第十章 第十三節 彼の袖を掴むと・・・
その夜、『大和』の第三会議室では大鳳の歓迎会が開かれた。皆最新鋭空母の誕生を喜んでいた。中には真珠湾再来と喜ぶ者もいたが、残念ながら現在の機動部隊はあの頃とは比べも荷ならないほど戦力も搭乗員も枯渇している。
そんなわいわいと騒ぐ艦魂達の中、主役であるはずの大鳳はポツンと一人でいた。原因は彼女のあまりの無口さにみんな声を掛けるを諦めてしまったからだ。そりゃあ武蔵以上に無口な子に話し掛けてもつまらないだろう。気持ちはわかるが、あまりにもひどい。
仕事の関係上遅れて登場した翔輝はその現状に真っ先に大和達を怒った。だが、彼女達だって最初から大鳳を見放していた訳ではない。彼が来る前に色々と話し掛けて、全て撃沈したのだ。
翔輝は大和から彼女達の奮闘を聞き、ため息した。どうやら今回の相手はかなり手強いらしい。
翔輝は仕方なく援軍も期待できぬ中、たった一人で大鳳に向かう事となった。大和や武蔵がやめた方がいいと止めたが、このままにしておくのは嫌な翔輝は、これを振り切って歩み寄る。
日本人離れした茶色い髪が異彩を放っていて、彼女を幻想的に見せる。
大鳳はぼーっと和気藹々と話す艦魂達を見詰めている。その瞳には何の感情も感じられない。
「隣、いいかな?」
翔輝が声を掛けると、大鳳は身体ごと彼の方に向けてじっと見詰めると、小さくうなずく。
「ありがとう」
翔輝はそんな彼女の横に腰掛ける。大鳳はそんな翔輝を一瞥すると、再びぼーっとどこかを見詰める。そんな彼女に翔輝は早速話し掛ける。
「どう、もうみんなとは打ち解けた?」
「・・・」
「機動部隊旗艦って大変でしょ? 他の艦隊より仕事が多いって聞くし。大丈夫? 体調が悪くなったりしてない?」
「・・・」
「みんな君に最後の希望を抱いてるんだ。大変だと思うけど、一緒にがんばろうね。僕でよければ協力するから」
「・・・」
「君の髪の毛って変わってるよね。茶色い髪かぁ。とっても似合っててかわいいよ」
「・・・」
「・・・」
今まで多くの艦魂達の心を開いてきた歴戦の英雄である翔輝でも、大鳳の心は開かない。それどころか完全無視だ。隣に座るのを許しておいて会話を全て無視するなんて残酷にもほどがある。
翔輝はすっかり戦意を削がれ、がっくりとうな垂れる。きっと大和達もこんな風になったのだろう。自分の情けなさに言葉も出ない。
翔輝はもう戻ろうと立ち上がった。今回は完敗だ。
「あ、そうだ」
戻る前に、翔輝はポケットからそれを取り出す。
「はいこれ。さっきはありがとう」
そう笑顔で大鳳に渡したのは昼間に借りた彼女のハンカチ。しっかりと洗濯してアイロンを掛けてあるところなんかは、彼の律儀さや優しさが溢れている。ちなみに洗濯はともかくアイロンは大和に発現してもらったものを使った。
そこで大鳳がやっと翔輝を見た。茶色い前髪の向こうの黒いクリッとした瞳がじっと自分を見詰めた後、手にあるハンカチを見詰める。片手で差し出したハンカチを、大鳳は彼の手ごとそっと両手で包んだ。驚く翔輝を、大鳳はじっと見詰める。刹那、大鳳の唇がわずかに柔らかな曲線を描いた。笑った・・・のだろうか?
「・・・ありがとうございます」
小さな、かわいらしい声でそう言った。それは初めて翔輝に向けられた、大鳳の言葉だった。
暖かな手に包まれて困惑する翔輝の前で、大鳳はそっと手を離してハンカチを受け取ると、まるでそれを宝物のように胸の前で両手で包み込む。その顔には小さな笑みが。
「・・・ありがとうございます」
「え? あ、うん・・・」
見とれていた翔輝はヘタな相槌だけを打って彼女から離れる。と、誰かの「あ・・・」という声を聞いて振り返った時には、もう大鳳はどこにもいなかった。
歓迎会は肝心の主役が帰ってしまったというのにそのまま宴会へと移行され、艦魂達はわいわいと飲んで食べて歌って騒いでという宴会モード全開となっていた。
大和達もその中に入って、先程の大鳳のあまりにも翔輝に対する失礼な態度(大和達からの角度では翔輝に隠れて彼女の表情は見えず、無言で受け取って消えたように見えていた)に批判が飛び交っていた。翔鶴も困ったような表情を浮かべ、瑞鶴もどうしたもんかと頭を抱えていた。
そんな中、翔輝はその輪の中にはいなかった。
彼がいたのは部屋のすぐ外の廊下。仕事だとうそを言って抜け出したのだ。そしてそんな彼の前には・・・
「あ、あの・・・私に何かご用ですか・・・?」
頬を赤くして緊張したような顔で問う雪風が立っていた。彼女は大和達士官への給仕を担当していたところを翔輝に連れ出されたのだ。
雪風はしきりに辺りをキョロキョロと見回す。だが、ここにいるのは二人だけ。二人だけの世界。
目の前にいる翔輝に、雪風は恥ずかしくて顔をうつむかせてしまう。手に持ったおぼんをギュッと掴む。
(な、何だろう突然・・・私、またなんかミスをしたんじゃ・・・)
雪風の頭の中に今までしてきた数々の失敗が次々に思い浮かぶ。
(・・・どうしてまた・・・はっ!? ま、まさか・・・大尉は私の事を・・・ッ!?)
頭の中で何か考えが変な方向に傾き始めている雪風に、翔輝は不思議に思いながらも声を掛ける。
「あ、あのさ雪風――」
「だ、ダメです! 大尉には大和司令という方が・・・ッ!」
「はぁ?」
顔を真っ赤にさせて手を顔の前で必死に振る雪風に、翔輝は困ったように頬を掻く。
「あ、あのさ雪風。折り入ってお願いがあるんだけど」
「そ、そんな・・・ッ! そこまで私の事を・・・ッ!?」
顔を真っ赤にして身体をクネクネさせる雪風。どうやら自分達の間にはすさまじい誤解が発生しているらしいが、この際は無視しよう。話が進まないし。
「僕を『大鳳』に連れてってくれないか?」
「あぁ、大和司令と恋敵になって――って、はい?」
どうやらようやく雪風が戻って来てくれたらしい。良かった。
「だから、僕を『大鳳』に連れてって話」
「『大鳳』にですか? もしかして、大鳳さんに何かご用が?」
「うん、まぁ」
「ふーん・・・」
雪風はどこか冷めた瞳で見詰める。よくわからないが今急激に彼女の自分に対する好感度が下がったらしい。
「へぇ、大尉。大和司令や伊勢さんだけでは飽き足らず大鳳さんまで・・・」
「あぁ、雪風。君のその瞳がすごく怖い」
ここから彼女の誤解を正すのに十分近く掛かった。どうやら雪風は自分がやましい気持ちで大鳳に近づこうとしていたと思っていたらしい。断じて否。彼は純粋に一人孤独な大鳳の心を開かせたいだけだった。
「そういう事でしたらご協力させていただきます」
そう優しげな笑みを雪風は浮かべる。どうやら好感度は回復したらしい。良かった。
「あ、あとこの事は大和達には内緒にしておいてくれないかな」
「別にいいですけど。なぜですか?」
「なんかあいつら僕が他の艦魂と話してると機嫌が悪くなるからさ、大鳳に不快な思いをさせたくないから」
今さらながら彼の鈍感さには脱帽するしかない。雪風はあまりにも彼らしくて、そしてそのあまりの鈍感さに嬉しくもあり悲しくもある複雑な心境だった。
「わかりました。大和司令達には機密にしておきます」
素直で優しい子な雪風に感謝し、翔輝は「じゃあ行こうか」と笑顔で言うと、雪風は「はい」と答えて満面の笑みを浮かべる。
翔輝は雪風の名前のような真っ白な手を掴む。雪風は「ふわぁッ!?」と奇声を上げて驚く。
「な、何で手を繋ぐんですか?」
「え? 移動する為に」
「べ、別に手を繋がなくてもちゃんと転送できますよ」
「うーん、そうかもしてないけど。なんかこっちの方が落ち着くし。あ、でも雪風が嫌だって言うならやめるけど」
「わ、私は別に構いませんが・・・」
雪風は頬を桜色に染めてもごもごと何事かを口の中で話す。翔輝が不思議そうに首を傾げると、「やっぱり大尉は大尉なんですね・・・」と小さくつぶやいた。
「何か言った?」
「い、いえ何でもないです。じゃあ、行きましょう」
「うん」
雪風はすっと目を閉じた。その瞬間彼女の身体はまばゆい光に包まれた。その光は翔輝も包み、そして爆発。光が消えた後には二人は消えていた・・・
足が地面を離れる感触の後すぐにまた足が着く感触。まばゆい光から目を守る為に反射的に閉じた瞳を開けると、そこは先程までの通路ではなくて甲板の上にいた。だがそこは『大和』のように機銃や高角砲などは一切なく、真っ平らな景色が広がっている。
「ここが『大鳳』です。では私はこれで」
「うん。ありがとう」
「いえ、ではがんばってください」
雪風は笑みを浮かべて敬礼すると、光に包まれて消えた。
雪風。
多くいる艦魂の中で数少ない常識人で優しい少女。翔輝はそんな彼女の笑みを思い出して微笑む。と、辺りを見回す。そこは飛行甲板であった。
ふと思い出すと、そういえば自分は空母に乗るのはこれが初めてだった。
いつもとは違う景色に翔輝は興味津々だ。
戦艦のような天高く聳える艦橋はなく、見る者全てを畏怖させる巨大な大砲もない。あるのは全てが平らな、航空機を滑走させるだけの飛行甲板。月明かりに照らされる飛行甲板には中心を真っ直ぐに貫く白線が見える。練度の低い搭乗員が離着艦しやすいようにという配慮らしい。
いつまでもこうして飛行甲板を見ていても仕方がない。翔輝はとりあえず大鳳を捜す事にした。今さらながら大鳳の部屋を教えてもらえば良かったと後悔する。まぁ、雪風に訊いても無駄だったであろうが。
翔輝はローラー作戦するしかないとため息し、星空を見上げながら歩き出す。
月光に輝く純白の天使を見た・・・
「え・・・」
空に浮かぶ月をバックに、月明かりに照らされて光り輝く純白の翼を羽ばたかせた天使がいた。いや違う。月明かりだけではなく、翼自体が純白に輝いて光の粒子を纏っている。
天使はそのまま空をゆっくりと飛翔し、艦橋の上のマストの中ほどで停止した。純白の翼をゆっくりと羽ばたかせ、天使はマストに手を伸ばしている。何かそこにあるのだろうか。
翔輝は自然とその場所へ歩みを進めていた。
翔鶴型よりも遥かに大きい煙突と一体化した艦橋の上に建つマストを見上げる。月明かりに照らされて軍艦旗が風に靡き、そのさらに上、マストのトップには小沢中将が乗艦している証である中将旗が翻っている。
そして天使は、そのマストの中ほどで手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返していた。一体何をやっているのだろうか。
その時、波の音に混ざって何か聞こえた。これは――鳥の鳴き声。
鳴き声は天使が手を伸ばした先から聞こえた。
美しい翼を持つその天使は、翔輝を釘付けにした。目が離せない。と、天使がこちらを向いた。どうやら気づかれたらしい。
「あ、その・・・」
何て声を掛ければいいかわからず、翔輝は「あの・・・」とか「その・・・」を繰り返してしまう。
天使はじっと自分を見詰めたまま、ゆっくりと彼の前に着地した。靴がコツと音を立てて地面に着く。
そこで翔輝は初めて彼女の正体がわかった。
純白に輝く翼を背中に生やし、黒い士官用の第一種軍装を身に纏い、黒い軍帽の下には日本人離れした茶色い髪が靡く。そして、さらにその下には、何の感情も込められていない瞳。
「大鳳・・・」
それは翔輝が捜そうとしていた――大鳳だった。
大鳳はじっと自分を見詰める。光り輝く翼は今までより一層強くなって光り輝くと、光の粒子となって消えた。残ったのはさっきも見た彼女のいつもの姿。
「た、大鳳・・・?」
大鳳は驚く翔輝をじっと見詰めると、ペコリを頭を垂れた。そして踵を返して歩き去ろうとする。翔輝はそんな彼女の背中を慌てて追う。
「あ、あのさ大鳳! ちょっと話しない?」
翔輝の言葉に大鳳はピタリと足を止めた。ゆっくりと振り向き、黒く澄み切った瞳をじっと向ける。
「あ、あの・・・」
沈黙したままじっと見詰める大鳳。やっぱりダメかを一瞬諦めが頭を過ぎった刹那、大鳳はコクリと小さくうなずいた。
「え? いいの?」
「・・・(コクリ)」
大鳳は再度うなずくと甲板の上をトコトコと歩き、甲板の端に腰掛ける。翔輝もその後を追って「隣、いい?」と訊き、大鳳の首肯を見て座る。そこからはすぐ下に『大和』にも装備されている二五mm三連装機銃が見え、その向こうには黒い海が見える。月明かりに波間が反射し、海は昼と違った幻想的な光景が広がる。
「きれいだね・・・」
「・・・(コクリ)」
大鳳は翔輝の言葉にうなずいた。先程の宴会ではどんなに声を掛けてもうなずきもしなかった大鳳は、今はなぜかこっちをじっと見詰めている。何の感情も込もっていない瞳が、今はなぜか子犬のように純粋な瞳に見える。
「な、何か付いてる? 僕の顔に」
「・・・(フルフル)」
「じゃあどうしてじっと見てるの?」
「・・・」
これは首を振るだけじゃ答えられないからか、無視された。ただひたすらじっと見詰めて来る。なんかこっちも見ていたら自然を見詰め合う形になってしまい、慌てて視線を海の方に向ける。頬に彼女の視線を感じる。が、それは突然消えた。
「・・・これ、ありがとうございました」
「え?」
そう礼を言って見せてくれたのは、両手に包まれた先程彼女に返したハンカチだった。
「あ、いや・・・別に大鳳の方から礼を言われる理由はないけど」
翔輝の言葉に、大鳳は小さく首を横に振る。
「・・・いいえ。こうして洗濯し、しっかりと伸ばしていただき。あなたの愛情を感じます」
そう言って自分の胸の前にハンカチを当てる。そんな言葉にそんな行為をされると、なんだかこっちが照れてしまう。
「い、いや、別にたいした事じゃないよ」
翔輝は優しく微笑んだ。彼がいつも皆に向けている、とても優しげな笑顔。
大鳳はそれを見てコクリとうなずくと、海を見詰める。どうやら会話はこれで終わりらしい。
翔輝もどうしたもんかと海を見詰めていると、またも彼女の方からを声を掛けられた。
「・・・お名前は?」
「え? あ、まだ名乗ってなかったっけ。ごめん。僕は長谷川翔輝航海大尉。戦艦『大和』の先任航海士だ」
「・・・翔輝さん」
いきなり名前の方で呼ばれた事に少なからず驚いたが、この程度では日頃トラブルメーカー達と暮らしている翔輝はそれほど驚かない。
「名前で呼ぶんだ」
「・・・ダメ、ですか?」
「いや。別に構わないよ。みんな色々な呼び方で呼んでるし」
翔輝が笑顔で答えると、大鳳は一度うなずいて再び海を見詰める。翔輝もつられて海を見詰め、会話は終わる。どうも会話が続かない。
翔輝は何か話題を振ろうとがんばる。
「大鳳って何か好きなものある?」
「・・・(フルフル)」
撃沈。
「第三艦隊だけじゃなくて第一機動艦隊の旗艦まで務めて大変でしょ?」
「・・・(フルフル)」
爆沈。
「大和達の事どう思う? みんないい子達だと思うけど」
「・・・(コクリ)」
轟沈。
翔輝の振った話題は全て首の動きだけで打ち返されてしまった。恐るべき首肯攻撃。
その後も色々と話を振ったが、ものの見事に全て撃沈された。鉄底海峡のごとく沈められた話題が空しく沈む。
翔輝は今度こそピンチだった。今の彼には大鳳と話せるきっかけが全くない。全て鉄底海峡に沈められてしまったからだ。きっとこの二人の間に揺らぐ海に潜れば、そこには無惨にも海底深くに引きずり込まれた悲しき話題達が無言で沈んでいるだろう。
翔輝がもはや戦闘不能になる直前、大鳳がじっと見詰めてきた。
「ど、どうしたの大鳳?」
「・・・その名前、嫌です」
「え?」
驚く翔輝に、大鳳はじっと見詰める。その瞳はうるみ月明かりに照らされてキラキラと光る。
「・・・私は女の子。その名前は女の子っぽくなくて嫌です」
そうかなぁと翔輝は思ってしまう。しかしよく考えれば女の子の名前に《大鳳》なんて変だ。日頃自分のまわりには《大和》《武蔵》《瑞鶴》など男らしい名前の女の子がい過ぎてすっかりその辺の感覚が鈍ってしまっている。まあ、《大鳳》という名前自体は軍艦としてはかっこいいが。
「え、《大鳳》って嫌なの?」
「・・・(コクリ)」
しかしそんな事言われても困ってしまう。今さら軍上層部に名前の変更を直訴する訳にもいかないし。そもそも一介の航海士に過ぎない翔輝がそんな事をしても無駄だし、最悪軍法会議で首が飛ぶかもしれない。
そんな事を考えていると、大鳳がこっちをじっと見詰めてきているのが見えた。その瞳には疑う心が微塵も感じられない。その純粋過ぎる瞳が、今の翔輝には辛い。
「じゃ、じゃあ僕が『大鳳』のじゃなくて、君の名前を考えてあげるよ」
視線に耐えかねて口から出た言葉に大鳳は目を少し開けて驚く。だが一番驚いているのは言った本人である翔輝自身だ。
「・・・本当、ですか?」
期待するような眼差し。そんな瞳の前で今さらノーとは言えない。翔輝はうなずく。
「うん。えっと、何がいいかな・・・」
翔輝は考える。残念ながら結婚して子供がいる訳でもペットを飼っている訳でもない。二〇年近く生きているが、今だかつて何かに名前を付けた事のない翔輝はどうすればいいか困ってしまう。それでも彼女にいい名前をプレゼントすべく、腕を組んで考え込む。
そのまま五分経過。
「・・・・・・・・・・かのん」
出て来た名前は当時の日本には浸透していないような名前だった。
「・・・かのん、ですか?」
「うん。ほら、君の名前は《大鳳》じゃない。だから文字を変えて《大砲》。そしてそれを英語に変えて《Cannon》。それをひらがなに直して《かのん》。どうだろ?」
「・・・」
大鳳からの返事はない。あまりにも単調な決め方に呆れているのだろうか。翔輝は慌てる。
「あ、いや。別に嫌ならいいんだ! それなら他の名前を考え――」
言い終わる前に、大鳳が翔輝の服の裾を掴んだ。ギュッと軽く引っ張られる感覚に、翔輝は自然と彼女を見詰めていた。そして彼女も・・・
「・・・かのん・・・素敵な名前、ありがとうございます」
「あ、いや、喜んでもらえて嬉しいよ」
大鳳ことかのんは、小さく微笑んだ。それは翔輝が見た彼女の最高の笑顔であった。
「・・・この名前、大事にします」
「いや、そんなたいしたものでもないけど」
「・・・(フルフル)」
大鳳はそのまま黙ってしまう。残念だが再び会話が止まってしまったらしい。
二人は再び何も言わずに沈黙してしまう。会話が続かなさ過ぎる。
翔輝はすでに話題は全て鉄底海峡に沈められてしまっている。つまり彼にはこの状況を打開する力は残されていない。
翔輝はこの耐え難い沈黙をどうしたら打ち破れるか頭を抱えて模索する。と、
クイ・・・
袖が引っ張られる感触に振り向くと、大鳳がじっとこちらを見詰めていた。キラキラと輝く瞳は心配してくれているのか、微かに揺れている。
「・・・痛いんですか?」
急に頭を抱えた翔輝を頭痛か何かを心配する大鳳。そんな彼女の純粋すぎるほどの優しさに、翔輝は嬉しくなる。
「ううん、何でもないよ。平気」
翔輝の答えに大鳳は小さくうなずく。だが、その手はしっかりと袖を掴んでいて放そうとしない。どうやらそれが気に入ったらしい。
せっかく彼女の方から声を掛けてくれたのに、翔輝はそれをうまく使えずに黙ってしまう。自分の無能さが情けなくて仕方ない。
翔輝が再び頭を抱えそうになった刹那、大鳳は突如無言で立ち上がった。
「か、かのん・・・?」
「・・・来てください。素敵な名前のお礼がしたいです」
「いや、別にお礼なんて――」
言い終わる前に、大鳳は翔輝の服の袖を掴んで引っ張る。そんな彼女に翔輝は立ち上がって歩き出す彼女について行く。細く小さい、雪のように白い腕はしっかりと自分の服の袖を掴んで放さない。
スタスタと歩く彼女に引っ張られてついて行くと、そこは艦橋の前だった。それはさっき彼女が飛んでいた場所。
「・・・手、貸してください」
「え? あ、うん」
翔輝はそっと手を差し出す。大鳳はその手をしっかりと握り、目を閉じる。
大鳳の身体がまばゆく光り出し、その光は背中に集約されて純白の翼となる。闇を切り裂く光の翼。その神々しさに、翔輝は言葉を失う。
美しい・・・
そんな言葉が頭を過ぎった。
「・・・浮きます」
「え?」
大鳳は大きく翼を羽ばたかせ、空へ飛んだ。手を握られている翔輝もだ。だが、不思議と吊るされているという感覚は全くない。まるで自分の背中にも翼が生えたかのように浮かぶ。これも艦魂の能力か。
「その翼も、艦魂の力?」
「・・・(コクリ)」
どうやら艦魂は自由に翼を生やせるらしい。知らなかった。これは新しい艦魂のもつ《力》の使い方だ。
「・・・これです」
大鳳は空中で停止し、何かを指差した。視線を追うと、その先に何かある。暗がりの先を目を細めて見詰めると、それは鳥の巣だった。中には雛鳥が数羽鳴いている。
「鳥の巣?」
「・・・私の、宝物です」
そう言って大鳳は人差し指を差し出し、一匹の雛の頭を撫でる。撫でられた雛鳥はピヨピヨと鳴いてまるでそれが母鳥かのように身体を摺り寄せる。かわいい。
「かわいいね」
「・・・(コクリ)」
ふと翔輝は大鳳を見た。その表情は心なしか笑っているように見える。背中に生えた純白の翼と交わり、本物の天使に見える。
その慈愛に満ちた姿に、翔輝は見とれてしまう。
大鳳は今までの艦魂と何かが違った。どう言えばいいかわからない。だけど、大和達が日の光の下で輝くのなら、大鳳はその逆。月の光の下で輝く。そんな感じ。自分と同じ、夜に生きる者。
「・・・二人だけの、秘密です」
大鳳はそう言って、翔輝を見詰める。その瞳は確認しているように見える。だから、
「わかった。秘密だ」
そう答えた。大鳳はそれに小さくうなずくと、翼を再び大きく羽ばたかせる。そしてゆっくりと降下し、着地。翼は霧散した。
大鳳は手を放すと、今度は再び袖を掴む。
「・・・送って行きます」
「え? でも・・・」
「・・・あなた一人じゃ、帰れません」
確かにそうだ。雪風と待ち合わせをしている訳でもない。失敗した。もっと先の事まで考えておくべきだった。というかそもそも脱出手段なしで突っ込むなんて無謀過ぎる。
「そ、そうだね。じゃあお願い」
「・・・(コクリ)」
大鳳は再び瞳を閉じて光り出す。まばゆい光は今度は集束する事はなく、まるで爆発のように光を広げて二人の体を包み込む。
一瞬の浮遊感の後、再び足を着くと、そこは見慣れた『大和』の甲板だった。
「ありがとう、かのん」
翔輝が礼を言うと、大鳳はペコリと頭を垂れた。お別れのあいさつなのだろう。
「・・・おやすみなさい」
「おやすみ」
大鳳は踵を返すと光に包まれて消えた。
翔輝は一人になった甲板の上で立ち尽くす。頬を撫でる海風が心地いい。
踵を返した翔輝はそのまま艦内に入る。薄暗い廊下を、翔輝は一人で歩き、暗闇の奥に消えた。
部屋に戻ると、そこには怒ったような顔をした大和といつもよりも冷たい視線を向ける武蔵、今にも泣きそうな顔をしている隼鷹がいた。
「あ、いたんだ」
「いたんだじゃないですよ! こんな遅い時間まで帰って来ないなんてッ!」
怒る大和。どうやら勝手に消えて遅くに帰って来た翔輝に怒っているらしい。言葉の端々にある心配してくれている気持ちがある分、翔輝は罪悪感を感じる。
「ごめん。ちょっと仕事があってさ」
「・・・大鳳とどんな仕事を?」
ぎょっとした目で武蔵を見る。彼女は相変わらずの無表情。だがその瞳には明らかに冷徹な怒りが込められている。かなり怖い。
「か・・・大鳳は関係ないでしょ」
危うく《かのん》と言ってしまいそうになった。それを言えば確実にバレる。
きっと彼女達は同時期に消えた翔輝と大鳳が会っていたのではないかと疑っているらしい。本当は会っていたのだが、もし正直に言えば殺されかねない緊迫感が部屋に漂っているので、翔輝は否定した。
「本当に僕は仕事で出ただけだよ。大鳳とは会ってない」
「・・・うそ」
武蔵は無表情で言う。なぜか今回はかなりしつこい。
「うそじゃないよ。何でそんなに疑うのさ」
「・・・これが全部吐いた」
そう言って武蔵がベッドの中に手を入れる。今気づいたが、ベッドは膨らみ、ゴソゴソと揺れている。そして、
ドサッ・・・
「なぁッ!?」
「・・・ッ!・・・ッ!」
ベッドから引きずり出されて現れたのは自分を『大鳳』まで送ってくれた雪風だった。縄でグルグル巻きにされ、ご丁寧に口には猿轡までされている。完全なる捕縛状態であった。
そして雪風は、えぐえぐと泣いている。一体何があったのかと思ったが、すぐにわかった。
雪風が出された事によってずれた掛け布団の隙間から、なぜか乗馬用のムチが見えた。きっと本来の使い道ではない何かに使うつもりだったのだろう。その可能性に翔輝は青ざめる。
もしもう少し遅く帰って来ていたら、きっと雪風はボロボロになっていただろう。
言葉をなくす翔輝に、武蔵は淡々と説明する。
「・・・隼鷹が翔輝と雪風の密会を目撃した。そして二人はどこかへ消えた。私達は戻って来た雪風を拉致して拷問を開始した。最初は必死になって耐えていたけど、スタンガンを出したら泣きながら全部吐いた。翔輝が大鳳に会いに行ったのも、雪風が口止めされていた事も」
大和は自分の従兵である雪風をかばうような事は何も言わない。きっと彼女も武蔵側にいたのだろう。大和は無言で雪風の口を開放する。
「す、すみません・・・」
消え入りそうな声で泣きじゃくりながら謝る雪風。いや、そこまでして黙秘を続けなくても良かったんだけど・・・
「と、とにかく雪風を解放して」
「その前に正直に言ってよ。お兄ちゃんは大鳳ちゃんに会ってたの?」
隼鷹はかわいげな瞳で見詰める。だがその瞳も今は細くすぼめられて怖い。翔輝は降伏した。
「うん。確かに会ってたよ」
翔輝が認めると、三人とも少なからずショックを受けたような顔をしたが、武蔵は約束どおり雪風を解放した。えぐえぐと泣きじゃくる雪風に謝って帰すと、今度は三人と対峙する。
「大鳳と、何をしていたんですか?」
大和がいつになく冷たい声で問う。きっと彼女の心の奥の怒りは絶対零度のように冷たい炎が燃え盛っているのだろう。
「大鳳と話がしたかっただけだよ。ほら、結局歓迎会じゃまともに話せなかったでしょ?」
それは真実である。本来の目的はこれだ。もちろんだが大鳳に名前というか愛称をつけた事は黙っていた。余計ややこしくなるに決まっている。
大和は翔輝の説明にむぅと不機嫌そうに唸るが、それ以上の追求はしなかった。不満は残るが納得できたらしい。
「だったらどうして雪風に頼んだのぉ? 私とかに言ってくれれば良かったのにぃ」
「いや、お前らの誰かに頼んだら強引について来たり後をつけたりしそうだったから。ちゃんと彼女の事を知る為に二人っきりになりたいのに、それじゃ意味ないだろ?」
翔輝の言葉に、隼鷹は不満そうに唇を尖らすが、それ以上何も言わない。きっと図星を言われて反撃できずにいるのだろう。
「・・・本当にそれだけ? 何も、なかったの?」
武蔵が探るような目で見詰める。翔輝は必死に平常心を装う。彼女の事だ。大鳳に名前を付けたなんて言ったらブチギレするに決まっている。
「何もないさ。というか一体何があるって言うの?」
二人は無言で向き合う。
耐え難い沈黙。だが先程の大鳳とのやり取りのおかげか幾分かは和らいで感じる。人間の慣れとは怖い。
深い沈黙の後、武蔵は「・・・そう」とだけつぶやき背を向けた。どうやら納得してくれたらしい。聞き分けのいい子で助かった。
「じゃあもう寝ようか」
翔輝が上着を脱ぎながら言うと、隼鷹は嬉しそうにピョンピョンと跳ね回る。大和も「はい」とうなずいている。一方武蔵は翔輝が脱いだ上着を受け取って壁に掛けると、ブラシで汚れを取る。最近これが日課になっているが、奥さんみたいだなぁと毎回思ってしまう。まぁ、難点はあるにしろ、武蔵はお嫁さんに向いている。人間だったらさぞかしいいお嫁さんになるだろう。
そんな翔輝の考えなど知らない武蔵は黙々とブラシで撫でる。実は、武蔵は翔輝の上着の汚れを取るのも目的だが、もう一つの目的は他の女の髪が付いていないかチェックする為。幸いにも大鳳の毛はなく武蔵は安堵する。次に自分の髪の毛を見つけると、名残惜しいがきれいにする為に泣く泣く除去。大和や隼鷹の髪の毛は容赦なくゴミ箱へゴー。いいお嫁さんどころか嫉妬深い恐妻に成長する兆しが全開な武蔵だった。
そんな武蔵の隠れた秘密など知らない翔輝は一日の疲れを癒す為にベッドに入る。するといつの間にか寝巻きに着替えた隼鷹が布団の中に入って来る。次に同じく寝巻きになった武蔵が入って来る。昔は上着を脱いだだけの堅苦しい寝方だったが、最近はこうして寝巻きを着るようになった。ちなみにここに至るまでの過程に下着姿で寝るという暴挙をしてこっ酷く武蔵は翔輝に怒られている。ちなみに下着はフリルが付いた白いキャミソールに同じくフリルの付いた白いパンティ。かわいさ爆発だが、翔輝は別の意味で爆発した。
そして最後に大和は隣に布団を敷いて潜る。
いまだに翔輝は大和とは寝ていない。それは武蔵や隼鷹ならまだ妹としてセーフな部分があるが、大和は完全にアウトである。そのためいつも大和は寝る時に寂しげに背中を向けてくる。それを毎回見るのは辛い。そのたびに心の中で「ごめんね」と謝る。
隼鷹と武蔵と一緒に寝て、大和は隣で寝る。いつもと同じ、いつもの夜・・・のはずだったのだが・・・
「長谷川はぁん、夜伽に参りましたぁ」
そう爆弾発言をして現れたのは天然系関西弁キャラという概念が定着しつつある伊勢。白い寝巻きを着てほんわかな笑みを浮かべて突如部屋に現れた。
「い、伊勢ぇッ!?」
「もう、長谷川はんいつも武蔵はんや隼鷹ばっかりずるいどす。今日はうちが一緒に寝るって決めたんやぁ」
「いや困るから! 帰って!」
「そんなつれない事言わんといてぇな」
伊勢は柔らかな笑みを浮かべたまま翔輝のベッドに侵入して来た。しかもわざと寝巻きを少しはだけさせて。
「うちが長谷川はんを身も心も温めてあげるんやぁ」
「むむむぅッ! わ、私だって負けないもんッ! えいッ!」
「・・・おもしろい。その勝負受けて立つ」
「み、みんなずるいよぉッ! わ、私もぉッ!」
「ば、バカぁッ! 何してるんだよ! 大和! お前まで入って来るなぁッ! っていうか抱き付くな! わざと寝巻きをはだけさせるな! 隼鷹は意味もわからずにマネするな! 伊勢は冗談じゃ済まないって! 頼むから僕に安眠をくれぇッ!」
四人の美少女に抱き付かれるという全国の男達を敵に回しそうな状況にいる翔輝。だが彼はこの状況を楽しむような男ではなく、必死に脱出しようとして空しく少女達の中に沈む。
結局、長門が騒ぎを聞きつけて来るまで、翔輝はある意味死闘を繰り広げた。ちなみに途中で雪風まで混ざって来たが、一番顔が真っ赤だったのである意味一番対処に困ってしまった。
そんな、いつもと違っても結局いつもと同じ夜。
大鳳は防空指揮所にいた。
満月の明るい光に照らされながら、大鳳はぼーっと星空を見上げる。
「・・・翔輝さん・・・かのん・・・」
その二つの単語を先程から一分間隔くらいで繰り返している。
今日あった様々な出来事を思い出し、大鳳は無表情キャラに慣れている翔輝でもわかりづらいようなわずかな笑みを浮かべる。
そして、月光煌く夜に、少女は純白の翼を羽ばたかせ、天使になった。 |