艦魂年代史 〜ドキッ☆恋する乙女は大艦巨砲主義〜(76/141)PDFで表示縦書き表示RDF


坂井さかいのぼる
 役職 帝国海軍軍人・戦艦『大和』航海士
 出身 静岡県静岡市
 身長 173cm
 年齢(1943年9月現在)23歳
 誕生日 5月5日
 家族構成 父・母・弟・妹
 好きなもの 艦魂・海・平和・笑顔
 嫌いなもの 高い所・争い事・戦争
『大和』に転属して来た艦魂の見える男。第三次ソロモン海戦までは『比叡』に乗っていて比叡とは親しい関係だったが、沈没の際に比叡に助けられて生き延びた。翔輝のような優しい青年で、笑顔が絶えない。そんな彼の優しさに大和の心は自然と惹かれた。いつの間にか大和を始め多くの艦魂と親しい仲になった。だが、そんな彼に味方して翔輝を裏切るようなその行為に、武蔵達は激怒して決別する。これが俗に言う《坂井の乱》である。彼自身はみんな仲良くというのが一番いいが、武蔵達が敵視しているので不可能となっている。翔輝より階級と歳は上だが、役職は下に当たる。翔輝とは同じ艦魂が見える仲間なので結構仲が良い。艦魂年代史動編、坂井の乱の原因人物。本当は海上生活ではなく父と同じ軍令部に行く事を夢見ている。
艦魂年代史 〜ドキッ☆恋する乙女は大艦巨砲主義〜
作:黒鉄大和



第十章 第三節 崩れゆく絆と結ばれる絆


 十月に入ってしばらくしたある日、『大和』の第三会議室では艦魂会議が開かれていた。今回は各部の部長副部長だけでなく、その部の幹部要員も集まる大規模なものだった。
「・・・絶対国防圏が制定されて一週間。その最終防衛線は千島列島、小笠原諸島、マリアナ諸島、西部ニューギニア、スンダ列島、ビルマを含む地域で、これを破られるような事があれば、その時は日本の滅亡に繋がる。この区域を守る為に、日本陸海軍が合同で作戦を実行し、死守しなければならない。その為に、現在海軍は新たに軍令部直轄で再編された決戦兵力の基地航空隊――第一航空艦隊をマリアナ諸島に展開させる案が検討されている。第一航空艦隊は名実共に精鋭部隊。本来なら訓練が終了するまで温存させておくべきだが、状況の悪化にともない、マリアナへの進出は時間の問題となる。その航空兵力は一八〇〇機にも上り、名実共に決戦兵力。防衛の主力はこの第一航空艦隊に任せ、機動部隊はこれの補助兵力として、侵攻して来た敵艦隊を挟み撃ちにする。機動部隊の全兵力はおよそ四〇〇機。つまり、マリアナ諸島防衛戦には総合計二〇〇〇機を超える航空部隊を投入し、日本本土に接近する全敵艦隊を粉砕する。マリアナの防衛はこれで問題なく、残るフィリピンやパラオなどは沖縄、フィリピン、台湾の航空隊と、第一航空艦隊の抽出部隊で補う。さらに潜水艦部隊による敵艦隊撃滅作戦や水雷戦隊による夜間決死作戦、戦艦部隊による艦隊決戦作戦など様々な作戦が議論されている。私達連合艦隊は、とにかく全力をもって作戦に当たり、敵軍をこれ以上日本に近づけない事。その一点に集約される」
 黒板に張られた太平洋の海図を指揮棒で叩きながら、武蔵は最終防衛作戦の構想を説明する。各重役艦魂に配られた資料には、その作戦がまさしく決戦作戦である事を示していた。日本陸海軍の全航空隊、海軍の全艦艇を用いた最後の決戦にふさわしい内容に、皆は沈黙していた。
「・・・戦略部部長である山城も、今回の作戦こそが最後の決戦となると予想している」
 武蔵の言葉に、山城は小さくうなずく。
「今回のこの作戦、順調にいけば間違いなく敵艦隊を粉砕できる。ただし、順調にいけばの話。他の地区に敵が来寇し、そこへ部隊を抽出すれば、各個撃滅で戦力は磨り減る。だから、この戦力は決戦まではなんとか温存しなければならない事が大前提」
「・・・その為、機動部隊には第一航空艦隊の代わりにフィリピンなどの地区の防衛に当たってもらう可能性がある。とりあえず、決戦まで私達戦艦部隊は待機という形となる」
 武蔵の報告に、皆は期待の眼差しを向ける。この作戦なら、敵に一矢を報いるどころか、敵艦隊を殲滅する事ができる。期待するのは当然だった。だがそんな中、金剛は不機嫌そうに鋭い瞳を武蔵に向ける。
「絶対国防圏は本当に守勢の作戦だな。ここまで前線の後退とは一体どういう事だ。この防衛線は明らかに陸軍側の意見に近いではないか。これではソロモン諸島を完全に捨てる事になる。それに、一八〇〇機という第一航空艦隊だが、マリアナ一点に集中するのは危険だ。敵だってバカじゃない。わざわざ危険を冒してまで敵が準備万端で待ち受ける場所には行くまい。次の攻略地点はフィリピンの可能性もある。その時はどうする? すぐさますでに配置された部隊を再編するというのか? それは無茶がありすぎるぞ」
「・・・第一航空艦隊の指揮官には角田覚治中将が就任している。彼はダッチハーバー作戦の時に航空隊回収の為に危険を冒してまで母艦を前進させたり、南太平洋海戦の際は『隼鷹』を巧みに操り攻撃機の数が一桁になるまで執拗に敵を攻撃した猛将。決戦作戦の指揮官にこれほど勇猛果敢な指揮官は彼を置いて他にはいない。今回の作戦では第一航空艦隊司令長官角田覚治中将、機動部隊こと第三艦隊司令長官小沢治三郎中将という航空機専門の指揮官が指揮をする。今までこれほど航空機主力の作戦を立案した事は、連合艦隊の長い歴史の中でも初の試みである」
「おいッ! 武蔵! 人の話を聞け! 無視するとはどういう了見だぁッ!」
 金剛がテーブルを叩いて怒鳴っても、武蔵は表情ひとつ変えずに無視して話を進める。
 坂井が会議に乱入して以後、武蔵は一部の艦魂(長門と山城)以外の艦魂を無視するようになった。
「おいッ! 武蔵!」
「武蔵ッ! 無視すんじゃねぇよ!」
「武蔵! いい加減にしなさい!」
 金剛、榛名、大和の三人が激怒して怒号を上げると、ようやく武蔵は無視するのをやめた。だが、今度はまるで道端に落ちているゴミでも見ているような目で三人を睨む。
「・・・何?」
「何じゃねぇよ! 俺達の事を無視しやがって! ふざけんなッ!」
「・・・ふざけてるのはどちらか、そんなの一目瞭然。会議を邪魔するなら消えろ」
「んだとテメェッ!」
「武蔵! なぜ私達を無視するのだ! 私は貴様に期待して――」
「・・・そっちが勝手に期待しただけ。私はあなたの為に戦っている訳じゃない。日本の為に――いや、大好きな翔輝の故郷を守る為に、必死になって戦っている」
「貴様ッ!」
「武蔵! 金剛さんに何て口利いているの!? 早く謝りなさい!」
「・・・黙れ愚姉ッ! 貴様は今すぐ死ねッ! 貴様のような裏切り者の妹だと思うと虫唾むしずが走る!」
 武蔵の激昂に大和はひるむ。それは大和だけではない。ここにいる艦魂達全員が同じ状態だ。あの冷静沈着な武蔵が顔を真っ赤にして怒鳴りつける光景などそうそう見られるものではない。そんな艦魂達をも、武蔵はゴミのように見下した目で見詰める。
「・・・ここにいる者のほとんどは坂井の犬に成り果てた者ばかりか。情けない」
 武蔵の言葉に、多くの艦魂達から反論が出た。
「坂井少佐をひどく言わないでください!」
「坂井少佐はとても言い方です! 武蔵司令はわからないんですか!?」
「いくら司令でも、少佐の悪口を言うのは許しません!」
 あちこちから反撃が返って来る――だが、それは武蔵の怒りの炎にガソリンをぶち込むような行為だった。
「・・・黙れッ!」
 突如武蔵が怒号を放ち、テーブルを蹴り倒した。誰かの悲鳴が響き、グチャグチャになった部屋の惨事に唖然としたが、武蔵を見てまた絶句した。
 ――武蔵は、泣いていた。
 ほろほろと恥じる事なく涙を流し、唇はキュッと結ばれる。
「・・・何も知らないで・・・翔輝の苦しみも・・・悲しみも・・・何も知らないで・・・坂井なんかに味方して・・・許さない・・・ッ」
 誰にも聞こえないような声でうつむきながらそう言うと、武蔵は全員をキッと睨み付けて罵声を放つ。
「・・・今の私の敵は、アメリカでも、イギリスでもない! 貴様達だ! この外道どもッ!」
 そう怒号を放つと、武蔵は部屋を出て行ってしまった。
 呆然としている艦魂達の中、長門は苦笑いしながらパンパンと手を叩く。
「さぁ、テーブルを直しましょう」
 長門の命令で艦魂達は倒れたテーブルを立て直す。だが、その間も所々から愚痴が聞こえる。そりゃあそうだろう。会議をめちゃくちゃにするわ、自分たちが慕っている人を愚弄するわ散々な事ばかりだった。こんな日々が続き、現在武蔵司令長官の支持率は右肩下がりの一方であった。
 掃除をする艦魂達の中で、金色の髪を流して怒りの色に染まった碧眼をする金剛は掃除の指示を飛ばしている長門に詰め寄る。
「長門! 武蔵の奴、少し甘やかし過ぎた。こうなったら制裁を加えるしかない!」
「ま、待ってください金剛さん! 私から武蔵には注意しますから。どうかそれだけは――」
「黙れ大和! 貴様では話にならん!」
 金剛はあんな結果になっても妹をかばおうとする大和を突き飛ばし、長門に迫る。そんな怒り心頭な金剛に長門はわざとらしくため息する。
「何でも暴力で解決しようとするのはあなたの悪いクセよ。金剛」
「うるさいッ! あの小娘に世の中の道理を教えなくてはならん!」
「私はどちらかって言うと、武蔵に味方するわね」
「なッ!?」
 驚く金剛。他の艦魂達も手を止めて驚愕している。
「なぜだ! なぜ貴様が武蔵の味方なのだ!」
「ハッキリ言って、坂井少佐が来てからあなた達浮かれ過ぎよ」
「なッ!? 浮かれてなどおらん!」
「いいえ。浮かれてるわ。そして、浮かれてないのが武蔵と私、そして山城だけよ」
 その言葉に全員が隅っこで事の成り行きを見守っていた山城を見詰める。
「山城! 本当か!?」
 金剛の問いに、山城はうなずいた。
「私も、坂井少佐の反対派」
「山城まで・・・ッ! この非国民が!」
「どうとでも言いなさい。私はあなた達に心底呆れたわ」
 ため息しながら言う長門の胸倉を掴んで金剛が激怒する。
「貴様ッ! 私に対する侮辱は許さんッ!」
「あなたに許される必要なんてないわ!」
 怒鳴り返す長門に金剛は一瞬ひるむ。その瞳には燃え上がる紅蓮の炎が見える。そんな意思に強く、そして怒る長門など久々に見た。
「ふんッ!」
 金剛は長門を突き飛ばし、すさまじく不機嫌そうに部屋を出て行った。その後を榛名が追い掛ける。残された艦魂達は全員長門を凝視する。そんな中、長門は呆然としている大和に近寄り、
 パンッ!
 強烈なビンタを浴びせた。
「・・・ッ!」
 痛みと驚愕で声が出ない大和に、長門はキッと睨みつけて叫ぶ。
「金剛よりも、私は今のあなたが一番許せない! 最低よッ!」
 長門はそう叫ぶと、部屋を出て行ってしまった。
 罵声を浴びせられた大和は何がなんだかわからず、その場に崩れ落ち、呆然としていた。

 この騒動が決定的となり、金剛を中心とした坂井連合と、武蔵、山城、長門を中心とした新生翔輝連合の二派に分かれ、これ以降絶交関係になった。数的には圧倒的に劣る翔輝連合だが、雪風や最上など翔輝を慕う艦魂はまだいた。巡洋艦や駆逐艦もほとんどが坂井派に加わったが、中には姉妹全員と敵対してでも翔輝派に加わる艦魂もいた。争いを好まない潜水艦の艦魂達ですら、姉妹で敵対してしまうという緊急事態に陥った。戦力比は十対一にも満たない圧倒的な差ではあったが、連合艦隊艦魂達は、二派に別れて一触即発の雰囲気に包まれた。   
 そんな騒動の中心で、ただ呆然としている大和は――
「坂井さん。私はどうしたらいいのでしょうか?」
 坂井に応援を求めていた。翔輝ではなく、坂井に・・・
 元気のない大和に、坂井は優しく声を掛け、頭をそっと撫でてやる。
「元気出せ。俺はお前の味方だ。安心しろ。それにこの騒動も一時のものだろう。時が来れば終わるさ」
 坂井の優しげな言葉に、大和は嬉しそうにうなずいた。

 そんな二人から少し離れた所で愕然としている少年がいた。
「大和・・・」
 翔輝だった。
 偶然大和の姿を見つけて声を掛けようと近寄ったら、坂井と会う現場を目撃したのだ。
 頭を撫でられる大和の、幸せそうな笑顔が、翔輝の心を貫く。
 愕然とし、うつむく。
「そっか・・・僕は、もう・・・」
 悲しみを堪えながら、翔輝は走り出した。

「・・・翔輝!」
 目の前を走り去った翔輝に武蔵は驚く。そして、彼女の視力は二・〇だった。見えていた――翔輝が苦しそうに泣いていたのを・・・
「・・・翔輝――なッ!」
 ここで武蔵は見てしまった。
 ――大和と坂井が、とても楽しげに話しているのを・・・――
 状況は理解した。
 大和と坂井の現場を見て、翔輝は衝撃を受けたのだと。
 武蔵は悔しくて仕方がなかった。今すぐにでも愚姉をこの手で殴り飛ばしたかったが、今は翔輝の方が大事だった。
 急いで武蔵は追い掛けたが、すでに翔輝の姿はどこにもなかった・・・
 結局、翔輝は一日中見つからなかった。
 
 十月二一日、日本は究極の兵員徴集を行った。
 今まで免除されていた学生の兵員徴集――学徒出陣である。
 これ以降、訓練期間を短縮された特別年少兵(通称《特年兵》)は続々と実戦に配備された。その面々は、皆幼さが残る十六歳、十七歳の少年達であった。

 数日後、戦艦『大和』にも特年兵が配備された。
 翔輝は歩きながら不思議な感覚を感じていた。
 今まで自分と同じくらいの軍人はめったに見た事がなかった。だが特年兵が来てからは自分よりもさらに若い少年達が仕事をしているのをよく見る。その誰もが生き生きした瞳をしていた。みんな、日本の為に戦えるのを喜んでいるのだ。
 それに対し、自分の瞳は曇っている。
 つい先日、武蔵、山城、長門の三人が少数の仲間を連れて金剛以下大勢の艦魂達と決別したと聞いた。その原因は全て自分にある。
 自分が情けないから、多くの人達に迷惑を掛けている。それが本当に情けなかった。
 それに、もうずっと大和と話していない。
 今頃、大和は坂井の所にいるだろう。そう思うと、泣きそうになってくる。
 力なく翔輝がとぼとぼと歩いていると、前から数人の特年兵を連れた水上と出会った。
「長谷川大尉」
 声を掛けられ、翔輝は顔を上げる。
「水上じゃないか、どうしたんだ? その子達は?」
「はい。本日付で『大和』に着任した特年兵達に艦内を案内していた所です」
「そっか」
 翔輝は少年達を見回す。みんな自分よりも年下の――幼さが残る子供のような少年達だった。
「君、出身は?」
 翔輝はその中で一番小さい少年に笑顔で声を掛ける。すると、少年は同世代だが士官服を着ている翔輝に緊張した顔で答える。
「はッ! 鳥取県であります!」
「鳥取か。砂遊びはしたか?」
「え? いや、その・・・」
 返答に困っている少年兵。他の少年兵達もそんな二人のやり取りを見て楽しそうに笑う。
「ごめんごめん。気にしないでがんばってね」
「はいッ!」
 翔輝はそう言うと、去って行った。
 残された少年達は上官である水上に質問する。
「今のは誰ですか?」
「彼は長谷川翔輝航海大尉。この『大和』の先任航海士を務めてるんだ」
「お、お歳は?」
「僕より一つ上だ」
「と言うと、十九歳ですか!?」
「正確には十八歳だよ。再来月に十九になる」
「たった十八歳で世界一の戦艦の先任航海士を務めているなんて、すご過ぎです!」
「あぁ、本当にすごい人だよ」
 水上はまるで自分の事のように嬉しそうに微笑んだ。
 通路の向こうに消えていく尊敬するその背中。だが、その背中は心なしか悲しげに見える。
「長谷川大尉・・・」
 水上は不安そうに、小さくなっていくその背中を見詰めた。

 翔輝は一度自室に寄ってからとぼとぼと甲板に出た。南国の日差しがまぶしく、暑い。
 日よけの下にある椅子に腰掛け、持ってきた物を開く。それはスケッチブック。他には鉛筆などもある。
 翔輝はスケッチブックをめくって絵を描き始める。
 絵を描いている間は、何も考えなくていい。
 辛い事も、全部忘れられる。
 ほんのひと時でしかないのはわかっている。だけど、自分にはそんなひと時がほしかった。
 何も考えなくていい、無のひと時が。
 描くのは、『大和』の隣に浮かぶ『武蔵』。連合艦隊旗艦にして日本海軍の誇る世界一の新鋭戦艦。
 鉛筆を走らせ、ただひたすら絵を描く。
 この時間が、自分はほしかった。だが、
「あ・・・」
 突如ボキッという音を立てて、芯が折れた。粉々になった芯の破片が、白い紙を黒に染める。たったそれだけの事なのに、翔輝は手を止めた。別の鉛筆はあと数本あるが、取り出す気にはなれなかった。
「何で・・・だよ・・・」
 不思議だった。
 絵を描いていても、何も忘れられない。
 大和の笑顔が、頭から離れない。
「未練がましいにも・・・ほどがあるよ・・・」
 翔輝は自虐的な笑みを浮かべる。
 いつも隣にいて当然だと思っていた存在が、急に自分から離れると、その存在の大きさに気づく。なんとも人の心とは不器用なものだ。
 翔輝はスケッチブックを床に置き、懐からある物を取り出す。それは小麦色の便箋。切手が貼られ、宛先人は自分になっている。そして、差出人の名前は――霞瑪瑙。
 昨日届いたその手紙の中には、翔輝の身を案じる言葉がたくさん並んでいた。昔から過保護ってくらい自分の事を心配してくれていた瑪瑙。自分の事を、ずっと見てくれていた大切な姉だ。血は繋がってなくても、本当の姉弟じゃなくても、絆はしっかりと結ばれている。
 翔輝は瑪瑙の手紙を読み直す。何度読んでも、心温まる内容だ。
 言葉のひとつひとつに、自分を心配している彼女の想いが詰まっている。
 彼女は元気にしているらしい。もちろん、瑠璃も珊瑚も元気のようだ。同封されていた珊瑚からの手紙には大きく大胆な文字で《バカ》と書かれている。本当に、何も変わっていない。
 自然と笑みが零れた。
 変わっていく世の中で、変わらないものもある。
 自分と瑪瑙や珊瑚、瑠璃、そして翔香との絆は、変わる事なく、ずっと繋がっている。
 でも、自分と大和をの絆は・・・
 わかっている。
 二人を結ぶ絆が、解け掛かっているのは――いや、もう解けてしまっているのかもしれない。
 いつも煮えきれない態度で、優柔不断で、男として情けない自分だけど、大和との絆は大切にしていた。でも、それがいつの間にか、こんなにも細く、こんなにも弱いものになっている。
 もう、元には戻れないのだろうか。
 未練がましいとは自分でも思っている。彼女は彼女であり、自分には彼女の全てを決める権利なんてない。だから、これは自分のわがまま。
 誰にも大和を取られたくない。
 大和に離れてほしくない。
 大和と、ずっと一緒にいたい。
 何でもないようにあった日常が、こんなにも自分を包んでいたなんて、気づかなかった。
 大和の笑顔が、心に痛い。
 どうしてだろう。大和を自分から奪った坂井が憎い。
 自分にこんな黒い感情があるなんて、知らなかったし、知りたくもなかったのに。その黒い感情は、ぐるぐると自分の中で渦巻く。
 自分の事なのに、何もわからない。こんなにも苦しく、厄介な事はない。
 自分と大和の絆は、解け掛かっている。
 だけど、別の絆は、もっとしっかりと結ばれようとしている。
 ――・・・翔輝――
 落ち込む自分を、いつも励ましてくれている、大和の妹――武蔵。
 彼女は言った《自分から決して離れない》って。
 こんなにも嬉しい言葉はない。
 見える。自分と武蔵を繋ぐ絆が、強く、太く、固く結ばれているのを。
 大和の代わり、そんな風には思いたくない。だけど、それでも、自分には武蔵が必要。そんな想いが胸にある。
「あ・・・」
 なぜだろう。自然と手が動いていた。
 いつの間にか新しい鉛筆とスケッチブックを持って、手が動いていた。
 真っ白な何も書かれていない白紙に描かれたのは――武蔵の笑顔。
 自分にしか見せない、彼女が心の底からの気持ちが込められた、本当の笑顔。
 武蔵は大和みたいな満面の笑みじゃない。小さく、頬を少し上げ、頬を上気させた小さな小さな笑顔。だけど、それが彼女の本当の笑顔。
 そんな笑顔を、なぜ自分は書いたのだろう。
「何でだろうな・・・」
「・・・翔輝」
 突然の声に驚き振り返ると、そこにはいつもの無表情で立っている武蔵がいた。
「む、武蔵?」
「・・・絵、見せて」
「え? あ、いやッ! ちょっと――」
 止める間もなく、武蔵はちょこんと絵を覗き込む。その先にあるのは――
「・・・え?」
 武蔵の瞳が大きく見開かれる。
 そこには、かわいげな笑みを浮かべた自分が描かれていた。
 翔輝は顔に手を当ててがっくりと肩を落とす。見られてしまった・・・
「・・・これって」
「うん、武蔵だよ」
 驚く武蔵に、翔輝は穴があったら入りたいような気持ちになった。恥ずかし過ぎる。
 武蔵は驚きながらもじっと自分の絵を見詰める。
「あ、あんまり見ないでよ」
 翔輝は慌ててスケッチブックを閉じる。が、
「・・・もっと、見せて」
 武蔵はしまおうとする翔輝からスケッチブックを一瞬で取ってしまう。
「ちょ、ちょっと!」
 翔輝は武蔵からスケッチブックを取り返そうとするが、武蔵はそれを華麗に避け、自分の絵を見詰める。
 絵の中の自分は、とても幸せそうに見える。
 自分にとっての満面の笑みが、こんなにも小さい事に驚きもするが、それ以上に絵の中の自分は無邪気に笑っている。
 本当の自分よりも、ずっと笑顔がかわいい。そう思ってしまう。
 翔輝が自分の絵を描いていた。そう思うだけでも嬉しくて失神しそうなのに、それがまたうまい事。もう死にそうだ。
 武蔵は顔を真っ赤にし、恐る恐る翔輝に問う。
「・・・どうして、私の絵を?」
 武蔵の問いに、翔輝はどう答えたらいいか模索する。
「いや、どうしてって言われても、無意識に書いてたから」
「・・・無意識」
 意識して描いたのではないという落胆と、無意識なのに描いてくれたという嬉しさが武蔵の胸の中で交差する。
「・・・私、こんなに笑顔かわいくない」
「え? そ、そんな事ないよ。これはお前の笑った時の顔を描いたんだから」
「・・・でも私、こんなに笑えない」
 しゅんと落ち込む武蔵に、翔輝は笑みを送る。
「そんな事ないよ。武蔵の笑顔はかわいいさ。それこそ大和や陸奥とかにも引けを取らないさ」
「・・・本当?」
「ほんと」
 翔輝の言葉に、武蔵はまたも顔を真っ赤に染める。そして、手に持つ自分の絵を一瞥し、翔輝を見る。
「・・・私、翔輝に描いてもらって、嬉しい」
「え? あ、そう」
「・・・これ、私にちょうだい」
「え? あ、いや、でも・・・」
 今回ばかりはあげられそうにない。戦艦などの絵だったらいくらでもあげるが、今回のはあまりにも恥ずかし過ぎる。だが、
「・・・翔輝、お願い」
 武蔵は翔輝を上目遣いに見詰める。そんな懇願する武蔵に、ダメとも言い切れない。だけどこれは・・・
「・・・翔輝、お願い。私にちょうだい」
 うるうるとした瞳を向ける武蔵。こういう目にあまりにも弱い翔輝としてはかなり善戦した方だ。だが結局、
「わ、わかった。あげるよ」
 根負けしてしまった。
 武蔵はぱあっと顔を華やぐ。
「・・・ほ、本当!?」
「あぁ本当さ。まったく、武蔵のお願いには勝てないなぁ」
 苦笑いする翔輝は絵を切り離して武蔵に渡す。すると、武蔵は笑みを浮かべる。その笑みは、絵に描かれた笑顔のよう――いや、それ以上にかわいげな笑顔だった。
「・・・ありがとう翔輝! 早速スキャナーを用意しないと!」
「あははは・・・って、スキャナー? 何でそんな物使うの?」
 あまりにも突拍子もない言葉に、翔輝は「この時代にない物を言うな!」というツッコミを忘れる。
「・・・だって、その・・・」
 問われた武蔵は恥ずかしそうに頬を染めてこう答えた。
「・・・そうしないと、翔輝の魅力を全世界にWEBウェブで発信できない」
「待てぇッ! 返せ! やっぱりそれは返せ!」
 そんな事をされたら人生終わりだ。まだ始まってたった十数年しか経ってないのに、スタッフロールが流れるのはごめんだ。
「・・・だ、ダメ! これはもう私の! 私の宝物!」
 武蔵は今にも泣きそうな顔で必死になってその絵を守る。そんな武蔵から物を奪えるほど、翔輝は非情な人間にはなれなかった。
「うぅ・・・わかったよぉ。ただし! それは門外不出の物としてくれ! 決して人に見せるな! 見せたら絶交! その瞬間からお前の事は二号艦って呼ぶからな!」
 武蔵は《絶交》と《二号艦》って単語に青ざめ、何度も何度もうんうんとうなずく。どうやらこの子にはこういう単語が絶大な威力を与えるらしい。
「・・・わかった。翔輝のすばらしさは私だけが知っていればいい。翔輝を独り占め。翔輝と私の秘密」
 武蔵は何事かをつぶやきながら顔を真っ赤にしている。大丈夫だろうか。
「と、とにかく。絶対人には見せるなよ」
 翔輝は念押ししてスケッチブックなどを片付けて立ち上がる。
「じゃあな」
 翔輝は武蔵に背を向けて歩き出す。それを見て武蔵は慌てて彼を追い掛けると、空いている左腕にギュッと抱き付く。
「お、おいおい離れろよ」
 そう言うが、武蔵は笑みを浮かべたまま離れようとはしない。それどころか、
「・・・翔輝、大好き」
 と威力絶大な攻撃を放つ。
 翔輝はため息し、許してやる事にする。彼自身、こうした温もりが嬉しかったりする。
 翔輝に抱きついたままの武蔵は満面の笑みを浮かべる。そして、そんな武蔵に懐かれている翔輝は、武蔵に小さく笑みを送ると、二人して艦内に消えた。







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