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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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銀木犀の声 *矢玉

 荒々しい足音が混じる騒音に足を止めた明代は、険しい顔で庭の奥へと歩む青年と、駆けるようにそれを追う娘の姿に眼を見張った。
 少し考え込んだ後、元来た道を引き返す。
 開け放たれた障子のその向こうの予想外の大人数に片眉だけ驚きに上げて、そっと口を開いた。
「こじれましたか?」
 ざわめく女中や家人、うな垂れる修雅と弥生の様子を見ての言葉だった。
 ひとつ嘆息して膝を突く。
「そう気を落とされないでください。やすやすと解消される誤解などではないのはわかっておいででしょう?これから少しずつ、言葉をつくしていけばいい。それこそ、息絶えるまで、ずっと」
 限られた刻限しかもたない者が、同じく限られた命数しかもたないものにかける言葉だった。
「それに、紫子が追って行ったようですから、ご安心を」
 そこまで言ってからふと明代の脳裏に先ほどの光景がよみがえる。
 いやに暗い顔をしていた自分の娘。
「あの子が、また妙な勘違いをしなければいいのだけれど」
 幸いなことに、この独り言はだれにも拾われること無く秋風にとけた。

***

 柱にすがるようにたたずむ青年の謝罪の言葉に、紫子の呼吸は止まる気がした。

 この方は、他人にその生き様を歪められ、強制されてきた方だった。
 それをわかっていたはずだったのに。

――――――「今度はこの十数年を、捨てろと仰るのか」

 自分として生きて欲しいなど、他人である自分が望むなど、傲慢でしか、無かったのだろうか。
 青年が苦心して、爪に血が滲むような努力をして作り上げた“将臣”という偶像になりきるような行為を、自身を偽らなくていいと。そう告げてもらうよう進言した自分の行いは、おこがましいものでしかなかったのだろうか。
 ただ、自分を傷めつけるような生き方はして欲しくない。そう考えた。そう思った。
 けれどやはり――――――私、などが

「ごめんなさい」

 視界が、不安定に揺れる。これは涙の前兆ではない。頭が鈍く痛む。

「ごめん、なさい」

 子どものように繰り返される少女の細い声に、将臣が顔をあげるとちょうど紫子がその身をひるがえすところだった。
 少女の肩が当たったのだろう。銀木犀の枝がゆれ、実のようにたわわに付いた白の花を揺らし場違いな香気を振りまいていた。

***

 肩や打つ木々にも足を止めず庭を走りぬけ、道を駆けた。
 裾を蹴って走るいかにも育ちのいい令嬢の姿は人目を集めていたが、紫子は気がついてもいなかった。
 ふいにつんのめるようにつまずき、子どものように転ぶ。
 違和感に足元を見ればぷつり、と鼻緒が切れていた。手も幾分かすりむいてしまったようで、ひりひりと痛む。
 あまりのみっともなさに、少しばかり我に返ればやっと涙が滲んできた。それも情けなくて、必死に眼に力を入れる。
 私などが、泣いてはけないと。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
 差し出された手と太い声に驚く。どこかで聞き覚えのあるそれ。
「大林さま?」
「ああ、覚えていてくださったとは」
 これは嬉しい。そう笑いながら大林は紫子を助け起した。六鳴館で出会った大林守久その人だった。
 紫子の草履の鼻緒が切れているのを知ると、自分の着ていた背広を脱ぎ、そのあたりの木箱へとかけその上に紫子を座らせた。恐縮して押し留めようとする紫子からそうそうに草履を奪い取り、自分のハンカチを裂いてしまう。
「そんな」
「これくらいなんでもないですよ。この国のご婦人はみな奥ゆかしすぎます。他国のご婦人など夫の先に扉をくぐるのなど当たり前だし、男はみなご婦人を尊重してこそ立派な紳士とみなされるんですよ」
 喋りながらもその無骨な手を器用に動かし、裂いたハンカチをこよりのようにする。
「大林さまは海外にも多くいかれるのですか?」
「ま、それが生業ですからね。異国の風土や風俗には毎度驚かされます。そしてこの国にかえってくると、逆に異国との差を見せ付けられ戸惑う」
「・・・・・・・では、独逸にも行かれたことは?」
 その声色の不自然さから大林は屈んでいた姿勢から少女の様子を伺った。
 夜会では凛とした花のような風情だったのに、今日の姿はいくぶんかしおれがちな花の様子である。
「独逸に行ったのは一度だけですね。あそこの堅実さはこの国の人間と似通ったところがある。まあメシはまずいですが。英国よりましですがね。欧州の人間のおおらかさというかいい加減さには驚愕しますよ。定刻どおりに訪れないのは当たり前だし、まったくこの国は生真面目な国だと帰国すると思いますよ。たまにそれが、窮屈にもなりますが、ね」
 ふざけた物言いに静かに微笑むと、瞳を伏せる。揺れているのに涙を零さないそれは、妙に痛々しさを感じさせた。
「心が、晴れませんか?」
 急に真面目な調子になった口調に少女は弾かれたように顔を挙げ、小さく顎を引いた。
「親切にしていただいたのに、申し訳ありません・・・・・・」
「いえいえ、ご婦人方の窮地に立ち会って何もしないほうが、男が廃るってもんです。っと、これはさっきも言ったか。ああ、話がそれてしまいましたね。いかがされたんですか?夜会の時とはまるで別のお方のようだ」
「それは、そんなことは」
 いかにも身持ちの堅いこの国の令嬢らしく、なかなか口を開こうとしない。しばしの時を置き、その花びらのような唇が震える声をもらす。
「少々思い上がっていたといいますか、それが恥ずかしくて申し訳ないのです。自分の振る舞いで傲慢にも、助けができるかと。やはり私などが、人の役に立つはずが無いのに」
 少女の物言いに、大林の顔が奇妙に歪む。
 なんだろうかこの自虐的な物言いは。儚い微笑は憂いに充ちていて、正直隙だらけだ。
 詳しく尋ねよう、もしくは場所をうつそうと提案しようと口を開きかけた大林に、ぬっと影が落ちた。
 驚くほど長身のその影。肩章のついた将官の軍服。
「東郷伯爵・・・・・・?」
 ぽつりと呟いたその一言に、俯いていた少女が顔を上げる。
 それとほぼ同時に青年が少女に腕を伸ばした。
 その長身に見合った腕力で少女を横抱きに抱え上げる。
「アロ・・・・・・あの!歩けます、歩けますからおろしてくださいあの!」
 少女の抗議の声が青年の早い歩みによってどんどん遠ざかる。
 軍装の青年と姫抱きの令嬢という組み合わせはかなりの衆目を集めていたため少女のほうは羞恥に頬を染めていたが、青年はそれどころではないようだった。
 やれやれと頭に手をやり乱暴にかく。
 大林の手にはうぐいす色の華奢な草履が片方、残されていた。

◆あとがき

時代物で切れた鼻緒を直すのはお約束
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