第一章 第七節 寂しき少女の想い
あれから数日。翔輝もずいぶんと艦魂達と仲良くなった。
今は甲板で風に当たって休んでいる。
「長谷川少尉。何を見ているんですか?」
つい先日翔輝の直属の部下になった水上祐二上等水兵(十六歳)が声をかけて来た。パッチリとした目が特徴のまだまだ幼さを残した年若い少年である。
「うん? 何でもないよ」
翔輝は笑ってごまかす。
「少尉はよくぼーっと何かを見てますね」
「そ、そうか?」
「艦魂が見えているんですか?」
「うん。あそこで修行してる」
「そうなんですか。さすが艦魂ですね。僕も見てみたいですよ」
「ははは、まぁ、僕も見たくて見てる訳じゃないしね」
「僕は見てみたいです。『大和』の艦魂って、かっこいいんでしょうね」
「あ、まぁ、ね」
ものすごいわがままなガキとは言えないしね。
「『長門』の艦魂はとてもリーダーらしい方なんでしょうね」
めちゃめちゃ楽観主義のお姉さんキャラと知ったらどうなるか。
「金剛四姉妹は堅物なんでしょうね」
金剛と榛名には会った事はないけど、比叡はともかく霧島は一番言えないかもしれない。
「あー、やっぱり少尉がうらやましいです」
水上が純粋な笑顔で言う。こんな純真無垢な少年に艦魂達の現実と今目の前で広がっている光景を正直に言うのは夢を壊してしまう。
今目の前では確かに修行をしている艦魂がいる。戦闘だ。
「左舷弾幕薄いぞ! 何やってんの!?」
「了解!」
「撃て撃てッ!」
「反撃の隙を与えるな!」
大和と瑞鶴の新米チームと、陸奥と伊勢の先輩チームが輪ゴム銃を撃ち合って激戦を繰り広げている。
「・・・」
いいのか? 連合艦隊の期待されている主力がこんな風に遊んでいて。女の子なんだから遊んでもいいのだが、せめて輪ゴム銃の白兵戦はどうかと・・・
「どうしました?」
水上の心配そうな顔が目の前にあった。
「いや、何でもないよ」
その時、大和がこちらに気づいたようだ。
「少尉! 楽しいですよ。一緒にやりませんか?」
翔輝は笑顔で応える。
「行こうか?」
「え、あ、はい」
翔輝の後を子犬のように幼いキャラの水上が後を追う。
「あ、しょ、少尉?」
二人の去った甲板で、呆然としている大和に輪ゴムが命中した。
「もう! 返事ぐらいしてくれてもいいじゃないですか!」
一人自室でくつろいでいた翔輝に対し、入って来た早々いきなり怒る大和。
「なんだよ」
くつろいでいた所を邪魔されてちょっと不機嫌な翔輝。
「どうして無視したんですか!?」
「隣に水上がいたからね」
「それだけですか?」
「艦魂が見えるってだけでかなり変人って言われてるからな、あまり後輩に変な所見せたくないしね」
「わ、私が見えるのが嫌なんですか!?」
「そうは言ってないだろ」
「言ってます!」
なぜか今回の大和はしつこい。たぶんさっきの戦い(?)で負けて気が立っているんだろう。こいつは負けず嫌いだから。
「あのさ、悪いけど僕にやつ当たりしないでよ」
「そ、そんな事してないですよ!」
「いやしてるって」
「・・・ッ!」
顔を真っ赤にして、今にも怒りのマグマが噴火しそうな大和にさすがの翔輝も怖くなり、素直に謝った。
「さすがにさっきは悪かった。ごめん」
「あ、いや、そ、そんな、謝らないでください。考えてみると私の方が悪いんですし・・・ッ!」
素直に謝ると、急におとなしくなる。彼女も自分が悪いとわかっていたようだが、きっかけがなかったらしい。
「んで、用は何なの? まさか怒りに来ただけじゃないだろ?」
「あ、はい」
すると、大和は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「陸奥さんと霧島さん、伊勢さんが呼んでいました」
「え? 陸奥達が?」
翔輝は不思議そうに聞き返す。
「はい。もう甲板にいらしてます」
というか、陸奥と伊勢はさっきかららいただろ。
「わかった」
脱いでいた上着を着て用意する。
「い、行かれるんですか?」
「え? そりゃ行くけど」
「・・・そうですか」
寂しそうな顔で言う大和。そんな大和を翔輝は不思議そうに見る。
「どうしたの?」
「・・・いえ」
そう言い、大和は笑顔を向けた。
「少尉。行ってらっしゃい」
「あ、あぁ・・・」
翔輝は大和のその悲しげな笑顔が気になったが、結局部屋を出て行った。
一人残された大和。
ドアから視線を外し、ふと翔輝の机に目が止まる。
机の上には純粋な笑顔をこちらに向けている少女がいた。彼の大事な妹の翔香。自分にそっくりな顔で、自分にはできない純粋過ぎる笑み。それが私と彼女の差なのでしょうか?
少尉は私を置いて行ってしまった。陸奥さんや伊勢さん、霧島さんの所に行ってしまった。
大和は、いつの間にか自分が一人になってしまっている。そう思えてしかたがなかった。いつか少尉が、自分から離れて、別の艦に乗ってしまうのではないか。そう思えてしかたなかった。
少尉は優しい。
大和は素直にそう思う。だが、それは自分に対してだけの優しさではない。困っている人がいたら、そっと手を差し伸べる。そんな優しさ。
決して、大和という存在に手を差し伸べるのではなく、困った人という意味で差し伸べる。そんな手はいらなかった。
そんな手だったら振り払い、自分で立ち上がる。
しかし、彼に最初に会った時は、できなかった。
彼の笑顔を見ていると、そんなのどうでも良くなってしまう。
全てが純粋で、全てが優しい。それが、長谷川翔輝少尉なのだ。
でも、誰かに手を差し伸べている間は、他の誰かが手を差し伸べてはもらえない。それが今の私・・・
少尉が陸奥さんと仲がいいのは知っている。
少尉が伊勢さんと楽しそうに話しているのも知っている。
少尉が超内気の霧島さん会話ができるのも知っている。
だから、辛いのだ。
少尉が遠くに行ってしまう。
少尉が自分から離れて行ってしまう。
私は、そんな気がしてならない。
窓から見える海はどこまでも蒼い。それなのに、だんだんとその景色が歪んでいく。
海の青も、空の蒼も、何もかもが・・・
もう、何も見えない。
少女はその場に座り込み、瞳を隠す。その瞳は濡れていて、それは少女の苦しみとなって湧き出てくる。だんだんと瞳を濡らしていたそれは、ついに瞳から零れ落ち、少女の頬を伝った。
「少尉・・・、寂しいです・・・ッ!」
大和は、大好きな少年の階級を、静かにつぶやいた。
「で? 何なの?」
甲板に出て来た翔輝は、待っていた三人の少女を見詰める。
「少尉は明日、機動部隊が出撃する事はもう知っていますね?」
陸奥が翔輝に確認を取るように聞く。
「あぁ、明日出撃するんだろ?」
機動部隊は南方資源地帯攻略の為に、明日出撃する事が決定していた。
「はい、そこで今日の夜に出撃祝いをしようと決定したんですが、少尉も参加されますよね?」
「うーん、どうだろ。そろそろ別艦にちょくちょく移動できなくなってきたし、今回は無理かな?」
「そないなら、『大和』で開くのはどうやろか?」
そう言ったのは伊勢。すばらしい提案である。翔輝もこの提案にはうなずいた。
「それなら大丈夫だよ」
「本当ですか!?」
「あぁ」
翔輝の返事に陸奥達は大喜びした。
「ほな、さっそく大和はんと相談しましょうか」
伊勢が嬉しそうに言う。すると翔輝は笑みを浮かべた。
「あ、いいよ。僕から大和には伝えとくから」
「え? 本当どすか? 助かりますわぁ」
伊勢は頭を下げる。
「じゃ、じゃあ、打ち合わせしましょう」
小さな声で霧島が言う。
その後三人は色々と打ち合わせをし、数分後、翔輝は三人と別れて艦内に戻って行った。
「あっれー?」
翔輝は自室に戻ったが、そこには大和の姿はなかった。
「どこ行ったんだろ」
翔輝は仕方なく艦内を捜す事にした。しかし、出会ってから数週間。彼女が行きそうな場所は熟知していた。
「仕方ない・・・」
翔輝は自室を後にする。もう艦内の構造はだいたい理解しているが、いまだにたまに迷う事がある。しかし、その場所なら迷わず行けた。
ドアを開けると、そこには蒼い空があった。そよそよと風が吹き、澄んだ蒼が天空を彩る。
そこは防空指揮所だ。
敵機の来襲を警戒する最前線の場所。
いくつもの望遠鏡が設置され、そのひとつひとつが天空を睨む。
今は休憩時間なので、軍港湾内という事もあって見張り兵はいなかった。いるのは翔輝と、もう一人・・・
「大和、またここにいたの?」
入口から少し離れた場所に、捜し人はいた。
「・・・」
大和は空を眺めていて、翔輝の事なんか無視していた。
「おーい、やーまと」
翔輝も声を少し大きくするが、完全に無視。仕方なく、翔輝は大和の横について空を眺める。
まだ十二月という真冬の風が地上三〇メートルの防空指揮所に吹く。それはもう寒いの何の。
「うぅ、寒い。大和、中入んない?」
「・・・」
「ねぇ、大和」
大和は答えず、しばらく沈黙が続く。翔輝が再び声をかけようとした時、
「・・・少尉」
そこで初めて大和の口が開いた。
「何?」
しかしそれは、いつもの優しい彼女の声ではなかった。重く、そしてどこか寂しそうな声だった。
「少尉は、私の事嫌いなんですか?」
「はぁ?」
翔輝は訳がわからなかった。なぜここでそんな話をするのだろうか?
「答えてください」
大和は振り向き、翔輝の瞳を見詰める。その声は今まで翔輝が聞いた事ないほど凛としていた。
ここで翔輝は大和がいつもと違うという事に気がついた。
「大和、お前一体どうし・・・」
「質問に答えてください」
大和は翔輝を睨む。答えないとは許さないという気迫に、翔輝は驚く。だがどうやら答えないと話は進みそうになかった。
「そんなの、嫌いな訳ないだろ」
翔輝は素直に答える。が、大和は依然翔輝を睨むように見ている。
「それは、本当ですか?」
「ほ、本当だよ。僕が大和の事を嫌いな訳ないだろ」
「・・・」
大和はまだ翔輝を見ている。ふと、その瞳の色が変わった。
「では、質問を変えます」
大和は顔だけでなく身体もこちらに向け、軍刀の先端をトンと床に付ける。
「陸奥さん、伊勢さん、霧島さん、そして私。今言った中で一番好感を持てるのは誰ですか?」
再び意味のわからない質問をしてくる。
「そ、そんなの決められないよ」
そう言ってうつむいてしまう。これは彼の正直な気持ちだ。確かに陸奥や伊勢、霧島、そして目の前の大和とは他の艦魂達よりも仲がいい。だが、それに順位を付けろと言うのは無理だ。四人とも同じくらい好きだからだ。
翔輝は困り、うつむいていた顔を上げ、大和を見る。
そこで事件は起きた。
「うぅ・・・ひっく・・・ッ」
なんと大和が泣いていたのだ。恥じる事なく大粒の涙をぼろぼろと流し、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「や、大和・・・?」
いきなり一八〇度変わった状況に、翔輝はただただ呆然とする。
「答えてください・・・ッ」
泣きじゃくりながらも、大和は質問を続ける。
「そ、そんな事言われても・・・決められないよ」
情けないが、それが翔輝の答えだった。
大和は依然泣いたままだった。瞳から零れ落ちる雫が、ポタポタと黒鉄の床に無数のシミをつくる。
「少尉は・・・どうして私を一人にするんですか・・・ッ?」
大和は突然翔輝の上着の裾を掴んだ。
「少尉はいつも陸奥さんや伊勢さん、霧島さんと楽しそうにお話しています。楽しそうに笑って。私の時とは大違いじゃないですか。私の時は、あんなに・・・、あんなに楽しそうじゃない。私が話そうとして逃げるし、捕まえても嫌そうな顔するし、笑ってくれる事なんてないじゃないですか・・・ッ」
「そ、それは違うよ・・・ッ」
「何が違うんですか・・・っ?」
「それは、その・・・陸奥達とは世間話ができておもしろいんだよ。でも、生まれたばかりのお前とはそうもいかないだろ? だから・・・ッ」
「そんなの言い訳です! 少尉は私の事が嫌いなんです!」
「ち、違うよ! そんな訳・・・ッ」
翔輝が必死で大和に説明しようとした時、
トン・・・
突然大和が自分の胸に抱き付いてきた。
「や、大和・・・ッ!?」
翔輝は顔を真っ赤にする。なぜ真っ赤になるかというと、まぁ、なんだ。大和の外見はちょっと幼いがかなりの美少女だからだ。
一人焦る翔輝の胸の中で、大和は静かに言う。
「私はずっと一人ぼっちだったんです。気がついたときからずっとドッグの中でした。暗くて、閉ざされた世界だった。私はそこで何年もいました。人はいっぱいいるのに、私の声、私の姿が見える人は誰一人いませんでした。ずっと寂しかった。初めて海を見た時もそうでした。霧ばかりで、街も、人も、自然も何もなかった。あったのは深い霧だけ、後でそれが外の世界だと知りました。とっても寂しい世界でした。連合艦隊第一戦隊に編入されても、誰一人私と話せる人はいませんでした。そんな私の前に現れたのが・・・」
大和は顔を上げ、嬉しそうに翔輝を見詰める。
「――少尉、あなたでした」
翔輝は黙って聞いている。
「ずっと一人ぼっちだった私に、初めて話しかけてくれたのが少尉でした。少尉と出会えたから、私は一人ぼっちじゃなくなったんです」
そう言った直後、大和は急に悲しい顔になった。
「なのに、少尉は艦魂が見えるって知ったら、陸奥さんと仲良くなっちゃうし、伊勢さんや霧島さんとも楽しそうに話すようになってしまいました。暇を見つけては陸奥さん達の所に行って、いつも私を一人ぼっちにします。何でですか? 私はこんなにも少尉の傍にいたいのに、どうして少尉は私から離れて行くんですか? 少尉は私と一緒にいるのが嫌なんですか?」
大和は泣きながら必死に訴える。
「ち、違うよ。嫌な訳ないだろ」
必死に訴えてくる彼女の姿に、翔輝はそれしか言えなかった。
大和は再びうつむく。
「少尉は私の心の中の大半を占領してるんです。少尉は私の全てなんです」
「大和・・・」
「私、怖いんです。いつか少尉が私を捨てて、別の艦に乗ってしまうんじゃないかって。怖くて、怖くて仕方ないんです」
大和はぎゅっと抱き付く力を強める。
そんな彼女を、翔輝はそっと抱きし締めた。
ビックリするのは大和だ。
「しょ、少尉・・・?」
顔を上げると、そこには悲しげに微笑む翔輝の顔が。
「大和、ごめんな。僕のせいで、そんなに苦しんでたなんて」
翔輝はやっと、大和の気持ちを理解した。
彼女はずっと寂しかったんだ。それに気づかず、自分は彼女を放って他の艦魂とばかり楽しんでいた。大和がこんなに傷ついているなんて知らなくて。
「ごめん、本当にごめん」
翔輝はそれしか言えなかった。
ぽとり・・・
大和の頬を涙が流れた。
「少尉・・ッ!」
大和はようやく翔輝の心に触れられて安堵し、涙を塞き止めていたダムが決壊し、涙の大洪水を引き起こした。
そんな大和を、翔輝は強く抱き締めた。
「大丈夫だよ。僕は絶対に君から離れない。他の艦には乗らないよ」
「本当、ですか・・・?」
「うん、本当だよ」
その言葉を聞き、大和は嬉しそうに喜んだ。こんなに嬉しそうな大和は久しぶりだった。
大和の笑顔は、とてもまぶしかった。
「大和」
「え?」
翔輝はそっと手を差し出す。
大和もその意味を覚り、手を伸ばす。
二人の手が絡み、その手の指は一つ一つで絡み合い、強く結ばれる。やがて十本の指全部が重なり合い、二人は強く手を握った。
「ここは寒いから、中に入ろう」
「・・・はい」
二人は手を繋いだまま、ゆっくりと防空指揮所を後にする。
誰もいなくなった防空指揮所に一陣の風が吹き、太陽が燦々と輝く。
まるで、二人の新しい物語を、祝うかのように・・・ |