5:楽しい食事と辛い試練
そこは食堂らしかった。部屋の中央には30人近く座れる長テーブルが一つあって、その上には美味しそうなごちそうがずらりと並んでいた。
ハンバーグにスパゲティ、フライドチキンにオムレツ。鍋のままどんと置いてあるのはカレーだ。そしてその隣にはカラフルなサラダが。果物やケーキまである。
なぜかメニューがファミレスで食べられそうなものばかりなのは気になったけど、お腹がすいていたので細かいことは考えないことにした。あたしはヴァンに促されるまま席につくと、彼が皿に料理を盛りつけてくれるのをわくわくしながら見ていた。
ヴァンはとても楽しそうに、鼻歌を歌いながら料理を盛りつけていた。その曲、なんとなく聞いたことがあると思ったら、昔好きだった『キテレツ大百科』のコロッケの歌だった。
懐かしい。たしかあれは、あたしが小学生の頃にやっていたアニメだ。
「はい。どうぞ」
ヴァンはそういうとあたしの前に皿を置いた。あたしは「ありがとう」と彼にお礼を言い、テーブルに置いてあった箸を手に取った。フォークとナイフだけでなく、箸まで用意してあるなんてありがたい。実はものすごいご馳走が出てきても、マナーが分からないからちゃんと食べられるか不安だったのだ。
やっとごはんにありつける。あたしは意気揚々と箸を構え、「いただきます」と言った。そして、あたしが料理を食べようとしたまさにその時、
「まって」
ヴァンにそれを止められてしまった。
彼はあたしの右隣りに腰掛けると、まず固まった状態のあたしから箸を奪い取った。そして、ちょうどあたしが食べようとしていたハンバーグを器用に箸でつまむと、
「はい。あーん」
と言って、にこにこしながらあたしの口の前に、そのハンバーグを突きつけた。
「え……」
……それってつまり、彼の手から食べろと言うこと?
えええええ!?
あたしは動揺してしまった。お腹はすいている。だから今すぐにでも食べたい。けれど正直、ヴァンに食べさせて貰うのは恥ずかしい。そんなどこぞのバカップルみたいなことをするなんて、あたしには考えられなかった。
するとヴァンはあたしの様子が可笑しいのを、違うものが食べたいのだと思ったらしい。ハンバーグを皿に戻すと、今度はスプーンでオムレツをすくってまた「あーん」と言った。どうやら彼の頭には、「カナンは一人で食べたい」という考えは浮かばないようだ。
あたしはため息をひとつつくと、
「あたし、自分で食べられるから」
と言って、彼の手を押しのけた。
するとヴァンは突然悲しそうな顔になった。彼は俯くと手に持ったスプーンをじっと見つめ、「どうして?」と切なげに呟いた。その声が今にも泣き出しそうな震えた声で、あたしはぎょっとして彼をのぞき見た。
すると彼はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳であたしを見つめた。
「う……」
彼のその切なげな表情に、二十四歳の乙女心が揺さぶられた。きらきらと輝くヴァンの瞳が、あたしの目には一瞬金塊の山にも見えた。
これも仕事、王子の『お友達』ならばこれくらいできなければ。
早く食べないとお料理が冷めちゃうし。
こんな風に美少年がお願いしてるんだから、叶えてやんなきゃ女がすたる!
……様々な考えが、あたしの頭の中を超特急で駆け抜けた。あたしがこうして悩んでいる間にも、ヴァンはうるうる光線をあたしに送ってくる。ものすごいプレッシャーだ。あたしがもう一度断ったら彼は本当に泣いてしまうんじゃないだろうか?
男が十八歳にもなって人前で泣くなどみっともないけど、ヴァンほどの美少年なら泣き顔も綺麗だから許せるか……いや! 駄目! 泣かせちゃ駄目だって!
あたしは不謹慎な考えを振り払うように、首を振った。
泣かせちゃったら流石にまずいだろう。もしヴァンを泣かせたら、確実にレインに怒られる。それにあの男は性格ねじ曲がってそうだから、少しでも弱みを見せたらそこをネチネチとつついてくるに違いない。
あたしは意を決すると、「わかった」と言って口を大きく開けた。ちょっと恥ずかしいけれど、給仕係の人たちは自分たちの仕事に忙しいようでこちらをあまり気にしていないし、これも仕事のひとつだとあたしは自分に言い聞かせた。
あたしがOKした途端、ヴァンの顔はぱあっと明るくなった。彼はまた鼻歌を歌いながら――今度の曲はミスター味っ子だった。懐かしい歌ばかり出てくるな――あたしの口の前にスプーンを差し出した。
あたしはヴァンの手からオムレツを食べると、彼に微笑み返した。
(甘い。砂糖入りすぎじゃない?)
そのオムレツはとても甘かった。ケチャップもかかっているんだけど、そのケチャップ自体も甘くお菓子みたいだ。
すると、ヴァンはあたしが料理を食べたのがとても嬉しかったのか、次々に料理をすくってはあたしの口に運んだ。まるで雛に餌をやる親鳥状態だ。いい大人が料理を食べさせて貰うなんていかがなものだろう? と思いながらも、あたしはヴァンに従っていた。
一度いいと言ってしまった手前、もう駄目だとは言いにくくなってしまったのだった。
*
皿に盛った料理が少なくなり、あたしのお腹もいっぱいになった頃。ふと誰かに見られているような感じがして辺りを見ると、入り口の方からくすくすと聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
「王子、楽しそうですね」
その平淡な日本語。いつからいたのか、詐欺師もとい家庭教師のレインが扉の前に立っていた。彼は笑いながらこちらに近づいてくると、あたしの左隣りに座った。そこはちょうどヴァンが座っているのとは反対側。だから、あたしは二人に挟まれる形になった。
「友達と食事するのは楽しいな。レインが言った通り、食べるのには時間がかかるけど」
とヴァンはレインに向かって楽しそうに言った。
それを聞いたあたしは、『レインが言ったとおり』という言葉が気になった。この家庭教師は一体ヴァンに何を教えたんだろうか? どうにも、何か誤った知識を教えていそうな気がする。
あたしがレインを睨み付けると、彼は意味ありげに微笑み王子の方を向いた。
「王子は、食べさせてもらったんですか?」
レインがそういうと、ヴァンは思い出したように「ああ!」と叫んだ。そしてあたしに向き直ると、再びキラキラした瞳であたしを見つめた。ヴァンのおねだり攻撃だ!
あたしは見ないように目を背けようとした。けれど、ヴァンの反対側にはあの根性悪のレインがいた。彼の笑い声が、ヴァンのキラキラ攻撃と格闘しているあたしの耳に入ってきた。きっとレインはこの状況を楽しんでいるに違いない。
彼に逃げるところを見られたくなかったあたしは、結局ヴァンから目をそらすことができなかった。するとヴァンはあたしに「食べさせて」と言うと、口を大きく開けた。
「ほら、王子が食べさせて欲しいみたいですよ? ガメちゃん」
レインはにやにやと意地悪そうに笑っていた。この男、なんだか妙にむかつくヤツだ。あたしのことを『ガメちゃん』と呼ぶのも、おそらくはいやみだろう。
あたしはレインを一睨みすると、スプーンを手にとってカレーをひとさじすくった。そして、あたしに食べさせて貰うのを今か今かと待ちわびているヴァンの口の前にそっと差しだした。
するとヴァンはパクリとスプーンを口に入れ、次の瞬間「おいしい!」と言ってとろけるように微笑んだ。
(う、うわあ〜!)
なんて可愛らしい笑顔だろう。つられてあたしも微笑んでしまった。食べさせて貰うのは恥ずかしいけれど、こんな素直な反応をするなら食べさせてあげてもいいな。あたしがそんなことを考えていると、
「じゃあ、私にも一口くれないか?」
とレインが言った。
あたしはその瞬間「嫌です!」と叫びそうになった。
誰がお前みたいなヤツに食べさせてやるか。手があるんだから自分で食べろ! ……そう言えたらどんなに良いか。残念ながらそんなことは言えない。だって一応レインはあたしの上司なのだ。
それに、ヴァンがにこにこしながら「レインにも食べさせてやって」と言うので、あたしは何も言えなかった。ヴァンの『お願い』は、大抵の女性を頷かせる魔力を持っている。この美少年に頼まれたら、本当に意志の強い人間でもない限り断ることはできないだろう。
「はい、口を開けてください!」
あたしがぶっきらぼうにスプーンを差し出すと、レインは首を横に傾けてあたしの目をのぞき込んだ。レインの蠱惑的な灰色の瞳。それがあたしを貫くように見つめていて、あたしは一瞬怯んでしまった。
レインって、本当に……無駄にかっこいいヤツだ。なんだか妙に色っぽい目をするから、あたしはちょっぴり手が震えてしまった。
すると、レインはフフンと軽く鼻をならすと徐に口を開けた。その態度、まるであたしの心を見透かしているようで、妙に腹が立つ。このレインという男はヴァンのような可愛らしさが欠片もない。きっと腹の中は真っ黒に違いない。そう、イカのように墨で真っ黒なのだ。
嗚呼、最悪のイカスミ男!
「はい、どうぞ」
あたしは乱暴にレインの口にスプーンを突っ込んでやった。ヴァンに食べさせてやったのとは全く違う、投げやりな態度。
だってヴァンに食べさせるのは仕事だけど、レインのはそうじゃない。あたしはヴァンの『お友達』なわけだし、ヴァンは可愛らしいからいい。でもレインに食べさせるのはサービスみたいなものだ。自分がサービスされるのはいいけれど、反対は嫌い。
特に『サービス残業』という名の給料カットは一番許せない。金を貰うために働いてるのに、なんでサービスしなければならないんだ!? あたしはそういう所、納得いかない日本人なのだ。
……って、思考が逸れた。
ふと我に返ってレインの様子を伺うと、あたしがスプーンを奥の方まで入りすぎたせいでむせてしまったようだった。彼はゲホゲホと苦しそうに咳をすると、ナプキンに食べたものを吐き出してしまった。
「はははは、レイン、何やってんの?」
レインの無様な姿を見て、ヴァンが笑った。あたしもつられて吹き出してしまった。
狙ってやったわけじゃないんだけど、ついつい心の中でイカスミのやつめいい気味だとか思ってしまう。すると、
「ガメ……わざとか?」
レインはあたしをぎっと睨み付けた。そしてゼーゼーと息をしながら、グラスに水を注いで一気に飲んだ。
おお怖い。レインの眉間には皺が寄っていた。どうやら怒らせてしまったなと思いながら、あたしは「違いますよ」と笑いながら言った。
するとレインはあたしに向かってにやりと不敵な笑みを浮かべると、手を叩いて給仕係を呼んだ。そしてテーブルの上から水差しをとグラスを全て片づけさせると、何やら調味料を持ってこさせた。
銀色の缶に入った赤いパウダー状の香辛料。レインはそれを皿の上に残っていた料理にたっぷりと振りかけると、あたしに向かって言った。
「今度は、私が食べさせてやる」
レインはスプーンで料理をすくうと、あたしの頭をがっちりと掴んだ。あたしがびっくりして彼を見ると、彼はとても楽しそうに笑っていた。本当に不気味なくらい、楽しそうに。
「ほら、あーん。口を開けて、ガメちゃん」
口の先に突きつけられたそれは、さっき彼が振りかけた調味料で真っ赤に染まっていた。この赤い色に臭い。考えなくてもそれが何かあたしには分かった。
あたしは口をしっかり閉じると思いっきり首を横に振った。そしてスプーンから逃れるように顔を反らした。
そんなもの食べたらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。それにあたしは、そういう若手芸人がやるようなことはしたくない……
するとレインは嫌がるあたしにゆっくり顔を近づけると、耳もとに口を寄せた。そして何をするのかとびくびくしているあたしの耳に、彼はあろうことか……
噛みつきやがった!
(!!)
予想外の攻撃にビックリして、あたしはつい気を抜いてしまった。しっかりと食いしばっていた口を開いて「ひゃ」と声を上げてしまったのだ。
すると、レインはその一瞬の隙をついてあたしの顎を掴むと、むりやり口をこじ開けた。そして、嫌がるあたしの口にさっきの赤い物体を強引に突っ込むと、あたしがそれを吐き出さないように両手でしっかり口を閉じて飲み込ませた。
「ん〜〜〜〜〜〜!!」
次の瞬間、口いっぱいにその味が広がった。あたしは勢いよく立ち上がると、水を求めて給仕係のいる方へと走った。
(辛い! 辛くて辛くて、口の中が燃えるように熱い!)
さっきレインが振りかけた調味料は唐辛子だった。あたしはレインに唐辛子の塊を口の中に詰め込まれたのだ。
だけどさっきの復讐なのだとしても、こんなの大人げない。それに水を片づけさせるなんて、本当に根性がひん曲がっていなきゃ出てこない発想だ。
「水下さい〜!」
あたしは給仕係から水をもらうと、水差しにあるだけの水を飲んだ。
けれど、それでも喉の奥のひりひりは治まらない。あたしは辛いものには牛乳を飲むと良いというのを思い出して、給仕係から牛乳をもらって飲んだ。
(イカスミめ……)
そうしてようやく口の中を落ち着けると、あたしはこんなことをした張本人の所へ行って、思いっきり彼を睨んだ。すると、
「王子、友達というのはこうやって遊ぶのですよ」
とレインは、ヴァンにとんでもない嘘を教えていた。
|