第九章 第一節 陸奥の想いは永遠に輝き
六月五日、各地に展開している日本海軍全艦魂がそれぞれの場所で黙祷を捧げた。
この日、日比谷公園で前連合艦隊司令長官山本五十六元帥の国葬が厳かに執り行われた。そして、ちょうどこの日、艦魂達にとっても忘れられない日だった。
忘れもしない、去年起きたあの悪夢。
一九四二年の今日、日本海軍の全兵力を結集させて、そして無惨にも大敗北したあの戦い。
尊い四人の少女と共に多くの兵員が命を落としたあの戦い。
――ミッドウェー海戦。
あれからもう一年が経ったのだ。あの戦い以降戦局は悪化し、幾多の戦いで多くの艦艇や人が死んでいった。
そんな遠い昔のような悲惨な敗北日と山本の国葬が重なった今日は、艦魂達も暗い気持ちも隠せなかった。
山本元帥の国葬から三日後の六月八日、初夏の日差しが呉の海をキラキラと照らし上げるそる日、波が揺れる海の上に浮かぶ一隻の戦艦――『陸奥』。
一足速く整備を終えた『陸奥』はドックから出てこうして日の目を見る事となった。
甲板の上で、久しぶりの海に陸奥は嬉しそうに身体を伸ばす。
「やっぱり海はいいですね」
「そうだな」
そう答えたのは夏用の白い第一種軍装を着た翔輝だ。彼は『陸奥』で行われた各艦の航海士達との会議に参加する為に『陸奥』にいる。会議は無事に終わり、余った時間をこうして陸奥と一緒に過ごす事となった。
「そういえば、中尉が私に乗るのは久しぶりですね」
懐かしそうに言う陸奥に、翔輝はうなずく。
「あぁ、お前と初めて会った後に『陸奥』に乗ったのは五回ほどだったし、前回乗ったのは去年の暮れだったしな」
「あれからもう半年ですか。月日が経つのは早いですね」
そう言う陸奥の瞳は暗い。その半年という期間の間には、日本が敗北への道を確実に踏み出した軌跡がある。思い出すのも辛いのだろう。
「まあ、いい事も悪い事もたくさんあったよね」
辛い思いは否定しない。翔輝自身も辛い思いは何度もしてきた。だが同時に、良かった事もたくさんあった。全てが全てダメだった訳じゃない。
翔輝の励ますような言葉に「そうですね、そうですよね」と陸奥は小さく笑みを浮かべた。
陸奥の笑みに満足すると、翔輝はふと軍港の方を見詰める。そこにはドッグがあり、今も『大和』が整備を受けている。
「第一艦隊が役立たずって言われるのも、仕方ないかもしれませんね」
突然の言葉に翔輝は陸奥を見る。陸奥は悲しそうに微笑むと、居並ぶ戦艦群を見詰める。
「戦艦の時代は終わり、今や航空機の時代。金剛さん達はその高速力を生かして最古参ながら機動部隊護衛や敵基地砲撃などを行ったのに対し、それ以外の戦艦は低速で使い道がなくて、こうして待機の日々ばかり。いつも内地にいて、外海に出ても比較的安全なトラック島からは出ようとはせず、毎日訓練ばかり。これじゃ、駆逐艦や巡洋艦から「能無し」「役立たず」「ただ飯ぐらい」と言われても仕方ないです」
悲しげに言う陸奥。何かあったのだろうか。
「何かあったの?」
翔輝が問うと、陸奥は自虐的な笑みを浮かべる。
「いえ、ただ昨日、前線部、水雷部、隠密部、補給部の合同会議が行われた際、偶然通り掛った時に聞いてしまったもので――「戦艦達は役に立たない。資材不足の今、戦艦なんて解体して全部駆逐艦や飛行機に変えるべきだ」って」
「そりゃひどいなぁ」
とんでもない事を言う艦魂もいたものだ。戦艦は今だって海戦の主力である。今はまだ適地がないだけであって、いざ出撃すればそれは日本海軍の栄光に繋がる。そんな戦艦を解体しろだなんて――それは、大和達に死ねと言っているのと同じ事になる。
翔輝はいつになく腹立たしかった。無責任かつ仲間に向かってそんな残虐な事が言える艦魂がいるだなんて、驚きと同時に怒りを覚える。
不機嫌そうな顔をしている翔輝に、陸奥は悲しそうに微笑む。
「そう怒らないでください。彼女達の意見はもっともです。戦艦は戦う艦と書いて《戦艦》と言います。なのに戦う場所がない、戦う機会ではないと言って逃げ続け、安穏と暮らしている私達は戦艦失格です。日露戦争では戦艦は十二分活躍しましたし、今の戦争だってアメリカは空母の護衛に戦艦を使ったり、戦艦の艦砲射撃で島々を攻略したりしています。比べるまでもありませんよ」
「陸奥・・・」
陸奥は真面目でしっかりした子だ。何事にも全力で、努力に努力を重ねて目的を達しようとする健気な子だ。それだけに、仲間達が命懸けで戦っているのに自分だけが何もせずに安穏と暮らしている事に責任を感じているのだろう。
握られた拳は真っ白で、小刻みに震えている。
「陸奥・・・」
「私も、艦魂になるんだったら空母の艦魂になりたかったです。そうすれば、みんなの力になれる・・・変ですよね? 戦前は自分が戦艦である事に誇りを持っていたのに、今じゃ戦艦である自分が嫌いだなんて」
自虐的に笑う陸奥に、翔輝は掛ける言葉を模索する。
「まあ、いつかお前にも大切な役目が来るはずだよ。きっと」
散々考えたが、出て来たのはそんなあまりにも情けない言葉だった。翔輝自身、このまま戦艦部隊は待機したまま戦争は終わってしまうのではないかという不安が過ぎった。『大和』も、世界最大最強の四六cm砲を敵に撃つ事なく戦争の終わりを迎えるのではないか、そんな予感がした。
それはそれでいいかもしれないが、彼女達はそれを許さないだろう。
大和も陸奥も戦争は嫌で戦いたくはないはず。それでも、仲間が傷つき、必死に戦っているのに自分達は何もしないなんて、そんな事はあってはならない。それが、艦魂なのだ。
「そうですね・・・そうである事を、今は願うばかりです」
陸奥は翔輝の言葉に静かにうなずくと、天を仰いだ。蒼い空を見上げる彼女の横顔を盗み見ると、その瞳はどこか悲しそうだ。
「陸奥」
翔輝はポンと陸奥の肩を叩いた。驚いたように陸奥が振り向く。
「え? 何ですか?」
「あんまり深く考えるなよ。悪い方へ考えてもキリがないよ。君のせいじゃない。そう自分を責めるなって」
翔輝の言葉に、陸奥は「そうですね」とささやき、小さく微笑んだ。その笑顔は小さいながらもとても優しく、煌いている。翔輝もそんな陸奥に小さく微笑むと、そっと海を見詰める。
しばし二人して黙ったまま潮風に当たっていたが、翔輝は頭の中である事を考えていた。
今現在大和達は会議室で今後の戦局に対する議論をしている。会議には各部の部長と志願で副部長も加わったメンバーで構成されているが、かなり切羽詰まっているようだ。
アッツ島守備隊玉砕の報は艦魂達にも焦りを呼んでいる。このままでは各地に待機している守備隊が米軍の猛攻撃で全滅する恐れがあるのが現状だ。
さっき翔輝は会議室を覗いたが、議論は今まで以上に地に足を着けていない意見をぶつけ合っていた。金剛なんかは残存戦艦部隊を結集させて敵艦隊に突っ込ませるという無茶無策無謀の三連撃を放っていた。そんな中、武蔵は最終防衛線絶対死守論を唱えていた。千島、マリアナ、フィリピンを中心に絶対死守拠点を位置付け、そこを守る為に日本海軍残存全戦力を投入するという意見だ。これは後に日本軍が提唱した『絶対国防圏』と全く同じものだった。さすが連合艦隊旗艦。的確な意見を出す。が、その意見に対し山城が意見した。その理由は簡単だった。絶対防衛線を完成させる為にはその勢力圏の外地にいる守備隊を撤退、新基地の建設やすでにある基地の改良・戦力の増強などやる事が多くある為難しいという事だ。武蔵もこれには答えられず、再び激論がされる事になった。
大和も頭を悩ませていた。日々確実に侵攻して来る敵に対し、満足に防衛戦もできない状況。これを見て頭を抱えない方がおかしい。
そんな大和達の邪魔をしちゃいけないと、翔輝は黙って離れたのだ。
今頃もきっと皆で議論を交わしているのだろう。だが、大和達が苦しんでいても、一介の航海士でしかない自分は何も応援する事ができない。自分の無力さを改めて理解する。
「中尉」
考えに耽っていた翔輝は陸奥の声と裾を掴まれる感触に現実に戻る。
「え? あ、陸奥?」
「もう、また中尉はぼーってして」
そこには腰に両手を当てて少し怒ったような顔をしている陸奥が立っていた。
「まったく、人に悪い方へ考えるなって言う中尉自身が悪い方へ考えるなんて本末転倒です。もう少し自分の言った事には責任を持ってください」
陸奥は人差し指を立てて翔輝の鼻先に向ける。そんなちょっと強気な陸奥に翔輝は驚く。
「陸奥? どうしたの突然?」
驚く翔輝に、陸奥は強気な態度から一転して優しげな笑顔を浮かべた。
「えへへ、どうですか? こういう強気なキャラは?」
笑顔で言う陸奥。どうやら今のは演技らしい。そんな陸奥に翔輝はため息する。
「びっくりさせないでよね。それに、強気な女の子は榛名だけで十分だよ」
「それもそうですね」
陸奥はてへっと舌を出しておどけたように笑う。そんないつにない仕草に翔輝はドキリとする。
「陸奥?」
「元気になりましたか?」
「は?」
陸奥は真剣な瞳で翔輝を見詰める。潤んだ瞳はしっかりと彼を捉えて離そうとはしない。
驚いた顔で自分を見詰める翔輝に陸奥は静かに微笑む。
「私、中尉にはいつでも笑っていてほしいんです。だから、悲しい顔は、しないでください」
陸奥は翔輝の手を取ってそう言った。その笑顔に、その優しさに、翔輝は自然と微笑んでしまう。
「あぁ、ありがとう。陸奥」
「はい」
互いを見詰め合い、互いに微笑み合う。こんなに幸せな事はない。
翔輝は知っている。
こうした優しく温かく、平和な日々こそ、かけがえのない幸せだという事を。
翔輝はふと『陸奥』を見上げた。
国民が知っている戦艦の中では最新鋭艦であり、姉艦『長門』を上回り最も国民に愛されている戦艦。それがこの『陸奥』だ。天高く聳える前檣楼はまさに浮かべる城の象徴である。重厚な装甲で守られた四一cm連装砲は大和型を除けば世界最大最強の主砲だ。
戦艦『陸奥』。それは世界最大最強の戦艦という名前を姉と共に長らく持ち続けた英雄戦艦だ。
翔輝はそんな『陸奥』を見上げる。大和型のようにすでに完成されたのではなく、時代の流れの中で何度も改造されたその痕跡は色々な所で見られ、彼女が必死に日本を守る為に生きてきた証のような感じがした。
「古い・・・ですか?」
「え?」
振り返ると、不安げに瞳を揺らす陸奥が自分を見詰めていた。
「私、古いですか?」
「え? そんな事ないよ」
「ほ、本当ですか?」
「う、うん」
戦艦『陸奥』は竣工してから二〇年以上経っている。確かに諸外国の戦艦に比べたら年季が入っているが、それでも『陸奥』は日本の中では太平洋戦争までは一番新しい戦艦だった。それを古いと言っては金剛型は旧式戦艦という名称では押さえきれなくなってしまうだろう。
だから、決して『陸奥』は古くはない。しかしそんな『陸奥』の心である彼女は恥ずかしそうに己が身を抱き締める。
「わ、私は今年でもう二二歳になります。軍縮条約が適用される前の時代では引退していても仕方がない古い戦艦です。だから、私は大和ちゃんや武蔵ちゃんのような生まれたてのピチピチの戦艦じゃないです。だから、その・・・あまり見ないでください」
恥ずかしそうに言う陸奥に、翔輝は色々とツッコミをしたかった。『陸奥』が古い戦艦なら金剛型は記念艦クラスに古い戦艦だろうがとか、生まれたてのピチピチの戦艦って何だとかだが、とりあえず今は無視しよう。
自信なさげにうつむく陸奥の肩を、翔輝はそっと叩く。その行動に陸奥は驚いたように顔を上げる。そんな彼女に、翔輝は優しく微笑む。
「まあまあ、大和は大和。お前はお前だろ。比べるものじゃないよ」
「で、でも、私は・・・」
「年なんか関係ないさ。陸奥は陸奥だろ? それ以外の何者でもないさ」
翔輝は笑顔でそう言った。それは彼の心の底からの想いだった。陸奥は陸奥。何があろうと変わる事のない事実。それだけで、何もいらない。ただそれだけ。
翔輝の言葉に、陸奥はぱあっと笑みを浮かべた。たったそれだけの事なのに、陸奥にとっては嬉しくてたまらない。
「中尉ッ!」
「うわッ!?」
陸奥は笑顔満開で翔輝に抱き付いた。慌てる翔輝を無視して、彼の胸に頬擦りする。
彼の言葉が、彼の存在が、私の心を突き動かしてくれる。自信を失ったり、悲しくなったりしても、彼がいれば乗り越えられる。それが、嬉しくてたまりない。
「中尉! 大好きですッ!」
「わ、わかった! わかったから離れて!」
「好き好き好き、大好き!」
「離れてってばぁッ!」
陸奥は翔輝に散々抱き付いた後、「す、すみません!」と顔を真っ赤にして離れた。その後は気まずくてお互い何も話せなくなった。だが、いつまでも沈黙を続ける訳にはいかない。翔輝は思い切って口を開く。
「そ、そういえばさ、陸奥って来週にもトラックに行くんだろ?」
逸早く整備を終えた『陸奥』は来週にも再びトラック島へ向かう事になっていた。そうなれば、しばしの別れとなってしまう。
翔輝の言葉に、陸奥は顔を伏せた。
「はい、来週には出撃命令が下ります。そうなれば、私は単艦でトラック島に向かう事になるでしょう」
「そっか・・・」
「もしかして中尉、寂しいんですか?」
陸奥はイタズラっぽい笑みを浮かべてからかうように言う。が、
「うん。寂しいよ」
「え・・・」
思っていたのと違う回答が返ってきた事に陸奥は驚く。そしてすぐに顔を真っ赤に染めて急いで彼から視線を逸らす。
「な、何言ってるんですか。中尉には大和ちゃんや武蔵ちゃんとかがいるでしょ? 私がいなくなるくらいで寂しいだなんて――」
「そりゃ寂しいさ。確かに大和や武蔵達と一緒だから極端な事はないけど、でも――」
翔輝はそっと陸奥の頬を撫でた。初めてされた行為に陸奥の心拍数はギネス記録を更新する勢いで加速する。そんな陸奥に、翔輝は優しく微笑む。
「君は、《陸奥》は君一人しかいないだろ?」
その言葉を聞いて、本当に嬉しかった。
自分はちゃんと彼の大切な一人として存在していたんだ。離れられると悲しくなってくれる、そんな存在に、
「中尉」
「うん?」
「セリフが黄金のワンパターンですよ」
「うっ・・・」
言葉に詰まる翔輝に、陸奥はおかしそうにくすくすと笑う。
「まさか中尉がそんな事を言うなんて、意外です」
「そ、そっかな? 変かな?」
「いいえ。それもまた中尉の良き一面だと思います。中尉の優しさだと思います」
「陸奥・・・ありがとう」
「礼を言われる事は何もしていません。むしろこちらが礼を言わねばなりません。私なんかの為に寂しがっていただけるんですから」
「そんな言い方するなよ。《私なんか》なんて悲しい事、言っちゃダメだよ」
「ふふふ、そうですね。失礼しました」
おかしそうに笑う陸奥を見て、翔輝は自然と笑顔になる。
そういえば・・・
「なぁ陸奥。君とこういうふうに二人っきりで話すなんて、ずいぶん久しぶりだよね?」
「そういえばそうですね。いつもはうるさくて束縛グセのある大和ちゃんやいつもくっ付いている武蔵ちゃんがいましたからね。こんなふうに二人でお話しするのは久しぶりです」
「そっか・・・なぁ、陸奥。覚えてるか? 君と初めて話した時の事を」
「えぇ、覚えてますよ。あの時は私の中で迷子になってましたよね?」
「うっ、嫌な事を思い出させないでよ」
「ふふふ、ごめんなさい」
おかしそうに笑う陸奥を一瞥し、そっと海の向こうを見詰める。
「そう、あれは――」
戦争が勃発して少し経ったある日、当時『大和』艦長だった高柳儀八大佐に伝令を頼まれて、初めて『大和』以外の戦艦に乗り込んだ。それが『陸奥』だった。
そんな『陸奥』の中で方向オンチである翔輝が当然のように迷子になった時、そっと手を差し伸べてくれたのが、彼女だった。
自分と同じくらいの女の子に助けられたのはちょっと恥ずかしかったが、彼女はとても落ち着いた雰囲気をかもし出していたので、一目見ただけでは同い年とはわからなかった。
そんな彼女とは、大和の次に長く付き合ってきた。
「そういえば、陸奥は僕が会った艦魂では三番目だったね」
「そうですね。大和にお姉様、そして私。最近はなんか強烈なキャラが多くて忘れていましたけど、私は中尉の知り合いでは古参組に入るんですね」
「あれから、もう一年半になるんだね。長かったような短かったような」
「あれから、色々ありましたね。出会いと別れの繰り返しが」
陸奥は懐かしそうにつぶやく。そう、出会いもあったが別れもあった。そんな激動の一年半だったのだ。
「あぁ、そうだな」
翔輝も思い出す。たくさんの艦魂と出会い、たくさんの艦魂と別れた。悲しい事もあったけど、だがそれ以上に楽しい事が多かった、そんな一年。
その時、陸奥は何か言おうとしたが、すぐにうつむく。そしてまた口を開くが閉じる。それを繰り返す事五回、ついに陸奥は意を決したように顔を上げた。
「中尉。中尉にある少女のお話をしてあげましょう」
「え、何?」
翔輝が不思議そうに問うと、陸奥は顔を上げ、遠い空を見詰めた。その瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
「これはまだ生まれてまもなく、多くの国民に祝福されて生まれたある軍艦の艦魂の話。その時すでに少女には信頼できる優秀な姉がいました。その姉は能天気な事ばかり言ってまわりをからかっていたけど、本当は誰よりも仲間想いな艦魂でした」
「それって・・・」
「少女は多くの仲間と一緒に平和な時代を生きました。そして、生まれてから数年経ったある日、少女の前に一人の青年士官が現れました。その青年は何人もの艦魂と親しくしてきた艦魂を相手にするのがとてもうまい方でした。少女に対してもとても優しく接し、二人はすぐに仲良くなりました。それからは毎日が幸せ。彼と会うのが楽しくて、嬉しくて、幸せだった。少女がそれを恋だと感じたのはそのすぐ後、少女は一生懸命勇気を出して告白しました。そしたら、彼も同じ気持ちを抱いていました。その後二人は恋人になり、少女は初めての口付けを彼に捧げました」
陸奥は淡々と話すが、その言葉の端々には強い想いがこもっていた。やっぱり、この話の少女とは――
「幸せでした。本当に幸せでした。そんな幸せが永遠に続けばいいと思っていました。でも、それは突然終わりを迎えました」
陸奥はそこで一度言葉を切り、辛そうに唇を噛む。
「ある日、その軍艦はシンガポールのイギリス海軍と合同訓練の為に出撃しました。その時、突如その軍艦の右舷で爆発が起きました。どうやら第一次世界大戦中に敷設された機雷に触れたらしく、運悪くそれはその軍艦の装甲を破壊してしまいました。破口から大量の海水が艦内になだれ込み、浸水によって艦は右に傾き始めました。少女は吐血を吐いて、生まれて初めて血の味を知りました。鉄の味でした。痛く苦しく、辛かった。すぐにでも左舷タンクに注水さえすれば問題はなかったのですが、タンクの注水弁の付近にある電気室が火災を起こして異常加熱を起こし、浸水した海水がすさまじい熱湯となって付近一帯を覆いました。そのせいで、誰も近づく事ができなかったんです。少女は死を考えましたが、青年は諦めませんでした。青年は「待っててくれ、すぐに注水して来る!」と言って飛び出して行きました。少女は泣き叫びながら青年の背中に手を伸ばしましたが、それは虚空を横切っただけでした。そして十数分後、軍艦は左舷タンクに注水がされ、艦の傾斜は元に戻り、沈没は免れました。応急処置を終えた少女は嬉しくなって、自分を救ってくれた青年を思いっ切り抱き締めてやろうと思いました。しかし、青年は二度と帰ってきませんでした。後日、青年が熱湯の中で絶命しているが発見されました。その手はしっかりと注水開閉弁のハンドルを握っていたそうです。少女は泣きました。自分を犠牲にして少女を救った青年に対し、泣きました。それで少女が喜ぶ訳がありませんでした。怒りを覚えました。何もできなかった自分に対して、自分を置いて先に逝ってしまった彼に対して、様々な感情が渦巻き、少女は一時引きこもりになりました。ですが、少女の姉や仲間が少女を救いました。長い年月をかけて、少女は少しずつ元気を取り戻し、以前と変わらぬ笑顔を見せるようになりました。そして、時代は流れ、少女は今大東亜戦争の中で戦い、そして、今ここに立っています」
そこで陸奥は辛そうな顔をしながら顔を上げて翔輝を見詰めた。その瞳はとても悲しげに揺れている。
「そう、もうわかっていると思いますけど、この少女は私です。私の初恋の相手は、私を救って死んでしまったのです」
陸奥の瞳は濡れていた。キラキラ光る瞳なのに、それはとても寂しげに見える。
「そして、中尉。あなたは私の初恋の相手に良く似ています」
「僕が・・・?」
「はい。優しく、おもしろく、一緒にいて楽しいと思える、そんな所が同じです。だから、私は中尉に近づいたんです」
「陸奥・・・」
「最初、私はあなたに死んだ彼を求めていました。しかし、やはり別人。彼とは違いました。しかし、気がついた時には中尉はそれでも私にとってかけがえのない存在となっていました。こんな気持ちになったのは、彼との出会い以来初めての事でした。だから、私は今でも中尉の傍にいるんです――これが、私の全てです」
陸奥はそう言うと、翔輝の胸に飛び込んだ。翔輝は一瞬躊躇したが、陸奥の幸せそうな表情を見て、何も言わなかった。
「彼の事は、今でも忘れられません。でも、今の私には中尉が必要なんです。それだけはどうか、わかってください」
陸奥の言葉に、翔輝は静かにうなずく。
「あぁ、わかったよ。君とはちょっと違うけど、僕だって死んだ翔香の事を今でも忘れられないからね」
「・・・お互い、似た者同士って事ですね」
「そうだな・・・」
お互いに大切な人を失っている。そんな気持ちを共有できた事は少し嬉しかった。
その時、翔輝は沈黙したままの陸奥の頭をそっと撫でた。突然の行為に陸奥は驚いて翔輝を見詰める。そんな陸奥に、翔輝は優しく微笑む。
「陸奥。君には辛い思い出があるのがわかった。だから、辛くなったら、いつでもおいで」
その言葉に、陸奥は瞳を大きく見開く。
「僕じゃ役不足かもしれないけど、君を大切に思っているのは誰にも負けない自信がある。いつでもこの胸を貸してやる。これは大和達だけのものじゃないしな。お前も――」
そこで翔輝は言葉を止めた――いや、止めるしかなかった。陸奥が――陸奥が泣いていたから・・・
陸奥は嗚咽を交えながら後から後から溢れてくる涙を軍服の袖口で拭い取る。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「陸奥・・・」
「ありがとうございます・・・ッ! そのお言葉、私の胸にしかと響きました。そのご好意に、甘えさせていただきます」
「え――ちょ、ちょっと・・・ッ!」
陸奥はいきなり翔輝に抱き付いた。慌てる翔輝の胸の中、陸奥は嬉しそうに泣いていた。そんな顔を見ては、翔輝が抵抗できる訳もなく――
「中尉の胸、すごく温かいです」
「そ、そうかな?」
「はい。とても心が落ち着きます」
翔輝は陸奥を抱き締めていた。いつも大和や武蔵、隼鷹にやるように。だが、いつもは自分より頭一つ分以上小さい体を抱き締めていたが、陸奥は翔輝より少し身長が低いだけなので、いつもと少し違う感覚だった。
陸奥は落ち着いたのか、そっと翔輝を見上げ、満面の笑みを浮かべる。
「ずっと、一緒にいましょうね」
「あぁ、ずっと一緒だ」
陸奥は嬉しそうにうなずいき、再び翔輝の胸に顔を埋める。
こうして見ると、陸奥はすごくかわいい女の子だった。今まであまり二人っきりという時間がなかったので気づかなかったが、陸奥は美少女だ。
今頃それに気づいて、翔輝は顔を真っ赤にしたままあわあわと慌てる。急いで陸奥を離そうとするが、陸奥は離れようとしない。
「ちょっと陸奥!」
「もう少し、このままでいたいです」
「あ、いや、ちょっと暑いからさ、艦内に入らない?」
汗を垂らしながら苦笑いする翔輝に、陸奥は「すみません!」と慌てた様子で飛び退いた。現在気温は二八度。日差しは全開で二人を照らし上げている。かなり暑い。
陸奥は慌てた様子でポケットからハンカチを取り出して翔輝の額を拭った。
「そ、そうですね。冷房の効いた中に入りましょうか」
「うん。そうしよう」
翔輝は笑顔でそう答えると、手を差し伸べた。その手を、陸奥は嬉しそうに笑みを浮かべて掴む。二つの手はしっかいと結ばれ、二人を繋ぐ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
翔輝は歩き出し、陸奥も一歩足を踏み出した。
ドクン・・・ッ!
「ッ!?」
「む、陸奥ッ!?」
突然襲ってきた衝動に、胸が締め付けられるような痛みを感じ、陸奥はそのあまりの激痛にその場に倒れた。
「陸奥! しっかりして!」
翔輝が慌てて彼女の身体を抱き起こす。すると、陸奥は額に脂汗を垂らして、苦しそうに顔をゆがめている。
「陸奥!」
陸奥は自分を襲う謎の痛みに困惑した。
この痛みは、何かの警告のような気がしてならない。
悪い予感が、最悪が迫っている。そんな気がした。
心臓を鷲掴みにするような痛みだったが、それは意外にも早く終わりを告げた。
「はぁ・・・」
息を吐き出し、痛みが完全になくなった事を確認する。
陸奥は翔輝の手を借りずになんとか自力で立ち上がる。
「だ、大丈夫なの?」
「はい、ちょっとめまいがしただけです」
「え? でも、苦しそうだったけど・・・」
「平気です。それよりも早く中に入りましょう」
「え? あ、うん」
翔輝は陸奥に手を引かれるように艦内に入って行く。そんな彼を引っ張る陸奥は倒れたのを感じさせないくらい元気だった。
「あ、あまり無理はするなよ」
「わかってますって」
翔輝の言葉に、陸奥は笑顔で答える。だが、その心内では先程感じた不安が渦巻いている。
一体先程の胸を締め付けられるような痛みと悪い予感は一体なんだったのだろうか。何度考えてもわからない。
陸奥は首を振ってその考えを振り払う。
今はそれより彼と共にいる時間を少しでも長くしたい。
「さあ、早く早くぅッ!」
「わ、わかったから引っ張るなって!」
翔輝と陸奥はは鉄の廊下を進む。『大和』や他の軍艦と同じ鉄に囲まれた通路。それは無機質ながらも、人々の活気が溢れている。
陸奥はしばらく翔輝をどこかへ引っ張って行く。すると、
「えへへ、ここが私の部屋です」
そう言って迎え入れたのは誰も使っていない部屋であった。そこはどうやら陸奥の自室になっているらしい。
中はやっぱり鉄の空間である。ベッドとテーブル、タンスしかないシンプルな部屋だが、よく見るとベッドには何個かぬいぐるみが置いてある。
「へぇ、ここが陸奥の部屋か」
「すみません。とても女の子の部屋には見えませんよね?」
不安げに言って来る陸奥。確かにこれは女の子の部屋には見えないが、そんな事を言っても彼女を悲しませるだけだ。だから、
「そんな事ないって。ほら、あのぬいぐるみは女の子っぽいし」
そう言って翔輝はベッドに近づくと、ぬいぐるみを掴む。犬のかわいいぬいぐるみだ。
「えへへ、それはお気に入りなんですよ」
いつの間にか、陸奥は紅茶を用意してくれていた。
「さあ、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
翔輝はぬいぐるみを元に戻すとテーブルの椅子に腰掛ける。するとその前に淹れたての紅茶の入ったティーカップが置かれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
翔輝は紅茶を飲む。ほのかな甘みがまたおいしい。
陸奥も翔輝の対面に腰掛けると、そっと紅茶を飲む。
翔輝はティーカップを置くとふと辺りを見回す。すると、
「あれは?」
タンスの上に置かれた一枚の写真に目がいった。翔輝の視線を追った陸奥は、「あぁ」と小さくつぶやくと、悲しげに微笑む。
「先程話した私の初恋の相手です」
「へぇ、見てもいい?」
「はい」
翔輝は立ち上がるとタンスに近寄って写真を手に取る。そこには大和くらいの年の頃の陸奥が立っていた。まだ今のように大人に近い体つきはしておらず、幼さに溢れている。そんな彼女の横に立つのは自分より少し年上に見える青年士官。優しげな笑顔が特徴的だ。
「この人が、陸奥の初恋の人?」
「はい。とてもお優しい方でした」
本当に好きだったのだろう。写真に写る彼女はとても幸せそうに見える。
「これが、僕が知らない陸奥の過去か」
「・・・はい。中尉の知らない、中尉に出会うずっと以前の私です」
人にはそれぞれ知らない過去がある。それは艦魂も同じ。楽しい事や嬉しい事もあるが、辛く悲しい記憶であったりもする。それが過去。それが記憶。陸奥もそんなものを持つ一人なのだ。
「僕の知らない陸奥かぁ。なんか寂しいな」
「寂しい?」
「うん。なんかさ、僕はずっと陸奥と一緒にいたからさ、君の事は結構わかっているつもりだったけど、こうして僕の知らないものを見せられると、なんか寂しくなるんだ」
悲しげに言う翔輝に、陸奥は小さく微笑んだ。
自分だって、彼と出会う以前の彼は知らない。だけど、それでいいのだ。例え彼に自分の知らない過去があったとしても、それを含めた全てを、自分は好きなのだから。
「中尉」
陸奥はそっと彼の腕に抱き付いた。驚く翔輝に、陸奥は満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。私は私です。過去なんか気にしないでください。中尉には、《過去》の私より《今》の私を見てほしいんです。人にはそれぞれ過去がありますが、それは《過去》でしかなく、《今》とは違います。《今》は《未来》に繋がります。だから、《今》の私を見てください。私は、《ここ》にいるんですから」
陸奥はそう笑顔で言うと、ギュッと翔輝に抱きつく。身体全体で彼を感じる。それが嬉しくてたまらない。翔輝もそんな陸奥を拒む事はせず、少し恥ずかしそうに彼女の行為を受け入れる。
「ずっと、一緒にいましょうね」
「あぁ、ずっと一緒だ」
ずっと一緒。
なんて平凡で、なんて幸せな響きなのだろう。
そう、こんな日々が続いてくれればいい。
戦争なんてなく、平和な日々が続いてほしい。
こうして、愛する人と一緒にいる日々が続いてほしい。
こんな幸せが、ずっと続いてほしい。
ずっと、このまま・・・
ドクン・・・ッ!
「む、陸奥ッ!?」
急にまた胸が締め付けられるような痛みが走った。
胸を押さえ、陸奥はその場に倒れた。
胸が痛くて、息が苦しい。
「陸奥! どうしたんだよッ!?」
翔輝が慌てて陸奥の身体を抱き起こす。
陸奥は困惑していた。先程感じた痛みに似ているが、今度のは先程よりも何倍も痛くて苦しい。
胸が痛い。
痛くて痛くて、気絶してしまいたいくらい痛い。
近くで翔輝が叫んでいるのに、まるでどこか遠くで叫んでいるかのように声が遠い。
「ちゅう・・・い・・・ッ!」
陸奥は翔輝が遠くに行ってしまわないように、痛みに耐えながら手を伸ばす。
もう少しで、もう少しで彼の手に触れられる。陸奥はさらに手を伸ばす。その時、
「ゲホゴホッ!」
陸奥は激しく咳き込んだ。伸ばしていた手も口を押さえる為に引っ込めてしまった。
激しく咳き込み、手で必死に押さえる。その時、喉の奥から、熱い《何か》がこみ上げ、そしてそれは口からわずかばかりの勢いを伴って出てきた。
「陸奥!?」
その感触に、陸奥は驚く。そして慌てて隠そうとするが、そんな陸奥の手を、翔輝は強引に掴んで指を開かせた。
――陸奥の白い手、真っ赤に染まっていた。
「血ッ!?」
驚く翔輝は陸奥の顔を見詰める。陸奥はいつの間にか顔色は真っ青になっていた。そして、口からは真っ赤な血が溢れている。
「陸奥! ど、どうしたんだよッ!?」
「ちゅう・・・い・・・ッ!」
身体中に痛みを感じながら、陸奥の中には《悪い予感》が渦巻いていた。
何か、恐ろしい事が、自分の艦体の中で起きている。
陸奥は、必死に自分に声を掛ける翔輝を一瞥して、一体何が起きているのかを確認しようと窓の外を見詰め――絶句した。
部屋に備え付けられている艦尾が見える窓の向こうで、白い煙が上がっていた。その位置は第三砲塔付近――そこは、火薬庫の付近でもあった。
陸奥の顔からさーっと血の気が失せた。
まさか・・・ッ!
「中尉ッ! 逃げてくださいッ!」
陸奥はそう悲鳴を上げると、翔輝を力いっぱい突き飛ばした。
――刹那、大爆発が戦艦『陸奥』を包み込んだ。
すさまじい爆発は第三砲塔で起きた。火柱は天高くまで昇り、『陸奥』の堅牢な装甲を、艦体を貫いた。
大爆発のすさまじい威力に、『陸奥』の艦体はその身を貫いた炎の槍によって真ん中から真っ二つに折れた。艦体を折り、角度の浅い《く》の字型となる。
艦内は爆発の威力で壁や天井が崩れて瓦礫の山となった。
二人がいた部屋も爆発の衝撃で天井が崩れて瓦礫の山となった。
濛々と立ち込める塵で薄暗い部屋の中、瓦礫の隙間には真っ赤な血の海ができていた。
血の海に倒れているのは陸奥。口からは咳と共に吐血を繰り返し、腹部からはおびただしい量の血が流れ出ていた。
もはや痛みすら感じない。
朦朧とする意識の中、陸奥は残った力を振り絞って首を回して必死に想い人を捜す。
「ちゅう・・・い・・・ッ! どこ・・・です・・・か・・・ッ?」
必死に彼の姿を捜す。すると、あるものを見て陸奥は絶句した。
瓦礫の山から見えている、白い何か。それは人の手だった。
この部屋にいたのは自分と翔輝だけ。という事は――
「ちゅう・・・い・・・ッ!」
陸奥は仰向けだった身体を反転させて伏せると、力の入らない身体を引きずって彼の元へ向かう。
本当はもうとっくに動けるような身体ではなかったが、彼女の心が、彼女の想いが、その身体を突き動かす。
必死に瓦礫を掻き分けながら近づくと、案の定それは人の手だった。
「中尉・・・ッ!」
陸奥は必死になって瓦礫を崩す。力の入らぬ手に必死に力を入れて、吐血を繰り返しながらも、泣きながらでも、必死になって瓦礫を崩す。そして、
「中尉ッ!」
瓦礫の下から出て来たのは紛れもなく翔輝だった。彼は頭から血を流しているが、それ以外は特にケガをしている様子はない。陸奥は安堵した。すると、
「む、陸奥・・・? 陸奥ッ!?」
翔輝は瞳を開けて陸奥の姿を目にすると、顔を真っ青にして飛び起きた。目の前の血まみれとなった陸奥の姿に驚きを隠せない。
「む、陸奥ッ! どうしたんだよッ! 一体何が――うわッ!?」
陸奥のぐったりとした身体を抱き締めた途端、艦体が大きく震え、すさまじい勢いで傾きだした。同時に、陸奥は一際激しく咳き込んで吐血した。翔輝の身体が常人には見えない、艦魂の、陸奥の血で真っ赤になる。
「陸奥ッ! しっかりしろッ! おいッ!」
「ちゅう・・・い・・・」
もう意識が遠くなってきた。どうやらもう限界のようだ。
必死に自分に泣き叫ぶ彼の姿を見て、陸奥は最後の《力》を振り絞った。
自分はここで終わってしまうだろう。だが、彼を終わらせる訳にはいかない。
彼に生きてほしい。
別れとなってしまうけど、それでも、彼には生きていてほしい。
生きて、ほしい。
「なッ!? 何だッ!?」
翔輝は突然自分の身体が光り出した事に驚く。だが、すぐにそれが陸奥の《艦魂の力》だと気づく。そして、彼女の考えも・・・
「陸奥ッ! お前ッ! 僕だけ助けるつもりかッ!?」
翔輝は顔を真っ青にして陸奥の身体を抱き締める。
「やめろッ! そんな事をしたら、力を使っちまったらッ! もう、お前は・・・ッ!」
「・・・これで・・・いいんです」
陸奥の口から漏れた声は、あまりに小さく、か細いものだった。
「中尉には・・・生きていて・・・ほしい・・・ずっと・・・一緒って約束・・・いきなり・・・破っちゃったですけど・・・許してください・・・」
「陸奥ぅッ!」
泣き叫ぶ翔輝の頬を、陸奥はそっと手で触れる――白い手に、彼の涙が流れる。
「・・・中尉・・・生きてください・・・ッ! そして・・・姉さんや・・・大和ちゃん達を・・・頼みます・・・ッ!」
「陸奥ッ! 陸奥ぅッ!」
泣き叫ぶ彼の顔。見たくない、彼の辛い顔。彼には、ずっと笑っていてほしいのに・・・
「・・・最期に・・・これだけは・・・伝えたい・・・」
陸奥はゆっくりと身体を起こし、涙でぐちゃぐちゃになった彼の顔に、同じく涙でぐちゃぐちゃになった顔を近づけ――
そっと、口付けを交わした。
艦が大きく傾斜を続ける。
斜めに倒れていく景色の中、陸奥はいつまでも彼の唇に自分の唇を当て続ける。
そして、ゆっくりと離れた陸奥の顔は、満面の笑みが浮かんでいた。
それは、彼女が見せた――精一杯の、最高の笑顔だった。
そして陸奥は、心の中にある彼への想いを、悔いのないように口にした。
「長谷川中尉。あなたを、心の底から――愛しています」
瓦礫が崩れる音がした。
艦が悲鳴を上げる音がした。
戦艦『陸奥』の断末魔の悲鳴のような音が響き渡る。
そして、
「陸奥うううううぅぅぅぅぅッ――」
一人の少年の、大切な者を呼ぶ声が響き、途切れた。
次の瞬間には、彼の姿はどこにもなく、陸奥は一人真っ赤な海の上に力なく横たわっていた。
戦艦『陸奥』は急激に傾き、最後の瞬間を迎えようとしている己が艦体を見詰め、力なくため息した。
本当はもっと、彼と一緒にいたかった。
でも、もうそれも叶わない夢となる。
だけど、それでも、彼との大切な思い出があれば、きっと大丈夫。
これからは、ずっと彼を見守ってあげよう。
彼がこの戦争を無事に生き残れるように、幸せになれるように、祈ろう。
陸奥は静かに笑みを浮かべると、そっと、その瞳を閉じた――その瞳は、もう二度と開かれる事はなかった・・・
突如爆発を起こして轟沈した『陸奥』から一キロほど離れた位置にいた戦艦『扶桑』は、直後に『陸奥爆沈ス。一二一五』と発信した。
そして、その甲板には多くの艦魂が集まり、その光景に愕然とした。
戦艦『陸奥』が・・・陸奥が・・・死んだ。
突然の事に皆戸惑いが隠せない。そんな中、逸早く現実に戻ったのは・・・
「陸奥ッ! 陸奥ッ! 陸奥ぅッ!」
そう泣き叫びながら海に飛び込もうとしたのは陸奥のたった一人の姉――長門。そんな長門を駆逐艦の艦魂などが必死になって止める。
「放してッ! 陸奥が、陸奥がぁッ!」
「長門司令! もう遅いんです!」
「やめてくださいッ! 陸奥司令はもうッ!」
「放して! 放してぇッ!」
暴れる長門に金剛が駆け寄って落ち着かせようとするが、長門は気が狂ったかのように妹の名前を叫びながら暴れる。
そして、陸奥の親友だった伊勢は・・・
「うそや・・・陸奥が死にはるなんて・・・絶対にうそや・・・うそやぁッ!」
辛い現実に泣き出し、何度も首を横に振ってその場に崩れた。そしてそのまま大声を上げて泣き出した。そんな姉を、妹を、日向と扶桑をそっと抱き締めた。二人の目にも涙が浮かんでいるというのに・・・
榛名は目の前の状況に愕然とする。「何で、何でだよ」と小さく連呼する。
武蔵は最初こそは愕然としていたが、すぐに踵を揃えて見事な敬礼を彼女に向けた。その瞳からは涙が一筋流れていた。
そして、大和は・・・
「陸奥さんッ!」
大和は泣きながら長門と同じように海に飛び込もうとする。そんな大和を慌てた様子で止めるのは敬礼していた武蔵。
「・・・姉さんッ!」
武蔵は大和を後ろから羽交い絞めにして押さえ込む。だが、大和はそんな武蔵を振り払おうと暴れる。
「放してぇッ! 陸奥さんがッ! 陸奥さんがぁッ!」
「・・・姉さん! 落ち着いてぇッ!」
武蔵は必死になって暴走する姉を止める。向こうでは長門が駆逐艦達に押さえ込まれていたが、いかんせんこちらは武蔵一人だけ。しかも体格的には武蔵は大和より小柄なのでなかなか押さえ込めない。
「放して! 放してぇッ!」
暴れる大和を押さえ切れなくなり始めた時、
「大和司令! お気を確かにぃッ!」
そう叫んで武蔵の横から大和にしがみ付いたのは大和の従兵の雪風。彼女のおかげで脱出し掛けた大和はなんとか押さえ込まれた。
甲板の上に倒された大和は二人に押さえ込まれているというのに大暴れして脱出を図ろうとする。
「放してッ! 陸奥さんを助けないとッ!」
「司令! もう遅いんです! 陸奥司令は、陸奥司令はもう・・・ッ!」
「うそよッ! 早く陸奥さんを助けないとッ!」
泣き叫ぶ大和を押さえ込む雪風も、涙を流す。辛そうに顔をゆがめ、涙をぼろぼろと流し続ける。そんな部下の姿に、大和は暴れるのをやめた。
「もう・・・遅いんです・・・ッ!」
大和の白い頬に、雪風の涙がぼたぼたと垂れる。そんな彼女の姿に、大和はもう何も言えなくなった。
「雪風・・・」
「もう・・・遅いんです・・・」
雪風の言葉に、大和はようやく辛い現実を受け入れた。
――陸奥は、もういないのだと・・・――
「そ、そんな・・・ッ!」
大和は再び泣き出した。
いつも翔輝を巡ってケンカする事が多かった好敵手はであった陸奥は、もういないのだ。
辛い現実が受け入れ切れず、でも受け入れなくてはならない。そんな現実に、涙が止まらない。
「陸奥さん・・・ッ!」
苦しそうに涙を流す大和を、そっと抱き締める雪風。彼女も陸奥とは少なからず接点があった人物。彼女の死を目の前にして、自分も辛いだろうに、必死になって忠誠を誓う上官を励ますその姿に、まわりからは涙が溢れる。
そんな姉を悲しげに見詰め、武蔵は海から立ち上る黒煙を見詰めた。
「・・・翔輝に、伝えないと」
武蔵はそうつぶやくと身を翻す。その時、
「ちゅう・・・い・・・?」
今まで泣いていた大和が急に泣き止んだ。そしてすぐに顔を真っ青にして小刻みに震えだす。
「中尉・・・中尉・・・ッ!」
「司令!?」
大和は突如雪風を突き飛ばして再び柵を越えようとする。慌てて雪風がその足にしがみ付いて引きずり落とす。
「司令! 一体どうされたんですか!」
雪風は先程以上に大暴れする大和に叫ぶ。すると、大和は真っ青の顔から涙をぼろぼろと流して悲鳴のような声で叫んだ。
「中尉が、中尉が『陸奥』に乗ってるんですぅッ!」
『なぁッ!?』
大和の言葉に全員が驚愕する。
「・・・ど、どういう事?」
武蔵が震える声で問う。その顔は先程の陸奥の死の時よりもずっと驚愕に満ちていて、顔色は真っ青。
大和は皆の視線を受け、努めて静かに答える。
「中尉は、『陸奥』で開かれた航海科の会議に出席してたんです・・・まだ、帰って来てない・・・だから・・・中尉は・・・『陸奥』と一緒に・・・ッ!」
大和は泣き出しながらそう言った。その言葉に、皆は身体中から力が抜けるような感覚がした。
陸奥の死、そして翔輝の安否不明。皆もはや絶望的な顔をしていた。
「・・・翔輝ぃッ!」
そんな中柵を越えて海へ飛び込もうとした武蔵を、榛名が間一髪で止めた。
「武蔵テメェッ! 何すんだよッ!」
「・・・放してぇッ! 翔輝がッ! 翔輝がぁッ!」
「テメェッ! さっき大和の時は止める側だっただろうがッ!」
「・・・関係ない! 翔輝! 翔輝ぃッ!」
武蔵は榛名の腕の中で大暴れして必死になって翔輝の所へ行こうとする。だが、その先は・・・
「武蔵! あれを見ろッ! あん中に長谷川はいるんだぞ!? もう遅いんだよッ!」
榛名も自分で言いながら唇を噛む。彼女だって辛いはずだ。
「・・・遅くないッ! 翔輝は、翔輝は絶対に生きてる!」
武蔵はそう叫ぶと榛名の手から脱出した。驚く榛名や一同には目もくれず、柵を飛び越えようとした時、
「おいッ! 衛生兵を呼んでくれッ!」
突如甲板が騒がしくなって兵達が集まっていた。どうやらケガ人が出たらしい。
「おいッ! しっかりしろぉッ!」
士官らしき男が手を振って駆け寄って来る衛生兵を呼ぶ。その瞬間、人垣が割れた。そして見えた。
それは頭から血を流して気絶している――翔輝だった。
「・・・翔輝ッ!」
武蔵は慌てて彼の元へ走る。その後ろから大和達も慌てた様子で走る。だが、その中に長門の姿はなかった。
長門は金剛におぶられて、そっと皆の輪から外れた。その背中は、見ていられないほど弱々しいものだった。
担架で運ばれる翔輝を、大和達は遠巻きに見詰めていた。近寄れば救助作業の邪魔になると思ったからだ。
「中尉・・・」
大和は胸の前で手を組んで翔輝の無事を祈った。武蔵も、伊勢も、雪風も、みんな祈った。
そんな彼女達の横では、蒼い海から舞い上がる黒煙が、いつまでも消える事なく天高く上り続けていた。
――戦艦『陸奥』、大正時代に英米海軍と正面から戦えるだけの戦力を保持する為を目的とした八八艦隊思想の中で計画建造された『陸奥』は、無限に広がっていく軍備拡張の中、ワシントン海軍軍縮条約で未完成艦と名指しされて廃艦の危機となったが、苦肉の妥協策の中でなんとか生き残る事ができた。竣工から太平洋戦争まで、国民の心を釘付けにしたまさに浮かべる城。日本海軍に『長門』と『陸奥』ありと国民を歓喜させた。絶大な人気を誇り、その人気は日本海軍全艦艇一番という人気艦となった『陸奥』は、観艦式などで国民の心を支え続けた。そして、そんな彼女は太平洋戦争でも大和型に続く主力戦艦として決戦の時まで戦争がどんなに厳しくてもその時を待ち続けた。だが結局、その時は訪れず、『陸奥』は最期の時を迎えてしまった。いまだに原因不明の爆発事故。突如第三砲塔から噴出した白煙と、そのすぐ後の大爆発によって艦体は真っ二つに折れ、すぐさま前部轟沈。後部も天高く持ち上がった後、ゆっくりと海底に没した。そして、沈み行くその戦艦は、ある少年に恋をしていた。決して実らぬ恋であったが、それでも彼女は恋に生き続けた。きっと彼女は幸せだったのだろう。《陸奥》の死は、新たな物語の始まりとなった―― |