第七章 第十三節 戦姫達の涙は頬を流れて
「待てよ!」
礼儀も何にもない直球勝負な声に翔輝が振り向くと、ポニーテールの髪を揺らした少女が立っていた。
「榛名さん?」
「さんはいらねえ。それよりテメェに聞きたい事があんだけど」
「何?」
榛名は目を細くした。その瞳には刀のような鋭さを秘められていた。
「テメェ、姉貴の何を見た?」
「・・・」
「答えろよな。答えなきゃ力ずくで聞き出す」
榛名は拳を構える。そんな彼女に、翔輝は小さなため息を零す。
「別に言わない訳じゃないよ。ちゃんと言うよ?」
「けっ、ならさっさと言いやがれ」
榛名の礼儀もクソもない言い方に、翔輝はため息する。
「君は失礼だな」
「けっ、悪いけどテメェよりは長く生きてんでな。失礼もクソもねぇ」
「そりゃそうか」
確かに榛名は外見はともかく実年齢は年上である。
翔輝の軽い態度に榛名はイライラする。
「ほらッ! へらへら笑ってねえでさっさと言いやがれ!」
「わかった! わかったからヘッドロックはやめて!」
翔輝は洗いざらい暴露した(させられた?)。金剛の真の姿の事、自分の過去と現在、全てを榛名に話した。その間榛名は「ふーん」とか「あっそ」と適当な相槌をしているが、その瞳はずっと翔輝に向けられていた。
「それだけの事だよ」
ようやく説明を終えると、榛名は「あーッ!」と叫び、めんどくさそうに頭をバリバリと掻きむしる。
「ったくッ! 姉貴も少しは俺を信用しろっつーの!」
そう叫ぶと、榛名は寂しそうな表情を浮かべてうつむく。
「もう、たった二人になっちまった姉妹じゃねえか」
「榛名・・・」
そこにはいつも元気で前向きな榛名の姿はなかった。あるのは、二人の姉妹を失い、悲しみにくれる少女の姿だった。
「ったく、姉さんのバカ・・・姉さんがいなきゃ・・・誰が姉貴の紅茶を淹れるんだよ・・・バカヤロー・・・」
榛名はそうつぶやき、その場に崩れた。悔しそうに涙を流し、嗚咽交じりのその声は、もはや語尾の方が聞き取れないほど小さかった。
翔輝は、そんな榛名の肩にそっと触れた。
「榛名」
その声に、榛名は苦笑する。
「何だよ・・・励ます気か?」
「そんな事はしないよ。僕だって、妹を失っている身なんだから。家族を失う気持ちは、人一倍わかっているつもり」
榛名は、静かに微笑む翔輝を見詰める。翔輝の言葉を待っているのだ。どんな言葉が出てくるのか、榛名はそれに意識を集中させている。
翔輝は、静かに言った。
「悲しい時は悲しんだ方がいい。でも、それは時と場合を考えてしなきゃダメだ。自分の悲しいという感情は本物なんだから、それを押し殺すようなマネはしちゃダメ。悲しい時は誰かに頼って、その人の胸の中で泣いた方がきっといい。僕には、泣ける胸はなかったけど、君にはある――金剛さんがね」
翔輝の言葉に、榛名はほろほろと泣き出した。
榛名は、そんな言葉を待っていたのだ。自分は一人じゃない。まだまだ仲間がたくさんいる。まだ姉が残っている。そんな人に頼ったほうがいい。そんな言葉を、待っていたのだ。
涙を流す榛名だが、すぐにその涙を拭き取ると、いつものような強気を見せる。
「ちっ、本当はそのセリフ、姉貴に言ってほしかったぜ」
いつもと同じ、素直じゃない言葉。
「ははは、僕じゃやっぱり説得力がないか?」
「いや、確かに歳は俺の方が上だが、家族の死はテメェの方が先輩って訳か。むかつくけど、それは事実だからな」
榛名は立ち上がり、翔輝を見た。それは、翔輝が今まで見た事がなかった榛名の――笑顔だった。心の底からの笑みは、榛名を優しく見せた。しばらく翔輝はその笑顔を見詰めていたが、それは突然不機嫌そうな顔になった。
「か、勘違いすんなよ! 俺はテメェの一部分だけ認めただけだ。テメェの全てを認めた訳じゃねぇからな!」
そう言って顔を赤くしている榛名を見て、翔輝は笑ってしまった。榛名はさらに顔を紅潮させる。
「てっ、テメェ! 何笑ってやがる! わ、笑うなッ!」
翔輝はその後ずっと笑い続け、榛名の拳が顔面に入るまで笑い続けた。
「姉貴。いるか?」
翔輝と別れた榛名は、『金剛』の予備兵員室の前に立っていた。ここは今は誰も使っておらず、金剛の寝床になっている。
「榛名か。入れ」
中から響いた金剛の言葉に従い、榛名は中に入った。部屋は簡易ベッドが六つほどというシンプルなものだった。そのうちのベッドの一つに、軍帽を脱いだ金剛が腰掛けていた。
「姉貴」
「どうした? 貴様から訪ねて来るとは珍しいな」
榛名は無言で金剛の隣に腰を下ろした。そんないつもと違う榛名に、姉である金剛はいち早く気づいた。
「榛名。貴様一体――」
「なぁ、姉貴」
榛名は金剛の声も聞かずに声を出し、金剛の顔を見詰める。「何だ?」と金剛も榛名を見詰める。外見のまったく違う二人は、お互いを姉・妹として見詰め合う。蒼い瞳と黒い瞳がお互いをじっと見詰める。そして、
「は、榛名?」
金剛は榛名の行動に驚いた。
榛名は――金剛の胸の中に抱き付いたのだ。
「あぁ、姉貴のぬくもり。懐かしいな」
「榛名。貴様一体何を――」
「なぁ、姉貴」
今回も榛名は金剛の質問を無視した。金剛の胸の中で、榛名は小さな声でつぶやいた。
「比叡姉さんと霧島が死んだ事、本当は辛いんだろ?」
「・・・」
金剛は答えなかった。決して表情は変えずに、不機嫌そうな顔のままだ。
「なぁ、姉貴」
「そんな事を聞いて、何になる」
金剛は悠然とした態度を変えなかった。断固自分のキャラを保とうとしている。
「悲しいとか寂しいは一時の気の迷い。時間が経てば全て何にもなくなる。私は連合艦隊戦艦の最古参だ。そんな私がそのような感情に流されていては全日本海軍艦艇や天皇陛下に申し訳が――」
「バカヤローッ!」
刹那、金剛の頬に鋭い痛みが走った。驚いて目の前を見ると、涙を瞳にいっぱいに溜めた榛名の顔があった。徐々痛みから熱さに変わってくる頬を手で押さえ、ようやく理解した。
――自分は榛名に頬を平手打ちされたのだと――
「何で、何でなんだよ・・・?」
小さく弱々しい声は、いつも元気な妹の声だった。
金剛は突然の妹の変化に戸惑っていたが、榛名は、そっと金剛の胸の中で丸くなった。
「なぁ、姉貴。俺って頼りねぇのか?」
その言葉は、金剛の心によく響いた。
「俺さ、姉貴と一番一緒にいたんだよ? なのに、何で俺を頼ってくねぇのかな? 俺って、姉貴にとっちゃすんげぇお荷物なのか?」
「榛名・・・」
金剛は自分の胸の中で泣きじゃくる妹を、抱き締める事はなかった。ただ、じっと見詰めているだけ。
「姉貴。泣いたんだってな? 一人で部屋の中で」
「なぁッ!」
突然の暴露宣言に、金剛は顔を真っ赤に染める。だが、そんあ姉の反応に榛名は確信を得た。
「・・・やっぱり、泣いたんだ」
「・・・ッ!」
「隠さなくてもいいんだ。長谷川が見掛けたって言うんだし」
「長谷川? あの士官か」
金剛は心の中で翔輝を血祭りに上げようと決意した。
「あれは違うんだ。その、何だ。ちょっと足の小指をタンスの角にぶつけてしまって」
それもそれで《金剛》というキャラを破壊してしまうような発言だが、榛名は必死に否定する姉の姿を見て、くすくすと笑い出した。
「なッ! 笑うな!」
「悪い悪い。何かすっげえおもしれぇからさ」
「お、お前な・・・ッ!」
顔を赤くして怒る金剛を見て、榛名はさらに大きな声で笑い、金剛の竹刀をもろに受けて治やめた。
金剛の胸の中で、榛名はそっとつぶやいた。
「たまには、俺を頼ってくれよ。姉貴・・・」
「・・・あぁ」
金剛の胸の中で、榛名は落ち着いていた。
連合艦隊現役戦艦最古参という立場から素の表情を出せない姉の苦しみに、頼りないけど、必死に姉を想う榛名は、いつまでもそんな姉に抱きついていた。
それは、何年ぶりかの、姉妹の心から繋がった絆でもあった。
自室に戻った翔輝は椅子に腰掛けて翔香のペンダントを見詰めていた。
「霧島・・・」
結局、霧島との約束は永遠に叶える事ができなくなってしまった。あの時に見た霧島の笑顔。とても幸せそうな表情で、彼女はデートを楽しみにしていた。でも、それはもう叶う事はない。
死んでしまったら、もう何もできないのだから。
「・・・」
翔輝は虚空を見上げる。
初めて霧島と会ったのは、真珠湾攻撃成功の宴の時だった。
あんなに自分の事を怖がっていたのに、ついこの間までは笑顔の絶えない女の子だった。まぁ、もう女の子っていう歳じゃなかったけど、外見はまさにそれだった。
あんなに純粋で優しい女の子がどうして、どうして死ななきゃいけなかったんだろうか。死ななければ、もっとずっと一緒にいられたのに。どうして・・・
そう思っているうちに、翔輝の瞳から涙が零れていた。流れる雫は床に溶けて見えなくなる。あまりにも儚かった。
「霧島・・・ッ!」
ここでようやく思い出した。
戦争が始まってもうすぐ一年。ミッドウェー海戦などで多くの艦魂が死んでいった。中には顔見知りの奴もいたが、霧島は、翔輝の身近にいた艦魂で、そんな艦魂の中で初めて死んでしまった艦魂だった。
これが戦争。
どんなに優しい奴でも、明日には死んでしまうかもしれない。それが戦争なのだ。
自分達はいつも死と隣り合わせで生きている。今日の夕日が見れても、明日の夕日は見れないかもしれない。それが戦争。
「忘れてたよ。今日本は戦争をしてるって事を・・・」
翔輝は翔香の写真を手に取る。
日本は戦争をしている。それも強敵アメリカと。壮絶な戦いになるのは予想していたが、開戦より一年。戦争は激化の一途を辿り、刻一刻と敗戦の色が濃くなっていく。それに連れて多くの将兵や艦魂達も死んでいく。
わかっている。そんな事。でも・・・
「だからって、あんな子が死ななくても・・・いいじゃないか」
ベッドに仰向けに倒れる。
翔輝は人一倍死というものに対して脆い。それはもちろん翔香の死が主な原因だが、彼はもう母と、幼い頃に父を亡くしている。これだけ人の死を身近で感じていれば脆くもなるが、彼は人一倍優しい。優しいからこそ死というものに強い反発をする。だから、認めたくないのだ。
死ぬという事を。
死んだら何もできない。だからこそ今を必死に生きる。そう思っている。それなのに、時代は戦争を迎え、毎日のように戦場で人の命が消え、艦魂の命も消える。
平和に暮らす事を、時代は許してくれない。
日露戦争から約四〇年。日本は完全に軍事国家になってしまった。
戦う事が正義。中国を侵略するのも正義。鬼畜米英を皆殺しにするのも正義。日本という国を未来永劫繁栄させる為ならどんな事でも正義になる。それが今の日本という国。
一体、僕らはどこで舵を取り間違えたのか。
平和であれば、誰も戦いで傷つかず、死にもしない。それは、何にも勝る幸せではないのか? 大切な人と一緒にいられる。その為にするのを正義と言うのではないのか?
翔輝だって、もし父が満州事変で戦死しなければ、母は生きていたかもしれないし、翔香だって今も隣にいたかもしれない。そして、自分は軍人にならなかったかもしれない。でも、そうしたら彼女達との関係も全てなかった事になってしまう。
無限のループ。
考えれば考えるほど可能性は出て来る。だが、それは所詮地に足を着いていない空論。叶えられるはずがない理想論なのだ。現実は、日本は戦争していて、家族はみんな死に、自分は帝国海軍軍人になっている。そして、艦魂達と平和に暮らしている。
だが、いつかこれも壊れてしまう――いや、もう壊れ始めている。霧島という友達の死。
パズルはピース一つでもなくなれば完成しない。翔輝というパズルから霧島というピースがなくなった。他にもあまり会話しなかった赤城や加賀。蒼龍、飛龍、比叡など多くのピースを失っている。それが翔輝というパズルの形と言ってしまえばそれで全てが終わってしまう。だが、いくらピースがなくても完成させたい。そうは思わないだろうか? それがどんなに苦しくても、完成させたいと思う。決して、完成したのが良いものとは限らない。だが、それでも放っとけない。諦めたくない。
人は生きている事でピースを失い、また新たなピースを手に入れられる。そして、十分生きた最後に、自分の人生のパズルが完成する。
そう、生きる事は冒険なのだ。
楽しい事も、悲しい事も、全てそれはピースとなる。そのピースを使って生きる。それが、人間。それは艦魂にも言える事。
霧島は自分のピースを完全には手に入れられなかった。虚空のパズルでしか完成しなかったのだ。
まだまだ生きていられたのに、まだまだ冒険できたのに、霧島はもう、何もできなくなってしまった――翔香と同じように。
もう何もできない。それって、そんなのって――
「あんまりだよ・・・」
「・・・何が?」
「え?」
驚いて飛び上がると、部屋の入り口に無表情少女――武蔵が立っていた。
翔輝は急いで涙を拭い、苦笑いで武蔵を見る。
「・・・あのさ、部屋に入る時はノックぐらいしてよね」
「・・・」
武蔵は自分で開けたドアを見詰め、右手をグーにした。
コンコン――
「・・・入るよ?」
「・・・もう入ってから訊くなよ」
相変わらず大人っぽかったり、こんなふうに子供っぽかったりしてわからない奴だ。
武蔵は無言で部屋に入り(もう入っていたが)、そのまま翔輝の横にちょこんと座った。
「どうしたの?」
「・・・別に」
「あぁ、そう・・・」
相変わらずこの子との会話は続かない。以前もこんは風にあいさつして、そのままお互い無言で一時間過ごした事があった。あの時の気まずい雰囲気はもう言葉では言い表せないくらいに辛かった。ほとんど拷問である。
翔輝はなんとか会話を成立させようと頭を回転させた時だった。
「・・・ねぇ」
突然、武蔵の方から声を掛けてきたのだ。
「何だい?」
翔輝は努めて笑顔で訊く。
「・・・翔輝さっき」
「うん?」
「・・・泣いてたでしょ?」
突然、翔輝の笑顔が崩れた。体全体を使って驚愕のオーラを全方位に最大出力で放出している。武蔵はそんな翔輝を見詰め「・・・やっぱり」と小さくため息ついた。
「いや、泣いてない。泣いてないから」
「・・・目が赤く、頬に涙跡あり。これを泣いてなかったと判断する事は不可能」
「うぐっ・・・相変わらず根拠を元に一手を決めるな」
「・・・策も考えずに行動するなど、戦略的にも戦術的にも利益はない。そんな無謀な事をするのは愚か者だけ」
「って事は、僕は愚か者って事?」
「・・・違う」
「え?」
この絶対な事しか答えない武蔵が否定してくれたのだ。それは心の柱になるような事を――
「・・・翔輝は何も考えずに敵重火砲陣地に竹槍で突っ込むような行為するタイプ」
「・・・それって、遠回しにバカにしてるよね?」
「・・・」
「無視すんなッ!」
「・・・突撃ー」
「しないよッ!」
怒っても武蔵は無視する。普通の奴ならものすごくむかつくが、なぜか武蔵だとあまり怒れない。まぁ。やっぱり小さな女の子を本気では怒れないというのもあるが。
武蔵は相変わらず無表情で微動だもしない。傍から見れば人形にも見える。
「つーか、何しに――うっ」
振り返ると、そこには視界いっぱいの武蔵の顔があった。キラキラと輝いている邪心のない瞳が翔輝を釘付けにする。
「な、何・・・?」
「・・・元気、出た?」
「え?」
驚いて何も言えなくなる。一体彼女は何を言っているのだろうか。
「・・・翔輝。霧島が死んでから元気なかったから」
武蔵は静かに言った。その声は本当に心配しているような声だった。
「・・・姉さんが言ってた。翔輝はツッコミを活発にさせればそれと連動して元気になるって」
あんのアホ大和。無垢な武蔵に何を吹き込んでるんだ。・・・まぁ、ツッコミの属性があるのは否定できないが。
「・・・だからこうすれば翔輝が元気になるって思って。でも、やっぱりダメ。私は姉さんみたいにボケの才能がないから」
いやいや、君も十分天然ボケキャラだよ? というか今何気なく大和をバカにしなかったか?
苦笑いする翔輝の横で、武蔵はうつむく。
「・・・私、知識はたくさんあるけど、それを実行に移すのが苦手。私じゃやっぱり翔輝の力にはなれない。姉さんじゃないと」
そこで、武蔵の表情に変化が起きた。いつもは全く感情を面に出さない武蔵が、寂しそうな顔をしたのだ。その変化に、翔輝は呆然としていた。
「・・・姉さんじゃないと」
武蔵はそうつぶやくと、立ち上がった。
「武蔵?」
「・・・姉さんを連れて来る」
「お、おい」
翔輝は武蔵の肩に手を掛ける。その肩は、震えていた。
「武蔵?」
「・・・ずるい」
「え?」
「・・・姉さんはずるい。どうして翔輝といつも一緒にいるの? 私だって翔輝の傍にいたいのに。なのに、どうして・・・ッ」
それは、翔輝が始めて見た武蔵の涙だった。ポロポロと年齢相応の姿で涙を流す武蔵。嗚咽交じりのその声は、いつも以上に小さかった。
彼女はただ翔輝を元気付けたかっただけだった。でも、自分と姉のギャップの差は大きく、自分じゃ何もできないと思った。しかし、それでも・・・
「・・・それでも、私は翔輝に元気でいてほしい。だから――」
それ以上言葉は続かなかった。翔輝が武蔵の頭を撫でたのだ。
「・・・翔輝?」
「何言ってんの? 嬉しいよ。君が僕の事を心配してくれるなんてさ」
それは翔輝の正直な気持ちだった。武蔵と出会ってから三ヶ月。基本的にいつも単独行動が多く、他の艦魂と交わろうとしない武蔵は、姉である大和にさえなかなか懐かなかった。それでもなぜか翔輝にはそれなりに懐いていたのかよく翔輝の前に現れる。しかし、一緒にいてもいつも表情を崩さない武蔵に対し、翔輝はいつも自分は本当は嫌われているんじゃないかと心配していた。だが、それは完全な誤解だと気づいた。
「・・・私は、いつも翔輝を見てた。だから」
武蔵は自分の肩に掛けられている翔輝の手を見詰め、少し焦った声で言う。そんな行為に、翔輝は微笑んだ。
「・・・良かったよ。もしかしたら君に嫌われているんじゃなかって思っててさ」
「・・・そ、そんな事ない!」
翔輝は驚いた。いきなりいつも小声の武蔵が大声を出したから。それに対し、武蔵も思わず出た自分の大きな声に驚いていた。
「・・・わ、私は、翔輝第一だから、その・・・」
「ははは、わかったわかった」
翔輝は笑って武蔵の身体をそっと抱き締めた。武蔵はこれでもかと言わんばかりに顔を真っ赤にし、そんな珍しい武蔵の表情に翔輝は優しく笑った。
「・・・は、離して」
「えぇ? いいの? 離しても」
そっと翔輝は武蔵を離す。すると、
「・・・あ、やっぱりやめて」
そう慌てて訂正した。が、翔輝はついついいじめたくなった。
「うんわかった。やめる」
「・・・ち、違う。離すのをやめてって」
「うん? それじゃどうしてほしいの?」
「・・・そ、それは」
「うん? 口で言わなきゃわかんないよ」
「・・・ッ!」
顔を真っ赤にさせる武蔵を見て、翔輝はニヤニヤしている。そして、
「・・・だ、だから、その」
「うん? 何?」
「・・・だ、抱き締めて」
「・・・わかった」
翔輝は再び武蔵を抱き締めた。大和と違って体が小さく、力を入れると折れてしまいそうなくらい細かった。こんな子が、世界最大最強戦艦の艦魂の一人だと思うと、やりきれなくなる。
しばらく武蔵は翔輝の腕の中に身を任せていたが、突然翔輝が離れた。
「・・・」
「睨むなよ。もういいでしょ?」
「・・・まだ」
「そうは言っても、もうじき大和もやって来るし」
「・・・」
「な? ごめんね。あいつ何でか僕が他の艦魂と仲良くしてると怒るんだ。後々がめんどくさいからね。本当にごめん」
「・・・愚姉。いつか屠る」
「バイオレンスな事は言わないように」
武蔵は名残惜しそうに翔輝の胸を見詰めている。
「また今度、ね?」
「・・・」
武蔵は静かにうなずいた。
「よしよし。えらいえらい」
翔輝は武蔵の頭を撫でる。その行動に、武蔵はムッとする。
「・・・私、子ども扱い嫌い」
「そうなんだ。でも僕はどちらかと言うと子供の方が好きだな」
翔輝の言葉に、武蔵は複雑そうな顔をすると、
「・・・子供でいい」
「ははは」
まったく、性格は正反対でも根源は一緒、か。
翔輝は大和と武蔵を重ね合わせた。どちらも子供と認めてしまった。笑えるほどそっくりな二人だ。
翔輝が武蔵の頭から手を離した。その時、
コンコン。
「はい?」
突然ドアがノックされ、翔輝が返事するとドアが開き、書類を持った大和が現れた。
「あ、少尉。武蔵」
大和はドアを閉めて翔輝の机の上に書類を置いた。
「それは?」
「司令部の重要書類です。・・・また、ガダルカナル島の陸軍からの悲鳴電報です。二個大隊が敵航空基地に突撃し、全滅したそうです」
「そうか・・・」
大和は疲れ切った顔をしていた。そう言えば、ここ最近あいつはまともに寝てもいなかった。
「・・・私はこれで」
翔輝が何かを言う前に、武蔵は光に包まれて消えた。
残された二人は何を言うでもなくその場から動かなかった。
「少尉」
「うん?」
大和は翔輝の横に腰を下ろした。
「さっきはどうして怒ったんですか?」
大和は唐突に訊いた。
「あぁ、あれ? 別に。金剛さんの気持ちも理解しないでとやかく言うのが気に入らなかっただけ」
「金剛さんの気持ち・・・?」
首を傾げる大和に翔輝は続ける。
「いくら最凶と言われる人でも、家族を失って苦しくない訳がないだろ?」
「そ、それは・・・」
「だろ? 自分の妹が死んで悲しくない奴なんて・・・いるもんか」
翔輝の言葉には重みがあった。それは翔輝自身の声でもあった。
大切な妹を失って悲しまない兄や姉はいない。それは、翔輝の人生最大の教訓でもあったのだ。
大和にも妹がいる。武蔵が死んだら、自分にもわかるのだろうか。でも、自分だって多くの仲間を失っている。それとはほとんど変わらない辛さを彼女もちゃんとわかっているのだ。だから・・・
「もし、私が死んだら、少尉は悲しんでくれますか?」
気がついたら口に出していた。その言葉に、翔輝は驚いたような顔をして、呆れる。
「あのな、お前は不沈艦だろうが。死ぬなんて考えるな――そもそも、軽々しく《死ぬ》なんて口にしないでよね」
「ご、ごめんなさい」
翔輝が誰よりも《死》や《命》に過敏な事を思い出し、慌てて謝る。そんな大和に、翔輝は優しく微笑む。
「まぁ、お前が死んだら――そりゃ、悲しいよ」
翔輝の言葉に、大和は心の底で安堵した。自分も、彼の中ではそれなりの地位が確約されているという事が嬉しかったのだ。
だが・・・
「霧島さんと比叡さんはもう、帰って来ないんですね・・・」
「あぁ」
比叡の死も悲しいが、二人にとって一番に辛いのは霧島という最大の仲間の死だった。
霧島は二人の良き理解者であり、親友でもあった。
霧島は、あまりにも身近な存在だった。
「私、霧島さんが死んだって、まだ信じられません。今もドアを開けていつものように小さな声で『少尉?』って言ってくれる気がして」
「仕方ないよ。信じられないのは僕も同じさ・・・」
翔輝は辛そうに唇を噛んだ。
しばらく気まずい沈黙が続いたが、翔輝は突然大和の髪をワシャワシャと掻き乱した。
「な!? 何するんですか!?」
「いや、ちょうどいい所に掻き乱しやすい頭があったからさ」
「・・・どういう意味ですか、それ」
ため息する大和に、翔輝はふっと笑った。
「まぁ、元気出して。ここで悲しんでても意味ないし。霧島も悲しむ」
「・・・はい」
大和がうなずいた所で、翔輝は大和用の布団を敷いた。
「今日はもう遅い。寝よ」
「あ、私はまだ司令部の仕事がありますので」
「まだ仕事? 大丈夫なの?」
「はい。こんな時に休んでなんかいられないですから」
「そう。がんばってね」
大和は資料にペンを走らせてその資料を持って部屋を出て行った。
一人残された翔輝はベッドに背中から倒れ込んだ。
「霧島・・・」
翔輝は何の変哲もない鉄の天井を見上げる。
今も目をつむれば思い出せる――霧島の小さな笑顔。
そして、もう一人。
「比叡さん・・・」
あまり会話をした事はなかったが、彼女は母性的な人だった。悲しみにくれる艦魂達を、その柔和な笑みで優しく包む。それが彼女だった。
二人とも、失うにはあまりにも大きな存在だった。
「・・・これが、戦争なのか・・・」
翔輝は苦しそうに目をつむった。その時、部屋のドアがノックされた。
「はい」
翔輝が起き上がって返事すると、
「長谷川少尉? まだ起きてますか?」
「水上?」
それは翔輝の従兵である水上の声だった。
ドアが開き、部屋に入って来た水上は少し疲れている翔輝を見た。
「少尉。眠れないのですか?」
「うん? あぁ、まぁね」
「やはり、今日報告があった敵航空基地艦砲射撃艦隊で沈んだ艦の艦魂のせいですか?」
「・・・」
翔輝は答えなかったが、それは肯定の意味になった。
「少尉・・・」
水上は持っていたラムネを翔輝に渡した。
「これは?」
「山本長官からです」
「長官が?」
その意外な人物の名に翔輝は驚く。
「今日の報告を受けてから艦橋に顔を出さなかった少尉を心配して」
「・・・そうか。あとでお礼を言っとかないと」
翔輝はビンを開けてラムネを飲んだ。喉が渇いていたのでちょうどいい。
「艦長や航海長、航海科の方々が心配していらっしゃいます」
「・・・そうか。僕は大丈夫だって伝えといてくれないか?」
「・・・とてもそうには見えないんですが」
「そんなにダメな顔してるか?」
「とてもお疲れに見えますし、瞳が赤いですよ?」
「・・・ははは、泣いてたからな」
空笑いするが、水上はごまかせなかった。だてに半年以上翔輝の従兵をやってはいない。
「少尉。今日はもうお休みください」
「そうだな。そうするよ」
「では、おやすみなさい」
水上は敬礼して出て行った。
翔輝は布団に潜り込むが、寝れる訳がなかった。
結局、翔輝はその日、一睡もできなかった。
一方、司令部に戻った大和は霧島の死を忘れるように仕事をしていた。
「司令。もうお休みになられてはどうですか?」
「大丈夫。それより雪風こそ休んだ方がいいよ」
「私は結構です」
雪風はそっと大和の横にコーヒーを置く。
大和はすでに書類一〇〇枚以上にサインしていた。
「大和。無理はダメだよ」
「大和ちゃん。あとは私がやるから」
そう言ったのは同じ司令部にいる長門と陸奥だった。二人とも、極端にがんばる大和を心配しているのだ。
そんな二人に、大和は笑みを浮かべる。
「長門さん。陸奥さん。お気持ちは嬉しいんですが、これは連合艦隊旗艦である私の任務ですから。――それに、仕事をしていれば他の事を考えなくてすむんです」
「大和・・・」
大和が再び書類に目を戻した。
それから二枚の書類に目を通した所で、ふと窓の外を見た。窓の外は雲ひとつない晴天の星空だった。
この海の向こうには、多くの艦魂達がその生涯を終えて海の底にいると思うと、寂しくなってくる。その時、一筋の流れ星が光った。大和は急いでお願いをする。
――今はもう海の底で眠る彼女達に、永遠の眠りを与えてください――
大和の願いが叶ったのかは、誰にもわからなかった。わかったのは、多くの仲間を失っても、まだ戦争は続いているという・・・悲しい現実だけだった。 |