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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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泣き出した面影 *奏嘉

―――――自身がどう問おうとも、彼女は自身を犠牲にしてしまうような気がして、本当の答えも想いも、訊けないであろう事は解っていた。否、自身が疑心暗鬼になってしまっているのかもしれない。

その事をあっさりと払拭するように、明代夫人が「本人に聞こう」と言い切った辺り、青年は心から羨ましいと思った。



自身がどう望もうとも、未だ堅実な彼女に、距離を置かれているような気がしていたのだ。




*****


明代夫人の計らいで、青年は悪趣味だとは思いながらも窓の外にて壁に寄りかかり耳を澄ませる。


素の状態の母子の会話は、きっと彼女にとっても心地よい時間に違いない。
その事を少し嬉しく思いながら、青年は目を閉じた。



「叶うなら、過去のあの方。幼いあの方を、抱きしめて慰めて差し上げたい」



―――――不意に部屋から聞こえた少女の言葉に目を見開く。


殺した筈の幼い日の自分が、鮮やかに色付き具現化する様に、自身の生々しい感覚と重なる。
感情が溢れ出しそうになり、ぐっと息を詰めると青年は癖のように首筋の傷に爪を立てた。
自己防衛にも近い行動に、自嘲気味に笑えば突然明代夫人に声をかけられ、気まずいながらも顔を出す。


顔を真っ赤にしわなわなと震えている少女に苦笑を浮かべながら「すみません」と謝罪すれば、少女は青年を叱責しそのまま逃げてしまう。


制止しようと唇を開けば、明代夫人に呼びとめられ青年は振り返る。



「東郷殿、あの子を、幸せにしてあげてください」




強くありながらも穏やかで、優しげな「母」の顔。

――――――――――いつかの母の面影が、重なる。



「はい、必ず幸せにしてみせます」



はっきりと、迷い無く吐き出せた言葉にすっと胸が軽くなるのを感じた。


それだけを返すと、再び少女が走り去ってしまった方へと身を翻し駆け出す。
あの小さな背を追いかけることしか、青年の頭にはなかった。


「お嬢様」にしては早い足と体力に驚きながらも、青年は少しづつ間を詰めると名を呼びながらその細い腕を掴んだ。


森の中まで入ってしまえば大分走った為か、僅かに息が上がっており、肩が揺れる。
少女はそれ以上に喘ぐように呼吸を乱しながら、その場にへたりと座り込んでしまった。



青年はひとつ息を吐き呼吸を整えると、腕を掴んだまま少女の前に移動し俯き呼吸を乱したままの少女の眼前に片膝を着いた。


「紫子さん」



名を呼べば、少女の肩が僅かに跳ねる。
突然少女がばっと顔を上げれば、青年は驚き目を僅かに見開く。

息が上がっている為か少女の頬は紅潮し、大きな瞳は潤んで涙目になっていた。
きゅっと唇を噛むと、少女は弱い力で青年の胸を殴る。


「…あんまりです…っ、こんな、」


責める様に吐き出された少女の言葉とぎゅっと瞑られた目に、青年は不意に目の端に浮かぶ涙に形の良い唇を寄せた。


「御免なさい」


胸を殴ったままの手を握られ囁くように聞こえた言葉と柔らかな感触に驚き、少女は目を丸くし呆然としたあと耳まで一気に顔を赤くする。


「こうでもしないと、貴女の口から正直な想いを訊かせて頂けないような気がして」


青年は少女を真っ直ぐに見詰めると素直に告白し、謝罪する。
呼吸が落ちついてきたのか少女はすう、と息を吐くと少し目を伏せた。


その様子を眺めると、安堵した様に青年は肩の力を抜く。


彼女の言葉も想いも、全て羨望していたものに違いなかった。

確かに気持ちは高揚し、大きな幸福感に包まれたことも事実だ。
けれど、それに比例するように、重い罪悪感が青年の心を占めた。


自身は未だ、彼女に大きな嘘を吐いている。

一番大切に想っている彼女に対して、不誠実なままでいてはいけないと思ったのも事実ではあったが、本当は人間味を帯びた貪欲さが、溢れ出てしまったのかもしれない。



「もっと、もっと」と。



殺した筈のいつかの『自分』を、彼女に認めてもらえたら。


――――――あいして、もらえたら。


幼い日の自分が、声を殺して惨めに泣いている。

かつての青年ならそれをただただ煩わしく、不快に思い切り捨てた事だろう。
でも、今は違った。破られてしまった殻を修復することすらままならないほどに、少女の存在は青年の心を丸裸にした。



顔に掛かる少女の髪を耳にかけてやると、青年は決心したように唇を開いた。


「貴女に、もうひとつ、謝罪しなくてはいけない事があるんです」


突然聞こえた青年の言葉に、少女はどこか不安げに顔を上げる。
青年の右手はあの雨の日のように僅かに震え、それを殺す様にもう片方の手は爪が食い込む程に右腕を握っていた。青年は何処か苦しげに表情を強張らせ、再び唇を開く。




「……『私』は幼いころ、異人嫌いの祖父の手に掛かり死んだ事になっています。でも、…本当は違うんです。本当に死んだのは、『将臣』なんです」

少女の瞳が、見開かれたまま揺れ、小さなその喉が鳴った。
青年は躊躇いながらも言葉を続ける。




―――――『将臣』とは、腹違いの弟、伊織の一つ違いの兄の名前です。
弥生さんの長男で、生まれつき体が弱く赤子の時に死んでしまったのだとか。


伊織は、その事を知りません。

腹違いである事は判っていますが、記録がすり変えられ過去に死んだ『異人の童子』が嫡男である将臣であること、私が本当の将臣でない事はきっと知らされていない筈です。


私は確かに、幼い時分に祖父の手に掛かりました。

異人嫌いの祖父にとって、厳粛であった東郷にとって、煩わしく汚らわしいものでしか無かったのでしょう。しかし、寸でのところで、父に救われたのです。


生きる事を許されましたが、東郷の恥ずべき部分である私を外に野放しには出来ないとあの離れにて幽閉されることとなりました。

母は、私が幽閉されて三年ほど経ったころ、結核で亡くなったと聞きました。

祖父と祖母が亡くなった後、祖父の言いつけによって一生あの離れから出られない筈だった私に、父は私の居場所を下さったのです。

私は父から私が死んだ事を告げられ、新しい名を頂きました。それが『東郷将臣』です。


―――――そこまで話すと、青年は静かに息を吐いた。


嘘を吐いたまま、もし自分では無い『東郷将臣』を愛されるくらいなら、このまま彼女に振られてしまっても構わないと思った。
これ以上彼女の前で、今まで築き上げてきた『東郷将臣』を、これまで通りに演ずることは無理であると、理解していたからだ。



「私は、最初から貴女に大きな嘘を吐いていた。今まで誰かに対してそれを、罪悪に思った事などはありませんでした。完璧に、『彼である事』に徹していたからです」



青年は深く頭を下げ謝罪した後、溢れ出す感情をそのままに言葉を吐き出す。
どこか泣き出しそうにも感じる笑みを浮かべると、青年は彼女の瞳を見据えた。


少女は黙ったまま、青年の言葉を訊いている。



「けれど、貴女に出会って、私は本当の自分を愛してもらえたらと、貪欲な事を望むようになりました」


心の奥底で、青年は居場所を与えてくれた『将臣』と父に謝罪をする。

本当なら真実を隠し通し、できることならいつかは忘れ去ってしまって、姿も知れぬかの青年として生き、死ななければならなかったのだから。



「紫子さん、ごめんなさい。本当に貴女の事を、心から愛しているんです」



―――――青年の姿が、あの鉄格子越しに少女を見つめた幼子の面影と重なる。
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