13:赤い変態のシャア
あたしは再び拘束されてしまった。がっちりと椅子に縛り付けられ、もうさっきみたいに逃げ出すことはできない。
絶体絶命の大ピンチ! だと思う。
だってこの縄の縛り方! 今度はクリスじゃなくて吸血鬼・シャアがあたしを縛ったんだけど……どこから持ってきたのかなぁ? この赤いひも。
それにこれってテレビか何かで見た事があるんだけど、たぶん……SMの縛り方だよね?
「縛りの基本は亀甲縛りだと教えただろう? ちょうちょ結びにするヤツがあるか! 愚か者!」
シャアはクリスの頭を小突いた。
「ごめんなさ〜い」
頬を赤らめるクリス。怒られているのになぜか嬉しそうだ。
「いつも縛られてるくせに、馬鹿だから学習しないんだ」
ふんと鼻で笑って言うティーン。クリスがシャアにかまって貰っているのが気にくわないらしい。
さっき『クリスがいつも縛られてる』とか気になる発言があったけど、そんなこと考えている余裕はあたしにはない。流石のあたしでもこんな状態で余裕持てるほど、神経図太くできてないんだ。
あ〜あ。だけどどうしてこうなってしまったのか、そしてなんでよりによってこんな変態に目を付けられてしまったのか? 分からない。こうなったらもう、あたしは自分の不運を呪うしかない。
大体このシャアとか言う変態……年はレインと同じくらいかな? 少年二人よりは頭良さそうに見えたのに、あたしがスパイじゃないって言ったら、
「そんなのは関係ない。これは俺様の趣味だ」
……って堂々と言うんだもの! 呆れて何も言い返せなかったわよ!
それに何? 今時『俺様』なんて流行らないわよ!
ああ、でも。翻訳機通しているからそう聞こえるのかもしれないけど。ヴァンの言葉も変な昔言葉に聞こえたもんね。
(ヴァン……)
ヴァン、本当にどこに行っちゃったんだろう? それにあたし、どうしたらいいのかな? 誰かに助けを求めるにしたって……
(あ!!)
あたしはあるものを思い出した。
レインから渡された腕輪があるじゃないか。非常用の通信機が! これを使えばレインが駆けつけて助けてくれるはず! いなくなったヴァンも見つけられるし万事解決。
どうしてもっと早く思いつかなかったんだろう? そうすればこんなトラブルに巻き込まれることもなく……
とそこまで考えて、あたしは腕が固定されていることに気が付いた。どうやっても、この状態で通信機を使うことは不可能だった。
それに……
(あのイカスミがあたしを助けてくれるはずがないじゃない)
ヴァンの危機ならまだしも、ただの『王子のお友達』であるあたしを助けてくれるとは考えられない。それにヴァンとこっそり城を抜け出したことがばれたら、ものすごく怒りそうだ。
あたしが大きなため息をつくと、シャアがあたしの顎をつかんだ。
「さっきから百面相をして余裕だな。お前、自分が置かれた状況が分かっているのか?」
あたしの顔を上に向かせ、意地悪そうな笑みを浮かべるシャア。蛇のような目がきらりと光る。どこか神秘的なその瞳に見つめられ、あたしは石みたいに固まってしまった。
こ、怖い。
何が怖いって目の前の変態は、あたしが困ってるのがとても楽しそうなのだ。ど……ドSだよこの吸血鬼!
「所でシャアさま、そろそろオークションが」
ティーンがおずおずと言った。
オークションと聞いた途端俯くクリス。シャアはあたしから手を離し、二人の方に振り返った。あたしに背を向けるシャア。さっきまでの緊張が解けて、あたしはほっとため息をついた。
「品物が無ければ出られんだろう? たしかにここへ来たのはオークションのためだが」
シャアが振り返り笑う。
「もっと面白い物を見つけた」
白い歯を見せて笑うシャア。彼の犬歯が本物の吸血鬼みたいに尖っていて、あたしはぞっとした。
(どうしよう……)
この危機的状況をどうやったら抜け出すことができるか。あたしは頭をフル回転させた。自分を守るのは自分しかいない。力の面では女はどうやったって男に負ける。だから頭を使わなければ。あたしにできること……
あたしは大きく息を吸うとシャアに向かって言った。
「こ、交渉しない?」
声が震える。
怖い。だけど目を背けず、挑むようにシャアを見る。弱いところを見せればつけ込まれる。あたしは虚勢を張った。
するとシャアは口の端を軽く上げて微笑んだ。
「そういえば、お前の名前を聞いていなかったが……名はなんと言う?」
名前なんて聞いてどうするんだか。そう言い返してやりたかったけど、あたしは素直に答えた。
「カナン……満嶋夏南」
今相手を怒らせるわけにはいかない。
「カナンか。それで、交渉とは?」
シャアは目を細め愉快そうに笑った。
こっちはいっぱいいっぱいだというのに、目の前の男は余裕たっぷりだ。交渉を持ちかけるにはこちらが断然不利。けど何もしないよりはましだ。
あたしはさっきからドキドキとうるさい心臓をなだめると、一息に言った。
「あたしを自由にしてくれるなら、お礼をする」
「礼とは?」
シャアの右眉がぴくりと上がった。
「お金をあげる。あなたが、望む額……」
ヴァンの『お友達』をする謝礼として30億お金が入ることになっている。そのお金を使う。それしかない。
目の前の変態だってお金が欲しいはずだ。だって、カードをオークションに出すためにここへ来たと言ってたもの。シャアがヴァンみたいにお金に無頓着なアニメオタクなら、カードを売ったりしないはずだ。
シャアは黙ってあたしを見つめていた。
「……交渉とは双方に平等の利益がなくてはならない。お前の要求はこちらの望みと合致しない」
シャアは交渉に乗って来なかった。あたしは唇を噛んだ。
「さっきも言ったけど、あたしはスパイじゃないただの日本人よ? そんなのをどうこうするより、あたしを自由にしてお金を手にした方がお得だと思うけど?」
ほんのちょっと言い方がきつくなった。もしかしたら心の中の焦りが出てしまったのかもしれない。
すると突然シャアはあたしの髪の毛を乱暴に掴んだ。そして、びっくりしているあたしの耳に唇を近づけ囁いた。
「ただの日本人か……はたしてそうかな? 王子の『お友達』が」
「!?」
あたしは驚いてシャアを見た。
正体がばれている。それは予想しなかった!
あたしがビックリしているのを見ると、シャアはケラケラと楽しそうに笑って、髪の毛を引っ張った。
「俺様が一番憎んでいるこの国に報復するチャンスだ。そう簡単に逃がすわけにはいかない」
彼の目に憎しみの炎が揺らめいているのを見て、あたしは鳥肌が立った。
*
状況が悪化している。
手に変な汗が滲んできた。怖いとか嫌だとか言うのを通り越して、あたしの頭の中も体の中もどうにかなっている。
シャアがクリスとティーンを部屋から出て行かせたから、今あたしはこのドS男とふたりっきりだ。それも、さっきと同じ……ひもで縛られたまま。
(まじで、やばい……)
あたしは身の危険を感じていた。頭が痛い。頭の奥の方でサイレンがガンガン鳴っているみたいだ。うるさい。耳鳴りがする。
怖い、逃げ出したい、助けてと叫びたいけれど、そんなことを言えば目の前の変態が喜ぶだけだと分かっている。それに助けを呼んだとしても、あたしを助けてくれる人間がいないことも分かっていた。
シャアは余裕の笑みを浮かべ、あたしの様子を楽しげに見つめている。彼の手には大きなはさみがある。手芸なんかで使う裁ちばさみだ。それを何に使うつもりなのか。考えただけでも恐ろしいので、あたしは彼から目を背けると俯いた。
するとシャアは不機嫌そうな声で、
「こら、逃げるな」
というとあたしの首を乱暴に掴んだ。
「!!」
急に首を掴まれたあたしは驚いて身体を強ばらせた。
男の強い手で首を絞められ、呼吸が上手くできない。シャアはあたしが顔を歪めるのを見ると嬉しそうに微笑んだ。この変態はあたしが苦しがっているのを楽しんでいるのだ。
恐怖と苦しさから涙がこぼれ落ちる。生ぬるい液体が頬を伝うのを、あたしは遠くなりそうな意識の中で感じていた。
(……殺される!)
「まだだ」
あたしが意識を手放そうとすると、シャアは首から手を離しあたしの頬をしたたか殴りつけた。そして彼はあたしを解放すると、左手に持っていたはさみを右手に持ち変えた。
「ゲホゲホ……」
あたしは急に肺に空気が送り込まれたせいで咳き込んでしまった。
ゼーゼーと息を切らしながらシャアを睨み付けると、彼は愉快そうに目を細め、あたしの服の肩口にはさみを入れた。
「なかなかいい材質の布地だな。さすが……金がかかっている」
シャアはそういうとはさみを動かした。
ジョギリと布が切られる音が静かな部屋に響く。あたしは何が起こっているのか理解できずに、ただはさみの動きを目で追った。
服が切り刻まれている。それもシャアは、あたしを縛っているひもを切らないように切っていた。
「いいな。その怯える目。そうでなければこちらも楽しくない」
シャアはくっくと笑うと涙で濡れたあたしの頬を舐めた。あたしはそのぬるりとした気持ちの悪い感触にぞっとし、反射的に身体を跳ね上げた。
嫌だ……気持ちが悪い。
あたしが嫌悪感を露わにすると、シャアはまた愉快そうに笑った。
耳障りな笑い声。それがさっきからどくどくとうるさい心臓の音と合わさって不協和音を奏でる。
……逃げたい、逃げ出したい。
あたしが彼から逃げるように顔を背けると、強い力で頭を掴まれた。
「逃げるな。もっと傷つけたくなる」
はさみの先を首に押しつけ、そっと撫でられる。あたしは冷たい金属の感触に身震いした。
「逃げられないように、始めに足の筋を切るか」
靴を脱がされ、
「嫌! ……助けて!」
あたしは思わず掠れた声で呟いた。
その時……!
「ガメ!!」
扉を蹴破って、予想外の人物が部屋の中に飛び込んできた。
(嘘……)
彼は走ってきたのか息を切らし、呼吸が乱れていた。髪もいつもはきちんと整えられているのに、ぼさぼさに乱れていて頬も紅潮している。
感情の見えない灰色の瞳はやっぱり何を考えているのか分からなかったけど、いつもよりほんの少し血走っているように見えた。
「レイン……!」
あたしが彼の名を叫ぶと、シャアはゆっくりとあたしから手をはずし振り返った。レインと向き合うように立ち彼を睨み付ける。
「良いところだったのに……久しぶりだな、レイン・ディアン」
シャアはそういうとクックと笑った。
「シャア・ロックス……戻ってきたのか」
レインの声はいつもの口調と変わりない。けれど纏っている空気がいつもと違った。ピリピリとしてなんだか……
とても怒っているようだった。
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