艦魂年代史 〜ドキッ☆恋する乙女は大艦巨砲主義〜(54/141)PDFで表示縦書き表示RDF


艦魂年代史 〜ドキッ☆恋する乙女は大艦巨砲主義〜
作:黒鉄大和



第八章 第十節 蒼き天空に散りし英霊


 ガダルカナル島を失った日本軍は防衛線を下げて新たな防衛作戦を展開していた。
 ソロモン海の制海空権は完全にアメリカに奪われ、日本軍は艦隊を送る事ができなくなっていた。そんな中、南太平洋防衛の要であり、その奮戦振りから後世に名を残した帝国海軍基地航空隊の伝説となった世界最強の航空隊――ラバウル航空隊は連日のように出撃していた。だが、所詮は基地航空隊。敵の基地航空隊と艦載機の大航空部隊の前に飛行機を次々に損出していった。
 連合艦隊司令部はシンガポール方面で搭乗員養成訓練を行っていた空母『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』を基幹とする第三艦隊機動部隊こと日本機動部隊の艦載機をラバウル基地航空隊に投入する事にした。これに対し、新たに日本機動部隊司令長官に就任した小沢治三郎中将は猛反対した。せっかく再建したばかりの機動部隊の攻撃力をこんな場当たり的な反攻作戦に投入にして失う訳にはいかないと一蹴した。小沢の意見はもっともだった。空母航空隊と基地航空隊の搭乗員では根底から違うのだ。動かない陸の上に着陸するより、波で揺れ、走行している空母に着艦する方が断然難しいし、それの訓練は時間もかかる。だからこそ、空母に着艦できるというスキルを持った搭乗員を、最前線であるラバウルになど送れなかったのだ。
 だが、戦局は悪化して日増しに日本側が劣勢になっていった。このままではラバウル航空隊が全滅し、南太平洋が完全に陥落してしまう。
 連合艦隊司令部は小沢の説得を繰り返した。さすがの小沢も基地航空隊が壊滅するのを目をつむっている訳にもいかず、背に腹はかえられない思いで艦載機をラバウルに投入する事を了承した。

 一九四三年四月、日本海軍は連合軍に対する大反撃作戦の発動を決定した。その名は『い号作戦』。ラバウル航空隊と投入された艦載機隊の合同で敵艦隊に損害を与え、状況を打破する為の作戦で、参加航空機は三八〇機という大航空部隊で行い、連合艦隊司令長官である山本五十六大将が直々に陣頭指揮を執るという大規模な作戦だった。
 作戦は四月七日にガダルカナル島にX攻撃(零戦一五七機、九九艦爆六六機)、十一日にニューギニアのブナ近郊にY2攻撃(零戦七一機、九九艦爆二一機)、十二日にポートモレスビーにY攻撃(零戦一三一機、一式陸攻四四機)十四日にラビへY1攻撃(零戦五二機、一式陸攻三七機)とミラン湾へのY2攻撃(零戦七五機、九九艦爆二三機)が行われた。
 十六日、日本海軍は敵艦船二一隻撃沈、九隻撃破、航空機一〇〇機以上撃墜という十分な戦果をあげたと判断し、作戦を終了した。しかし、実際には連合軍は沈没五隻、二五機の航空機を損失しだけでたいした被害はなかった。それに対し日本海軍は零戦十八機、九九艦爆十六機、一式陸攻九機の計四三機を失い、むしろ日本側の方が損害は大きく、この後しばらく基地航空隊と機動部隊双方に障害が生じたという致命的な敗北でもあった。
 結局、日本海軍の戦局打開の為の大規模な反攻作戦であるい号作戦は多数の航空機を失い、作戦は実質的には失敗だった。

 作戦終了が正式に発令された十六日の午後、南国の日差しの下、それは起きた。
「長官! どうかお止めください!」
 空を見上げる山本に宇垣が必死で叫んだ。だが、山本はそんな宇垣の言葉にも耳を貸さずに空を見詰め続ける。
 宇垣が必死になって止めたのは、明後日に行われる前線視察の事だった。
「長官、この件については私も反対です」
 宇垣の横で同じく反対意見を出すのは第三艦隊司令長官の小沢治三郎中将だ。
 山本は二人の反対の声を気にせずに歩き出した。
「一番安全なコースを日帰りで行くだけだ。心配はいらん」
「しかしッ! 制空権のない前線視察は危険すぎます!」
「長官、どうしてもと言うなら、私の指揮下にある戦闘機隊全機を護衛に付けさせてください」
 そう言ったのは南東方面艦隊司令長官でガダルカナル撤退作戦を陰ながら支えた草鹿任一中将。彼はこのラバウル航空隊を指揮する最高司令官でもある。
 宇垣は草鹿の意見に大きくなずく。
「そうです! 護衛機がたった六機では万が一の時に対処しきれません!」
 山本は三人の部下の意見に首を横に振った。
「それはできん」
「なぜですかッ!?」
 宇垣は山本が血迷ったようにしか見えなかった。危険な前線を貧弱な護衛だけで向かうなんて、それこそ死ににいくようなものだ。
 山本はしばし黙ったまま歩き続けたが、ふと宿舎を見詰めた。その中には連日の出撃で疲労困憊となっている搭乗員達が倒れているのが見えた。
 山本は天を見上げ、ゆっくりと口を開いた。
「搭乗員の諸君は連日の出撃で疲れきっているんだ。私の護衛くらいで余計な負担をかけたくない」
「しかしッ!」
 宇垣はまだ納得できなかった。
 山本は宇垣、小沢、草鹿を一瞥すると、再び南国の空を見上げる。
「これまでに、護衛を付けない艦隊や輸送船団を突っ込ませる事が無数にあった。その度に、多くの将兵を亡くしてしまった。私の為だけに、大げさ事をするのは申し訳ない」
『長官・・・』
 三人は静かに自分達が命を預ける上官を見た。
 山本の瞳には紅蓮に燃え盛る決意の炎があった。
「宇垣君」
「はい」
「小沢君」
「はっ」
「草鹿君」
「はい」
 山本は三人を見詰め、静かに言った。
「戦争を始めるのも難しいが、終わらせるのはもっと難しい。これを、誰がやるかが問題だ。私の時代は終わったのだよ」
 去って行く山本を、もう三人は止める事はできなかった。
 宇垣と小沢、草鹿は、ただ呆然と山本の背中を見詰めるだけだった。
 その時、三人は、その言葉が山本の遺言に聞こえた。
 そして、それは本当の遺言となってしまった。

 四月十八日、山本は宇垣以下司令部要員と共に前線視察と前線の士気高揚の為に二機の一式陸上攻撃機に乗り込み、護衛の零戦六機を従えてラバウルを出撃、一路ブイン基地を目指した。
 深緑の機体に赤い日の丸を付けた日本機の出撃は、ここでは毎日のような日常的な光景であった。
 しかし、今回は一国海軍の最高司令官が座乗している。なのに、その護衛はわずかに六機。しかも無敵神話が崩壊している旧式の零戦である。
 次第に見えなくなっていく部隊を見詰め、小沢はその無事を祈った。

「なぜそういうバカな事をしたんだ!」
 小沢は報告に来た兵を怒鳴りつけた。
 兵達が勝手に山本の前線視察の事を無電で他基地に報告したという情報が入ったのだ。
 兵は小沢のすさまじい激怒ぶりに驚いたが、自己主張を言った。
「し、しかしッ! 極秘の暗号を使いましたので・・・ッ!」
「軽々しく無電を打って何が極秘だ!」
 小沢は兵を突き飛ばして去ってしまった。
 残された兵は、初めて見た小沢の本気の激怒に腰を抜かし、立てなくなった。
 小沢は燦々と輝く太陽を見上げ、苦しそうにその唇を噛んだ。
「長官・・・どうかご無事で・・・」
 この無電が、最悪を招いてしまった。

 この頃、山本の行動予定はこの暗号電文を解読されて、全て米軍に筒抜けだった。
 念入りに練られた待ち伏せ計画で、敵機は思わぬ方向から攻めて来た。
 低高度から接近して来た米軍新鋭機P‐38戦闘機十六機が部隊の下方向から攻撃を開始した。
 すでに時代遅れとなった零戦六機対最新鋭の米機十六機ではまともに戦えなかった。
 長官機は敵機の集中的猛烈苛烈な攻撃を受け、撃墜された。同時に二号機も撃墜され、座乗していた宇垣は負傷した。
 しかし、海に落ちた二号機と違ってジャングルに落ちた一号機に乗っていた山本はそのまま帰らぬ人となってしまった。
 これを海軍甲事件という。

 この戦争において、米軍が情報収集に全力を挙げたのに対し、日本は情報に対する認識の甘さから、いくつもの悲劇を繰り返した。
 山本五十六長官の死もまた、その悲劇の一つであった。

 トラックに戻った宇垣の手には山本の形見の短剣が握られていた。宇垣自身も重傷だったが、それなりに元気だった。ただ、山本の死で彼は塞ぎ込んでいた。
 宇垣は『武蔵』の一室で休んでいた。すると、その部屋の前では一人の少女がウロウロとしていた。その少女は無表情で、しかし少し困ったような顔をしていた。
 それは、この戦艦の艦魂である武蔵だった。彼女は連合艦隊参謀長である宇垣を心配してやって来たのだが、様子を見る為に中に入るべきか否かで困っていたのだ。
「・・・」
 武蔵はしばらくウロウロしていたが、意を決して中に入った。そっとドアを開けると、部屋の奥のベッドに宇垣が眠っていた。武蔵はそっとドアを閉めようとドアノブに触れた。が、部屋の窓が開いていたので風でドアが勝手に動き、勢い良くバタンッ! と大きな音を立てて閉まってしまった。その音に武蔵は驚愕し、言葉を失った。
「誰だ?」
「・・・ッ!」
 その音に気づいたのか、宇垣がゆっくりと体を起こした。頭の包帯が痛々しいが、目はドアを睨んでいた。その視線の先には武蔵がいたが、彼女は硬直していた。
 宇垣は不思議そうに首を傾げた。「誰もいないのか?」と声を上げる。もちろん答えは返って来ない。すると宇垣は疑うような目線で部屋を見回す。
「もしかして、艦魂か?」
「・・・ッ!」
 再び声にならない叫びを上げる武蔵。あの武蔵でも冷や汗ダラダラである。ともかく冷静になろうと武蔵は考える。やはり連合艦隊旗艦である彼女は一味違う。
 参謀長は艦魂が見えていない。でもどうして「艦魂か?」なんて口にしたのだろうか?
 そこで彼女はある事を思い出した。
 現在連合艦隊旗艦は自分だが、依然は姉が旗艦だった。そして翔輝はその『大和』の艦橋にいる航海士。何らかの接点があり、そこから艦魂の話を聞いた可能性は高い。
 武蔵の考えは見事に命中していた。
「おい。いるなら何でもいいから答えろ」
 宇垣はだんだんと馬鹿らしくなってきたのか、言葉が投げやりになっていた。武蔵は一応尊敬する宇垣の命令を忠実に実行した。
 彼女は知っていた。
 彼が自分達大和型戦艦建造を誰よりも支持してくれた――いわば父のような人物である事を。
 机の上にあった通信書の余りの紙と近くにあった万年筆を使って字を書き出した。そんな光景を見て宇垣は絶句していた。当然だろう。常人である彼には万年筆が勝手に動いて字を書いているのだから。
 武蔵は書き終えると、紙を持ち、宇垣の方に向けた。その紙にはきれいな達筆でこう書かれていた。
『我武蔵。戦艦『武蔵』ノ艦魂。貴官ノ容態ヲ気ニ掛ケ見舞ニ来タリ。容態ハ如何カ』
「あ、あぁ、問題はない」
 宇垣はぎこちない返事を返した。おそらく自分でもまだ混乱しているのだろう。武蔵は無視して下に新たに文字を書いて宇垣に見せる。
『連合艦隊司令長官山本五十六大将ノ死ハ、我ガ帝国海軍全艦魂モ無念ナリ』
「あぁ、そうだな・・・すまん」
『何故貴官ガ我に謝罪ヲ行ウ』
「俺は一応前線視察はやめてほしいと進言したのだ。しかし長官は聞く耳を持たなかった。あの時、無理にでもお止めしておけば、こんな事には・・・」
 宇垣はそう言うと、顔を伏せてしまった。
 自分の不甲斐なさが、山本を殺してしまったのだと、彼は責任を感じていた。
 武蔵はそんな宇垣を見詰め、文字を書く。
『貴官ノ責任デハ無イ』
「確かに、だが、俺があそこで止めておけばこんな事態にならなかったのは事実だ。それか、無理にでも戦闘機をもっと付けさせとけばな」
「・・・参謀長」
 窓の外を見詰める宇垣を、武蔵は心配そうに見詰める。すると、宇垣は武蔵の――正確には浮かんでいる通信書を見詰めた。その表情はとても優しそうな笑みだった。
「あのさ、その無機質な通信文みたいな文章はやめてくれないか?」
 武蔵は少し考え、万年筆を走らせた。
『了解』
「変わってないように見えるんだが」
『元々こういう話し方だから、筆記にしてもこんな感じ』
「カタカナがひらがなに変わっただけのように見えるが、まぁこの方がいいからな」
 宇垣はさっきとは別の窓を見詰める。その先には山本長官との思い出がたくさん詰まった前連合艦隊旗艦である戦艦『大和』が浮かんでいた。
「おい武蔵。長谷川という航海士を知っているか?」
 突然翔輝の名が出て武蔵は驚いたが、万年筆を動かす。
『姉と共に日々楽しく過ごしている』
「そっか、仲がいいのだな、あの二人は」
『憎たらしいくらい仲がいい』
「おいおい、自分の姉にそんな事を言っちゃダメだろうが」
 宇垣は呆れたように笑うが、武蔵は心の底からそう思っていたので、
『問題なし。事実だから』
「コラコラ」
 宇垣は静かに微笑んだ。その笑顔は翔輝にも勝ると劣らないほど、優しいものだった。
 宇垣はそっと天を仰いだ。
「武蔵よ。あの長谷川という航海士の事、どう思う?」
『どう思うとは?』
「いや、あいつは他の者と何かが違うんだ。一人でいると瞳が曇っているように見える。それに、いつも用がない時は空を見上げて、時々悲しそうな目をするのだ」
 武蔵は正直に答えるべきか躊躇したが、回答した。
『翔輝は戦前に大事な妹を病気で亡くし、父も母ももうこの世にはいない。たった一人で生きている。妹の翔香が生きていた時はお互いに助け合って生きて来たが、翔香の死以来《死》というものに過敏に反応するようになってしまった。そして、いまだに大事な妹を忘れられいない』
「そうか・・・彼の瞳が悲しそうだったのは、そういう事か。ずいぶん情けない奴だな」
 その言葉に、武蔵は不機嫌になる。
『翔輝は情けなくなんかない。立派に姉の航海士を務め、その実力を遺憾なく発揮している。それに、翔輝はすごく優しい。他人の痛みを理解し、そこを優しく包んでくれる。そんな彼は艦魂達にも好かれている。そんな翔輝が、情けない訳がない』
 武蔵の荒々しい書体に、武蔵が激怒しているのを感じ取ったのか、宇垣は慌てて訂正を加えた。
「す、すまん。少し言い過ぎた」
 その後しばらく気まずい沈黙が流れた。武蔵は自分から話し掛けるようなタイプじゃないので、宇垣の言葉を待っていた。一分ほど過ぎた時、宇垣が唐突に訊いて来た。
「なぁ、お前ってどんな子なんだ? 俺は艦魂が見えないからお前が見えないんだ。大和は以前長谷川中尉から聞いた事があるが、活発な明るい子と聞く。妹のお前はどうなんだ?」
 武蔵はさらりと、
『姉とは正反対。冷静沈着で非喜怒哀楽。感情をあまり面に出さず、常に無表情。指揮官としての能力は姉よりは上だが、社交的な姉と違い、私は常に部隊から孤立状態にある』
「・・・なんか、苦労しそうな性格だな」
 苦笑いする宇垣に、武蔵はそっと心のうちにある想いを書く。
『喜怒哀楽の多い姉を・・・少しうらやましいと思う』
「まぁ、それはそれで君の良さだと思うよ」
 宇垣の言葉に、武蔵は小さく笑みを浮かべると、再び万年筆を走らせる。
『外見は姉をはるかに凌ぐ完璧型。スラリとした長身に長い髪。出る所は出て、引っ込む所は引っ込む。抜群のスタイルで、顔はきれい過ぎるほど整っていて、まさに、無類の超絶美少女』
 自信満々に大ウソを書き殴り、宇垣に見せる。宇垣はそれを一通り読むと、大笑いした。
「あはははッ! 無理すんなよ! 自分から超絶美少女なんて名乗る事自体がおかしいだろ!? 本当はその真逆なんだろ?」
 武蔵は宇垣の反応に顔を真っ赤にする。
 確かに彼の言うとおりだが、「あそこまで笑わなくてもいいじゃないか!」と心の中で怒鳴ると、乱暴に万年筆を走らせる。
『消すぞ』
「消えてるのはお前の方だ! ははははは!」
 お腹を抱えて大笑いする宇垣の上空に、突如無数の金ダライが現れた。そして、次の瞬間、
 ガゴン! ガゴン! ガゴゴンッ!
 宇垣は金ダライの急降下爆撃を受けて沈黙した。しばらくすると、金ダライの山がモソモソと動き出し、盛大な音を立てて崩れ、中から困惑した宇垣が現れた。
「な、何だ? 何か見えない金属で脳天叩かれたぞ。なんというか、金ダライ・・・そうっ! 金ダライが空から無数に降って来たみたいな」
 艦魂が見ない彼には、艦魂が空間から出した物も見えない。そんな困り切った顔をする宇垣を見詰め、武蔵は静かに金ダライを消した。
「お? 消えた・・・?」
 驚く宇垣をよそに、武蔵は再び万年筆を走らす。
『次、変な事を言ったら刃物を落とす』
「じょ、冗談キツイぜ・・・」
『大丈夫。ケガはしないから』
「本当か?」
『ただし、ケガはしないけど、刃物に刺された痛みだけはする』
「あまり意味がないじゃん」
 苦笑いする宇垣を見て、武蔵は混乱していた。
 宇垣纏という男は常に冷静沈着。的確な指示を出し、山本長官の右腕をとして力量を振るっていた。日頃山本以外の者と会話する事はなく、実力のわりに部隊から浮いていた。それは彼がいまだに大艦巨砲主義者であるのも理由の一つだ。そんな孤立・独立な宇垣を、何か自分と似たものがあると思って武蔵は近づいたのだ。だが、こうして見ると結構おもしろい人物だった。地はこちらなのだろうか?
 武蔵が深く考えている間、宇垣はずっと窓の外を眺めていた。その表情は『黄金仮面』と呼ばれ、参謀達から嫌われていた男の顔とは到底思えない朗らかなものだった。
 この『黄金仮面』とは、自信家でプライドの高かった宇垣は上官に対してもあまり敬礼をせず、海軍学校の時の成績が自分より低い同期は無視するといった態度をし、さらに自分より下の者からの敬礼や挨拶は無視し、答えたとしても、「おう」とだけ言って頭を後ろに反らすな態度を繰り返していて、海軍内であまり好かれる人物でなかった。そんな彼が常に不機嫌そうな表情で歩いていたので、『黄金仮面』と呼ばれ、まわりから毛嫌いされていたのだ。
 補足だが、開戦当初宇垣と山本は仲が悪かった。大艦巨砲主義者で『大和』『武蔵』の建造を強く支持していた宇垣と『『大和』一隻の資材、資金で航空機が一〇〇〇機作れる』と建造に強く反対していた山本は元から考え方が根本的に違ったのだ。そんな二人の接点は対米英戦反対・日独伊三国軍事同盟反対側の人間だったというだけだが、それに関して宇垣は山本を尊敬していた。一方、宇垣は高まる同盟論に押されて、『ドイツやイタリアが開戦しても日本は開戦しない』という条件と付けて賛成側に回った。結局は米英と戦う事になったが。そんな宇垣の態度に山本は嫌悪感を抱き、二人は仲が悪かった。しかし、ミッドウェー海戦の時に大混乱した司令部を迅速に立て直した彼の行動を見て、山本は彼を信頼するようになった。
 ――補足終了――
 そんな宇垣の今まで見た事のない表情に、武蔵は混乱したままだった。
「なぁ、武蔵。この戦いの行く末をどう思う?」
 そんな急な質問に、武蔵は驚いたが、そこは旗艦。すぐに返答した。
『私は山本長官の『半年から一年は戦えるが、それ以降は無理』という意見に賛成。このままいけば、日本は《日本》という国家を失うまでアメリカに叩き潰される』
「・・・同意見か、さすがは連合艦隊旗艦。わかる者にしかこの戦いの先は見えんという訳か・・・いや、この戦いの行く末など、誰にもわからないか」
 宇垣の言葉は、いまだに勝利をまさぐっている司令部の者達に対する嫌悪感の表れだった。武蔵は万年筆を動かす。
『どの時代にも、どの国にも、頭の固いの者はいる。敵の実力もわからずにただ無能に立ち向かう愚か者が。それは人間だけではない』
「と言うと?」
『私のまわりにもたくさんいる。艦魂達の重鎮である金剛は昔の考えに囚われ、その腹心である榛名はただ闇雲に敵を叩き潰す事しか考えず、陸奥は日本が勝つ事を信じ続け、姉は戦いを恐れている』
「大和が? なぜだ?」
『姉は優し過ぎる。軍艦の艦魂や軍人には向かない。他人を想う反面、他人が傷つくのを見たくない。そんな優しい者は最も危険で、最も死亡率が高い。例としては、開戦反対で平和主義者だった霧島がいい例』
「霧島は、そんな奴だったのか? 姉達は結構わからず屋のようだが」
 武蔵は静かに霧島の顔を思い浮かべた。
『霧島は優し過ぎた。アメリカと手を取って世界を守りたい。そう考える奴だった。巻雲もそんな一人』
「巻雲?」
 首を傾げる宇垣。それはそうだろう。戦艦や空母なら名前を覚えておいて当然だが、駆逐艦一隻一隻の名前を覚えているなんて事はほとんどない。
 武蔵はそっと万年筆を走らせる。
『ケ号作戦の時に仲間をかばって自らの命を犠牲にした駆逐艦』
「あぁ、あの時のか」
 宇垣はやっと思い出した。ケ号作戦の時の犠牲表に一隻だけ載っていた駆逐艦。それが巻雲だった。
『彼女は敵空母『ホーネット』と接触し、対米英戦反対側に回った人物』
「そうか、良き者は次々に死んでいったのか」
 宇垣は残念そうにつぶやく。そんな彼に、武蔵は続ける。
『それは人間も同じ事。あの猛将と謳われた山口多聞中将も、そして山本長官も、有能な人間は死んでしまった』
「そうだな。だが、まだ残っている者もいる。まだ日本海軍は死んだ訳ではない。一刻も早く立て直して、長官の仇を討つ」
 宇垣の言葉に、武蔵は静かにうなずいた。
 彼の言うとおり、日本海軍はまだ死んだ訳ではない。連合艦隊はまだ健在であり、空母も初期よりはだいぶ減ってしまったがまだ残っている。敵の戦意を奪い、一刻も早くかなり譲歩した形でも、日本という国を残す為の――敗戦の道を探さなくては。
 武蔵は気合を入れ直した――と言っても、無表情の彼女ではあまり顔の変化はなかった。
「ところで」
 宇垣は突然武蔵の方を向いて声を掛けて来た。何事かと武蔵も宇垣を見詰める。宇垣は十分な時間を置いて、質問して来た。
「お前、あの長谷川という航海士の事が――好きか?」
「・・・ッ!」
 宇垣の突然の発言に、武蔵は彼女とは思えないほど動揺した。顔を真っ赤に染めてうつむき、両手を胸の前でモゾモゾと動かす。口はパクパクと閉じたり開いたりし、硬直していた。
 そんな武蔵の反応などわからない宇垣は不思議そうに続ける。
「いやさ、彼の事を説明した時やけに力の入った文字だったからさ」
「・・・わ、私は、翔輝の事を・・・」
 思い浮かぶのは翔輝の笑顔。
 いつも優しく自分に微笑んでくれる彼の笑顔。
 彼は自分にとって特別で、大和には悪いが、実の姉よりも信頼している。彼の優しい笑みに、いつも助けられ、励まされる。
「・・・私は、翔輝の事が・・・好き」
 心からそう思った。
 彼がいるからこそ、自分はこうして立っていられる。
 彼の助けになりたい。
 彼に助けてもらいたい。
 翔輝の存在が、自分の中で大きなものになっている。
「・・・私は、翔輝が好き。この気持ちに偽りはない」
 武蔵は頬を赤らめながら小さく笑みを浮かべてそう言った。
 しばらくしても武蔵からの返事がない。宇垣はそれを肯定と受け取った。
「まぁ、わからなくもないがな。彼は確かに人一倍優しい。誰でも好感を抱けるだろう。だが、話を聞くに恋敵も多いだろう? お前の姉――大和もその一人だろう」
 そう、姉である大和は、最も翔輝の近くにいて、そして、翔輝の事が好きなのだろう。そんな事、言われなくてもわかっている。
「自分の姉を敵に回しての恋か、これは激戦になりそうだ。この戦争の行く末よりも予想が付かなそうだな」
 ケラケラと笑う宇垣に、武蔵は真っ赤な顔のまま金ダライ爆撃を敢行した。
 宇垣が再び顔を出す頃には、武蔵はいつもの冷静さを取り戻していた。
 その後、武蔵と宇垣は雑談をしたが、宇垣自身の体力も考え、三〇分後には部屋を後にした。その時の武蔵の顔は、どこか釈然としないものだった。

 一方、『大和』の航海室では翔輝が仕事をしていた。
「長谷川中尉。これでいいですか?」
「え? うん。問題ないよ」
 部下(部下と言っても翔輝の方が年下だが)の航海兵が置いた紙袋の位置を確認してうなずく翔輝。確認を終えるとすぐに自分の使っている机に目を戻す。机の上には海図の他に鉛筆や定規、分度器、下書き用の紙等が散らばっているが、汚い訳ではない。乱雑に物が置いてあるだけだ。
「それにしても、結構広い部屋なのに相変わらず狭いですね」
「航海科は物が多いからね。仕方ないよ」
 そう言って乱雑に海図や筆記用具が散らかった部屋を見回す。紙袋の中で重ねられてたり丸められて保存されている海図の山がそこにあった。部屋の約半分が物で埋まっているこの部屋は『大和』航海科の全能力が詰まっていると言っても過言ではない。
「さぁ、早く終わらせて休もう」
「はい」
 翔輝が散らばっている鉛筆を一ヵ所に集め始めた時、
「中尉」
 聞き慣れた声が響いた。翔輝の隣にいる兵はまったく気づいていない。という事は・・・
 振り向くと通路に大和が立っていた。
「大和?」
「え? 何ですか?」
 翔輝の声に兵は不思議そうに見詰める。
「あ、いや、その大和が・・・」
 その言葉に兵はすぐに理解した。翔輝が艦魂を見る事ができるのは『大和』ではかなり有名な事なのだ。
「中尉。私がやっておきますので。話をしてあげてください」
「え、でも・・・」
「でも早く戻って来てさい。さすがにこの量を私一人では」
「ありがとう。すぐに戻るよ」
 そう言って、翔輝は兵に任せて通路にいる大和に近寄った。
「どうしたんだ?」
「いえ、ちょっと顔が見たくなって」
 翔輝は豪快にコケた。
「ど、どうしたんですか!?」
「バカッ! そんな事で僕を呼ぶなよ! 仕事中だったんだぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて謝る大和に、翔輝は仁王立ちして言い放った。
「罰として、航海室の整理を手伝え」
「え? そ、それは・・・」
 目を横に逸らす大和。あからさまに嫌そうな顔だ。
「おいコラ。何嫌そうな顔してんだよ」
「だ、だって・・・」
 大和は部屋を見詰める。中はかなりの肉体労働になりそうな光景が広がっている。艦魂とはいえ女の子がそんな力仕事を進んでやりたがる訳がない。
 渋る大和に翔輝は大きくため息する。
「はいはいわかったよ。もう頼みません」
「あ、待ってください! 手伝いますからぁッ!」
 不機嫌そうに部屋に戻った翔輝を見て、大和は慌てて手伝う事にした。

「いやー、助かります。まさか『大和』の艦魂に手伝ってもらえるなんて」
 浮かんでいる紙袋に向かって兵は感激する。常人が見えない艦魂と接するのは極めて珍しく、翔輝と共に仕事をしている彼でさえ大和と接したの今回で三回目である。
「ほらほら。さっさと終わらせようよ」
「了解!」
 明らかに先程よりも表情が明るい兵を見て、翔輝は苦笑いする。
 やっぱり、みんな艦魂が見える自分の事がうらやましいのだろう。
 確かに、大和達というのは楽しく、幸せだ――まあ、一概には言えない時もあるが。
「中尉。この紙袋はどこに置くんですか?」
 紙袋を抱き締めながら大和が聞いて来た。
「あぁ、それはそっちにお願い」
「はい」
 普通に大和と会話する翔輝を見て、兵はうらやましそうに見詰める。
「いいですね中尉は、艦魂と話ができて」
「別にいいって事はないと思うけど」
「だってこんな男だらけの世界で女と接せられるんですよ? うらやましい限りです」
 なるほど、確かに軍隊は男の世界だ。女を求めたくなる気持ちはわかる・・・たまに歯止めが外れて同性愛者が誕生してしまうのも仕方がないのだ。
「ははは、そうは言ってもそんな女らしい女は駆逐艦や巡洋艦ばかりで、戦艦や空母はそんな奴ほとんどいないよ?」
 翔輝の言葉に、兵は驚く。
「そうなんですか? 噂では大和の艦魂は美人だと聞きますが」
「そ、そんな、美人だなんて」
 嬉しそうに照れる大和を見て、翔輝は大笑いした。
「誰だよそんなデマ流した奴。大和は全然美人じゃないよ。まだまだ子供だよ。それに――」
 刹那、翔輝の頭上に金ダライが現れ、その脳天に炸裂した。
「痛い! 何すんだよ!」
 頭を押さえながら怒る翔輝を、大和は睨み付ける。
「子供はともかく、美人じゃないってあそこまで否定しなくてもいいじゃないですか!」
「事実でしょッ!? 大人の女性はそんなに貧相な胸はしてないよッ!」
「胸の事は言わないでくださいってば!」
 ギャーギャーもめる二人を見て、改めてうらやましそうな目で見詰める兵。その時、
「あ、武蔵」
 大和の声に翔輝が振り向くと、通路を武蔵がとことこと歩いていた。
「武蔵!」
 翔輝が声を掛けると、武蔵は怪訝そうな顔で振り向いた。
「あのさ、ちょっと手伝ってほしいんだけど」
 すると武蔵は手に持っていた通信用の紙に万年筆で何かを書き、それを見せて来た。
『了解』
「はい?」
 武蔵は静かに部屋に入って来たが、翔輝の不思議そうな視線に首を傾げた。そんな武蔵に、翔輝は質問する。
「あのさ、何で筆記で回答したの?」
 その言葉に、武蔵は「・・・あ」と声を漏らした。そして、少し恥ずかしそうに答えた。
「・・・さっき、宇垣参謀長と話してたから」
「う、宇垣参謀長と!?」
「え? どうしたんですか?」
 翔輝の突然の声に兵は驚いた声を上げた。
「あ、いや、その武蔵が・・・」
「え? 今度は『武蔵』の艦魂もいるんですか? すごいです!」
 感激する兵を一瞥し、翔輝は急いで武蔵を見詰める。
「宇垣参謀長の容態は?」
「・・・良好」
「そっか、良かった・・・」
 胸を撫で下ろす翔輝。が、すぐに不思議そうな顔で武蔵を見詰める。
「でも、どうやって参謀長と会話したのさ」
「・・・会話というか、向こうは声で、こっちは筆記で答えただけ」
 ポンと手を打つ。
「なるほど、やっぱり頭いいなお前」
「・・・それほどでも」
 こういう事を否定しないのが彼女らしい。翔輝は静かに微笑んだ。
「長谷川中尉。手伝いましょうか?」
 その突然の声に振り向くと、そこには水上がいた。
「水上?」
 水上は室内を見回すと優しく微笑んだ。
「これだけの量。二人では厳しいでしょう」
 作業帽の階級章がキラリと光った。
 水上は先月めでたく水兵長の昇級した。同時に階級から見てもう従兵は卒業だったので、翔輝の従兵を解雇されたが、水上は「中尉の従兵をやめさせられるなら、昇級を放棄します!」と強く反対し、結局水兵長という班長になっててもおかしくない地位にいるのに、いまだに翔輝の従兵をやっている。
「二人じゃないんだけど、お願いできる?」
 翔輝の言葉に一瞬水上は不思議そうな顔をしたが、すぐにうなずく。
「あ、大和さんがいるんですね」
「おいおい、さんづけなんてよせやい。あいつのがらじゃないって。それに今は武蔵も一緒だ」
「へぇ、そうですか。では、計五人でがんばりましょう」
 そう笑顔で言って、水上も手伝う事になった。
 水上も合流し、片付けは当初の予定よりも早く終わった。

「本当にありがとう武蔵」
「・・・気にしないで」
 楽しそうに話している翔輝と武蔵。その二人の後ろで不機嫌そうに見詰めている大和。
「私だって手伝ったのにぃ・・・」
 そのつぶやきが聞こえたのか、翔輝は「ごめんごめん。ありがとう」と言い、すぐに武蔵と会話を再開させた。そんな翔輝の態度に大和は軽くイラッとして、二人を睨み付けると踵を返して去ってしまった。
 大和のがいないと翔輝が気づいたのは、それからすぐの事だった・・・







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