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十二英雄伝 作者:ぷるっと企画

零章 『世界が分かれた日』

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十一話 「RD事変⑩ 『世界のかたち』」

   †††

 通常、国際連盟会議は年に一度、常任理事国各国の持ち回りで開かれ、現在世界で問題となっている議題に共同で取り組む。
 発言するのは主に常任理事国で、議会の中央に五つの特別な代表席が設けられている。参列しているその他の国家は、そこから少し離れた位置に円形に広がる席が設けられ、高官を含めた代表者が座る。
 もし会議場を天井から見れば、それが【五つ星】の形になっていることがわかるだろう。
 常任理事国の背後の席には、その国と関わりの深い国が並び、五つのかどのどこが伸びているかで世界のパワーバランスが一目でわかるようになっている。

 現在、星は【いびつな形】をしていた。

 一番の力を持つのはルシア=カルバトフ帝国。次にシェイク・エターナル連合国家。その二者は対立するように西と東に分かれて席が配置されている。両者の力はほぼ拮抗しているといえる。

挿絵(By みてみん)

 ルシア帝国は北西部、世界の四分の一を実効支配している最大国家である。
 北西部は雪の降る国が多く、一年の大半が雪に覆われているためかつてはあまり豊かではなかったが、ルシア帝国の指導力でいまや最大の生産力と軍事力を持つに至っている。
 ルシア帝国を支持する国家は意外にも多い。彼らは植民地政策を敷いているのだが、その仕組みが実に絶妙なのだ。
 ルシアの世界最高峰の技術は開発力に乏しい資源国家を援助し、まだ資源を得ていない国に対しては融資も行う。それは雇用を生み、貧しい国を救うことになる。そして、世界最大の軍事力によって保護される。いつ国が崩れ、己が難民となる身を思えばルシアの保護下にいることは幸せなのだ。
 強者に従ってさえいれば莫大な利益を得る仕組みになっているので、自力で国を維持する力のない小国はルシア側につくことが多い。小さな国も集まれば巨大な存在である。こうして現在ルシアは五十近い植民地を得て最大国家となったのだ。
 もう一つのルシアの特徴は【絶対貴族主義】を敷いていることである。血筋こそ絶対とするシステムに隙はなく、雪の国という別称の他に【血の国】とも呼ばれている。ただし、後者は貴族主義と軍国主義を揶揄する者たちが使う蔑称べっしょうではあるが。

 一方、東のシェイク・エターナル側についている国家は、それなりに力のある国が多い。
 ルシアの国力増強に脅威を感じる周辺国家など、単独でも自国を維持できるがルシアに狙われたら抵抗できない中堅国家たちだ。シェイク・エターナルは一三からなる連合国家であり、元から中堅国家が集まって生まれた国であるため、彼らと上手く同調できるのだろう。
 シェイクが求めるのは自由と平等。実力があれば誰でも国のトップになることができるという絶対の実力主義を貫いている。彼らからすれば、ルシアの血による権力集中は忌み嫌うものであった。
 それも当然。シェイクという国はもともとルシア帝国の圧政から逃げた者たち、一説によれば重犯罪者や政治犯たちが作り上げた国なのだ。もちろん、ルシアが国力を伸ばしたのはここ五百年。彼らの祖先が逃げたのは、それ以前に栄えていた西側国家からである。が、シェイク人の中に眠る【西側アレルギー】は遺伝子の中に受け継がれていた。
 シェイクは完全なる法治を求める【法の国】の側面もあり、自由なお国柄にもかかわらず規則に対しては実直な姿勢も見せる。

 三番目、星の上の角、上座の位置にはダマスカス共和国が陣取る。
 ダマスカスは【富の国】である。自衛力は持っているが争いは好まない。ダマスカスを支持するのはそうした中立国家や、商業によって栄えている国が多い。
 ダマスカスの仲裁があればルシアもシェイクも無茶なことはしないと知っているのだ。金持ち喧嘩せず、まさにその言葉が似合う。
 ダマスカスは世界中の経済と金融システムを正しく管理することで、さまざまな意味での安定を維持する役割がある。人の生活は軍事だけでは成り立たない。こうしてルシアとシェイクが小競り合いを続けていられるのも、ダマスカスがしっかりと経済を制御しているからに他ならない。
 人は生来的により豊かな生活を求めるものだ。それが物的が精神的かは別として、常に快適なものを欲しようとする。それらを提供管理することでダマスカスは信頼を得ているのである。

 四番目、星の左下はロイゼン神聖王国。
 彼らはいわば【世界の信仰】を一手に集める国である。
 ロイゼンの国教は【カーリス教】と呼ばれる宗教で、現在では全世界の四割の人間を信者として迎えている世界最大の宗教である。そして、その最高の象徴である【カーリス第一神殿】がロイゼンにある。そう、ロイゼンこそがカーリス発祥の地だからだ。
 ロイゼン王室と第一神殿は名目上多少の距離は置いているものの、王室の子供は必ず幼少期を第一神殿で過ごして洗礼を受けねばならない決まりがあり、ほぼ例外なく国王一族もカーリス教徒である。
 そうした事情もあり、ロイゼンは【信仰国家】とも呼ばれ、常任理事国の中でもダマスカスに次いで比較的安定した地位を得ていた。
 また、カーリス勢力は各国の中枢にも及び、ルシアやシェイクにもカーリス教を支持母体とする貴族や団体が存在する。信仰に国境はないからだ。
 信仰は人間の生活を精神的に豊かにするが、一方では危険なものでもある。必然的にその扱いはデリケートになり、ルシアもシェイクもカーリスに対しては一定の配慮を見せる。その意味でもロイゼンは富とは関係なく常にある程度の発言権を有しているといえる。

 最後に、グレート・ガーデンという国がある。
 世界のもっとも東に位置する国、世界地図でいえば北東にある小さな島国である。
 この国は、世界中から技術者を集めて優遇する制度を設けているため、町の至る所には個人経営の工場こうばや芸術家が建てたであろう理解不能な建造物が溢れている。実にカオスな空間だ。
 しかし、世の大きな発明というのは、えてして小さな町工場から生まれることが多い。彼らの自由な発想を保護することは、国家だけではなく全世界に大きな影響を及ぼすことにもつながるのだ。
 実際、他の常任理事国が最新鋭として使っている技術は、もともとグレート・ガーデンから輸出されたものである。その中にはグレート・ガーデンしか解析できないブラック・ボックスも多く含まれているので、修理や部品の発注はこの国の技術者頼りという場合も多い。このため、【技術の国】として小さい国土ながらグレート・ガーデンは独自の地位を築くに至っている。
 ただ、この国は他の四つと多少異なる側面があるのも事実である。それは彼らの独自の【思想】に寄るところが大きいのだろう。そちらの面では他の常任理事国との関係はあまりよろしくない不思議な国である。

 国際連盟会議は毎年開かれはするが、今回のように各国の国家元首が一同に揃うのは非常に稀なことである。それだけ今回の一件が世界を大きく揺るがしたことを意味していた。
 その国際連盟会議が始まって四時間あまり。すでに内々で高官たちが話を詰めていたこともあり、会議は例年にないほどに順調に進んでいた。国際金融市場の復旧。それに伴う軍事力の共同管理。輸出入の緩和。貧困対策。簡単にいえば、こうした混乱の中にあっても一時的に結束して余計な被害を防ごう、というものである。
 世の中にある権力や資本の大半は、人が自然界の中で生きるうえで必要な衣食住の安定確保が目的として生まれている。誰もが好き勝手に動けば当然生産は成り立たない。生産がなければ不足が起こる。不足が起これば愚かな者たちによる略奪が起こり、国が衰退する。
 そう、権力とは、労働力や資源を含む資本の効率的な活用のために生まれた【ルール】の結果である。人は自らの手で自然界を生き抜き、こうしたお互いのルール作りによって安定と調和を生み出してきた。ただし、それはあくまで物が不足し、多くの人々が食べることにも困っていた時代の話である。
 技術が発達し生産力も増していくと、人々の関心は飢えをしのぐことよりも他者との比較に移っていく。より富を蓄えたほうが偉いという自尊心の競争が生まれた。自分が誰かに勝っていないと気が済まない。こんな病気のような生き方が世界に蔓延し、気がつけば世界は【割れて】いた。
 現在の常任理事国の存在意義は、本来の【可能性の模索と保護】ではなく、人の自尊心とエゴイズムによって生まれた比較と競争によって支配されている。人の無限の可能性を考えれば、これは正常ではないのだ。

 しかし、現在の状況は一時的ながら過去の混乱期に似ている。
 人々が生み出した金銭や株式といった見えない権利が麻痺したことによって、人は再び飢えることに注意を向けねばならなくなっていたのだ。
 つまり彼らの結束の正体は、【常任理事国の維持】である。
 これ以上の混乱が続けば、常任理事国という枠組みそのものが壊れかねない。自国の維持すらままならなくなり、国力の低下が起これば国際協調どころの話ではない。最悪は国が割れ、再び今以上の混乱が世界を覆うことになってしまう。最低限の衣食住すら提供できなくなってしまう可能性があるのだ。
 世界は五つの国で回っている。これだけで莫大な富が分配される仕組みなのだ。現在のシステムを失うくらいならば、仇敵であろうが手を組む。この国際連盟はそうした薄氷の絆によって生まれた【打算の産物】であった。それゆえに、各国の代表は一見すれば友好的であるものの、本当の意味での調和は見られない。お互いに相手の腹をさぐり合っているのだ。
 それでも、この会議の意味は大きい。
 今までいがみ合っていた世界が、初めて手を取り合ったのだ。打算であっても価値ある会議であった。だからこそ成功させねばならない。それは各国ともに同じ気持ちであった。

 会議は休憩に入った。
 次は午後三時からの再開を予定し、各国の代表は会議場の周囲に与えられた自分たちのスペースに戻って今後の作戦を練っていた。
 その間も各国護衛の者たちは注意深く周囲の動向を探っていた。これだけの面子が集まることは今後ないかもしれない。それほどの重要人物が出席しているのだ。視線がいつも以上に厳しくなるのも当然だろう。
(すごい圧迫感だ)
 ダマスカスのスペースで、大統領であるサバティ・カーシェルを護衛していたアミカ・カササギは、初めて見る会議場内部の光景に驚くと同時に各国護衛たちの鋭い視線に少しばかり興奮していた。ピリピリと肌に突き刺さる敵意。これは武人特有のやりとりで、相手の強さを測るために無意識に攻撃的な意思を向け、その反応を見ているのだ。
 アミカにも厳しい敵意が降り注ぐ。まるで値踏みされているようだが、それがアミカにはたまらない。
(あの者、相当な腕前。もし仕合ったら勝てるだろうか)
 こうして同じ場所にいるだけでも護衛たちの強さを感じる。自分と同レベルと思われる人間がここには山ほどいるのだ。興奮するのも当然だろう。
 彼女はエルダー・パワーの剣士第九席に位置している剣豪の一人。美しい波と白い菊花が描かれた瑠璃色の着物とアズマとは対照的な【白刀】がチャコールグレイの長い髪によく生える。
 彼女もアズマ同様、幼少期に才を見いだされエルダー・パワーに引き取られてから、ずっと山奥で育ってきた。このような都会に来るのも初めてであるのに、まさかその中心部に入れるとは思ってもみなかった。
 そしてこの場所に来てから自己の未熟さを痛感している。こうして気配を交える相手のどれもが超一流なのだ。今まで自分と対比する者が少なかったアミカにとっては、初めて感じる【世界の壁】であった。
(世は広い。あの殿方など師範クラスの腕前と見た)
 アミカが見た銀髪の男性、まるで女性かと見間違えそうな容姿の男は笑顔ではあったが、その奥にはすさまじいオーラが内包されていることを見逃さない。到底自分が敵う相手ではないこともわかる。
 エルダー・パワーには師範と呼ばれるマスター・パワーである赤虎の下につくまとめ役がおり、剣士、戦士、術者、忍者のカテゴリーの中に二人ずつ、指導する人間がいる。アミカにとっては師範ですら遠い存在。それと同格であろう人間が何人かいる。未熟者の自分がこの場にいてもよいのかと自問を続けていた。
 しかし、だからといって逃げるわけにもいかない。彼女の任務は大統領以下ダマスカス高官の護衛であった。各国が精鋭を出してきている以上、大統領であるカーシェルもエルダー・パワーを出して見栄を張りたかったのだ。
(だが、なぜ私をお選びになられたのか・・・、師範でもよかったのに)
 大統領のカーシェルは、エルダー・パワーから適任者を選ぶ会合でアミカを見るなり「彼女を護衛にしてほしい」と願い出た。アミカは「都会に出るのは恥ずかしい」と必死に断ったが、どうしてもという要請には逆らえなかった。
 マスター・パワーの言葉もあって仕方なく派遣を受け入れたのだが、自分にとっての師範代であるジン・アズマとはあっさりと配置場所が変わってしまい、現在は非常に心細い思いをしていた。心情的には突然都会に出て戸惑う田舎娘である。正直、早く帰りたい。
 ただ、一方では武人として興奮もしていた。これだけの強者たちと一緒にいられることは勉強になるだろう。少しでも何かを学びたいと周囲に視線を向け続けていた。
 当人との思惑とは違い、それが「女剣士なのに眼光が鋭くて見所がある」と思われていることはアミカは知らないのだが。もともと切れ目なせいもあるが。

(うむうむ、アミカちゃんは初々しくていいな~)
 そのアミカを連れてきた張本人、大統領のカーシェルは、実にご満悦であった。彼によこしまな下心があったわけではない。単純に女剣士に憧れている少年ハートを持っていたにすぎない。「どうだ、うちには可愛くて強い女剣士がいっぱいいるんだぞ」と言いたいだけである。
 そして願望が叶った彼は会議場のギスギスした雰囲気とは別世界の満面の笑顔で【護衛二人】の肩を叩く。
「両手に花とは最高の気分だよ」
「ヤー、シャチョさん、お触り厳禁デース」
 甲高い声が大統領の隣、左側から響く。胸元がはだけた忍装束にミニスカートというかなり際どい服を着た女性、チェイミー・フォウが肩に置かれた大統領の手をつねる。
 手をつねられて「いやいや若い子はいいなー」と嬉しそうな大統領。やはりここだけ雰囲気が違う。忍者キャバクラにいるような気分である。そんなカーシェルとチェイミーを冷たい視線で見つめるダマスカスの女性秘書官たちであった。
 それはアミカも同じである。アミカは自分が女であることを好ましく思っていなかった。自分はもっと男のように強く剣を振るいたいと思っていたからだ。
 アズマとの模擬戦でもいつも力負けする。女性だから仕方ないと周りは思うだろうが、そのハンデが気に入らなかった。その代わりに技を磨いたが、豪快な剣に憧れていたアミカにはいつも欲求不満のような焦りを抱えていた。
 しかし、今はそれを表に出しても仕方がない。自分が与えられた役目は大統領の護衛なのだ。目の前の務めすら果たせない者が、どうして一流の剣士になれようか。ぐっと我慢して仕事に戻る。

「チェイミー、社長ではない。大統領だと言っているだろう」
 アミカがチェイミーに注意する。先ほどから他国護衛たちの視線が集まるのは明らかにチェイミーに原因がある。
「オー、そうでしたかー? 偉い人、シャチョさんしか知りません」
 どこで覚えたのか、「偉い人=社長」の認識である。大統領のカーシェルすらチェイミーにとっては社長という枠組みのようだ。
「あまり恥ずかしいことはするなよ。エルダー・パワーの恥となる」
「アーイ、わたしがんばりマス!」
 チェイミーが手を上げるだけで美しいカールがかかった金髪と一緒に巨大な胸が揺れる。
 身長一四五センチに対してバストは百十センチ以上。この女、いったい何を食べて育ったんだと思うほどこの胸はおかしい。そのアンバランスさが否が応にも男性陣の目を引きつけてしまうのだ。というよりは、どうしても視界に入るのだから仕方がない、とは大統領の言である。
 チェイミー・フォウもエルダー・パワーから派遣された忍者である。見た目や言葉は変だが、腕はいい。この変なしゃべり方は彼女がシェイク・エターナルの出身だからである。その中でもど田舎のカントリーからやってきた娘なので、生粋のダマスカス人とはやや感覚が異なるらしい。
 と、アミカも思っていたのだが、この会場でシェイクの人間を見ても普通だったので、実際はチェイミーが変わっているだけだと気がついたが。
「異常はないな?」
「今のところはオーケーですね!」
 チェイミーは大統領と馬鹿なやり取りを続けながらも周囲の気配を探っている。会議が始まってから特に問題は起こっていない。
「密偵さん、イッパイいますけどね」
 この会議場には護衛の騎士だけではなく、各国の忍者や密偵も入り込んでいる。同じ忍者のチェイミーでなければわからないほど見事に変装している者やら、気配を完全に一般人に同化させている者もいる。
 アミカもチェイミーに教えてもらって確認するのだが、普通の事務官とまったく見分けがつかない。
(では、なぜこの女はこの格好なのだろう)
 それならばチェイミーも変装すればいいのだと思うのだが、誰が見ても一目で忍者だとわかる格好をしている。もう少し何とかしてほしいものだ。
「コレは裏の裏をかいた変装術の奥義デス!」
 裏の裏は表である。表=忍者である。丸見えである。
 初めての都会と屈強な護衛者たちの視線。実のところアミカはかなり緊張していた。その意味ではチェイミーがいてよかったとは思っている。
 ただ、彼女がここまで緊張するのにはもう一つ理由がある。それが、今目の前にいる女性の存在であった。

「【姉さん】、今日はありがとうございます」
 大統領のカーシェルがダマスカススペースに特別に設けられた豪華な椅子に座っている一人の女性に声をかける。その声には懐かしさと親しみ、強い敬愛の色が含まれていた。
 チェリーピンクの髪をした女性、紅虎べにとらはカーシェルに対してそっけなく言う。
「べつにあんたのために来たわけじゃないけどねー」
 紅虎はポニーテールを揺らしながら椅子から立つ。その姿は若く、身長もアミカよりやや小柄な女性であった。
「そんなー、僕と姉さんの仲じゃないですか」
「僕っていう歳じゃないでしょ? 昔はあんなに可愛かったのにね」
「今も可愛いでしょ?」
 にっと笑うカーシェル。どう見ても五八歳のおっさんである。最近は加齢臭も気になる年頃だ。寝る前にトイレに行かないと夜中が少し不安でもある。
 その大統領が一人の若い女性にこんな言葉遣いをすることは、実に奇異である。もし彼女が紅虎でなければ、であるが。
「まあいいけどさ。あんたにも面子ってものがあるでしょうしね、今回は特別よ」
「いやー、嬉しいな。姉さんと一緒にいられるなら大統領なんて辞めたっていいんですけどね」
 紅虎はそんなカーシェルに優しい笑みを浮かべる。歳は取ったがかつては一緒に旅をした中である。彼女にしてみれば可愛い【弟分】であることには違いない。
 今回彼女は特別招待客として招かれており、主催国のダマスカスの席にいた。
 特に彼女が何をするわけでもない。ただいるだけだ。だが、それだけでダマスカスにとっては権威を示すことになる。なにせ彼女は【特別】なのだ。
「まさか来てくれるとは思いませんでしたよ」
 カーシェルも半分は無理だと思っていた。いくら昔のよしみがあるとはいえ、それも何十年も昔のこと。それに紅虎は風来坊でもあるので掴まえるのが難しいのだ。しかし、奇跡的に彼女のほうからやってきてくれた。その時のカーシェルの喜びようはとても言葉で表せるものではなかった。
 つい先日、紅虎に抱きつこうとして殴られたのはいい思い出だ。その後に優しく抱き寄せてくれるのだからカーシェルの紅虎愛が二十倍に膨れ上がるのも無理はない。本日のはしゃぎっぷりは、その時の感動が抑えきれないことも影響しているのだ。
「まあ、気まぐれよ。パパの手前もあるしね」
「紅虎丸様は何と?」
 カーシェルの顔が政治家の顔になるのを紅虎は見逃さない。
「こらこら、パパを政治の道具にしない。あんたらのそういった悪い顔には縁遠い人なんだから」
 父親の紅虎丸がかつてダマスカスで道場を開いていたのだ。紅虎にとってもここは縁の深い土地である。今回はそれをアピールできたことがカーシェルには嬉しいのだろう。
 しかし、父親の紅虎丸当人はといえば、まったくそんなことを意識しない人である。剣のことしか頭になく、悪く言えば【いい人】なのだ。困っている人がいれば世話を焼きたがる純粋な人間だ。
 だからこそ、彼という存在は偉大なる者として愛の巣の高い階層にいるのだ。その心の高潔さ、優しさ、強さは人間として完成の域に入っている。
 ただ、役割は他の狼とは異なる。多くの者が地上を離れて活動しているのに対し、紅虎丸やその他一部の存在は比較的地上の低い場所に干渉し、人類の成長を促しているのだ。
 それは彼が人を愛しているからである。娘の紅虎がここにいるのも、人の身として可能性を示すという目的があるのだ。

(この御方が紅虎様・・・)
 アミカは護衛に支障がない程度にたびたび紅虎丸の姿を盗み見していた。紅虎丸に次ぐ【伝説の剣聖】に出会えることなど想像もしていなかったからだ。
 盗み見とはいっても、彼女が視線を向けるたびに紅虎もにやっと笑い返していたので、完全に気配は読まれていたらしい。そのたびにアミカは赤面して視線を逸らしていた。
(私には強いのか弱いのかもわからない)
 正直、紅虎からは何も感じなかった。誰もがその姿を見ては萎縮するので強いはずなのだ。それなのに彼女から感じるのは【普通】の気配。一般人と変わらないのだ。もし町ですれ違ったら一般人だと勘違いしてしまうほどである。
 しかし、紅虎と同じ気配をアミカはもう一人知っていた。他ならぬマスター・パワーの赤虎せきこである。
 マスター・パワーもまったく気配を感じさせない。気配がないわけではないのだ。それがあまりに普通すぎて意識できない。もしそうした経験を積んでいなければ、紅虎を見ても剣聖であるとは思えなかっただろう。
「あんた、なかなかいい筋してるね」
「っ・・・、わ、わたくしですか!」
 突然紅虎に話しかけられて緊張がマックスになるアミカ。そんなアミカの肩を軽く叩いて「今回は災難だったね」と紅虎は苦笑いした。
 この時アミカは何のことかわからなかったが、後日大統領の女剣士好きは紅虎が原因であることがわかり、そのことだと知った。紅虎がカーシェルと旅をしていたのは、カーシェルがまだ十歳の頃。なぜ一緒に旅をしていたかは知られていないが、四年間一緒だった紅虎に完全に心を奪われてしまったらしい。
「赤虎は元気にしてるの?」
「は、はい」
「あいつが坊やの時に会ったきりだからね、そっか、元気ならいいや」
 紅虎はかつて子供だった赤虎を思い出す。礼儀正しく物静かな子で、この子で大丈夫だろうかと心配したほどであったが、アミカを見れば正しく成長したことがよくわかる。
「せっかくだからいろいろと見ていきなよ。このあたりのやつらもそこそこやるからさ」
 紅虎がそこそこと言ったのは、さきほどアミカが見て到底敵わないと思った連中のことである。アミカはそれに気がつき慌てて首を振る。
「そ、そのような! 私などまだまだです。剣聖であられる紅虎様だからそう思われるのです!」
「んー、剣聖たって普通の人間だよ。ほれ、あいつだって剣聖じゃんか」
 紅虎が指さしたのは、これまたさきほどアミカが見て師範級だと思った銀髪の男性だった。
 そして、あろうことかその男を呼ぶ。
「おーい、シャイ坊、こっちに来な!」
 シャイ坊と呼ばれた銀髪の男は、一瞬びくっと反応したあと、しばらく沈黙し、そのまま何事もなかったかのように目の前の二人との会話を続けた。

 無視である。
 これは明らかに無視であった。

 その反応に対して紅虎がにやりと笑う。
「はー、ふーん、あーそう。そういうことするんだ、あいつ。ずいぶんと生意気になったもんだね」
「え? 紅虎様?」
 紅虎が議会場にあるデスクに上る。それだけで周囲の人間の視線が集まるが、さらにこのフリーダムな人間は自由な発言をかます。
「はーい、皆さん注目! これから十秒以内にあいつをボコボコにしまーす。はい、あいつね。あの銀髪のやつ。はいはい、手拍子手拍子!!」
 紅虎が周囲の人間に手拍子を要求して、さきほど無視した男を指さした。
「オー、ボコボコ! パチパチパチー」
 何も考えていないチェイミーも手拍子に乗る。それにつられて、なんだなんだと各国護衛も集まってきた。その中には「また紅虎が何かやらかすのか?」という期待の視線もある。
「よりにもよってこの私を無視した馬鹿を、これから拳で殴り倒します。あー、あいつは剣を使ってもいいよ。まあ、剣の修理代が増えるだけだけどね」
 この余興に会場に熱気がこもった。紅虎の声は不思議と人を引き寄せる魅力がある。春の桜、夏の海、秋の紅葉のように懐かしさと愛情深さをどうしても感じさせるのだ。
 紅虎の周囲はすでに人でごった返していた。

「じゃあ、いくよー。五・・・四・・・」
 その瞬間、猛然とダッシュしてきた男がいた。銀髪の例の人である。
 まるで女性のような端正な顔なのだが、今は顔中に油汗をかいており、表情もひきつっていた。紅虎の前に立ち、軍人が敬礼するかのように直立不動の体勢になる。
「い、いやだなぁ。【師匠】、いらしたんですか」
 その男はロイゼンの神官騎士の服を着て、腰には銀色に輝く剣が携えられていた。かなりの業物であることはアミカには一瞬でわかった。
「あんた、知らないわけないよねー。だって、私は朝からずっとここにいたんだからさー。それで無視できるって偉くなったもんだねぇ」
 紅虎のいやらしい視線が男に突き刺さる。男は完全に視線を逸らしながら弁明を続けた。
「いえいえ、まさかそのような。お美しい師匠が来られているのを知っていたら、真っ先に挨拶に向かいま・・・いた、いたた、ちょっと痛いです!」
 紅虎が男の腕をねじ上げる。男はたまらず悲鳴を発する。
「あの・・・痛いです。わりかし本気で痛い、痛い、痛い・・・!! すみませんでした!! 悪かったです! 私が全面的に悪かったです!」
 実はこの時、男は全力で抵抗していた。しかし、紅虎はさも軽々と男の手をねじ曲げて関節を極めていたのだ。その圧倒的な腕力に男はすぐ降参する。
「反省しております。お許しください!」
 紅虎が手を離すと男は土下座した。
「ふん、まーいいけど。私が呼んだら五秒以内に来るのよ」
「はい、お声が聴こえれば・・・」
「五秒以内に来るのよ」
「はい。肝に銘じます!」
 教育とはこうするのだ、という紅虎のどや顔である。
 その光景にさすがの各国護衛も困惑していた。なにせ、その土下座している男はこの中でもトップ五を争う猛者であったからだ。
 シャイン・ド・ラナー。ロイゼン神聖王国の第一筆頭騎士団長であり【剣聖】である。
 容姿端麗、頭脳明晰、まだ三十二歳という若さであることもあり、ロイゼンではアイドル的人気を持つ男だ。未婚なのも異性からの人気が高い要因だが、実はラナーは女性が苦手である。その最大の原因が目の前にいるのだが、無意識であるために当人も気がついていない。
(世の中いろいろな人間がいるな)
 大統領のカーシェルはラナーを見ながら誰もが自分とは同じにならないのだと思った。
 紅虎の弟子である以上は【そういう関係】にもなったはずなのだが、ラナーはカーシェルとは別の方向にいってしまったらしい。
 紅虎、罪深い女である。

 ラナーが土下座している。しかも額を完全にこすりつけての土下座だ。
 土下座。それは男が女に服従するときに使われる儀式の名でもあるのだろうか。そこに国籍も人種も関係ない。
 ちなみに同時刻、ヘインシーの部屋で土下座をしていたバクナイアが教えて君を額で押していたことはラナーには知る由もない。
「ほら、剣聖なんてこんなもんよ」
 そう言ってラナーの頭をぺちぺちと叩く。もはや彼は抵抗しない。抵抗したとしても無駄であることを知っているからだ。
 順風満帆であったはずの彼の人生最大の不運は、紅虎の弟子になったことであろう。こうなればもうラナーはひたすら笑うしかない。嵐が過ぎ去るのをじっと待つ小動物の気分であった。
 その光景を見ながら、ふとアミカは一つ気になったことがあった。
 カーシェルに姉さんと呼ばれ、三十歳は過ぎているラナーを子供扱いする紅虎。ただ、彼女の容姿はどう見ても若い。化粧もしておらず、肌にも張りがあった。間違いなく二十代といった容姿なのだ。
 なので聞いてみた。
「ところで紅虎様は何歳・・・」
「十七歳です!!」
 アミカの言葉をかき消すようにラナーの声が響く。地雷に体重をかけた人間に対して発するような大声である。その声にアミカはびっくりして戸惑っていた。
 命の危険に晒された人間を助けない者はいない。少なくともラナーは助ける。この女性まで犠牲にしてはならない。決死の覚悟である。
「師匠は十七歳です! そうですよね!」
「あっ、今は二十七歳にしてみた」
「もう意味がわからないです! やめてください! そんな乙女みたいな心変わりは・・・おぶふぅぅ!」
 そう言った瞬間、ラナーの顔面に拳がめり込んだ。鉄拳制裁である。三度以上殴れば軍隊では「鉄拳制裁雨あられ」と呼ばれる。
「私は乙女よ」
「は、はい・・・存じております。つい表現を間違えました」
 顔面にできた痣をさすりながら呻くように謝罪する。
「今日から二十七歳でいくからよろしく」
 今まで十七歳と相当嘘っぽい年齢で通していたのだが、なぜか突然変わる複雑な乙女の思考回路にラナーは意味がわからない。
 これもまたラナーの女嫌いに拍車をかけることになっていた。今日からラナーは女性との距離をまた一歩遠ざけるだろう。ただ、紅虎は女性としてはあまりに特殊なので、本当は参考にしてはならないのだが一度植え付けられたトラウマは簡単には払拭できない。恐ろしいことだ。
(なんと強い御方だ)
 普通ならばその横暴さにおののくのだが、アミカの視線は紅虎に釘付けだった。
 剣士とはいえラナーの腕力は一流の戦士並みである。それを簡単にねじ上げる腕力。
 これだ。これこそ自分が求めていたものだ。
 アミカの視線には明らかに最初とは異なる熱っぽさが宿っていた。それを見てラナーはまた犠牲者が増えるのかと心配していたが、紅虎は女性の弟子は取らないので大丈夫だと思い直す。

「ん? そっちは何?」
 激しく嫌がるラナーを無理矢理抱きしめてナデナデしていたとき(紅虎は激しい母性本能を満たすため、殴ったあとは抱きしめることが多い。この困った愛情表現の犠牲者は数千に及ぶ)、紅虎が二人の青年が近寄ってきたことに気がつく。
 彼らは紅虎が呼ぶまでラナーが話していた者たちであった。彼らも最初は何が起こったのか理解できずにいたが、土下座を始めたラナーにかなり引いていた。さらに抱きしめられて身動きが取れない状況にもどうしてよいのかわからずにいたのだ。
 彼らにしてみればラナーは自国の【英雄】である。普段は強く優しく頭の良い理想の上司である。異性にも同性にも好かれる男だ。その憧れの筆頭騎士団長が(見かけは)若い女にボコボコにされていることにおののいていた。これが普通の反応である。
「ああ、よくぞ聞いてくださいました。二人ともわがロイゼンの若きホープです!」
 紅虎の注意が二人に向いたことで、ようやく脱出できたラナーが二人を紹介する。
「彼がアレクシート、あちらの彼がサンタナキアです」
 アレクシートと呼ばれた青年は、メイズ色の落ち着いた金髪で、少し勝ち気そうな目が印象的だ。彼はラナーと色違いの赤い神官騎士の服を着ていた。
 もう一人はサンタナキア。ラナーと似た銀髪だが、光に反射する色は若干エクルベージュの輝きを放っている。こちらもラナーと色違い、青い神官騎士の服を着ている。
 サンタナキアはアレクシートと比べると物静かなイメージがあり、はにかみながらの笑顔が印象的だ。おそらく女性には「可愛い!」とかなり評判になりそうな中性的な雰囲気が宿っている。
「二人とも、ロイゼンの騎士団長なのです」
 ロイゼン神聖王国には王国騎士団と神官騎士で構成される神聖騎士団が存在する。前者は主に防衛部隊、後者の神聖騎士団は実質なロイゼンの主力部隊であり、その名の通りカーリスとも関わりの深い存在である。
 神聖騎士団には六つの大きな軍が存在しており、ラナーを筆頭騎士団長として五人の騎士団長が存在していた。彼らはそのうちの二人だという。
「ふーん、まだ若いのにすごいのね」
 紅虎の言葉に二人はさらに緊張を強める。自己の師でもあるラナーの師匠なのだ。彼らからすれば雲の上の存在である。
「紅虎様のご高名はロイゼンにおいても知れ渡っております。光栄です」
 アレクシートは緊張しながらも挨拶をする。せっかく会えたのだから接しなくては損だという積極的な姿勢を感じる。
「剣士なんでしょ?」
「二人とも剣士です。今では私から五本に一本は取れる力をつけています」
「ふーん、こいつからね・・・」
「痛い、痛いです。拳でぐりぐりしないでください!」
 ラナーのこめかみを両拳でぐりぐりしながら、紅虎は二人を見る。ただのぐりぐりといっても、その腕力はすさまじい。本当に痛い。涙を流すくらい痛い。
 そんなラナーにどうしてよいのかわからず、二人はまた困惑の表情を浮かべていた。

(悪くないな)
 その間に紅虎は二人の力量を観察する。
 アレクシートからは才能を感じた。五本に一本という話も嘘ではないだろう。まだ若いが経験を積んでいけばラナーに匹敵する剣士になれるかもしれない。
 実際ラナーはアレクシートに期待していた。神聖騎士団の第二騎士団長を務める彼の才能はロイゼンでも誰もが認めるところだ。家柄もよく、貴族の出である彼には多くの支持者がいる。経験を積んでいけばいずれは筆頭騎士団長にもなれるだろう。
 あまり公にされていないが、ロイゼンの神聖騎士団においても貴族やカーリスの階級が物を言う。よって、騎士団長になる人間は良い出自の【お坊っちゃん】が多いのも事実である。それでも才能がなければ騎士団長にはなれないので、アレクシートは両方を満たした稀有な存在であるといえた。
 ただ、紅虎が気になったのはもう一人のほう、サンタナキアと呼ばれた青年であった。
 控えめな性格のようで、アレクシートのやや一歩後ろに立ち静かに笑っている。愛すべき兄弟が楽しんでいるのを見守っているような優しい笑顔である。
「あんたはどうなの? ラナーに勝ちたいとか思わないの?」
「私は・・・そういうのは向きませんから。今のままで十分です」
 ここでも彼は控えめであった。自分はアレクシートの補佐でいいとも言う。
「サキア、お前はもっとやれる男だ。自信を持て」
「でもアレク、私は・・・」
「相手に気を遣ってばかりいたら何もできないぞ」
「そうだね・・・」
 そう言ってはにかむ。それもいつものことだ。アレクシートはそんなサンタナキアの態度があまり好きではなかった。
 アレクシートはサンタナキアはもっと強いのだと思っている。自分が第二騎士団長になれたのも彼が【手を抜いている】からだと見抜いていた。愛する【兄弟】を引き立てるためにそうしているのだろうが、アレクシートには不満だ。兄弟だからこそ本気で競える相手になってほしかったのだ。
 そんな言葉よりも明白な視線を受けては、サンタナキアは苦笑いをするしかない。
(でもねアレク。私は今のままで幸せなんだよ)
 愛すべき兄弟に対してサンタナキアの心は深い優しさに満ちていた。
 サンタナキアは孤児である。幼い頃にアレクシートの家にもらわれ、二人は兄弟のように、もっといえば双子のように育った。性格も違う二人はまるでパズルのピースのようにぴったりと合い、今日こんにちまで同じ道を歩んできた。それは幸せな時間だったのだ。
 愛された、愛した、本当の家族のように過ごしてきた。心の底から感謝しているし、守りたいと思っている。
 こうした関係を壊したくなかったのだ。ここまで来られたことすら奇跡なのに、これ以上望むのは贅沢だと考えていた。それが彼の慎ましさや奥ゆかしさにつながっているのだろう。
 どんなことがあってもサンタナキアはアレクシートを越えることはないだろう。仮にその才能が彼を上回っていたとしても。そんなものよりも愛を選ぶに決まっている。そういう青年なのだ。

「なかなかいいね。私が預かろうか?」
 二人の才能には目を見張るものがあったようで、紅虎がそんなことを言い出す。
 紅虎はこんな性格だが、人を鍛える力は優れている。ラナーも紅虎によって才能を引き出されたおかげでここまでこられた。それは事実である。しかし、若きホープを犠牲にすることはできない!
「いえっ! それは絶対にやめ・・・、ではなく、ロイゼンの事情がありますので大変申し訳ありませんが・・・」
「あっ、そう。べつにいいけど、この顔が気に入らないのよねぇー」
「いたい、痛い、目ですから! 眼球ですから、そこ!」
 今度は目をぐりぐりされる。すごく痛い。
「姉さんは変わらず素敵だ」
 一部でその行動に酔いしれている者(大統領)もいるので、人の趣味はそれぞれである。

「それにしても、この乳はないわー。私よりでかいの久々に見たわよ」
「おー、チッチーつまんでくだサーイ」
 謎の言葉を発するチェイミーの胸を遠慮なく触る紅虎。紅虎もかなり胸は大きいのだが、チェイミーのものは少し半端ない。
「カー坊も好きだねぇ」
 にやりと笑う紅虎。昔からカーシェルは胸が好きだったなーと思い出す。
 紅虎が抱きしめたらカーシェルは自分からは絶対に離れなかった。子供の頃から素直な人間なのだ。欲望に。
「いえ、姉さんのが一番です」
「本当? じゃあ、ここ見てみなよ」
 カーシェルが言われた通りにチェイミーの胸を凝視する。男として仕方のない反応である。だが、フリーダムな紅虎の行動はもっと半端なかった。
「いえーい!!」
 パチーン! と紅虎がチェイミーの左の乳房を叩いた。正確には強く押したので、ボニュゥォオオン!という凶悪な音である。
 左の乳房は大きく揺れ、右の乳房にぶつかる。その衝撃はまるで振り子のようにつながり、跳ね上がった右の乳房がカーシェルの顔面を直撃。吹き飛ばされ、机に頭を打って失神した。
「だいとうりょーーーーーう!!」
 秘書官たちが慌ててカーシェルを保護する。
「おー、スミマセーン。ヨッ、ダイトーリョー、大丈夫デスかー?」
 乳が、乳が大統領を倒した! 周囲は騒然となる。
「あははははは!! あーっはははは! お腹痛い!! あっははは!!」
 その光景に紅虎は大爆笑である。まさかできないだろうと思っていたので、実際にできたことに実にご満悦であった。
 なぜこのような行動をしたのか、ラナーにはよくわかる。
 「なんとなく面白そうだったから」それが答えだ。
「いいか二人とも、あの御方とあまり関わってはいかんぞ。ああなりたくはなければな」
「は、はい」
 ラナーは二人に紅虎の危険性を教え込む。自分と同じ犠牲者を出したくない気持ちは二人にはよく伝わったことだろう。
 ただ、乳房で失神したカーシェルは「またあれをしてくれてもいいのだよ?」とチェイミーや秘書官に言っていたのでまったく同情する必要はない。
 その天罰か、胸の小さな秘書官からはセクハラで訴えられていた。

 その後、紅虎は「飽きた」という理由ですたすたと違うスペースに行ってしまった。
 嵐が来たら過ぎ去るのを静かに待つのが一番良いということは、ここにいる面々はよく知ったことだろう。

 紅虎、フリーダムな女である。
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