9:王子様に必要なもの
二日目の朝は快晴だった。あたしの頭の中もすっきりしていて、これがやっぱり夢じゃなくて現実なんだと改めて思い知らされた。窓の外に広がる異国の風景は、どう考えたって常識から外れているし、あたしの置かれた立場も三文小説のヒロインみたいだ。けれど、これが現実。
あたしは“地図に載らない国”の王子の『お友達』をしなければならないのだ。
(さあて、今日はどうすればいいのかな?)
あたしは大きく伸びをすると、ネグリジェから洋服に着替えた。どうにもこのネグリジェってヤツは下着みたいで落ち着かない。シルク製でそれはもうなめらかな肌触りなんだけど、寝相の悪いあたしはお腹を冷やしてしまった。やっぱりパジャマを用意して貰おう。
なんてことを考えていたら、あたしは昨夜のお風呂場でのことを思い出してしまった。
(まさか身体を洗ってくれる人までいるなんて……)
王子様の生活なんて、日本平均以下の生活をしていたあたしには全く想像がつかなかった。豪勢な食事だけでなく、掃除や身体を洗ってくれる人までいるなんて……
もちろんあたしは一人で風呂に入った。身体洗いの女性達を追い出したらポウに注意されたけど、生活習慣にないことをいきなりやれと言われても困る。大体彼女達みんなナイスプロポーションで……そんな人達にあたしは身体を見られるのが嫌だったのだ。
あたしが自分の胸を見て大きなため息をついたとき、コンコンと誰かが扉をノックした。
「カナン様? お目覚めですか?」
扉を開けて現れたのはポウだ。
「ああ。ポウ、おはよう」
あたしが挨拶すると、ポウもにっこり微笑んで「おはようございます」と言った。見慣れるとセンザンコウも可愛い。時々しゅるりと出る舌がちょっと気持ち悪いけど、くりくりとした目は愛嬌がある。
ポウはワゴンを押しながら部屋の中に入ってきた。その上には洗面器とタオル、水差しがなどがある。洗顔セットのようだ。
朝っぱらから至れり尽くせり。あたし、単なる王子の『お友達』なのにお姫様みたいだ。
あたしはポウが用意してくれた洗顔セットで顔を洗うと、鏡台に置いてあった化粧水をつけた。しっとりとして肌になじむ高級化粧水。その使い心地は、あたしが普段使っていた薬局の398円とは全く違う。
そうしてあたしが身支度を整え終わった頃、ポウが朝食を運んできた。
「ここで食べるの?」
てっきり朝食は食堂で食べるのだと思っていたあたしは、一人で食事をしなければいけないことに不安を感じた。もしかしてヴァンはまだ……
あたしが考えていることを察したポウは、「違いますよ」というと朝食をテーブルに並べた。
「この国では、朝食を一緒に食べるのは家族だけなのです。それに、未婚の男女が朝食を一緒に食べるというのはあまり好ましくありませんし」
あたしは小さく頷いた。国によって風習が違うのは当たり前だけれど、朝食を家族としか食べないなんて初めて聞いた。
「じゃあ、ヴァンはご両親と食事するんだ」
あたしが何気なくそういうと、ポウは驚いた顔であたしを見た。
「いえ……王子には家族がいませんので、お一人で……」
ためらいがちに答えるポウ。
「だって、王様は?」
あたしがそういうと、ポウは困惑した表情で俯いた。
「お許し下さい。それ以上は、ワタクシの口からは……」
そう言ったきりポウは黙り込んでしまった。ポウが困っているのが分かったから、あたしはそれ以上追求することができなかった。
ヴァンには家族がいない。その事実に、あたしは胸の奥がざわつくのを感じた。ヴァンは王子なのだ。王子とは王の子。だからこの国の王様が当然ヴァンの父親であるはずなのだ。なのに。このポウの反応は。
(おかしい……またわけが分からなくなってきた)
あたしが色々と考え込んでいると、ポウが「朝食の準備ができました」といってあたしを無理矢理椅子に座らせた。先ほどの話を忘れて欲しいのか、早く食べろと急かすポウ。
あたしはため息をつくと箸を手に取った。
*
朝食の後会ったヴァンは、昨日のことなどまるで無かったかのように明るく元気だった。
彼はあたしの顔を見るなりにっこり微笑むと、自分の部屋まであたしを引っ張っていった。昨日のことなど忘れてしまったのか、それともわざと明るく振る舞っているのか。ヴァンに会ってまだ日の浅いあたしには、どちらなのか見当がつかない。
あたしが困惑していると、ヴァンはそっとあたしの耳元に唇を寄せて、
「ねえ、カナン、いいもの見せてあげるよ」
と囁いた。
あたしは心の中の不安を悟られないように微笑むと、椅子に腰掛けヴァンが“いいもの”を持ってくるのを待った。
部屋の中を見渡す。昨日あんなに散らかっていた部屋はすっかり綺麗になっていた。窓ガラスは張り替えられ、汚れてしまったカーテンや絨毯は新しい物に取り替えられていた。完璧すぎるくらい何もかも元通り。それがなんだか不気味に思えた。
「ジャジャーン! 僕のトレカコレクションだよー!」
ヴァンはあたしの前に大きなファイルを広げて見せた。
トレカって……たしかトレーディングカードとかいうやつだ。カードが小売りされていて、それを集めて対戦ゲームをする。集めるだけの人もいるって聞いたことがある。ヴァンのファイルの中には、モンスターの絵が描かれているカードが綺麗に収まっていた。
「これがデジモンでね、こっちがポケモンだよ。あと最近集めているのがこれ、ドラゴンボールのなんだけどまだ揃ってないんだ」
「え? ドラゴンボールのもあるんだ」
あたしが興味を示すと、ヴァンは嬉しそうに微笑んでファイルから3枚のカードを取り出した。リクームとクリリン、完全体セルのカードだ。ヴァンはあたしの前にそれを並べると、
「だぶってるから好きなのあげるよ」
と言った。
そんなこと言われても……正直欲しくはなかった。大体こんなカードを持っていたって何にも使えないし、目の前に出されたカードはあたしが好きなキャラクターのものではなかった。
ヴァンはあたしが何の反応も示さないのを見ると、「じゃあ、全部あげるよ」と言って3枚のカードをあたしに手渡した。思いがけず3枚を手にしたあたし。喜んで良いのか、悪いのか。これが現金なら喜ぶけれど、あたしの手の中のカードはただの子供の玩具だ。
あたしはヴァンにお礼をいうとそれをポケットに突っ込んだ。
ヴァンと遊ぶのは疲れる。慣れないせいもあるけど、やはり話についていけないというのは辛い。ヴァンは一生懸命カードの使い方や、キャラクターの説明をしてくれるんだけれど、アニメについての知識が薄いあたしには何を説明されてもちんぷんかんぷんだった。ただ分かったことは、ヴァンはアニメの中でもモンスターやトトロみたいな可愛らしい妖精が出てくる物や、ロボットアニメが好きだということだ。
ヴァンとあたしは小一時間アニメの話をした。と言っても、あたしはもっぱら聞き役で適当に相づちを打ったりするだけなんだけど……それでもヴァンはとても楽しそうだった。
(何でもっと話が合いそうな人間を選ばなかったんだろう?)
あたしは、それが不思議でならなかった。会話はほとんど一方通行だし、年なんか6つも離れている。それにヴァンにとってあたしは外国人だ。
考えれば考えるほど、あたしはヴァンの考えが分からなくなっていった。
「ねぇ、カナン……楽しくない?」
ヴァンが不安そうな顔で尋ねた。
あたしはその声で我に返った。一緒にいるときに考え事をするなんて失礼なことをした。
ヴァンは置いてきぼりにされた気分だったのだろう。彼はあたしの服の袖をきゅっと握ると寂しそうな顔で言った。
「やっぱり、僕みたいなのの友達は嫌かな?」
捨てられた子猫みたいな顔をするヴァンに、あたしは胸を締め付けられる感じがした。なんだかあたしがヴァンをいじめているみたいで、申し訳ない気持ちになってくる。あたしはヴァンの背中にそっと手を置くと、
「ごめん。不安にさせたね。ヴァンが嫌いなわけじゃないよ。ただ、あたし……アニメの事も、ヴァンの事も分からないから、どうすればいいのか分からなかっただけ。ねぇ、ヴァン。友達ってさ、なろうと思ってなるものじゃないんだ。自然と、少しずつ相手のことを知っていってなるものなんだよ」
母親が子供に言い聞かせるように言った。
「じゃあ、僕のこといっぱい知ったら、カナンは僕の『お友達』になるの? 僕といても楽しくなるの?」
ヴァンはあたしに問いかけた。
不安よりもただ疑問の答えを知りたい、そんな瞳をしていた。
彼は十八年も生きてきて一人も友達がいないのだろうか? 王子様の生活はこんなに物が溢れていて、人の手も掛かっているというのに、人間にとって大切な物は与えてくれないのだろうか?
あたしはなんだかヴァンが可哀想になって、優しく彼の背中を撫でた。すると急にヴァンはあたしの腕を掴むと、真剣な顔で言った。
「ねぇ、抱き締めていい?」
「へ?」
ヴァンはあたしの返事も待たずにあたしの腕を引っ張ると、そのままあたしを抱きしめた。
(え、えええ? なんで?)
急な展開に、あたしは混乱してしまった。
もしかしてヴァンは抱きつき魔なのだろうか。昨日に続き今日もまた、あたしはトトロ状態になっていた。
しかし過剰なスキンシップは日本人には刺激的すぎる。それにあたしの心臓はデリケートなのだ。ヴァンが急に抱きついてきたせいで、痛いくらいにドクンドクンとなっている。
「ちょ、ヴァン!」
あたしがヴァンの身体を押しのけようとすると、ヴァンはあたしが逃げないように腕に力を込めた。
一体何のつもりなのか。ただふざけてるだけにしても、こういうのは本当にやめて欲しい。戸惑っているあたしを、ヴァンは何も言わずに抱きしめていた。
そしてしばらくすると、
「おかしいなあ。全然分からない」
ヴァンは腑に落ちないような顔でそう呟くと、あたしを解放した。
何が分からないんだか。あたしにはヴァンが考えていることが全く理解できなかった。
「男女がお互いのことを知るにはまず抱き合うのが一番だって、レインが言ってたのに。僕は男だしカナンは女でしょ?」
ヴァンは口を尖らせた。
……あたしはそれを聞いてぶちぎれた。
(あんの、イカスミがぁ! 変なことばかり教えて許せない! 大体それ間違ってる! まず精神的な繋がりがないと駄目……とかそう言う事じゃなくて! これは友達関係のことなんだから!)
あたしはレインへの怒りをなんとか押さえると、冷静になって自分がすべきことを考えた。
ヴァンはきっと閉ざされた環境の中にいて人との関わり方を知らないのだ。それにここの人達はヴァンを王子として扱うし、彼があれになることを怖がっている。だからみんなよそよそしいし、なるべく関わらない様にしているのだ。
唯一面と向かってヴァンに接しているレインは、友達関係について嘘や必要のない知識ばかり教えている。だからヴァンは、あたしが日本人でアニメのこともあまり知らなくても友達になれると思ったのだ。
だけどそれは大きな間違い。友達になるって、そんな簡単な事じゃない。確かに簡単になれるものもあるよ? 適当に相づち打って、ヴァンを喜ばせてればいいって言うなら、あたしにだってできる。
だけど、このヴァンに必要なのはそういううわべだけの『お友達』じゃない。
ヴァンには彼のことを理解し、彼自身もまた理解しようと努力する相手が必要だ。
(本当の友達……)
それにあたしがなれるかなんて分からない。ヴァンはレインの言葉を鵜呑みにしてしまうほど純粋だし、あたしとは6つも年が離れている。
だけど……
「アニメのことを知らないなら、勉強すればいいよ。僕のDVD貸してあげるからよく見て勉強して。ああ、僕もカナンのことが知りたいよ。どうすればいいのかなあ? ねぇ、交換日記でもしよっか? 僕ね、日本語書けるんだよ」
お互いが歩み寄ればそれも不可能な事じゃない。
あたしはヴァンに向かって微笑むと、「そうだね」と呟いた。
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