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『明治浪漫譚(仮)』 作者:矢玉・奏嘉 (リレー小説)
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幸せの匂い *矢玉

 
いぶされた煙の煤くさい風に、米の炊ける匂いが混じる。
 もくもくと色々な煙やら湯気やらで立ち込める境内は人々の熱気にあふれていた。
「一臼つき上がったよー!!誰かのし板!!」
「臼が冷めるからすぐに蓋して!」
「もうお釜に水ないぞ!穴ぁ空ける気か!!」
 騒ぎにつられて走り回る子どもをしかる声すら、温かい。
 慣れない労働に疲労を感じながらもそれを眺める山縣の表情は楽しげだった。
「ほれ」
 差し出された椀を反射的に受け取り、眼を見張る。
 そこにはいつもの仏頂面であったが、鈴が立っていた。
「あんた今まで動いてばかりで食べてなかったでしょ」
「ああ、ありがとさん」
 湯気をたてる椀の中身はつきたての餅だ。真っ白なそれが汁に浮いている。
「おお!うまいな。餅ってこんな旨かったか?」
「当然だろ。つきたてなんだから」
 目の前で蒸されたもち米が、次々とこねられ、つかれ、餅へと変化していくのは眺めているだけで面白い。
「何かいいなぁこういうの」
「はぁ?」
 意味が分からないといった鈴の顔に苦笑する。
「こういう空気っていえばいいのか?餅つきって楽しいなぁ!」
 子どものように無邪気に笑うのに、一瞬毒気が抜かれる。
「おとうちゃんも言ってた。米の炊ける匂いは幸せの匂いなんだって」
 菓子を扱うのだから、米を炊き餅を作るのなど日常だったであろうに。
 鈴の父は、ことさら餅つきにかける熱意があつかった。この時期になると率先して音頭取りとし、米やら、薪やらを手に入れるために走り回っていた。
 小さく笑う鈴を意外そうな目でみながらも、山縣は気付かれないようにそっと視線を外す。この気の強い娘は、己に笑顔を見られたとわかれば、きっとすぐにまたしかめっ面に戻ってしまうとわかっていたから。
「ああ、あんた袖が煤まみれじゃないか、なんでまくってないんだい」
 空になった椀を返そうとした山縣の腕をつかみ、鈴は袖口を引っ張った。だが、驚いたように眼を見開き、固まる。
 そっと袖から離された手に、山縣は首をかしげる。
「どうした。おりんちゃん」
「なんでもない。お茶いる?」
 何でもないという顔でも無かったが、とりあえず黙って湯呑を受け取る。賑やかな周囲からぽっかり浮いたような固い空気に、そっと鈴の声が響く。
「あんたさ、人、殺したことある?」
 湯呑に歯を当てながらの言葉だった。
「――――――悪い。馬鹿なこと聞いた。忘れとくれ」
 上擦る声が動揺したように揺れるのが、鈴らしくなかった。
「腕、ちょっとすごいから。それで」
 まくり上げた袖の下に見えたであろう腕は己にはすでに見慣れたものだが、確かに刀傷や銃痕が残っている。
「そういうのあると、軍人なんだなって、思った」
 街中で威張り散らす己の大嫌いな見慣れた軍人ではなく。己が想像もつかない場所――――――戦場に立つ、軍人。
「・・・・・・・無いとはいえねぇなぁ」
 これでも軍人なもんで、そんな風に山縣は笑った。
「こんな場で、本当にごめん」
 珍しくしょげているような鈴の頭に手を置く。
 鈴の髪は、煤でごわごわしていた。妹のそれとはまったく違う、髪。働く身なのだななどと思う。
 いつものように叩き落とさず、鈴はその手そっとを持ち上げる。
「あたしのおとうちゃんね――――――」
 視線を地面の土くれに向けたまま、鈴は口を開こうとした。
「おーい、おりんちゃーん!!それから山縣さんもー!!!手ぇ貸しとくれ!!!」
 空気を読まない声に、固い空気がぼろぼろと崩れる音がしたような気がした。
「~~~~~~、行くよ!あんた!」
「お?おう」
 立ち上がった山縣は首にひやりとしたものを感じ、ふと、空を見上げる。
 鈍色の空から、雪片が舞い落ちてきていた。

***

 あっという間に大きくなった雪。羽毛のようなぼたん雪の舞う庭を眺めていた明代は、呼びかける声にその眼を襖へと向けた。
「奥さま」
「ああ、お帰り徳次郎。ごくろうだったね」
 古くから明代の家に仕えてくれている奉公人は少しだけその顔に疲れた色を浮かべていたが、健やかそうだった。初老である徳次郎に頼むには酷だと思っていただけに、安堵が大きい。
「道中なにか困ったことは?」
「いえいえ、平穏なものでした。路銀も、十分持たせていただきまして。ありがたい話で」
「本当に、ね」
 頼んでいた荷は、そう問えば行李に、という答えが。
「あちらは、変わりはない?」
 帝都とは比べものにならない、山間の小さな里。それが明代と紫子の故郷である。
 木々や山々に囲まれ滋味豊かだが、閉ざされ息の詰まるようなそんな集落。だがそんな場所でもやはり郷里だ。
 しばらく言いよどんだ末に、徳次郎はためらいがちに話し出した。
「大方は、変わりなく。ですが・・・・・・庵主さまが亡くなられたそうで」
 明代の瞳が大きく見開かれ、そのままきつく閉ざされる。
「お歳がお歳でしたから、大往生だと皆申しておりましたがやはり」
「ええ」
 穏やかに笑う、皺の寄った笑みが脳裏に浮かぶ。落ち着いた、穏やかな諭すような物言いの声音。
「紫子には、当分このことは伏せておいてちょうだいな。私から、時機を見て話します」
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