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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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銀も、黄金も玉も *矢玉

 自分の生の意味すら稀薄にさせる、いつしか青年にまとわりついてしまった虚無感。
「もしいま私が言葉をつくしても、私がこれほどまでにみっともなく泣く意味は、わかっていただけないでしょう」
 そのきっかけが、彼の母の死であるなら自分は、今かけるべき言葉が見つけられない。
「私の泣く意味を、少しだけでも考えて、頂けませんか?」
 けれど。

 あなたがたいせつだから、わたしはこんなにもないてしまう

***

 女学校が終わり校門で出迎えてくれた東郷の馭者に、申し訳ないが今日は少し歩きたいので徒歩で帰りたい、そう告げると泡を食って慌てふためき止められた。自分は旦那さまから命じられているので、と言い募られるのに凛とした風情で言い放つ。
「あなたにご迷惑はかけません。もし東郷さまに知れてあなたの立場が悪くなるようでしたら、私が二人分のお叱りを受けます」
 きっぱりと言い切られてしまい、結局、馭者は馬車を空のままにしてすごすごと帰っていった。
 申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、どうしても一人になり、考える時間が欲しかった。
 紫子自身はもう帝都に来てから二年もたっている身だ。他のご令嬢のように、馬車でしか往来を通ったことが無く、道がわからない。などということは無い。
 風は秋を感じさせるような涼しげなものへとその風情を変えていた。あたりの木々も、何となくくすんだような、これから色付く気配を感じさせる花水木や、もうすでに鮮やかな綾錦に染め上げられている気の早い紅葉もあり賑やかだ。
 足早に歩く人々を避け、ゆっくりと紫子は歩む。
 特に目的の場所はなかった。無心に歩いて、考えたかった。

 自分など、と投げやりな態度でもなく。自暴自棄になっているわけでも自虐でも、ない。ただどこまでも、自分の痛みに対して興味が無い、そんなさま。

 その歪みに紫子の顔が歪む。
 痛みとは、己を守るために体が教えてくれる合図だ。それが、欠けているのならそれはなんて――――――あやうい、のだろう。

 かさりという音に我にかえる。黒の革靴の下に見事な五葉を敷き詰めた紅葉の絨毯ができていた。脇道に誘われるように、その先へと進む。
 覚えのある道だった、確かこの先には、古いお堂があったはずだ。
 錦の回廊をくぐりぬけ、ぱっと開けた視界の先にそれはあった。
 きっと朝に掃き清められたのだろう。石畳には真新しい紅葉がぽつりぽつりと絵のように重なっているだけで、他の落ち葉はこんもりと小山を作りお堂の脇に集められている。
 紫子は、お堂の前に立つと静かに手を合わせた。
 お堂には、鬼子母神が奉られていた。赤子を腕に抱き、吉祥果ざくろを持つ女人の像。子を思う、母の護法神。
 古びた木造はその造作をおぼろげにしその顔は、やさしいくも、きびしくも見える。
 ふと、紫子の唇が動く。

「銀も、黄金くがねも玉もなにせむに。勝れる宝、子にしかめやも」

 生前母が、産みの母の藤乃の母が、繰り返し詠んでいた和歌。
 ――――――銀も金も真珠もなんだというのか、子に勝る宝は無い。古い時代に、詠まれ語り告がれたこの歌。
 母は、どんな気持ちで口にしていたのだろうか。

***

 お堂の境内の細道から再び大通りへと戻る。
 そういえばこのまままっすぐ行けばしみずやの通りへと出るはずだ。鈴さんに会いに行こうかなどとつらつらと考えていると澄んだ声が響き耳に届く。
「Hallo junge hübsche!!」
 突然の異国の言葉に声のほうを向けば、淡い金の髪の少女がいた。そのままにこりと微笑まれる。
「Wissen Sie, wo Sie die Post sind?」
「あの、私は異国の言葉は・・・・・・」
 紫子にはままある事だった。この日本人と異なった赤い髪は、しばしば異国の人に同郷と思われこうして声をかけられる。
 きょとんとした後その異国の少女は可愛らしいしぐさで両手を口元に当てた。
「まあ、ごめんなさい。私、勘違いしてしまったみたいで」
 相手の口から出たこの口の言葉に、ほっとし紫子は微笑した。
「何かおっしゃられていたようでしたが、私に何かご用でしたか?」
「ええ!少し道を聞きたくて。ここからえっと、その手紙を出す・・・・・・あの、ああ、そう郵便局!郵便局はどこにありますか?」
 必死に頭の中から該当する単語を引っ張り出しその少女は勢い込んで聞いた。
 そう問われ、紫子も考え込む。
 この辺りを訪れたことはあるが、それも店の使いで二、三度だ。隅々まで知っているわけではない。誰かに道を尋ねようかと思ったが、それよりも。
「あの、よろしければこの先に知人のお店があるのですが、そこで尋ねてみますか?」
 私では、しっかり道がわからなくて。そう申し訳なさそうに告げると、ぱっと少女の顔が輝いた。西洋の花のような、華やかな笑みだった。そのまま両手でぎゅっと手を握られ、紫子の肩が驚きにはねる。
「嬉しいです、優しい人に会えて良かったですわ。私は薫といいます!」
 二人で連れ立って歩きながら、他愛も無い話をする。
 ふと、紫子は内心首をかしげた。
 淡い金の髪に、ぱっちりとした目元に青灰の透き通るような瞳。そんな少女が身にまとっているのは、今の紫子と同じ海老茶袴だ。
「薫さんは女学校に通っておいでですか?」
 だとすれば、この容姿だ。少しくらい耳に入ってもよさそうなものなのだが。
「いいえ?」
 きょとんとした顔でそう言われ言葉に詰まる。
「あの、薫さんは女学校に通ってないのに、なぜ海老茶袴をお召しなのですか・・・・・・?」
「・・・・・・?こちらの御令嬢は、海老茶袴を着ると父に聞いたので。それに私、このお着物、可愛いらしくて好きですわ」
「もしや、最近この国にいらしたのですか?」
 ええ、と無邪気に同意され納得が行くと同時に言葉に詰まる。
「あの、薫さん。海老茶袴は学校の制服なので、華族の娘でも、女学校に通っていない人は着ないものなのですが・・・・・・」
 誤解は正すべきだろうと、ひかえめにそう告げると、そのおおきな眼を悲しげにふせられて紫子は慌てた。
「・・・・・・わたしには似合いませんか?」
「いえ!大変可愛らしいですよ。でもあの、何と言いますか軍人でない方が軍服をきているようなものでして」
 本心からの言葉だった。大振りな大胆な柄と、本人の華やかさがあり独特の魅力が生まれている。異国の人が着物を着るのを紫子が眼にしたのは初めてだったが、可愛らしいと思った。きっと、この着物を薫に勧めた人は趣味のいい方なのだろう。
 紫子の誉め言葉が嬉しかったのか、その白い頬が薔薇色に染まる。
「ありがとうございます、紫子さんとお揃いと知ってなお嬉しいです」
 見事に食い違う会話に、紫子は苦笑した。本人が気に入っているのなら、とやかく言うべきでないと思い直す。
「それに、給仕向きでも動きやすいんです。こちらの着物は足元が窮屈ですこし歩きにくくて」
「給仕、ですか?」
 先ほどの言葉から聞くと、この少女は良家の子女なのだろうと思うのだが、給仕、とはどういう意味なのだろうか。もしや、言葉を取り違えて使っているのだろうか。などと思い、もう目前に、しみずやが見えてきたこともあり紫子はそれ以上詮索しなかった。
 しみずやののれんをくぐると、店内に満ちる甘い匂いに薫がまぁ、と呟くのが耳に届く。
「お菓子屋さんですか?」
「ええ、こちらのお菓子はお好きですか?」
「大好きですわ!」
「では、何か食べてから道を教えてもらいましょうか」
 店の奥から出てきた鈴の目が、驚きに見開かれる。
 紫子がいきさつを簡単に説明すれば破顔してしたり顔でうなずいた。注文の品であるぜんざいを運んできながらの言葉だった。
「これも文明開化の世の中かねぇ。それでどこに行きたいんだって?」
「郵便局だそうです。りんさん、このあたりにありますか?」
「ちょっといった先にあるけど、あそこ小さいから異国までの手紙をあずかっちゃくれるかわからないよ?」
 その言葉に、匙をにぎろうとした手を止め、薫はぱたぱたと手を振った。
「違います。私が手紙を出すのはこの国の人ですわ、山縣征光さんというかたです。軍にお勤めだそうですから、そちらに手紙を出せば届くだろうと店の人に言われて」
「山縣、征光?」
 聞き覚えがありすぎる名前だった。
「そんなんなら、わざわざ手紙なんて出さなくても、この紫子さんに言えばいいんじゃないかい?紫子さんは、家知ってるんだろ」
「まぁ!もしかしてお二人とも山縣さんとお知り合いですか!何て幸運なんでしょう」
 わたくし、あの方にもう一度どうしても会いたくて。
 そう眼を輝かせる少女の、青灰の瞳。
 すっと紫子の血の気が下がる。どうして、忘れていたのだろう。あの時の会話と、あの人よりほんの少しだけ青みが強いその瞳の色。
 薫、という名前を。
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