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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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悪魔のカドリーユ *奏嘉

顔に落ちる深紅の雫に、紫子は息を呑む。
 ぽたり、ぽたりと白い頬に落ちるそれに喉の奥で悲鳴がはじけた。

 自分をかばうように起つ将臣の手のひらが、眩暈がする程の紅に染まっていた。

 自分のほうが倒れそうな顔色の紫子に、穏やかな声をかける。
「大丈夫ですよ紫子さん。血では、ないですから」
 ワインの入ったグラスを持つ手で受け止めてしまったため、辺りには血のような深紅と硝子の欠片が飛び散っている。
 安堵しかけた顔はすぐに強張る。
 額をステッキが掠めたのだろう、髪から流れ落ちる赤い筋がひとつ、またひとつと増えていく。
「それにしても逢崎子爵。貴方がこんな直接的な暴力を振るうとは思わなかったな」
 御家大事な人物だという印象だっただけに、醜聞にしかなりえない事態など避けると思っていた。すくなくとも六鳴館の夜会の最中に、娘を打擲するようなまねをするとは。
 諍いの声の響くバルコニーに、かぶせるようにカドリーユの演奏が届く。それは緊迫したこの場にひどく不似合いで、不穏だった。
 皮肉めいた青灰の射すくめるな眼差しを受けても、以前のように逢崎は怯みはしなかった。どこか狂気じみたぎょろりとした眼でうわごとのように繰り返す。
「貴様が悪いのだ・・・・・・どこまで、私から奪えば、気がすむッ、藤乃を奪い、恥辱を与え・・・・・・それまで、奪い」
 一瞬いぶかしげな顔をした将臣だったが、次に浮かんだのは紛れも無い嘲笑だった。
「おかしなことをおっしゃる。紫子さんの母上を、藤乃さんを捨てたのは、貴方でしょうに」
「違う!奪われたのだ!!」
 風に揺れる藤のような、娘だった。
 添い伏しなどという因習。少年とよべるほど幼かった自分はそんな時代遅れの因習に嫌悪が隠せなかった。
 しかし引き合わされた娘は、儚げながらも匂いたつような美しさをもつ、楚々とした少女。一見弱々しい風情でも、嵐に耐え岩肌に根を下ろす山藤のようしなやかな強さが、愛おしかった。
「あの青い眼の鬼が、悪魔がすべてを持っていったッ 貴様も同じだ青二才、私からすべてを奪っていく、それさえ奪っていく。それがあれば、私はまだまだ逢崎を盛り立てていくことができるというのにッ」
 髪は乱れ、声は割れ、その形相はひどく歪んでいる。
「神が、世間が、お前を見咎めぬというのなら、私が裁いてやるッ」
 もう一度振り下ろされたステッキは、あっさりと受け止められ奪い去られる。何の感慨も湧かない顔で将臣はそれをバルコニーから投げ捨てた。
「貴方の境遇にも過去の行動にも別段、私は何も意見しようとは思わない。だが、一つだけあえて言うとすれば、紫子さんを物扱いするその態度だけは気に入らないな」
 冷たい青灰の眼ははっきりとした軽蔑で満たされていた。
「貴方は紫子さんに対して、親としての愛情どころか、感情もさえ与えていない。それなのにただ恩恵だけ与かろうとするなど愚かでしかないだろう。そして紫子さんを見て、いまだに政略結婚の道具としてしか見られないと?だとすれば貴方のその眼はもはや腐っているな」
 このどこまでも凛とした美しい生き様のこの少女を。容姿さえ、性情さえ、どうでもいと言わんばかりの態度。
「まだ本質を見極められるだけ、総一郎くんのほうが幾分か聡明ですよ」
 あの少年は、惹かれたからこそ歪めて壊して、自分のものとしたいと思ったのだ。
 どちらも迷惑な話であるが、子爵のこの態度はただただ不愉快だった。
「もとより、貴方は紫子さんを娘と思っておらず、紫子さんも貴方のことを親と認めていない。それなのになぜ、まるで、己の所有物であるような、そんな態度がとれるのです?」
 嘲笑をうかべていたはずの顔からはいつの間にか表情が抜け落ち、白皙の彫刻のようになる
「はなはだしく、愚かだな」
 ただひとつ炯々と光るその青灰の眼をのぞいては。
「失せろ、目障りだ」
 怒りと屈辱に顔を歪める子爵の耳に、甲高い少女の叫びが浴びせられる。
「なぜ、人と違う容姿で生まれたからというだけで、そこまで厭われねばならない!!」
 悲痛な叫びを上げ涙で顔を歪める少女は、いままで見た中でも最も、
「私にとって見れば、お前のほうこそ醜い鬼だ」
 愛しかった娘に、瓜二つだった。



「そこまでにしたほうがいいですよ、父上」
 気だるげに投げかけられた声は、耳に覚えのあるものだった。夜会の会場からの逆光でもその浮かび上がるその姿。
「総一郎」
 呼びかけられた己の名に、唇を歪めて答えとする。
「貴方がこんな面白いことをしでかしてくれるとは思わなかったが、そろそろ連中に気付かれますよ?いいんですか、こんなとこ見られて」
 にやにやと笑う顔は、相変わらず悪童のようだ。
「俺としては子爵家の評判なんてかけらもどうでもいいが、飢えるのだけは困るんですよ。絵が、描けなくなるから」
 どこまでも行動の基準がそれなのか、と思えば将臣は可笑しくなった。
「君に、助けられるとはね」
「誰が貴様なんて。まぁ、助けられたと思うなら貸しにしといてやる」
 宮彦、そう呼びかければ影のように現われた従者が将臣に近づいた。
「お怪我のほどは」
「いや、問題は無いよ。ただこんな有様では会場には戻れないから伝言だけ頼めるかな」
 山縣にだけ事の次第を伝えてくれ、そう言われ頷きかけた宮彦の背後から声がかかる。
「俺が行く」
 将臣と宮彦がそろって顔を見合わせた。
「俺が行くと言ったんだ。あの暴力軍人だろ、覚えている。宮彦お前は、その間抜けな傷を作った男を馬車まで案内しろ」
 この男はこのまま放置してもかまわんだろ、そう言い放ち、ガス燈の明るい室内へと歩いていく。あの男とは、もちろん父である逢崎子爵である。
 泣きそうな紫子と、じくじく痛んできた傷をかんがみ将臣はその言葉に従うことにした。最後に、愚かな男へ一瞥を投げて。

***

 バルコニーからそのまま使用人の廊下に入り、いつかのように人に見られぬよう移動する中、ぽつりと宮彦が言った。
「バルコニーに聞こえましたか?あの群舞曲は」
 言われてよみがえったのは、耳に付くほど大きな音で演奏されていたカドリーユ。
「坊ちゃんが、おっしゃられたのです。演奏するようにと。曲まで、指定されて」
 暗闇の中、足早に進む宮彦の言葉に自然と耳を傾ける。
「きっと、騒動に気が付かれたのでしょう。聡い方ですから。あの場で争う声など聞こえてしまえば、逢崎子爵家にとっても、東郷伯爵家にとっても醜聞となる。そう考えて」
 それを隠すために、意図して派手な演奏を流した。
「貴方様がたへの、罪滅ぼしのつもりかもしれません」
 独り言のような呟きは、それでもしっかり将臣と紫子の耳に残った。
 東郷の馬車へ案内されれば、一見血まみれの主人に御者は仰天していた。
 それにワインをかけられたのだと、半分嘘のようなことを告げ二人で馬車へ乗り込む。
 馬車が動き出したと同時に、紫子が将臣の前に膝を着いた。
「大丈夫ですよ、紫子さん。頭の怪我というのは小さな傷でも出血が多いんです、心配、しなくても」
「嘘です」
 きっぱりと告げられ、その手袋に包まれた手を自分の頭に伸ばし、リボンを解く。
 魔法のように、ふわりとその赤い髪が広がりそのまま背中におさまった。
 レェスのハンカチを額の傷に当て、その上を幅の広い繻子のリボンできつく縛り包帯の代わりとする。
「すみません、ハンカチもリボンも、血で汚してしまいますね」
 惜しむそぶりもなくそうするのに、何となく申し訳なくなる。けれど、紫子は首を振った。
「なぜ、貴方はいつも嘘をつかれるのです。この手」
 そっとふれられた深紅に、真紅に染まった手からは鋭い痛みが。
「手も、怪我しておいででしょう?あの時に割れたグラスで」
 足元に跪いた姿勢から、涙目で見上げられ、本気で困ってしまった。
「硝子片が残っているといけませんから、この手は手当てして差し上げることが出来ません」
 ぽろりと、その飴色の眼から雫がつたい落ちるのを見て、またやってしまったと悔いた。
「私が、逢崎に、あんなことを・・・・・・言ったから。アロイス、さまに怪我を」
「違いますよ、紫子さん。違うんです」
 ゆっくりと、無事な方の手で少女の頬を覆う。
「私が、貴女を悪く言われるのが、我慢ならなかったのですよ」


***

◆今回、奏嘉様から「辛辣な中将」とのリクエストを賜り、七転八倒しました。・・・なんか力不足感満載。書き直したい。 
◆作中に出てきたカドリーユですが、宮廷ダンスのひとつで、ワルツとかと同じ舞踊曲です。鹿鳴館でも実際踊られていたらしい。何か複数人で踊るらしい、と聞いて勝手に群舞曲、とか書いてみた。パヴァーヌを「孔雀舞」みたいにかっこよく言いかえるみたいなことがしたかったんですがね! 
◆タイトルもカドリーユをいくつか聞いた中で不穏っぽくてかっこいいなと思った一曲です。でもたぶんこれ、明るくないからダンズ曲としては使わないんじゃないかな・・・「オルフェウスのカドリーユ」とかかっこいいのもあったんですが色々あって却下。


「オルフェウス・カドリーユ」別名「天国と地獄のカドリーユ」でもいいかと思ったけど、曲聞いてみて駄目でした・・・駄目だこれは・・・しかもこの時季にこれは駄目だ・・・聞けばわかると思いますが、こちらの曲。運 動 会 で 非 常 に よ く つかわれています

◆『添い伏し』皇子などが元服した夜に添い寝する女性のことです。たぶん平安時代でも普通の貴族はやってなかっただろうけど、逢崎は元宮家とかそんなかんじで風習がのこってたとかそんなの(曖昧)なんちゃって歴史物ばんざい
+注意+
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