第七章 第十一節 霧島の決意と艦隊決戦
挺身部隊は作戦の要の一隻である戦艦『比叡』が沈むと、作戦を中止して全艦艦首を北に向けて撤退して行った。
その後、戦艦『比叡』『霧島』による敵航空基地砲撃が失敗した為、日本海軍は十一日深夜から十二日にかけて、外南洋部隊の第八艦隊(重巡洋艦二隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻)によるヘンダーソン航空基地砲撃を行った。だが、重巡二隻の二〇cm砲は合わせて九八九発砲撃したにもかかわらず戦艦の三五・六cm砲に比べてたいした効果はなく、その日のうちに復旧されたばかりか、砲撃終了後、帰投中に空母『エンタープライズ』の艦載機による攻撃を受け、重巡洋艦『衣笠』が沈没した。
一方、撤退していた『霧島』を中心とした艦隊は十四日、再び針路を南に変針していた。
新たな任務が命令されたのだ。
味方陸軍に補給する物資を積んだ輸送船団を無事にガダルカナル島に送り届ける為、再度敵航空基地砲撃が必要となったのだ。その為、艦隊は損傷した艦をトラックに戻し、各地域に展開していた別艦隊から選抜した艦を集め、艦隊を再編成した。その戦力は戦艦『霧島』、重巡洋艦『高雄』『愛宕』、軽巡洋艦二隻、駆逐艦九隻だった。
艦隊は再び、ガダルカナル島に向かって進撃を開始した。
その頃、アメリカ軍は日本軍の暗号を解読し、日本軍が再び突入して来るのを察知していた。
ハルゼーはこの報告に自らの隷下の機動部隊護衛任務に就いていた新鋭戦艦『ワシントン』『サウスダコタ』他駆逐艦四隻の艦隊を急遽編成。日本軍の侵攻を止めようと日本軍に向かって突進した。
霧島は姉の仇と、姉と共に成し遂げられなかった敵航空基地艦砲射撃作戦を絶対に成功させようと意気込んでいた。が、その想いは実現される事はなかった。
十四日の深夜、艦隊は周囲を哨戒していた水上偵察機から敵艦隊発見の報が入った。その報告では敵艦隊は巡洋艦四、駆逐艦四だったが、それは誤報で本当は前述のような新鋭戦艦二隻を基軸とした艦隊であった。
偵察機からの報告を信用した近藤中将は敵艦隊に戦艦はいないと誤解してしまった。
そして、艦隊はその後も進撃を続けた。
それから一時間半後、本隊の前方を走っていた前方警戒第一部隊の駆逐艦二隻の部隊が敵艦隊を発見。急遽第一部隊の軽巡洋艦『川内』が掩護に向かってしまい、僚艦、駆逐艦『綾波』は単身で暗い海を突き進んだ。
駆け付けた『川内』も合流し、三隻は六隻の敵艦隊としばし砲雷撃を繰り返して交戦を続けたが、戦艦二隻の恩恵を受ける敵艦隊はあまりにも協力で、川内隊はその圧倒的な火力の前に被害が増え、一時退避を余儀なくされて撤退し、敵戦艦部隊はそのまま進み続けた。だが、それが『綾波』の運命を大きく変えた。
全く敵艦隊の情報が入って来なかった『綾波』は単艦で戦艦二隻を含む敵艦隊と偶然にも遭遇してしまった。
駆逐艦『綾波』の全員が覚悟を決め、敵艦隊に向かって突撃を決めた。
白波を立てて敵艦隊に向かって突貫する『綾波』の艦橋で、二刀流の軍刀を構えた十八歳くらいの少女が長いポニーテールをゆらゆらと揺らしながら覚悟を決めた顔で闇夜に見える敵艦隊を睨んでいた。
彼女はこの駆逐艦『綾波』の艦魂。連合艦隊でも数少ない二刀流の使い手で、その優雅にして高速の攻撃で相手を打ち倒す様はまるで《妖精》のようと謳われ、その戦闘能力は翔鶴や榛名とも互角に戦え、まさに駆逐艦の鏡のような艦魂だった。
最大速度で『綾波』は突貫する。敵との距離が五〇〇〇mほどに縮まった時、敵艦隊から無数の光が放たれた。その直後、『綾波』のまわりに大量の水柱が上がった。敵艦隊に発見されたのだ。
無数の砲弾の雨の中、『綾波』も照明弾を発射。その直後敵艦隊がまばゆい光の中に現れた。が、同時に『綾波』も闇というベールを脱がされて姿を現した。そんな『綾波』に向かって敵艦隊は集中砲火をする。
無数の水柱が立ち上る中、綾波は敵艦隊を睨みつけ刀を構える。
「構うものかッ! 我が魂の一撃受けてみよッ!」
綾波の怒号と同時に第一主砲である十二・七cm連装砲が轟音を立てて砲撃した。次の瞬間、敵駆逐艦一隻が爆発し炎上した。なんと初弾を命中させたのだ。
その直後『綾波』は一気に敵艦隊に向かって突進した。主砲と魚雷を乱射。次々に敵艦を攻撃していく。そのすさまじい攻撃で次々に敵駆逐艦は炎上する。
敵艦隊もたった一隻の駆逐艦に集中攻撃を行ったが、『綾波』はその艦魂の異名の《妖精》のごとく敵の砲雷撃を避け、踊るように砲雷撃を繰り出した。
「私は、負けられないのよッ!」
綾波は二本の軍刀を高速に振り回す。フォン・・・という風を切る音が美しい音となって艦橋に響く。
敵艦は次々に炎上し、『綾波』の死の舞は止まらないかと思われたが、それはついに終わりを迎えてしまった。
敵戦艦『ワシントン』『サウスダコタ』が後方から一斉に砲撃を開始し、『綾波』を集中攻撃したのだ。
敵戦艦の砲弾は『綾波』に次々に命中。『綾波』は爆発、炎上した。
「ああぁッ!」
第一煙突が砕け、火災が発生した。火災の影響で発射直前の装填を終えたばかりの一番魚雷発射管が右方向を向いたまま故障して旋回不能・発射不能。さらには左舷に積んでいた内火艇のガソリンから発生した火災によって魚雷が炙られるという最悪の状態に陥ってしまった。
燃える自分の艦体を見詰め、綾波は咳と共に赤い血の塊を吐いた。
「ゲホゴホッ・・・この程度でやられる私じゃない。皆から《妖精》という異名をもらい、最強の駆逐艦と呼ばれる私が、貴様ら鬼畜米英に負けるものかッ!」
綾波は唇の端から垂れる血筋を袖で拭き取ると、自らの血にまみれた双剣を握り直して構えた。同時に、残った二基の六一cm三連装魚雷発射管が右旋回して敵艦隊を捉えた。
「これでも食らえッ!」
綾波の咆哮と同時に、二基の魚雷発射管から六本の魚雷が発射され海の中を翔け、敵駆逐艦を一隻轟沈させた。さらに二隻の駆逐艦にも損害を与えた。
だが、敵艦も黙ってはいない。砲雷撃をひたすら加え続けた。『綾波』は煙突を破壊。二番砲塔が粉砕。機関部に二発の砲弾を受け、『綾波』はついに沈黙した。
その直後、退避していた軽巡『川内』以下駆逐艦二隻の艦隊が到着。さらに後方の本隊にいた駆逐艦も数隻駆けつけ、『綾波』が屠りまくった敵艦隊に壮烈無比の砲雷撃を開始した。
しばしの砲雷撃の末、日本艦隊は敵駆逐艦一隻撃沈。一隻中破させた。
両艦隊は散々お互いを撃ち合った後、それぞれ離れて行った。
艦隊は『綾波』の生存者を救出する事に全力を挙げ、乗組員の半分以上を救出した。
一方、敵艦四隻を撃破したという想像絶する戦果を挙げた綾波はもはや意識はなく、艦橋の床に死んだように倒れていた。だが、その表情はこの上ないほど柔和なものだった。まるで、最高の満足を得たように・・・
――駆逐艦『綾波』、敵艦二隻撃沈。一隻大破。二隻に損害を与え、日本海軍駆逐艦史上類を見ない大戦果を挙げるが、損害が酷く、生存者救出終了直後、まるでそれを見届けたかのように二度の大爆発を起こして、ソロモンの海に沈んで逝った――
その頃、近藤中将は依然敵艦隊に戦艦はなしと誤解し続け、巡洋艦部隊なら水雷戦隊で片が付くと判断。挺身部隊本隊は任務を完遂させる為に艦首をガダルカナル島に向けたまま前進を続けた。
闇夜の中を進む艦隊は、旗艦・戦艦『霧島』以下軽巡一、駆逐艦三という規模の少ないものになっていた。水雷戦隊の大半を敵巡洋艦部隊撃滅に向けてしまったのが原因だ。
だが、そんな小さくなってしまった艦隊の中、戦艦『霧島』だけはその勇姿を輝かせていた。
天高くそびえ立つ艦橋は、まさに浮かべる城。艦齢はもう二七年という老朽戦艦だが、その勇姿はいつも最前線にあり、艦隊の将兵達はそんな『霧島』と共に戦える事に誇りを持っていた。
そして、そんな『霧島』の防空指揮所では、霧島が夜食を取っていた。夜はまだ長い。休息も大切な事だ。
うつむく霧島は無言で握り飯を頬張る。
「・・・うぅ・・・ぐすっ・・・」
霧島は肩を小さく震わせ、嗚咽を漏らす。その白い頬を、涙が一筋流れる。
「・・・おいしいよ・・・姉さん・・・」
泣きながら、霧島は出撃前に姉が持たせてくれた握り飯を頬張る。ただの塩むすびなのに、その塩加減は最高だ。何より、姉の味。今は亡き、もう食べられない姉の味だ。
「・・・姉さん・・・ぐすっ・・・」
霧島は軍服の袖で頬を流れる涙を拭き取る。すでに何度もそうやって拭いたので、袖は涙でぐちゃぐちゃになっている。
いつもはきれいに食べる霧島だが、今日だけは違う。ただひたすらに姉の味だけを味わおうと、口いっぱいに塩むすびを頬張る。その口や手には米粒が付くが、それすら気にせず霧島は塩むすびを呑み込むと、最後の塩むすびに手を伸ばす。が、その手は何も取らずに戻った。
霧島は無言で最後の塩むすびを見詰める。
「・・・姉さん・・・私・・・がんばるから・・・見ててね・・・」
そう言って、塩むすびを笹の葉で包むと、そっと腰のポーチに入れる。
「・・・この最後のおにぎりは、任務を完遂させた後に食べる」
そう言って、しっかりとポーチを閉じると、光り輝く星空を見上げる。
どこまでも澄んだ星空を見上げ、霧島はそっと拳を握る。
「・・・姉さんの為にも、日本の為にも、そして――」
霧島は遠く日本の方向を見詰め、ほんのりと顔を赤らめる。
「少尉とのデートを成功させる為にも」
そう言って、霧島はいつの間にか手に持っていた結婚式場案内のパンフを見詰める。これは比叡と共に翔輝との未来を綿密に計画したものだった。正確にはゴールはしっかりしているけどその過程が真っ白という致命的な弱点を持っているのだが。
霧島はパンフをギュッと両腕で握ると、星空を見上げる。
光り輝く星空と、淡い月の光がその身を包み込む。その姿はまるで月の女神のよう。きらきらと輝く黒髪を、風が柔らかに揺らす。
「姉さん・・・見ててね。私、絶対幸せになるからね」
そう笑顔で宣言すると、美しく輝く星空に向かって見事な敬礼をした。月に照らされるその姿は、まさに月の女神。どこか間違った方向に全力疾走しているが、それでも月の女神のように美しい。
霧島はどこまでも澄んだ星空を見詰め続けた。
戦艦『霧島』を基幹とした艦隊はガダルカナル島に向かって進み続けた。
白波を立てて進む『霧島』の防空指揮所で、海風に髪を靡かせる霧島はじっと闇夜を見詰めていた。
この暗闇の向こうに、自分達の目的地――ガダルカナル島があるのだ。姉達が見事に成功させた作戦を、今はこうして自分が亡きもう一人の姉の想いを背負って遂行している。これは責務なのだ。
「・・・もうすぐ、ガダルカナル」
霧島はそっと軍帽を脱ぐと、手に持っていたもうひとつの軍帽を被った。
それは、死ぬ間際に自分に託してくれた――比叡の軍帽であった。
姉の軍帽を被り、霧島は気合を入れ直す。その時、
「・・・え? あれは・・・」
霧島が見たのは、右前方に薄っすらを見えた影であった。
「・・・あれは、艦隊・・・?」
薄っすらと見えるそれは、確かに水上に浮かぶ艦艇の陰であった。
「もしかして、水雷戦隊が帰って来たのかな・・・?」
霧島は不安げにその艦隊を見詰める。その時、すさまじい光が霧島の目をくらませた。
「うわぁッ!? な、何ッ!?」
驚く霧島だが、奪われた視界をすぐに戻った。どうやら探照灯が照射されたらしい。その先には闇に隠れていた艦隊が光で映し出された。
「・・・え?」
霧島の顔から血の気が引いた。
目は驚きのあまり動かせずその壮絶な現実を見せつけ、耳は恐怖のあまりまわりの怒号や雑音を全て取り払って無の空間を作り上げる。
霧島の見詰める先で探照灯に映し出されたのは、距離にして約六キロという超接近していた――敵戦艦であった。
「・・・うそ・・・だって、戦艦はここにはいないって・・・ッ!」
霧島はハッとした。ここにきてようやく霧島は偵察機の情報が誤報だという事に気がついた。
自分達は《巡洋艦》という隠れ蓑を着た戦艦をむざむざと見逃していたのだ。
悔しそうに、霧島はその桃色の唇を噛む。すると、今の今まで気がつかなかったが、艦長の声が辺りに響いていた。それは攻撃用意の命令だった。
「そうだ。今は敵を倒す事だけを考えよう」
霧島はそう自分に言い聞かすと、先程までのうろたえていた少女の顔から、一人の帝国海軍軍人の顔になる。
考え方を変えればいい。
目の前には、日本海軍が待ちに待っていた敵戦艦がいる。
日本海軍が死に物狂いで求めていた戦艦対戦艦の艦隊決戦の現実がそこにある。
なら、軍人として、戦艦として、やるべき事はただひとつ。
「敵戦艦を撃破するッ!」
霧島はそう叫ぶと、腰に挿してある軍刀をスラリと鞘から抜いた。戦う事が嫌いであっても、日本を守りたいという気持ちには勝てない。
隣を走っていた『愛宕』が照明弾を撃ち上げた。すさまじい光によって敵戦艦『サウスダコタ』、そして日本艦隊が映し出された。
霧島は目の前の敵戦艦に向かってその剣先を向けると、いつもは柔らかな曲線を描いている瞳を細め、武人の顔になる。その姿まるで、金剛のようだ。
「私は負けられない。必ず勝つッ!」
ゴゴゴゴゴ・・・・と、『霧島』の前甲板にある三五・六cm連装砲二基八門が動き出し、敵戦艦にその砲身を向ける。
それを一瞥した霧島はキッと敵戦艦を睨みつけ、心の底からの、戦艦としての誇りを胸に咆哮した。
「撃てえええええぇぇぇぇぇッ!」
ドガアアアアアァァァァァンッ!
『霧島』の主砲が唸り、敵戦艦に砲撃を加える。その一撃は敵戦艦の近くにいた敵駆逐艦らしきものに命中し、一瞬にして轟沈させた。だが、敵艦隊もすさまじい砲撃を行ってくる。
撃ち出された無数の砲弾が雨のように降り注ぎ、『霧島』のまわりに無数の水柱を上げる。対空戦闘と違って敵機の動きで艦の針路を変えるのではなく、とにかくジグザクに動いて敵砲弾を回避しながら攻撃する。それが、海軍の誇りとも言うべき艦隊決戦というものだ。
無数の水柱に包まれる『霧島』の防空指揮所では、舞い上がった海水が雨のように降り注いでいる。すでに霧島はずぶぬれだが、その瞳はしっかりと敵戦艦を見つめている。
「これが艦隊決戦・・・この心を震わす衝動・・・これが艦隊決戦なのね! 金剛姉さん!」
霧島は初めて知った。
この心を震わせる最高の戦い。これこそが戦艦の本来の有り方である艦隊決戦なのだ。対空戦闘や敵駆逐艦と交戦するのとは訳が違う。己の実力を本気でぶつけられる小細工なしの戦いができる最高の好敵手。それが戦艦なのだ。
「今ならわかるよ・・・金剛姉さんがあれほど艦隊決戦に執着していたのが・・・こういう事だったのねッ!」
霧島は最高の好敵手である敵戦艦に向かって刀を振り下ろす。と、同時に主砲も轟音を立てて巨大な砲弾を撃ち出す。そして敵戦艦のまわりにいくつもの巨大な水柱を立たせる。命中弾はなし。霧島は悔しそうに唇を噛む。が、すぐさま敵戦艦からお返しの砲弾が返って来る。『霧島』はそれを右へ回避する。すると、左側の海に無数の水柱が上がった。
もしあのまま突き進んでいたら、自分はきっと今頃無数の敵砲弾を受けて無数の穴を開け、大火災を引き起こしていただろう。そう思うとぞっとする。が、すぐさま敵戦艦を睨みつけ、咆哮する。
「撃てえええぇぇぇッ!」
怒りの三五・六cm砲が敵戦艦を襲う。
無数に撃ち出された砲弾が敵戦艦に雨のように降り注ぐ。と、一瞬、敵戦艦が光った。次の瞬間、敵戦艦は炎を上げた。
「め、命中した・・・ッ!?」
霧島は目を見開いて驚く。だが、見詰める先に浮かぶ敵戦艦は燃えている。
「や、やったぁッ!」
今自分は、長年日本海軍の悲願であった敵戦艦に一矢を報う事ができたのだ。しかも、自分は本当ならもう引退しているであろう老朽戦艦。そんな自分が、敵戦艦に一撃を入れられたという喜びに、霧島は歓喜する。
「姉さん! 私、私やったよッ!」
霧島はそう嬉しそうに叫ぶ。
それは、戦艦として生まれた自分が、二七年という艦生で得た最高の戦果であった。
戦艦の艦魂である霧島が、その勝利に何度も歓喜の声を上げる。
「・・・え?」
もう一度燃える敵戦艦を確認した時、その戦艦の奥で数度の小さな光がほとばしった刹那、ドガンドガンッ! ドォンッ! という爆音と共に無数の水柱が『霧島』を包み込んだ。
「な、何ッ!?」
突然の事に霧島は驚く。と、
ドガアアアアアァァァァァンッ!
「あがぁッ!」
突如すさまじい光に包まれた刹那、身体にすさまじい痛みが走った。
埃ひとつついていなかった士官用の軍服からは真っ赤な血がにじみ出る。
すさまじい激痛の中、霧島は闇の向こうを見詰めた。と、
「あ、あれは・・・ッ!」
痛みを堪えて見詰める先には、燃える敵戦艦の向こうから同等、もしくはそれ以上の大きさの敵艦が姿を現した。それは間違いなく、戦艦であった。
現れたのは、戦艦『サウスダコタ』の後方にいた戦艦『ワシントン』であった。
現れた新たな敵戦艦に、霧島は愕然とする。まさか敵が二隻も戦艦を用意していたなんて予想外だったからだ。
だが・・・
霧島は首を小さく横に振る。
「約束したんだ・・・少尉とデートするって・・・だから――」
霧島は比叡の形見の軍帽を深く被ると、口の端から垂れる血を袖で拭き取り、自らの血で赤く染まった軍刀を構え、敵戦艦を睨む。
「負けられない・・・負けられないのよッ!」
負けられない、負けてはならないのだ。姉の為にも、夕立や綾波の為にも、この戦いに、今作戦の全てが掛かっている。絶対に、負けれない。
「・・・たとえ、敵がどんなに強くても、気合と根性で戦い抜く――それが大日本帝国海軍。そうよね? みんな」
霧島は刀を構え、『霧島』は敵艦に向かって突進を開始した。
敵戦艦から次々に打ち出される砲弾を受け、『霧島』の甲板設備が次々に粉々に吹き飛び、霧島自身も血まみれになっていく。だが、霧島はあきらめない。死んで逝った者達の為にも、自分を信じて待っていてくれている者達の為にも、そして・・・
「長谷川少尉とデートする為にも・・・私は負けない・・・ッ! 負けられないのッ!」
霧島は最後の力を振り絞り、四基八門の主砲を雷鳴のごとき咆哮を天空に響かせ、敵戦艦を砲撃した。
敵艦隊は去った。
敵戦艦二隻を相手に奮戦した『霧島』は、敵艦隊にかなりの被害を出し、その激務を終えた。
洋上に浮かぶ大傾斜した『霧島』の艦体は巨大な黒煙を上げ、荒れ狂う炎が大火災を引き起こしていた。そのまわりを味方駆逐艦や巡洋艦達が生存者を救出する。
そんな様子を、霧島は祈るようにして見ていた。
「・・・早く・・・私はもうダメ・・・一人でも多く・・・生存者を救出して・・・ッ!」
心優しい霧島は、自分の事よりも他人の心配をしていた。
そして、一通り生存者を救出すると、駆逐艦や巡洋艦は沈没時の渦に巻き込まれない為に離れていく。
すでに体中が鉛のように重く、氷のように冷たくなっていた。真っ赤に染まった白い軍服は、もはやその輝きを失っている。
焦点の合ってない目で、霧島は虚空を見詰める。その瞳は薄っすらと濡れている。
「結局・・・少尉との約束・・・守れなかった・・・ごめんなさい・・・」
霧島は目を閉じ、比叡と同等、もしくはそれ以上に大切な少年を思い出す。
初めて心の底から信頼できた大切な人――それが少尉だった。
少尉は底抜けて優しく、いつも下を向いていた私の視線を前に向けてくれた。世界はこんなにも美しく、自分のまわりにはこんなにすばらしい仲間がいるという事に気づかせてくれた。
そして、初めて会った時から――ずっと好きだった。
好きで、いつも少尉の事ばかり考え、それが恋だという事に気づいたときには、もう少尉のまわりにはたくさんの少尉を慕っている艦魂達がいた。
自分は遠巻きでもいいから、そんなおこぼれを貰っていればいい。そう思ってた。でも、それじゃいけない。それじゃ何も進まない。姉さんに言われて、私は勇気を出して少尉をデートに誘った。少尉は、なんか微妙な態度だったが了承してくれた――嬉しかった。
――でも、それはもう叶える事はできない。もう自分は――死ぬのだから。
「ごめんなさい少尉・・・あなたに・・・見せてあげたい・・・景色があったから・・・だから・・・」
霧島はそう言いながら、涙を流した。
ぽろぽろと涙を流すが、その表情はとても柔らかな笑みであった。
きっと彼なら約束を破っても許してくれる。そう、思えたから。
「・・・ありがとう」
私の人生に、少しだけの間だったけど、たくさんの思い出をくれて、本当にありがとう。
デートに誘ったら言おうと思っていた事だけど、今、そっと言おう。
霧島は静かに目を閉じ、笑顔を浮かべた。
それは、彼女が出せる、精一杯の最高の笑顔だった。
――少尉。私は、あなたを世界で一番、愛しています・・・――
――戦艦『霧島』、大正時代、第一次世界大戦中に誕生し、海軍休日を経験し、太平洋戦争では僚艦『比叡』と共に真珠湾攻撃から常に機動部隊の護衛として常にその身を最前線に置いていた。日本海軍の戦艦の中では古参に入るが、他の同型艦と同じく高速戦艦だったので内地やトラックで待機している大和型や長門型戦艦の代わりに前線で戦い続けた。そんな歴戦の戦艦の艦魂である霧島は、戦艦の艦魂には不似合いな平和主義者で争い事が嫌いだった。だが、愛する祖国を守る為に、必死の想いで戦い続けた本当の戦士だった。普通の女の子として生きる事を許されず、普通の恋をする事も許されない、戦うだけの存在の乙女。そんな彼女も、普通の女の子ように恋をした。優しい彼といつまでもずっと一緒にいたい。そんな普通のささやかな願いも、彼女達には許されなかった。そして、そんな少女は戦艦としての責務である敵戦艦とのすさまじい艦隊決戦の末、ソロモンの海に、静かに沈んで逝った。彼女は、戦艦として立派に戦い、立派にその責務を終えたのだ――
この海戦で、日本海軍は戦艦『比叡』『霧島』、駆逐艦『夕立』『綾波』他一隻を失い、重巡洋艦『愛宕』『高雄』、駆逐艦二隻が小破とい悲惨な結果になった。しかし米軍も軽巡洋艦二隻、駆逐艦六隻が沈没し、重巡洋艦二隻、駆逐艦二隻大破。戦艦一隻、駆逐艦二隻中破。軽巡洋艦、駆逐艦それぞれ一隻が小破という満身創痍という状態だった。
結果、日本軍は戦術では辛くも苦い勝利をしたが、敵基地はほとんど無傷の上、せっかくガダルカナル島まで辿り着いた輸送船団は敵基地航空隊の猛攻撃で全滅。揚陸した弾薬や食料などの補給物資のほとんどが焼き払われ、陸軍支援作戦は失敗に終わった。
米軍は海戦では負けたが、日本軍の絶対必須の作戦を失敗させ、戦略では大勝利を収めた。
この悲惨な海戦を、第三次ソロモン海戦と言う・・・
この後、陸軍兵はガダルカナル島の通称《ガ島》の文字をもじった《餓島》と言われた同島で食糧不足や伝染病に掛かり、次々にその命を失っていった。
日本軍はもはやガダルカナル島奪還を諦め、その後は高速駆逐艦によるピストン撤退を行い、ガダルカナル島を撤退する事となった。
ミッドウェー海戦で失った航空兵力増強の為に行われたソロモン諸島攻略作戦は、ガダルカナル島での壮絶な戦いでそのミッドウェー海戦の三倍もの航空機を失い、死者の数は約二万人にも上った、日本陸海軍でも類を見ない大敗北だった。 |