6:王子の部屋
「じゃあ、僕の部屋へ行こうか」
とヴァンが言った時、あたしはちょっとドキッとしてしまった。だって高校の時つき合っていた彼氏と別れて以来全く男っ気のなかったあたしには、男性の部屋に入るなんてそうそうないことで(いや、全くなかったので)この「ドキッ」は仕方がない事だと思う。
ヴァンの部屋……王子様の部屋なのだからもの凄い豪華に違いない。それに、この美形の王子様はアニメオタクだ。もしかしたら女の子のフィギアなんかが飾ってあって、壁一面にはポスターが……ちょっと想像したら怖くなってしまった。
まだ一日目だというのに次から次とおかしな事ばかり起こるから、あたしの頭の中はショート寸前だ。地図に載らない国だの、アニメオタクの王子様だの、機械動物だのと、漫画か三文小説のようなことばかりが起きる。普通ならこれは夢だと思うに違いない。
けれど夢ならもうそろそろ醒めてもいい頃合いだ。なのに全くそんな気配はなく、むしろあたしの喉のひりひりがこれが夢ではないと証明していた。
(あのイカスミ、今に……ぎゃふんと言わせてやる)
あたしを激辛地獄に突き落とした張本人は、何やら仕事があるらしくまたどこかへ行ってしまった。レインは王子の護衛でもあるはずなのに、ヴァンと離れてもいいのだろうか? と疑問に思ったけれど、あのイカスミがいると腹が立つことばかりなので、あたしはあえてそこは突っ込まないことにした。
「カナンはさー、アニメは何が好き?」
一緒に長い廊下を歩いているヴァンはにこにこ顔で、また鼻歌を歌っていた。今度はあれだ。トトロの曲。あたしは結構、トトロは好きだったりする。ちびトトロも可愛いし、何より猫バスが可愛い! あんなバスに乗ってみたい、そしてあの足の肉球を触ってみたいと子供心に思ったものだ。思い起こせばあたしの猫好きは、あの頃からかもしれない。
「宮崎アニメ好きだよ……トトロも好き」
あたしがそういうと、ヴァンはとても嬉しそうににか〜っと笑った。この無邪気な笑顔。彼の顔を見ると心が癒されるようだ。あたしもつられて微笑んでしまった。ところが、
「僕、宮崎アニメは一番トトロが好きなんだ。トトロのあの体型にもさもさした毛並み。もう究極としか言いようがないよね。ミニバージョンを機械動物で作ろうとしたんだけど、アニメは実物がないから難しくってさ、モグラだかネズミだか分からないようなものができちゃって失敗したんだよ。そしたらレインがね、アニメの中のものを作るのはチョサッケンとかいうのがあるから駄目だっていうんだよ。だから、今は僕オリジナルの妖精さんを考えてるんだ」
そこからヴァンの炸裂トークが始まってしまった。彼は最高に“萌える”妖精の要素がトトロには凝縮されていることを、長い廊下を歩きながら延々と語った。とんがり耳がどうとか、ハグしたとき毛に埋もれる度合いがどうとか、ムーミンのご先祖は毛がもじゃもじゃだったのに、なぜあんなにツルンとしたフォルムになってしまったのかとか何とか。
あたしはそれに適当に相づちを打ちながら、これからこのアニメオタクと『お友達』ができるのかと不安に思った。
「ここが僕の部屋だよ」
やっとヴァンの部屋にたどり着いた頃には、あたしはすっかり疲れ切っていた。彼の部屋の扉を見て、ふうとため息をつく。それと同時に、あたしはあることに気がついた。
「あれ、ここって……」
「うん。カナンの部屋の隣。ちなみにこっちはレインの部屋だよ。カナンが寂しくないように近くにして貰ったんだ」
にこにこと楽しそうに微笑むヴァンを、あたしはほんの少し憎らしく思った。
なぜ? ヴァンの部屋が右隣にあるのは分かるが、レインの部屋があたしの部屋の左隣にある理由が分からない。それにこの配置はちょうどさっきの食事の席と同じ状態。あたしの部屋は二人の男の部屋に挟まれていた。
「ほらほら、そんなところでぼーっとしてないで。カナンに見せたいものがあるんだ」
とヴァンはあたしの気持ちなど全く気にしていないようで、自分の部屋の扉を開けた。
*
ヴァンの部屋は、あたしの部屋にあったあのお茶のみスペースに作業用デスクが置かれている以外は、間取りも調度品も大体同じだった。恐れていたアニメのポスターやらフィギアは飾られてはいない。ただ本棚にはぴっしりと日本の漫画やアニメの本が並んでいた。
「コレクションは日焼けするから別の場所にあるんだ。それも今度見せてあげるね」
ヴァンはそういうとデスクの方へと向かった。
ヴァンのコレクション……あたしとしては見たいような見たくないような複雑な心境だ。
「ところで、ヴァンもレインも日本語上手だよね……」
あたしはずっと思っていた疑問を口にした。レインは変なしゃべり方だけど、ヴァンは日本人だと言っても疑われないくらいに日本語がぺらぺらだ。するとヴァンはきょとんとした顔で、
「だって、僕は王子だもの。ほとんどの言語は理解できるし話せるよ。でも、カナンは時々分からないことも言うよね。そういうのを補助するのにほら」
というと左耳に手をやった。
そして左耳の後ろからU字形の物体をはずして、あたしに手渡した。
それは何かの機械らしかった。ボタンが二つついていて、灰色のボディはステンレスかプラスチックでできているのか軽い。青色のランプを点灯させ、わずかにだけど振動していた。
一体これは何なのか。あたしがそれを観察していると、ヴァンがさっとそれを奪い取った。そして再び左耳にそれを装着し、
「日本語で……翻訳機というのかな? カナンにも一個あげるね」
と言ってデスクに向かった。
(翻訳機……?)
ヴァンはデスクの引き出しを開けると、先ほどあたしに見せたのと同じ物体を持ってきた。ただ、ヴァンが付けているものより少し小さめで色も灰色ではなく薄いピンク色だ。
「これは女性用。カナン、付けてあげるからちょっとここに座って」
あたしはヴァンに言われるまま、椅子に腰掛けた。するとヴァンは細い指であたしの左耳をつまむと、耳の後ろに翻訳機を付けてくれた。それをつけた瞬間、左耳の後ろがほんのり熱くなった。
ヴァンはにっこり微笑むと試運転だと言って、彼の国の言葉で喋った。すると次の瞬間、
「余の言葉が分かるか?」
ヴァンの言葉が、左耳に日本語訳されて聞こえてきた。いつもの彼とは違う、古風なしゃべり方だ。あたしはそれがちょっとおかしくて笑った。
「己の言語を翻訳したいときは、こちらのボタンを押せば良いのじゃ」
ヴァンはあたしの翻訳機のボタンを押した。すると次の瞬間、キリキリと左耳の後ろから頭の中心まで痛みが走った。あたしは思わず「痛い」と言おうとして、
「アガシ!」
となぜか口にしていた。
“アガシ”って何だ。北斗の拳の雑魚キャラがやられるときのかけ声、“アベシ”みたいじゃないか。あたしがビックリした顔をしていると、ヴァンはくすくすと笑った。
「神経に直接信号を送って言語伝達機能を強制的に変更させるゆえ、慣れぬうちは頭痛がするのじゃ。カナンが日本語を話した方が余は勉強にもなるゆえ、普段は使わなくても良いじゃろう。レインに翻訳機は渡すなと言われておったしな」
とヴァンはいうと、あたしの翻訳機のスイッチを切って、それを左耳からはずしてくれた。そしてはずした翻訳機をあたしの手に握らせると、
「これをあげたこと、レインには秘密だからね?」
といたずらっ子のような笑みを浮かべた。
*
ヴァンの部屋で、あたしは椅子に座ってお茶を運んでいる二足歩行の猫を見つめていた。機械動物のルルゥ。彼女はしっぽを左右に振りながら、よろよろと危なっかしい足取りでこちらに向かっていた。ルルゥが持つには大きすぎるお盆。その上では、ティーカップに注がれた熱いお茶が波をたてて揺れていた。お茶がこぼれないようにルルゥは慎重に歩いているんだけれど、なぜかルルゥが慎重になればなるほど動きが危なっかしくなってくるようにあたしには思えた。すると案の定、
「にゃあ!!」
ルルゥは躓いて転んでしまった。ガシャーンと音を立ててティーカップが割れる。こぼれたお茶は、ゆっくり流れながら絨毯にしみこんでいった。
「ルルゥ!」
あたしが思わず立ち上がると、ヴァンがそれを制した。彼はにっこりと微笑むと、泣いているルルゥの所へ行って彼女を抱き起こした。
「ルルゥ、怪我はない? よくやったね。随分うまく転けられるようになったじゃないか」
ヴァンの発言に、あたしは耳を疑った。
「ヴァンしゃまぁ……」
ルルゥは涙を拭うと嬉しそうに微笑んでいた。かわいい。ルルゥってば、今すぐにでもハグしたくなるほどかわいい。あたしはついルルゥに見とれてしまった。
するとその時、急に扉が開いて厳しい顔をしたポウが現れた。ポウはあたしの顔を見ると、ルルゥをギッと睨み付けた。そしてポウはヒュンヒュン小言を言いながら散らかったティーカップを片づけだした。
「ルルゥのどじっこ機能が、ようやく使えるようになってきたよ」
ルルゥを抱えながら戻ってきたヴァンはとても嬉しそうだった。ルルゥが転んだことがとても嬉しい、そんな風にあたしには聞こえた。
「ルルゥは、まだまだでしゅ。もっとちゃんとドジできるように、頑張りましゅ」
ルルゥはそういうと、恥ずかしそうに顔を伏せた。
ヴァンの話では、『寂しがり・どじっこメイド属性』であるルルゥは今までうまくドジができなかったのだという。まあでも、機械にわざと小さなミスを起こさせようと言うのだから、そう簡単にはできないだろう。
というより、ルルゥにわざわざドジをさせる理由が分からなかったが、ヴァンはそれが『萌え』だというのだから納得するしかない。ルルゥはドジじゃなくても、二足歩行の猫だというだけでかわいいとあたしは思ったのだけど、またポウが突き刺さるような視線を送ってきたのでその事は口に出さなかった。
ポウはルルゥのドジの後かたづけが終わると、素早くお茶の準備を始めた。ルルゥはどじっこでも、ポウは優秀な執事らしい。二足歩行のセンザンコウは、猫よりも細かい作業が難しそうな手を器用に使って、美味しいお茶を入れてくれた。
「カナンに、これを見てほしくって」
ヴァンは頬を紅潮させながら、あたしにB4の茶封筒を差し出した。ずっしりと重い茶封筒。開けてみると、中には漫画の原稿が入っていた。
「……『家庭恐師、笑止千万。』? って、これレイン?」
ホラー漫画風のグロテスクな絵柄だったけれど、表紙に描かれている主人公は確かにレインだった。彼の後ろには包丁を持った黒猫のルルゥと、長い舌をしならせるポウが描かれている。ヴァンはどこにいるのだろうと思って探してみると、黒髪の青年が左下でうずくまって口から煙のようなものを吐き出していた。
「僕が描いたんだよ」
「へえ……」
一体どんな内容なのか、表紙を見ただけで想像はついたんだけど、あたしはそれを読んでみた。
ヴァンの漫画……やはり中身はスプラッターだった。
主人公の腹グロ家庭教師の吐く黒い煙を浴びると、皆いいなりになってしまうと言う設定で、世界征服を狙ってどんどん仲間を増やしては虐殺していくという……なんとも訳の変わらない内容。流血シーンが多い割にストーリーは結構コメディーで、あたしはそのシュールさについつい笑ってしまった。
「どうだった? 面白い?」
不安そうな顔で尋ねるヴァン。あたしは苦笑いすると、「面白かった」と言った。
するとヴァンは突然あたしに抱きついた。
「わあーい。ありがとう、カナン!」
ぎゅっとあたしを抱きしめるヴァン。突然のことに、あたしはビックリして身動きができなくなってしまった。彼の大きな体にあたしの身体はすっぽりと収まっていて、顔が押しつけられているヴァン胸からは彼の心臓の音がはっきりと聞こえる。
ドキンドキンという心臓の音。その音より早く、自分の心臓が脈打っているのを感じて、あたしは動揺した。
(な、何……勘違いしちゃだめ、カナン。この王子はお子さまなんだから)
久しぶりに感じる男のぬくもりと、ヴァンのつけているコロンの香りに頭がくらくらする。6つも年下のヴァンにときめくなんてあり得ない。なのに、あたしの体温は確かに上昇し始めていた。
「ねぇ、カナン」
ヴァンが何か言いかけたちょうどその時だった。
ゴホンと誰かが咳払いをしてあたしは我に返った。ヴァンもあたしから体を離し、咳払いをした人物を見た。
「お取り込み中、すみません」
そこには、静かに微笑むイカスミ……レインがいた。
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