光にすがることはやめたのだ。それによって救われるものはなく、ただ惨めな哀れみしか受けないのならば、そんなものは願い下げである。
 エリスが求めているのは【力】。今を勝ち抜く力なのだ。
「君は准将の血を受け継いだようだ」
 メイクピークは、エリスのその表情にかつての祖父の姿を垣間見る。雄々しく、けっして過去を振り返らない姿勢はそっくりであった。

「大佐、アピュラトリスに入りたいのですが・・・」
 志郎が頃合いを見計らってその旨を告げる。
 アピュラトリスの入り口はいつも以上に厳重に警備されており、入る場合は通常の検査とともにこうして軍部のチェックも受けねばならない状態だ。志郎もそのための許可を受けに来たのだ。
「中にか・・・。私にそれを止める権限はないようだ」
 特別な相手にしか招待状は送られない。おそらく面倒な検査もパスされる可能性が高い。これはアピュラトリス側からの要請なので軍部といえども口出しはできない。
 しかしながら、メイクピークは少し不思議な言い回しをした。それが志郎には気にかかる。
「何かあったのですか?」
 ふとさきほどの電話を思い出す。声の雰囲気からして明らかに普通の会話ではない。外にはない緊迫感が込められていることを志郎は見抜いていた。
「うむ・・・」
 メイクピークは話すかどうか迷ったが、知ったところでどうにかなる問題でもないので口を開く。
「さきほどバードナー中将から電話があった。内容は、アピュラトリス内部の再調査についてだ」
 バクナイアから命令を受けたバードナーは、まずメイクピークに連絡を取った。そこからアピュラトリス側に接触を図るためである。現在、アピュラトリスは隔離された状態にある。電話であっても外部からのアクセスを遮断するように設定されている。これは連盟会議中の限定措置である。
 世界中からさまざまな人間が集まっているため、中には邪な考えを抱く人間がいるかもしれない。また、国とはいってもすべてがダマスカスに好意的ではない。警戒はしておくほうがよいという判断である。
 普段アピュラトリスにこもっているヘインシーが外に出ているのも、こうした隔離状態が前提となっているためだ。この間は誰であろうとも外部からアクセスすることができない。唯一このコテージにはアピュラトリスとの回線が設置されており、やり取りが可能となっている状態である。
 それだけならば問題はないのだが、メイクピークは現在少し困っていた。その理由がこれである。
「アピュラトリス側が査察を受け入れてくれないのだ」
 バードナーの指示でアピュラトリス内部と接触を図ったが、現状では異常が見られないため軍部の介入を拒絶した形となった。メイクピークは過剰反応だと思うのだが、相手側はかなり慎重である。これはバクナイアから発せられた命令であることが一つの要因でもあった。彼らは軍からの介入を嫌う傾向にあるのだ。
 ただし、ヘインシーが命令したとしても同じだっただろう。あくまで当人がここに来なければ応じない。それがアピュラトリスの徹底した機密保持を成立させているのだから。
 それを知っていながらヘインシーはバクナイアに頼んだのだ。重要なことはアピュラトリス側に危機を知らせることと、実際の戦力を付近あるいは内部に集めることなのだ。

「何か起こったのですか?」
 志郎は自分の中の不安がざわついたような気がした。もし起こっているのならば見極めたい気持ちにもなる。
「いや、まだ確認にすぎない」
 連盟会議中であるため、こうした確認は何度も起こっている。それが緊張感を帯びるのは国防長官のバクナイア経由での指示であるからだ。首都防衛の最高責任者のバードナーまで出てくれば緊張しないはずもない。
 しかしながら、まだあくまで確認なのだ。強引に軍を突入させれば軋轢は深まるだろう。ただでさえこのような世界情勢なのだから、ダマスカスの恥というだけでは済まない。
「くだらないことですわね。いつからダマスカスは虚栄心に支配されるようになったのですか」
「耳が痛いな。しかしこれがわが国の現状でありシステムだ」
 アピュラトリスによってダマスカスは生きている。人権があるのも民主主義のおかげである。軍が勝手な行動を取れないこともまた富の一部であるのだ。都合よく分けるわけにはいかない。
「私に力があれば変えられるのに・・・」
 エリスのその言葉はつぶやきに近いもので、唇がわずかに動いた程度。それが届いたのは隣にいた志郎だけであった。
 エリスを心配そうに見る志郎を見て、メイクピークはふと何かを思いつく。
「志郎、デムサンダー、お嬢さんの護衛ついでにアピュラトリスの中を見てみたくはないか」
「おっさん、回りくどいな。素直に調べてこいって言えよ」
 その言葉を聞いたデムサンダーがソファーに座りながら的確に訂正する。メイクピークは苦笑いしながら肯定した。
「そうだが・・・、素直にそう言ったら従ってくれるのか」
「俺は遠慮したいね」
 誰が好んで牢獄に入るのだろう。少なくともデムサンダーにそんな嗜好はなかった。
「それにだ、中にはあのバトルジャンキーだっているんだ。問題ないさ」
 デムサンダーはアズマを嫌っているが、その戦闘力は自分よりも上であることを認めていた。
 同じ第五席にいても力量が同等というわけではない。マスター・パワーの赤虎が剣士なので、特に剣士は厳しく見られる傾向にある。アズマの実力はもう一席は上だと思ったほうがいいだろう。
 ただし、デムサンダーとアズマは戦い方が違う。その力量を簡単に推し量ることはできない。デムサンダーもまた優れた武人であることには違いないのだ。
「志郎、ディム、いいじゃありませんか。行きましょう。陸軍に貸しを作る良いチャンスですわ」
 エリスにとっては悪くない提案だ。アピュラトリスに入ったからといって富が得られる確証はない。あくまでチャンスが訪れるにすぎない。ならば、ここで陸軍と再びコネクションが築けるのは好都合である。祖父とつながりのあるメイクピークならばなおさらであった。その上にはバードナーもいるのだ。
 バードナーの名前は祖父からも少しだけ聞いたことがあった。自分が戦友の孫と知れば、いくら落ちぶれたとはいっても何かしら引き出せるものがあるだろう。
 これはエリスにとってのチャンスである。
「ちょっと待て。どうして俺たちがお前の野望に付き合わないといけないんだ。それに勝手にディムと呼ぶな。この名前は相棒にしか・・・」
「黒くて太くて大きいわりには、器が小さいですわね。それとも自信がないのかしら」
 挑発するようにエリスが手榴弾を転がす。正直その挑発はやめてほしいと志郎は思った。暴発したら周りはともかくエリスが危ない。
「はっ、俺様を挑発しようってか。後悔するぜ」
「なら、後悔させてみなさい」
 二人は笑いながら頷く。いつの間にか仲良くなっていた。
(なんだかんだいって似た者同士かもしれないな・・・)
 志郎はデムサンダーとエリスは似ていると感じた。細かい点は違うがオーラの質もかなり似ているように見える。これは傾向性といったもので、生来の性格そのものが似ているのだろう。
 エリスが真っ先に志郎を選んだのもその証拠である。デムサンダーも志郎と会った瞬間に打ち解けたのだ。二人は同じ感性を持っているといえる。これが男だったならば反発したかもしれないが、女であったためにすっぽりとはまったのだろう。

「では、君たちを富の塔に招待しよう。まあ、私は中に入ったことがないので身の安全の保証はできないがね」

 メイクピークにとって、その言葉は単なる思いつきのジョークにすぎなかった。
 しかし、まさかそれが現実のものとなることを、この場の人間はまだ誰も知らない。
+注意+
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