脱走と油断
今回は流血描写と残酷描写があります。大した表現ではありませんが、苦手な方はご注意下さい。
「流石王都だけあって、広くて道が入り組んでますねえ……っ」
「んなこと言ってるばあいじゃないだろ!」
「はあっ、どこまでにげればいいのぉ」
四人で大脱走劇です。倉庫を出て入り組んだ迷路のような道を必死に走っている最中です。
実は部屋の外に見張りがもう一人居たのですが、その人には眠りが効かなかったので頭に氷を落として昏倒させておきました。多分首の骨は折れてないでしょうきっと。
四人で逃げているのですが、体力のあまりないリリーさんが少々遅れています。逆に一番速いのはクラウス君……じゃなくてマリアさん。亜人は総魔力量に欠けますが、それを補って余りある身体能力が特徴です。私とほぼ年齢が変わらないのにも関わらず素早い疾走をしています。多分これでも加減はしているのでしょうが。
「取り敢えず、ジルと合流するか私の家に辿り着くかですね」
勝利条件として、私達がジルと合流するか、私の家まで逃げて保護して貰うかのどちらかです。
ジルは今こっちに向かって来ているので、こちらの方が簡単です。でも多分そこから条件が追加されて人拐い組織を撃退する、に変わります。ジルが怒ってるから勝手に壊滅させそうですけど。
もう一つ、屋敷まで逃げ込む事。此方は追われている状況では中々難しいですが、一度逃げ込めば安全です。父様の役職や実力を知って仕掛けてくる愚か者は居ませんし、知らなければ知らないで父様が撃退します。あとは取っ捕まえて尋問して組織を潰すべく動き始める……って所でしょうか。
ま、潰せるかは分かりませんけどね、多分貴族も関わってるでしょうから。奴隷や愛玩動物は貴族や一代で財を築き上げた……まあ成金と呼ばれる部類が欲しがります。癒着があるのも想像出来ます。私としては身の安全が確保されればそれで良しですが。
「恐らくジル……私の従者ですけど、彼が探していますし、反応も近付いてますから何とかなります」
「待てや糞餓鬼共ォォォ!」
「やなこった!」
また追っ手が来たので、私は走りながら魔力を術式で変換して、男に放ちます。正しくは地面がメインですが。
『スプラッシュ』で男もろとも地面を濡らして、その水を利用して『フリーズ』。その場にある水を使って凍らせるので、魔力のロスが少ないのです。
体の表面がぱりぱりに凍って震えている男ですが、私の魔術でキレたらしく追い掛けて来ました。まあ地面が凍ってるので転びますが。
まだ追い掛けてくるでしょうから、私は再び魔力を変換して、今度は別の魔術。
「足留めしか出来ませんからね」
今度は自力で、魔力だけで氷を作って氷の壁を作ります。『アイスウォール』という魔術ですね、それを転んだ男の四方に作って、上に蓋を被せる事で箱を作ります。
多分そう簡単には壊れませんし、酸欠になる程保つ訳でもない。体温もそんなに下がらないようにちょっとは配慮して……いや元から凍ってたからちょっと危ないかも。でも自業自得です、私は知りません。自分の命が惜しいので。
丁度良い足留めとして、そして確実に追っ手の体力を奪い戦力を奪う戦法です。
男が無力化されたのを確認して、前に向き直ります。
……流石に、魔術の高速展開と並行発動、連続発動となると普段より疲労がかさみますね。その上走りながらですし集中が切れそうで。……よく出来ているものです、ジルと二年間ずっと訓練していた甲斐がありました。
「っはあ、はあ、だいじょうぶなのかよ、そんなのいっぱい使って」
「っん、大丈夫、とは言えません、けど、やるしかないでしょう……人より、魔力は多い、ので」
というかあんまり喋らさせないで下さい、私引きこもりだったので。庭を走り回ったりしてますけど、性別的にも年齢的にも結構きついです。
疲労回復の治癒術かけようにも疾走中に集中して魔力使って発動したら総合的にマイナスになりかねません。
ぜいぜい息を荒げながらも全力疾走する私に、前を走っていたマリアさんが速度を落として近付いて来ました。
「……のって」
「え、」
「わたし、ほかのひとより、じょうぶだから」
舌足らずな声でそう言われて、困惑する私に、マリアさんは背中を空けて手を後ろに向けて居ます。……本当に、大丈夫なのでしょうか。私よりも下手したら小柄なのに。
走りながらマリアさんの背中に近付いて首に手を回すと、ひょいっと。私の手を使って私の体を持ち上げ、背負って。本当に簡単に、私を背負って走ります。
「あっ、ありがとう、ございます」
「へいき」
この小柄な体の何処にこんな力が宿っているのか。私を背中に乗せて重いでしょうに、それでもリリーさんと同じように駆けています。
申し訳なく思いながらも、揺れる背中に体を預けて息を整えます。……ジルは、日本語的な表現で五百mくらいの距離。入り組んでいるし中々直進出来ないですが、まあそんな所でしょう。一先ずジルとの合流を優先に。
「っは、ちょっと楽にしますね」
全力移動を止めたお陰で、余力はある。全員に疲労回復の治癒術を駆けて、負担を軽減しておきます。私を背負っているマリアさんには、更に風の魔術でちょっと体を軽くなるように。
走っている三人は急に体の疲労が薄らいだ事に驚いていましたが、私の仕業だと分かると親指を立ててグッジョブという意思を示して来ます。そろそろ喋る余裕がなくなってきたみたいですね、私は逆にマリアさんのお陰で余裕はあります。
「っ待て餓鬼共、そこまでだ!」
「っげ、」
気が付けば前から追っ手が迫っています。曲がり角はありますが、追っ手の居る先。不味い、と思った私は、非常手段だ、と自らを納得させて、魔力を高速で術式に巡らせていきます。
なるべく、今の段階で人に危害を及ぼす魔術は使いたくなかったのですが。
「そのまま進んで!」
逃げ切る為には減速する訳にはいかない。なら、このまま突き進むしかない。此処は日本ではないし、平和な世界でもない。自分の身は自分で守らなければならないのです。
「『ライトニング』」
背中に乗ったままだから、術式の制御は容易です。それでもこの魔術はまだ私には制御が難しいし、なるべく殺しまではしない程度の威力に抑えるなら余計にそう。魔力が豊富故に、威力が基本的に高いのが仇になっています。
空から一本の雷が落ちてきて、前に居た追っ手に直撃します。
肉の焦げる嫌な臭い。一条の筋として残る、皮膚の炭化。男の喉が裂けそうな絶叫が迸り、鼓膜をつんざきました。苦痛に満ちた声は、私の罪悪感をより一層高めます。
思わず顔を顰めて目を背けようとする私に、マリアさんとリリーさんの悲鳴。まだ、前の追っ手は動いていました。
私は、致命傷を負わせた訳ではありません。酷い火傷こそやむを得ずに負わせてしまいましたが、生かす範囲で傷付けたのです。その手加減が、本当に仇となりました。
しまった、と頬を強張らせた私に、追っ手の男は、マリアさんごと私を殴り飛ばします。火事場の馬鹿力、そんな力で殴られたマリアさんの体からメキッと嫌な音がして、私の上から壁に激突しました。
叩き付けられて肺から一気に空気が抜ける。ズキンズキン、ガンガン、そんな痛みが全身を走ります。肺が破けていないのは幸いですが、……こりゃ、肋骨、折れましたかね。肺に刺さらないと、ううん、今、殺されないと、良いのですが。
クラウス君も殴り飛ばされ、リリーさんは蹴られ転がされ、殴られたショックで私に凭れかかっている。そんなリリーさんを、追っ手の男は蹴飛ばして。
幼いマリアさんの体は簡単に転がって、ぐったりとその場に沈みます。痛みに呻く私は、彼女に何もしてあげられない。
追っ手の男は、炭化した皮膚をぼろぼろと溢しながら、私の胸倉を掴む。恨み骨髄に達しているらしく、目は血走っていて眼光だけで人を殺せそうな目付きでした。
「……てめえ、だけは、殺す……!」
ああ、死ぬのかな、と。
痛みと疲労でぐちゃぐちゃになった思考が、そんな結果を弾き出します。……父様や母様、ジルに、私はきっと、怒られちゃうんだろうなあ。何で大人しくしてなかったのか、って。
……ジル、お願いだから、助けて。
なんて、今更願っても、仕方ないですよね。私が、仕留めなかったのが、悪かったんだから。
「死ね!」
憎悪で一杯の罵倒が届いて、胸倉を掴まれたままもう片方の手で首を絞められた、……そう、思いました。
風の切る音。
それからぽとん、と。何かが、落ちた音がして。
二度目の、絶叫。それは私ではなく、目の前の男の口から飛び出ていました。
服を掴まれている手の力が緩んで、立つ力すらなくなった私が背後に倒れていくのを感じていると、誰かが受け止めてくれる感覚。
痛くてくらくらする頭で、ゆっくり視線を上げると……いつもの微笑みが、そこにあって。
「もう大丈夫ですよ、リズ様」
穏やかに微笑んで、私の頭を撫でるジル。途端に意識が遠退いていくのは、安心したからなのか、ジルが魔術を使ったからなのか。視界に片腕のない男がいて血塗れでも、それすらどうでも良くて。
……ジルが来てくれたから、大丈夫。
そういう結論を導きだした私の意識は、深い闇に落ちていきました。
恋愛からファンタジーにジャンル変更するべきなのか。