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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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隠れて咲いた、紅の花 *矢玉

 がちゃんという何かが割れる物音に、早瀬川は思わず首をすくめた。その後もばさりという音や、何かを叩きつける音が響き続ける。
 早瀬川はここの屋敷の書生だった。
 帝都から離れた片田舎に生まれ、その才覚を認められ教師が伝を頼ってこの宮城男爵へと紹介してくれたのだ。
 宮城男爵は鷹揚な紳士といった風情だった。自身も文学が好きで、書を嗜み、文人達との会話を好む。今までも何人も書生を住まわせており、その文学の才能を伸ばし文士として世間に羽ばたかせてやることを楽しんでいる。そんな柔和な人柄の紳士。
 がん、とう凄まじい音に首を竦め、足早に立ち去る。
 対して夫人は、悋気が激しく身分に拘るたちだった。年頃の娘が二人もいるというのに、何人も卑しい男を住まわせるなどどうかしていると。激しく夫を罵倒しているのを何度も見た。そのたび男爵は小さく背をまるめ、こそこそと逃げ出すのだ。
 同じように書生達もこそこそと背をまるめ、夫人や令嬢の前から姿を隠していた。
 書生達の住まいは別棟の離れにあったし、気をつけていれば顔を合わせる事もない。ここにきたばかりの書生などは、深窓の令嬢への憧憬から一目姿を、などと言う者もいたがいくらも立たないうちにげんなりと、寝入りばなに冷水をかけられたように現実を見せられるはめになるのだ。
 その佇まいや容貌だけならまだしも、ご令嬢の虫けらでもみるような眼で見下げられれば、甘い夢も醒めようと言うものだ。
「それでいくとダリィヤの君のほうが、なんというか品があったよな・・・・・・」
 実は良家の子女ではないかという噂すらあった女給を思い浮かべ、早瀬川は物思う。
 没落した武家や朝敵、賊軍としてその地位をおわれた大名家の娘が、芸者になったなどというのも一昔前ではままあった時代なのだ。
 平塚がダリィヤの君にぞっこんだったのは有名だったが、書生の中でも彼女はマドンナ的な存在だった。
 教養を感じさせる機知にとんだ会話、品のある隙のない微笑み、背筋を伸ばした凛とした雰囲気。そしていてたまに見せる憂いや、世間知らずさが可愛らしくて。
 なんとも男心をくすぐる、などといっては下品だろうか。
 離れの玄関を潜ろうとした所で襟首をつかまれ、ぐえっと呻いた。ごほりごほりと咳き込むの早瀬川に頓着せず、羽交い絞めにするように相手は青年を母屋へと連れて行く。
「おい!!森下!!何事だ!!」
「しぃ、黙れよ。大変なことがわかりそうなんだ」
 同じ男爵家の書生である森下の血相を変えた顔に思わず黙り込む。しかし、森下の行く先がわかった途端、早瀬川は足をふんばって抗った。
「おま、知らないのか?!下のお嬢さんなんだか今日はずげぇ荒れてて女中さえ近寄らないんだぞ?!」
「だからだよ!!」
「はぁ?!」
 などと話しているうちにどんどん母屋は近くなる。だが、うらなりなどといわれるひょろひょろした早瀬川と月之和熊と綽名される森下では力比べにもならない。
「な、何か知らんが一人で行け!俺を巻き込むな!!」
「一人だと怪しまれるかもしれんだろう。いいから黙ってついてこい!!」
 ダリィヤの君に関することなんだ、そう続けられ早瀬川の顔色がはっきりと変った。



 肩で息をし、早苗は唇を噛み締めた。
 手当たり次第に物を壁へと投げつけたため、あたりに無事な物など一つもない。畳の上に敷いた絨毯の上に、青い江戸切子のランプだった硝子片がきらきらと輝くのさえ目障りで、床に落ちた本を更にその上に投げつける。
「あの赤毛の娘の・・・・・・っ、どこが香苗お姉さまに劣っているというの・・・・・・!!!」
 時期はずれの転校から、何やら不穏なものを感じていたのだ己は。
 だがあの女の秀でた容姿や、鼻につくほど聡明さが評判となって誰もそれに気付いていなかった。
 だっておかしいではないか逢崎子爵家にいるのは子息一人と、子女一人のみ。その長女は先日病を得て亡くなったと伝え聞いた。体が弱く、女学校に通うこともなかったため面識はないが、長らくそう聞いていた。華族の世界は狭い。それぐらいの事情は特に聞こうとしていなくても耳に入る。
 そこに降って湧いたように現われた女。そしてすぐさま整った東郷伯爵家との婚約。
 まるで婚姻のために現われた娘。
 これでは怪しむなというほうがおかしい。
 化けの皮が剥がれるように、夏季休暇明けのあの女は気味の悪い赤毛を晒していた。
 これでやっと皆も目を覚ますだろうと、己は安堵した。あの女に一目置いていた級友も、憧れなどという感情を抱いていた後輩たちも、一様にあの女を悪し様に言うのが心地よかった。
 わたくしは、貴女達より先に気付いていましてよ、と内心で嗤いながら。
 けれど、ほんの一握りではあるのだがあの女はまだ女学生達に慕われ、憧れているのを早苗は敏感に感じ取っている。声高にいってしまえば己が爪弾きになるのをわかっているため、息を潜めるようにひっそりと。それでも早苗に同調したりしない物分かり悪いもの達。
 しかしその、物分りの悪いもの達こそが、本物の貴婦人、淑女と評判の女生徒ばかりであるのだ。それが早苗には理解できない。
「あんな気味の悪い猫のような飴色の目に、鬼女が血で染めたような赤い髪のどこが未来の伯爵夫人に相応しいのよ・・・・・・ッ」
 己が心から可愛らしいと思っていた伯爵令嬢の桐子は、その身を怒りに震わせて己を攻めた。凛々しい青年将校は、姉を捨ててあの女の手を取った。
「きっと・・・・・・きっとあの女は鬼だから、みな呪いにでもかかっているのよ!!」
 きっとあの女は、人心を惑わす淫らな鬼に違いない。足元の陶器の置物を掴むと、思い切り振りかぶる。
 漆黒の闇を映す、鏡のようになっていた窓硝子は甲高い音を立てて砕け散った。
 そこに間抜けなうわ、などという男の声を聞き、早苗は窓辺に近づく。そこに身を寄せ合うように並んだ二人の男に、嫌悪の眼差しを向け吐き捨てた。
「なんでここにいるのよ」
 父が、面白いからと連れてきた貧しい男達、いつも離れで馬鹿騒ぎをしているのを、己や姉や母がどれだけ迷惑していることか。こんな男と同じ敷地に住んでいることが誤解を招き、身持ちの悪い娘などという噂を立てられたらと思えば虫唾が走る。
「いや、あのあまりに見事な望月で。一句詠もうとこうして早瀬川とこうして連れ立っていたわけで、なぁ」
「ああ、池に映る満月の見事さにさそわれて・・・・・・お嬢様も、どうで」
 すか、とみなまで言わせずに、ばん、と音を立てて硝子窓が叩かれる。ぱらぱらと、その亀裂を広げる窓硝子をあっけにとられた眼で見つめる青年二人。
「母屋に近づくなと言われているのでしょう!!お母様に言いつけて追い出すわよ?!」
 脱兎の如く逃げていく書生二人の後姿を見つめるのさえ嫌で、窓に背を向け、早苗は固く眼をつむった。



「聞いたか?」
「聞いた」
 上がった息を整える間も惜しむように二人は口々に言う。
「鮮血で染め抜いたような赤い髪に、飴色の瞳。そんな人が二人といると思うか?」
「いや・・・・・・いないだろうよ」
 ふたりは顔を見合わせ、うなづき合う。
「ダリィヤの君だ」
 隠れて咲いていた花を、こんな所で見つけるとは。
◆伊織と平塚の文芸クラブの仲間だったモブ二人に名前が付きました。早瀬川と森下。お調子者が早瀬川で、気遣いができるほうが森下です。 
◆そして思い込みの激しい系女子の早苗さんが全壊、ちがった全開。
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