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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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剥がされたその顔 *奏嘉


「父上、御呼びでしょうか」

障子越しに普段のように堅苦しく声を掛ければ、重々しい「入れ」との声が返され青年はその障子を引く。





久方ぶりに父の部屋へと足を踏み入れれば、部屋の障子が取り払われ部屋が二続きになっている上、家族どころか女中やお抱えの料理人までもが揃っていた為に青年と後ろに続いていた少女は瞠目する。


「…これは、何事です?」



予め用意された座布団二つを指し「そこに座りなさい」と告げた修雅と、素直に指された場所へと腰掛けた2人を見届ければ、弥生が口を開こうとした。


―――――――しかしそれを不意に修雅が制止するのが見え、なお青年は首を傾げる。


何故、とでも言いたげな表情を浮かべた弥生に微かに笑えば、修雅は再び将臣へと向き直った。


「皆、分かっているのだろう。……私には時間がない。
武士道も勿論、古来よりの美学だ。しかし素直に生きた軌跡を残した方が、自己的にも満足に決まっているじゃないか。……なぁ、弥生よ」


今までに感じたことがないほどに父の纏う雰囲気は穏やかで、何故か饒舌だった。

その様子にも僅かに動揺すれば、意も知れぬ不安感から青年は膝の上に置いたその拳を爪が食い込むほどに握る。

少女はその姿を横目に見ながら、唇を噛み目を伏せた。



「……将臣。お前は、我が息子アロイスであり、個の『将臣』だ」



重く響く声音と相反して室内に染み渡る、まるで他愛もないかのようなその言葉。



「……は………?」


修雅のその言葉に次いで漏れたのは、普段の青年らしからぬ間の抜けた声だった。

突如告げられたその言葉を理解出来るはずもなく、青年はゆっくりと顔を上げると父たる存在を真っ直ぐに見つめる。


しかしひとつ息を吸うとそれも直ぐに落ち着き、青年はすっと背筋を正した。


「……それは、御役御免ということでしょうか」


穏やかな微笑を再び浮かべた青年の拳が解かれていくのを見れば、少女は不安感に駆られ青年の背を見つめた。



「兄さんを責めていたのは、兄さんだけだよ」


問いかけを投げかけられた父よりも先に声を発した伊織の声に、将臣は何を言っているのかと弟へと向き直る。
弟の表情は普段の飄々とした雰囲気などどこにも無く、至って真剣なものだった。


「父さんも言葉が足りないけど、…皆、『兄さん』を他の人の代わりなんて思ってない」



青年は目を見開くと、乾いた笑いを漏らす。



「……伊織、それでは」



正統な家督の継承者である伊織が物書きをやめざるをえなくなるかもしれないと、青年は僅かに首を振った。



「……御免なさい。僕は知っていたんだ。本当は兄さんが、『将臣兄さん』ではないこと」



屋敷中の者達を集めたこの場で告げられたそれに、青年は酷く動揺する。
しかしその不安を他所に、伊織はしっかりと言葉を紡いでいった。


「でもそれでも良かったんだ。皆の『将臣兄さん』は、貴方だけだから」



青年が不意に交わされた言葉の全てを聞いていただろう女中達へと視線を向ければ、皆はその顔に温かな表情を浮べており、青年は更に混乱する。




(…私はこの十数年、純然たる『将臣』を、
―――――東郷家の嫡男で、模範的な武士の男としての像を、築きたかったのでは無かったか)



謂わばそれだけが生きる意味としての課題であり、価値では無かったのか。



―――――――――嗚呼、それなら。



「……私の、してきたことは……?」



突如訪れた表現し難いほどの虚無感に、漏れた言葉は僅かに震え、青年はそれに耐えるように唇を噛んだ。




「…アロイス、さま」


名を呼びその背に触れたのは、小さな少女の手だった。



「…確かに、私が産んだ将臣は体が弱くて死んでしまったわ」



自身の帯が巻かれたそのお腹にそっと触れたまま話し始めた弥生の声は、僅かに涙声になっている。



「でもこれまであなたと過ごしてきた私達の時間とは、無関係のものよ」



「……お前には、謝らなければならない。私に、あの時もっと力が在れば」




―――――――修雅は弥生の肩へと手を置いた後、青年へと深く頭を下げた。



「私の頼みを聞いてくれるか、息子よ」




青灰色の瞳は、父である男を真っ直ぐに見据えたまま見開かれている。
男は深い罪悪感に駆られたまま、青年へと向き直った。





「お前は、お前として生きろ」









しんと、再び静まり返った室内。




「………っく、…はは…っ」




―――――響いたのは、意外にも青年の堪え切れないとばかりの笑い声だった。


一頻り笑うと、青年はその表情を歪めながら複雑な笑みを浮べる。



「っふ……、私とは、何でしょうか…?」




自分を殺してしまったこの青年にとって、それは非情で難しいことなのかもしれないと、ただ残酷な願いかもしれないと、少女は思った。




「今度はこの十数年を、捨てろと仰るのか」






青年は初めて父を責めた後、徐に立ち上がりその部屋を足早に後にする。
少女は慌ててその背を追うと、意外にも青年は忌み嫌っていたであろう座敷牢のある東屋へと向かっていた。




「アロイスさま…っ」



必死に追いかければ、青年は不意に足を止め手近にあった柱へと手を付く。
その顔こそ見えないが、ぐっと息を飲んだ音だけが聞こえ、少女はその背へと再び手を伸ばした。





「…御免なさい」



突然青年から漏れた謝罪の言葉に、少女は必死に首を振る。




「御免なさい、紫子さん」







―――――青年の背は、僅かに震えていた。
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