第七章 第十節 生きて帰れぬ夢跡
一九四二年十一月九日、全軍の期待を一身に受けた戦艦『比叡』『霧島』を中心とした挺身部隊(戦艦『比叡』『霧島』、軽巡洋艦一隻、『雪風』を含む駆逐艦十一隻)は、トラック島を出撃。一路ガダルカナル島に向かった。
一方、アメリカ軍はこの日本艦隊を十二日に付近を警戒していた偵察機で発見した。
ハルゼー中将はガダルカナル島守備隊を守るべく圧倒的劣勢な艦隊(重巡洋艦二隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦八隻)を派遣。さらにはまだ南太平洋海戦の傷が治っていない空母『エンタープライズ』を無理やり引き出し、掩護攻撃させた。まだ修理中の空母を無理やり引き出すというのは彼の性格を感じる。
そんな限界の近いアメリカ軍は日本軍の攻撃を身を挺して守るべく防御を強化するのだった。
出撃した挺身部隊はガダルカナル島沖まで向かったが、スコールの影響で砲撃ができず、一旦北方に撤退した。しかし三〇分後にスコールが止んだと同島守備隊からの報告を受けて、艦隊は再び艦首を南方に向けた。
一方、のアメリカ艦隊は日本艦隊が接近して来るのをレーダーで捕捉。アメリカ艦隊は日本艦隊に向かって全艦突撃した。
艦隊は無線封鎖をしながらガダルカナル島に向かっていた。
輪型陣形をしている艦隊の中心には今作戦の要である戦艦『比叡』『霧島』がその勇姿を輝かしていた。例え老朽戦艦でも、戦艦というだけでその勇姿はすさまじいものだ。
「霧島。行ったり来たりで疲れた?」
『霧島』の艦橋でちょっと疲れた表情で椅子に座っている霧島に比叡が笑顔で声を掛ける。霧島はそんな姉の言葉にため息ひとつ吐き、ゆっくり立ち上がる。
「疲れたなんて言ってられないよ。早くこの任務を終わさないと」
「それって、早く少尉とデートしたいから?」
比叡の突然の奇襲攻撃に、霧島は顔をかあっと真っ赤にして焦る。
「ち、違うよ! 私はただ早く任務を終わしたいだけで・・・ッ!」
「はいはい」
比叡は何か意味深な笑顔のまま何度も首肯する。そんな姉を見て絶対にわかっていないと霧島は確信する。
「だから違うってば!」
普段はおとなしい霧島が顔を真っ赤にさせて大声を出して反論するのを、比叡はとても楽しそうに見詰める。
今は夜中だが、空には一点の雲のなく、絶好の砲撃日和だった。
艦隊は順調に南進を続け、艦隊を包む静けさが、ここが戦場だという現実を忘れさせそうになる。が、それは突如入った無線で崩れた。
「駆逐艦『夕立』より無電!」
通信兵が突如艦橋に飛び込んで来た。その通信兵は持って来た報告書を通信参謀に渡した。『夕立』とは霧島達本隊の十キロ前方で前方警戒に当たっている駆逐艦だ。
「何を考えてるんだ。今は無線封鎖中だぞ」
通信参謀は呆れた態度でそれに目を通すと、突然表情を変えてそれを声に出して読み上げた。
「駆逐艦『夕立』より無電!『敵艦隊見ユ。本隊前方四五キロ地点。敵兵力ハ重巡洋艦二、軽巡洋艦三、駆逐艦八』!」
その声に、『霧島』艦長の岩渕三次大佐が叫んだ。
「全艦に通報! 全艦全速力で敵艦隊に向かう!」
艦長命令で参謀達や信号兵が伝声管に向かって「両舷前進全速!」「総員水上戦闘配置に付け!」等の声が飛び交う。
そんな中、霧島と比叡の話は戦闘に移っていた。
「霧島。がんばってね」
比叡が笑顔で優しく言うと、霧島は「任せておいて」と自信満々に言う。普段はそうは見えなくても彼女も帝国海軍軍人なのだ。
「これでも機動部隊護衛戦艦として数々の海を翔け回ってたんだから、戦闘は結構得意だよ? 嫌いだけど・・・」
「でも、それが私達の使命よね?」
比叡の問いに、霧島は悲しげな笑顔を浮かべて静かにうなずく。
「わかってる。これも日本を、愛する祖国を守る為だもの」
「そうね。がんばろ」
「うん」
その直後、比叡は妹である霧島に向かって見事な敬礼をすると、自艦に戻った。
艦橋には彼女を見る事ができる人間は一人もいない。そんな中、霧島は決意した瞳で黒い海を睨む。
「早く終わらして、早く戻る。絶対に」
霧島の睨んだ海は、どこまでも闇に包まれた漆黒色だった。
まず戦いの先陣を切ったのは、味方に敵艦隊の位置を報告した駆逐艦『夕立』だった。
本隊の負担を少しでも軽くしようと、『夕立』は単身で敵艦隊に向かって突撃した。
白波を立てて最高速力である三四ノットで『夕立』は敵艦隊に向かって突貫する。
『夕立』の艦橋では長いポニーテールをした勇ましい雰囲気を放つこの艦の艦魂である夕立が軍刀を構えていた。頭に巻いている日の丸に《突撃上等》と書かれた鉢巻の余った部分が風もないのにハタハタと揺れる。
そしてついに、敵艦隊が闇夜の中に薄っすらと見えてきた。
「よしッ! 照明弾発射ッ!」
夕立の声と呼応して、『夕立』の十二・七cm砲が火を噴き、敵艦隊上空で炸裂。まばゆい光が辺りを包んでいた闇を消し飛ばし、敵艦隊が丸見えになった。その刹那、『夕立』は攻撃を開始した。
「大日本帝国海軍白露型駆逐艦四番艦・駆逐艦『夕立』! 参るッ!」
夕立はそう叫ぶと同時に軍刀を振った。
駆逐艦『夕立』は敵艦隊の懐に入り込み、手当たり次第に敵艦に砲雷撃を開始した。
――駆逐艦『夕立』、敵艦隊に単身突撃。単艦で敵艦隊の深部に突入し魚雷を発射、見事に命中。その後も手当たり次第に砲雷撃を行い目覚しい働きを見せ、敵艦数隻に大ダメージを負わし、敵艦隊を大混乱に陥れた。そしてその後も孤軍奮闘で戦うが、敵艦隊の集中攻撃を受け、沈没した――
『夕立』の突撃および撃沈の報の後、本隊はすぐに現地に着いた。
前方にはいくつもの火柱が上がっているのが見えた。
――それは最後まで武人として戦い抜いた、夕立が残した繋がりであった。
霧島は一人の英雄に向かって静かに敬礼すると、燃える敵艦隊をいつもの優しい表情ではなく、一人の軍人として睨みつける。
挺身部隊は一気にその間合いを詰める。そして、
「照明弾発射!」
戦艦『比叡』『霧島』の主砲が火を噴き、照明弾が天空を突き抜け、敵艦隊上空で炸裂。敵艦隊が闇の中からはっきりと現れた。
「よしッ! 左三〇方向の重巡らしきものに主砲三式弾発射!」
岩渕が叫んだ刹那、『比叡』『霧島』の三五・六cm砲十六門が火を噴き、両艦それぞれが狙った敵艦に砲弾が命中。敵艦は一瞬にして炎上した。
霧島は反撃してくる敵艦を睨み、そこに照準を合わせると、霧島の意思を感じたかのように第一、第二主砲が旋回し、火を噴く。敵艦は爆発、炎上した。
「夜戦は私達日本海軍の得意中の得意。絶対に負けない」
霧島は握り拳をさらに強める。
そして再び、『霧島』の主砲は何度目かの砲撃をした。
一方、『霧島』の前方を走る『比叡』も主砲副砲を乱射し、敵艦を次々に破壊していった。
比叡は闇夜に照明弾で照らされる敵艦を軍人の顔で睨みつける。
「敵には戦艦も空母もいない。どうやら巡洋艦部隊ね」
比叡は安堵した。戦艦や空母がいればこちらが不利になってしまうが、巡洋艦部隊なら話は違う。逆にこちらが有利になれる。
ふと海面を見ると、味方駆逐艦から射出された酸素魚雷が高速で闇の中に呑み込まれていった。刹那、敵艦数隻に水柱と火柱が上がった。
戦闘は両軍の指揮系統が十分に機能していないのか敵味方入り乱れる大混戦となっていた。だが戦局は戦艦が二隻配置されている日本側に有利に進んでいた。すでに敵艦数隻が沈没または時期沈没という状況になっている。だからこそ、比叡に小さな油断があった。
突如敵艦隊から数隻の駆逐艦が突っ込んで来た。
『敵駆逐艦! 右舷方向から本艦に向かって突撃して来ています!』
「主砲発射! 右舷副砲は各砲の判断でこれを砲撃せよ!」
戦艦『比叡』艦長の西田正雄大佐が命令する。
『比叡』の全主砲と右舷側の単装副砲八基が唸り、敵駆逐艦を砲撃する。敵駆逐艦はそれを受け爆発、炎上し、うち一隻は一瞬にして轟沈した。しかし、敵残存駆逐艦数隻が諦めず、依然突撃をやめない。
『敵駆逐艦接近!』
見張り兵の声が艦橋に木霊する。
「ち、近すぎる・・・ッ!」
比叡は敵駆逐艦が行うであろう次の行動を予測し、絶句する。
敵駆逐艦は近距離から魚雷を放ち、こちらが避ける暇もなく命中させるつもりだ。もしそんな事をされれば、この距離なら敵全艦のほとんどの魚雷が命中してしまう。いくら戦艦でも、それだけの魚雷を受ければ沈没する可能性が高い。
「両舷前進全速! 主砲副砲は敵駆逐艦を殲滅せよ!」
西田は悲鳴に近い声を上げる。
『比叡』は日本海軍戦艦の中でもトップクラスの最高速度――三〇ノットで闇の中の海を疾駆する。それに呼応して主砲副砲も勇ましく砲撃を行う。
敵駆逐艦が次々に爆発、炎上、轟沈を繰り返す。だが、大破して炎上する駆逐艦と駆逐艦の間から、突如炎上している駆逐艦が横向きに姿を現した。
「・・・ッ!」
比叡が声にならない悲鳴を上げる。そして、
『敵駆逐艦魚雷発射! その数八本!』
見張り兵の悲鳴が艦橋に不気味に響く。
「面舵いっぱぁぁぁいッ!」
西田はすぐさま舵を回す。艦が大きく右に傾斜する。最高速度で全速回頭すれば当然の事だ。
比叡は大きく右に傾斜する床に対し、右足に力を入れてその姿勢を保つ。
『比叡』と魚雷は次第に近づく・・・そして、
白波を立てて、先頭集団の四本の魚雷を回避した。しかし、そのすぐ後ろから残り四本の魚雷が迫る。
比叡はしっかりとその魚雷群を見詰め、息を呑む。
一本が艦の後方数十メートル先の空間を空しく通り過ぎる。
一本がすぐ横にいた味方駆逐艦に命中し、大きな水柱を上げる。
一本は不発弾だったらしく、途中で深い海の底に沈んでいった。
そして、最後の一本は・・・
視覚からその姿を消した刹那、鈍い爆発音と共に、同じく鈍い振動が『比叡』の巨大な艦体を震わせた。
「ぐぅ・・・ッ!」
その刹那、比叡の右足から鮮血が飛び出て、重心を失った身体はそのまま支えを失って床に倒れた。
痛みに耐え、比叡は傷口を確認する。
大したケガではなかった。が、当たり所が悪かった。
艦魂が足をケガしたということは、スクリューか舵に命中したという事だ。そのどちらも、壊れればたちまち正常な航行が不能になる。比叡はそれでない事を祈ったが、運命はあまりにも無情だった。
『主舵に魚雷一本命中! 大破! 使用不能!』
見張り兵の言葉は比叡の心を凍り付かせた。
――最悪だった――
舵が壊れたという事は、もう曲がる事ができず、ひたすら直進しかできないという事だった。一応副舵が残っているからそのような最悪な事態は起きないが、極端に運動性能が下がる。それは回避行動の遅れとなり、致命傷へと繋がってしまう。
比叡は愕然としながらも、冷静に包帯を出現させ、赤く染まった足に巻き付けた。
続いて杖を発現させるとそれを使ってゆっくりと立ち上がる。足に力を込めた瞬間、鋭い痛みが走り顔をゆがませるが、すぐに重心を変えて痛みに耐えながらしっかりと立つと、いまだ続く戦闘を見詰め、比叡は唇を噛んだ。
敵味方入り乱れる大混戦は三〇分ほど続き、挺身部隊は見事敵艦隊を撃滅した。
重巡洋艦二隻と駆逐艦三隻大破。軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻沈没。無傷は駆逐艦一隻のみという、ほぼ全滅という壊滅的な損害を受けた。
一方、日本軍も駆逐艦『夕立』『暁』が沈没。『比叡』も小破した。
挺身部隊は一旦バラバラになった艦隊を再び集結する事にした。
戦闘は終わり、霧島は急いで比叡の元に駆け付けた。
「姉さん・・・」
「あぁ、霧島。大丈夫だった?」
比叡は近くにある椅子に座っていた。その足には白い包帯が巻かれていたが、今では鮮やかな朱色に染まっていた。
そんな比叡に対し霧島はケガはなく無事であった。
「大丈夫だよ。それより、姉さんは大丈夫なの?」
「・・・足――舵をやられてね。でも副舵が残ってるから、まだ大丈夫よ」
「そう。ならいいけど。無理しないでね」
「そうね。そうするわ」
比叡はそう笑顔で答えた。すると、そんな比叡に霧島は無言でいきなり抱き付いた。
「き、霧島・・・?」
比叡は一瞬驚くが、すぐに優しい笑みを浮かべて肩を小刻みに震わせて自分に抱きついているかわいい妹をそっと抱き締めた。
「姉さん・・・ッ」
「まったく、あなたの泣き虫にも困ったものよね」
「だって、だってぇ・・・ッ!」
「でも――そんな霧島が、私は大好きよ」
比叡の言葉に、霧島は一度顔を上げる。その顔は涙でグシャグシャになっていたが、比叡の笑みを見てまた涙をポロポロと流して姉の胸に顔をうずめる。
そんな泣き虫の妹を、比叡はいつまでも優しく抱き締め続けた。
まだ夜は明けず、暗い海は沈黙が降り立っていた。そんな中、二人の姉妹はずっとその肩を寄せ合っていた。
艦隊はようやく再編成を終え、再び一路目的地であるガダルカナル島に向かって進撃を再開した。
先に向かった巡洋艦部隊が壊滅したという報告が入り、空母『エンタープライズ』に攻撃隊発進命令が出た。
まだ真っ暗な空の下、アメリカ軍独特のネイビーブルーの機体をした艦載機が次々に天空に舞って行く。甲板ではそんな彼らを見送る兵達が頻りに帽を振っている。
そして、防空指揮所ではまだ頭や腕等に包帯を巻いているエンタープライズが帽を振りながら攻撃隊を見送っていた。
だが、その顔は憔悴し切っており、いつもの元気な彼女ではなかった。
ホーネットの死以来、エンタープライズは他の艦魂達がいくら励ましても立ち直れずにいた。
大切な妹を失った姉の悲しみは、とてつもなく大きい。
帽を振るのにも疲れたのか、エンタープライズは艦内に戻ってしまった。
攻撃隊は闇の中に消えて行った。
翌朝、挺身部隊はガダルカナル島付近にまで来ていた。
艦隊は『霧島』を中心に駆逐艦達が護衛するという輪型陣形だった。その『霧島』から少し離れた後方には損傷で速度が落ちている『比叡』が続いている。
夜通し突き進んだ艦隊は、ついに淡い朝日に映し出されるソロモン諸島を目視した。
朝日に照らされるソロモン諸島は輝いて見える。ここが自分たちが目指していた敵地だと思うと、そんな朝日の輝きにも緊張が走る。
そんなソロモン諸島を霧島は真剣な瞳で見詰める。
「いよいよ。金剛姉さんや榛名姉さんのやった艦砲射撃をする時が来た・・・絶対に成功させてみせる!」
霧島はソロモン諸島を見詰め小さく拳を握って意気込んだ。が、その時だった。
『敵機! 左七〇度! 突っ込んでくる!』
見張り兵の青天の霹靂のような絶叫が伝声管を伝わって艦橋に響いた。その報告に霧島はさあーっと青ざめる。
「ど、どうして敵機が・・・ッ!?」
霧島は目の前の状況に混乱する。ソロモン諸島に入ったとはいえ、まだガダルカナル島は遠い。敵機が来るには距離が離れ過ぎているからだった。
「見張り兵! 本当に敵機か!? ラバウルの味方航空隊ではないのか!?」
岩渕がもっともな事言う。ラバウルなら近いので、味方の航空機が来るのもわかる。きっとラバウル航空隊が我が艦隊の為に護衛戦闘機を出してくれたのだろう。そう甘く考えていた。が、
『違います! あの吐き気のする濃紺色は絶対に米軍機です!』
その声に、艦橋は大混乱に陥った。敵機が来るなんて、まだ想像もしていなかったのだ。
この敵機は、まだ修理中と判断されていた空母『エンタープライズ』から発進して来たものとは彼らが知る由もなかった。
「対空戦闘ッ!」
岩渕はともかく敵機を迎撃する事にした。
兵達は急いでそれぞれの配置に向かって走る。しかし、甲板へ出るはずの兵はまだ艦内に待機していた。なぜなら――
「主砲三式弾装填!」
そう。戦艦の最大攻撃力である主砲が発射されるからだ。主砲の爆風は甲板に出た兵達にも被害が出るので、甲板兵達は主砲発射が終わるまで艦内で待機していなければならないのだ。
そして、主砲の旋回と砲弾の装填が終わり、砲身は確実に敵機を睨み付けていた。
岩渕はそれを確認し、戦艦の艦長として最も勇ましい命令を発した。
「主砲発射!」
刹那、『霧島』の三五・六cm砲四基八門全部が火を噴き、爆発音と爆風が蒼き海に響き渡った。さらに後方から『比叡』も砲撃を始め、両艦は黒い煙に包まれた。
そして、『比叡』『霧島』の二隻から放たれた十六発の砲弾は敵機の上空で炸裂。巨大な大輪花を咲かせ、敵機は次々に墜落する。
時限信管で目標空域で炸裂。焼夷粒子と砲弾の破片をバラ撒いて敵機を撃ち落す日本海軍独自の対空砲弾――三式弾だ。
『敵機! 三式弾を物ともせずに突っ込んでくる!』
「次弾装填急げッ!」
霧島は依然突撃してくる敵機を睨みつける。上方に急降下爆撃機、水平線に水平攻撃機、その前方には戦闘機という基本編成の攻撃隊だった。
霧島は空母護衛で何度も見てきた光景に悔しそうに唇を噛む。
「艦隊直衛の戦闘機さえいれば、なんとかできるのに」
機動部隊護衛の時には必ず零戦が上空を守ってくれていた。だが、今回の作戦には空母はなく、護衛戦闘機もない。
護衛戦闘機のない裸の艦隊は敵機の攻撃にとても弱い。それはマレー沖海戦以降の世界海軍の常識となっており、改めて戦闘機の重要性を再認識する。
『次弾装填完了!』
伝声管から砲術長の声が響き、岩渕はしっかりとうなずいた。
「主砲発射!」
岩渕の命令が伝声管を震わせた刹那、再び爆音が響き渡り、『霧島』、続いて『比叡』の主砲が唸る。さらに直掩の軽巡洋艦からも三式弾が発射され、敵機に焼夷粒子の嵐が吹き荒れた。だが、敵機はその数の三割を失っても突撃をやめず、さらには散開を始めた。これで三式弾はもう使えない。三式弾は敵機が密集しているからこそその威力を何倍にも増幅できるのだ。散開されてしまったらそれもできなくなる。
「機銃兵配置に付けッ!」
岩渕の声が艦内中に響き、甲板のドアが次々に開かれて機銃・高角砲の兵達が各々の配置に向かって走っていくのが見えた。
『第二七駆逐隊対空戦闘開始しました!』
艦隊の左端にいる第二七駆逐隊が主砲や機銃を乱射し始めた。それに呼応して他の駆逐隊も攻撃を開始する。
敵機はすさまじい弾幕の中を犠牲を出しながらも突進して来る。それは何度も見て来たが、何度経験しても慣れる事のない恐怖だ。
そして、敵機は激しい対空砲火の防空網を突破し、ついに第十一戦隊――『比叡』『霧島』の上空にまで達した。その瞬間、敵急降下爆撃機が一斉に機体を捻らせて急降下して来た。
『敵機直上! 急降下!』
見張り兵がこれまでにない程の絶叫を艦橋に響かせる。
「取舵いっぱぁぁぁいッ!」
岩渕は迫る敵機を睨み回避命令を叫んだ。その命令に『霧島』は急いで左に曲がる。
艦のまわりに白い水柱が何本も高く上がり、吹き飛ばされた海水が雨のように『霧島』に降り注ぐ。
主砲の代わりに機銃や高角砲が唸り、迫る敵機を次々に撃墜していく。さらに副砲も対空砲弾を使って敵機に応戦する。今や『霧島』の艦中から火が噴き、全方位にすさまじい弾幕を張る。だが、それが仇となった。敵機はすさまじく全力で応戦しながら逃げ回る『霧島』を諦め、速度が遅く対空砲火も少ない『比叡』に群がった。
「し、しまった! 姉さんが!」
霧島は自分から離れて行く敵機を見詰め青ざめる。その敵機が向かった先には後方で無数の敵機襲われている『比叡』。そして、霧島は見てしまった。
ドガアアアアアァァァァァンッ!
爆弾を受けて、巨大な火柱を上げて大爆発する姉の姿を・・・
「姉さあああああぁぁぁぁぁんッ!」
霧島の悲鳴は、『比叡』の爆発音の中に消えていった。
敵機は去り、艦隊は再び陣形を戻した。艦隊自体の被害は少なかったが、集中攻撃を受けた『比叡』だけが大損害を受け、大破した。
『比叡』は爆弾二発、魚雷一本を受けた。爆弾の一発は左舷副砲群に命中。もう一発は第二主砲に命中して堅固な主砲塔を破壊してしまった。そして、魚雷はあろう事か再び艦尾に命中。今度は副舵もろともスクリューまで粉砕。『比叡』は完全の航行不能となった。
霧島は急いで『比叡』の艦橋に向かった。
「姉さん・・・ッ!」
真っ青な顔の霧島が見たのは、真っ赤な血の海にぐったりと横たわる、大切な姉の姿だった。
「姉さんッ!」
霧島は血まみれになった姉を泣きながら抱き締めた。身体にベチャっとした不気味な感触がしたが、今はそれどころではない。
比叡の身体から少しずつ冷たくなっていく。
「姉さんッ! 姉さんしっかりしてッ!」
「霧島・・・泣かないでよ・・・」
泣き崩れる霧島を比叡もそっと抱き締めた。
もう霧島は何も言わず、ただひたすら泣き続けた。そんな妹を、比叡はいつまでも抱き締め続けた。
姉妹はお互いを抱き合い、お互いを感じ合った。そんな光景は永遠に続くかと思われたが、運命とはあまりにも無情だった。
「嫌ですッ! 絶対にさせませんッ!」
黒煙を上げる『比叡』の艦橋に集まった他の艦魂達の前で、霧島は絶叫に近い声で叫んだ。
「し、しかし・・・これは命令なんです・・・ッ!」
「そんな命令は絶対に嫌ぁッ!」
駆逐艦の艦魂がいくら説明しても、霧島は断固としてうなずかない。それは当然の反応だろう。その命令とは、航行不能となった姉――『比叡』の雷撃処分なのだ。
霧島はなんとしても比叡を殺したくはなかった。最も信頼していて、これまでもずっと一緒に太平洋を翔け回った大切な姉なのだ。霧島は例え引っ張ってでも『比叡』を本土まで連れて行きたかった。だが、
「もう・・・いいの・・・霧島・・・これ以上・・・みんなに迷惑を・・・掛けないで・・・」
血まみれで倒れている姉の力ない言葉に、霧島は泣き叫びながら比叡に抱き付く。
「嫌だよッ! 姉さん死なないで! 死んじゃダメッ! 姉さんが死んだら、死んだら私はどうすればいいの!?」
霧島は恥じる事なく泣いた。鼻水を流しながら、「姉さん」と何度も何度も呼びながら泣いた。そんな霧島を見て、泣かずにいられる者など一人もいなかった。みんな泣いた。みんな、もう仲間を失うのは嫌だった。
比叡は血まみれの身体でゆっくりと立ち上がる。もうそんな力など残っているはずもないのに、比叡は立った。
立ち上がった比叡は、みんなを見回す。みんな、少女も女性も恥じる事なく泣いていた。そんなみんなに、比叡はそっと微笑んだ
「みんな・・・泣かないで? 私がいなくなっても・・・まだ霧島や金剛姉さん・・・榛名がいるし・・・扶桑、山城、伊勢、日向、長門に陸奥・・・そして大和と武蔵もいる・・・だから・・・きっと大丈夫よ」
「大丈夫じゃない! 姉さんは・・・私の大切な比叡姉さんはあなた一人しかいないの! なのに、死ぬなんて、絶対にダメ・・・」
語尾の方はもうかすれて聞こえなかった。そして霧島それを最後にはその場に泣き崩れた。もう姉と会えないなんて、そんなの嫌だった。
比叡は、そんな霧島をそっと抱き締めた。優しく包み込まれた霧島は思い出す。この感触、この匂い、全て大好きな姉のものだった。
「霧島・・・戦争はこれからもっと激化する・・・なのに・・・私がいなくなるくらいで・・・泣かないの・・・あなたはこれでも・・・連合艦隊戦艦の最古参の一人なのよ・・・?」
霧島は首を横に振る。もう聞きたくない。そんな意思の表れだった。だが、比叡はやめない。ここで言わなくちゃ、もう永遠に言えなくなる。だから・・・
「霧島! 前を向いて生きなさい! 私はあなたをずっと見守ってるから! だから・・・だから、泣かないでよ・・・ッ!」
そう叫ぶ比叡の頬を、温かい雫が流れる。
我慢していた。死ぬのが怖いのずっと我慢していた。そうでもしなければ、自分は霧島の姉ではなくなる。そんな不安と戦いながら、比叡は耐えていた。
「姉さんだって、泣いてるじゃない・・・」
「これは違うわよ・・・目にゴミが入っただけなんだから・・・」
「素直じゃないね・・・」
「・・・そうね」
今度は霧島から比叡を抱き締めた。比叡もそれに応えて霧島を抱き締める。お互いの温もりを直接、体中で感じ合い、今目の前に姉が、妹がいる。今は、それだけで十分だった。
ずっと、このままでいたい。そんな二人の気持ちに、駆逐艦達は涙した。
だが、時間というのは、あまりにも残酷で、無機質なものだった。
ついに、『比叡』の雷撃処分の時間が来た。
艦橋には西田艦長や参謀長、他の参謀達が自分の身体を伝声管などに縄で括り付けていた。艦と運命を共にする為に・・・
比叡は防空指揮所に移動していた。「空が見たい」と比叡が言った為、霧島や他の駆逐艦数人が手伝って連れて来てくれた。そして、もう彼女達ももうここにはいない。みんな自艦に戻って比叡の最期を見届けていた。
比叡にはもう指一本動かす力も残されていなかった。残っていた力も先程使い切ってしまった。
自分には艦魂が見える青年士官が乗っていた。開戦直前に出会い、真珠湾の時からずっと一緒だったその彼は、自分と一緒に死ぬ覚悟をしていたが、比叡はそれを許さなかった。
嫌がる彼を無理やり転送した。彼には生きていてほしい。そんな願いを込めて使った最後の力。もう自分には何も残っていない。あるのは、変えられない死の運命だけ。
もう比叡に迷いはなかった――と言えばうそになる。だが、自分は今日この時まで戦艦として戦えた事に誇りを持っていた。敵戦艦と戦えなかったのが心残りだが、それでも自分は十分戦った――今ならそう思える。
「それに・・・」
自分には頼れる大切な姉や妹、最高の仲間達がまだ残っている。それが、今の彼女を一番支えていた。
そして・・・
味方駆逐艦から魚雷数本が発射された。海の中を翔ける魚雷を一瞥し、比叡はどこまでも蒼い空を見上げた。蒼く澄み切った空は美しく輝いていて、絶好の死に日和だった・・・のかな?
比叡はそう思うと、なぜかおかしくて笑ってしまった。心の底から笑った。その時、蒼い景色がじわりと歪んだのは笑いすぎて出たのかものか、それともやっぱり死にたくないという気持ちの表われだったのかはわからない。ただ、今だけは――涙が止まらない。
笑い終えたときには目は真っ赤になり、頬には一筋の雫が煌いていた。
海中を翔ける魚雷はもう肉眼でもはっきりと見える距離にまで迫っていた。
比叡はそっと遥か彼方に浮かんでいる『霧島』に向かって、そっと、優しく微笑んだ。
「姉さん・・・榛名・・・霧島・・・」
比叡は、本当に、心の底から嬉しそうな、優しい、満面の笑顔をした。
「あなた達と一緒にいられて、本当に良かった・・・」
雫が、頬をそっと流れた・・・
「――ありがとう」
その言葉を最後に、比叡は静かに目を閉じた。
刹那、『比叡』の艦体に数本の水柱が上がり、歴戦の重鎮戦艦、戦艦『比叡』はゆっくりと艦尾から海の底に沈んで逝った・・・
――戦艦『比叡』、旧式艦だが最も活躍した戦艦の一隻。イギリスの造船技術の粋を結集させて完成した『金剛』をモデルに日本で完成した国産金剛型戦艦最初の巡洋戦艦。完成後すぐに第一次世界大戦アジア戦線に参加。その初陣を姉艦『金剛』と共に飾り、その後十年以上日本海軍の中核として活躍。だが時代の変化で旧式化し始めていた金剛型戦艦四隻を近代化改装していた際に締結されたロンドン海軍軍縮条約の影響で、日本は戦艦一隻を失う事となり、他の戦艦よりも工事の遅れていた『比叡』が選ばれ、彼女は第一線から身を引いた。兵装や装甲を一部撤去し、練習戦艦となった『比叡』はさらに天皇陛下の御召艦となり、天皇陛下を乗せて海を翔けるという名誉も受け、昭和の最も愛された戦艦として『長門』『陸奥』と同じくらい国民から愛された。しかし、その後再び大改装して高速戦艦化して第一線に復帰し、その初陣を真珠湾で飾った。その後も幾多の戦いに赴き、常にその身を前線に置き続けた歴戦の英雄艦は、戦いに疲れ切ったその艦体を深い海の底に沈め、日本海軍最初の損失戦艦として永遠の眠りについた―― |