第十一章 第五節 壮絶 史上最大マリアナ海空決戦
そして六月十八日、ついに第一機動艦隊はマリアナ沖に姿を現した。
サイパン島守備隊を救う為、そして日本を守る為、持てる全ての力を結集させた日本海軍最後の決戦兵力だ。
第一機動艦隊司令長官小沢治三郎中将はすぐさま索敵機を発進させた――そして午後三時、
「長官! 索敵機から無電が入りました!」
若い通信士官が、旗艦『大鳳』艦橋に飛び込んで、興奮した声で叫んだ。
「読んでくれ」
小沢は静かに、しかし威厳の感じられる声で言った。
「読みます。『敵機動部隊ヲ《サイパン島》西南洋上ニ発見ス。敵艦隊ハ空母多数ヲ含ム。速力二五ノット』」
読みながら通信士官は小沢に電文を訳したものを書いた紙を渡した。小沢はそれを受け取るとじっと見詰める。
「長官。すぐに攻撃隊発艦準備を!」
詰め寄る航空参謀。まわりの参謀達も皆同じ意見だった。だが小沢は、
「今はまだ遠すぎる。それに、今からの発艦では帰艦は夜になる。夜間着艦をこなすには、搭乗員の技量が無さ過ぎるし、そんな訓練は基地ではしていない。攻撃はいいが、みすみす殺す事はできん。まだ機会はある。明日から忙しくなるぞ。全艦の烹炊長に前祝だと言ってくれ」
「はいッ!」
通信士は嬉しそうに艦橋を出て行った。
この奇襲になるであろう攻撃を取りやめ、温情ある決断をした彼に搭乗員達の士気は大いに上がった。これが後に最悪を招くとも知らずに。
翌朝の夜明け前、第一機動艦隊から四三機の索敵機が出撃した。ミッドウェー海戦の時が七機だったのに比べ、その量は桁違いだ。あの敗北の経験は、ちゃんと生かされていたのだった。
六時半、偵察機が敵機動部隊を発見。その距離は前衛艦隊から西方七〇〇キロ地点だった。
その頃米軍も偵察機を飛ばしていたが、小沢の目論見通り日本機の長い航続距離のおかげでこちらが先に敵を発見できたのだ。
敵機動部隊発見の報に小沢の固くつむられていた瞳が見開いた。
「第三航空戦隊に命令! 攻撃隊を発進させよッ! すぐに敵機動部隊を先制攻撃するんだ!」
『了解!』
命令を発する参謀達を見詰め、大鳳はいよいよの決戦に小さな拳を握った。
「・・・必ず、勝つ」
そう信じ、大鳳は海の向こうにいる前衛部隊に属する第三航空戦隊、軽空母『瑞鳳』『千歳』『千代田』に静かに敬礼した。
そして、そこにいる彼の事を想う。
「・・・翔輝さん、がんばりましょう」
大鳳は空間から日の丸が描かれた鉢巻を発現し、軍帽の上から縛った。そこには達筆で《必勝》と書かれている。
負けられない戦い、それがこの戦いだった。
「・・・勝つ」
大鳳が静かにつぶやくと同時に第一機動艦隊司令部から第三航空戦隊へ命令無電が送られた。
――『総力ヲ以ッテ敵機動部隊ヲ攻撃セヨ』――
前衛部隊所属第三航空戦隊、空母『瑞鳳』『千歳』『千代田』の三空母の甲板には多くの艦載機が並べられていた。だが、飛行機不足の影響で攻撃隊の大半を占める爆撃機隊は爆装零戦で編成されている。攻撃機の天山はわずかしない。とてもじゃないが、敵の大艦隊に殴り込みを掛けるにはあまりにもひ弱な戦力だった。
そんな三空母の一隻、空母『瑞鳳』の甲板に並ぶ一機の零戦の前に、出撃命令が下った剣と瑞鳳、千歳、千代田の四人がいた。
飛行服を完全武装した剣は慌しく走り回る搭乗員や整備兵を一瞥して彼女達を見詰める。
「じゃあ、行って来る」
「えぇ、がんばってね」
「大空さん、必ず生きて帰って来てくださいね」
「死んだら、ただじゃおかないから」
三人の激励に、剣は「わかった」と静かに微笑みながらうなずくと、零戦に乗り込む。乗り慣れた相棒の側面をそっと撫で、エンジンを点火させる。
エンジンが点火し、プロペラが高速回転を始めて強烈な風が発生する。軍帽が飛ばされないように押さえ、瑞鳳は剣に叫ぶ。
「必ず帰って来なさいよ! あんたの居場所はここなんだから!」
「あぁッ! わかったッ! 約束だ!」
手を振ってくれる瑞鳳達に手を振り返し、剣は飛行ゴーグルを掛ける。
まわりでは同じように轟音を轟かせてプロペラを回す零戦や爆装零戦、天山が並んでいる。
そして、いよいよ出撃命令が下った。
剣は一気にスロットルを上げて甲板を滑走する。正式空母に比べれば短い甲板も、剣の実力の前では簡単に発艦速度に到達する。一瞬、甲板の上で帽子を振ってくれている三人の少女達に手を振り、剣の零戦は空へ舞い上がった。
続いて他の零戦、そして爆装零戦、天山と出撃し、上空を旋回して編隊を整えると、一路敵機動部隊目指して飛んで行った。
瑞鳳達だけでなく、まわりを囲む前衛部隊全将兵に見送られて飛び立つ六四機(零戦十四機、爆装零戦四三機、天山七機)の攻撃隊。
天空を翔けて行く攻撃隊を見て、瑞鳳は静かに敬礼し、千歳は手を組んで健闘を祈り、千代田は応援の声を上げる。そんなみんなに見送られて敵に向かう攻撃隊を、大和は心配そうに見詰める。
「大丈夫でしょうか?」
「何が?」
艦橋の窓から飛び立っていく攻撃隊に手を振っていた翔輝が不思議そうに振り返る。
「今飛び立った攻撃隊――零戦が爆装していたんです」
「何だって!?」
翔輝は慌てて飛び立つ攻撃隊を見詰める。その中の飛び立つ零戦のほとんどが下に燃料増装の他に二発の二五〇キロ爆弾を装備して飛び立っていた。
翔輝は急いで宇垣に報告する。と、
「そうだ。今回の第一次攻撃隊の主力爆撃機隊は爆装零戦だ」
「そんなッ! これでは急降下爆撃ができません! あれでは水平爆撃か緩降下爆撃しか――」
「長谷川君・・・今の日本は飛行機の消耗率が激しく生産数が少ない。特に最も消耗率の高い爆撃機は今の日本には足りないのだ。それに、元々第三航空戦隊の今回の任務は我々前衛艦隊の護衛だ。だからこそ、艦載機のほとんどが制空の為の零戦で、爆撃機も零戦で補うしかないのだ」
宇垣の言葉に、翔輝は改めて日本の現状を理解した。その間、大和は空に溶けて行く攻撃隊を心配そうに見詰め続けた。
攻撃隊は敵機動部隊に向かった。しかし途中乱れた編隊を再編成するのに旋回し、到着に十数分の遅れが出た。練度の低い搭乗員に長距離飛行は荷が重かったのだ。
だが、この十数分の後れが最悪を招いた。この時米軍はグアム島に攻撃を行っていたので甲板が大忙し。さながらミッドウェー海戦の南雲機動部隊のように甲板も艦内もめちゃくちゃだった。その為レーダーで日本の攻撃隊を探知しても制空の戦闘機隊を出すのに時間がかかった。だが、日本の攻撃隊が陣形整列に時間を費やしてしまった為に時間が足り、十分に戦闘機隊を出す時間を与えてしまった。
蒼い空を進む六四機の第一次攻撃隊。編隊の再編成が終わった攻撃隊は遅れを取り戻すかの勢いで空を翔ける。
その先頭集団を飛ぶ剣はここまでの長距離飛行で疲れ果てている他の新米搭乗員が操縦する飛行機を見詰めてため息する。
真珠湾の頃のような勇ましさは今の攻撃隊にない。
これが現実なのだ。一体こんな攻撃隊で敵に打撃を与えられるのだろうか、剣は心配で仕方がなかった。
――まさにその時、太陽を背にして敵戦闘機が殺到して来た。
「全機散開ッ!」
すぐに剣は操縦桿を倒して一気に急降下する。空中戦で上空を取られるのは死を意味する。
攻撃隊は次々に散開する。普通なら爆撃機や攻撃機には後部機銃が備え付けられており、そこで反撃の射撃を行うのだが、攻撃隊の大半は零戦である。そんな装備はもちろんない。
爆弾を積んだ零戦は得意の機動力を発揮できず、襲い掛かる味方戦闘機の五、六倍の数の敵戦闘機に次々に撃ち落とされた。
「くそぉッ!」
剣はすぐさま反転して襲い掛かるF6Fを一機撃ち落とす。だが、すぐ後方に敵機が割り込んできた。すぐに宙返りして後ろを奪い返すと、その一機を撃ち落とす。
窓の外を駆け抜けていくネイビーブルーのF6Fは逃げ回る友軍を次々に撃ち落としていく。黒煙を噴いて落下していくのはどれも日の丸を付けた味方機だ。
「このぉッ!」
剣は上空から一気に操縦桿を倒して急降下した。すさまじいGに耐えながら、爆装零戦に狙いを澄ます敵機に必殺の二〇mm機銃を撃ち出す。爆発し、黒煙を噴いて落下していく敵機を無視し、また別の一機を撃ち落とす。いくら相手の力量が良くても、こっちは数々の死線を潜り抜けてきたエース中のエース。そう簡単に後ろは取らせない。
簡単に撃ち落とされる中軽快に動いて味方を次々に撃ち落とす剣の零戦はすぐに目を付けられ、五機のF6Fが執拗に追いかけてくる。だが、零戦は確かに防御力はないに等しい。だが、それを差し引いても余りある機動力こそ、零戦の本領。弾なんて、当たらなければ怖くない。それが歴戦のエースパイロット達の戦い方だった。
空中で敵機の機銃を器用に避け、宙返りの次にまた宙返りなどアクロバット飛行を繰り返し、敵機を追っ払うと、残った攻撃隊を助ける為に空を翔ける敵機に次々に機銃を撃ち込む。
「喰らえッ!」
必殺の二〇mm機銃がF6Fの翼をもぎ取り、また一機を屠る。
すさまじい空中戦だった。
攻撃隊はなんとか敵機の猛攻撃の中必死に進み続ける。と、
『前方に敵艦隊を視認ッ!』
無線で入って来たその声に目を凝らすと、海の向こうに目的の敵機動部隊の姿が見えた。
『全軍突撃せよッ!』
隊長の声が無線から流れ、残った爆装零戦と天山が敵艦隊に襲い掛かった。だが、
ドドンッ! ドンドンッ! ドドドンッ!
迎え撃つはすさまじい対空砲火。空母はもちろん護衛の駆逐艦や巡洋艦、そして戦艦からのすさまじい対空砲火、そして敵機の壮絶な機銃の嵐に次々に味方機は撃ち落とされる。
「うわッ!?」
剣の零戦のすぐ近くで敵艦からの対空砲が爆発した。小刻みに震える零戦は、まるですさまじい敵の強さに怖がっているかのようだ。
隣を飛んでいた零戦がそのうちの一発を受けて一瞬で吹き飛んだ。剣の顔が真っ青になる。慌てて上空へ急上昇すると、敵艦に向かって突撃していた三機の爆装零戦が一瞬で吹き飛んだ。もしもう少し遅ければ、自分もあの仲間だっただろう。
すさまじい対空砲火と敵機の攻撃から生き残った爆装零戦が連続して緩降下爆撃を開始する。剣もその護衛にと急降下する。
前方を飛ぶ爆装零戦五機のうち立て続けに三機が対空砲火に撃墜された。襲い掛かる敵機は剣が蹴散らすも、対空砲火はどうしようもない。再び視線を戻した時、そこに零戦の姿はなかった。
「くそぉッ!」
剣は一度高度まで昇ると、次に護衛すべき味方機を探す。と、
ドオオオォォォンッ!
その爆音に視線を向けると、一隻の戦艦が黒煙を上げていた。どうやらやっと命中弾を出せたらしい。
だが、喜びのつかの間、敵機が一斉に剣の零戦に向かって機銃を撃ちこんで来た。慌てて機体を回転させながら急降下して避けたが、
「あぐぅッ!」
コックピットの窓を貫通した弾が肩を撃ち抜いた。同時に飛散したガラス片が頭や腕を切りつけた。
真っ赤な血が流れ出し、痛みに耐えながらも敵機の攻撃を回避する。
だが、ついに隊長機から撤退命令が下った。
剣は悔しそうに唇を噛み、母艦を目指して反転する。
敵機のしつこい追撃を振り切った時には、目の前の残存機の数に愕然とする。
生き残ったのは零戦は自分を含めて六機、爆装零戦十二機、天山五機。出撃時の三分の一しか残っていなかった。
剣は悔しそうに唇を噛んだ。操縦桿を握る手は、悔しさに小刻みに震えていた。
剣は悔しさと痛みに耐えながら、長距離飛行を続けた。
結局、第一次攻撃隊は敵機動部隊から約一〇〇キロ地点で敵戦闘機隊の迎撃に遭い、攻撃隊は壊滅した。いくら高機動の零戦と言えど二五〇キロ爆弾を装備したままでは満足な機動力も出ずに一方的にやられた。
後にこの簡単に撃墜される日本機を米軍航空隊の搭乗員は《マリアナの七面鳥撃ち》と称した。まるで飛ぶのが下手な七面鳥を撃つかのように次々に落ちたと言われた。この時の日本の搭乗員がどれだけ未熟だったかがわかる。
だが、そんな攻撃隊も敵戦闘機隊の防空網を通り抜けて敵機動部隊に到達。戦艦一隻に一発爆弾を命中。重巡洋艦に一発の至近弾を命中させた。
だが結局、攻撃隊はその総数の三分の二を失い、結果的は攻撃は失敗となってしまった。
時間は戻って第三航空戦隊から第一次攻撃隊が発進した直後、第一機動艦隊本隊の甲部隊、第一航空戦隊にも攻撃隊発進命令が出された。
「第二次攻撃隊発進! 攻撃隊は我が艦隊から発進させよ!」
小沢の命令に、『攻撃隊発艦用意!』と航空参謀達が伝声管に向かって叫び、急いで第二次攻撃隊の用意を始めた。
甲板に並ぶ日の丸を掲げた攻撃隊。それは第一次攻撃隊とは違い、零戦、彗星、天山で編成されたちゃんとした攻撃隊であった。
その中の一機の零戦の前で整備兵と最後の確認を終えた刹那。その時、
「・・・出撃ですか?」
小さな声に振り返ると、そこには《必勝》と書かれた日の丸の鉢巻をした大鳳が立っていた。その瞳は相変わらず何の感情も窺えない。
「うん。第二次攻撃隊の護衛さ」
「・・・そうですか」
大鳳はぼーっと刹那の愛機である零戦五二型を見詰める。濃い緑色の機体に描かれた赤い日の丸が、日本機の証だ。
ぼーっとしている大鳳の頭を、刹那はそっと撫でる。
「見送ってくれてありがとうな。お前の為にも、必ず敵艦隊まで攻撃隊を守り抜いてみせるさ」
「・・・」
「本当は母艦の護衛が良かったんだけど、仕方ないな」
少し残念そうな顔をする刹那の袖を、大鳳はクイッと引っ張った。視線を下げると、彼女が自分をじっと見詰めていた。
「大鳳?」
「・・・ご武運を」
その短い言葉に、刹那は嬉しそうに「あぁ」とうなずいた。
そして、いよいよ出撃の時刻が来た。
大鳳は防空指揮所に移って、今か今かと出撃の時を待つ攻撃隊を見詰める。
甲板に並ぶのは歴戦の零戦に新鋭機彗星に天山。まさに、決戦に相応しい面々だ。他の二隻の空母、『翔鶴』と『瑞鶴』の甲板も同じような状態なのだろう。
ついに発進命令が下り、甲板を次々に艦載機が翔けていく。
零戦が、彗星が、天山が。その大きな翼を力強く羽ばたかせて空へ舞い上がる。他の二隻からも次々に攻撃隊が舞い上がる。
そして、後部甲板に並んでいた刹那の零戦が疾走した。大鳳は刹那の零戦に向かって帽子を脱ぐと、見よう見まねで帽を振った。
スロットルを全開まで上げて甲板を走る零戦。ふと防空指揮所を見ると、大鳳がぎこちなく帽を振ってくれていた。それだけで、刹那は自然と笑みが浮かぶ。
そして、十分速度がつくと、一気に操縦桿を引き上げた。
タイヤが甲板から離れる感触がし、次に機体が浮く感覚が走る。
グングンと上がり、刹那の零戦は『大鳳』から離れていく。
遠くなっていく母艦に敬礼し、刹那は操縦桿を掴みながら何気なく右を見た刹那の瞳に、何かが映った。目を凝らして確認する。
「あ、あれはッ!」
刹那はそれを見て目を見開いた。
それは、水中を白い軌跡を残しながら翔ける魚雷だった。六本の魚雷は真っ直ぐ、『大鳳』に向かって走っていた。
慌てて後方を確認するが、『大鳳』は回避運動をする気配はない。まだ気づいていないのだ。
このままでは、『大鳳』は魚雷を受けてしまう。
瞳に、大鳳が見せたかわいげな笑顔が思い浮かんだ。
命に代えても守る。
そう約束した。
――刹那は決断した――
刹那は操縦桿を右に倒した。
零戦はその命令に従って機体を右に倒しながら急旋回する。そして、そのまま一気に操縦桿を倒して必殺の急降下。
高度計がすさまじい速度で〇に近づいていく。
窓の外に一瞬見えた三隻の空母。
一騎当千のごとき強さと勇ましさを持った翔鶴。
二代目の母艦で、とても優しくてかわいい、守ってあげたいような瑞鶴。
そして、三代目母艦で、いつも何を考えているかわからない無表情だが、時にとてもかわいらしい笑みを見せる大鳳。
――必ず守ってみせる。
ふと、操縦席の下に置いてある鉛筆入れに使っている妹が送ってくれたドロップ缶を見た。自然と笑みが浮かぶ。
「ごめんな小牧。兄ちゃん、約束守れなかったよ。ダメな、兄ちゃんで、ごめんね」
迫る海面。そして・・・
「みんな、元気でね――さようなら」
直後、零戦は海面に激突して大爆発を起こした。
大鳳は振っていた軍帽を落とした。
大きく見開かれた瞳は、何が起きたかわからないといった感じだ。
目の前で起きた事が信じられなかった。
今飛び立って海面に激突したのは――刹那の零戦だった。
真珠湾からの生き残りで、自らの腕をあれだけ信じろと言った彼が、墜落した。
信じられなくて、呆然と立ち尽くす。
「・・・何で・・・神風さん・・・?」 さっきまであんな笑顔を浮かべていた彼が、死んだ・・・
瞳から、涙が一滴流れた。その時、
「雷跡四本! 向かってくるッ!」
隣にいた見張り兵の悲鳴に大鳳は慌てて身を乗り出して魚雷を探す。と、刹那が激突した方向から四本の白い雷跡が向かって来た。
この瞬間、全てが繋がった。
刹那ほどの腕を持った搭乗員が、発艦に失敗するはずがない。
――つまり、彼は身を挺して自分を守ろうとして、海面に突っ込んだのだ。
全てが繋がった瞬間、大鳳はその場に崩れた。
「・・・そんな」
自分なんかの為に、本当に命を懸けてしまうなんて・・・
愕然とする大鳳がいる防空指揮所の下にある艦橋では空母『大鳳』艦長、菊池朝三大佐が回避命令を出していた。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
菊池の命令に『大鳳』は急速回頭をする。が、気づくのが遅すぎた。
迫る魚雷はとてもじゃないが全てを避け切る事はできなかった。
「総員衝撃に備ええええええぇぇぇぇぇッ!」
菊池は絶叫に近い声で伝声管に向かって叫んだ。
防空指揮所にいる大鳳は、そんな声も聞こえなかった。
ただ、目の前で起きた事が、信じられなかった。
そして・・・
ドオオオオオォォォォォンッ!
「・・・ひぐぅッ!」
大鳳の足から赤い鮮血が噴出した。すさまじい痛みに耐えられずに、大鳳はその場に倒れた。
鋭い痛みに大鳳は苦しそうに顔をゆがめて何度も身をよじらす。その姿は大鳳のような女の子がすると何倍も痛々しく見える。
大鳳は必死に立ち上がろうとするが、軸足をやられたので立ち上がれず、再び金属の床に叩き付けられた。その拍子に紐が解け、腰に挿した軍刀が床にある自分の血の池に落ちた。その自分の血で赤く染まった軍刀を杖代わりにして大鳳は再び立ち上がる。と、
「大鳳ッ!」
そこに顔を真っ青にした翔鶴が現れ、彼女の肩を持った。反対側は同じく現れた瑞鶴が肩を貸してくれ、大鳳は倒れずに済んだ。
「・・・ありがとう、ございます」」
「何を言っている! 礼など必要ない!」
「そうだよ! 私達仲間でしょ!」
大鳳は二人の仲間を嬉しそうに見詰める。そんな視線を気にせず、翔鶴は大鳳の靴と靴下を脱がせ、自分自身も上着を脱いで胸に巻いている晒を解き、それを包帯代わりにして大鳳の足に巻き付ける。
「とりあえず応急処置だ」
「・・・ありがとう、ございます」
「わかったから、とにかく今は艦橋に降りよう。おぶってやる」
翔鶴は上着を着直して大鳳の小さな身体をおぶると、瑞鶴を連れて艦橋に降りる。その時、彼女の日と味方流れた涙に、二人は言葉を失った。それは痛みの為ではないと、すぐにわかった。
「大鳳? 一体どうしたの?」
瑞鶴が心配そうに問うと、大鳳は涙をぽろぽろと流した。
「・・・瑞鶴さん、ごめんなさい・・・私、私のせいで・・・」
「え? な、何? どうしたの?」
瑞鶴が詳しく説明を求めた時だった。艦橋で被害状況を確認していた小沢と菊池の声が聞こえた。
「あの零戦は身をもって我々に魚雷の存在を知らせようとしたのだろう・・・パイロットは?」
「はい。本艦所属の戦闘機乗り、神風刹那大尉です・・・」
「え・・・」
二人の会話の中で聞こえたその聞き覚えのある名前に、瑞鶴は言葉を失った。
彼らが話しているのは先程敵潜水艦からの魚雷攻撃があった方向の海に激突した零戦の話だ。そしてそのパイロットの名は、自分もよく知っている、共に戦って来た戦友だった。
「大鳳・・・さっき・・・海に突っ込んだ零戦の搭乗員って・・・神風大尉なの?」
「何? 神風だと?」
翔鶴も驚いたような声を上げる。が、瑞鶴はそれも聞かずに大鳳に詰め寄る。信じたくない。そんな想いが胸を締め付ける。
「ねぇ、うそでしょ? 神風大尉が死んだなんて・・・ねぇ、うそって言ってよ。ねぇッ!」
瑞鶴は泣き出しそうな顔で大鳳に必死に叫ぶ。だが、返ってきたのは、あまりにも残酷な現実だった。
「・・・本当です・・・神風さんは・・・私を守ろうとして・・・海に・・・」
「そ、そんな・・・ッ!」
瑞鶴はショックのあまりその場に崩れ落ちた。
「瑞鶴・・・」
「うそ・・・そんな・・・神風大尉が・・・」
神風はまさに戦友だった。ミッドウェー海戦の後はラバウルからやって来てずっと瑞鶴飛行隊の戦闘機乗りとして幾多の戦いを共に生き残ってきた。転属で大鳳飛行隊になったけど、それ以降も親交はあった。そして今度の戦いも、一緒に戦える事を嬉しく思っていた。なのに、彼は死んでしまった。あの笑顔を、もう見る事はできないのだ。
「神風大尉・・・」
「・・・ごめんなさい、私のせいで」
「いや、貴様のせいではない。奴は己が志を真っ当したのだ。よくやったよ」
そう言う翔鶴だが、その顔は苦しげにゆがんでいた。
今までずっと妹を支え続けた彼には、返し切れないほどの数々の礼があった。だが、その礼を返す前に、また彼は仲間の為に命を失ってしまった。
あまりにも、彼らしい最後だった。
翔鶴は艦橋の隅に大鳳を座らせると、落ち込む瑞鶴の頭を撫でる。うつむく瑞鶴の瞳からはぽろぽろと涙が流れている。その一滴を、そっと指で拭き取る。
「瑞鶴、いつまでも泣いていても仕方ない。奴の事を想うなら、奴の仇を討ってやろう。それが奴へのせめてもの手向けだ」
翔鶴はそう言うと腰に挿した軍刀を引き抜く。ギラリと輝く銀色の刀身は一抹の汚れもなく、鋭利に輝いている。
「瑞鶴! 全艦魂に命令! 今より指揮不能となった大鳳の代わりに私が航空戦の指揮を執る! 貝塚に第三次攻撃隊を編成を要請しろッ!」
「う、うんッ!」
瑞鶴は涙を拭いて敬礼し、急いで自艦に戻った。
翔鶴は振り返って大鳳を見詰める。その顔は歴戦の戦士、一騎当千の強さを持つ日本最強の武人のものだった。真剣な瞳は刀のような鋭さを輝かせる。
「大鳳。貴様はここで休んでろ。必ず、敵空母を殲滅してみせる」
「・・・お願いします」
「あぁ、必ず、日本に帰ろう」
翔鶴はそう言い残して光に包まれて消えた。その勇ましい背中に、彼女ならきっとやってくれる。そんな希望が溢れた。
まだ足には痛みがある。だけど、絶望はしていない。己が艦体は日本海軍が希望を込めて作り出した最強空母。魚雷一本ごときでは絶対に沈まない、不沈空母だから。
そう思うと、心に余裕が生まれる。
ふと目を閉じると、思い出すのは今はここにはいない彼の笑み。つい、その袖を掴みたくなるが、今は手を握っても虚空を掴むだけ。
彼の笑顔が、彼の存在が、自分を支えてくれている。
「・・・翔輝さん」
言葉にするだけで、心が温まる。まるで魔法の呪文だ。
彼を想うだけで、力が湧き上がる。
すぐにでも傷を治して初陣を勝利で飾りたい。そう思った。すると突然大鳳は咳き込んだ。
「・・・翔輝さん・・・ゲホッ! ゴホッ!」
すさまじい咳に大鳳は戸惑う。今までこんな咳は出た事がない。しかも身体が熱っぽい。これも被雷の影響だろうか。
大鳳はまた激しく咳き込む。そんな彼女の近くでは菊池が被害状況を確認していた。
「左舷前部に魚雷一本命中。破口自体は問題はありませんが、魚雷爆発の影響で前部エレベーター昇降用のワイヤーが滑車から外れて飛行甲板と上部格納庫の間で停止して昇降不能。復旧の見込みはまだ立っていません」
それは空母としては致命的であった。これでは飛行機を収容する事も発進する事もできない。空母としての戦闘力は失われたに等しい。魚雷一本の被害に対してはあまりにも被害が大きかった。
「しかし、現在飛行甲板を使用する事だけは可能にする為の応急処置を行っています。問題はありません」
「そうか。ならいいんだが」
菊池の報告に対し、小沢は釈然としない顔をしている。
「長官? 何か心配事でも?」
「いや――だが何か嫌な予感がするんだ」
「嫌な・・・予感ですか?」
菊池が小沢にその予感について声を掛けようとした刹那、
「大変です!」
伝令らしき兵が艦橋に飛び込んで来た。その表情は真っ青で何かとんでもない事が起きた事を物語っていた。
「どうしたんだ?」
菊池の質問に対し、兵は悲鳴に近い絶叫で叫んだ。
「先程の被雷でガソリンタンクが損傷し、艦内部に漏れたガソリンが気化して艦内に充満しています!」
「な、何だって!?」
「それかッ!」
驚く菊池に対し小沢は自分の不安の原因を確証した。だがそれは、あまりにも最悪な事態であった。
「菊池君! これはまずいぞ! この艦は徹底した防御対策で他艦に比べて極端に窓の数が少ないんだ! これでは気化ガスの出口が少なすぎる!」
小沢の指摘にようやく理解した菊池の顔も真っ青になる。急いで菊池は伝声管に向かって悲鳴に近い声で叫ぶ。
「艦内の全窓を開けろ! 及び火気厳禁命令を発令! 急げぇッ!」
「菊池君。エレベーターを下げて空気を入れ替えてはどうだ?」
「ダメです! 前部エレベーターは先程の被雷の影響で滑車が外れて現在昇降不能です!」
「なら後部エレベーターだけでも下げてみろ。少しでも艦内に溜まっているガスを外に出すんだ」
「わ、わかりました!」
菊池は急いで後部エレベーターの下降を命令した。そんなドタバタ騒ぎを見て、大鳳はようやく自分の身体の異変を理解した。
艦内のガスの影響で自分の体が熱っぽく、咳が止まらないのだと。
「・・・ケホッ! コホッ! は、早く気化ガスをなくさないと・・ゲホッ!」
大鳳は苦しそうに咳き込み続ける。
空母『大鳳』の短き命のカウントダウンが・・・始まってしまった瞬間だった。
一方、翔輝達の前衛部隊にも動きがあった。
『敵機来襲ッ!』
突然の空襲警報に大和に緊張が走る。
前衛部隊の上空を飛行機群が編隊を組んで通過していたのだ。
「戦闘開始! 対空戦闘!」
森下の号令一下、『大和』の高角砲と機銃が一斉に火を噴く。他艦もすでに対空砲火を開始していた。
猛烈な対空砲火の中、敵機は編隊をバラバラにして回避する。だがその甲斐なく数機が火を噴いて墜落した。その時、
『誤認ですッ! 攻撃を止めてください! あれは味方機です!』
見張り兵の言葉に艦橋は凍りつく。慌てて森下が防空指揮所に上がって確認すると、それはまさしく日の丸を掲げた日本機だった。
「対空砲撃ち方止めッ! 他艦にも知らせろ!」
森下の悲鳴に近い声が艦橋に伝声管を伝わって響き、慌てて参謀達は信号員に連絡して発光信号を打った。
程なくして対空砲火は中止されたが、各艦の将兵は真っ青な顔で上空を通過する味方の攻撃隊を見詰める。
攻撃隊は被弾して作戦続行不能になった飛行機を切り離し、艦隊上空で陣形を再編成する。それはまるで同士討ちをした艦隊への見せしめのように見えた。
攻撃隊は陣形を整えると再び進撃を開始した。そんな攻撃隊に艦隊将兵は帽を振って見送る。その表情は罪悪感一色だった。
「まさか同士討ちしてしまうなんて・・・」
翔輝の顔は真っ青だ。そんな翔輝を心配そうに大和は見詰める。そんな大和自身の表情も暗い。それはそうだ。味方を撃ってしまったのだから。
「まあ、こういう事もあるさ。何せ海に浮かぶ流木ですら敵潜水艦の潜望鏡と見間違えるほど、今の兵達の練度は不足しているのだ。これも運が悪かったと言うしかあるまい」
宇垣の言葉に、翔輝は苦い顔をしたままだった。
艦隊は再び陣形を変更し、対潜水艦陣形に変形した。
攻撃隊は同士討ちで多少数が減ったが問題はなかった。
総数一二八機(零戦四八機、彗星五三機、天山二九機)の第二次攻撃隊は気を取り直して敵機動部隊に向かったが、米軍はこの攻撃隊をすでにレーダーで捕捉。制空戦闘機を向かわせていた。その為攻撃隊は敵機動部隊から約七〇キロ離れた地点で敵戦闘機に襲われ、次々に撃ち落とされた。だが、敵戦闘機の防空網を突破して、残った攻撃隊が敵機動部隊に襲い掛かった。
すさまじい空中戦の下を走る空母『エンタープライズ』にも対空戦闘警報が鳴り響く。
「クソッ! ジャップめッ! 一体どこから沸いて出てきやがんだ!」
エンタープライズは悔しそうに歯を食いしばる。
先程の空襲で味方2隻に被害が出た上の再空襲。なのにこちらはまだ敵機動部隊がどこにいるのか発見できずにいる。これほど彼女にとって屈辱的なものはないだろう。
「対空戦闘始めッ!」
艦長が叫び、『エンタープライズ』の艦体中から猛烈な対空砲火が開始される。横を見ると隣を走る旗艦『レキシントン』も対空砲火を開始していた。
敵機は編隊のほとんどを撃ち落とされながらも米軍の最先端の防空網に突撃して来た。結果は言うまでもなく次々に撃墜される。その様子を見てエンタープライズは余裕の笑みを浮かべる。
だが、日本人という戦闘民族で形成された日本軍は《死》というものを恐れない狂った民族の集団だった。
敵機1機が燃えながらも爆弾を落とし、それは空母『バンカーヒル』のすぐ横で炸裂。高々と水柱を上げて至近弾となった。
さらに、エンタープライズは我が目を疑った。1機の零戦が機体を炎で包みながら突進。なんと戦艦『サウスダコタ』に体当たりしたのだ。小さな爆発が起こり、『サウスダコタ』では火災が起きた。
「なぁッ!? 零戦が『サウスダコタ』に突っ込みやがった!」
エンタープライズは驚いたが、すぐに歯ぎしりをして地団駄する。悔しそうに敵機が来た方向を睨み付ける。
「クソッ! 必ず貴様らを見つけて血祭りにしてやる! 黄色い猿がどもが調子に乗りやがって!」
エンタープライズは殺気をみなぎらせた瞳で空を睨み付ける。その空にはもう日本機の姿はなかったが、彼女の瞳には憎い敵機の姿が映されていた。
攻撃隊は壊滅した。戦果は戦艦、空母、重巡洋艦それぞれ一隻ずつ小破という微々たるものなのに被害はそれをはるかに上回る大損害だった。
第二次攻撃隊の計一二八機のうち全体の四分の三以上の九九機(零戦三三機、彗星四三機、天山二三機)が撃墜というもはや言葉にならない大被害。これはもはや壊滅ではなくほぼ全滅と言うべきだった。
第一次、第二次攻撃は失敗どころか大敗という結果に終わった。 |