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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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鮮やかな虚像 *奏嘉

青年が飛び出す様に出ていき、しんと静まり返った室内。

執務机にはインクを浸けたまま転がったペンと、インクを吸い黒い大きな染みが出来た紙が置いたままになっている。


(片付けて置いてやるかね)


やれやれと息を吐けば、山縣は青年の書類を抱え自身の執務室へと向かう。
鼻歌交じりに歩を進めれば、先程部下達の垣間から見えた「紫の上」を思い浮かべた。

「あの」青年が熱心になっているという、想像も出来なかった少女の姿に、何故だか納得といった感想を持った自分に少し驚いていた。


例えるなら、淑女の中でもどこか、芯の通った武家の女に近いような印象があった。

周りに流されてしまうような女々しい、如何にも淑女らしい淑女とは違う。そんな気がした。


思えば、あれ程までに慌てた友人を見たのは初めてであるような気がする。

軍学校時代からの旧友である為に、如何なる顔も見てきたつもりだったが、それが一番の驚きだった。
ただ穏やかな好青年という印象を持たれがちな青年は、その表向きな穏やかさを保てるだけの冷静さとキレがある。
軍部の中でも群を抜いた切れ者であると、山縣は旧友であるからこそその怖さを知っていた。
築き上げられた『人物像』が、しっかりとしたものではあるが何処か人間味が無いということも。

「……友人としては寂しいもんだな」

人通りの少ない廊下で、誰にと言うわけでもなくぽつりと呟けば少しだけ声が反響する。

――――だからこそ、友人のあの姿は少し嬉しかった。
それを変えてくれたのがあの少女だと言うのなら、感謝しなくてはとすら思う。

執務室に辿り着けば、後を追うように早足な軍靴の音が聞こえた。
敷き詰められた絨毯にくぐもった音ではあるが、急いでいるような事は分かり面倒事は御免だとドアノブを掴めばそこで声をかけられ小さく溜め息を吐く。

「山縣!東郷はどうした」


(……こんな時に限って)

立派な髭を蓄えた、見慣れた年配の上官の姿に半ばげんなりとしながらも軽く敬礼をする。
溜め息を吐きたくなるのを堪えつつも思考を巡らせ適当な言い訳をすれば、上官はがっくりと肩を落とした。

その様子に「東郷で無くてはいけない理由があるのですか」と問えば、「異人の客人が来たから」と答える上官に、恥じる心すら無いのかと内心嘲笑する。


「残念ながら、東郷は暫く戻りませんよ」

ぞんざいな言い方になってしまっただろうかと思うも、気にすることを止め山縣は執務室へと入った。





汽車を降りれば、道が分からない為に駅近くで馬車を借り、手紙に記してあった病院へ行ってもらえるよう頼んだ。

軍人と少女という端から見ればおかしな二人組に僅かに不思議そうにする男に、二人で顔を見合わせるも急いで乗り込む。
道中馬車に揺られながらも、少女が不安に堪えるように俯き加減に小さく震えている姿が痛々しく、青年はどうすることもできずただただその小さな手を強く握っていた。
不自然なほどに固まったままのような少女の姿に、仕方がないと思いながらも青年は表情を歪めた。

(何もできないなんて)


無理強いはできなかったとはいえ、こんな事になるくらいならもっと強く聞いておくべきであったか、などと考えるも後悔など無駄だと思い直せば青年は先の事を思案した。





暫く馬車に揺られ、やがて静かな外の様子に気がつくと森の奥、閑散とした場所にある病院に到着した。
青年は先に下車するとふらつくように馬車を降りる少女を支える。


少女も母がここへと移ってからは初めて訪れた為か、そのどこか寂しい病院の様子に少し不安げな顔を浮かべる。

入り口にて待っていたご老人に紫子が駆け寄れば、その人が世話係の『徳次郎』さんであると理解する。

暫く言葉を交わした後、青年を気に掛けるようなご老人の様子に青年は後ほど改めて挨拶をする、と制止しその人の後に続き病院へと入った。


******


病室には、落ち着いた様子ではあったが青白い顔をした女性が穏やかな寝息を立てていた。



少女が安堵したように深い溜め息を吐けば、暫くぶりなのか傍らへと歩みより手を握る。

青年も安堵したように肩から力を抜けばひとつ息を吐いた。



穏やかになった思考で母子の再会に邪魔になると察すれば、青年は静かに病室を後にする。

静かな廊下に出れば、壁に軽く凭れかかり僅かに脱力する。



足元に自身のものではない影が見えふと顔を上げると、先程のご老人が恭しい挨拶をしながら会釈をした。


青年も姿勢を正すと軍帽を取り軽く頭を下げた後、癖のように階級と名を名乗る。

「紫子さんから貴方のお話しもお聞きしました」と告げれば、ご老人は同じように「私も聞き及んで御座います」と再び頭を下げる。

青年は驚いたように目を丸くした後、穏やかに微笑み口を開いた。



「なら、お話は早い。貴方と、明代さんにお願いがあるのです。…紫子さんの為にも、逢崎からの援助を打ち切り…東郷に、支援をさせて頂けませんか。交換条件なんて無粋な物は提示致しません」


頼み込むように、青年は深く頭を下げる。

突然の真摯な青年の口振りに、ご老人はポカンとした表情を浮かべるも、不意に青年の背後からした扉の開く音に視線を移した。

つられるように青年も顔を上げると、そこにあった少女の姿に声を漏らす。



「紫子さん」



どうして、とでも言いたげな少女の表情に苦笑すれば、そのままゆっくりと振り返り彼女に向き直る。



「私は貴女に、恩返しをしたい。『自分』として生きられたらと、私は貴女のお陰で思うことができた。貴女に妻になって頂けるかどうかは、私なりに…自分の力で、努力させて頂けませんか」



真っ直ぐに見つめながら笑いかける青年に、少女はあまりに唐突な事に暫く呆然とした後、その言葉の意味をやっと理解し僅かに顔を赤くし混乱した様子で口を開こうとした。




「紫子」



突然廊下に響いた男の声に、少女の表情が強張る。
青年は咄嗟に少女を傍らへと引き寄せ背に隠した。


「女学校を抜け出してまで、こんな所で何をしている」


女学校から連絡が行ったのだろう。
厭に仕立ての良いスーツを身につけた、逢崎子爵とその夫人が静かに佇んでいた。

「……、逢崎殿」


青年が静かに名を呼べば、男は嘲笑にも似た笑みを浮かべる。


「その娘が気に入られたのなら結構な事だ。しかし、我が娘には違いないのですよ。東郷伯爵」


平然と言ってのける男に、怒りからだろうか少女が唇を噛み小さく肩を震わせているのを横目で見れば、青年は男と夫人を見据え形の良い唇を開く。
表情は不気味なほどに眉ひとつ動かない。


「娘との繋がりに、鎖など必要でしょうか」


青年の言葉に子爵は呆れたと言った様子で眉を潜めると盛大に溜め息を吐いて見せた。



「…何もかもが恵まれた環境でお生まれになった貴方様には御理解頂けないでしょうな」


――――子爵の言葉に面食らったように青年は目を丸くした後、僅かに吹き出すようにふっと笑えば再び夫人を一瞥し子爵を見遣る。


「…逆ですよ。貴方には分からないでしょう。私は一度死んでやっと此処に居る」



何を言っているのか解らないと言うように笑う子爵に歩み寄れば、青年は青灰色の目で男を見据えた。

納得といった様子で青年は「そうでしょうね」と呟けば、不意に子爵の胸ぐらを軽く掴み引き寄せる。



「Zu dir wie dem Schwein」


地を這うような低い声で囁かれた異国の言葉と青灰色の瞳に、男は目を見開き背筋に走る冷たいものを感じ憎々しげに顔をしかめる。
何を言われたのか理解できない事がまた、男の自尊心を傷つけた。

「穢らわしい混血児が」


舌打ち交じりに発した男のその言葉に青年はにこりと笑うと、「その穢らわしいものに、御家の盛衰が掛かっているなんて最高に面白いですよね」と穏やかな声音で言い放つ。


見たことが無い青年の攻撃的な姿に、傍らでポカンとした表情のままの少女の頭を撫でれば、青年はどこか甘い声音で「ねぇ、逢崎子爵」と男を見据えながら冷たい笑みを浮かべて見せた。


明言こそしないが、殆ど「潰してやる」とでも言うような青年の挑発に、男が啖呵を切れる筈も無く。


家の銘柄だけを見ていた男にとっては、失敗したと後悔したに違いない。
ここまで思い通りにならなかった事は無かったのだ。屈辱でしかないこの状況下で、残された手段など零に等しかったのだろう。



――――男は、無理矢理に紫子の腕を引いた。


まだ家を栄えさせるための道具として、幾らでも使えるであろう算段があった少女の腕を、痛む程に。


表情を歪める少女に、青年は男の腕を捻り上げると離させそのまま床へと放った。
情けないその主人の姿に、夫人も茫然としている。



「紫子さん」


不意に聞こえた青年の静かな声音に、驚いたように少女は青年を見上げた。
男の爪が食い込んでしまったのか、少女の細く白い腕には血が滲んでいる。


「貴女の、本当の意志を聞かせてください」



―――――――――青年の声は、何処か切なげに響いた。
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