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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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鬼子を、山に *矢玉

 紫子の熱は、なかなか下がる気配を見せなかった。
 何日もの高熱に東郷家全員が心配し医者に詰め寄ったのだが、ただの風邪だという判断が覆ることはなかった。
 意識がもうろうとし、食事も一日一回薄い粥が食べられるかどうか。もともとほっそりした体つきが痩せてしまうと、あまりの細さにそれだけで心配になるほどで。
 そのかぼそい体が咳き込み揺れると、言い知れぬ既視感に寒気を憶えた。
 最近では時間の許す限り、枕元について将臣は手を握っている。

 悪夢を見ているのか、うわ言のような呟きはほとんど聞き取れないが、嘆きに満ちている。

 そんなある時だった。
 玉のような汗をぬぐってやり、額にはりついた赤い髪を丁寧にかきやる。かすかな呻きに、将臣は紫子の顔をのぞき込んだ。
「紫子さん、起きましたか?」
 そろそろ起こして、薬を飲ませねばならない刻限だった。
 だが、目覚めたわけではなかった。しきりに何かを呟いているのに、耳をよせる。
 繰り返される、謝罪。
 そして

 はやく、おにのこ を やまに すてなければ

 その異様な言葉に青年は息を呑んだ。

***

「あの子が、そんなことを」
 あまりの内容にさんざんためらったものの、明代に打ち明けると紫子の母親は顔を歪めた。
「まだ、あの子は。そんなことを、忘れずに」
「明代さん?」
 昔、こんな事があったのですよ。明代が紡ぐ静かな声。
「藤乃が死んで、四十九日も済まない頃の話です――――――あの子が姿をふらりと消して、一晩中みつからなかったことが、ありました」
 当時のもろもろの事柄がまざまざとよみがえり、明代はきつく上掛けを握り締めた。
「それを、庵主さまがみつけてくださって。顛末は、その方がお聞きかせくださったのですが」
「庵主さま、というと先日亡くなられたという」
「ええ、紫子からお聞きになりましたか」
 うっすらと微笑み明代は視線を落す。
「とてもよくできた方でした。徳の高い、とはああいう方の事を言うのでしょうね。どうしても私は、あの方のように紫子を楽にさせてはやれなかった」






***

 鬼の子をすてなければ。

 藤乃のははうえは、わたしをすてなかったから亡くなった。

 鬼の子は、山に捨てられる。それがならわし。

 だけどははうえは優しいからすてなかった。だから。

 鬼の子の不幸をうけて死んだ。

 鬼の子は不幸を撒く、忌み子。

 明代のははうえもやさしいから、すてない。

 だったらわたしが捨てなければ。

***

 その年は、ひどく雪深い年だった。
 例年よりも寒さもひどく、病になる里人も多かった。今日もそんな、病を得て黄泉路を下ったも者の弔いをし、その尼僧は寺への帰りを急いでいた。
 世捨て人のような庵主でもこの小さな里では唯一の僧であり、こんな時には声がかかる。
 提灯の灯が雪明かりに映え、夜道とも思えないほど明るい。月も半ばで望月に近く、月光で影ができるほどだ。
 山の端にさしかかり、葉の落ちた木々の枝が生き物のように影を落とす。それを童のように怖がるなどということはないが、少しばかり足が速くなる。
 ふいにがさりと音を立てて雪が枝から滑り落ちるのに、ぎょっとして思わず足を止めた。
 それほど近くではないが、大きな音だった。狐狸のたぐいかと目を凝らすと、真っ白に染まった山肌を必死に登る影が。
 それは人のかたちを、していた。ほんの小さな、幼子。
 慌てて足元を見やれば、提灯に照らされた雪道に小さな小さな雪草鞋の跡。
 提灯の灯が邪魔で、手元はいいが遠くは逆に見えない。火を吹き消し、月光に眼をならす。

 その先にいたのは、質素な着物に身を包んだ、驚くほど赤い髪をもった子どもだった。

 まるで、雪原に落ちた一輪の紅椿のような。

「あなたは」
 声を掛けられたのがわかったのだろう、束の間足を止め、こちらをじっと見つめる。だが、すっと視線を外すと、そのまま山を登ろうと小さな手足を動かす。
「お待ちなさい!そんななりで、こんな夜更けに」
 いくら声をかけても、幼子は小さな手足を必死に動かし山の奥を目指す。
「死んでしまいますよッ」
 慌ててあとを追おうとすれば、雪に足を取られて無様に転んだ。足を捻ったのだろうか、悲鳴ともうめき声ともつかない声が口からもれる。
 足を抱え呻いていると、ふと隣に気配が。
「尼さま」
 小さく、小さく呟く声。その唇は、真っ青だ。
「歩けますか?」
 どこかぼんやりとした目で、幼子はそっと尼僧の肩に手をやった。

***

 その子の手を借りて、庫裏まで戻る。質素なお堂に、庵と呼ぶにふさわしい庫裏。急いで行李から着物を出し、子どもを着替えさせようとしたのだが、子どもはぼんやりとした眼をしたまま頭を下げてそのまま戸口から出ていこうとする。
 どこへ行くのかと問えば、山に、とだけ。
 そのとつとつとした口のきき方と、異様な雰囲気に叱ることすらためらわれた。
「今はわたくしとても足が痛いの。このばばの助けをしてくれませんか?」
 引き留めるために出たのはそんな言葉。そのことばでやっと子どもは土間から足をあげた。膝に抱き寄せ、髪をぬぐってやる。
「どうしてこんな夜更けに、あんな山にいたのです」
 赤い髪がうつむく顔を隠してしまっている。
 先日まで、この子はこんな様子ではなかった。
 迷い猫がお堂に住み着いたのを、子どもたちが代わる代わる抱きに来るのを羨ましそうな目で見つめていた。人の輪に、入れない。そんな子。そのさまが哀れで、呼び寄せて子猫を抱かせてやった。
 優しく髪を梳いてやる。それはこの赤毛のせいだろうというのは誰に言われるわけでもなくわかる。
 それにしても、見事なまでに赤い髪だった。紅で染め抜いたような鮮血にも似た茜色。
「ごめんなさい」
 か細い声が膝から聞こえ、尼僧は眼を見張った。小さな唇から繰り返されるのは、いくつもの謝罪の言葉。
「尼さまが足をいためたのは、わたしのせいです」
「あら、わたくしが勝手に転んだだけですよ」
 それに小さく首を振る。
「わたしの災いが、尼さまにふりかかった」

 だって。

 あまりに虚ろな飴色の目に、息を呑む。

「わたしは災いを呼ぶ、鬼の、忌み子だから」
 ぱちんと囲炉裏の火がはぜ、火の粉が金に輝く。
「・・・・・・誰がそんなことを言ったのです」
 その問いかけは、答えられなくてもわかった。
 里の子ども。そして大人たち。この地の名家、武家の桐生家の娘だからおおっぴらには言わないだけで、陰での罵りはきっと想像を絶するほどだろう。
 ただでさえ山深い、よそ者さえ珍しい土地だ。異人の姿など目にしたことさえないだろう里人たちには、この子のなりは古物語の“鬼”としかうつらぬのだろう。
 この幾年か前にこの地に流れ着いた己でさえ、初めてこの子を目の当たりにした際はおもわず息を呑み不吉を感じた。
 そんな自分を直後に悔いた。瞳を伏せ恥じたように縮こまる姿は、ただの子どもだった。
 ゆっくりと紡がれる子どもの高い声。

「わたしは赤毛の鬼子だから、父にすてられました」

 何の感情も込められない、淡々と響く、その声。

「鬼の子はやまおくにすてなければならない、とききました。すてないと、里を、まわりの人を不幸にするって」

 嗚呼、この子は。

「だからわたしはわたしを山にすてに行ったのです」

 なんてかなしい、眼をしているのだろう。

「御伽草子の朱点童子も、貴船の本地の鬼の姫も、帝のお子だった蝉丸も、みんな忌み子だったから、やまにすてられました。だから」

 こんなに小さな体に、たくさんの悲しみを詰め込んで。かなしい、くるしい、さびしいという叫びは、外にはだされず身の内にすべて溜めこまれ。

 あふれてきっとこの子を溺れさせてしまうだろう。

「藤乃のははうえが、死んでしまいました。わたしをすてなかったから。優しいかったから、すてなかったから、災いをうけて。明代のははうえもやさしいから、わたしをすてない」

 だから。

「わたししか、わたしをすてるものがいない」

 この子の心はいま、ひびの入った硝子細工のようなのだろう。
 指でふれただけで、無残に崩れ落ちてしまう。
 今この子にあげるべきなのは

「わたくしには、あなたが鬼の子だとはとても思えませんよ」

 優しい、優しい、羽毛のように柔らかで優しい言葉だけだ。

「それに鬼の子だとて、御仏は救ってくださいます」

 知っていますか?そう、優しくその赤い髪を梳いてやる。

「鬼子母神という、鬼のことを」

 むかし、むかし。

 人の子を喰らう恐ろしい鬼がいた。その鬼は五百人の子どもの母親だったが、少しも子どもを喰われた母の気持ちを介さなかった。そこで仏さまが鬼の子の一人を、隠してしまった。鬼の母親は、取り乱してその子を探すと、仏さまは五百人いるうちの子が一人いなくなっただけでも悲しいのに、お前に喰われた子の母親たちがどんな気持ちかわかったか、と。
 悔い改めた鬼の母親は、子を守る神さまとなったのですよ。

「そして、鬼に堕ちた人の話を」

 光源氏に愛された過去が忘れられず、必死に己を律していた六条御息所は、けれどその妬心を抑えきれず生霊となって、光源氏の愛した女人を次々と苦しめる鬼となってしまう。

「人を、鬼とするのも、仏にするのも、その心根ひとつ。あなたは、賢いからわかるでしょう?」

 ぼやけた飴色の瞳に、やっと少しだけ光を取り戻した子どもを、尼僧はそっと抱きしめた。

「こんな優しい子が、鬼なはずが、ありませんよ。紫子」
出てきた逸話について。

『御伽草子の朱点童子』・・・酒呑童子伝説。大江山に住む鬼の話。坂田の金時(金太郎)に倒されたので有名。“すてご”=”しゅてん”に転じたという説あり。

『貴船の本地の鬼の姫』・・・激マイナーな昔話。美しい姫を望んだ男が鬼の姫と結婚するが、鬼の姫の父親に見つかり姫は父に喰われてしまう。その後、人間に生まれ変わった鬼の姫は左手を握り締め開かない=前世が鬼とされ、山に捨てられた。その後、男の叔母に拾われ養育され、男と結ばれる。

『蝉丸』・・・百人一首のぼうずめくりで有名な蝉丸(やだま宅だけ?) 蝉丸は帝の皇子だったが眼がわるかったため「これは前世での業のせいである」とされ、捨てられ仏門に入った。

『鬼子母神』・・・上記説明通り。

『光源氏と六条御息所』・・・『源氏物語』に登場。上記のとおり。

うろ覚え知識何で、何か盛大に間違ってたらスミマセン
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