第八章 第一節 武蔵の星空大作戦
十一月下旬、ソロモン海の制海空権を失った日本軍はガダルカナル島の陸軍に補給をする事ができなくなっていた。海軍は陸軍を助けようと闇夜にまぎれて高速駆逐艦で補給物資を送る事を決定した。海軍としては虎の子の艦艇を、それが例え駆逐艦でも失うのは惜しいので最初は反対していたが、山本長官の強い意向から実行に移された。
田中頼三少将率いる第二水雷戦隊こと第一次ガ島増援部隊は駆逐艦八隻の艦隊で出撃した。第二水雷戦隊は各艦の予備魚雷を下ろし、その代わりに補給物資を入れたドラム缶を大量に積んでいた。輸送船のように陸に揚陸できない駆逐艦ではガダルカナル島の浅瀬で艦底が着底しないギリギリの所からドラム缶を海に投棄して、それを波にのせて同島の浜に送るという方法しかなかったのだ。だがそれでは無事に浜に届く物資は半分以下になってしまうが、背に腹は替えられなかった。
第二水雷戦隊は予定通りガダルカナル島浅瀬海域に到着し、物資投下の用意をしていたが、突如付近の警戒を当たっていた駆逐艦『高波』が『敵艦見ユ』の報告を旗艦『長波』に送った。
田中少将は補給物資投下という任務を中止し、全艦に突撃命令を出した。
敵艦発見の報を送った『高波』は敵艦隊のレーダーに発見され、集中砲撃を受けて大破。後に沈没した。
第二水雷戦隊は海上で炎上する『高波』を一瞥して敵艦隊の突撃。復仇の想いを胸にすさまじい砲雷撃を繰り出し、敵艦隊に大損害を与えた。
この海戦で日本海軍の犠牲が駆逐艦『高波』沈没に対し、米軍は圧倒的に有利な艦隊(重巡洋艦四隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦六隻)で戦闘を行ったのに、第二水雷戦隊の猛攻撃を受けて重巡洋艦一隻沈没。三隻大破という大損害を受けた。
しかし本来の任務であった輸送作戦は失敗に終わり、作戦は失敗だった。
この日本海軍の劇的な勝利で終わった海戦を、ルンガ沖夜戦という。
その後田中少将は魚雷を消耗し切った艦隊を直ちに戦線離脱させ、その四日後の夜に再度ガダルカナル島に突入して輸送物資を海上へ投下させ、輸送任務を完遂させた。
後に田中少将は任務を放棄した事から第二水雷戦隊司令を解任。左遷された。
しかし一方で米軍からは《タフネス田中》と彼の奮闘振りを絶賛され、日本軍人では数少ない米軍が高評価した軍人の一人であった。
世界の中で、田中少将ほど敵味方で評価の違いが雲泥の差になった軍人はそうそう存在しないだろう。
ルンガ沖夜戦から数日が過ぎた。
ある日、まだ兵達が寝ている早朝に、突如『大和』艦内で緊急起床のラッパが鳴り響いた。兵達は急いで飛び起き、だらしない格好から一転、通常服である作業服を着込んで兵員室から飛び出した。
戦艦『大和』に乗る二五〇〇人の将兵達はすばらしい動きで自分達の向かうべき配置に向かって艦内や甲板を駆け抜ける。
そう、日本海軍伝統の月月火水木金金の、猛訓練である。
「四番機銃配置良し!」
「三番高角砲配置良し!」
「十二番機銃配置良し!」
「五番機銃群配置良し!」
艦橋に駆け込んで来る兵達が次々に報告する。伝声管からの声を大声で復唱し、電話に答え、機銃や高角砲の状況を報告する。艦橋は若く勇ましい声に溢れていた。
翔輝はその兵達を見詰めていた。一応彼は士官なので動く側ではなく命令する側である。
翔輝はふと窓から甲板を見ると、無数の兵達が走り回っていた。
自分の機銃に急ぐ者、機銃台に弾薬を運ぶ者、機銃を旋回して指定方向に銃口を向ける者、露天高角砲や機銃では砲弾をや弾丸を装填している者もいた。そして、動き回っていた兵達は自らの高角砲や機銃に配置を完了した。
「高角砲、機銃配置良し!」
最後に兵の声が響き、『大和』は静かになった。
副長がストップウオッチを止め、訓練時間の計測を終えた。
「総員配置終わりました! 時間、三分四二秒!」
その報告に高柳はうなずき、長官席に座っている山本を見る。山本はその視線に気づいてうなずいた。
高柳は艦内マイクに向かって命令を下した。
「対空戦闘訓練終了! 各自通常業務に戻れ」
訓練が終わり、兵達は敬礼して艦橋を出て行った。
「前回より五秒早かったですね」
翔輝の横で事の成り行きを眺めていた大和が言った。
「そうだね。これも月月火水木金金の訓練の賜物だよ」
「そうですね」
大和は視線を再び戻すが、神経は全て翔輝に向けていた。
大和はある心配があった。それは・・・
翔輝を見ると、どこか遠い目をしていた。
大和の心配はこれだった。翔輝は霧島の死の後からずっと元気がなかった。自分もまだ立ち直れてはいない。だが、日常的に暮らすのには何の問題もないほどには回復した。しかし、翔輝は違った。仕事に影響はないようだが、いつもどこか上の空なのだ。そんな翔輝を、大和はずっと心配していた。
「少尉。もう仕事が終わったようですが、これから何をするつもりですか?」
「・・・別に、のんびり戦艦見物でもするよ」
そう言って翔輝は艦橋から出て行ってしまった。
声を掛ける暇もなく出て行った翔輝を、大和は追う事もできず、自分の小ささにため息をした。
その日の夕方、翔輝は自室に戻ってある物を手にして、甲板に出た。
年がら年中蒸し暑いトラック島では艦内から一度出るとうだるように暑い。例えそれが夕方であっても容赦ない。そんな中翔輝は日差しよけの下に入って一つの椅子を手に入れてその周囲に陣地を張った。
翔輝は部屋から持って来たケースを開いた。その中には絵の具とスケッチブックが入っていた。
翔輝の最近の趣味は軍艦の絵を描く事だった。
「さてと、今日で仕上げるか」
翔輝はスケッチブックの使っている一番後ろのページを開いた。そこには大きな戦艦が描かれていた。その戦艦の象徴である巨大な三基の主砲を装備したそれは戦艦『大和』――ではなく『武蔵』だった。
翔輝は『武蔵』の背景である夕日を塗り出した。『武蔵』の方はもう完成し、あとはこの輝く夕日を描くだけだった。
オレンジに輝く空の宝石を鮮明に描く。少し雲に掛かっていて空はキレイなオレンジ色に輝いていた。
途中色鉛筆を取り出して『武蔵』の灰色に上に薄く塗った。夕日に対して絵よりも本物の方がもう少しオレンジに輝いていたからだ。
「よし。これでいいかな」
「・・・これ、私?」
「ぬおッ!?」
突然後ろから声を掛けられて翔輝はビクリと震えて急いで後ろを向くと、そこには今自分が描いていた戦艦のモデルがいた。
「武蔵か。驚かすなよ」
「・・・ごめんなさい」
武蔵はそう小さく謝ると、しげしげと翔輝の描いた絵を見詰める。
「何か変かな?」
翔輝としては結構自信があった。でもモデルが違うと思えばそれは完全に違うのだ。翔輝は武蔵の言葉を待った。すると・・・
「・・・正確に描かれている。見事だ」
武蔵が翔輝の絵をほめたのだ。翔輝はぱあっと笑顔になって喜ぶ。
「ほ、本当!?」
「・・・うん。正確だし、背景の夕日とも良く合ってる」
「そっか・・・」
武蔵に絶賛された翔輝は嬉しそうに微笑むと、広げていた絵の具を片付けた。その間武蔵はずっと絵を見詰めていた。すると他のページも見出した。他のページには『長門』や『陸奥』、『伊勢』などたくさんの戦艦が描かれていた。しかし中には駆逐艦や巡洋艦。空母も描かれていた。
「・・・どれもすごい」
武蔵はそう小さく言った。その声に、翔輝は照れ笑いする。
「そうかな? 素人の絵だよ?」
「・・・私、芸術とか良くわからないけど、私は翔輝の絵が好き」
「そう・・・」
最後にスケッチブックをしまおうと武蔵に声を掛けようとした時だった。
「・・・翔輝。この絵がほしい」
「え?」
突然そんな事を言い出した。翔輝が確認すると、それは今日描き終えたばかりの『武蔵』の絵だった。
「それ?」
「・・・うん。ダメ?」
いつになく不安げに訊いてくる武蔵。そんな彼女に翔輝は笑顔で、
「別にいいよ」
「・・・本当?」
武蔵は少し嬉しそうに翔輝を上目遣いで見る。そんな武蔵に、一瞬かわいいと思ってしまう。
「うん。でもいいの? 僕なんかので」
「・・・うん。私は翔輝のがほしいし、この絵が好きだから」
「そっか」
翔輝はその絵をスケッチブックから切り離して武蔵にあげた。スケッチブックをケースの中に戻し、翔輝はそっと立ち上がる。
「んじゃ、またな」
「・・・うん。絵、ありがと。大切にする」
武蔵は自分にできる精一杯の笑顔をした――まぁ、それでも唇の辺りがちょっと笑っているくらいだが。
翔輝はそんな武蔵の笑顔に笑顔で応えると、艦内に消えていった。その背中を見詰め、武蔵は表情を無表情に戻して空を見上げた。もう夕方はずいぶんと過ぎ、空には一番星が輝いていた。そんな星を見詰めて、武蔵は微かに笑った。
「・・・ついに実行する時が来た」
武蔵はぎゅっと翔輝からもらった絵を抱き締めた。
「・・・翔輝。必ず本当の笑顔を取り戻してあげるから」
武蔵はそう言い残し、翔輝が描いてくれた自分の絵を大切そうに抱き締めながら、『大和』から消えた。
一九四二年十二月八日。日本軍全てがドンちゃん騒ぎになった。何を隠そう(別に隠さなくていいが)今日はちょうど一年前に真珠湾攻撃が行われた日なのだ。つまり大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった日なのだ。これを祝わなくていつ祝うと言わんばかりにみんな喜んだ。それは人間だけではない。
夜中、連合艦隊旗艦・戦艦『大和』の会議室では宴会が開かれていた。みんな浮かれ騒いで今日という記念日を大いに楽しむ。だが、その中には翔輝の姿はなかった。
「ねぇ大和ちゃん。少尉はどうしたの?」陸奥がつまらなそうに聞く。
「そ、それが、どこにもいないんですよ。私も捜したんですが・・・」大和も心配そうに答える。
「霧島はんがお亡くなりになってから、ずっと元気がなかったやしねぇ」伊勢も心配そうに言う。
大和達は翔輝がどうしたのか心配そうにため息する。
「そういえば武蔵もいないよ?」日向が思い出したように言う。
「そうですね。武蔵副司令もいないんですか?」雪風が新しいラムネを持って来た。
「そんなに心配なら捜してくればいいじゃない」長門がもっともな事を言う。
「・・・そうですね。もう一度だけ捜してみましょう」
大和の声に全員がうなずいた。
かくして翔輝捜索隊(大和、陸奥、長門、伊勢、日向、雪風)は宴会場を後にして部屋を飛び出した。
翔輝は甲板にいた。
きれいに輝く星空を見ながら一人ラムネを飲んでいた。
北半球にある日本と南半球にあるこことではまったく星空が違う。
昼間の蒸し暑さも夜になれば少しは落ち着き、海の潮の匂いが心地良くさせてくれる。
翔輝は眠そうにあくびをした。
もうずっとここにいたのだ。そろそろ寝ようと立ち上がった時、
「・・・翔輝」
突然の声に振り向くと、そこには月夜に照らされる武蔵がいた。
「武蔵? どうしたの? 宴会は?」
翔輝は質問をするが、武蔵は答えてくれなかった。
「・・・翔輝」
武蔵はなぜか少しもじもじとしていた。そんな武蔵に翔輝は不思議そうに、
「トイレでもがまんしてるの?」
武蔵はコケた。
「・・・違う・・・ッ!」
武蔵は結構マジで怒っていた。そのあまりの怒気に翔輝は一歩引く。
「ごめんごめん。で、何なの?」
翔輝はとにかく彼女の目的を訊く事にした。正確には何か話してこの状況から逃げたいという気持ちもあったが。
「・・・あの」
武蔵は一度深呼吸して、瞳を閉じた。
少女の心の中に、何度も練習した言葉が流れる。完璧超人と言われる武蔵でも、緊張する事はある。しかもそれが翔輝の事ならなおさらだ。
武蔵は心を落ち着かせると、そっと瞳を開いた。
開かれた瞳にはもう迷いわなかった。唇がそっと動き、そして・・・
「・・・翔輝」
一筋の流れ星が、静かに流れた。
「・・・誕生日、おめでとう」
「え・・・」
翔輝は驚きのあまり瞳をこれでもかと見開いていた。
そう、十二月八日は真珠湾攻撃日であると同時に、長谷川翔輝十八歳の誕生日だったのだ。しかし、
「え? な、何で君がそれを・・・」
翔輝は自分の誕生日を誰かに言った記憶はない。なのに武蔵が知っているのはどういう事か。
驚く翔輝に武蔵は微笑した。
「・・・連合艦隊次席指揮官の情報収集能力を甘く見てもらっては困る」
どこかの誰かと同じようなセリフを言う武蔵に、翔輝はつい笑ってしまう。
「・・・な、何がおかしいの」
「いや、ちょっとね」
「・・・変」
「こりゃ失敬」
武蔵は翔輝に一歩近づき、そっと何かを差し出した。
――それは腕時計だった。
「これ、軍の最新式の腕時計じゃないか。どうしたの?」
さらに驚く翔輝に、武蔵は平然と、
「・・・注文表に一個多く書き加えた」
それは犯罪だよ、と言いたかったが黙った。せっかく武蔵が自分の為に用意してくれたのだから。そういうツッコミはなしだ。
「武蔵。ありがとう」
翔輝は腕時計を受け取って、今自分がしている腕時計を外して新しい時計を付けた。
「どう? 似合ってる?」
「・・・うん」
武蔵は嬉しそうに微笑すると、ふと翔輝の手の先の物に視線を止めた。
「・・・それ」
「え?」
それとは、翔輝の外した今まで使っていた時計だった。
「これがどうかした?」
「・・・それ、いらないならくれる?」
「え?」
不思議そうに首を傾げる翔輝に、武蔵は少し気恥ずかしそうにお願いする。
「・・・誕生日にプレゼントしておいて何かをもらうなんて変だけど、私、それがほしい」
武蔵はじっと翔輝を見詰める。その瞳にはいつになく強い感情が感じられた。
そんな武蔵のお願いを断れるはずのない翔輝は微笑した。
「いいよ。これがあればもう使わないし」
そう言って翔輝は腕時計を武蔵に渡した。武蔵は「・・・ありがとう」とお礼を言ってそれを付けた。少し大きかったが、武蔵は嬉しそうにそれを見詰める。
「・・・翔輝のぬくもり」
武蔵は温かそうに、そして愛しそうに翔輝からもらった時計を見詰める。しかし、すぐに自分を優しげに見詰めていた翔輝を真っ直ぐに見詰める。
「・・・翔輝。改めて言う。十八歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
「・・・なぁッ!?」
突然武蔵は翔輝に抱き締められた。身体中が翔輝に包まれ、何も考えなくなる。さらに吐息の掛かる距離で翔輝の顔があり、武蔵は顔を真っ赤にして完全に思考は停止する。
「ありがとう」
翔輝の言葉に武蔵は心の底から嬉しくなる。
その言葉が聞きたくて、こんな小さいが想い満載の作戦を立案して実行したのだ。
武蔵の心優しい気持ちに翔輝は心の底から嬉しかった。
霧島の死で凍てついていた翔輝の心が、少しずつだが、溶け始めた。
翔輝の腕の中で沈黙を続ける武蔵だったが、そっと顔を上げる。
「・・・翔輝。最後のお願い、いい?」
「何?」
翔輝はお返しに何かしてあげようと笑顔で武蔵に向く。そんな翔輝の笑顔に武蔵は頬を赤く染め、そっと心に想っていた願いを口にする。
「・・・その、あの、き、キスをして」
「・・・はい?」
翔輝はアホな顔をしていた。それはそうだろう。彼が予想していた注文のはるか上空を音速で通過するような内容だったからだ。
そんな翔輝の反応に武蔵はさらに顔を真っ赤にして顔をうつむかせる。
うつむく武蔵を見詰め、翔輝は困ったように頬を掻きながら、ある出来事を思い出す。
それは初めて彼女に出会ってからすぐの事。なんかお互いを認め合っている大和達に何かを証明するとかなんとかで、いきなり一方的に彼女からキスをされた事。
「あ、いや、き、キスって言われても・・・その・・・」
あたふたとする翔輝の反応に、武蔵も彼の思っている事に気づいたのか、さらに顔を赤くする。
「・・・あ、あれはその・・・私の一方的なものだったから・・・翔輝には悪い事をした。で、でも今度は、翔輝からしてほしい」
「いや、でも・・・」
渋る翔輝。そりゃそうだろう。いくら外見は子供でも美少女である武蔵。そんな彼女にキスを迫られれば普通は喜ぶものだが、翔輝はそういった事にとても疎い上に情緒が小学生並みなのだ。できる訳がない。
困る翔輝に、武蔵は仕方な妥協案を提示する。
「・・・なら、おでこにして」
武蔵のギリギリの提案でも、翔輝は「うーん・・・」と唸る。が、
「んー、まぁ・・・おでこなら・・・いいかな・・・」
「・・・本当?」
「あぁ、ほら」
「・・・え?」
その瞬間、武蔵の額に、翔輝の唇がそっと触れた。武蔵の思考は完全に停止し、まるで人形のように固まっていた。
やがてそれはそっと離れた。
「こ、これでいいか?」
翔輝も恥ずかしいので少し顔が赤い。
武蔵は依然硬直したままだった。
その時、流れ星が流れた。
それは、一人の少女が他の少女達よりもさらに一歩少年に近づいた祝福だった。
顔を真っ赤にして沈黙を続ける武蔵に対し、翔輝は「はぁ・・・」とため息する。
「まさか、ファーストキスを奪われた武蔵に、僕の方からおでことはいえキスする事になるとはね・・・」
翔輝の言葉に、武蔵は目を見開いて驚く。
「・・・え? 翔輝・・・あれ、初めてだったの・・・?」
驚く武蔵の問いに、翔輝は少し怒ったような顔をして背中を向ける。
「そ、そうだよ。悪かったね。もてなくてさ」
「・・・う、うそ。翔輝は素敵な人。絶対に恋人もいたはず」
「いないよ。正直、軍人になってから瑠璃や翔香以外の女の子とこんなに話すようになったよ」
翔輝の驚くべき発言に武蔵はさらに困惑する。
「・・・翔輝はかっこいい。だからもてる」
「それは違うさ。お前は陸の上を知らないからそう言えるの。僕よりかっこいい奴なんて五万といるさ。それに、この『大和』にだって乗ってるよ」
「・・・翔輝以外の男なんて、興味ない」
「もっと世界を広げて。僕なんかが一位じゃ悲しすぎるよ」
そう言う翔輝だが、彼だってそれなりにかっこいい顔立ちはしている。むしろもてた事のない方が驚きだ。
驚く武蔵だが、さすがは武蔵。すぐに冷静になって翔輝に質問する。
「・・・翔輝、彼女の経験は?」
「ないよ」
「・・・キスの経験は?」
「お前に初めてを奪われた」
「・・・夜の関係は?」
「何を訊いてるんだお前はッ!?」
怒る翔輝の声を無視し、武蔵はうつむく。そして、
「・・・嬉しい」
「え?」
驚く翔輝を、武蔵はじっと見詰める。その瞳はとても嬉しそうに煌いている。
「・・・私、翔輝の初めてなんだ」
「う、うん・・・まあ・・・」
「・・・私じゃ、初めては嫌?」
一転して不安げに瞳を揺らす武蔵に、翔輝は慌てて首を振る。
「い、いや、そんな事ないよ」
「・・・ほんと?」
「うん。断言できる」
「・・・そう」
武蔵は一度そうつぶやいてうつむくと、そっと翔輝に抱きついた。
「む、武蔵?」
驚く翔輝に、武蔵は顔を上げると――心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「・・・翔輝、好き」
そう言って武蔵はさらに翔輝に強く抱きつく。
「・・・私、決めた」
「何を?」
「・・・翔輝の初めては、全部私がもらう」
「え? あ、いや・・・」
「・・・翔輝、大好き」
武蔵は翔輝に強く抱きついて離れない。
ずっとこうしていたい。
ずっとこうやって翔輝のぬくもりを感じていたい。
ずっと、このまま・・・
「あああああぁぁぁぁぁッ!」
突然の大声に振り向くと、そこには大和の他に長門、陸奥、伊勢、日向、雪風が立っていた。その中央にいる大和は極限まで顔を真っ赤にして、鬼のような顔をしている。
「少尉! 一体武蔵と何をしていたんですか!? 今すぐ離れてください!」
翔輝は言われたままに急いで武蔵から離れた。その際武蔵がすごく寂しそうな顔をしたが、どうしようもない。
大和はズカズカと翔輝と武蔵に近づく。さらにその後ろから他五名が続いた。
「少尉ッ!」
「大和。これはその、何だ。誤解と言うか東シナ海と言うか」
翔輝は大和が一歩進むと一歩下がるという事をくり返したが、すぐに追い詰められた。追い詰めた大和は翔輝を睨み続ける。
「あの・・・ね? 大和ちゃん?」
「私達が必死になって捜している間に、一体二人で何をしていたんですかッ!」
「いや、だから誤解――ッ!?」
その瞬間、翔輝は大和に押し倒された。
「少尉のバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ、バカーッ!」と、大和は翔輝をポコポコと殴る。それに対して翔輝「誤解! 誤解なんだ!」と必死に叫んでいる。そんな二人を見て、長門はため息。
「まったく、心配して損したわ」
「まぁまぁ、お姉様。何もなかったから良かったじゃないですか」
「陸奥。あんた笑顔が引きつってるわよ?」
「気のせい、気のせいですよ・・・(ニコ・・・ッ!)」
「やっぱり引きつってる」
そんな長門姉妹が見詰める先で、一通り殴り終えたのか、大和はようやく翔輝を解放した。
翔輝はフラフラと立ち上がる。
「痛ッ、手加減なしかよ」
「そんなもの無用です」
大和は翔輝に背を向ける。そんな大和の背中を見て翔輝はため息ついた。
「・・・大丈夫?」
武蔵が心配そうに翔輝の顔を覗き込む。
「あぁ、大丈夫大丈夫」
翔輝は努めて笑顔を送る。が、その態度がマズかった。
「少尉! 反省してるんですか!?」
大和が再び牙を向けて来た。
「反省って、何を・・・?」
「決まってるです! 私のかわいい妹をたぶらかした事です!」
「んな事するか!」
翔輝がマジで怒り始めると、突然武蔵が翔輝の手を握った。
「武蔵!? 何を・・・ッ!」
「・・・姉さん。これは、私の意志だから」
「なッ!?」
「あらぁ、先手を打たれてたのね」長門がポンと手を叩く。
「・・・ッ!」
「陸奥ちゃーん?」
陸奥は顔を真っ赤にさせて怒りの炎を燃え上がらせているが、それは置いといて、大和はこれまで以上に激昂していた。
「それよりも二人はこんな所で何をやってたんですか!?」
大和の怒鳴り声に、長門がすばやく反応した。その顔は何をバカな事をと言いたげな顔だった。
「大和。それは聞かない方がいいわよ?」
「どうしてですか!?」
「いやぁね、人気のない所で若い男女がする事っていったら一つしかないでしょ?」
沈黙が降りた。
ここに至って初めて、大和の瞳に理解の色が浮かんだ。みるみるうちに顔を色が真っ赤に染まってゆく。弱い月明かりの下でもはっきり見えるほどだった。
「少尉・・・ッ!」
「誤解だ! そんな事するか! 長門さんも火に油を注ぐような事を!」
「あら、私は火に重油をぶち込んだだけよ?」
「なおひどいわ!」
「少尉!」
大和は臨戦態勢に入っていた。ギラリと輝くそれは、旗艦になった時に長門からもらった軍刀だった。
斬られる! 翔輝の本能がそう告げていた。
「待てッ! お前キレやすいぞ! 牛乳飲んでカルシウムをちゃんと取れ!」
「どちらかって言うと、武蔵は牛乳じゃない何かを飲んでたのよね? 白い何かを」
「少尉ッ!」
「長門さん!」
もはや修羅場は泥沼化していた。大和はジリジリと翔輝に近づき、翔輝はダラダラと汗を流しながら後退して行く。そしてついに、翔輝の背中は冷たい金属の壁に触れた。その瞬間、全てが動いた。
「ひッ!?」
恐怖の声は――大和の口から出た。
大和の後頭部には冷たい金属が触れていた。純粋に人を殺す道具。拳銃だった。その拳銃のグリップを握っているのは、武蔵の白い手。
「・・・誰もそんな事してない・・・ッ!」
震える拳銃を握っている武蔵の声は、本気の本気で激怒していた。顔を真っ赤に染めて唇をギュッと噛んでいる。
翔輝と自分をそんなふしだらな関係に思われた事に、マジでキレていた。
「む、武蔵・・・?」
さっきまで真っ赤に染まっていた大和の顔は、今はもう真っ青だった。
「武蔵。えっと、冷静に、ね?」
さっきまで冷静どころか理性のたがが外れていた奴がよく言うわ、と内心呆れている翔輝。
「私と翔輝は、そんなふしだらな事してない・・・ッ! 私はただ、翔輝に誕生日プレゼントを渡してただけ・・・ッ!」
再び沈黙が降りた。
大和以下五名はポッカーンと口をアホみたいに開けて硬直していた。
「え? 少尉の、誕生日・・?」
先陣を切った大和は「何を言ってるの?」と言いたげな瞳を向ける。そんな姉を不機嫌そうに見詰め、武蔵は言い放った。
「・・・そう、今日は翔輝の十八歳の誕生日。私はただ、翔輝にその祝いのプレゼントと渡してただけ、それ以上でもそれ以下でもない」
思いっ切りおでこにチューしてもらっておいてそれはないだろう。
「ちょっと、いいかな?」
長門が引きつった笑みで翔輝を見る。
「長谷川君。それは本当かな?」
「あ、はい」
翔輝の返事に長門の笑みが崩れ始めた。次に長門は無表情の少女――武蔵に訊く。
「それをどうして武蔵が知ってるの?」
長門の問いに、武蔵は何をバカな事をと言いたげな顔をする。
「・・・情報を制す者が全てを制す。さっきも言ったけど、連合艦隊次席指揮官の情報収集能力を見くびってもらっては困る」
「元連合艦隊旗艦である私や、現連合艦隊旗艦である大和ですらそんな事知らなかったわよ?」
「・・・情報に対する認識の甘さが敗因。戦局を左右するのは全て情報。そんな事すらわかってないあなた達は、私に完全敗北した」
武蔵の自信満々な勝利宣言に、大和達が激怒する。
「教えてくれてもいいじゃない!」
「そうよ! 武蔵ちゃん最低!」
本気の本気でキレた大和と陸奥は鋭利な牙をギラギラと輝かせながら武蔵を睨む。
「自分ひとりだけやなんてずるいわぁ! 情報提供してほしかったわぁ!」
「そうだそうだ!」
理不尽な武蔵の行動に伊勢と日向も激怒していた。
「あ、あの武蔵副司令? さすがにそれはマズイですよ?」
雪風は極力平和的に解決しようとするが、それは無駄な努力だった。
武蔵は表情の薄い顔を、勝利で勝ち誇った顔をしていた。
「・・・教える? 情報提供? こういう戦いに助け合いは必要ない。必要なのは己自身の実力。お気楽に仲間ごっこしている姉さん達は、絶対に私には勝てない。最新鋭の世界最大最強超弩級不沈戦艦の実力をなめてもらっては困る」
武蔵の勝利宣言に四人(長門と雪風以外)は今にも襲い掛かりそうな雰囲気だったが、大和がそれを止める。
いつになく、大和は冷静だった。これも連合艦隊旗艦という大役を受けて長いからだろう。幾多の難局を切り抜いてきた司令官の瞳がそこにある。
「悔しいけど、今回は先手を打たれた。でも今からでもまだ間に合う。私達もプレゼントを渡せば!」
その言葉に四人の瞳の色が変わった。大和達は急いで渡すものを考える。もちろん長門と雪風も考える。が、そんな大和達を見て、武蔵はあざ笑った。
「・・・言ったでしょ? あなた達は私に、完全敗北したって」
「それが何よ・・・ッ!」
大和の必死な顔を見て、武蔵は苦笑し、おもむろに翔輝からもらった腕時計を見る。
「あ、それは少尉の――」
「・・・いいの? あと十秒で明日になっちゃうけど?」
『え・・・?』
その言葉に全員は急いで腕時計や懐中時計を確認する。すると、現在時間十二月八日十一時五九分五二秒。
『ぎゃあああああぁぁぁぁぁッ!』
六人(特に長門と雪風以外の四人)は悲鳴を上げて、あたふたと焦りまくる。そんな六人を見て、武蔵は軍帽を被り直した。
「・・・五・・・四・・・三・・・・二・・・一」
そして、秒針は無情にも、十二と重なった。
現在時間十二月九日〇時〇分〇〇秒。
「・・・完全勝利」
『いやあああああぁぁぁぁぁッ!』
こうして、翔輝の十八歳の誕生日は終わり、戦いは終わった。結果は武蔵の単独圧倒的完全勝利。大和達にとっては、ミッドウェー海戦以来の大敗北だった。
「大和? 大丈夫?」
力なく甲板に倒れている大和を翔輝は急いで抱き起こすが、被害は甚大だった。
「負けた。妹に、完全敗北・・・完敗よ・・・」
「何の勝負だよ!?」
ガクガクと翔輝は大和の肩を揺らすが、すでに大和の心は遠い所に行ってしまった。そんな大和を必死に呼び戻している翔輝の横で、同じような状態に陥っている陸奥を看病する長門。
「お姉様。私はもう・・・」
「がんばれ! 傷は浅いわ!」
どこか演技も入ってそうだが、ともかく陸奥も爆沈であった。
そして、伊勢も轟沈し、日向が必死に姉に叫んでいる。
「お姉ちゃん! 今から渡せばいいじゃない!」
「甘いんよ日向ぁ。誕生日プレゼントちゅーのはそん日に渡すんが絶対必須事項なんや。それがないんじゃ、カレー粉を入れていないカレーと同じやわ」
「私はカレー粉が入ってなくても、塩コショウをかけて食べるよ!」
「食い意地が張っとるあんたと一緒にせぇへんで・・・ッ! 第一、一日遅れた誕生日プレゼントを、どう言って渡すって言うんよ・・・ッ!?」
「え? 普通に、『昨日はごめんね。一日遅れのハッピーバースデーだよ。てへっ♪』って具合に」
「・・・あぁ、日向。今のあんたはうちにはまぶし過ぎる」
「お姉ちゃん! カムバーックッ!」
そんな六人を見ながら、雪風はあたふたとしている。どうすればいいかわからないのだろう。
「・・・翔輝。今日はもう遅い。また明日、じゃねくて、朝ね」
「あぁ、うん」
武蔵は翔輝にあいさつを済ませると、足早に消えてしまった。大和達にとっては、見事な勝ち逃げにしか見えなかった。
こうして、翔輝の十八歳の誕生日は終わり、武蔵はまたひとつ翔輝との絆を結んだのであった。 |