第十章 第四節 空と海を制す航空戦艦
十一月一日、日々険悪になっていく翔輝派と坂井派との対立。このまま双方わかり合えず、永遠に決別するかという時、落ち込む翔輝を嬉しくさせる事が起きた。それは・・・
トラック島に入って来た艦隊を、翔輝は嬉しそうに見詰める。その隣には武蔵が無表情で艦隊を見詰めている。だが、その口元は少し微笑んでいた。
空母『翔鶴』を旗艦として空母『瑞鶴』、軽空母『瑞鳳』、改装空母『飛鷹』『隼鷹』で編成された第三艦隊機動部隊こと日本機動部隊。機動部隊は日本近海で訓練を行っていたが、またトラックに舞い戻ってきたのだ。しかも、この艦隊には期待の新鋭戦艦が配属されていた――いや、新生戦艦と言うべきだ。
機動部隊の両側を護衛している二隻の戦艦。その艦容は他の戦艦とは大きく違っていた。
艦体後部三分の一に飛行甲板を設置し、射出機を完備した空母としての能力も持つ戦艦。その名は――伊勢型戦艦こと航空戦艦『伊勢』『日向』。
瑞鶴達空母の艦魂と伊勢、日向を中心とした機動部隊艦魂達は艦隊が錨を降ろし終えるとすぐに『大和』の甲板に現れ、待っていた長門達にあいさつした。
「長門。久しぶりだな。元気にしてたか?」
そう言ったのは長い黒髪を流す少女――翔鶴。現在日本海軍の最後の切り札とも言うべき機動部隊を率いている艦魂だ。
「えぇ。翔鶴も元気そうね」
長門は元気そうな翔鶴達を見詰めて嬉しそうに微笑む。
「まぁな。健康状態は良好だ」
「そう。良かったわ」
「――ところで」
「なぁに?」
「何かあったのか?」
翔鶴は怪訝な顔でトラック島待機の艦魂達を見詰める。その問い、長門は苦笑いするしかない。
金剛以下多くの艦魂達と、武蔵、山城、長門の三人とごく少数の艦魂とで大きく二つに分かれて立っている。しかも金剛側の駆逐艦の艦魂達は武蔵達(特に武蔵)を睨み付けている。一触即発な雰囲気がそこにあった。
「なぜ味方同士で臨戦態勢なのだ?」
「いやぁ、あなた達がいない間に色々あって」
「・・・何がどうなればこうなるのだ?」
翔鶴は本当に呆れたような声を上げる。いくら大和達が日頃お騒がせでもここまで状況が険悪になる事はそうそうない。
翔鶴は苦笑いする長門を問い詰める。そんな姉の横を通り過ぎ、瑞鶴は大和に笑顔で駆け寄る。
「大和! 久しぶり!」
「瑞鶴。久しぶり」
大和も嬉しそうに瑞鶴と抱き合う。
久しぶりの親友の再会だ。お互い艦魂だから成長するというのが目に見えるほどは起きてはいないが、それでも「変わったねぇ」とか「変わってないよぉ」とか楽しそうに話す。なんとも微笑ましい光景だ。
瑞鶴は笑いながら訓練中に起きたおもしろかった事を話し、大和もそれを聞いておかしそうに笑う。すると、
「ねぇ、お兄ちゃんはどこ?」
いつの間にか二人の所に来ていた隼鷹が早く翔輝に会いたそうな顔をしている。が、それがこの辺一帯の雰囲気を鋭くさせた。
「あ、その・・・大尉は・・・」
「え? 長谷川中尉は大尉になったんだ! 良かったじゃない大和!」
「あう・・・」
キャッキャと嬉しそうに笑う瑞鶴に対し、困ったような顔をしている大和。ここにきて瑞鶴もようやく何か変だと気づく。
瑞鶴から笑みが消え、真剣な眼差しを向ける。
「一体どうしたのよ? 私達がいない間に、何があったのよ」
「・・・その女は翔輝を裏切った」
突然の声に瑞鶴が振り返ると、そこには大和を睨み付けている武蔵がいた。いつもの無表情とは違う、身体から激怒という雰囲気がビシビシと伝わってくる。
「裏切ったって、どういう事?」
「私は大尉を裏切ってなんか――」
「・・・その女は新しい男を見つけて翔輝を捨てた最低最悪な女。そして、ここにいるトッラク島待機の艦魂も、私と山城、長門他少数の勇士以外はみんな同じ」
「えぇッ!?」
瑞鶴は武蔵達と対立している艦魂達を見る。そこには翔輝と親しくしていた駆逐艦の艦魂達も多くいた。瑞鶴は信じられないという顔をする。
「大和。本当なの?」
「違う! 私は――」
「・・・何が違う。坂井とかいう男に目移りしたくせに」
「違うッ!」
本気で怒っている両者は殺意に近い眼光を血走らせてお互いを睨み合う。その眼光は刃のように鋭い。世界最大最強の戦艦姉妹が、まるで艦隊決戦寸前の両国大艦隊のような緊張感を放つ。
「大和はん。一体どういう事や?」
そう言ったのは今まで事の成り行きを見ていた伊勢だった。いつもは優しい伊勢の眼光も鋭い。それは伊勢らしからぬ冷徹な怒りの表れだった。そんな一触即発な雰囲気。今にも爆発しそうな緊迫感だ漂う。その時、
「女の子がそんな怖い目をするなよな」
その優しげな声に、張り詰めていた緊迫感は一瞬にして崩壊した。皆が驚いて見詰める先には、のん気に笑いながら歩いて来る翔輝がいた。
「長谷川はん!」
「お兄ちゃん!」
伊勢と隼鷹がたちまち反応して翔輝の下に走った。
「お兄ちゃん!」
「うわッ!」
隼鷹は身体全体でスキンシップをとる。翔輝に抱き付き、その頬に自分の頬をすりすりとすり寄せる。その表情はとても嬉しそうだ。
「じゅ、隼鷹! 離れてってば!」
「やだよ〜♪」
「お、お前なぁ」
そう言葉こそは怒っているが、翔輝の表情はとても嬉しそうだった。そんな彼の笑顔を見て、武蔵はそっと安堵した。久しぶりの、翔輝の嬉しそうな笑顔。
「長谷川はん」
その声に振り向くと、そこには黒くつややかな長い髪を流した大和撫子――伊勢がいた。
「伊勢」
「長谷川はん、お久しぶりどす」
とても優しい笑みで伊勢は翔輝を見詰める。その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。それもそうだろう。実に三ヶ月ぶりの再会だ。
伊勢は優しげな笑みを浮かべる。
「お元気そうで何よりどす」
「お前こそ、元気そうだな」
「はい――その、どうやろか?」
伊勢はそう言うと恥ずかしそうにうつむく。
「どうって?」
「うち、かっこええか?」
そう言って、伊勢は遠くを見詰める。その先には伊勢の本体――戦艦『伊勢』が悠々とその勇姿を浮かべていた。
彼女の言う《うち》とは、戦艦『伊勢』の事だろう。そして、《かっこええ》とは、その明らかに変わった艦容だ。彼女は変わってしまった自分の艦容の事を訊いている。その瞳は少しおびえている。たぶん、似合ってないとか言われるのを恐れているのだろう。そんな伊勢に翔輝は正直な感想を言う。
「ずいぶん変わったな。後ろがスッキリしたよね」
「えぇ、まぁ。ほんで、その・・・」
「他と全然違うよな。なんか異彩を放ってるよね」
「うぅっ、それって似合ってへんって事どすか?」
伊勢はがっくりと肩を落とす。伊勢にとって、これは死ぬほど辛い事だった。だが、うなだれている伊勢に、翔輝は優しく微笑む。
「でも、かっこいいぞ。なんか他と違う所がさ。『大和』や『武蔵』にも引けを取らないし」
「ほ、ほんまか!?」
伊勢は嬉しそうに喜ぶ。変わってしまっても、彼にほめられた。それが嬉しくて嬉しくてたまらない。伊勢は満面の笑みを浮かべる。だが、そんな翔輝の言動に約一名が不機嫌そうな声を上げる。
「・・・翔輝。騙されてはダメ。所詮は旧式戦艦。しかももはや純粋戦艦ではない。それに比べたら大和型の方が性能は上。それにかっこいい」
武蔵が横から冷静んひツッコミを入れてきた。《旧式》という単語に、ピクリと伊勢が反応する。
「あんたには関係ないやろ?」
「・・・大あり。新鋭戦艦が旧式戦艦に評価負けするなんて言語道断」
「武蔵。別に僕は大和型がかっこ悪いとは言ってないだろ?」
「・・・なら訂正して。旧式戦艦が新鋭戦艦に引けを取らないって事を」
「旧式旧式ってやかましいわぁッ!」
「・・・旧式」
無表情の武蔵とむぐぐと怒る伊勢が睨み合う。かなり珍しい組み合わせだ。
「ちょっと二人とも!」
翔輝が仲裁に入り、ようやく二人は離れる。
「相変わらず大変そうだな」
苦笑しながら近づいてきた翔鶴。その顔はなんとも楽しそうだ。
「ははは、翔鶴ほどじゃないよ」
翔鶴の同情の眼差しに翔輝は苦笑いする。
「私はそんなに苦労はしてないぞ」
「でも機動部隊旗艦って役柄は疲れるでしょ?」
「うぅむ。それはまぁそうだが」
「お疲れ様」
「あ、あぁ」
翔輝の優し過ぎる言葉に闘将翔鶴は押される。そんないつもと違ったちょっとおもしろい翔鶴を飛鷹が笑いながら見詰める。
一方、瑞鶴は必死に大和を励ましているが、大和の表情は暗いままだ。
「大和。元気出してよ」
「うん・・・」
うつむいたままの力のない返事に瑞鶴はため息する。
「大和。元気ないね。どうしたの?」
伊勢と同じく航空戦艦として生まれ変わった日向が心配そうに大和の顔を覗き込む。
「何でもありません」
「でも・・・」
「ほっといてください!」
大和は日向から視線を逸らす。視線を逸らされた日向は瑞鶴と目を合わせてため息した。
白と黒。光と闇。陰と陽。正反対の雰囲気の艦魂達に、混乱する者も多くいた。
一体自分達がいない間に何が起きたのか。機動部隊の面々はこの異常な展開に不思議そうに首を傾げる。その時、
「みんなどうしたの?」
明るい声が響いた。それはこの対立の原因となった男ののん気な声だった。
「坂井さん」
「大和? どうしたの?」
坂井は大和の表情を見て心配そうに彼女に近づく。その瞬間、武蔵の身体から殺意に近い危険なオーラが放出した。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
「そうか。なら、俺を機動部隊の艦魂達に紹介してくれよ」
笑いながら言う坂井に、大和は複雑そうな顔で翔鶴達を見詰める。その瞳は困っているようだ。
突然の坂井の登場に機動部隊の艦魂達は困惑する。そんな一人である翔鶴は横にいる長門に声掛ける。
「長門、あいつは何者だ?」
「さっき話題に出てた大和の新しい男――坂井昇航海少佐よ」
「・・・あいつが」
翔鶴は睨むようにして坂井を見詰める。その先にいる坂井はこの場の雰囲気にはあまりにも場違いなにこやかな笑みを浮かべている。
「君達が機動部隊の艦魂? 初めまして。この前『大和』に配属された坂井昇航海少佐だ。よろしく」
坂井は屈託のない笑みを浮かべる。だが、機動部隊の艦魂、特に空母達からの反応は厳しいものだった。
「私個人としては長谷川の方がいいと思うが」
「私もよ」
長門と翔鶴は坂井を睨む。その視線に気づいたのか、坂井は苦笑いする。
「あれ? なんか歓迎されてない?」
坂井は翔鶴から視線を逸らす。すると、その視線の先には翔輝達がいた。
「長谷川。両手に花をして何やってんだ?」
突然坂井に声を掛けられた翔輝は焦る。
「あ、いや、その・・・」
「見た事がない子がいるな。誰だ?」
「あ、こっちが戦艦『伊勢』の艦魂で、こっちが空母『隼鷹』の艦魂です」
「ほぅ、機動部隊の艦魂か。俺は坂井昇航海少佐だ。よろしくな」
坂井は優しく笑い掛けるが、二人は警戒心バリバリで翔輝の影に隠れて坂井を見詰める。
「あ、あれ?」
「・・・残念。貴様に友好的なのはそこでアホ面している愚姉ぐらいだ」
めったに表情を変えない武蔵が唇を吊り上げて不気味な笑みをする。他の艦魂達はその恐怖的笑顔に一歩引く。だが、当の本人は気にした様子もない。
「うーん。ねぇ、君って俺の事嫌いなのか?」
「・・・愚問。当然貴様など負の感情しか抱かない」
「そりゃないよ。もっと仲良く――」
「・・・黙れ下等生物」
ひどい言いようだ。さすがの翔輝も武蔵のその失礼極まりない暴言に怒ろうとするが、
「手厳しいな。じゃあ君にちゃんと人間に見てもらう為に努力するよ」
全然気にした様子もなく優しい笑みで武蔵の暴言をスルーする。
「・・・あっ、うぅ」
坂井の予想外な反応に武蔵の冷笑が消え、一転焦りの様子がうかがえる。そんな武蔵の反応に坂井は満足した様子。次に坂井は伊勢と隼鷹に向かう。
「よろしくね」
「こ、こちらこそ」
「え、うん」
坂井という人間が警戒する必要がないと判断すると、差し出された彼の手に二人がぎこちないながらも握手する。そんな二人の様子を、正気に戻った武蔵が睨み付ける。
「・・・き、貴様ら・・・ッ!」
ドス黒い妖気のような殺意を身体から大量放出する武蔵に、伊勢と隼鷹は慌てたように弁解する。
「か、勘違いせぇへんで! 握手を求められたらそれに答える。それが礼儀でやろ?」
「・・・むぅ」
「私は伊勢に従っただけだもん!」
「・・・むむむ」
何か言い返したいが、《礼儀》と言われてしまうと根がマジメな武蔵は何も言い返せなくなってしまう。
ついに武蔵は視線を逸らした。珍しく武蔵の完敗である。そんな武蔵の様子に翔輝も小さく微笑む。
「あ、そうだ」
坂井が思い出したように翔輝に向く。
「十時から航海室で会議があるから。そろそろ行かないと」
「あ、わかりました」
翔輝は急いで坂井の後を追う。そんな背中を、大和は寂しそうに見詰めていた。
翌日の昼頃、第一航空戦隊の空母『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』の三空母の甲板では慌しく飛行機が並べられていた。
訓練中の機動部隊がわざわざ前線基地であるトラック島に進出した理由がこれであった。
この頃、ラバウル海軍航空隊は度重なる出撃でその戦力を消耗し切った。そこで連合艦隊司令長官古賀峯一大将は以前山本五十六元帥が発動した『い号作戦』とほぼ同内容の作戦――『ろ号作戦』を立案、実行に移した。その内容はい号作戦と同じで機動部隊艦載機をラバウルに送り、同基地航空隊と連携して敵基地・敵艦隊を攻撃するというものだ。
今こうして並べられている艦載機は、全てラバウル基地に向けて出撃するものであった。
プロペラが高速回転してエンジンの轟音が響き渡る『瑞鶴』の飛行甲板、その上に立っている瑞鶴の横では、刹那が出撃の準備をしていた。
「まさか、またラバウルに行く事になるとはね」
刹那は白いタオルをグルグルと首に巻き、飛行ゴーグルを頭に付ける。
「仕方ないですよ。これ以上敵の侵攻を見逃していては、いずれ取り返しがつかなくなります。その前に、一矢を報いるんです」
そう言う瑞鶴の表情は暗い。それもそうだ。これから戦地へ向かう艦載機の搭乗員はお世辞にも一人前とは言いがたい。まだまだ訓練が必要な若者ばかりで構成されている。そんな彼らを最前線であるラバウルに送ればどうなるかなんて、火を見るより明らかであった。
「一矢を報いる、ね。できたら敵さんの空母の一隻くらいは沈めたいけど、残念だが僕は戦闘機乗りだからなぁ。敵艦艇に直接攻撃は与えられない。僕の零戦だけ爆弾を積んでくれないかな」
「縁起でもない事言わないでください。戦闘機に爆弾を搭載するなんて言語道断です。そんなどっちつかずな飛行機を戦場へ向けるなんて、私は断固反対です」
「お、怒るなよ。冗談に決まってるだろ」
「この状況で冗談を言える神風中尉に怒ってるんです」
瑞鶴はいつもと変わらない刹那の態度にむっとする。
これから彼は日本海軍が持つ基地の中で一番過酷で危険なラバウル基地へ向かうというのに、全然怖がったり嫌がったりしていない。いつものように、ただ笑っている。そんな彼の姿が、瑞鶴を不安にさせる。
「大丈夫ですよね?」
気がついたらそう口に出していた。
「え? 何が?」
「今回のろ号作戦です。作戦内容こそは同じかもしれませんが、今回は前回よりも戦況は悪化しています。基地航空隊だけでなく敵機動部隊もソロモン方面にはいます。それだけの大敵を相手にするというのに、今回の作戦参加機数は空母・基地両航空隊合わせて約三〇〇機しかありません。前回のい号作戦の時はさらに一〇〇機多かったはずです。戦況の悪化から考えても、最低でも五〇〇機は用意しないと今の敵には敵いません。しかも今の搭乗員はい号作戦の時よりも質が悪いです。これじゃみすみす死にに行くようなものです」
瑞鶴はこのろ号作戦には反対だ。もちろんい号作戦にも反対だった。それは空母の艦魂、いや、空母に携わる者達全ての意見だった。
艦載機の搭乗員というのは基地航空機の搭乗員よりも育成が難しく長い。そんな貴重な戦力を艦載機の本来の戦うべき場所ではない基地に送り込み、圧倒的に不利な戦力で敵に挑もうだなんて、無茶にも程がある。特にラバウルは行ったら死ぬとまで言われている激戦地。そんな所に、我が子のように育てて来た大切な若者達を送り込むだなんて、普通ならできるはずもする気もない。
戦況の悪化がどうであろうと、この作戦は断固反対だった。
空母が本気で敵に襲い掛かるのは、決戦の時だけ。今回の作戦は決戦ではなく絶対国防圏完成の為への時間稼ぎ。そんな作戦に、大切な決戦兵力を投入するだなんて、連合艦隊司令部が狂っているようにしか思えない。
決戦の為の兵力を決戦準備に投入するなど、本末転倒だ。
もしここで艦載機部隊が壊滅すれば、もう日本機動部隊は再建不能となる。
瑞鶴はキュッと唇を噛む。
「こんな事で、艦載機を失う事があれば・・・その時は・・・」
ギュッと握られた拳は、ブルブルと震え、白くなる。そんな瑞鶴の肩を、刹那は優しく叩いた。
「大丈夫さ。なんとかなるって」
「そんな気休めはいりません。私が必要なのは有利に戦局を動か――もがッ!?」
突如口に突っ込まれた物に瑞鶴は慌ててそれを口から出す。すると、ドロップだった。
「ど、ドロップ・・・?」
「まあ、そんな思いつめるなって」
そう笑顔で言う彼の手にはドロップ缶が握られている。瑞鶴は目をパチクリさせる。
「そ、そんな物支給品にありましたっけ?」
「ううん。これは田舎の妹が送ってくれたものさ」
「え? 神風中尉、妹さんがいらしたんですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよぉッ!」
怒る瑞鶴に刹那は「あはは、ごめんごめん」と悪びれた様子もない声で謝る。
刹那は一個ドロップを取り出し、口に入れる。
「年が離れててな、小学校に通ってるんだ。そいつがお小遣いをはたいて買って送ってくれたんだ」
嬉しそうにそのドロップ缶を見詰める刹那。そんな彼に、瑞鶴も微笑む。
「いい妹さんですね」
「あぁ、とっても兄想いのいい、自慢の妹さ」
そう言うと、刹那は「ほらよ」とドロップ缶を放った。
「なぁッ!?」
瑞鶴は慌ててそれをキャッチする。
「な、何するんですか! 妹さんからの大切な贈り物でしょッ!?」
結構本気で怒る瑞鶴に、刹那は屈託のない笑みを浮かべ。
「あげる」
そう言ったのだ。
「え? あ、あげるって・・・そんなダメですよ! これは神風中尉が持っているべきで――」
「そうかもしれないけどよ、自分が死ぬかもしれない戦地に、そんな大切な物を持っていけるかよ」
刹那の言葉に、瑞鶴は頭を殴られたような衝撃がした。
自分が死ぬかもしれない戦地。そう、ラバウルはそういう場所なのだ。
「神風中尉・・・」
「まあ、僕も死ぬつもりは全然ないけどさ。そういう所に妹の大切な想いを持って行きたくないのよ。オーケー?」
いつものように、明るい笑顔。それが、もう見れなくなるかもしれない。
瑞鶴はうつむく。そんな彼女の肩を、刹那はポンポンと叩く。
「それはお前が持っててくれ。中身は食べてもいいよ。本当は僕甘い物があまり好きじゃないんだ。今食べたのもハッカだし。昔から甘党な妹によく甘いものを食べさせられて苦労したよ。まあ、その気持ちは嬉しかったけどね」
そっと顔を上げる瑞鶴に、刹那はにっこりと優しげな笑みを向ける。
「だから、僕が帰って来たら、その缶を返してね。鉛筆立てにでもするから」
刹那の言葉に、瑞鶴はうなずく。
彼は必ず帰って来る。そう思った。
「約束」
瑞鶴は小指を突き出す。それを見て刹那は微笑み、同じく小指を突き出す。
「あぁ、約束だ」
二人の小指はしっかりと結ばれた。
一方、同じく飛行甲板にたくさんの飛行機を並べた『瑞鳳』のでも、エンジンの轟音が響き渡る中、剣と瑞鳳がいた。
出撃準備をする剣を、瑞鳳は寂しげな瞳で見詰める。
「剣・・・」
不安げにつぶやく声に、剣は振り返る。
「瑞鳳。そんなに心配するなって」
そう言うと、瑞鳳は顔を真っ赤にして怒る。
「べ、別にあなたの心配してる訳じゃないわよ! 私はただ搭乗員全体を心配してるの!」
相変わらず素直じゃない言葉に、剣は苦笑いする。
「はいはい、僕を心配してくれるの飛龍だけという事ね」
「ひ、飛龍さんは関係ないでしょ! 今はミッドウェーの時とは違うの!」
「関係はあるさ、彼女は僕の守り神だからね」
「わ、私は?」
メガネの奥にある何かを期待したような目で見詰める瑞鳳に、剣は優しげな笑顔で答える。
「瑞鳳も僕の大切な守り神さ」
「そ、そう。ま、まあ私は瑞鳳航空隊全員の守り神だから、あなただけひいきする訳にもいかないけど、ま、まあそう言うなら応援してあげる」
顔を真っ赤にしてまたも素直じゃない言葉。だが、伊達にずっと一緒にいる訳ではない。瑞鳳がこういう態度を取った時には嬉しいのや恥ずかしいのを隠しているのだとちゃんとわかっている。
「ははは、ありがとう」
剣はそんな瑞鳳がいじらしくて、かわいくて笑みを浮かべる。そんな彼の笑顔に、瑞鳳はむっとする。
「な、何よ。笑う事ないじゃない」
「ごめんごめん。そう怒るなって」
「べ、別に怒ってないわよ」
背を向けてそう言う瑞鳳。本当に素直じゃない。こういうのを《ツンデレ》というのかなと剣は時代考証を無視した事を考える。
「ラバウルって、危険な場所なんでしょ?」
「え? あ、うん。激戦地だよ」
「そんな所に行って大丈夫なの?」
「大丈夫ではないと思うけど。まあ、ラバウルならミッドウェー海戦後やい号作戦の時に行ってるし」
「その時とはまったく情勢が違うでしょ?」
「そ、それはそうだけど」
言葉に詰まる剣に背を向けたまま、瑞鳳はうつむく。その顔は苦しくゆがみ、メガネの奥には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「あなたに死んでほしくないの」
ポツリとつぶやいた言葉に、剣は瞳を見開く。
震える肩を、そっと抱き締める。
「か、勘違いしないで・・・あなたに死なれたら、飛龍さんに会わせる顔がないだけなんだから・・・」
震える声で言う瑞鳳に「わかったから」と言って、震えるその肩を抱き続ける。
背中越しに聞こえる嗚咽に、剣は唇を噛む。
ラバウルは最前線だ。それこそ、もう生きて戻って来れないかもしれないほどの激戦地。そんな所に行けば、もしかしたら自分も死ぬかもしれない。そう思っていた。だけど、そうなったら今自分の腕の中にいるこの少女はどうなる。戦闘機というのは攻撃隊を守り、艦隊を守り、日本を守る飛行機だ。名前や目的から攻撃の為の飛行機と思われがちだが、本当は違う。何かを守る為の飛行機なのだ。
自分は今まで一体何を守って来たのだろうか。
飛龍は死んだ。仲間も大勢死んだ。なのに、自分は今まで何を守ってこれただろう。
そう思い起こすと、何もない。
自分が今まで守って来たものなど、何もないのだ。
だけど、それなら作ればいい。
今まで何も守って来れなかったのなら、これから守ればいい。そう考えると、一体何を守るべきか――もちろん、瑞鳳だ。
この生まれてまだ三年も経っていないこんな少女を、守ってやりたい。そう思う。
だけど、これから自分はラバウルに行く。死ぬかもしれない、激戦地に。
もし自分が死んだら、一体誰が彼女を守るのか――いや、彼女を、瑞鳳を守れるのは自分だけだ。
もう、飛龍と同じように、瑞鳳を失いたくはない。
「大丈夫。僕は、死なないから」
自然と口から漏れた言葉に、瑞鳳がピクリと反応する。
「僕はお前を守るって決めた。だから、お前をずっと守る為にも、死ぬ訳にはいかない。必ず帰って来るから、だから、泣かないでよ」
「泣いてなんか・・・ないよ」
震える声で返す瑞鳳を、剣は愛しそうに抱き締める。
「ほんと、素直じゃないんだから・・・」
「う、うるさいなぁ・・・」
瑞鳳は口調こそ嫌そうだが、自分を包む彼の腕は決して放そうとしない。
まわりから響くエンジンの轟音も、二人には届かない。
剣の腕の中、瑞鳳は何も言わないし剣も黙っている。
徐々に迫る出撃時刻――別れの時間。
でも、決して永遠の別れではない。
必ず彼は、自分は帰って来る。そう信じているし、そう思っている。
瑞鳳はうつむきながら、背中から自分を抱き締める彼に言う。
「・・・死んだりなんかしたら、絶交だから」
「あぁ、必ず帰って来るよ」
その言葉に、瑞鳳は嬉しそうに微笑んだ。
「約束、だよ」
「約束だ。必ず帰って来る」
瑞鳳は「ありがとう・・・」と小さくつぶやいて剣の手を離れて向き直ると、今度は自分から彼に抱き付いた。
ギュッと、ずっと、いつまでも・・・
そして、ついに第一航空戦隊の三空母、『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』から計一七三機の戦闘機、爆撃機、攻撃機が一路ラバウルに向かって飛翔した。
刹那と剣はそれぞれの零戦に乗り込んで母艦群の上空を飛ぶ。
しばらく見れなくなる少女の姿を甲板に見つけ、微笑む刹那と剣。
刹那は空中で翼をクイクイッと動かす。別れの挨拶だ。
剣は「じゃあ、元気でね」と別れの言葉を言うと、操縦桿に結びつけた《恋愛成就》と刺繍された飛龍の形見である御守りを見詰める。
「飛龍、僕を必ず守ってくれよ。約束したんだ。生きて帰って来るって」
剣は操縦桿を強く握った。
緑色の機体に赤い日の丸を描いた艦載機群は、上空で編隊を組んで旋回し、母艦に別れを告げてラバウルに向かって消えていく。
多くの艦魂達が決死の出撃をしていく艦載機群に向かって敬礼をした。
そして、瑞鶴と瑞鳳は、それぞれの甲板で艦載機群を見送る。
艦載機群の中にいる大切な人の無事を祈って、天に祈った。
――どうか、あの人をお守りください―― |