第十章 第七節 絆再び結ばれて
病状は芳しくなかった。ラッタルを転げ落ちた事で全身打撲だらけの上、頭部をラッタルで打ったらしく、頭には痛々しく包帯が巻かれている。さらに南国と言っても一晩中水に浸かってれば風邪を引くのは当然。それが例え三八度台の悪性だとしても、全て当然の事だった。
だが、今の翔輝にはどうでも良かった。
多くの艦魂に心配されている翔輝は――もう、彼女達の知っている翔輝ではなくなってしまったのだから・・・
翔輝の意識はあった。だが、何度呼びかけても返事がない。まるで心がここにないような、目の前にいるのは翔輝の姿をした人形かと思わせるほど、翔輝は反応がなかった。
生気のない瞳。武蔵の無表情よりもさらに上の無表情。心ここにあらず状態。今の翔輝はそんな状態だった。
――翔輝の心は、完全に壊れていた――
「・・・翔輝。リンゴ食べる?」
武蔵は震える声で努めて優しくそう言った。だが、翔輝からは沈黙が返って来るだけだった。
「・・・じゃ、じゃあ、みかんは?」
「・・・」
「・・・トラック産のバナナがあるけど」
「・・・」
いくら話しかけても、翔輝からは何の返事も返って来なかった。
ここは翔輝の部屋。中には翔輝はもちろん大和達主力メンバーの他駆逐艦など多くの艦魂が翔輝を心配そうに見詰めている。
武蔵は無言で長門達の方を向き、力なく首を振る。効果なしという合図だ。それを見た長門はため息する。その表情は悲しみ一色だった。
「とうとう、恐れていた事態が起きたわね」
「どういう事だ?」
金剛の問いに、長門は心配そうな瞳で翔輝を見詰める。
「長谷川君はとても心が弱い。だからこそ長谷川君は誰かの支えが必要なのよ。だから、それを失えば崩れる。そして――壊れてしまったのよ」
長門の言葉に、全員は翔輝を見詰める。
ついこの間まで太陽のような優しい笑顔を向けていた彼の姿は、もうここにはいない。あるのは、壊れた彼でしかなかった。
「ふん。情けない奴だ」
金剛は吐き捨てるように言った。その言葉にまわりの艦魂から驚きの視線が集まる。そして、長門はそんな金剛の言葉に激怒する。
「金剛! あなたッ!」
「ふん。事実だろうが。大和が自分から離れていくだけで心が折れるとは、精神がたるんでいる証拠だ」
「金剛ッ!」
長門は金剛の勢い良く胸倉を掴んだ。身長の高い金剛を、長門は下から睨み付ける。その瞳には怒りの炎が燃え上がっている。そんな長門に、金剛は口元を吊り上げる。
「ふん。事実を言われて腹が立ったか?」
「金剛ぉッ!」
長門が真っ白になるほど強く握った拳を上げる。もう金剛を許せなかった。そんなひどい事を言う彼女は許せない。だから、殴り飛ばそうと思った。だが――
「・・・死ねッ!」
突如武蔵の跳び蹴りが金剛の横腹に命中した。長門に掴まれていた金剛は身動き取れず、モロに命中。金剛は呆気なく倒れた。
「む、武蔵!? 貴様一体何を――」
金剛が言い終わる前に武蔵は彼女に強烈な踵落としを炸裂させる。腹部にその一撃を受けた金剛は一瞬苦悶に顔をゆがめる。
「や、やめろ――」
金剛が言い終わる前に再び武蔵は動き、腕を掴んで無理やり立たせるとそのまま彼女を背負い投げする。
連合艦隊最凶の金剛は、その実力を発揮する前に轟沈した。
見事に金剛に地獄の三連撃を放った武蔵は鬼神のような顔で金剛を睨んでいた。その背後からは冥界の入り口かと思わせるほどのドス黒く、濃密な妖気――殺気が吹き荒れていた。
「貴様! 一体何をする!」
起き上がった金剛も武蔵を睨む。が、今回は武蔵の方が断然怖いと満場一致だった。
武蔵はギリリと歯を軋むほど歯軋りすると、戦艦の砲撃音のごとき怒号をぶっ放す。
「・・・翔輝を愚弄する事は、絶対に許さないッ!」
そう怒りの怒声を上げると、武蔵はどこから出したのか機関銃を構えていた。さすがの金剛もこれには驚く。というか生命の危機。
「ちょ、ちょっと待て! それは冗談にならん!」
「・・・原子のレベルから葬り去ってやる!」
「総員武蔵を確保してえええええぇぇぇぇぇッ!」
長門の命令で多くの艦魂達が慌てて武蔵に襲い掛かった。さすがの武蔵も人海戦術の前では抵抗する事もできず、あっけなく確保された。
「姉貴。さすがに言い過ぎだ。俺も今の姉貴の言動は許せねぇ」
そう言ってポニーテールを炎のように揺らぎながら榛名も金剛を睨み付ける。その後方から伊勢や日向、山城や扶桑。さらには瑞鶴以下空母の艦魂や駆逐艦達も睨み付ける。そんな数の劣勢の中、金剛は居心地が悪くなったのか「ふん」と鼻息を立てて部屋から出て行った。
残された一同は再び翔輝を見詰める。こんな騒がしい喧騒の中でも、翔輝は先程から一切変わらず虚空を見詰めている。
――本当に変わってしまったのだ。
「・・・翔輝」
ようやく解放された武蔵は、再び翔輝に近づく。だが、翔輝は相変わらず虚空を見詰め、彼の視界には武蔵の姿は映っていない。
「・・・翔輝」
泣きそうな顔をしている武蔵を一瞥し、長門は先程から泣きもせず無表情で隅にいた大和に向き直る。その瞳には絶対零度の、冷徹な怒りが込められていた。
「そろそろ話してくれないかしら。一体何があったの?」
「え? わ、私は何も・・・」
「うそ言わないで。あなたが何かしなきゃ長谷川君はこんなふうにならないわよ」
「ほ、本当に何も知らないんですよ!」
大和は真剣な瞳で長門に訴える。本当に彼女は何も知らないのだ。だが、長門はそれを信じない。睨み合う両者は、榛名の行動に二人は停戦した。
「長谷川! いつまでもボーッとしてんじゃねえよ! 頼むからよ!」
榛名の表情は辛そうに歪んでいた。必死になって翔輝の胸倉を掴んで彼を揺らす榛名を、伊勢が「やめてぇな」と小さな声で制し、引き離す。
「うぅっ、長谷川・・・ッ!」
榛名の目に涙が浮かぶ。その常の彼女らしくない行動に、艦魂達は改めて現状の重大性を認めた。
「お兄ちゃん! お願いだから笑ってよ!」
隼鷹も泣きながら翔輝に抱き付く。だが、翔輝はそんな彼女達の想いも届かないほど、彼の心は破壊されていたのだ。
「航海士・・・」
「長谷川君・・・」
山城と日向も心配そうに彼を見詰めている。そんな誰もかもが悲しみに包まれている中、大和は一切変わらず無表情で事の成り行きを見ている。その瞳は彼女に合わないほど冷たいものだった。そんな大和に、武蔵は怒りの目を向ける。
「・・・何で、そんな冷たい目をしていられるの?」
武蔵は大和の目の前まで行き、冷たい視線を向けている姉を睨み付ける。
「私は別に・・・」
武蔵の怒り一色の瞳に、大和は視線を逸らす。そんな大和の行為に武蔵は許しがたい怒りを感じる。
「・・・姉さんは翔輝が心配じゃないの?」
「心配だよ。何言ってるのよ」
「・・・本当に?」
「本当だよ! どうして疑うのよ!」
「・・・姉さんなんか信じられないから」
「何ですって!?」
イラ立つ両者は互いを睨み合っている。そんな二人を仲裁しようと長門達も止めようとするが、お互いの間には主砲を向け合っている大艦隊のような緊迫感があり、下手に動けそうにない。そんな二人の沈黙を破ったのは、武蔵の方だった。
冷徹な怒りを込めた瞳で、実の姉を射抜く。
「・・・翔輝が壊れたのは、姉さんのせい」
「ど、どうしてよ!」
武蔵の言葉に大和は激怒する。だが、そんな大和を武蔵は冷たい瞳で睨み付ける。
「・・・昨日、姉さんは坂井と一緒に第三七通路にいた」
「え? 第三七? 通路の名前はよくわからないけど、確かに夜通路に坂井さんと一緒にいたけど」
「・・・そこで、姉さんはふらついて坂井に寄り掛かった」
「確かにそうだけど、何であんたが知ってるのよ」
気味が悪いといった具合に顔をゆがめる大和。そんな大和に、武蔵は冷たく言い放つ。
「・・・あの時、あなたの後方約七m地点に私と翔輝はいた」
「え?」
「・・・そして、その方向からだと、二人はキスしているように見えた」
「き、キスッ!?」
大和は顔を真っ赤にして驚く。そんな大和を武蔵は冷たい目で見詰める。
「それは本当か!?」
「大和はん!」
榛名と伊勢が狂ったように大和に詰め寄るが、大和は全力で首を横に振る。
「そんな事してませんよ! 武蔵! いい加減な事言わないでよ!」
「・・・事実。そこからは二人がキスしているように誤認してもおかしくな場所だった。でも、私はすぐに誤解だと気づいた。いくらお姉ちゃんが最低最悪な女だとしても――」
「何かどさくさに紛れてすごい悪口言ってない?」
「・・・そんなふしだらな行為を平然と行う人じゃないってわかってる」
「武蔵・・・」
「・・・でも、翔輝は違った」
「え?」
武蔵は思い出すのも辛いといった具合に首を小さく首を横に振ると、小さく口を開く。
「・・・姉さんに裏切られ、精神が限界に近かった翔輝はそれを誤解と判断するだけの余力は残っていなかった。目の前の状況を真に受け、ついに精神が崩壊した。それがこの結果」
大和は壊れてしまった翔輝を見詰める。彼がこんな状態になっても、心が麻痺しているのか、なぜかあまり感情的にならない。
武蔵は虚空を見詰める翔輝を悲しげな瞳で見詰める。
「・・・翔輝はもう、元に戻れないかもしれない。全ては姉さんのせい」
全員の視線が大和に集中する。そのどれもが彼女を責めるような視線だ。だが、一方的に攻撃されている大和は抵抗する。
「私のせいじゃない!」
「・・・なら、誰のせい?」
武蔵は冷たい視線を浴びせる。まるで道端のゴミを見るような、何の感情のこもっていない瞳だ。
「・・・翔輝はあなたのせいでこうなった。それ以外の何ものでもない」
「私は悪くないッ! 悪いのは、むしろ大尉の方よ!」
「・・・何ッ!?」
拳を真っ白に染めて武蔵は血走った目で大和を睨み付ける。その眼光は鋭利な刃物のように鋭かった。その瞳の中には殺意に近いもの輝いている。だが、そんな武蔵の視線も今の大和も負けなかった。
「私、聞いたんだからッ!」
「・・・何を?」
「先週、あなたと翔輝が防空指揮所で話していた事!」
大和は言うのも辛そうな顔で武蔵を睨む。
武蔵の記憶力は他の者より並外れていた。すぐに大和の言っている場面を思い浮かべてハッとしたような顔になる。
「私、それを偶然聞いちゃったの・・・大尉が、私を翔香さんの代わりでしかないって言ったのを・・・ッ!」
『えぇッ!?』
全員が翔輝を一瞥し、今現在状況を唯一話せる武蔵を見詰める。それに対し、武蔵はただじっと大和を見詰めている。
「信じてたのに・・・私は、大尉をずっと信じていたのに・・・なのに、大尉にとって私はただの代わりでしかなかったのよ・・・バカみたい」
いつの間にか、大和は泣いていた。
自分が今までそんなふうに彼に思われていたなんて、信じたくなかった。
嗚咽を繰り返して泣き崩れる大和を同情の視線が見詰める。同時に、翔輝に対し嫌悪感を抱く艦魂達もいた。だが、
「・・・それは違う。ただの誤解」
武蔵は冷静にそう言った。だが、《誤解》の一言で済ませられるほど状況は甘くなかった。
「何が誤解よ! あれのどこが誤解になるのよ!」
大和は武蔵の胸倉を掴んで激怒する。
信じていた者に裏切られた。これほど悲しく辛い事はない。
泣きながら大和は武蔵を睨みつける。
憎い。
この妹が憎い。
彼女は《武蔵》として見られて、彼に慕われている。なのに自分は違う。悔しくて、悔しくて仕方ない。
キッと睨みつける大和。だが、武蔵は冷静にそんな彼女を見詰める。
「・・・姉さんは最後まで聞いていない」
「え?」
武蔵の言葉に、大和は目を見開く。そんな姉に、武蔵はあの時の事を思い出しながら淡々と話す。
「・・・翔輝はその後こう言った。『最初は、本当に最初の一ヶ月くらいはそうとしか思わなかったけど、一緒にいるうちに、代わりとしての彼女でなく、たった一人の彼女の傍にいたいと思うようになってきてたんだ。だから僕は、大和を大切な人と思えるようになった』って」
「うそ・・・」
「・・・うそじゃない。翔輝は姉さんを誰よりも大切に思っていた」
武蔵の言葉に、大和は力なくその場に崩れた。
信じていた者を裏切ったのは・・・自分・・・?
「じゃ、じゃあ、全部私の誤解だったって事なの・・・?」
「・・・全部がそうじゃない。翔輝はこうも言っていた。『今でも心の隅では、彼女を翔香の代わりとしか見ていない自分がいるんだ。だけど、それは本当に一部だけの僕の気持ちであって、そうじゃない。でも、そんな気持ちで大和に接するのは、嫌だった』って。その後、『だから、大和が僕から離れていくのは――いい事かもしれない。本当は嫌だけど、こんな微妙な気持ちで彼女の傍にいたくない。だから――もう、終わりにしようと思ってる。今の彼女には坂井さんがいる。だから、もう僕は必要ない』って、辛そうに言っていた。そして最後に、翔輝は泣きながら無理に笑って『大和が僕を必要としなくなったら、僕は――潔く引き下がるつもり』って言った。翔輝はそこまで、誰よりも姉さんの事を考えていた」
「そ、そんな・・・ッ!」
大和は愕然とする。翔輝がそこまで自分の事を考えていてくれたのに、自分はそんな彼の気持ちを踏みにじって、疑い、冷たく当たり、離れた。一体自分は何をしていたのか――泣きそうになる。
「大尉は、いつも私を心配していてくれたなんて・・・そんなの・・・」
「・・・翔輝はいつでも姉さんの事を気にしていた。それを、お姉ちゃんは踏みにじった。だから、翔輝はこんな事に」
そう言って武蔵は翔輝を見る。大和もそれにつられて翔輝を見る。
翔輝は風邪の症状で苦しいのか、今は目を閉じ、脂汗を流して咳き込んでいる。そんな翔輝の傍に大和はふらふらと近づく。翔輝の傍に行くと、大和は震える手で翔輝の頬を撫でた。
苦しそうに顔をゆがめ、風邪に苦しむ翔輝。そんな彼の頭には痛々しい包帯が巻かれている。
「大尉。私は、あなたの気持ちも知らずに・・・」
泣きながら言う大和に、武蔵は冷たく、言い放つ。
「・・・何もかも、みんなもう手遅れ」
「いやあああああぁぁぁぁぁッ!」
少女の絶叫は、愛する人の心には届かなかった。
その夜、翔輝の看病の為に集まった武蔵、伊勢、山城、榛名、隼鷹、雪風――そして、大和の七人は翔輝を徹夜で看病した。その間、大和はずっと沈黙したままだった。
翔輝の精神が破壊してから数日後、翔輝の看病を担当している六人は誰もが睡眠不足で疲れていた。だが、大和と武蔵の二人だけは疲れているはずなのにそんな雰囲気を全然見せずに翔輝の看病を続けた。
「大尉。お食事ですよ」
水上が持って来てくれた食事を大和が食べさせる。意識はあるので食べてはくれるが、相変わらず無表情で無言は変わっていない。
「おいしいですか?」
「・・・」
翔輝からの返事がなくても、大和は気にしない。本当は辛いのだが、これも自分の責任だと思って必死にやっている。そんな大和の横では武蔵が部屋の掃除をしていた。掃除能力に関してでも武蔵は大和より上だ。武蔵曰く「・・・家事。特に掃除と料理は花嫁修業の絶対必須条件」だそうだ。
「・・・翔輝の具合は?」
「熱はもうないから、風邪は治ったみたい」
「・・・そう。良かった」
武蔵はそう言うと、掃除を再開する。そんな彼女を見詰め、本当に翔輝の事を想っているんだなぁと大和は感心する。もしかしたら自分よりも翔輝の事を大切に想っているのかもしれない。ちょっと敗北感。
「風邪は治ったみたいだから、もうそろそろ元の大尉に戻るかな?」
すがるように言う大和だが、武蔵の表情は暗い。
「・・・可能性はある。でも、極めてその確率は低い。風邪という障害物を排除したとしても、変化は軽微。壊れているのは、《身体》じゃなくて、《心》だから」
「そっか・・・」
武蔵の言葉に、大和は落胆はするが、絶望はしない。まだ、可能性は残っている。奇跡みたいなものだけど、それを信じる。
大和は黙々と掃除をする妹に、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、がんばらないと」
「そうね。本当に今日中に長谷川君を復活させないと」
突然現れた長門が真剣な顔でそう言った。突然の登場とその謎の言葉に、二人は驚く。
「どういう事ですか?」
大和が訊くと、長門は力なく首を横に振った。
「さっき偶然知ったんだけど、病状が芳しくない長谷川君を明日内地の病院に送るって話が持ち上がってるのよ」
「ええぇッ!?」
驚く大和。武蔵も驚きのあまり目を見開いている。珍しい事にどうやら彼女も知らなかったみたいだ。
「・・・それは本当?」
「たぶんね。『大和』の航海長が言ってたし。でも、賢明な判断だと思うわ」
「・・・同感」
「そ、それはそうですけど」
通常軍艦の医務能力は主に戦闘で傷ついた兵に対する応急処置である。翔輝のように外傷以外は軍艦の医務科の専門外なのである。だからこそ、内地の病院に送るのは適切な処置である。だが、
「そんな事したら、もう大尉に会えなくなるかもしれません」
「その可能性は大きいわね。何より、あの瑠璃が壊れてしまった長谷川君をまた軍艦勤務にする可能性は少ないし、もしかしたら仇討ちに来るかもしれないわ」
「瑠璃さんが仕返しに来るのは構いませんが、大尉が二度と帰って来ないのは困ります! 私は大尉にちゃんと謝りたいんです!」
大和の訴えに、長門もうなずく。
「あなたの気持ちはわかるわ。でも、このままだと明日には確実に長谷川君は内地の病院に送られるわ。そうしたらあの瑠璃の事ですもの。日本全国に張り巡らせた情報網を使ってすぐに捕捉。これを確保するわね」
「そんな事になったら、全てがおしまいです」
「・・・何とかしなきゃ」
大和と武蔵は他五名を呼んで対策を考えたが、いい案は浮かばなかった。結局、長門の意見で翔輝と最後の夜を過ごす事になった。
夜、翔輝はいつもどおり早くに就寝した。そんな彼の寝顔を、多くの艦魂達が寂しげな瞳で見詰めている。
明日の朝には、翔輝は内地に行ってしまう。今夜が、もう最後なのだ。
「大尉。ごめんなさい。私・・・ッ!」
泣きながら言う大和の肩を、長門が抱き締める。そんな二人のまわりで、武蔵、伊勢、山城、榛名、隼鷹、雪風も翔輝を見詰める。そんな彼女達の中には涙を浮かべる者もいた。
これが翔輝といれる最後の時間になるかもしれないと思うと、涙が止まらなくなる。
全員が全員、徹夜して翔輝といようと決心した。
だが、ここにいるのはいずれも徹夜組である。長門も疲労困憊だった。あの武蔵でさえ睡魔に敗北した。
結局、最後まで残ったのは大和一人だった。
大和は全員が眠ってしまったのに気づくと、翔輝と一緒に瞬間移動で防空指揮所に向かった。
防空指揮所からはきれいな星空が見えた。
「大尉。きれいですね」
大和は嬉しそうにそう言った。眠っている彼は星が見えないが、大和は気にしなかった。
そんな大和は、空を見ながら正直な気持ちを言った。
「私、大尉の事が大好きです。それなのに、そんな大尉をこんなに苦しめてしまって、本当にごめんなさい。謝っても許してもらえないでしょうが、本当にごめんなさい。私・・・怖かったんです」
大和は目をつむっている翔輝の顔を見詰める。
「坂井さんと会ってから、大尉は私から離れているように感じたんです。だから、怖くなって、優しくしてくれた坂井さんに近づきすぎたんです。今考えれば、それも大尉の考えだったんでしょう? 私を強くする為の」
翔輝からの返事はない。それでも大和は続ける。
「私ってバカですよね。大尉の気持ちもわからずに疑って、離れて、本当に大バカです。でも――」
大和の瞳から、一筋の涙が流れる。
「こんなバカでも、大尉の傍にいたい。これは変わらない事実です――大尉。大好きです」
大和はそっと、翔輝の唇にキスした。それは、恋する乙女の決意の表れだった。
大和は翔輝から顔を離すと、再び空を見上げる。空に浮かぶ星達の輝きは一体何を伝えているのだろうか。それは誰にもわからない。でも、大和には、それが《初心を思い出すように》と聞こえた。
大和はうなずき、眠っている翔輝を再び見詰めるのであった。
翌朝――朝と言ってもまだ日が出てから三〇分も経っていない朝一番。一つの奇跡が起きた。
「ふわぁ・・・」
突然翔輝があくびをしながら起き上がった。目を何度も擦り、眠そうな瞳を開ける。その瞳は眠そうだが、その瞳の中には生気が戻っていた。
「・・・何でこんな早い時間に起きたんだろ?」
ぼーっとまわりを見て驚く。
「え? 大和? 武蔵・・・」
そこにはベッドを中心に椅子に座りながら眠っている大和達がいた。全員が気持ち良さそうな寝息を立てている。
「長谷川ぁ、何ニヤニヤして顔してんだよぉ。ぶっ殺すぞぉ・・・」
一人床で寝ている例外がいたりするが。
そんな彼女達を見詰め、翔輝は首を傾げる。
「何してんだ? こいつら」
精神が崩壊した後の記憶がまったくない翔輝は何が起きたのかまったく理解できていなかった。
訳がわからないのでとりあえず二度寝しようかと思ったが、
「何か寝づらい」
七人の女の子と一緒の部屋で寝れるほど翔輝は大人ではない。情けないが翔輝の情緒は小学生並みである。
「仕事に行こう」
翔輝はこの状況を解決するよりも逃げる事を選んだ。
上着を着て、軍帽を被ったところで気が付いた。
「何だ? この包帯」
少し考えたが、記憶が混乱しているので思い出せず、結局気にせずに部屋を出て行った。
その一時間後、この中では一番早起きの武蔵が起きた。と言っても、連日の徹夜のせいで睡眠不足になっていたのでいつもより遅めの起床だが。
起き上がった武蔵は寝ぼけ眼で第一に翔輝を確認した。そして、その異常事態に気づいた。
「・・・翔輝!?」
驚いた武蔵は腰から銃を取り出し、上に向かって数発発砲した。
「な、何だ!?」
だらしない格好で寝ていた榛名が飛び起きた。それに続いて他の者も飛び起きる。
「何っつぅモーニングコールだよぉッ!」
榛名が血走った目で武蔵を睨み付ける。だが、めったに表情を変えない武蔵が今にも泣きそうな顔で慌てているを見て状況は変わった。
「ど、どうしたんだ!?」
「・・・翔輝がいない!」
『ええぇッ!?』
大和達は眠る前にはいたはずの翔輝がベッドにいない事に気づいた。全員からサーッと血の気が失せた。
「ま、まさかもう内地に行きはったの!?」
「そ、それはないと思いますが」
慌てる伊勢を雪風がなだめる。だが、伊勢の予感は絶対に外れていると言い切れない現状だ。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「落ち着け隼鷹。とにかく捜そう」
山城の前向きな意見に全員は満場一致で賛成した。
「司令! 手分けして捜しましょう!」
「・・・いや、翔輝の行く所は限られている。一緒に探したほうがいい」
「武蔵の言うとおりです! 誰か一人が見つけても他の人達にどうやって連絡すればいいんですか?」
大和と武蔵の意見により、七人は一緒に探す事になった。
「んじゃあどこを探すんだよ?」
「・・・翔輝の主な行動場所は艦橋、航海室、防空指揮所の三つ」
「この時間なら航海長達もいますから、たぶん艦橋にいると思います!」
「そう。じゃあまずは艦橋に行きましょう!」
長門の言葉が合図となり、七人は艦橋に転移した。すると、
「あれ? みんな」
目の前にきょとんとしている翔輝がいた。
「長谷川ッ!」
「長谷川君!」
「長谷川はん!」
「・・・翔輝!」
『大尉!』
七人がそれぞれ翔輝を呼ぶ時の名を叫ぶ。
「え? 何?」
何がなんだかわからないという感じで首を傾げる翔輝。と、
「大尉!」
「うわッ!」
一番に突撃したの大和だった。大和は泣きながら翔輝の胸の中に思いっ切り飛び込んだ。翔輝はそんな大和を必死に受け止める。
「や、大和?」
「大尉! 大尉!」
翔輝の腕の中で泣きながら何度も翔輝を呼ぶ大和。それに対し翔輝はびっくりしている。後ろではそんな翔輝を独占する大和に機関銃を構える武蔵を長門と雪風が取り押さえる。
「や、大和・・・ちょっと外に行こう」
今は坂井の姿はないが、航海長達がいる。みんな怪訝な顔でこちらを見ている。翔輝は艦魂達を連れて防空指揮所に出た。指揮所に来ても、大和は泣きながら翔輝の腕の中にいる。そんな大和を、翔輝は困ったような目で見る。
「ちょっと・・・」
翔輝は離そうとするが、大和は服を掴んで離れようとしない。そんな大和に翔輝は訊く。
「大和。どうしたの?」
「・・・翔輝。覚えてないの?」
「え? 何を?」
武蔵の質問に翔輝は首を傾げる。その反応に全員が驚く。
「長谷川はん。ほんまに何も覚えてないんどすか?」伊勢が不思議そうに聞く。
「だから何を」
「一週間前に海に落ちた事とか」
「あぁ、あれね。さっきまで忘れてたけど航海長達に言われて思い出した」
「・・・それで、その原因となったあの事も?」
「うん。まぁ・・・」
そう答えると、翔輝は気まずそうに大和を見る。翔輝の記憶は一週間前から今日に至るまでまったくない。つまり、翔輝のとってはあの衝撃的出来事は昨日の出来事になる。まだ鮮明にあの時の事を思い出せる。
「大和。その・・・」
「ごめんなさい」
「え?」
大和の口から意外な言葉が出たので、翔輝は驚く。大和は涙で濡れた瞳を上目遣いで見てくる。これは結構ヤバイ。
「私、大尉の気持ちを全然わかってませんでした。なのに、私は勝手に勘違いして、大尉に冷たく当たりました。本当にごめんなさい」
「え? あ、その・・・」
困惑する翔輝に冷静さを取り戻した武蔵が説明する。
大和と坂井の行為は翔輝の誤解だという事。翔輝は一週間も精神崩壊状態でいた事。そして、大和が反省しているという事etc・・・
全てを理解した翔輝は「なぁんだぁ」と声を出してその場に座り込んだ。
「そっか、良かったぁ」
本当に心の底から嬉しそうな顔で言う。そんな翔輝に大和が気まずそうに謝る。
「本当にごめんなさい」
「何でお前が謝るのさ。悪いのは僕なんだからさ」
「そんな事ありません! 悪いのは全ての元凶であるこの私です! 本当にごめんなさい!」
「僕が悪いんだ。ごめん」
「悪いのは私です! ごめんなさい!」
すると翔輝はくすくすと笑い出す。そんな翔輝の反応に大和は首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「いや、これじゃお互い謝ってばっかだなぁって思ってさ」
そう言うと、翔輝は大和の目を見て、優しい笑みを浮かべながら言う。
「心配してくれて、ありがとう」
「え? あ、いや、その・・・」
翔輝の見事な切り返しに、今度は大和の方が困惑する番になった。
「えっと、ど、どういたしまして」
そんな大和の微妙な反応に翔輝はおかしそうに笑う。そんな大笑いする翔輝に大和は顔を真っ赤にして怒る。そんな二人を見ていた榛名が翔輝に近づいて――頭を下げた。
「悪かったのは大和だけじゃない。この俺もだ。すまん」
「うーん。大和はともかく、榛名が謝る理由がわからないんだけど」
「俺だってお前を裏切ったようなもんだ。いくら姉貴に押されたとはいえ、お前には悪い事をしたと思っている。すまん」
「・・・僕はお前が素直に謝っている光景の方が精神に悪いと思う」
翔輝の言葉に、頭を下げていた榛名のこめかみで何かが断裂した。
「テンメェッ! 人が下出に回りゃあ言いたい放題言いやがって!」
ブチ切れた榛名は翔輝の首を羽交い絞めにする。
「ちょっ! 待って! 僕一応ケガ人ッ!」
「うるさいうるさいうるさいッ! 黙れボケッ!」
このままだと本当に首をへし折りそうな勢いの榛名を長門と山城が引き離す。すると今度は武蔵が、
「・・・翔輝。良かった」
「武蔵?」
「・・・翔輝はやっぱり笑っている方がいい」
「武蔵・・・ありがとう」
翔輝は優しい笑みを向ける。それは今日一番の笑みだった。そんな翔輝を見て、早急に関係回復をしなければならないと思う大和だった。
「航海士。頭の傷は大丈夫なの?」
山城が無表情ながらもどこか心配そうな声で訊いてくる。
「うん。もう大丈夫みたい。心配してくれてありがとう」
「あ、うん」
少し頬を赤くしながらうつむく山城。
「お兄ちゃん! 良かったよ! 本当に良かったよ!」
隼鷹がわんわん泣きながら翔輝に抱き付く。そんな隼鷹の頭を、翔輝はそっと撫でる。
「ごめんね。心配掛けさせちゃって」
「私、お兄ちゃんがずっとあのままだったらどうしようって思って、私、本当に心配して――」
「ごめん。ごめんね」
「うわあああぁぁぁんッ!」
隼鷹はぼろぼろと涙を流す。そんな隼鷹の頭を翔輝は撫で続けた。
次に伊勢が柔らかな笑みを浮かべて声を掛けてきた。
「長谷川はん。ご無事で何よりやわぁ」
「伊勢。僕の事心配してくれた?」
「したでぇッ! ほんまのほんまに心配して――」
「ごめん。だからそんなに怒らないでよ」
「怒ってあらへん! 嬉しいんどす!」
「そっか、ありがとう」
伊勢は袖で何度も涙を拭う。そんな彼女の仕草に、翔輝はいけないと思っていても自然と笑みになってしまう。
その時、そっと指揮所を出て行こうとした少女がいた。
「あ、待ってよ雪風!」
翔輝に呼ばれた雪風は慌てて振り向く。その顔は何か気まずそうだ。
「あ、その・・・」
「何で逃げるの?」
「え、あ、いえ――ごめんなさい!」
雪風はそう言うと慌てて指揮所から出て行った。
「あ、ちょっと――」
「いいのよ。長谷川君」
そう言って止めたのは長門。その顔には「追わないであげて」と言っているかのようだった。
「長門さん。でも・・・」
「ちょっと緊張してたのよ、あの子」
「緊張、ですか?」
「えぇ。ここにいるのは戦艦と小型空母。自分よりもずっと階級が上の私達と一緒にいるのが気まずかったんでしょ。後であなたからお礼を言っておいてね」
長門はそう言ってウインクする。その行為がとても色っぽかったので翔輝は一瞬ドキッとしてしまう。危ない危ない。
「じゃあ今夜は長谷川君の回復を祝って宴会を開きましょう!」
長門の言葉に大和達は「おおおぉぉぉッ!」と声を上げる。
「うーん。なんか僕らって宴会ばっかしていませんか?」
「そんな事ないわよ。ほら長谷川君も。おーッ!」
「お、おー・・・」
一人翔輝だけが苦笑いしているのであった。だが、その表情にもう悲しみはない。大和との絆は、再び結ばれたのだ。
その夜、本当に宴会が開かれた。みんな飲んで歌って騒いでのドンチャン騒ぎ。中には金剛や榛名、翔鶴の超強力な攻撃を受けて悲鳴をあげる者もいたが、それも余興のうちと長門があっさりと片付けてしまった。
その際、翔輝は雪風にお礼を言うと、雪風は首がもぎ取れそうなほど首を振って「そ、そんなお言葉は結構です!」と、顔を真っ赤にさせながら走って行ってしまった。そんな彼女を見て翔輝は不思議そうに首を傾げるのであった。
数日後、坂井は長年の夢だった軍令部に配属される事が決まった。
その数日後、嵐のように現れた坂井は、嵐のように去って行った。
見送りの際には多くの艦魂が見送ったが、武蔵と山城だけは決して見送る事はしなかった。
こうして、翔輝達は再び平和な生活を再開するのであった。 |