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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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歪んだ結晶 *矢玉

 それからが大変だった。
 馬車についた途端に意識を失った二人に山縣は泡を食った。
 将臣の傷は完全に開いていたし、二度目に刺されたところなど内臓に達していたため緊急手術。
 紫子のほうは、脱水症状と軽い栄養失調だったが、その後謎の高熱を発し、意識が戻らなかった。
 二人の意識が戻ったのが同じ時だったのは何の偶然か。
 口を開いた時に最初に尋ねたのが、お互いの安否だったため山縣などは、お前らどんだけ仲が良いんだ。自分の心配しろよ、と思ったとか思わないとか。
 紫子の熱はおそらく精神的なものだろうと医者は言ったが、念のため何かの菌であってはまずいので、将臣との面会は長らく許されなかった。
 熱が下がりきらないままうつらうつらしていた紫子の元に来客があったのは、その頃だった。



 こんこんという軽いノックの音に耳を澄ませ、鈍い声で答えると現われたのは看護婦だった。
 会いたいという客人がきているが、どうするかと言われ、少しばかり逡巡したあとかまわないと告げる。熱で朦朧としている以外は、特に体は辛くなかった。客人が男ということで、病院着の上に羽織を着るのを手伝ってもらい、半身を起した。
 まず現われたのは、将臣の異母弟の伊織だった。
 紫子はこの、弥生夫人に似た青年のことを好ましく思っていた。どこかひょうひょうとしていながら、相手を思いやれる心を持ったこの青年を。
 ただ、伊織が総一郎と友人関係にあると聞いたときは、あまりに愕然として声が出なかった。
 なにがどうなってそういう関係になったのかと問い詰めたいが、今のところ機会を逃している。
 伊織はいつものにこにことした微笑を浮かべ、具合はどうですか?と尋ねた。
「はい、だいぶ体は楽になりました」
「それは良かった。兄もずいぶん心配していたのですよ」
「東郷さまの具合は・・・・・・?」
「今は安定しているそうです。先生にはひどく叱られていましたがね。あんな状態で病院を抜け出すなど何を考えている!!って」
 その声真似に紫子は小さく声を上げて笑った。
「そうそう本題です。あまり長居して紫子さんを疲れさせては、兄に怒られてしまう。貴女にお会いしたいと、尋ねてきたのです――――――宮彦くんが」
 あの男の付き人の名前に、びくりと体が震える。腕が掛布をつかみ、皺がよった。
「もちろん僕も同席します。そして山縣さんも同席してくださるそうです。何かあったときに、僕では力ずくで取り押さえるなんてこと、無理でしょうからね。嫌だというなら、断ってください」
 稲妻のように脳裏によみがえる、あの男の振る舞い。自分の受けた仕打ち。そして、将臣の怪我。
 しかし、逃げ続けるのは、もう嫌だった。
「会い、ます」
「では呼んで来ますね」
 そう言い、病室を後にした青年と入れ違いになるように現われた青年将校は盛大に顔をしかめていた。
「なぜ、会うことにしたんですか?追い返せばよかったでしょうに」
 憤慨する山縣に、紫子は唇を噛む。
「逃げ続けてばかりは、いられませんので。それに、宮彦自身は、私にも優しくしてくれました」
 そう、彼と彼の母親は。
 ため息をつき納得しかねるという面持ちながら、山縣は紫子のベッドの足元に陣取った。
「何か妙な気を起すようなら、全力で排除しますから。でないと東郷に俺が叱られる」
 どこかすねたような物言いに紫子が声をかけようとしたとき、病室のドアがノックされた。応えを返せば、青い顔をした宮彦の姿が。
 ベッドから二歩ほど下がったところで立ち止まると、勢い良く頭を下げた。
「申し訳ッ、ありませんでした・・・・・・ッ」
 あまりの剣幕に、そこにいた全員が面食らう。
「坊ちゃんがいきなりわたくしに里帰りしろと言った時から、何か嫌な予感はしていたのです。それでも、気まぐれはいつものことだと、予兆を見のがした責任はわたくしにあります。そのせいで紫子さまと東郷伯爵をこんな目に・・・・・・ッ」
 本気で後悔しているさまがありありとわかる様子に、紫子は動揺する。
「貴方の責任ではないでしょう。すべてはあの男がしたこと。貴方が謝る筋合いはありません」
 思わず口走った冷たくも聞こえる言葉を紫子は後悔した。ですが、と続ける付き人に、首を振る。
「謝罪なら、受け取りましょう。それを言いに来たのですか?」
 違うだろうという確信が、少女にはあった。逡巡する様な間を空け、宮彦は足元に置いた鞄に手をかけた。壁に背を預けていた山縣が、いつでも動けるように姿勢を整える。
 取り出したのは、油紙に包まれた薄い板状のもの。丁寧に油紙を開け、あらわにする。
 それは、本の表紙の一部のようだった。立派な革張りの書物の表紙が、なぜか切り取られている。
「紫子さまに、お渡し願えますか?」
 己が近づくのを躊躇ったのか、それを伊織に手渡す。渡された伊織はそれを見て、かるく目を見開いたが、そのまますっと紫子に差し出してきた。
 手渡されたそれを見て、紫子は息を呑む。
 そこに描かれていたのは驚くほど精巧な蝶の絵だった。
 半ばから翅を失った蝶が、もがく様さえ感じられるような、そんな絵。それはなぜか、赤茶けた色で描かれている。
「それは総一郎さまの、血で描かれています」
 その言葉に息を呑む。山縣は身を乗り出して、その絵を見、嘘だろ、などと呟いた。
「総一郎様は、幼い頃から絵に対して非凡な才能を見せていました。あの方は、数秒見たものであってもそれをそのまま画布におこすことができたのです。それでも、見たものをそのまま写すのではつまらない、息づかいすら感じるような、そんな絵が描きたいと。いつも熱心にスケッチを繰り返していました。
 しかし、それをあの方の父上は許しませんでした。“芸術など、極めても浮世では何の役にもたたない”などと仰られ、あの方からすべての絵の道具を取り上げました。絵の具どころか、鉛筆さえ。勉学の時だけ渡し、あとはすべて数を数えて取り上げるという徹底ぶりで。
 あの方は、描きたいのだと泣いていました。自分は描かなければ息ができないのだと。
 それでも、わたくし達にはどうすることもできませんでした。子爵さまに禁じられていたのです。
 ある夜のことでした、わたしくが坊ちゃんに就寝の挨拶に訪れると、指を血で真っ赤にした坊ちゃんがそこにはいました。慌てて駆け寄ったわたくしに、坊ちゃんは奇妙に静かな声で言いました。“すごいだろう?今までで一番良くかけたんだ”と。確かに、鳥肌が立つような出来でした。でもそこには、今まで坊ちゃんが描いていたような、生き生きとした見ているこちらが楽しくなるような画風は失われていました。あるのは狂気と、歪んだ感情のみ。悲鳴のような絵だと、わたくしは感じました」
 それが、総一郎さまが十歳の頃の出来事です。そう締めくくった宮彦は、沈痛な眼差しをその絵にそそぐ。
「それからあの方はどんどん歪んでいきました。気に入っていた玩具を壊し、蝶の翅を綺麗だからとむしる。そんな坊ちゃんを見ているのが、わたくしは辛かった」
 憐れな方なのです、そう呟く声。悔恨の滲む、それ。
「だからといって紫子さま達にした仕打ちが、赦されるとは思っていません」
「・・・・・・では、なぜ私にその話を・・・・・・?」
「なぜでしょうか。どうしても、わたくしは、貴女に伝えたかったようです。自分でも、よくわかりません」
 返された絵ともいえないそれを、再び丁寧に宮彦は包んだ。
「子爵さまもです。芸術家の血筋なのでしょうか。もともと逢崎家は、和歌の家でした。その仲でも若き日の子爵さまは非凡な歌い手であったと聞いています。もし代が代なら、それで名声を得られる程の才。それも、藤乃さまを失ってから、公以外では、まったく歌われなくなり、権力や評判だけをもとめるように。母などは、人が代わったようだといっております」
 元のように鞄に納めると、宮彦は静かな眼差しを紫子へと向けた。
「紫子さまは、もう逢崎家に関られない方が、よろしいと思います。あの家は、どこか歪んでいる。それに・・・・・・・いえ、これはわたくしが言えることではありませんでした。ここまで聞いてくださり、ありがとうございました」
 再び深く頭を下げる宮彦を呆然とした眼差しで見送る紫子。それを横目に山縣は声をかけた。
「おい、その坊ちゃんは今どこにいやがるんだ?」
 扉に向けていた体をこちらに戻し、宮彦は言う。
「帝都を遠く離れた、逢崎の別荘にいます。今度こそ、何人もの見張りを付けて。もう、紫子さま達に危害を加えるようなことはさせません」
 再び扉の前で頭を下げ、病室をあとにしようとした宮彦に伊織が軽く声をかけた。
「見送りするよ、ね」
「・・・・・・・いえ、そのようなお心づかいは」
「俺も行く」
 山縣のその言葉に、全員が驚きの表情を向けた。だが宮彦だけはすぐに真剣な面持ちになると、深くうなづいた。
 扉の向こうでもう一度宮彦が頭を下げる。閉じられた木戸の向こうにその姿を見送り、紫子は体をベッドに沈めた。
 無性に、将臣に会いたかった。



 はー、とため息を一つつき、山縣はこきりと首を鳴らした。
「芸術家ってのは、なんでそんなことで歪むのかねぇ。俺にはわからんな」
「僕には、少しわかる気がしますよ」
「おいおい伊織くん、何を言い出すんだ」
 その言葉に、慌てる山縣の様子に軽く笑う。同じ変人同士ですから、と。
 やはり兄と友人は似ていると思う。

 ただ欲しいものが手に入らないなら、いっそ諦めて無心になってしまった兄と、
 ただ欲しいものが手に入らないなら、自分すら壊してしまおうとした友人。

「それより、宮彦くん。紫子さんに言いかけてやめたこと、当ててあげようか」
 主の友人のその言葉に、動揺をさとられないよう、しずかになんでしょう、と言う。
「“貴女達、母子の存在が逢崎を余計狂わせる”そうじゃない?」
 だから君は、もう紫子さんと総一郎を会わせたくないんだ。そう続けられた言葉に、深く深く息を吐く。
「貴方さまは・・・・・・何でもお見通しなのですね・・・・・・」
「言えばよかったのに」
「言えるはずもございません。それではあの方の母上と紫子さまに、責任があるといっているようなものです」
 原因は、それであったとしても、狂ったのは、こちらのほうなのだ。そうだねぇと微笑む青年は、すべてわかっているようだった。
「君はこれからどうするの?」
「このまますぐに、総一郎さまのいる別荘に向かうつもりですが。何か」
「そっか、僕も行こうかな」
 その言葉に山縣も宮彦も動揺する。当人だけは軽く、総一郎にお説教しなきゃね、などという。
 言い出したら聞かない友人の弟に、山縣は肩をすくめた。
「じゃあ伊織くん。あの坊ちゃんに言ってくれないか?“二度目があったら、蹴り飛ばすぐらいじゃすまさねぇぞ”って」
「いやですよ。総一郎は根に持つ性根なんですから。そんなこといったら何かやらかすに決まっています」
 じゃあ、行ってきます。みんなによろしく、と告げる伊織に、山縣はひらひらと手を振った。

***

 紫子が面会を許されたのは、熱も下がり、退院の日取りが決まってからだった。
 将臣はぼんやりと天井を見つめた。その頭にあるのは、これからのこと。
 わき腹の傷だけならまだしも、内臓にまで達していた傷は、そうようようと塞がるものではなく、結局軍部にもばれ、事態は大事になってしまった。
 怪我の理由が、許婚を暴漢から守って負傷した、などという美談として広まっており、頭を抱えたい気分だ。そんな噂を広める人物など、一人しかいない。
 ふと向けた視線の先は快晴で、ああいつの間にか梅雨があけたのだな、と思う。彼の人を連れて、どこかに行きたいなどとも思うが、いつになることやら。
 ふとこんこん、というノックの音に、反射的に答えを返す。その先にいたのは、思い描いていた想い人の姿で。
「紫子、さん」
 静かに歩を進めた少女が枕元に立つ。その顔を見るのはいつぶりか。しかし、意識が飛んでいたこともあり、正確な日数はわからない。ずいぶんと久し振りな気がして、将臣はその頬を流れる涙を拭った。
 泣かせてばかりだな、と思えば少し自分が不甲斐ない。涙を流す少女を椅子に座らせると、頬に手を当てた。
「心配をかけましたね」
 首をふれば、ぱたぱたと雫が舞った。頬に添えられた手を、両手で握り締め、吐息のような声を洩らす。
「アロイスさまが、死ななくて本当に、良かった」
 二人だけの時に呼ばれるまことの名。それが無性に愛おしい。
「私も紫子さんが無事で、本当に良かった」
「・・・・・・なぜ、あんなご無理をなされたのです。もう少しで、命がなかったというのに」
 涙声で呟かれる言葉に、そっと返す。
「紫子さんを、守りたかったからですよ」
 それより、と言葉を続ける将臣の声色に、不穏な色を感じ、紫子は目を見開いた。
「この、痕」
 つい、となぞられるのはくっきり残ってしまった両の手の戒めの痕。青あざと、擦れてできた傷は、醜く白い手首を彩っている。
「逢崎邸で、何があったのですか?」
「い、言いたく、ありません」
 微笑を浮かべた青年に、紫子の背筋は何故だか寒くなった。
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