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作:北加チヤ



7:うまい話にゃ裏がある


 タイミングがいいのか悪いのか。このイカスミ男の登場はいつも突然で、そして無性に腹が立つ。レインはあたしとヴァンが抱き合っていた(ヴァンに抱きつかれたんだけど)事に関しては一切触れず、「勉強の時間です」と言ってあたしをヴァンの部屋から追い出した。そう、あたしに言い訳させる時間を一切与えずに……

(言い訳? なんであたし、レインに言い訳しなきゃないのよ?)

 あたしは自分の部屋のベッドに横になると、レインのことを頭から振り払った。あの嫌味男のことを考えただけで、あたしの胸はむずむずして気持ちが悪い。だからあたしはイカスミのことは考えないように別のことを考える事にした。
 すると、さっきのヴァンとの事が頭に浮かんだ。

(あれくらいでドキドキするなんて、あたしは十代か!)

 不意をつかれたとはいえ、ヴァンに抱きつかれて動揺するとはあたしも修行がなってない。ここは外国なのだし、ヴァンがあたしに抱きついたのはメイがトトロに抱きついたのと同じようなものなのだ。特に意味もないし、ヴァンはあの通りの“お子さま”で、あたしにどうのこうのとか……そういうのはない。とにかく、これから何があるのか分からないのだ。あれしきのことで心を乱すようでは、仕事はできないだろう。
 そう……これは仕事。あたしは王子の『お友達』をしなければならないのだ。
 あたしは気合いを入れ直すと、ベッドから勢いよく起きあがった。とにかく今するべき事をやるしかない。
 あたしは乱れた髪の毛を直すと深呼吸をした。

(だけど、一体何をすればいいのか……)

 それが一番の問題だった。王子の『お友達』が仕事ということは、王子がお勉強の間はすることがないということだ。つまりは今は、自由時間なのだけれど。
 勝手に外へ出たりしたらレインに怒られるだろう。かと言って、部屋にいてもやることがない。本を読んでも良いけれど、あたしは体を動かしていないと時間を無駄にしてしまったと思ってしまう質なのだ。いつもだったら掃除をするところだけど、この部屋にしても廊下にしても埃一つないくらいにピカピカだ。おそらくは掃除婦がいるのだろう。さすが国家。

「暇ぁ……」

 口に出したら、ますます暇になった。何かやることはないのか、あたしは考えを巡らせ、ふとポケットの中に突っ込んだままになっていたある物を思い出した。
 薄ピンク色の小さな機械。翻訳機だ。こんな面白い道具があるなら、試してみない手はないだろう。あたしはそれを左耳に装着すると部屋を出た。









 あたしは食堂に向かっていた。それというのも、この広い建物の中で知っている場所と言ったらそこと、自分の部屋とさっき教えて貰ったヴァンとレインの部屋ぐらいしか無かったからだ。知らない部屋に入ってレインに怒られるのも嫌だし、あたしが今から試そうとしていることには、だれか人がいなければ意味がない。
 ラッキーなことに、廊下は一本しかないから方向音痴のあたしでも道に迷うことはない。ただまっすぐに歩いていけば、必ず食堂へとたどり着けるのだ。
 あたしは長い廊下を一人で歩いていた。すると、

「さっきの見たかい?」
 とどこかで人が喋っているのを翻訳機が拾って訳した。

「あの日本人が例の王子の『お友達』でしょ? 想像してたのと違うわねー」

 女の人の声だ。あたしは注意深く辺りを見渡して、扉が半開きになっている部屋があるのを見つけた。立ち聞きなんていけないとは分かっていたけど、話している内容が自分と関係しているようだったので、ついつい耳をそばだててしまった。
 あたしは扉の隙間からそっと、中を覗いた。

「それがね、あの王子だけじゃなくレイン様までその日本人を気に入ってるみたいなのよ。信じられないわあ」

 部屋の中には二人の人物がいた。二人とも女性で頭には三角巾をかぶり、手には掃除用具を持っていた。一人は痩せ形で二十歳前後、もう一人は小太りで三十過ぎくらいだろうか。どうやらその格好から考えると、二人は掃除婦のようだ。

「え〜? あのレイン様が? 信じらんな〜い。あたし密かに狙ってたのに」

 掃除婦の一人、痩せた方の彼女がそういったのを聞いて、あたしは「あんなイカスミのどこがいいんだか!」と心の中で突っ込んだ。いや、でももしかして彼女はマゾなのかもしれない。男の好みは人それぞれだから仕方がないか。あたしがそんな事を考えていると、太っている方が笑っていった。

「ははは、あんたじゃ無理さ。レイン様は豊満な美女が好みなのさ。今までつき合ってきた女性を見れば分かるじゃないか」

 痩せた女性は自分の胸を見つめると、ため息をついて俯いた。太った女性は落ち込んでしまった彼女の背中をドンと叩いて、「今度いい男を紹介してやるよ」と言った。すると途端に痩せた女性は元気になってまた掃除を始めた。どうやら彼女は開き直るのが早いようだ。

「でも、あの日本人も大変よね。あの王子の世話しなきゃないんでしょ?」
 と痩せた女性がいうと、太った女性は大きく頷いた。

「もし王子があれになったら、命がいくつあっても足りないわ。さすがに人間相手にあんなことはしないと思うけど、エドガーとアランの事件あったじゃない? あれはねぇ、衝撃的だったわ」

 太った女性は雑巾を絞りながら、大きなため息をついた。痩せた女性はと言うと、ほうきの柄に顎をのせると、

「ポウが生き残ったのが、奇跡よね」
 と呟いた。

(ポウが生き残った……?)

 あたしはそれはどういう意味なのだろうと思った。エドガーとアランの事件とか、衝撃的とか、なんだか話が不穏な方向に流れているような気がする。
 ヴァンには何か危険なところでもあるのだろうか? あたしはもっと情報が欲しいと思って扉に顔を近づけた。
 ところが彼女たちは仕事を終えたらしく、道具を片づけるとあたしが立っている扉の方へと歩いてきた。

(やばい……!)

 あたしはとっさに柱の陰まで走ると、彼女たちに見つからないように身を隠した。扉から出てきた二人は、あたしがいることには気がつかなかったようで、扉を閉めるとあたしがいるのとは違う方へ歩いていった。
 あたしは二人の後ろ姿を見送ると、ふうと息を吐いた。

(もうちょっと話を聞きたかったのに……)

 あたしは翻訳機のスイッチを切ると、耳からはずしてポケットに突っ込んだ。
 さっきの二人の会話、気になることがいっぱいあった。レインの女性の好みがどうとか今までつき合っていた女性が皆美女ばかりだということはどうでもいいけど、命がいくつあっても足りないとかいう話は聞き捨てならない。何せ自分のこれからに関わっているのだ。

「まさか、ヴァンはキレるとやばいとか?」

 呟いて、あたしは思いっきり頭を振った。あんな素直で純粋な子が、危険人物のはずがない。きっとあたしの聞き間違いだろう。
 でも。
 あの時の違和感。ポウはヴァンのことを恐れているようだった。なるべく逆らわないように、距離を置いているようだった。
 まさか……?
 あたしは廊下で考え事をしていても仕方がないと思い、自分の部屋へと戻ることにした。それに、考えるよりもポウに確かめたほうが早い。ポウが正直に話してくれるとは限らないけれど、一人で考えるよりはいいだろうとあたしは思った。









 部屋に戻ると、あたしはポウを呼ぼうとリモコンを手に取った。さっき聞いたことを確かめなければならない。あたしが右側から2番目のボタンを押そうとしたまさにその時、

 ガシャーン

 隣の部屋から、何かが割れる音が聞こえた。そして物が倒れる音と、誰かが叫んでる声。
 あたしはぎょっとして音のした方を見た。隣……ヴァンの部屋だ。

(何? 何があったの?)

 あたしは部屋から出ると、隣の部屋の扉をノックした。けれど返事はなく、あたしは恐る恐るノブを掴むと扉を開いた。

 そして次の瞬間、息をのんだ。

 そこはさっきあたしが見たヴァンの部屋とは思えなかった。物が散らかり、カーテンは引き裂かれ、窓ガラスは割れていた。部屋の中央でヴァンはレインに組み敷かれ、うつぶせの状態で床に押さえつけられていた。レインの頬からは血が流れている。冷静沈着なはずの彼の額には汗が滲み、眉間には皺が寄っていた。
 ヴァンは、彼の国の言葉で何か叫んでいたが、翻訳機をはずしていたあたしには、彼が何を言っているのか分からなかった。ただ、ヴァンが叫びながら泣いているのを見て、あたしは胸を締め付けられるような感じがした。

「ガメ……そこの、デスクの2番目の引き出しから薬を取ってくれ。赤い液体が入った小瓶だ」

 レインに言われて、あたしは我に返った。
 あたしは急いでデスクへと向かうと、引き出しを開け、中から薬とおぼしき瓶を取りだしてレインの所へ向かった。極度の緊張からか、あたしの手は震えていた。足下もおぼつかなくて、何度も転けそうになった。でもなんとかレインの所へとたどり着くことができた。

「私が押さえているから、それを飲ませてやってくれ」

 あたしは瓶の蓋を開けると、それをヴァンの口元にやった。けれど、ヴァンは薬を飲むのが嫌なのかさらに暴れ出した。

「何をやっている! 早くしろ!」

 レインがあたしを怒鳴りつける。あたしは焦りながらも、とにかくヴァンの口を開けさせようと彼の顎に手をかけた。でも、ヴァンはしっかりと口を閉じていて全く開ける素振りを見せない。あたしが困っていると、

「耳だ! 私がお前にやったように噛め!」
 とレインが言った。

 耳を噛む? あたしは一瞬たじろいだ。そんなことを純情可憐な乙女にやれというのか? あたしは薬の瓶を持ったまま、動けなくなってしまった。
 そんなあたしを見たレインは、イライラしながら何か叫ぶと、あたしから薬の瓶を奪い取って、自分でヴァンの耳を噛んだ。

「アガシ!」

 ヴァンが叫んだその隙をついて、レインは彼の口に薬瓶を突っ込んだ。そして無理矢理中身を飲み込ませた。一瞬、薬が苦いのかヴァンの顔が歪んだ。
 けれどしばらくすると、さっきまで暴れていたヴァンが急に静かになった。彼はトロンとした目であたしとレインを交互に見ると、そのまま目を閉じて眠ってしまった。
 静かに寝息を立てながら眠っているヴァン。レインは彼が眠りに落ちたのを確認すると、彼を押さえつけていた手をゆっくりと放した。そして俯せで眠っているヴァンをひょいと抱え上げると、彼をベッドへと運んでいった。

「ルルゥ、部屋を片づけさせるように言っておけ。それとガメ、お前には話がある。十分したら、私の部屋に来てくれ」

 レインはそういうと、頬の血を袖口で拭って部屋から出ていった。嵐の後の静けさ。ヴァンの部屋はさっきまでとはうって変わって静かになった。
 レインがいなくなるとデスクの奥の方に隠れていたルルゥがひょっこりと顔を出した。ルルゥはすっかり怯えきっていて、身体を小刻みに震わせていた。しっぽも垂れ元気がない。あたしはふうと息を吐くと、部屋の中を見回した。
 一体ヴァンに何があったのか。部屋の中の惨状を見れば大体は予想がつく。
 けれど、なぜヴァンが暴れたのかは見当もつかない。

(ヴァン……)

 あたしは眠っているヴァンの所まで行くと、ベッドの脇に腰掛け、彼の額にかかった髪をそっと手ではらった。
 何事もなかったかのように眠っているヴァン。無邪気にアニメの話をするヴァンと、悲痛な表情で叫んでいたヴァン。同じ人物なのにその表情や仕草は全く違くて、まるで別人のようだった。
 安らかに眠るヴァンの顔を見つめながら、あたしはどうしようもなく不安な気持ちになった。これからどうなるのか、レインの話とは何なのか。
 まだ一日目だというのに、問題は山積みだ。
 あたしはため息をつくと、ヴァンの部屋を出た。






まだ一日が終わらない(汗)とりあえず、一日目は次回で終了です。
☆レインが「私」じゃなく、自分のことを「俺」と呼んでいてすぐに直しました。風邪でぼけてました。危ない…











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