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十二英雄伝 作者:ぷるっと企画

零章 『世界が分かれた日』

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七話 「RD事変⑥」

   †††

「ああ、くれぐれも内密にな。よろしく頼む」
 バクナイアが通信を切り、窓の外に山のようにそびえるアピュラトリスを見てからヘインシーに振り向く。
「これでいいかね」
「申し訳ありません。最初から申し上げるべきでした」
 ヘインシーの説明で十数分はロスしたともいえる。が、最初のバクナイアの盛り上がりでもすでに五分以上は費やしたのでバクナイアもそこには触れなかった。
「ただ、私の早とちりという可能性もありますが・・・」
 あくまで勘。されど確信に近い予感。一度気になれば確かめずにはいられない。
 そんなヘインシーにバクナイアは理解を示す。
「かまわないよ。勘違いであれば笑い話で済む。まあ、私が大統領に土下座すれば済む話さ。ははは」
 もちろんあれは二度と押さないがね、と言って今度は天井に張り付けて隔離された「教えて君」を指さす。
 そんなに怖いのならば処分すればよいとも思うのだが、妻にバレたらもっと怖いので隔離するのが一番のようだ。かといって自分の視界に入っていないと誰かに押されないかと不安らしい。非常に条件が厳しい。
 ちなみにバクナイアが立ち上がった際に踏んだ教えて君であるが、その頃の妻はといえば、鯉とともにたっぷりと池の水を堪能したあと、こめかみに青筋を浮かべながら再び椅子に座って怒り狂っていた。
 しかし、何度も発動した教えて君を見て誤作動かもしれないと気を鎮めた。そして夫との四十年にも渡る愛を思い出し、バクナイアに対する思いやりを抱きつつあったとき、それが発動した。
 再び椅子が発射される。ロケットのように椅子が切り離され、加速をつけて飛んでいく妻。彼女が水面を見たとき、そこには鬼のような形相の自分の顔があった。それはいつしか近いうちにバクナイアが見ることになる表情であるのだが、今は知る由もない。

 話は戻る。
 アピュラトリスは金融市場が凍結に追い込まれている現状において最後の砦である。
 警備も今までとは比較にならないほど厳重で、何があっても死守する気概を感じる。エルダー・パワーを呼んだことも危機感の表れである。
 だからこそどんな危惧であれ見過ごすわけにはいかない。それが技術次官のヘインシーのものとなれば最大限尊重すべきなのだ。
「それに君は確信があるから上司であるヨシトではなく私を呼んだのであろう」
 技術次官のヘインシーにとって、直属の上司は金融科学技術長官のヨシト・ポラスである。
 本来ならば彼に連絡すべき案件だ。しかし、上司のポラスは国際連盟会議に出席しており、各国の代表事務官にアピュラトリスの安全性を説明するという重要な役割を担っている。
 もし彼が呼びされれば各国の首脳が騒ぐのは間違いない。それで勘違いだったでは済まなくなる。
 そして最大の理由は、彼が来ても【役に立たない】ことだろう。
 ポラスは優秀な男であるが生粋の技術屋ではないし、すでに事態が推測通りに進んでいるとなればまったく役に立たない。今必要なのは実行力であり、武力なのだ。
 だからヘインシーは【国防長官】であるバクナイアを呼んだ。まあ、多少ながら暇そうだったという理由もあるのだが。

「バードナーには極秘でと言ってあるが、まず無理だろうな」
 バクナイアが極秘の命令を与えたのは、陸軍のレド・バードナー中将である。バクナイアが陸軍出身の政治家ということもあって陸軍とのつながりは深い。バードナーも頼れる男である。
 また、彼は今回の連盟会議にあわせて結成された首都防衛部隊の総司令官である。アピュラトリスの外部の警備を含め、各国関係者の安全を守るためにこの一帯の指揮を執っている。
 現在は国防も強化されており、ダマスカス海軍も総出で周辺海域を監視し、陸軍も首都だけでなく国内すべての都市に厳重な警備を敷いていた。
 しかし、こうした大規模な作戦行動は普段慣れていないダマスカス軍にとっては負担であり、指揮系統の混乱や軍内部での派閥争いを助長させる結果にも少なからずつながっている。
 バードナーは陸軍の中でも数少ない優れた将の一人であるが、そんな彼だからこそ身内に敵も多いのが現状である。極秘とはいっても、必ず誰かの目があるのは仕方がない事実だ。
 しかも各国の密偵や諜報員がひしめきあっているこのグライスタル・シティにおいて極秘などありえない。ルシアの監査局、シェイクの秘密情報省のエージェント、その他数多くの情報部隊がダマスカスに集まっている。
 今のところ国際連盟会議は順調であるが、あくまで表面上。水面下では常に主導権争いをしているのだ。
 すれ違う子供ですら「もしや密偵では?」などと警戒するくらいだ。事実、諜報部はこうした手口を使う。警戒させないようにあえて訓練していない子供を使うこともあるのだ。こうなるともはや誰も信じられなくなる。
 お菓子一つの対価が国家の機密。そんなこともごく稀にだがある。その意味ではお菓子一つが何百億円の価値を持つ。当人が納得していればそれで取引は完了なのだ。
 特にバクナイアなどの国家の中枢にいる人物は注意してもしすぎることはない。
「君も妻のスパイだったくらいだからな。我々がここにいることすら他国の諜報部には筒抜けだろうさ」
 まだ根に持っているらしい。
 しかし、教えて君を押したのはバクナイア当人なので自分に責任はないと思ったヘインシーであった。
 唯一このグライスタル・シティで完全なる機密が存在するとなれば、それこそがアピュラトリスである。それもまた皮肉なことだが。

 あとは結果を待つだけとなった状況を見て、ヘインシーは話を切り出す。
 長々とアナイスメルの話をしたのは、けっして自己の知識を披露したかったのではない。そこが重要だったからだ。
「実のところアナイスメルの【ハッキングは不可能】なのです」
 そう、この前提があったからこそ、そこまで急がなかった。
 アナイスメル自体はダマスカス建国以前から存在していたのだ。もしハッキングが可能であれば、すでに誰かがやっているはずだ。
 しかし、不可能である。
「内通者の可能性は? 機密だって多いのだろう?」
 人を使う以上、情報は漏れるものだ。制御室で仕事をしているスタッフも人間である。監視はしていても常時目の前にいるわけではない。機密をうっかり漏らしたり、あるいは売る可能性もなくはない。
「内部にそのような人物がいたら、私は喜んで技術次官の立場を明け渡しますよ」
 ヘインシーにとって肩書きは自己に自由な探究心を与える以外の何物でもない。彼の興味はただ一つ。人類の知性の向上だからだ。
 そして人類の叡智を結集してもこの状態なのだから、誰がどんな知識を用いてもハッキングは無理なのだ。
 そもそも波動であるアナイスメルの思考領域にアクセスするだけでも相当な準備が必要だ。内通者がいるとしても少なくとも自分抜きで何かをすることはできないはずである。
「しかし、君はハッキングされていると言った。比喩かね」
 バクナイアはヘインシーの簡潔な言葉を思い出す。可能性があるとは言ったが、言葉には確信の響きがあった。
 ヘインシーも自身の言葉を肯定する。
「私はアナイスメルと常時つながった状態にあります。何者かがアクセスしているのは間違いありません」
 ヘインシーは【塔の管理者】とも呼ばれている。感覚によって、あるいは【直観】によってアナイスメルの状態を確認できる特殊な能力を持っているからだ。
 それは遠くから巨大な山脈を見つめる程度のもので、本質に干渉できるものではないが漠然とした状況はわかるのだ。
 そして、【その意識】はかなりの階層にまで進んでいると思われた。
「見立てでは、すでに百五階層にまで進んでいるはずです」
 百五。この数字が示す意味は大きい。
 世界中の叡智を集めてもまったく歯が立たなかった領域にまで到達しようとしているのだ。これにはヘインシーも興奮を隠せない。
「素晴らしい。実に素晴らしいことですよ、これは!! もしこのまま放置しておけば、あるいは百十階層くらいにまで到達できるかもしれません! できればこのまま見てみた・・・」
 両手を握りしめて熱弁しているヘインシーにバクナイアの冷たい視線が突き刺さる。その視線を感じ、己の欲望を自重する。

 不可能なはずのハッキングが行われている。それはもう間違いがない事実なのだ。
 ただ・・・、とヘインシーは続ける。
「アナイスメルの【拒否反応】がないのです。それが不可解です」
 アナイスメルには意思がある。それは漠然とした無意識的なものではなく、一人の人間が持つものと同じでありながらさらに繊細で、さらに広く深いものだ。
 波動一つ一つの波長にもそうした意思はあるが、まとまった一つの階層全体のエネルギーの振動が明確な思念を発している。
 言い換えれば、人の意識もエネルギーの振動の結果にすぎない。波動や波長の振動数によって熱になったり光になったりするだけであり、それもまたその波長が感応する階層によって表現が異なる。
 とすれば、人間側から見ればアナイスメルは謎の振動を発するだけの存在だが、実際は人類全体の知識を遙かに凌駕するだけの思考を常時行っているのだ。
 そこには【感情】もある。もちろん、人よりも高度で深い味わいを持つものである。

 そう、アナイスメルそのものが、人から見れば【神の思考】に等しい存在でもあるのだ。

 そうした意思に触れるには【資格】が必要となる。もし侵入する条件を満たしてもアナイスメルに拒否されればすぐに抗体が生まれて排除される。
 誰とて嫌いな相手に自分の中に入ってきてほしくはないのだ。研究が進まないもう一つの要因は、拒否反応で精神を破壊された者があまりに多かったからだ。
 意識がアナイスメル内に隔離されてしまい、肉体はただの器になる。そのつながりが切れれば、肉は数日のうちに腐敗を始める。
 人間の主たる存在は意識だからだ。意識は生命であり、生命とはエネルギーの振動のもっとも強いうねりである。それがなくなれば肉体は生きてはいけない。エンジンを抜かれた車と同じになる。錆びて、朽ちるのが運命だ。

 ただ、ヘインシーからすれば、そうした状態は【アナイスメルに魅了された】状態である。
 アナイスメルの思考領域は人間を肉の呪縛から解放する。意識は自由になり、意思は即座に形になる世界において、人は最高の快楽を味わうのだ。
 しかし、これはあくまで疑似領域にすぎない。夢を見ているのと同じなのだ。そこはあくまで【幻想世界】であって、偉大なる者が住むという本当の【愛の巣】ではない。
 人間が麻薬やアルコールによって一時的にストレスを発散させるのに似ている。短期間ならば戻れる可能性はあるが、中毒になってしまえば自ら戻ることを放棄する。
 つまるところ、アナイスメルとはそういう場所なのだ。
 無限の階層に無限の意識が滞在できる領域がある。そこでは肉体の制限に囚われずに自己の欲求を満たすことができる。意識に制限はないからだ。
 だが、それは人間の地上的生活を否定する行為である。妄想が楽しくて現実生活を疎かにし、やせ細っていく人間に近い。到底正しい生活とはいえないものだ。

 そして、ヘインシーはアナイスメルの拒否反応が起きない数少ない人材である。
「敵は君と【同種】の人間、というわけかね?」
 ヘインシーはまだ二十代後半。この年齢で次官になれることはまずありえない。その最大の理由が、特殊な体質に起因しているのだ。
 ヘインシーはアナイスメルに入っても魅了されることはなく、正しい視点で全体を俯瞰ふかんできる。自己と他者が入り混じる世界において自己を見失わないのだ。それは恐るべき精神力でもあった。
 とすれば、相手もおそらくは同種の人間であると思われた。
「おそらくはそうでしょう。ですが、プロテクトも発動していないようなのです。これはあまりに不自然です」
 仮に侵入者がヘインシーと同種の存在だとしても、アナイスメルの深層意識下にダイブするには幾重にも存在するプロテクトを解除しながら進まねばならない。
 これは人間の心が持っている自己防衛本能と同じものだ。思い込みや過去のトラウマ、またはアナイスメルに引きこもった人間たちの【妄想世界】が邪魔をしてくるので、一つ一つ分けてから進まねばならない。
 この作業にはどうしても時間がかかる。だが、侵入者はそれすらも完全にすり抜けている。あまりに不自然だ。
 ただ、唯一にして絶対にありえない方法が一つだけ存在する。できるだけ考えないようにしていたが、この状況を説明できるとすればこれしかない。

「【ミッシング・パーツ〈失われた文字〉】を使ったのかもしれません」

 アナイスメルが発見された当時、すでに石版は五つしかなかった。その五つを統御する役割を担った一番大切なものが欠けていた。
 石版を復元しようと試みたことは何千回も記録にある。が、どれも失敗。アナイスメルに拒否反応が出て終わったものばかりだ。
 そもそもあの石版自体が非常に特殊な材質で造られている。半有機的物質と呼ばれる、現在の技術でも解明できない謎の成分で構成されていた。
 その物質は有機的な側面と無機的な側面をあわせ持つ伝説の鉱物【オリハルコン〈黄金の羊〉】という説が有力である。
 そう、あれはいわば【生物】なのだ。
 化石のように生命体としての機能は停止しているが、特定の波長に反応する感受性を持っている。
 こうした存在は不思議なものではない。存在するものすべてにエネルギーの波動がある以上、石であっても特定の波動を発することがある。
 そうしたものは【魔石ジュエル】とも呼ばれ、コレクターや武器職人の間では高額で取引されている。
 さらに稀少な存在ではあるが、【ジュエリスト〈石の声を聴く者〉】と呼ばれる者たちは、石から力を引き出すことでさまざまな分野で活躍している。
 このダマスカスにはジュエリストたちを認定する組織があり、毎年資格のある者に対して称号を贈っている。
 ジュエルの中にはランクがあり、最高品質のジュエル、【テラ・ジュエル〈星の意思〉】を自在に扱う者を【ジュエル・パーラー〈星の声を聴く者〉】と呼んでいた。
 テラ・ジュエルはMGのオリジナルとなった【神機しんき】の核に使われているもので、いまだに材質の特定ができていないものが多い謎の鉱物である。
 テラ・ジュエルもまた意思を持っているのでオリハルコンに似たものであるのだが、実際にテラ・ジュエルを使って実験してみたが失敗に終わっている。
 テラ・ジュエルはオリハルコンではなかった。
 オリハルコンそのものは存在する。しかし、オリハルコンの複製は不可能である。これが現在の統一見解であった。

「では、相手は本物を持っていた、ということかね」
 バクナイアの考えは正論だった。複製が無理ならばオリジナルを持っているというもの。しかし、それもありえない。
「百パーセントではありませんが、我々の調査ではオリジナルはすでに崩壊したと思われます。何かの異変であの石版は破壊されたのです」
 本来は一つの石版であったことはわかっている。
 通常の手段ではまず壊れないであろう石版が、なぜあのように割れたのかはわからないが、千年以上に渡る調査でオリジナルは失われたという結論に達していた。
 ヘインシーは、それがアナイスメルを用いた【何かの実験の失敗】によって生じたものであると推測していた。
 アナイスメルが本来の使い方をされ、その負荷に耐えきれなかった結果、こちら側のデバイスが破損したのではないか、という推論だ。

 それならばすべてが納得できる。
 アナイスメルが【破棄】された理由が。

 これはあくまで推測だ。バクナイアに説明したところで同意は得られないだろう。
 重要なのは、アナイスメルはまだ機能を維持しており、その有用性は人類全体に影響を与えるものであるということ。
 そして、もし石版の複製が造れるとすれば、これもまた推測だが一つだけ思い当たるものがある。
「もし本当に賢人がアナイスメルを造ったのならば、あるいは・・・」
 そこまでヘインシーが言えばバクナイアにも答えがわかる。
「賢人が複製を造った、と言いたいのかね」
 その問いにヘインシーは答えることができなかった。賢人自体、まだよくわかっていない存在なのだ。簡単には肯定できない。
 それでも現状を正確に把握しなければならない。事実として起こっているならば、それに相応しい理由が必ず存在しているのだ。
「一つだけ言えることは、ミッシング・パーツがあれば研究は飛躍的に進むということです。あれは実に貴重なのです」
 今まで難航していたのは、まったくの未知の文明を手探りで調べていたからだ。文字も数字も公式も、あるいは思想もわからない文化を最初から観察しなければならないのは非常に大変である。
 しかし、もしそこに【辞書】があったらどうだろう?
 わからない単語は調べればいい。公式に当てはめてみれば解ける問題も多いだろう。
 そう、ミッシング・パーツはそうした役割を果たすのだ。アナイスメルの【取り扱い説明書】といえる。
「それがあれば、君も同じことができると?」
「同じとは言えません。相手は間違いなく天才でしょう。ただ、完全に劣っているとは思いません」
 ヘインシーは特殊な人間だ。彼の上をいく人材はいるだろうが、圧倒的大差をつけての勝利が可能な人間がいるとは思えないのだ。
 もしそんな人材がいるならば、世界はその人物一人によって成り立ってしまうだろうから。
「つまり、相手がそのミッシング・パーツを使っているのはまず間違いない、というわけだね」
 バクナイアは再度確認する。
 それがヘインシーが言った「制御室が制圧されている可能性」であった。外部からの操作を受け付けない以上、直接接触するしかないからだ。
「アピュラトリスのセキュリティは万全だ。しかも制御室は最下層だろう? 正直、君の予感が外れていることを願いたいな」
 バクナイアはいまだに地下に敵が侵入したことを信じきれていなかった。まずありえないのだ。
 仮にあったとしても、その間には多数の軍の人間が守っている。地下の階層だけで六千人以上の武装した人間がいるのだ。そこを突破できるものだろうか。
「私もそこだけが疑問なのです。そこだけが解けない。その点では長官とは同じ気持ちです」

 ありえない。
 まずあるはずがない。
 それが通常の考えなのだ。
 しかし、あくまで凡人の考え。
 ヘインシーは特殊ではあるが、【悪魔】と比べれば凡人なのだ。

 ヘインシーには、もう一つだけ気になることがあった。
(なぜ深く潜る必要があるのだろうか)
 侵入者が学術的探求心を持っているのならば価値はあるが、アナイスメルのオリジナルに蓄積されている情報は地上の人間にとってあまり意味を成さないものが多いと思われる。
 金融や個人データは百層に到達した時点でほぼすべて得ているはず。金や知識が必要ならばもうとっくに十分なのだ。その段階で全世界の情報を得たことになる。売るなり焼くなり好きにすればいいはず。
 しかし、侵入者はさらに奥を目指している。探りながらではない。明確な意思をもって先に進んでいるのだ。これがヘインシーには気になって仕方がない。
 相手は、その先に何があるかを知っている。知っていて、それを欲している。
 銀行強盗は金を欲する。だから金庫を狙う。中身を置いて金庫だけ抱える泥棒はいないだろう。
 では、この相手は何を欲しているのだろうか。

(もしかすれば私は思い違いをしているのかもしれない)
 ヘインシーは今になって気がついた。
 今侵入しているのは盗人ではなく、もしかしたら【正統なる者】なのかもしれないと。
 その者こそが、アナイスメルの本来の持ち主であるのかもしれないのだ。それならば拒否反応が出ないこと、アナイスメルが快く迎え入れている事実がすべて説明できる。
(ますます興味深い。できれば会ってみたい)
 ヘインシーは久しぶりに心に炎が灯った気がした。湧き上がる情熱と知的探求心が抑えきれない。
 冒険家が誰の手にも汚されていない遺跡を見つけ、その奥で黄金の仮面を見つけたとしたら。長年恋焦がれた一目惚れの女性と明日結ばれることがわかって眠れない夜を過ごす男の心情がわかれば、ヘインシーの気持ちが幾ばくか理解できるかもしれない。
 そこにあるのはロマン。損得ではない情熱的なものなのだ。

「うむ、もし君の言う通りだとすれば、ガナリーにも伝えたほうがいいだろうな。まあ、バードナーが連絡を取るとは思うがね」
 そのバクナイアの言葉でヘインシーも今が重要な場であることを思い出す。彼が発したガナリーという人物はヘインシーも知っていた。
「ガナリー・ナカガワ准将は、長官の友人でしたね」
 一ヶ月前からアピュラトリスの防衛司令官に命じられた海軍将校だ。ヘインシーも一度挨拶したことがある。穏和で部下にも慕われるタイプの良きリーダー、といった印象だ。
 もっとも、ヘインシーは基本的に自分のオフィスがある最上階以外からは出ないので、会ったのはその一回である。今日ここに着たことさえ一ヶ月ぶりの外出であった。
「友人というよりは悪ガキ仲間だよ」
 そう言うバクナイアの顔は少し嬉しそうで、少し寂しそうでもあった。
 バクナイアとナカガワは幼馴染みである。幼い頃より二人とも軍人に憧れていたが、バクナイアは陸軍を選び、ナカガワは海軍を選んだ。
 バクナイアは陸軍のほうが出世も早いと誘ったのだが、彼は「男は海に出てこそ一人前」と言って譲らなかったそうだ。
 同じ軍には進んだ。しかし、こうして所属が離れてしまえば会う機会も激減する。海軍は海外派兵することも多いし、彼と再会するのは数年に一度あるかないかである。
 結果としてはバクナイアが国防長官となり、彼はいまだ軍人である。それだけを考えればバクナイアのほうが正しかったのかもしれない。
 だが、少しだけナカガワが羨ましいと思うときもある。
「ああいう生き方も悪くはないだろうな」
 狭い島国だけに囚われない生き方。彼が求めたのは自由だったのかもしれない。
「ナカガワ准将は海を愛しておられるのですね」
「いやいや、それはまったくの美化だよ。あいつは本当に女にだらしがないんだ」
 これだけは譲れないとバクナイアは訂正する。
 バクナイアが妻一筋であるのに対し、ナカガワは海軍ということもあって港ごとに愛人を作っていたという。今でこそ落ち着いたが、そのあたりで微妙に価値観が異なるところもあるようだ。
 ナカガワをアピュラトリスに入れたのはバクナイアの考えによるところも大きい。退役間近ということもあり、【みそぎ】の意味も含めて送り込んだようだ。
「あいつは少し反省したほうがいいんだ。ちょっと痛い目に遭わないと理解しないからな」
 ヘインシーには男女的恋愛感情が存在しないので、そういうものかと思ったにすぎない。
 それでもやはり親友だ。「無事だといいが・・・」とナカガワを心配もしていた。

 当然、ヘインシーも無事を祈っていたが、急速に変化する事態に胸騒ぎを感じていた。それはアピュラトリスに限ったことではない。世界そのもののありようが、何か変わっていくのではないかという予感である。
(アナイスメルは受け入れた。ならば、これもまた定められたことなのだろうか)
 アナイスメルの意思は侵入者を受け入れている。ダマスカスから見れば困った事態であるが、逆から見ればどうだろう。
(世界が変わることを欲しているのだろうか。だとすれば人間にはどうしようもない。それは【神の思考】が決めたのだから)

 世界は変わる。
 ただし、人の手によって。
+注意+
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